「彼女は俺の義理の妹だ。彼女がそう言うなら間違いない」
ブルース・アッシュビーの断言にローザスは気力を削がれた。
「ブルース……嘘をつくな。お前がそんな顔をしている時は大抵嘘をついている」
ブルース・アッシュビーはローザスの肩に手を置いて、溜息をつきながら首を振った。
「ローザス、お前僻んでいるな。俺に美しい義理の妹がいてそんなに羨ましいか?」
「はあ!?」
「やめてください!」
フレデリカは耐え切れずに、口を挟んだ。同盟の偉大な将帥二人が自分のことで言い争うなど、精神的な拷問に等しかった。
「私はブルース・アッシュビーの義理の妹ではありません!」
「なんだって!?」
戦場で臆病であったことは一度もないブルース・アッシュビーが、うそ寒そうな表情を隠しきれなかった。
ライアルはようやく話に介入する機会を得た。
「我々が何者か、説明する機会をもらえないか?」
司令長官の命令によって、箝口令を敷かれた上で部屋を囲んでいた兵士達は解散させられた。
ライアルはブルースとローザスの二人に自分達の正体と目的を明かした。
「約六十年後の未来からブルース・アッシュビー暗殺を防ぎに来た、だと?それにその男はアッシュビーのクローンで、暗殺を企む敵も同じくクローン?三文小説でもあり得ない筋書きだ。到底信じられないな」
そう言い捨てたのはローザスだった。彼は現実主義だった。
信じなかったのはブルース・アッシュビーも同じだった。
「俺も信じられないな。お前達の頭がおかしいという説の方がよほど信じられる」
ヤンはライアルに、話が違うじゃないかと目で訴えた。
ライアルは涼しい顔をして言った。
「宇宙暦737年8月9日の夜」
途端にブルースの顔が引き攣った。
「お前、どこからそれを……」
「未来のアデレード夫人からだ」
ライアルはアデレード夫人と大量の文通を交わす羽目になり、ブルース・アッシュビーが秘密にしておきたい情報も否応無しに知ってしまっていた。
「他にもいろいろ聞いている。例えば……」
アッシュビーは焦りを見せた。
「よせ!やめろ!わかった」
アッシュビーは沈黙し、しばらく下を向いた後、顔を上げてライアルを睨んだ。
「お前達が未来から来た可能性を真剣に考えようじゃないか。だからこの質問に答えてみろ。次に帝国と同盟が大規模会戦を行うであろう場所と、帝国軍の基本戦術構想は何だ?」
ライアルは逡巡した。
ブルースは彼を挑発した。
「どうした?未来から来たのに答えられないのか?」
ライアルは渋々答えた。
「場所はティアマト星域」
「基本戦術構想は?」
「……繞回進撃」
ブルースの口角がつり上がった。
ローザスはその二人の様子をじっと見つめていた。
「よかろう。お前達が未来から来たと認めよう。俺の暗殺阻止に動いてくれるというなら大歓迎だ。同盟軍の中で正式な立場を与えようじゃないか」
ローザスがブルースに問うた。
「どこの所属にする気だ?」
「妙な奴が出入りしても怪しまれない場所と言えば一つしかあるまい」
「情報部第四課か」
「ああ。ジークマイスター提督には説明するがいいな?お前達のことは俺とローザスとジークマイスターの三人の秘密ということになる」
ライアルが代表して答えた。
「承知した」
ローザスは思案顔だった。
「それで、フォン・タイロン中尉はよいとして、この二人はどうすべきかな。レッドフォード・アッシュビー氏はブルースにそっくり過ぎるし、フリーダ・アッシュビー中尉はレッドフォード氏の妻ということだが」
「レッドフォードには、なるべく表を歩き回らないようにしてもらって、かつらとカラーコンタクト、サングラスで誤魔化すしかなかろう。レッドフォード・アシュレイ大尉とでも名乗っておけ。もし説明が必要になったら生き別れになった俺の弟ということでいい。実際双子みたいなものだしな」
