君がいた物語   作:エヴリーヌ

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今日はレジェンドこと赤土晴絵の誕生日ですね。



三十話

 時が経つのは早い。気がつけば――

 

 

「ふぅ……こんなもんか」

 

 

 荷物が詰まったダンボールを玄関まで運び汗を拭う。

 玄関には積み上げられたダンボールの山、全て引っ越しの荷物だ。いくつかの家電はこっちで処分するけど、捨てないものがほとんどなのでダンボールに片づけるのも一苦労だ。

 本来なら引っ越し業者に頼むことが多いけど、ここにあるのは思い出の詰まったものばかりだ。出来る限り他人の手には触れさせたくはない。だから一つ一つ丁寧に自分の手でしまった後に持って行ってもらうつもりだった。

 

 そして――最後の荷物が先ほど終わった。

 年が明けてから少しずつやっていた作業もこれで終わりだ。後は引き払うまでの最低限の物しかない。

 

 踵を返し、部屋に戻って改めて中を見回す。四年間住んだ思い出の詰まった部屋を。

 テーブルの上に飾ってあり、未だ残っている数少ない荷物であるフォトスタンドを手に取る。麻雀クラブの皆で撮った写真、これだけは自分の手で持って帰るつもりだ。

 皆には忙しさを理由に引っ越す日なども伝えていない。ただでさえ自分たちの事で手一杯なのにそこまでの余裕はなかった。

 

 

「はぁ……」

 

 

 思わずため息が出る。前から覚悟していたとはいえ、簡単に割り切れるものではない。まさか実家に帰るのがこんなに億劫になるとは思いもしなかった。

 向こうには家族をはじめとした馴染みの奴らももちろん多い。家族と一緒に暮らせるのは……まあ悪くないし、長い付き合いのある奴らとまた会いやすくなったのは嬉しい。だけど……それほどまでにこちらでの生活に未練が出来ちまった。

 

 

「……片付いた?」

「ああ」

 

 

 俺の動きが止まったのを見ていたのか、台所から晴絵が顔を出す。夕食を作ってくれていたのだ。

 晴絵も同じように向こうへ行くための準備で忙しいはずだが、こんな時だからこそ自分で作りたいと言って台所に立っていたが、あちらも用意が終わったみたいだ。先ほどから食欲をそそるいい匂いがする。

 

 

「…………」

「…………」

 

 

 黙って傍に寄り添ってきた晴絵が何を求めているかわかったのでソファへ腰を下ろすと、晴絵もしゃがんで俺の胸にもたれ掛かってきた。甘えてくる時のしぐさの一つだ。

 そのまま背後から抱きかかえる。

 

 

「……あっという間だったね」

「そうだな……」

 

 

 本当にそうだ。

 あと半年ある、あと三か月ある、あと一か月ある……そんな風に言い聞かせていたが、ついにここまで来てしまった。

 明日には――

 

 

「………………」

「………………」

 

 

 何も言わず抱きしめる腕により力を籠める。

 この四年で当たり前となっていた温もりと匂いだ。

 

 

「やっぱ晴絵って抱き心地いいよな」

「…………バーカ」

「いや、ほんとだって、こうちょうどいい感じでフィットするんだよ」

「そういうのはしずとかの方が似合いそうだけど」

「ははっ、確かにあいつはそういうのがぴったりだな」

 

 

 人形風にデフォルメされた穏乃の姿を思い浮かべ笑う。勿論服装はジャージだ。

 他にも憧や玄達も似合いそうな……気づけば頬を抓り、咎めるような視線で晴絵が見ていた。

 

 

「……別の子の事考えてる」

「いや、それ理不尽じゃね!? …………安心しろって俺にとって一番抱き心地がいいのは晴絵だから」

「…………やらしい」

「おい」

 

 

 ちょっと良いこと言ったのに台無しである。

 

 

「…………っく」「…………あはは」

「「あはははははははっ!」」

 

 

 示し合わせたわけでもなく笑いが出る。

 これぐらいがいい、これが俺たちの距離感だ。恋人関係になってもバカ言いあって友人で会った時と同じように笑いあう、心地の良い関係だ。

 

