ライアル達はアッシュビークローンに尋問を行い、いくつかの情報を得た。
共にやって来たのは、別のアッシュビークローン二人とデグスビイ主教の計3人とのことだった。
ライアルはアッシュビークローンにもアデレード夫人と会ったかどうか尋ねたが、会っていないという回答を得た。
しかし、彼個人の目的は色事だったにしろ、集団としての目的については黙したままだった。
「これ以上は自白剤でも使わないとどうにもならないな。……いや、例えばの話だ。持って来たわけでもなし」
ヤンが嫌悪感を示したため、ライアルはそう付け足した。
ユリアンは自白剤を未来から持って来ていたのだが、少なくともヤンやマルガレータの前では使うべきではないと判断した。その代わりに提案した。
「四課に預けますか?」
ヤンはかぶりを振った。
「それも避けたいな。アッシュビークローンから現在の同盟軍に未来の情報が伝わるのも困る。用意してもらった住居の方に監禁させてもらうよう、四課には交渉しようか」
しかしその議論は無用のものとなった。
アッシュビークローンが突如痙攣し、そのまま意識を失ったのだ。
その余波はヤン達にもあった。アッシュビークローンほど顕著ではないが、体に変調を覚えてしばらく動けなくなった。
ヤン達が動けるようになった時にはアッシュビークローンは既に死んでいた。
ユリアンがいち早く立ち直り、状況を確認した。
「何らかの攻撃を受けたようですね。焦点がアッシュビークローンにあったので我々には影響が小さく死なずに済んだ。そんなところでしょうか」
ライアルが頭を押さえながら応じた。
「気に入らないな。敵は我々を殺そうと思えば殺せたはずだ。それをしなかった」
ユリアンもそれは感じていた。
「我々はあえて生かされた、と」
「ああ。そもそも予備の航時機が残っていた時点で気にくわない。我々はどうも敵に踊らされている気がする」
ヤンも回復して話に参加した。
「とはいえ、我々のやることは変わらない。歴史改変を防がなければ」
ライアルはヤンを睨んだ。
「ヤン・ウェンリー、薄々感じていたが、わかっていて敵の思惑に乗ったな。自分の歴史的興味を優先しただろう?」
ヤンは困ったように頭をかいた。
「その言い草はひどいな。乗らざるを得なかったというのが正しいところだよ」
敵の思惑に対する疑念は残ったが、ヤンの言う通り、取るべき行動が変わるわけではなかった。
翌10月5日、彼らはジークマイスターと連絡を取り、アッシュビークローンの死体の処分を依頼した。
駆けつけた四課の人員に後を任せて、彼らは用意された住居の方に移った。
部屋割りを決め、荷物の運び込みを終えた頃には既に夜になっていた。
居間に集まった全員にユリアンが報告をした。
「やはり盗聴器が仕掛けられていました」
「まあ、当然というところだろうな」
同盟軍としては当然の処置だとライアルも考えていた。
「盗聴妨害の処置を施しましたのでひとまずは安心です」
ヤンは思わず尋ねた。
「君、そんなことができたんだね」
「ええ、まあ。僕も立場上盗聴される機会が多いので」
たとえばあなたの部下のオーベルシュタインさんから、とユリアンは思いつつも口には出さなかった。
実際は特殊な盗聴妨害装置を使用したのだが、それは地球統一政府由来の旧地球教団の極秘技術であったからユリアンはそのことを伏せた。
マルガレータが議論の口火を切った。
「これからどう動きましょうか?」
ヤンは頭をかきながら答えた。
「正直言ってやれることはそう多くはない。ブルース・アッシュビーの警護体制は我々の情報によって既に強化されている。今回の正体不明の攻撃のこともジークマイスター提督には伝えてあるし。となると注意しないといけないのは戦場だろうね」
「戦場ですか?」
「戦場の混乱のどさくさの中でシャンタウでアッシュビーが撃たれたように艦内で暗殺されるか、艦外からの攻撃を受けるかのどちらかだろう。まあ、ティアマトでは実際艦外からの流れ弾に当たって、それでもアッシュビーは生き残ったのだから、より注意すべきは艦内かな。我々も乗り込んで、艦内の状況を注意しておくべきだろう」
ユリアンは少しヤンを疑った。
「ティアマト会戦を生で見たいだけではないですよね?」
「いや、まさか」
ヤンは心外という表情を見せたが、ユリアンには少々わざとらしく見えた。
マルガレータが当然の質問を口にした。
「それまではどうしますか?ティアマトへの移動に一ヶ月かかるとしても、まだ1ヶ月ほど時間があります」
「当初の予定どおり、アッシュビークローンとデグスビイを追うしかないだろうね」
ライアルが口を挟んだ。
「アッシュビークローンの方は任せてくれないか?少し心当たりがあるから単独行動をさせてほしい」
フレデリカが心配した。
「一人でいいんですか?」
「むしろ一人の方が好都合だ」