ブルースの対応はライアルにとっては意外なものだった。クローンである自分に嫌悪感を抱いてもおかしくないと思っていたが、そのような素振りはまったく見せなかった。
「年齢的にはむしろ兄なのだが」
「うるさい。俺の遺伝子から生まれたならお前は弟だ!」
ライアルは苦笑いしつつ応じた。
「わかった。よろしく、兄貴」
ブルースはそれには返事をせず話を進めた。
「フリーダの方だが、レッドフォード・アシュレイ大尉の妻のフリーダ・アシュレイ中尉ということでいい。つまりは、やはり俺の義理の妹ということだ」
ローザスは呆れた。
「結局それが狙いか……」
ブルースはフレデリカに笑顔で声をかけた。
「俺の方に乗り換えてくれても構わんよ」
「断固ノーですわ。閣下」
フレデリカの返事はにべもなかった。
ライアル達は長官室でジークマイスター提督と面会した。
歴史の裏で活躍した影の英雄との対面はヤンを興奮させた。
民主共和制に共感して同盟に亡命し、情報部第四課を取り仕切るようになった。帝国内に一大諜報網を構築したスパイマスター。晩年には独立諸侯連合に移り、連合軍情報局を二大国の諜報機関に伍するまでに成長させた。
この時期既に老境に差し掛かってはいたが、その細面の中の鋭利な眼光には、その知性とかつての大望が未だに衰えていないことをヤンに悟らせた。
ジークマイスターの理解は異常なほど早かった。
アッシュビーはジークマイスターに依頼した。
「統合作戦本部には俺から話を通しておくから四課所属の人員ということにしておいてくれ。ここにいる二人の他にもう二人いるが、そのうち一人は帝国出身らしい」
ジークマイスターはブルースに頷きを返し、その瞳をライアル達三人に向けた。
「承知した。しかし、それはつまり未来にも帝国が存在するということなのか?」
ヤンは息を呑んだ。ジークマイスターの質問を肯定することは、彼の望みが完全には叶わなかったことを認めることになる。それを知ってしまうことがジークマイスターの今後の活動にどのような影響を与えるか。実際には、長い時間をかけて彼の望みは叶ったと言っても良いのだが、それはそれで彼がそれを知ることによる影響がわからない。
ライアルは表情を動かさずに答えた。
「帝国というより、オリオン腕出身だと考えて欲しい。未来については話せないが、あなたの活動が無駄にはならなかったということだけは伝えておく」
ジークマイスターはライアルをしばらく観察するように見ていた。
「ふむ。わかった。アッシュビーの暗殺計画、そして卿のような存在が生み出されているということ自体が推測の鍵になるが、まあそういうことなのだろうな」
ユリアンとマルガレータはそれぞれ、ユーリ・アルツターノフ少尉とグレーテル・フォン・ヘンライン少尉ということになった。マルガレータの方は亡命者という設定である。
ジークマイスターは外部と連絡を取った。
「当面の住居だが、四課が確保している住居がちょうど一箇所空いている。そこに住んでもらおう」
「わかった」
「それで当面はどうするつもりだ?」
ブルースの問いにライアルが答えた。
「ブルース・アッシュビー暗殺を企んでいる奴ら、俺と同じアッシュビークローンの尻尾をまずは掴みたい。情報部四課の協力も得たいところだ」
ジークマイスターは了解の意を示した。
「それも承知した。だが、四課は外向きの組織だ。国内ならば三課の協力を得られた方が本当は良いのだろうが」
「三課?」
ブルースは露骨に顔をしかめた。
怪訝な顔をするライアル達にローザスは説明した。
「私はともかくブルースは四課のアンドリュー・ホィーラー准将とそりが合わんのだ。協力を頼むといろいろ厄介なことになる可能性もあって、難しいだろうな」