 倦怠期っていうのはどこのカップルにもあるみたいだけど、俺達にそういったのがなかったのは恋人になってからもこの距離間を忘れず過ごしてきたからだろう。

 一緒にいても疲れない間柄、だけどただの友人とは違う関係。ドキドキや甘酸っぱいのもちゃんとあるけど、それでも元の関係を蔑ろにしなかったからこそ上手くやってこれたのかもしれないな。

 だけど――それも終わりだ。

 

 

「……飯が冷めるしそろそろ」

「……………………もうちょっとだけ」

「わかったよ」

「もっと強く……」

 

 

 晴絵の言葉に無言でより力を籠める。それから一時間足らずであろうか……一言も喋らずにそのままの姿勢で俺たちはいた。

 結局夕飯は冷めてしまった。ただ、今まで食べた食事の中でも一番美味く、心に残った最後の夕食であった。

 

 

 

 

 

 翌朝、眠りが浅かったためか、外から響く鳥達の声でいつもよりも早く目が覚めた。視界の中に微かに明かりが見える。まだ夜明け直後だろう。

 昨夜はほとんど眠れなく、浅い眠りだったので頭もはっきりしていて、すぐに今の状況を思い出す。横を向けばすぐそこに晴絵の顔が見えた。

 目を閉じ、規則正しく聞こえる寝息。穏やかな表情だ。昨日は遅くまで起きて二人で話し込んでいたからまだ目を覚ます気配はない。

 

 

「すぅ……すぅ……」

 

 

 整った目鼻、長い睫毛、シミもない肌、凛々しそうでありながらもどこか幼いところを残した顔立ち。見慣れた顔であるが、改めて見ると――――可愛い。

 

 思わず口に出してしまいそうになり慌てて口を塞ぐ。

 別に今までもコイツの事は当たり前のように可愛いと思っていたけど、こうして改めて見直せば俺には勿体ないぐらいの彼女だろう。

 勿論欠点を上げればキリがない。どこか抜けているし、あほだし、ヤキモチ妬きだし、不器用なところも多いし、すぐに調子に乗るし、胸もあまり大きくないし、背もデカいし、前髪も変だ。だけど――俺の惚れた女だ。

 

 

「………………」

 

 

 起こさないように優しく頬を撫でる。途中擽ったそうにしていたが、目覚める気配はなった。

 

 俺は――この半年何度も悩んだ。やはり内定を辞退して晴絵についていくべきかと。だけど……だけど、その一歩が踏み出せなかった。

 

 口に出すなら簡単だ。他のことなんか知ったことじゃない、愛しい相手を取る――それが言えたらどれだけ楽だろう。

 だけど、ようやく手に入れた目標としていた仕事を手放すこと、晴絵の邪魔になるかもしれないこと、そういった幾つもの壁を崩せない、崩す覚悟がない。取り返しにならないことになったらどうしようという気持ちで前に進めなかった。

 ヘタレだ。こんなんじゃ皆に笑われるだろう。いつから俺はこうなっちまったんだ――ああ、やめよう。これ以上考えるのは不毛だ。これじゃあ未練だけじゃなく後悔も残っちまう。

 

 自分の気持ちを奥底に沈めて、晴絵が起きるまで飽きもせずに、ずっとその寝顔を眺めていた。

 

 

 

 

 

 朝になり、晴絵と一緒に作った朝食を食べ終えた後――

 

 

「これで全部だな」

 

 

 実家に送る荷物を業者に任せ、きれいに片づけた部屋を引き払った。残りもバイクに乗せるわずかな荷物だけでそれも積み終えた。

 流石にコイツを向こう送るのは大変だから乗って帰ることにした。いや……出来れば乗って帰りたかった。四年住んだこの街を自分で――独りで――走りたかった。きっと……もう二度と来ることはないだろうから。

 

 そして――見送るために朝からずっと残ってくれた晴絵とアパートの前で向き合う。ここで終わりにするつもりだ。

 

 

「……忘れ物はない?」

「山ほどあるな」

「持っていけたらいいんだけどね……」

「俺の懐には大きすぎるさ」

「テレビの見すぎ」

「おいおい、名作だろ」

 

