時の女神が見た夢・ゼロ   作:染色体

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17話 模擬実験のロストワールド/戦術シミュレーション

ティアマトに向けてハイネセンから出発する当日、ローザスは耳を疑うような話を聞いた。

 

「アッシュビーが死んだ」

 

ローザスはその日ジークマイスターとの出征前最後の打ち合わせが早期に片付いたため、早めにハイネセンの軍用宇宙港に到着していた。すると、ベルティーニがこの世の終わりのような顔でロビーに座っていた。その巨体すらその時は縮こまって見えた。心配して問い質したローザスに、彼はそう伝えたのだった。

 

それだけでもローザスにとっては衝撃であったが、報告はそれで終わらなかった。

 

「ウォーリックも死んだ」

 

「何だって!?そんな馬鹿なことがあるか!」

ローザスはウォーリックと司令部で会って来たばかりだった。

 

「ジャスパーも、コープも、ファンも、ローザスも……みんな死んだ」

 

……ローザス?

「俺は生きているぞ」

 

ベルティーニは、どんよりとした目をローザスに向けた。

「熱帯魚の名前だよう。水槽の温度が上がりすぎて、それで、妻を大声で叱りつけてしまった。今までそんなことはしたことがなかったのに」

 

熱帯魚。ローザスは得心した。

ベルティーニが飼っている熱帯魚に同僚の名前をつけているという噂は本当だったのか。

 

ベルティーニは熱帯魚を失ったことよりも、妻を怒鳴りつけたことを後悔して気落ちしているようだった。

 

妻の大切さは、失ったローザスとしてはよくわかる話だった。

「会議まで時間があるから、今のうちに奥さんに電話をして仲直りして来たらどうだ?話ができるのは生きているうちだけだぞ」

 

ベルティーニは同僚の顔を見て、少し考えてから頷いた。

「そうだな。ありがとう。連絡を入れてくる」

 

ベルティーニは電話を探しに猛牛のように走って行った。

 

戻ってきたベルティーニの表情は晴れ晴れとしていた。

 

そのうちブルース・アッシュビーをはじめとして他の僚友も、当然生きた状態で宇宙港にやって来た。

 

30分後、彼らは惑星ハイネセンを離れ、各艦隊の旗艦に向かった。

 

ライアル、ヤン、ユリアン、フレデリカの四人も旗艦ハードラックに同乗することになった。ヤン、ユリアン、フレデリカは情報部から司令部への出向者として。ライアルはブルースに似過ぎているため、一室に隠れ潜む形で。

 

ハイネセンのあるバーラト星域からティアマト星域まで1ヶ月近い行程を要する。

 

その間に、ブルース・アッシュビーはライアル達に戦術シミュレーションでの勝負を申し込んで来た。

フレデリカは断ったが、ライアルとユリアン、マルガレータは乗り気だった。

ヤンも興味はあったが、奇策を使わない限りヤンの負けは濃厚だとも考えていた。折角の戦死者の出ない戦い、シミュレーションで、奇策を使ってまで勝ちを目指すべきなのか、ヤンとしては少し迷うところだった。

 

シミュレーションにはローザスのみが立ち会った。

 

まずブルース・アッシュビーとライアルが戦うことになった。

 

戦術シミュレータのシステム自体はこの時代のものも未来のものと大きくは違わない。異なるのは再現される艦艇の性能、兵装と艦種である。この時代は空母と単座式戦闘艇が主要戦力としてはほぼ存在しなかった。

ルール設定はオーソドックスな会戦であり、同兵力の一万隻を率いて、制限時間までにどちらがより多く敵に損失を与えるかで勝敗が決まる。

 

「一度お前さんを叩きのめしてやりたかったんだ」とブルース。

「叩きのめせるかどうかやってみるといい」と答えたのはライアルだった。

同一の笑みを顔に乗せ、二人のアッシュビーは戦術シミュレータの席に着いた。

 

激しい戦いが時間いっぱいまで続いた。結果はほぼ引き分け、厳密にはブルース・アッシュビーの僅差の勝利だった。

 

