宇宙暦803年7月
ある日の夜中、フレデリカはうなされていた。
とても怖い夢。
愛する人が殺される夢。
そのことに対して自分は何もできないでいる、そのような、悪夢。
「あなた!」
彼女は目を覚ました。
隣にはライアル・アッシュビーが寝ていた。愛すべき夫。
しかし、夢に出てきた「愛する人」は別の人だった。
「どうしてこんな夢を見るの?」
最近変な夢を見ることが多いように思う。
「ヤン・ウェンリー、ヤン提督……」
思わずその名がこぼれ落ちた。
フレデリカはライアルが眠っていてくれてよかったと思った。夢とはいえ、夫への背信行為に思えたから。
ヤン・ウェンリーもうなされていた。
自らが死に行く夢を見て。
体から血とともに生命が失われていく。その中でもヤンは謝っていた。
「ごめん、フレデリカ。ごめん、ユリアン。ごめん」
無彩色の井戸を落下していく意識の隅で、懐かしい声が彼を呼んでいた。
「あなた、あなた」
覚醒するとそこはベッドの上で、隣で寝ていた女性に体を揺すられていた。
「あなた、うなされていたようですけど、大丈夫ですか?」
表情は見えない。
「ああ、大丈夫だよ。フレデリカ……ん?」
ヤンが違和感を感じてよくよく見ると、そこには目に大粒の涙を溜めたローザがいた。
「ついに……ついに……この日が来てしまいました。せっかく連合からやって来て久しぶりに閨を共にしたというのに、夫の口から出て来たのは他の女の名前。しかも人妻。いつかこのようなことがあるだろうと覚悟はしていましたが、やっぱり私ではあなたを引き留めておくことなどできないんですね……。いいんですよ私は。あなたが幸せであれば」
「誤解だよ!私は君一筋だ!」
さめざめと泣くローザを落ち着かせるため、ヤンはその日の勤務に遅刻する羽目になった。
マシュンゴは時々妙な白昼夢を見る。内容は決まって同じだった。
彼はどこかの星の上で、仰向けになって天を見上げていた。
周囲は暗く、かすかに存在する大気は凍てついていた。天上には何条もの炎が、あるいは炎に見える何かが荒れ狂っていた。彼が背を預ける地面は、止まぬ震動によるものか、無数のひび割れを生じていた。
彼は何者かと戦いながらここまで辿り着き、墜落直前の単座式恒星間宇宙艇から身を投げ出した。地面に激突したも同然の着地は、彼の体に深刻なダメージを与えていた。
重装甲服を着ていなければとうに死んでいただろう。とはいえ、もはや長くは保たない。
彼はここが自分の終着点、そして人類にとっても運命の日なのだと確信していた。
倒れている彼の左手側には、大きなピラミッド様の建物があった。理由は思い出せないが、彼はそこを目指していたはずだった。
その中から誰かが姿を現した。この酷寒の中を宇宙服も着ないで。男か女かはわからない。しかし、長い髪を凍てつく吹雪の中にたなびかせていた。
やがて。
その誰かは、仰向けに倒れる彼の頭上に立ち止まり、覗き込むようにして声をかけてきた。頭に直接響くような不思議な声。
「人類は滅びる運命にある。それでもあなたはまだ抗うというの?」
自分が何と応じたかは覚えていない。
ただ、その問いを発した誰かが美しい亜麻色の髪をしていたことだけは覚えていた。
「マシュンゴ少尉?」
名前を呼ばれ、意識は現実に立ち戻った。
ユリアンが、急に反応のなくなった彼を心配して覗き込んでいた。
亜麻色の髪。
彼なのだろうか?彼が人類に滅びをもたらすのだろうか?
マシュンゴは思わず尋ねた。
「ミンツ総書記に、お姉さんか妹さんはいましたか?」
ユリアンは目を瞬いた。
「まるでポプランさんみたいなことを訊いてくるね。いないよ」
それから少し遠い目になった。
「いたらきっと、こんなところでこんなことはしていないよ」
マシュンゴは考えもせずに発した問いを悔やんだが、あとの祭りだった。
彼はついでとばかりにもう一つユリアンに問いかけた。
「人類は運命に逆らえると思いますか?」
ユリアンは意外に思わざるを得なかった。
「逆らえないというのがマシュンゴ少尉の持論ではなかったの?」
「それはそうなのですが」
いつか来る滅びのイメージが彼の頭からは離れなかった。それが彼の考え方を常に諦観の漂うものにしていたのだ。それが、自らのただの妄想だとは思えなかった。
「逆らえると思うよ」
「え?」
訊き返したマシュンゴに、ユリアンは笑顔を見せて繰り返した。
「逆らえると思うよ。仮に、時の女神がいたとしても、人の意志の存在は無視できない。運命なんて決まっていないし、未来が決まっているだなんて思わない」
マシュンゴはユリアンの答えに少し安堵した。
彼ではないのかもしれない。
だが、同時に思ってしまった。
未来は本当に決まっていないのか?
あれが未来の情景であれば、ここは過去ということになる。未来が既に確定した現実であるとするならば、果たして過去は変えられるものなのだろうか?