※9/7 新しく8話を追加しました
宇宙暦804年1月1日 アルタイル 銀河保安機構本部
宇宙暦は804年を迎えた。
人々は新年の挨拶の言葉を交わした。
「新年おめでとう!」
「あたらしい年に乾杯」
「旧い年に別れを」
「今年も連邦による平和を!」
最後の台詞は、この一、二年で新しく使われるようになった新年の挨拶である。
銀河中の人々の平和への願いが込められていた。
新年を迎えたこの日、銀河保安機構本部付属のバー「
「乾杯!」「
周囲では帝国と同盟、それぞれの公用語で乾杯の言葉が交わされていた。
「マルガレータ、最近元気がない気がするんだけど、どうしたんだろうな?サキ、何か聞いてないか」
「そういうところには気がつくのね。さあ、知らないわ」
まあ予想はつくけど、とサキは思った。
悩むディッケルを見て少し苛立たしく思えてきた。
「私なんかに訊かないで本人に直接訊いたらいいでしょ」
「それができないから君に訊いているんじゃないか」
サキは溜息をついた。
「そんな甲斐性なしだから、ディッケル君は駄目なの。それじゃあマルガレータのことは無理よ」
ディッケルは焦った。
「いや、マルガレータのことは別に。トリューニヒト先生が彼女とは仲良くしておけというから」
「同じように先生から言われていたユリアンには喧嘩を売っておきながら何を言っているんだか」
「あれはあのユリアンに問題がある」
サキとしては溜息をつかざるを得ない。
「でも超光速通信でユリアンとよく話をしていると噂になっているわよ。何を話しているの?」
「話をしているんじゃない。三次元チェスで勝負しているんだ」
「三次元チェス?」
「あいつが三次元チェスが強いっていうから試してやったんだ」
「結果は?」
「……三勝七敗」
「……負け越してるじゃない。いや、むしろあのユリアン相手に健闘しているというべきか」
ディッケルは、思い出して怒りに震えた。
「あいつ笑顔で、「思っていたよりは強いですね」とか抜かしやがった。許せん。こうなったら勝ち越すまでやってやる」
「子供みたい……」
注文したボトルワインが運ばれてきて、しばらく沈黙が落ちた。
「それにしてもあなたって、根っからの共和主義者なのに伯爵令嬢と仲良くなりたいの?」
「マルガレータが伯爵令嬢なのは彼女のせいじゃないからな」
語るに落ちた、とサキは思った。
「やっぱり仲良くなりたいんじゃない。それなら私なんかと飲んでないでデートの一つや二つ誘ってみなよ」
「うぅ」
「ほら、やっぱり甲斐性なし」
「そんなに言うなら君はどうなんだよ?」
急に話の矛先が自分に向いたのでサキは動揺した。
「私?」
「あのユリアンのこと、気に入っているんじゃないのか?」
「あー。ユリアン」
「何だその反応は?」
「まあ、あの可愛い顔にも、危なっかしい性格にも保護欲を誘われるんだけど……」
「何だよ」
「競争率が」
「あいつ、そんなに人気なのか?」
「ディッケル君、知らないんだ。ゴールデンバウムの皇女達に、その侍女に……ユリアン君を遠くから見守る会の面々。ちょっと引いてしまうわ」
「見守る会なんてものがあるのか。じゃあマルガレータもそのうち諦めるか。というか、それが元気のない理由なのかな?」
「……ディッケル君、気づいていたんだ」
「まあ、生命卿事件の時も必死だったから流石になあ」
「本人は隠せているつもりだから、黙っていていてあげて」
「わかっているよ。デート云々はともかく、今度僕ら二人で飲みに誘って元気付けてやろう」
「ディッケル君、時々優しいよね」
珍しくサキに褒められたディッケルだったが、この時彼の視線はワインボトルの一箇所に集中していた。
顔が赤くなり、わなわなと震えだした。
「どうしたの!?」
ディッケルの急変にサキは驚いた。
心配する彼女を尻目にディッケルは叫んだ。
「マァスター!!」
何事かと周囲の視線が集まった。
初老のマスターが、ディッケルの方を向いて尋ねた。
「これはディッケル中佐、どうされましたか?」
ディッケルはカウンターに駆け寄り、マスターにワインボトルを突き付けた。
「これは何だ?」
「何と言われましてもご注文されました帝国産の白ワインです。お口に合いませんでしたか?」
「白ワインは好きだ。そうじゃなくてここをよく見ろ!俺を馬鹿にしているのか!」
ディッケルはボトルのラベルの製造年を指し示した。
「帝国歴490年。別に悪い品では……帝国歴490年?」
