お前のダメっぷりがお茶の間に流れることになるがいいのか? Grand Orderで我慢しておけ。
アタシ絶対でないじゃないっスか。
――――ある少女の話をしましょう。
『アムネジアシンドローム』とは二十一世紀に確認された謎の感染症でした。
感染者は脳神経を犯すウィルスにより脳機能が低下していき、最終的には死に至るという恐ろしい病気です。
過去に日本で起きたバイオテロで使用されたこともあるこの病気は長らく感染ルートも不明な不治の病でした。
ですが現在では既にトワイス・H・ピースマンという医者によってワクチンが発見されており、治療法が確立しています。
すぐにワクチンが投与され、少女の病気は治るかに思われました。
しかし次の日、目を覚ました少女は親の顔と住んでいた家を思い出すことができませんでした。
少女が感染したアムネジアシンドロームのウィルスはこれまでのものとは違っていたのです。
そのウィルスには『呪い』ともいうべき魔術的な処理が施されており、ワクチンが全く効きませんでした。
そしてその病気にかかっていたのは少女だけではありませんでした。
爆破テロにあった街の住人全てがそのウィルスによる新型のアムネジアシンドロームに感染していたのです。
場当たり的な治療しかできない中で街の住人達は親しい者や家族を忘れ、自分のこともわからなくなり、最後には呼吸の仕方さえ忘れて死んでいきました。
そんな地獄のような日々が一月ほど続いた後、住人の生き残りは少女だけになっていました。
少女は一人ベッドに身を横たえたままぼんやりと窓の外を見ていました。
家族と再会することはついにできませんでした。
例え再会できたとしてもお互いに誰だか分からなかったでしょう。
そして今となってはその家族も全員死んでしまいました。
窓の外には爆破テロにより壊れた街並みが見えましたが、もう元の街並みも思い出せません。
自分の名前すら分からなくなっていました。
自分がどんな人間だったのか。
どんなことに喜び、怒り、哀しみ、楽しさを感じていたのか。
少女を蝕む病魔は少女を形作る全てを奪っていきました。
そしてこの抜け殻のような生でさえ奪われて少女は死ぬのでしょう。
少女は泣きました。
何が悲しいのかも分からないまま泣きました。
ただ、このまま終わるのは嫌だと。
このまま自分が何者なのかも忘れたまま死ぬのは嫌だと強く強く思いました。
その思いを天にいる何者かが聞き届けたのか。
次の日の朝、死を待つ少女のもとに僧衣に身を包んだ一人の女がやってきたのです。
◆ ◆ ◆
そして聖杯戦争3回戦5日目の朝。
アタシは三の月想海の第二層を進んでいた。
ここに入って速攻キャスターに襲われたおかげで探索がほとんどできなかったっスからね。
今日あたり起動鍵をゲットしとかないと決闘場に入れずにアボンしちゃうっス。
「というわけで今日もエネミー殺すべし慈悲はない。薙ぎ払えカルナ=サン!」
「任せておけ」
「そこは『ヨロコンデー』って言ところっスよ」
「ああ、喜んでお前の為の槍となろう」
「マジメか!」
軽口を叩きあいながらアリーナの通路を進む。
横を歩くカルナを見ながらアタシは昨日のことを思い出していた。
あの後保健室を飛び出したアタシが目立たない練習場所として選んだのは校舎裏だった。
モーションの説明を聞いたカルナは苦悶の表情で数秒固まっていたが、空に向かってブツブツと何かをつぶやいた後はふっ切れたように完璧にモーションをトレースして見せた。
そして日が暮れるまで動きを合わせる練習をした結果、魔力を通したカーマインブレイジが微かに反応するようになったのだ。
できればその日のうちに礼装の発動までいきたかったが、残念ながらそこでアタシの魔力が尽きてしまいその日の練習はお開きになった。
「まだ今日を合わせて2日ある。決戦日までに必ず同調を成功させるぞジナコ」
「な、なんか妙にやる気じゃないっスかカルナさん。昨日モーションを説明したときにはこの世の終わりみたいな顔してたのに」
「俺はあの校舎裏で己を捨てた。であればそれに勝る成果を手にしなければ座に還った時、父スーリヤに顔向けができん。父の威光を汚さぬ為にも俺は命を賭してこの難業に挑むつもりだ」
「なんでそんなガチになってるの!?」
やっぱりカルナさんの精神的ダメージがマッハだったっス。
ていうかあの時お空に向かってブツブツ言ってたのはお父さんにだったんスね。
すみませんスーリヤさん。息子さんにこんなことさせて。
「でもそんなに急がなくてもいいかもしれないっスよ?」
脇道から襲い掛かってきたエネミーを1分足らずで倒したカルナを見ながらアタシはのんびり言ってみる。