フレデリカがライアルとヤンに補足した。
「アンドリュー・ホィーラー准将はブルース・アッシュビー大将と同期です。卒業時の席次は17番」
ヤンはアンドリューという名前に不吉なものを感じたが、ただの偏見だと思い直した。
しかし、ローレンス准将にしろホィーラー准将にしろ、730年マフィアには負けるが、三十代半ばで将官とは十分に早い出世である。それでも彼らは730年マフィアの一員とはならなかった。730年マフィアあるいはブルース・アッシュビーと、彼ら同期生の関係は一体どのようなものであったのか。ヤンとしては想像を働かせてしまうところだ。
ローザスがさらに話を始めた。
「一つ、気になる話がある。アッシュビークローンが関係あるかもしれん」
ライアルは身を乗り出した。
「何だ?」
ローザスはブルースに尋ねた。
「ブルース。お前最近また愛人をつくったか?」
「いや、まさか。そんな暇はない」
そう答えたブルースはフレデリカの方を気にしていた。
ローザスは溜息をついた。
「質問が悪かった。お前に愛人がいないはずはない。愛人を5人同時に囲っていたりはしないか?」
アッシュビーの顔に驚きが現れた。
「流石にそんなにはいない!」
それは、一人か二人はいると言っているようなもんじゃないか。ローザスは再度溜息をついた。
「街の方で噂になっている。ブルース・アッシュビーが仕事を放り出して女性漁りをしている、と。本日の有給もそういうことなのかと思っていたのだが、クローンの話が本当だとすると……」
「一度調べてみるべきだな」
そのように答えつつもライアルも溜息をつきたい心境だった。俺と同じ遺伝子の奴がタイムワープした先でやることがまさかそれなのか、と。
ライアルもブルースに訊きたいことがあった。
「ところで俺からも一つ尋ねたいのだが」
「何だ?」
「最近アデレード夫人に会いに行ったか?」
「夫人?離婚しているんだぞ。彼女と会いたいとは思わないさ」
ライアルは疑うような目でブルースを見た。
ブルースは居心地の悪さを感じながら言葉を継いだ。
「いや、この数年は会っていない。それは本当だ」
「そうか……」
「何だ?アデレードに興味があるのか?それならフリーダと交換」
「それは断固ノーだ」
3人の宿への帰還は深夜になった。
「あの二人よろしくやっているかな?」
ライアルの軽口をフレデリカは窘めた。
「あなた、下品ですわ」
「あの二人、お互いに好きなんだろう?せっかく二人きりにしてやったんだ。機会を生かしているといいんだが。ヤン、いや、ファン中尉もそう思うだろう?」
そう言われてもヤンとしては何ともコメントしづらかった。
「二人に恋愛感情があるかどうかはともかく、私としては二人のそんな場面に遭遇したら居たたまれなくなって逃げ出すね。私にとって二人は弟と妹みたいなものだから」
「あいつらも子供じゃないんだから。まあ、本当にそんなことになっていたら大人の対応をしてやろうか」
そんな話をしつつ、3人部屋の扉を開けると、そこには想像を超えた状況が広がっていた。
マルガレータとユリアンと、誰かもう一人が床の上で「格闘」していたのだ。
ライアルは思わず呟いた。
「……3人でなんて想像していなかったな」
ユリアンとマルガレータはそれどころではなかった。
「アッシュビー保安官!ヤン提督!見てないでこいつを捕らえるのに協力してください!アッシュビークローンです!」
一時間前のこと。
マルガレータはユリアンと気まずくなったため、一人で宿に付設のレストランで夕食をとっていた。
悪くないレストランのはずだが、マルガレータには味気なく感じられた。異郷の料理だからか、それとも一人で食べているからか。
そんな彼女に一人の男が声をかけて来た。
「美しいお嬢さん。あなたに一人で食事をさせるなんて世の男達は見る目がないな」