マスターの様子にディッケルも冷静になった。
「わざとではないんだな。大声を出して申し訳なかった。しかし、旧帝国暦は488年で終わっているというのにタチの悪い冗談だ。てっきり共和主義者の俺への嫌がらせかと思った」
マスターは他のワインも確認してみた。
「帝国暦489年表記や490年表記のものが他にもありました。どういうことでしょうか?古いラベルを使い回しているのか……」
ひとまずこの場は収まった。
しかし、同様に存在しない旧帝国暦表記のラベルを持つワインやビールが見つかる事例が銀河中で続発したのだった。
各製造メーカーに対して非難の声が浴びせられたが、製造メーカーはそんなものは製造していない、原因はわからないとの立場を崩さなかった。
さらに不可解な出来事があった。
自由惑星同盟首都星ハイネセンにあるホテル・ユーフォニアの前に「銀河帝国新領土旧総督府」なる石碑が出現したのだ。
ここまで来ると悪質な嫌がらせのレベルを超えて、一種のテロである。
だが、何者がこれを実行したのか。
ビルの防犯カメラにも犯人は映っておらず、不明のままだった。
神聖銀河帝国の残党の活動が一番に疑われたが、彼らにしてもこのようなただの嫌がらせのような真似をするものなのかという疑問が残った。
大して実害はない。
世間はそう考えて、多忙な日々の中、他のことに興味を向け、忘れ去ろうとした。
しかし、事態を深刻に考える者達がいた。
宇宙暦804年4月 アルタイル 銀河保安機構本部
保安機構長官ヤン、長官補佐兼情報局長オーベルシュタイン、技術局長リンクス、統合本部長キャゼルヌ、宇宙艦隊司令長官ミュラー、副司令長官シェーンコップ、地方警備隊本部長ケスラー、首席保安官アッシュビー。
保安機構の上層部が一堂に会していた。
これに加えてアッシュビーの副官フレデリカ、地球財団総書記兼高等参事官ユリアン・フォン・ミンツ、さらには、新銀河連邦主席ヨブ・トリューニヒトと、秘書官のリリー・シンプソンがそこにいた。
リリー・シンプソンは、トリューニヒト・フォーの一人で、薄茶色の長い髪と暗緑色の瞳を持つ、容姿に恵まれた女性である。本人自身も政治家として栄達を望むこともできた筈だったが、彼女はトリューニヒトに心酔しており、トリューニヒトが主席である限りは彼を支えることを明言していた。トリューニヒトの愛人という噂なり陰口なりもあったが、本人は否定も肯定もしていない。
ユリアンに対しては「トリューニヒトの信じるユリアンを信じる」という立場で、それ以上あるいはそれ以下の感情を表に出すことはなかった。
ヤンは挨拶もそこそこにオーベルシュタインに説明を促した。
「卿らもご存知の通り、昨今不思議な事件が昨今立て続けに起こっている。帝国暦490年製と書かれたワインボトルが各所で見つかったのを皮切りに、同盟の最高評議会ビルの前に石碑が出現したり、まだ公にはなっていないがフェザーンでも同様のことが起きるなど、銀河中でいくつか不可解なことが起きている。タチの悪い組織的悪戯、あるいは神聖銀河帝国や懐古主義者によるテロと見る向きもあったが、事態はさらに深刻なようだ」
皆、そのために集められていた。
ただの悪戯やテロであれば、保安機構のほぼ全員や新銀河連邦の主席まで集められることなどなかっただろう。
「オリオン帝国のゼーフェルト博士によると、編纂したゴールデンバウム王朝全史の記述の中に、妙な内容が現れたということです。その変化も完全ではないので断片的なのですが。特にこの五十年ほどに関して我々が憶えているのとは違う歴史の記載が混入していた」
ライアル・アッシュビーが尋ねた。
「どういう歴史だ?」
「どうやらブルース・アッシュビーによる帝国領侵攻がなかった歴史があるようなのです。その歴史では第二次ティアマト会戦前後から、帝国領侵攻までのどこかでアッシュビーが死んでいるらしい。結果として独立諸侯連合は成立せず、銀河のパワーバランスは帝国の若干の優位で推移することになった」
皆がライアル・アッシュビーを見た。
彼は冷静だった。
「その歴史では俺など生まれることはないのだろうな」
「おそらくは。そしてこの世界はその歴史のあった世界に徐々に置き換えられつつあります。このままだとあなたは消えるでしょうな」
オーベルシュタインは躊躇なくそう答えて続けた。
「先日情報局にとある人物が出頭してきました。
