――――ある少女の話をしましょう。
少女は片田舎に両親と3人で住んでいました。
家は裕福ではありませんでしたが、貧しいわけでもなく。
両親は時々ケンカはするものの概ね仲は良く。
ほどほどに友人もいて好きな男の子もいて。
少女はそんなどこにでもいる普通の女の子でした。
その日も少女はいつもと同じ時間に目を覚まし学校へ行く為に家を出ました。
玄関で見送る母親に手を振りながら学校へと続く坂道を下ります。
少女の家は高台に建っていて彼女が歩く場所からは街が一望できました。
登校するこの時間に朝日が照らす街を見るのが少女はとても好きでした。
やがて友人の女の子と合流し並んで歩きます。
昨日見たテレビのこと、授業のランニングが憂鬱なこと、誰と誰が付き合っているらしい。
たわい無い話に花が咲きます。
そのうち話題は将来のことになりました。
友人は卒業したらここを出てもっと賑やかな街で働きたいと言いました。
刺激を求める若者にとってこの街での生活は退屈だったのです。
ですが「あなたもそうするでしょう?」と問われた少女は笑いながら首を振りました。
たくさんの思い出がある故郷を離れることなど少女には考えられなかったのです。
少女はこの街が好きでした。
この街に住む人たちが好きでした。
心の中にあるこの街の思い出は彼女にとって宝物でした。
自分はこれまでもそしてこれからもここで暮らしたくさんの思い出を作っていく。
少女はこの日までそう思っていたのです。
◆ ◆ ◆
聖杯戦争三回戦2日目。
「明日から本気出す」と言った人間に大抵その明日は来ないものだが、朝からアリーナに凸したアタシはちゃんと本気を出した。
三の月想海の第1層にPOPするエネミーは3種類。箱をつなげたような形の『ESCHER』とクリオネっぽい形の『PROPHECIES』そして1日目にも戦った鳥型の『WEATHER DRIVE』だ。当然2回戦のアリーナより強い敵ばかりだが、2回もサーヴァントとの戦闘を経験してしまうと今更腰が引けることもない。加えて慣れてしまえばこういうルーチンワークは15年間ニートをしてきたアタシの得意分野だ。どれだけの回数エネミーと遭遇しようとも集中力を切らさずに戦い続ける自信がある。
経験が生きたっスね。あんまり嬉しくないけど。
ただいくら集中力が続いても魔力は戦闘のたびに擦り減っていく。
時間が昼に差し掛かる頃。『起動鍵』をゲットしたところで魔力が尽きたアタシはリターンクリスタルで校舎へと戻ってきた。今日のアリーナはこれでおしまいにして食堂で昼ご飯を食べることにする。
「疲れたっスお腹すいたっスもう歩きたくないっス。食堂までおんぶしてよカルナ」
「別に構わないがお前を食堂まで運ぶとなるとかなりの力が必要になる。当然それだけ魔力を消費することになるがいいのか?」
ちょっと待て。
太陽の化身をして『かなりの力』が必要なほどアタシの体重はヤバイんスか!?
くっ! 運んでもらっても歩いても疲れることに変わりはないというのかッ!
「ぐぬぬ……分かったっスよ。歩けばいいんでしょ歩けば」
カルナはアタシが仕方なく歩き始めたのを見ると「しばらく霊体化する」と言って姿を消した。魔力の負担を少しでも軽くする為だろう。その気遣いパラメータをもう少し普段の言動に振ってほしいと思う。
アタシは疲れた身体に鞭を打ちながら廊下を歩き、地下に続く階段を降りてようやく食堂のあるフロアにたどり着いた。
さてと、すぐにでもご飯を食べたいところなんスけどその前に用事を片づけておきますかね。
アタシは左手にある食堂には向かわず正面にある売店に近づいた。ここでは礼装からお菓子まで月で必要なものはなんでも買えるし、逆にこちらが不要になったものを売ったりもできる。
カウンターまでやってくると購買部の女性店員NPCが営業スマイルで話しかけてきた。
「いらっしゃいませー。地獄の沙汰も金次第。月海原学園購買部です! あら、ジナコさんじゃないですか。自分で売店まで来るなんて珍しいですね。さすがにサーヴァントをパシリに使うのはやめたんですか?」
「今日はたまたまっスよ。食事のついでに寄っただけっス」
アタシがほしいものを思いつくのはマイルームでごろごろしている時が多い。
その場合売店まで買いに走るのは当然カルナの役目だ。
うん、何もおかしくないっスよね。サーヴァントってマスターの使い魔のようなものなんだし。
「それで今日はどんな御用です? そうだ、またムーンセルスナックの新作が出たんですよ。その名も『愉悦の赤ワイン味』! 人の不幸を眺めながら食べると味が変わるらしいんです。お一つどうですか?」
「なにそれ怖い」
誰がそんな味を発案したっスか。
その人間のSAN値を疑うっス。
「それからよくわからない内にルビーとエメラルドも入荷してたんですよ。何の役に立つか分かりませんがいかがですか? 5000000pptですけど!」
ごひゃくまんpptって買えるか猿ゥ! 2回戦でアタシがした借金の5倍じゃないっスか!
