ヤンはユリアン達のつくった夕食を堪能した後、ソファで寛ぎながらユリアンと会話をしていた。
「ユリアン、君にはもう一つの歴史の記憶はないのかい?」
マルガレータにも訊かれた問いをユリアンは再度考えてみた。
「今のところ明確なものはないですね。ただ、ヤン長官やフレデリカさんのことは、なんだか他人ではない気はしていました。きっと同盟軍の同じ艦隊にでも所属して、仲良くさせて頂いていたのでしょうね」
「……そうだね」
「別の歴史ではきっと僕は今みたいにはなってないでしょうね。十代で艦隊を率いたり、敵の総旗艦に斬り込みをかけたり。あるいは、一つの勢力の指導者になったり、銀河中を敵に回したりは」
ヤンはあやふやな記憶を辿ってみた。
「私は君より早く殺されてしまったようだからその後のことはわからないのだけど、私が生きている間にはそういうことは起きていなかったと思うよ」
ユリアンは自嘲気味に笑った。
「ですよね。でも今の僕だったら、近しい人が殺されたら、その相手を皆殺しにしかねないのですが、流石に別の歴史の僕はそこまで過激でもないですよね」
ヤンはこの歴史のユリアンと、朧げな記憶の中の別の歴史のユリアンを比較した。違うところもあるが、……やっていることは違い過ぎるが、それでも善良な心根と、孤独感を抱えているところは変わらないように思えた。とはいえ、ヤンのために敵を皆殺しにするような行動を取るとは思えなかった。
「おそらくはね」
「そうですよね。そんな僕があり得たことを知れただけでも、今の僕にとっては救いです。……フレデリカさん、どうされました?もしかしてフレデリカさんから見たら僕はあまり変わりがないとか?」
ニコニコと笑っていたユリアンだったが、フレデリカを見て心配そうな表情になった。
フレデリカの目は露骨に泳いでいた。
「いえ、そんなことはないわよ!あなたはいい子過ぎるほどいい子だったわ!……あ、今のあなたが悪い子と言いたいわけでもないのよ」
マルガレータは、なんだかヤンとフレデリカが父親母親でユリアンがその子供のように見えた。ユリアンも心なしか幸せそうにさえ見える。
家庭を持てばユリアンも幸せになれるのかもしれない。カーテローゼか、皇女達か。現代に戻ったら相手は誰でもよいからユリアンの背中を押してやろう。そうすれば自分も余計なことを考えなくて済むのではないか。マルガレータはそう思った。
ヤンは時計を見た。
時刻は午後9時半だった。
「アッシュビー保安官はまだ帰らないのか」
フレデリカが応えた。
「遅くなるという連絡はありましたが、何時になるのでしょうね。あのアッシュビークローンの代わりに女遊びなんて……あの人に限ってはありませんわね。おそらく、きっと……」
その頃、ライアルはアデレード夫人宅の前にいた。
未来においてライアルはアデレードと手紙のやり取りを行なっていた。その中に気になる内容があった。この時期、ブルース・アッシュビーがアデレードの元を訪れていたというのである。しかし、ブルース本人も、死んだアッシュビー・クローンも会ったことを否定した。ならば誰がアデレードに会いに来ていたのか?
