2幕分を連続投稿させていただきます m(_ _)m
第十五幕、第十六幕の連続投稿となります。
お楽しみいただければ幸いです!(>_<)
「はぁ……いや、参った参った……まさかルイがあそこまで怒るとは……」
キリトさんとアスナさんとの話を終え、2人を見送ったところで私はホームへと戻った。
リビングでは、マーチとアロマさんが椅子に座りテーブルに肘をついて、ぐったりとしていた。
「マーチが悪いんだぞぉ……変なこと言うからぁ……」
「ホントの事だろうが……っと。ああそうそう! だからその話だ! セイド!」
ぐったりとしたまま会話を続けていたアロマさんとマーチの2人だが、マーチが何やら思い出したように勢いよく身を起こした。
「どうしました? マーチ」
「どうしましたじゃねえ、ちと来い!」
身を起こした勢いのまま立ち上がったマーチは、私の腕を掴み問答無用という様子で2階へと上がり、そのまま自分の部屋――マーチとルイさん2人の部屋――に入ると扉を閉めた。
何か、アロマさんやルイさんに聞かれてはマズイ話なのか――《笑う棺桶》関連の血生臭い話なのか――と身構えていると、マーチは呆れたようにため息を吐いた。
「はぁ……お前、アロマにちゃんと謝ったのか?」
「あ」
そういえば、アスナさんの巻き込まれた騒動ですっかり忘れていたが、アロマさんの家出に関しては何も解決していないままだった。
未だにアロマさんはDoRに再加入していないし、少なくとも私とはフレンド登録をし直していない。
マーチ達とのフレンド登録だけなら済ませているかも知れないが、ギルドに関しては、マスター権限を持っている私にしかできないことだった。
「ド阿呆! PK騒動はそりゃ無視できねえもんだが、だからって1番肝心なこと忘れてんじゃねえよ!」
「アハハハ……すみません……」
これに関しては不覚だった。
探していたはずのアロマさんが、何故あの場に居たのかも聞いていないというのに、アロマさんが居ることに対して、何の違和感も無く受け入れていた。
それほど私にとって、アロマさんが居るということは当たり前になっていたのだろう。
「ったく……この唐変木がっ!」
マーチは私の間抜けさに呆れたように、私を自分のベッドへと突き飛ばした。
「っ! マーチ、それは言い過――」
「――俺が何もしなくても、仲直りできるっていうなら何も言わんぞ」
「……いえ……それは……その……」
台詞を遮られ、更に追い打ちをされた私は、空気を吸えない金魚のように口をぱくぱくとさせるばかりで、意味のある言葉を返すことはできなかった。
「はぁ~…………お前って、こういう事に関してはホント頼りねえよなぁ」
「……すみません」
マーチの言葉に反論の余地は無く、私は只管に自分の不甲斐なさを恨めしく思うばかりだった。
「あ、それもだが。お前、キリトとフレ登録し直したか?」
唐突に話題が変わった。
いつものマーチなら、このまま私をアロマさんの前へ引きずってでも連れていきそうなものだが。
「ああ、そちらはキリトさんから伺いました。マーチ達が騒いでる間に、登録し直してありますよ」
せめてもの反撃にと、少々嫌味を効かせてみたがマーチに効果は無かったようで――
「そか、んならそっちは良いな……ってかあの野郎! 俺とは登録し直してねえのに帰りやがった!」
――私の言葉など気にもせず、何やら喚きだしたマーチはドスドスと音を立てながら扉へと向かって歩いて行く。
「俺は、ちとキリトを追っかけてくる。他にもすることがあるし、昼飯も今からだしな」
扉の前で立ち止まったマーチは、私へ振り向くことなく、独り言のように言葉を紡ぎ続けた。
「んじゃ、後は2人でよく話し合え!」
私の言葉を遮ってマーチがそう叫ぶと、部屋の扉がマーチが開けることなくひとりでに開いた。
無論、システム上そんなことはありえない。
この部屋の扉を開けることができるのは、部屋主であるマーチとルイさんのどちらかか、もしくは――ギルドマスター権限の行使記録を残した場合に限られるが――私だけだ。
扉から離れている私に開けることはできないし、マーチも開ける動きはしていなかった。
つまり、今扉を開けることができたのはルイさんだけということになる。
「は~い、入った入った~」
開け放たれた扉から、ルイさんの間延びした声が聞こえ、しかし部屋に入ってきたのはルイさんではなくアロマさんだった。