なおも心配げなフレデリカを見ながらもヤンは決めた。
「わかった。アッシュビークローンのことはアッシュビー保安官に任せよう」
フレデリカはそれなら、と別の提案をした。
「私も気になることがあります」
「何だい?」
「アンドリュー・ホィーラー准将のことです」
「彼がどうかしたのか?」
「アンドリューの愛称はエンダーです」
「エンダー……」
「私やライアル、ユリアン君の出身、エンダースクールの名前は創始者から取られたという説があります」
「……」
「エンダースクールの創始者は不明ということになっていましたが、エンダースクール壊滅後の調査で創始者が判明しております。それが彼、アンドリュー・ホィーラー准将なのです」
ヤンにも話が見えてきた。
「エンダースクールは地球教団と繋がりがあった。それはフェザーンの資本参加以降の話だとされていたが、設立当初から繋がりがあったとすれば……」
「ええ。史実でシャンタウ会戦におけるアッシュビー暗殺に関与していたかもしれませんし、神聖銀河帝国残党の意向を受けてそれを早めて実行しようとしていてもおかしくはありません。私は宇宙艦隊司令部で四課の仕事を手伝いつつ、アンドリュー・ホィーラー准将と三課の活動を監視したいと思います」
「わかった」
ユリアンも話に加わってきた。
「僕も四課に入ってもいいですか?ジークマイスター提督の元ではいろいろ学べそうなので」
ヤンはユリアンが何を学ぶ気なのかとても不安になったが、だからと言って許可しない正当な理由もなかった。
「わかったよ」
マルガレータまでもが続いた。
「すみませんが私も。正直、帝国出身の私がハイネセンでの調査で活躍できるとも思えません。それよりも亡命者の多い四課で活動した方が役に立てると思います」
「……わかった」
結局ヤンだけが一人街中でデグスビイの行方を探ることになった。
議論は終わったものの、皆居間に留まっていた。
少し寂しげなヤンにフレデリカは紅茶を差し出した。ブランデー入りだった。
「どうぞ、ヤン提督」
「ありがとう、フ……グリーンヒル・アッシュビー少佐」
彼女に対する呼び方に迷ったヤンにフレデリカは少し寂しげな笑みを見せた後、皆に声をかけた。
「ユリアン君も、マルガレータさんも、どうぞ」
ライアルの手元には既にフレデリカの淹れた紅茶があった。
「フレデリカさん、言ってくれれば僕が淹れたのに」
ユリアンの言葉に、フレデリカは不満顔になった。
「あら。私の淹れた紅茶は飲めないというの?」
「いえ!そんなことはありません!」
慌ててそう答えながらユリアンは紅茶に口をつけた。その味には何故か覚えがあった。
「フレデリカさん、紅茶を淹れるのがお上手ですね。なんだか僕の淹れ方に似ているような?」
それは、別の歴史ではあなたにもコツを教えてもらったから。フレデリカは内心そう考えつつも口には出さなかった。
「ありがとう、ユリアン。あなたにそう言ってもらえて嬉しいわ」
ヤンもその味に覚えがあった。夢、おそらく別のあり得た歴史の中で飲んだことのある味。ヤンは懐かしさを感じた。
「グリーンヒル少佐、美味しいよ。ありがとう」
フレデリカは思わずヤンを見つめた。ヤンは困ったような笑顔をしていた。
「ありがとうございます。提督」
そんな二人の様子を見ながら、ライアルはただ黙ってフレデリカの淹れた紅茶を飲んでいた。
解散した後、マルガレータはユリアンに声をかけた。
「なあ。ヤン長官とフレデリカさん、少し変じゃないか?」
ユリアンは考え込んだ。
「そう言われればそうだけど。それを言うならみんな変だよ」
マルガレータはヤンとフレデリカが変なのはオーベルシュタインの言っていた別の歴史の記憶のせいなのかもしれないと思った。
マルガレータには今のところそのような記憶は発生していない。少なくともその自覚はなかった。
「ユリアン、お前には別の歴史の記憶はあるか?」
「いや、ないよ。強いて言えばヤン提督とフレデリカさんとは、なんだか他人という気もしないのだけど」
「……私は?」
「えっ!?」
「いや、何でもない。忘れてくれ」
マルガレータは別の歴史でもユリアンと出会っていたのかどうかが気になった。
別の歴史では独立諸侯連合が成立していない。その歴史でもヘルクスハイマー家は亡命の必要に迫られていただろうか?仮に亡命するとなると、同盟に亡命していただろう。そうなるとマルガレータは、ユリアンと同盟で会って今とは違う関係を気づけていたのかもしれないし、まったく出会わなかったのかもしれない。
そもそも、マルガレータが生まれていない可能性すら存在した。
そう考えるとユリアンと出会えた歴史はマルガレータにとって貴重なものかもしれない。たとえ叶わない恋であっても。
「おやすみ、また明日、ユリアン」
万感の思いを隠した一言をユリアンにかけて、マルガレータは自室に戻った。