この店員は商売する気があるのだろうか。
おススメ商品がぶっとびすぎっス。
「今日は買い物じゃなくてこれを売りに来たんスよ」
アタシは店員の勧めを曖昧な笑顔で流すとポシェットから『カーマインブレイジ』を取り出す。
せっかく手に入れた礼装だが使えないのでは意味がない。このままポシェットの肥やしになるくらいなら売ってPPTに変えてしまったほうがいいだろう。カレンの説明ではそれなりにレアで強力な礼装のようなので思わぬ高値がつくにちがいない。
大金が懐に入った暁には今日から毎日食堂で一番高い『月姫御膳』とデザートにプレミアムロールケーキを毎日食べられるっス!
しかしアタシの予想に反してカウンターに置かれた赤い腕輪を見た店員は難しい顔をした。
「う~ん、残念ながらこの礼装を買い取ることはできませんね」
「え、なんでっスか?」
「買値が設定されてないんですよこの品。値段がついていないものを買い取ることはシステム的にできないんです」
マジっスか。
確かこの礼装は正式に採用されているものではないとカレンが言っていた。
買値がついていないというのはそれでだろう。
「じゃあ物々交換でもいいっスよ。何か良さげな物と交換できないっスか?」
「できなくもないですが価値がよく分からない代物ですからねぇ。せいぜい『カレーパン』くらいとしか交換できませんよ?」
「なん…だと……」
アタシはがっくりと膝をつく。
月姫御膳とプレミアムロールがカレーパンになってしまった。何を言っているのか(以下略。
カレーパンは100PPTぽっちの売店で一番安い商品だ。
いくらなんでも礼装をそんなものと交換するのはないわー。いやでもこのままポシェットの中で腐らせておくよりはカレーパンに換えてアタシの栄養にしたほうがいいのかもしれないし。うむむむ……。
「ジナコじゃないか。売店の前で考え込んでどうかしたの?」
どうするべきかと唸っていると背後から声をかけられる。
アタシの心臓がドクンと大きく脈打った。
聞き覚えのあるその声に振り返るとそこには思った通り一人の少年が立っている。
その後ろにはケモ耳キャスターの姿も見えた。
「あ、ああ君っスか。互い生き残れて何よりっスね」
やっばい、声が裏返ってるっス。
アタシは目の前に立っている少年――――白野クンの顔を正面から見ることができない。
何せアタシは2回戦で白野クンを食べるというランルーさんの言葉に激しい怒りを覚え、名前を叫びながら復活して逆転勝利しているのだ。
彼が無事に2回戦を突破していることでアタシのがんばりが無駄にならなかったのはいいことだが、こうして顔を合わせると少し気恥ずかしい。
『白野クンのことかーーーーーーーーーーーーーっ!!』
あの時自分が叫んだ言葉を思い出す。
訂正しよう。少しどころか滅茶苦茶恥ずかしいっス!
傍から見たらコレ完全に落ちてるじゃないっスか!
確かに初めて会った時から懐かしい感じがして、アタシの劣等感を刺激しないノーマルっぷりがいい感じで、これまでの人生で一番仲のいい男の子と言えるかもしれないけども!
アタシ29歳だよ? 相手高校生だよ? これなんてエロゲ?
ないない。ありえない。
落ち着け、別にアタシは白野クンが好きとかじゃないんだ。
アタシが2回戦でがんばったのは自分が生き残る為! あんたの為じゃないんだからね!
「みこーん☆ 私の乙女センサーにピンときました。お下がりくださいご主人様。あの女、性懲りもなくまたご主人様との恋愛フラグをたてようとしています! 悪豚退散! ここにおめえのルートねえから!」
キャスターが白野クンをかばうように前へ出る。
ちょ!? 何か勘違いしてないっスか!?