「ね、ねえルイルイ! ちょっと待っ――」
「――待たないよ~。はいは~い」
ルイさんは何やら強引にアロマさんを部屋に押し込み、マーチもそれを促しつつ自分はアロマさんと入れ替わるように部屋の外へと抜け出していた。
「それじゃ~2人とも~? ちゃ~んと話し合って~仲直りするまで~、出てこないようにね~?」
「セイド、分かってると思うが、お前が鍵を開けりゃ記録が残るからな。勝手に開けんじゃねえぞ」
マーチとルイさんは、それだけ言い放つと部屋の扉を閉めてしまった。
中に、私とアロマさんの2人だけを取り残して。
扉が閉められた直後、私もアロマさんも事の展開をすぐには受け止めきれず、しばし呆然としていた。
それに、何となくこの状況は――
「……なんか、さ……前にもこんなことなかったっけ……?」
「ありましたね……アロマさんがギルドに加入する前……私とアロマさんが初めて会った時の事ですね……」
「……懐かしいなぁ……」
――アロマさんと初めて会った時、そして、アロマさんがギルドに加入したときの状況と似ていた。
「……もうすぐ、1年でしたね……アロマさんと出会ってから」
何の気なしにそんなことを口にしたが、それがまずかったのか、アロマさんは立ったまま黙ってしまった。
私も何と言っていいのか分からなくなり、ベッドに腰掛けた体勢から動けず、顔を俯かせるだけだった。
【異議無きときは沈黙を持って応えよ】という台詞があるが、この場合の沈黙は何とも気まずい。
チラチラと視線だけアロマさんに向けていると、アロマさんは上着の袖をいじりながら立ちつくしていて、時折私と視線がぶつかると、互いに慌てて視線を逸らしていた。
私もベッドに座ったまま頬を掻きながら、床を見つめて――
『あの』
――沈黙に耐えきれなくなった私が、意を決して声を掛けたのと同時に、アロマさんもまた、不安気に声をかけてきた。
何と言うか、間が悪い。
互いが互いに無言で譲り合って、またしばらく沈黙が続いた。
(……ど……どうしたら……)
私は結局、どうしたらいいのかと決めかねていると――
「……お茶、でも…………飲む?」
――少々ぎこちなくではあったが、アロマさんからそう切り出してくれた。
「お茶、ですか」
私はアロマさんを直視できぬまま、アロマさんの足元あたりへ視線をやりつつ言葉を返した。
「ぅ……ん。ルイルイ、がね……差し入れって言って……淹れてくれたの。お菓子も、あるよ」
「そう……ですか。では、喜んでいただきます」
「……うん」
アロマさんはアイテムストレージを操作して、ティーセットを小型の円卓の上に呼び出した。
私はなんとなく立ち上がれぬまま、紅茶をカップに注いでくれるアロマさんを眺めていた。
「……はい」
紅茶を注いだカップをソーサーに乗せて、アロマさんが私に手渡してくれた。
湯気の立つ紅茶からは、ラベンダーの様な香りが漂ってきた。
「……良い匂いですね」
「うん」
私は紅茶を1口飲み、ほう、とため息を吐いた。
変な緊張感が和らぎ、少しだけ気持ちも落ち着いた。
ふとアロマさんに視線をやれば、彼女は立ったままちびちびと紅茶を舐めていた。
「……座り、ませんか?」
そんなアロマさんの様子を見たら、思わず体を左にずらして、声をかけていた。
「え……」
「あ、その……嫌ならそのまま、でも構わない、のですが……立ったままでは、疲れるのではないか、と思いまして……」
マーチが聞いていたら確実にツッコみを入れられそうな、カクカクした台詞しか出てこなかった。
自身の女性に対する会話スキルの無さが、情けないほど身に沁みた。
しかし、今の私にはコレが精一杯だった。
「セイド、の、隣に……行って、良いの?」
「あ、はい……どうぞ……」
アロマさんも、私に負けず劣らずのカクカクさ加減で台詞を返してきた。
と、ここに来て私は、自分が腰掛けているものがベッドだったことを思いだした。
このまま隣に座るように勧める、ということは、アロマさんとベッドに並んで腰掛ける、ということになる。
(あああ……椅子に移動した方が良かったのでは……)
自分の台詞の迂闊さに狼狽えながら、椅子に移動しようかと思い悩んでいると。
ぽす、と音がして、私の右隣が少し沈んだ感覚が伝わってきた。
その事実に私は更に狼狽え、完全に言い出す機会を逸した。
並んで座ってしまったので互いに表情が見え辛くなり、今まで以上に会話が困難になったような気がする。