今のアタシ達は槍も出せずに素手でエネミーをペチペチやっていた時とは違うのだ。
保健室では「決戦日までに仕上げる(キリッ)」とか言ったけど、決戦場で正面から戦えば礼装の強化なしでもあのキャスターにカルナが負けるとは思えない。
だがカルナは首を振った。
「万全を期すに越したことはない。それに気になることもある」
「気になること?」
「気が付かなかったか? あのキャスターとそのマスターの間に奇妙な違和感があることに」
カルナの問いにアタシは首をひねる。
んーまぁ確かに初めて会った時にかみ合ってないような感じはしたっスね。
単に仲があんまり良くないだけだと思ってたけど。
「本戦前のサーヴァントとの契約時、その組み合わせはランダムというわけはない。必ずその2人を繋ぐ理由が存在する。それがマスター側の理由なのか、サーヴァント側の理由なのかはそれぞれだが、なんの繋がりも持たないマスターとサーヴァントが主従になることはないのだ。しかしあのキャスターとそのマスターの間にはどうもそれが感じられない」
「繋がりがあるようには見えないってこと?」
「そういうことだ。あの2人は完全にすれ違っている。通常であればあのような2人が主従の関係になることは起こりえないのだ。もしかすると……」
そこでカルナは言葉を切った。
「……いや、考えすぎかもしれん。今のは忘れてくれ」
「ちょっ!? そこまで聞いたら気になるじゃないっスか!」
フラグっぽい言い方しないでほしいっス!
「言っても混乱するだけだ。お前は勝ち進んで自分の願いを叶えることだけ考えていればいい」
「……へ?」
「人生をやり直したいのだろう?」
「あ、ああ……そうだったっスね」
カルナの切り返しにアタシは間抜けな返事をしてしまう。
アタシが聖杯戦争に参加した理由。
それは両親の死によって狂った人生をやり直すことだ。
普通に進学して、就職して、結婚して、そんな15年を取り戻したい。
それがアタシの願いのはずだ。
それなのに。
――――どうして今その願いを素直に口にできなかったんだろう。
いや、きっと生き残るのに必死で余裕がなかったからだ。
一人きりで迎えた15歳の誕生日。あの時の絶望感は今でも夢に見る。
あれをなかったことにできるのならどんなにいいだろう。
アタシは狂った人生を捨てて新しく正しい人生をやり直す。
それは何も間違ったことじゃない。
「そうっス。アタシは人生をやり直して今度こそ勝ち組になるんスよ」
半ば自分に言い聞かせるようにその願いを口に出したその時。
「聞いたか桜。人生における勝利がなんであるかも分からない豚がなにやら息巻いているぞ」
アリーナに響いた声にカルナが身構える。
そしてアタシ達の前に2つの影が実体化した。
一つはキャスター、そして今回はマスターである桜さんも一緒だ。
「こんにちはジナコさん。お元気そうでなによりです」
そう言うと桜さんはこちらに向かって微笑んだ。
物腰は柔らかいが騙されてはいけない。
キャスターの宝具にアタシは殺されかけたのだ。
そのことにマスターである桜さんが無関係のはずはない。
「おかげさまで元気いっぱいっスよ。サーヴァントの宝具まで使ってアタシみたいなノーマル人ひとり殺せないなんて、どんな気持ち? ねぇ今どんな気持ち?」
アタシの煽りに桜さんは苦笑する。
「そうですね。これまで『
「ふふん、恐れ入ったっスか? ここで降参すれば決戦場でボコにするのは許してやるっスよ?」
むふふ、相手の優位に立つのって気持ちいいっス!
しかしアタシの上から目線の降伏勧告に桜さんは首を振った。
「残念ながら降参するわけにはいきません。それに私は決戦場で戦いたくはないんです。ですのでここで勝負を決めさせてもらうことにしました」
その言葉にキャスターが前に出る。
「と、いうわけだ。追い詰められているのはお前の方だぞ豚め。もっともこちらは降参しても許してはやらんがな!」
そう言ったキャスターの手に一冊の本が具現化する。
使用した相手を物語の中へと引きずり込む宝具『
「なんとかの一つ覚えっスね。それはジナコさんには通用しないっスよ」
「その台詞はこの物語から帰ってこられたら言うのだな」
キャスターが宝具を発動するべく本を掲げる。
「どうするジナコ? 今なら発動前に潰せるかもしれないが」
「必要ないっスよ。速攻帰ってきてあのショタもどきが悔しがる顔を見てやるっス」
どんな物語の世界に放り込まれようとアタシには黄金の鎧の加護がある。
ふははは、無駄無駄無駄ァ!
お前にアタシを殺すことなどできないんスよ!