「ち、違うっスよ! そんなんじゃないっス!」
「ハッ! 完全にメスの顔をしてしらじらしい! ご主人様の貞操は私のものです。お前のような肉団子には渡しません!」
相変わらず言ってることがアブナイ女狐っス。
白野クンにとって一番の脅威は自分のサーヴァントなんじゃないだろうか性的な意味で。
ここでさらにアタシに向かって何かを言おうとするキャスターを遮って白野クンが口を開いた。
「それくらいにしておきなよキャスター。どうしてジナコの前だとそう攻撃的になるんだ?」
「そ、それはご主人様がこの女を妙に気にかけているからです!」
「ジナコとは初めて会った時から他人のような気がしないんだよ」
「す、すでにフラグがたっている……だと……!? もはや猶予がありません。かくなる上は闇にまぎれてあのメス豚を出荷するしか……!」
「そんなー」と心の中で言っておこう。
ていうか白野クンがアタシを気にかけてる?
やばい。なんかドキドキしてきた。
「と、ところで売店になんか用なんスか? ジナコさんは後でいいんでお先にどうぞ」
もう限界だ。
これ以上この空気に耐えられないので話題を変えることにする。
「そうだった。ありがとう。じゃあお言葉に甘えて」
そう言った白野クンは売店に近づいた。
アタシはその後ろに並び、何とはなしに彼と店員の会話を聞くことになる。
「いらっしゃいませー。地獄の沙汰も金次第。月海原学園購買部です!」
「えっとルビーを買いたいんだけど」
ファッ!?
アタシは耳を疑った。
ルビーってさっき店員が言ってた500万pptのやつっスよね。
白野クンって実はセレブなんスか?
「はい入荷してますよ。こちらになります」
「ありがとう。値段……は……」
並ぶゼロの数を見てフリーズする白野クン。
ですよねー。
なんだ値段を知らなかっただけか。
「どうしても必要なんだ。どうにか譲ってもらえないかな?」
白野クンはしばらく放心していたが我に返ると店員に詰め寄る。
やけにねばるッスね。
余程の理由がありそうっスけど500万pptはどうにもならんわ。
アタシ100万pptであれだけの地獄を見たのに。
「ではこうしましょう。今、執行部の間でカレンさんに関するアイテムがブームなんです。彼女に縁のある品物を持ってきてもらえればルビーと交換しましょう。但し、500万ppt相当の品となるとかなりハードル高いですよ」
「……何を持ってくればいいんだ?」
「ズバリ首輪です!」
ん? 首輪?
「カレン様が自分の奴隷にのみ与えるといわれる幻のアイテム! それを付けられた者は全ての自由を奪われ、カレン様に支配される喜びを味わうことができるという究極の一品! もし持ってきて頂けるならルビーだけでなくこのエメラルドも進呈しましょう!」
カウンターの上に緑色に輝くエメラルドを出しながら恍惚の表情を浮かべる売店NPC。
ダメだこいつ早くなんとかしないと。
いつのまにか呼び方が『カレン様』になってるし。
ていうか首輪ってもしかしなくてもアレのことっスよね。
「……奴隷にのみ与えられる首輪ってことは奴隷になれば手に入れられるってことか」
「ま、まさか!? いけませんご主人様! あのイカレたAIの奴隷になどなったら何をされるかわかりません! ご主人様を傷物にでもされたら私の尻尾が9本になってしまいます!」
「でもこのままじゃあの怪物を突破できない。やるしかないんだ」
「ではご主人様のかわりに私が奴隷になります!」
「それはダメだ。ルビーの為にキャスターを差し出すことはできない」
「ご主人様……」
……しょうがないにゃあ。
「もしもし~? 盛り上がってるとこ悪いっスけど。首輪ってコレのことっスか?」
アタシは白野クンとキャスターの間に割り込むとカウンターの上に革製の黒い首輪を置いた。
2回戦でカレンに付けられた『赤いワンちゃん』がこんな形で役に立つとは。
トイレに流すのを忘れてたことが幸いしたっス。
「こ、これはッ!?」
店員NPCは目をクワッと見開くと震えるながら『赤いワンちゃん』を手に取る。
「まさか本当にこの手にできるとは! これでカレン様の下僕としてお仕えすることができるのですね! 私は今モウレツに感動しています!」
「ああ、うん。よかったっスね」
このNPC完全に調教されてるッス。
恐るべしカレン。
「ではお約束通りルビーとエメラルドはお譲りします」
そして目の前に赤と緑に輝く宝石が差し出される。
アタシはエメラルドをポシェットにしまった後、残ったルビーを手に取ると呆然となりゆきを見守っている白野クンに向かって放り投げた。
「ジナコ……これ……」
「もちろんタダじゃないっスよ。今からそこの食堂で昼飯をオゴってもらうっス。一番高いのを頼むから覚悟しておくっスよ」
「……! ああ! なんでも好きなものを御馳走するよ!」
アタシと白野クンは並んで食堂へ歩き出す。
その日食べた月姫御膳とプレミアムロールケーキは今までで一番おいしかった。
ちなみにジナコがルビーを渡さなければ白野クンはDeadendでした。