私とアロマさんの距離――大人1.5人分程の間隔――が、ジェリコの壁のように思えた。
形容しがたい空気だけが流れ、互いに1番触れたい話が出来ぬまま、手の内の紅茶だけが減っていった。
このままではいけない、と再び意を決したのは、紅茶が残り4分の1程にまで減った頃だった。
「ソウいえバ!……んんっ……お菓子、が……あるん、でしたっけ?」
ちょっと声が裏返ったような気はするが――
「エ!?……あ、う、ウン……あ、あるよ……ある……」
――アロマさんも似たようなものだったので、気にしないことにした。
「えぇっと……何が、あるんですか?」
チラチラと隣を見やりながら、そう尋ねるのがギリギリだった。
「え……っとね……チーズケーキと……バナナシフォン」
「……どちらも美味しそうですね」
ここまで来て、ようやく互いに台詞が落ち着いてきたように感じられる。
少なくとも、先ほどまでの様にカクカクはしなくなったと思う。
「セイドは、どっちが良い?」
アロマさんも少し余裕ができたのか、私の顔を見ながら尋ねられるようになっていた。
「私ですか? うぅん……チーズケーキですかね……」
「ふ~ん……」
私の回答に、アロマさんはウィンドウをまじまじと眺め――
「……私も、チーズケーキが良い」
――
アロマさんのその台詞と笑顔につられて、思わず私もニヤリと笑い返していた。
「1回勝負。いいですね?」
「おーし! それじゃあ!」
『最初はグー! じゃーん、けーん!』
ぽん、で出されたのは、私がパーで、アロマさんがグー。
「あー! 負けたぁー!!」
「フフッ、甘いですね。アロマさんは最初にグーを出す確率が高すぎます」
「チェ~っだ」
アロマさんは、口では悔しさを表に出しながらも、その表情からは悔しそうな様子は見受けられず、イヒヒと笑っていた。
そんなアロマさんの表情は、実に生き生きとしたものだった。
「――本当に食べたいのでしたら、チーズケーキは譲りますよ?」
私も自然と笑みを浮かべながら、アロマさんにそう勧めたが。
「ううん、いいの。ホントは――」
先程までの表情から一変して、アロマさんは泣き笑いのような顔をしていて、私から視線を逸らした。
「――セイドと食べられたら、何だっていいんだ」
その言葉を聞いて、自分の心臓が1つ、大きく鳴ったのが聞こえたような気がした。
(今の、すっごい勇気が要った……)
私は確かに、セイドと仲直りしたかったけど、正直、こんな状況ではなんて言ったらいいか分からなかった。
それに、セイドがわざわざ隣を空けてくれたのに、何となく微妙な間隔を空けて座ってしまった。
折角ルイルイも背中を押してくれて、マーチも応援してくれてる。
ここには居ないけど、ログたんも祈ってくれてた。
セイドも、おずおずとだけど言葉をかけてくれている。
ああ、ここで私が固まってちゃダメなんだ、って、決意を振り絞って、いつものじゃんけんを仕組んだ。
セイドは、きっと分かっててノってくれた。
嬉しかった。
そしたら、私だって、いつもの私じゃなきゃ。
「セイドと食べられたら、何だっていいんだ」
グッと空気をためてから言った言葉は、なんだか私の気持ちまで変えたようだった。
スッと、肩が軽くなった。
でも、そのままだとセイドの顔は気恥ずかしくて見れなかったから、ちょっと慌ててストレージからケーキを取り出した。
「はい、チーズケーキ」
渡すのと一緒に、セイドの顔を覗き込んだ。
「あ、はい……」
セイドは何やら固まっていたけど、追求はせずに、ニッコリとだけ笑っておいた。
追求できるほど余裕もなかったし。
私はすぐに視線を逸らして、手元のバナナシフォンにフォークを突き刺して口に運んだ。
「ん~! 美味しいねぇ」
「……はい」
私のちょっと無理矢理に、けど本心からの感想を口に出した。
そして、この勢いに乗じて、今度こそ、勝手に飛び出したことを謝ろうと思った。
「あのね、セイド……」
「すみませんでした」
私が、ごめんね、って言おうとしたら。
「……え?」
私より先にセイドが謝ってしまった。
「貴女をあんなに傷つけるつもりは無かったんです。アロマさんを危ない目に遭わせたくなかったんです。それと、アロマさんには見られたくないとも思ったんです!」
セイドは、それだけを早口に捲し立てると、もそもそとケーキを食べ始めた。
恥ずかしかったのか、セイドは耳が真っ赤で、俯いたまま、黙々とケーキを咀嚼していく。