 

 いつもの様に軽口を叩きあう。お互いに穏やかな表情だ――表面上は。

 

 

「あとこれ、途中でお腹すくだろうし持って行って」

「おう、ありがとうな」

 

 

 晴絵が見覚えのある弁当箱を取り出す。ああ……そうだ、いつも俺たちが出かけるときに使っていた弁当箱だ。向こうに戻ってからはきっと使うことはない、これが最後の晴絵の飯だ。

 

 

「中身は何だ?」

「ええとまずおにぎりで次に握り飯も入ってて、デザートにおむすびかな」

「全部一緒じゃねーか、どんだけ米押しだよ。俺は裸の大将か」

「冗談冗談、途中で開けるまでのお楽しみってね」

 

 

 ウインクしながら晴絵が慣れた手つきでバイクの荷物の中に弁当を入れる。

 こんなことを言っているが、きっと中身は俺の好物ばかりだろう。晴絵もこの四年で料理も上手くなった。向こうに行ってもこれなら安心だ。外食ばかりじゃ体にもよくない。

 

 

「悪いな、いろいろ助かったわ」

「京太郎だってこっちの手伝ってくれたじゃん。ま、帰ったら私も急いで出発しないとね」

「大変だから荷物は選んで持って行けよ。必要だったらおばさんたちに後から送ってもらえばいいんだからな」

「わかってるって」

 

 

 まるでこれから何処かに出かけるような口調で話す。だけど……お互いに無理をしているのは丸わかりだ。晴絵の奴、目が既に真っ赤だ。

 

 

「……向こうはこっちと違うんだから風邪ひくなよ」

「わかってるって、京太郎こそ身体に気を付けてね」

 

 

 だけど……それでも涙は流さない。

 行き場のない想いは拳を握ることでごまかし、無理やり笑顔を作り晴絵に笑い返す。出来るなら最後は笑って別れたいから。

 

 

「京太郎……」

「晴絵……」

 

 

 どちらからともなく身体を寄せ抱き合う。目を閉じ、こちらへ顔を寄せる晴絵。俺もそれに合わせる。

 軽い、それこそ単に唇と唇を合わせるだけのキスだ。

 

 時が止まればいい――今ほどそう願ったことはなかった――いったいどれほどそうしていただろう。全ての想いを振り払うように俺から体を離す。

 

 名残惜しい、だけどこれ以上はダメだと自分に言い聞かせる。見れば晴絵も彷徨わせる様に視線や手の行き場をなくしている。

 もう一度――いやずっとこいつの傍にいたい。けどダメだ。

 これ以上晴絵の顔を見ないように背を向け、バイクに乗り込みキーを回す。

 

 あの日の逆だ。新生活への高揚感を抱え、アパートの前で晴絵に出迎えられたあの日。今は全てが逆になってしまった。

 

 

「……それじゃあ、行ってくる」

「…………いってらっしゃい」

 

 

 それ以上何も言わずヘルメットをかぶり、アクセルを強く踏み真っすぐに走らせる。

 振り返らない。今振り返ってあいつの顔を見たら……きっと止まってしまうから。

 未練を振り払うようにさらに速度を上げてそのまま突き進む。見慣れた道を超え、徐々に街から遠ざかっていく。

 

 友達も増えた。彼女も出来た。たくさんの思い出も出来た――だけど二度とこの街には来ない。晴絵のいないこの街にはもう来れない。

 切り捨てるには楽しい思い出ばかりだ。だけど切り捨てなければ今の俺には耐えられそうにもないのだ。

 

 そして俺は逃げるように、四年間住んだ第二の故郷と恋人へ別れを告げた――

 

 

 




 予定通りレジェンドの誕生日に別れ回を投下完了。レジェンドおめでとう。

 そしてレジェンドと別れ、他のものも投げ捨てた三十話でした。どう見てもギャルゲーでいう『個別ルートで付き合った後に、ヒロインの問題を解決できずに破局』というバッドエンド。テンプレ乙。
 次回はエピローグ。京太郎が少し前向きになるだけの話です。
 
 それでは今回はここまで、次回もよろしくお願いします。

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