「勝ち切れなかった!」

「勝てなかった!」

 

それぞれ十分に勝算をもって臨んでいた。

ブルースは、相手がこの時代の艦艇構成、艦艇性能に慣れていないと踏んでいたし、クローンとはいえ本物の自分の方が上だと考えていた。

一方のライアルは相手がこの五十年で新しく出現した戦術であれば多少は戸惑うと考えていた。無論歴史に影響を与えそうな戦術は用いなかったが。

 

しかし戦闘の推移と結果は二人の考えを打ち砕くものとなった。

 

ローザスも、ブルース・アッシュビーと互角に渡り合える人間がいることに驚かざるを得なかった。

 

このままではお互い納得できないと、二人はもう一度戦ってみたが結果はお互いの台詞を入れ替えただけに終わった。

 

「次だ。次」

ライアルと戦ってもストレスが溜まるだけだと理解したブルースは、他の人間と戦うことにした。

ライアルはヤンを指名した。

 

ブルースはヤンを胡散臭げに上から下までジロジロと眺めた。

「こいつ戦えるのか?そもそも軍人なのか。冴えない学者みたいな風貌で」

 

敬愛する上官に対する暴言にマルガレータが色をなして反論するよりも早く、ライアルが答えた。

「この男は、未来では「魔術師」とか「不敗」とか呼ばれる名将だぞ」

 

「この男が?」

 

「この男が、だ」

 

ライアルはヤンに言った。

「ブルース・アッシュビーに花を持たせようなんて考えるなよ」

 

ブルースがその言葉に反応した。

「俺相手に手を抜くつもりだったのか。この男は。手を抜かなければ勝てるとでも?」

 

ライアルがヤンの代わりに答えた。

「負けはしない、かもな」

 

「面白い。絶対に本気でやれよ。不敗の男」

 

勝手に話を進められてしまったヤンだったが、困った顔をしつつ、ブルースに返事をした。

「やってみます」

 

ユリアンもマルガレータも、伝説のブルース・アッシュビーと現代の名将ヤン・ウェンリーの一戦に、心を踊らさずにはいられなかった。

果たしてどちらが勝つのか?

 

だが、戦いは彼らの予想を大きく超えた展開となった。

 

戦闘開始早々、ヤンの艦隊は一目散に逃げ出したのだ。

ライアルはかつてのアリスター・フォン・ウォーリックとの戦いを思い出し、微妙な気分になった。

対戦相手のブルース・アッシュビーも流石に驚いたが、冷静に艦隊を前進させ、追撃を始めた。

 

逃げるヤンと、追いかけるアッシュビー。

 

だがそれも長くは続かなかった。

 

「止めよう。意味がないことがわかった」

 

「まあ、そうでしょうね」

 

対戦者の同意で勝負は引き分けに終わった。

 

起きたことだけを見れば、ヤンが勝負を避けて逃げ回り、アッシュビーがそれにやる気をなくして引き分けとなったようにも見えた。しかしその通りに受け取る者はその場にはいなかった。

 

ブルース・アッシュビーはヤンに話しかけた。

「逃げ出したながらも艦列、陣形共に崩れてはいなかったし、通常通りでもなかった。こちらが積極的に仕掛けようとすれば、その動きを利用して逆撃をかけるつもりだったのだろう?それも何パターンも想定して」

 

ヤンは頭をかいた。

「そうですね」

 

「狙いを全て把握するにはシミュレーションでは時間が足りなかった。この男には戦場でなければ勝ち負けを決められないことがよくわかった。わかったが……ストレスが溜まるなあ」

 

ブルース・アッシュビーの言葉に、ヤンは苦笑いしかできなかった。

ヤンはアッシュビーに対して不敗の名を守り通したのだった。ヤンの目論見通りではあったが、戦場ではアッシュビーの言う通り同じようにはいかないだろう。

 