私は、謝る機会を逸してしまったので、先にセイドの話を聞くことにした。
「……セイドが、しようとしてたことの話?」
「……はい。結果として、アロマさんを深く傷つけてしまいました。すみません。自分の、エゴだったんです」
尋ねると、セイドは手を止めて、俯いたままだったけど話し始めてくれた。
「セイドは……何しようとしてたの?」
「……耐毒スキルの、スキル上げです」
セイドの告白を聞いて、合点がいった。
「それって……まさか」
「59層にある《
思った通りだった。
つい先日まで最前線だった59層には、未だに一切プレイヤーが近寄らない場所がある。
それが、今セイドの言った《黄霧の渓谷》だ。
フィールドダンジョンの形ではあるものの、渓谷全体が黄色い霧――毒霧に覆われていて、特殊なマスク系の頭防具《防毒面》が無いと、常に毒が体を蝕み続けるという、とんでもない場所だ。
受ける毒の効果もランダムで、ダメージ、麻痺、混乱、行動不能、その他諸々の状態異常が襲ってくることになる。
難点は《防毒面》の耐久値があまり高くないのに、装備した状態で毒霧を防ぎ続けている間、耐久値が減少し続けるということだ。
その仕様のシビアさに、攻略組のプレイヤーも一様にその場を避け、また、迷宮区の攻略には関わらない場所であったこともあり、未だに未踏破となっている。
発見後、誰も近寄ろうとしていないから初期の情報しかないけど、出現するモンスターも強い毒属性の攻撃を持っていて、攻略するのは迷宮区以上に難しいと言われている。
そんな場所に行こうとしていたから、セイドは私を連れていきたくなかったのだ。
「マスクを付けずに霧の中に居るだけでも、毒の蓄積が発生します。それはつまり、耐毒スキルの上昇判定が起こるということになりますから……」
「……いつ状態異常になっても良いように《解毒結晶》を片手に持って、マスクを付けずにフィールドを歩くつもりだったんだ?」
「はい……モンスターとの戦闘でも、毒属性攻撃を掠める様に受けて行けば、更にスキルが上がる可能性は高いですが……その分、危険度は増します」
セイドの無茶なスキル上げの方法をまともに聞いていたら、絶対一緒に行くと言い出していただろう。
いくらセイドでも、状態異常の時にモンスターに襲われて、罷り間違って《解毒結晶》を落とすようなことにでもなれば危険だ。
でも、だからこそセイドは、あの時私にそのことを言いたくなかったのだろう。
セイド1人なら逃げることができたとしても、私が一緒に居たら、そうもいかなくなるかもしれないから。
「……ホント……無茶なこと考えるね」
「……可能な限り安全に行えるように手は打つつもりでした……それに……」
セイドはさらに声のトーンを落として言葉を続けた。
「……その……ダメージを受けたり……状態異常に陥る姿は……あまり……格好よくないですし……」
セイドのその一言は、結構意外なものだった。
「そんなの、気にしないのに」
「私は、したんです……それが失敗でした」
「カッコいいとこだけ見せたい、ってタイプでもなさそうなんだけどな、セイドって」
「少しは、それもあったかもしれない。ということです」
「それって……ギルドのため?」
「それが半分……後は……」
セイドはそこで、言葉に詰まってしまった。
セイドの呼吸が浅く、早くなっていた。
短い沈黙が緊張に変わり、そして――
「クチッ!」
――アロマさんは、小さくクシャミをした。
「……寒いです?」
「……ん、少し」
テヘヘと笑いながら鼻の下を擦るアロマさんを見ながら、話を変えてしまった自分のことを、意気地なし、と心中で罵ってはみたものの、今更言葉を繋げることはできなかった。
「ベッドに入って下さい。風邪をひいてしまわないうちに」
「アハハ、この世界に風邪なんてあるのかな」
「念のためです」
私の無理矢理な言い訳に、アロマさんは「変なの」と言いながらも、ごそごそと布団にくるまった。
顔の半分にまで毛布をかけて「ふかふか~」と満足そうに笑っている。
私はベッドに腰掛けたまま、そんなアロマさんの額に手を当てた。
「熱は……ないですね」
SAOの世界には《風邪》などという状態異常は存在しないのだから、熱が無くて当然なのだが。
「ないよー。まったく、セイドはホントにお母さんみたいだよね」
「だから、それを言うなら、せめてお父さんでしょう」