「これより始まりますのは一人の少女の物語。当たり前の人生の中で当たり前の幸福を掴む娘の物語。少々退屈かと存じますが、皆様どうぞご覧あれ!」
キャスターの口上と共に『
その光に包まれながらアタシは意識を手放した。
アタシが目を覚ますとそこはそれほど広くない部屋の中だった。
壁には淡いピンクの壁紙が貼られ、頭上からは蛍光灯の光が照らしている。
部屋の隅には小さめのベッドとクローゼット、反対側の壁際には学習机と本棚が置かれていた。
前回に比べると随分現代チックな空間。
典型的な女の子の部屋という感じだ。
なんだか懐かしいっスね。
そこは15年前までアタシが過ごした子供部屋によく似ていた。
まぁ子供部屋なんてどこの家も似たようなものだからそう思っただけだろうけど。
でも見れば見るほどアタシの部屋に似てるっスね。
ホラここの机の傷とか本棚に並んでるジャンルとか壁に貼ってあるポスター……と……か……。
「…………」
ふと思い立ったアタシは机の引き出しを開ける。
そこには見覚えのある文房具と小物が入っていた。
脇に置いてある本棚に目をやる。
並んでいる本は題名までアタシが持っていたものと一致していた。
クローゼットを開ける。
着たことのある服ばかりが掛かっていた。お気に入りだったワンピースもある。
間違いない。
「ここアタシの部屋だ」
といっても今のではない。
両親が死んだ後住んでいた家は売りに出し、アタシはマンションに引っ越した。
ここはまだ両親が生きていた時にすごした部屋だ。
アタシの幸せだった時間が全て詰まった場所。
「なんでこんなところに……」
そこでアタシは傍らに置いてあった姿見に映った自分を見て愕然とする。
そこに映っていたのはアタシであってアタシではなかった。
顔は間違いなく自分のものだったが、まず眼鏡をかけていない。
丁寧に手入れされた髪は綺麗に切り揃えられ、頭の後ろでポニーテールになっている。
手足が細く、腰もきちんとくびれていた。
何よりくたびれた今のアタシと違い、若々しさに満ちている。
もう写真でしか残っていない14歳のアタシがそこにいた。
「なん……だと……?」
アタシは思わず自分の姿に見入ってしまう。
「きゃぴっ♪ アタシ、ジナコ=カリギリ14歳ですぅ。…………ハッ!? イカンイカンひたってる場合じゃなかったっス!」
いつのまにか姿見に向かって変なポーズまでとっていたアタシは我に返る。
忘れかけていたが、ここはキャスターが作りだした世界なのだ。
少々というかかなり惜しいが早く脱出しなければならない。
もう少しフォーティーンエイジなジナコさんを楽しみたかったけど仕方ないね。
「それじゃ『
鎧を発動しようとしたその時、アタシの耳にかすかな声が聞こえた。
「……ッ!?」
アタシは思わず鎧の発動をやめてその声に聞き入ってしまう。
声は下から聞こえてくるようだ。
アタシの部屋は2階なので1階に誰かがいるということだろう。
まさか……。
アタシは部屋を飛び出した。
階段を駆け下りると場所を覚えていたリビングのドアを開け放つ。
そこには――――。
「どうしたんだジナコ? 部屋にゴキブリでも出たのかい?」
「パパ……?」
ドイツ人男性の特徴である白い肌に角ばった顔。
少し薄くなった頭と恰幅の良い体型。
もういないはずのパパが新聞から顔を上げて驚いたようにアタシを見ていた。
「あら、ちょうどよかったわ。今呼びに行こうと思ってたのよ」
背中から聞こえた優しい声に振り替える。
こちらは綺麗な黒髪に整った顔立ちの日本人女性。
「ママ……」
エプロン姿のママがダイニングルームからこちらに歩いてくる。
一体何が起こっているのか分からない。
「準備ができたわよ。こちらにいらっしゃい」
ここはキャスターが作った世界なのだ。
それは分かっているのにママの優しい声に逆らうことができない。
言われるままに隣のダイニングに移動すると食卓に様々なご馳走が並べられていた。
中央にはロウソクの立った大きなケーキが置かれている。
「これって……」
「驚いてくれたみたいね。こっそり準備した甲斐があったわ」
ママが笑う。
「私も手伝ったんだぞ」
パパが笑う。
「パパ? ママ? これは一体……」
まだ状況が呑み込めないでいるアタシを見て2人は声をそろえて言った。
『ジナコ、”15歳” の誕生日おめでとう!』
それは一人の少女の物語。
当たり前の人生の中で当たり前の幸福を掴む娘の物語。
その物語の名は――――。
15歳のジナコちゃんは絶対かわいい(願望)