男の名はメッゲンドルファー、神聖銀河帝国の科学技術総監を務めた男です」
その名をここにいる者は皆知っていた。
ブラックホールを用いた凶悪な天体兵器を生み出し、連合と新帝国を苦しめた男。
アッシュビーが尋ねた。
「彼はヴェガ星域で自爆同然の攻撃を行なって死んだのではなかったのか?」
「彼が最後に放った攻撃には安全域があった。彼はそこに潜んで生き延び、ヴェガ星域から脱出していたのです」
オーベルシュタインの説明は続いた。
メッゲンドルファーが主張するには、彼は神聖銀河帝国の残党に脅されて、彼らの用意したブラックボックス、時間遡行のための機構を利用する形でタイムマシンをつくったというのである。残党達はそれに乗り込み宇宙歴745年に遡った。さらに、乗り込んだメンバーの中にはアッシュビークローンとデグスビイ主教がいたというのだ。
「彼らは歴史を根本から変えるつもりなのか?」
「メッゲンドルファーの説明は曖昧ですが、起きていることを考えればおそらくはそうなのでしょう」
ミュラーは到底信じられぬと言いたげにかぶりを振った。
「そもそもが
「きっとこの世界では可能なのでしょう。ミュラー提督、旧帝国におけるエルウィン・ヨーゼフ2世の二代前の皇帝は誰か?」
なぜそのようなことを訊くのか訝しがりつつもミュラーは答えた。
「決まっている。ルードヴィヒ3世だ」
「では、ゴールデンバウム王朝フリードリヒ4世の前の皇帝は?」
「オトフリート……いや、おかしいな」
同じ皇帝のはずなのに別の名前が頭に浮かんだのだ。
悩むミュラーを見ながら、オーベルシュタインは告げた。
「時々そのようなことがある。記録としてはオトフリート5世のはずだ。それなのに記憶では別の皇帝の名が頭に浮かぶのだ。このような例は他にもあった。ゼーフェルト博士が史書編纂で密かに頭を抱えていた点だ。この世界自体が元々既に歴史改変後の世界なのかもしれない」
シェーンコップが愕然として呟いた。
「そうか。そういうことだったのか。娘の母親の名前が妙に曖昧で俺が思い出せなかったのも過去改変の影響だったのか」
それはきっと違う、と誰もが心の中で呟いた。
オーベルシュタインが咳払いをして話を戻した。
「ともかく、
「ゴールデンバウム王朝全史の記述を見るに、歴史は今も少しずつ塗り替えられていっているようです。もはや猶予はない。我々は今はどうにか記憶を保っているが、これすらも危ういのではないかと思います。私は最近夢を見るのです。自らの死の瞬間の。私はその世界でローエングラム帝の臣下になり、その覇道を手伝っていた。そして、彼と、おそらくは同じ日に死んだ。卿らの中にも同様に妙な夢に覚えがある者がいるのではありませんか?」
ヤンは思わずフレデリカを見た。フレデリカもヤンを見ていた。その一瞬でお互いに悟ってしまった。
話は二人の視線の交錯など気にせず進んでいた。
「我々は歴史改変を阻止しなければなりません。私が見た夢に従えばそちらの世界でもゴールデンバウム王朝は最終的に滅んでいるようですが、神聖銀河帝国残党はそれすらも変えようとしているかもしれないのだから。卿らはどう思われる?この世界を変えたいと思いますか?」
この世界は無論理想郷ではない。しかし曲がりなりにも皆の努力で平和になった世界だ。その中でそれぞれがそれぞれの人生を生きてきた。多くの者はそう考え、改変を受けたいなどとは思わなかった。
トリューニヒトがユリアンに尋ねた。
「君はどう思う?過去に戻れるなら変えたいこともあるんじゃないのか?」
ユリアンは思った。変えたいこと。シンシアさんのことも助けられたのではないのか。祖母はともかく父とはもう少しうまくやれたのではないか。あるいは母親が生きていたら……。
だが、ユリアンはかぶりをふった。
「皆が変えたいと思っていることを実施すれば際限なく過去が変化して結局確定しなくなります。それはやはり避ける必要があるでしょうね。それに別の世界ではトリューニヒトさんに会えなかったかもしれない。それは嫌です」
トリューニヒトは笑顔になった。
「そうか。うん、私もそれは嫌だね」
夢でフレデリカと並んでユリアンの名前を呼んでいたヤンとしてはそれを見て複雑な思いを抱かざるを得なかったが。
ライアル・アッシュビーも言った。
「俺もミンツ総書記と同じ気持ちだ。俺がこの世にいてもいいのかどうかなんて知らないが、この世界をなかったことにしたいとは思わない」