ライアルはそれを別のアッシュビー・クローンの仕業だと考えた。
もしそれが事実であれば、一つ別の懸念も出て来るのだが、ひとまずはアッシュビー・クローンへの対応が優先された。
ライアルは物陰に潜み、その玄関を観察していた。
夫人宅から、アデレード本人に見送られ、一人の男が出てきた。
その男の顔はブルース・アッシュビーのものだった。
彼を笑顔で見送ったアデレード夫人が家の中に戻ったのを確かめて、ライアルはアッシュビー・クローンに背後から声をかけた。
「よお、兄弟」
アッシュビー・クローンは警戒を露わにした。
声をかけてきた人物はマスクをつけていた。この時代にはない憂国騎士団のマスク。その右手にはブラスターがあった。
「しばらく誰かに尾けられている気はしていた。何者だ?」
アッシュビー・クローンは既にその正体に見当がついていた。
「ライアル・アッシュビーだ」
ライアルが名乗り終わるよりも早くアッシュビー・クローンは動いた。ブラスターの射線を躱すように、低い体勢からライアルに突っ込んだ。
だがそれをライアルは読んでいた。
左手に隠し持っていた神経鞭でアッシュビー・クローンを打撃し、転げ回る彼の上に馬乗りになってブラスターを突きつけた。
ライアルは尋ねた。
「何故アデレード夫人のところに出入りしていた?」
クローンは逆に問い返した。
「何故お前は行かなかった?」
「何?」
「アデレードが死ぬ前に何故会いに行ってやらなかった?」
クローンは今ではなく未来における話をしていた。確かにライアルは会いに行かなかった。
「それは……」
「ブルース・アッシュビーを愛し続けた彼女が不憫でならなかった。俺が代わりになれるものならなりたいと思っていた。だから俺は」
ライアルは自らにも言い聞かせるように言った。
「お前はブルース・アッシュビーではない」
「分かっている。しかし、その振りはできる。お前もやっていたように」
「それだけなのか?そのためだけにお前は過去に来たのか?」
「俺はただのクローンだ。他に大した目的などない」
「……」
ライアルにはこのクローンが嘘をついていないことがわかってしまった。見逃せるものなら見逃したいとまで思った。しかし、そういう訳にも行かなかった。ブルース・アッシュビーが同時に二人いてはいずれ騒ぎになる。しかし捕縛して済ます訳にもいかない。歴史を変えるような情報がクローンから同盟軍に伝わる恐れがあったから。手元に置いておこうとしても、きっと第一のクローンのように殺されるのだろう。
「何か言い残すことはないか?」
「これが俺の運命か。……アデレードを不幸にしないでくれ」
ライアルは目眩さえ覚えた。
このクローンは、最後までアデレードのことを心配するのか。
「俺だって彼女を不幸にしたくはない。なんとかするから安心して天国なり地獄なりに行ってくれ。兄弟」
ライアルはクローンの胸を撃ち抜いた。
ブラスターは至近から最小限の威力で撃ったから音は響かなかったはずであった。
「ブルース?」
振り返ると、そこには茶色の髪に水色の瞳の女性、アデレードが立っていた。
マスクを被っているからアデレードにはその内側の顔はわからない。ブルース・アッシュビーを殺したと思われる、ライアルはそう覚悟した。
しかし。
「妙な予感があって出て来てみれば。ブルースがブルースを殺すだなんて不思議なこともあるものね」
アデレードは奇妙なほどに平静だった。
ライアルは驚いた。
「……何故俺がブルースだと思った?」
「わかるだけよ。あなたも、この人も、ブルースだけどブルースではない。でもやっぱり私のところに帰って来た」
ライアルは、アデレードのアッシュビーに対する愛情の形を知った。
アデレードはアッシュビー・クローンがブルース・アッシュビー本人ではないことを知った上でなお、ブルース・アッシュビーの一人だと考えて愛したのだ。おそらくは未来においてライアルのことも。
現実離れした状況すら受け入れてしまう狂気じみた愛情。
アデレードという女性の精神の在りようと、彼女をそのようにしてしまったブルース・アッシュビーの業の深さにライアルは戦慄さえ覚えた。
だがそんなアデレードをライアルは否定する気にはなれなかった。
アデレードは水色の瞳をライアルに向けた。
「あなたも私のところに来てくれるの?」
ライアルは悪寒とアデレードの元に留まりたい衝動との両方に苛まれた。ライアルとて、何も思わない女性と手紙のやり取りを続けたりはしない。アデレードには妙に惹きつけられるのだ。