憂さ晴らしとばかりに、ブルースは次の相手にユリアンを指名した。

ユリアンは伝説の提督と胸を借りられることを純粋に喜んだ。

ヤンはユリアンに耳打ちした。

「衝角戦術は使わないようにね」

 

「どうしてですか?」

ユリアンは正攻法では勝てないと思い、そのような奇策を試してみるつもりだった。

 

「正規軍による衝角戦術や斬り込み戦術が注目を集めるようになるのは独立諸侯連合軍がそれらの戦術を積極的に使い始めてからだ。今の時代の軍隊に余計な示唆を与えるのはまずい。メルカッツ提督の近接戦法ならまだ類例があるからよいけれど」

 

ユリアンは落胆しつつも、気分を切り換えて戦いに臨んだ。

ユリアンはオーソドックスな砲戦を挑みつつ、近接戦法に出るタイミングを計った。

だが、攻撃が一時的に弱まった隙をついてユリアンが近接攻撃に出ようとした時、逆にアッシュビーの艦隊が突撃を仕掛けて来た。近接戦法はアッシュビーも得意とするところだったのだ。

先手を取られたユリアンは、その後防戦一方に追い込まれ、そのまま判定負けとなった。

 

勝ったはずのブルースは、それでも難しい顔をしていた。近接攻撃で相手を蹂躙、殲滅するつもりが、時間いっぱいまで持ち堪えられてしまったのだ。

「また勝ち切れなかった。俺のクローンならともかく、こんな若造相手に。……いや、下手をするとウォーリックの奴より強いんじゃないか?」

 

ライアルが種明かしをした。

「そりゃあ、このユリ、ユーリ・アルツターノフ少尉は、未来において銀河系で五指……の末席ぐらいには入れる戦術家だからな」

 

「それを先に言え!」

 

マルガレータが最後にアッシュビーと戦うことになった。

 

ブルースはライアルに確認した。

「彼女まで五指に入るというわけではないだろうな?」

 

「そんなことはない。ないはずだ」

マルガレータに大規模な艦隊指揮の経験がないだけに、ライアルもその実力に関して確かなことは何も言えなかった。

 

マルガレータは緊張していた。

マルガレータは艦隊指揮の経験がないだけでなく、艦隊戦の戦術シミュレーションも久しぶりだった。

前の二人がブルース・アッシュビー相手にあれだけの戦いをしたのに一人だけ無様を晒すわけにはいかないとマルガレータは考えていた。

 

ユリアンがそんな彼女に話しかけた。

「緊張しているの?」

 

マルガレータはユリアンが心配してくれているのだと思った。

「ああ、実は少し……」

 

思わず弱音を吐こうとしたマルガレータに、ユリアンは笑顔で言葉を続けた。

「君が僕を戦場で倒せるというところを見せて欲しいな。ヤン提督の弟子なんだろう?」

 

……励ましでもなんでもなく、煽りだった。……そうだ、ユリアンはこういう奴だった。私は何を期待していたのか。

 

「……わかった」

 

マルガレータは低い声で答えた後、鬼気迫る顔で何やら準備を始めた。

 

「せっかくの美人が台無しだぞ。もっと気楽でいいんだぞ」

 

「……」

 

ブルースの軽口にもまったく反応しない有様だ。

 

戦闘開始早々、マルガレータの艦隊は散開してブルース・アッシュビーの艦隊を半球状に囲み、それから一斉に突撃を開始した。

 

アッシュビーはその突撃の大部分を急速前進によって正面の敵を食い破り、回避した。いや、回避したかに見えた。マルガレータの艦隊は避けられた先で集合しつつ回頭し、アッシュビーの艦隊に後背から迫った。

 

ホーランドの芸術的艦隊運動を取り入れた散開・突撃と、その後のヤンのアルタイルでの戦術を彷彿とさせる敵後背への攻撃は、艦艇行動の事前プログラミングによって行われたものだった。つまり、ここまでの動きはマルガレータの予想通りだった。

 

アッシュビーは、さらに全速前進しつつ右に進路を曲げて行き、ついにはマルガレータの艦隊の後背に食らいた。

 