オーベルシュタインはその義眼で部屋を見渡した。
「結論は出たようで。それなら、誰かが
ライアル・アッシュビーが首をひねった。
「何故だ?それに、
「タイムマシンの主要部にしてエネルギーの蓄積部でもあるブラックボックスは、メッゲンドルファーにも解析できなかったようです。解析しようとして一基壊してしまったとか。保安機構の技術局でも無理でした。残党のメンバーはそれをモーハウプト機関と呼んでいたようなのですが」
そう答えながらオーベルシュタインがユリアンを見た。
「先に問い合わせをもらっていましたが、地球アーカイブにも
オーベルシュタインが改めて尋ねた。
「それで誰が行きますか」
「私が行く」「俺が行く」
ヤンとアッシュビーが同時に答えた。
ミュラーが慌てた。
「二人は保安機構の要、同時に抜けられるのはさすがに困ります。お二人とも帰ってこなかったとしたら……」
アッシュビーは頑然として言った。
「アッシュビークローンの始末は俺がつける。それに俺は、エンダースクールでブルースアッシュビーを追体験するという名目で、いろいろと記憶の刷り込みを受けている。この中では誰よりも俺があの時代に詳しいだろう。俺が行くべきだ」
ヤンも主張した。
「私だって歴史学者志望だったから五十年前の同盟にはそれなりに詳しいよ。というかこんな機会、歴史学者志望の人間が逃せるわけないだろう。オーベルシュタイン局長は勝手にゼーフェルト博士と仲良くなっているし……」
皆呆気にとられた。ミュラーが言葉を選びつつも指摘した。
「アッシュビー提督はともかく、ヤン長官のお答えは、その、お立場を考えたものとはとても……」
「自らの立場をしっかりと自覚されるべきでしょうな」
オーベルシュタインは容赦がなかった。
なら辞表を提出してでも行ってやる!
そう言いかけたヤンだったが。
「いいんじゃないか?どうせ失敗したら我々の歴史は消えてしまうのだし。そういう考えでいけば臨機応変に対応できるメンバーがいいだろう。私としてはユリアン君にもぜひお願いしたいね。お目付役でヘルクスハイマー中佐もどうかな」
そう口を挟んだのはトリューニヒトだった。
トリューニヒトの発言を皆が意外に感じる間も無く、ヤンがすかさず言った。
「決まりだ。主席の許可が出た。もう、文句はないだろう」
「それなら私も行っていいですかな。貴重な戦力になるとおもいますが」
シェーンコップが不敵な笑みを見せながら手を挙げていた。
だが、ヤンは自らを棚に上げて否定した。
「君とポプランだけは何があってもダメだ」
シェーンコップは本気で驚いているようだった。
「ポプランと一緒にされるとは。どうしてです?」
「君達が行くと絶対に歴史を変えてしまうだろうから」
「そんな馬鹿な」
「君、現代に戻ってきたら一個中隊から「あなたのひ孫よ、ひいお祖父ちゃん」とか言われるようになっているんじゃないか。駄目だ駄目だ」
「それも面白かったのですがね……」
シェーンコップは不敵な笑みを浮かべつつも引き下がった。
メンバーは結局、
ヤン・ウェンリー、ライアル・アッシュビー、フレデリカ・グリーンヒル・アッシュビー、ユリアン・フォン・ミンツ、マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマーの五人となった。
バーラト星系まで五人は秘密裏に移動した。
保安機構ハイネセン支部では技術局員監視のもとでメッゲンドルファーによる
中に乗り込んだアッシュビーはその手に仮面を持っていた。
ユリアンが尋ねた。
「なんですか?そのマスク?」
ヤンが拒否反応を示した。
「憂国騎士団のマスクじゃないか!」
アッシュビーも複雑な表情をしていた。
「トリューニヒト氏が、顔を隠すのに持って行けと言って渡してきたんだ。一体何を考えているんだ……」
ヤンは心底嫌そうな顔をした。
「それを被るのかい?あっちでは別行動をしてもらっていいかい?」
アッシュビーは憤然として否定した。
「やめてくれ。サングラスとカツラでなんとかごまかすさ」
それから。
「いってらっしゃーい」
メッゲンドルファーの気の抜けた声に見送られながら、彼ら5人は過去へと旅立った。
※タイムマシンと「モーハウプト」に関して活動報告に少し書きました。
私も歴史改変、もとい、投稿話の再編集を行ってしまいました。
具体的には「幽霊騒ぎ」の話を少し修正(ポプランが登場)、生命卿事件の発生時期をずらしました。