……だが、フレデリカの顔が頭に浮かんだ。
「今は行けない」
「……そう」
彼女は目に見えて落胆していた。
ライアルは咄嗟に言葉を継いだ。過去の自分、現時点から見れば未来だが、ならば多少押し付けても構わないだろう。
「だが約束する。ずっと後、五十年以上後になるかもしれないが、俺は再び君の前に現れる。君は俺に手紙を送るだろう。俺は返信で自分がブルース・アッシュビーであることを否定すると思う。しかし、それはただの照れ隠しだ。その証拠に、手紙の返事だけは欠かさないから……だから、だから」
ライアルは言葉に詰まった。
アデレードは微笑んだ。
「わかったわ。その時を待っているわ」
ライアルはその言葉に救われた。
「ありがとう」
ライアルはさらに一つ思いついていた。アデレードに関して噂になっていたこと。ライアルが手紙を送るようになるまで、アデレードは自分で自分に手紙を送って、それをアッシュビーからのものだと思い込んでいたという話。あまりに寂しいと思ったその話に実を与えてもいいのではないか。
「再び現れるその日まで、年に一回手紙を欠かさず君に送ることも誓おう」
アデレードは目を見開いた。
「あなたの約束は当てにならないのだけど。でも楽しみにしているわ」
「ああ。楽しみにしておいてくれ」
アデレードは、死んだアッシュビー・クローンの髪を一度撫でた後、家に戻って行った。
ライアルは死体を道の脇に隠し、所有物をあらためた後、情報部四課と連絡を取った。死体の回収を任せるために。
四課の人員に後を引き継ぎ、ライアルは帰路についた。既に日付は変わっていた。
ハイネセンポリスの夜道は比較的安全とはいえ、何も起きない訳ではない。
途中、ライアルは一人の少年が不良の集団に絡まれているところに遭遇した。
手元にはマスクと神経鞭。
ライアルに見過ごす選択肢はなかった。
マスクを被り、神経鞭を振るって不良を追い払った後、ライアルは少年を助け起こした。
「君、大丈夫か?」
「ありがとうございます。あなたは一体?」
少年は明らかにマスクに面食らっていた。
「俺のことは気にしないでくれ」
「せめてお名前を」
「キャプテン……」
思わずキャプテン・アッシュビーと名乗りそうになったが、流石に憂国騎士団のマスクでその名前は名乗れない。
「キャプテン?」
少年は続きを期待していた。
「
流石に胡散臭すぎるか。ライアルの予想に反して、少年は尊敬の眼差しで彼を見つめていた。
「キャプテン・!ありがとうございます!僕もあなたみたいな正義の味方になりたいです!」
ライアルは、ついいつものキャプテン・アッシュビーショーのノリで応じた。
「なれるさ。君にその意志があるならば」
「はい!」
少年はライアルを敬礼で見送った。
後にその少年は商売に成功してひと財産を成すことになる。
彼はその財産を愛国団体の支援につぎ込んだ。活動にあたってとあるデザインのマスクを被ることを支援の条件として。
まだまだやるべきことはあるが、一仕事終えたつもりでライアルは住居に戻った。既に時刻は午前2時を回っていた。
だが、彼にとっての地獄はここからだった。
「遅いお帰りですね」
フレデリカが起きて待っていた。
「あ、ああ。実はアッシュビー・クローンを一人……片付けて来た」
「そうなんですか。私はてっきりどこか女性のところに行っていたのかと思っていましたわ」
ライアルは内心の驚きを隠して答えた。
「そんなわけないじゃないか」
「そんなわけあるんですね?」
笑顔が怖かった。
「……」
「あなたの嘘なんて簡単に見抜けるんですよ。洗いざらい話してください」
ライアルはフレデリカに洗いざらい話す羽目になった。
「しょうがないことだとは思います。だけど私に隠すというのは後ろ暗いことがあると言っているようなものですよ」
「はい」
「アデレード夫人への恋文50通超。約束したのですからさっさと書いてくださいね」
「はい」
「私にも同じ数の恋文を書いてもらいましょうか」
「……」
「返事は?」
「はい」
「あなた」
「はい」
「お疲れ様でした。大変でしたね」
フレデリカはライアルを一度抱きしめてから寝室に戻って行った。
一人残されたライアルは。
「俺はなぜ尻に敷かれているんだ?ブルースと俺、何故こうも違う?」
懊悩していた。
次の日からもライアルの地獄は続いた。
アデレードとフレデリカへの恋文100通超を、この時代にいる間に書き上げないといけない羽目になったのだった。
残る男二人は、そんなライアルに流石に同情を禁じ得なかった。