ナンパかと思い、適当にあしらおうとしたマルガレータだったが、その顔を見て思いとどまった。
赤い髪にサングラス、190cm近い身長に均整の取れた体型。
明らかに知り合いに酷似していた。
今の状況でなければおそらく勘違いしていただろう。
彼女は周りを気にしつつ小声で囁いた。
「ブルース・アッシュビー提督ですか?」
男はかすかに驚いた。
「サングラス越しでもわかるか。いかにも、ブルース・アッシュビーだ。一人なら同席させてもらってもいいかな?」
マルガレータは思案した結果、誘いに乗ることにした。
ライアル・アッシュビーでないとするなら、彼はこの時代にやって来たアッシュビークローンだ。本物のブルース・アッシュビーである可能性は……まずないだろう。マルガレータは自称ブルース・アッシュビーが彼女を保安機構の保安官と知っていて声をかけてきた可能性も考慮したが、あまりメリットはないように思われた。彼女のことを知らないで声をかけてきたのだろう。
彼女はこのことを馬鹿馬鹿しいほどの偶然だと思ったが、実際はマルガレータ達の泊まった宿がハイネセンポリスでも規模の大きなホテルであり、同時にレストランの中で彼女の美貌が目立っていたことから来る必然だった。
マルガレータは最近同盟にやって来た亡命者の振りをして世間話を続けた。そのうち自称ブルース・アッシュビーは切り出した。
「亡命者ならビールよりワインがいいんじゃないか?いいワインがあるから俺の部屋に来ないか?それとも君の部屋がいいかな?」
マルガレータは何故自分がこんな軽薄な男に誘われなければならないのかと、一瞬素に戻って腹わたが煮えくりかえった。しかしそれを抑え込んで、どうにか笑顔で答えた。
「喜んで。私の部屋でどうですか?」
二人は連れ立って、ライアル達の泊まる3人部屋の方にやって来た。
マルガレータは部屋の前でアッシュビーに告げた。
「実はもう一人女の子がいるんです。その娘の相手もしてくださる?」
自称ブルース・アッシュビーの頰が緩んだ。
「先に言ってくれればよかったのに。喜んでお相手しよう」
中に入るとそこにはユリアンがいた。
「アッシュビー保安官?」
自称ブルース・アッシュビーは呟いた。
「ほぅ、なかなか可愛い……うん?いや、男?」
「ユリアン!取り押さえろ!」
マルガレータの声に対してユリアンの反応は早かった。
状況に混乱する自称ブルース・アッシュビーにユリアンはタックルをかまして転倒させた。
マルガレータも上に乗って体重をかけた。
そのようにして暴れる自称ブルース・アッシュビーをなんとか取り押さえたところで、ライアル達がやって来たのだった。
航時機で過去にやって来たアッシュビークローンの一人、ブルース・アッシュビーの振りをしていた色事師は、このようにしてあっさりと捕えられたのだった。
フレデリカは自らの夫と同じ顔をした男に溜息をつきたくなった。
「多忙なはずのブルース・アッシュビーに一個中隊を超える愛人、情人がいたという話、いくら何でも多過ぎると思っていたのですが、もしかして大半はクローンの仕業だったりしません?」
「そうかもしれませんね。しかし、本物といい、クローンといい、私生活は本当に最悪なんですね。幻滅しました」
マルガレータはフレデリカから宇宙艦隊司令部での話を聞き、そのような感想を持った。
「……私、その最悪な人達と同じ遺伝子の人と結婚しているんですけれど。この数時間でいろいろと考え直したくなりましたわ」
「……ヤン提督、ユリアン君。俺は何も悪いことをしてないのに女性陣の視線が痛いんだが」
「大変だね」
「人は運命には逆らえませんから」
サリー・ローレンスとアンドリュー・ホィーラーはOVA版に名前だけ登場した人物になります。