しかし、敵の後背と見えたものはもう一つの正面だった。

マルガレータはアッシュビー艦隊を追いつつ、後方半数の艦隊を気づかれないよう少しずつ回頭させ、後背につくであろう敵の迎撃に当たらせたのだ。

 

結果、アッシュビー艦隊は前後から挟撃される形になるはずだった。

そうならなかったのは、アッシュビーの破壊力と速度がマルガレータの予想を遥かに上回っていたからだった。

アッシュビーは正面のマルガレータ艦隊半数と接触するやいなや、その艦列が整い切っていないポイントを見抜いて、全軍による攻撃で短時間で撃ち破ってしまった。

その上で後背から迫る残り半数の敵に対して再度急速前進しつつ右に徐々に方向を曲げ、ついにはその後背をついた。互いの尾を追いかけ、喰らいあうだけの消耗戦。

しかし、マルガレータの方が艦隊の半数を打ち破られた今となっては、アッシュビー艦隊が最後に残るのは明白だった。

マルガレータは最後の抵抗とばかりに再度艦隊の散開させ、360度から側面攻撃を試みようとしたが、その可能性を頭に入れていたアッシュビーにとって、それはただの乗ずるべき隙に過ぎなかった。

さらに撃ち減らされ、残存艦艇が20%を切って、マルガレータはようやく降伏を選択した。

 

 

伯爵令嬢らしからぬ罵りの言葉を帝国公用語で口にしてしまうほど、マルガレータは悔しがった。

結局惨敗に終わったのだ。ユリアンにもヤンにも合わせる顔がなかった。

 

だが、ブルース・アッシュビーの反応はまた違っていた。

「なかなか面白いものを見せてもらった。未来ではあのような戦術が一般的なのか?」

 

ライアルが答えた。

「いや、そんなことはない」

 

ヤンは頭を抱えたくなった。この時代にない戦術ばかりマルガレータは使ってしまったのだ。

 

ヤンはブルースとローザスにお願いした。

「この時代にはない戦術ですので、どうか広めることのないようお願いします」

 

「……ああ、勿論だ。他人の戦術など好んで使う気にはならないしな」

そう答えるブルースに対して、ローザスの方は考え込んでいた。艦隊を自動化してもやりようによってはアッシュビーともそこそこ戦えることが目の前で示されたのだ。今は無理でも将来的には艦隊の自動化を目指してもよいかもしれない、と。

 

ユリアンがマルガレータに近寄って来た。

マルガレータはユリアンに失望されたかと思った。ユリアンを止める能力がないと見なされることをマルガレータは恐れた。それはユリアンと自分との間の唯一特別な繋がりが消えることを意味する。少なくともマルガレータはそう思っていた。

 

ユリアンはマルガレータに偽名で呼びかけた。

「ヘンライン少尉、面白い戦いだったよ。励ました甲斐があったよ」

 

 

励まし?あの煽りが?マルガレータは当惑した。

「アルツターノフ少尉、あれは励ましだったのか?」

 

ユリアンは本気で驚いていた。

「えっ!?それ以外のなんだと思ったんだい?」

 

「……」

 

沈黙したマルガレータの代わりにフレデリカがユリアンに忠告した。

 

「アルツターノフ少尉、励ましたいならもう少し言葉を考えた方がいいわね。友達を無くすわよ」

 

ユリアンは目を瞬かせた後、ブルース達を気にしてフレデリカに小声で尋ねた。

「エンダースクールではみんなこうやって励ましあっていたと思うのですが」

 

生き馬の目を抜くエンダースクールの日々を思い出してみて、フレデリカは目眩を覚えた。あれを励まし合いだと思っていたなんて、なんてかわいそうな子なのだろう。

「……あれは励ましじゃないわ。動揺を誘うために煽りあっていただけよ」

 

「そんな……」

エンダースクールでの数少ない良い思い出、と思っていたものの真実を知り、一人ショックを受けるユリアンを残し、ブルース・アッシュビーとの戦術シミュレーションは終了した。

 

 

 


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