「ボフォフォ」
口が毛布で塞がっているせいか、くぐもった笑い声しか聞こえなかったが、アロマさんは確かに、笑っていた。
ただそれだけのことが、自分にとってこんなにも安心することなのかと、今更ながら驚いた。
「でも私」
不意に、アロマさんは毛布を肩辺りにまでかけ直して口を開いた。
「お父さんって、よく分からないんだ」
「え?」
そう呟いたアロマさんは、今にも泣きだしそうな、それでも無理やり笑おうとしている、そんな顔をしていた。
私は、1つ深呼吸をして。
「リアルの話だけどね」
そう前置いて、話を始めた。
「私ね、母子家庭だったんだ。母には、父親のことは聞いたことが無いの。生きてるのか死んでるのかも、何も知らない」
セイドは、何も言わずに私の顔をまっすぐ見つめて話を聞いてくれていた。
それが確認できただけで、私は安心して話を続けることができた。
「この母親がね、酷い人だったよ……育児放棄ってやつでさ……母と一緒に居たのは、小学校に入る前までのことだけどね。母は、毎日毎日どこかに行ってた。仕事なのか遊びなのかも分からなかったけど、何日も帰って来ないことなんてざらだった。小学校に入る前の子どもをほったらかしてだよ? ご飯もロクに食べさせてもらった記憶が無いの。だから、何処かに連れて行ってもらった記憶もない」
DoRのギルドホームを飛び出して、ミュージェンの宿屋で見た夢が、この頃の記憶だった。
幼少期の、辛い記憶。
「家に帰ってきたかと思えば、私のことを
不意に、セイドが私の髪を手で
いつの間にか、私が泣いていたからだった。
そのことを自覚すると、途端に言葉がつっかえるようになってしまった。
「……私……ね……邪魔な子だったみたい」
「邪魔?」
「母は……事ある毎に……私に『邪魔なんだよ』とか……『邪魔だからどこか行ってろ』って……言ってた」
私が無意識のうちに《邪魔》と言われることに対して躍起になることの原因。
私の心に残された、母親の付けた傷跡。
「それで……邪魔という言葉に……あんなに反応するように……」
私はそれに頷くだけで返事をした。
鼻をすすってからも、言葉がこぼれていく。
「結局母は……お酒とか、他にも色々原因があったんだと……思うけど……肝臓を壊して……入院して……『お前が居なかったら、もっと幸せになれたのに』って言い残して…………死んじゃった」
私の視界は、もう涙でぐちゃぐちゃになってて、ロクに何も見えなくなっていた。
「その後は……運良く……凄くいいお爺ちゃんとお婆ちゃんに……引き取ってもらえたの。おかげで……性格もあんまり歪まずに育った……と思うんだけど……どうしても、ね」
ここまでの話は、現実世界でも、一生付き合っていけると信じている親友になら、話したことがある。
でも、この先を話すのは――いや、言葉にするのは、これが初めてだ。
それでも私はもう、言葉にせずにはいられなくなっていた。
「私……私ね……お母さんと一緒なら……あっちに……連れて行かれても良かったのに……最期まで……邪魔だって……言われて……連れてって……くれなかった……」
「アロマさん……」
嗚咽が漏れなかったのが奇跡的なほどに涙が零れていた。
涙を溢れさせながらも、その瞳は虚ろで、過去を語るアロマさんがどこかに消えてしまうのではないかと思えた。
「お前は……そのままそこで……苦しんでいろって……言われた気がして……」
その言葉を最後に、アロマさんは瞳を閉じ、堪えきれなくなった嗚咽が、喉の奥から漏れてきた。
私は思わず、アロマさんの顔を自分の胸に押し付けるようにして、抱き締めていた。
「貴女のお母さんに、1つだけ感謝しなくてはなりません」
「え……?」
「貴女を、連れて行かなかったことです」
「……セイド」
「これからは、私がアロマさんの傍にいます。私はもう、貴方の事を邪魔だなんて絶対に言いません。だから……ですから――」
ここから先が、上手く言葉にならなかった。
笑って欲しい。
死ぬなんて考えないで欲しい。
自分を
色んな言葉が
でも、そんな中で出てきた言葉だからこそ、私が1番言いたかった言葉なのかもしれない。
「――私の傍に、居て下さい」
「…………うん」
私の腕に、アロマさんもそっと手を添え、そう答えてくれた。
セイドの腕の中は、とても心地よかった。
不安も、悲しみも、あたたかい闇の中へ溶けていく。
「……ありがとう、セイド」
でも、少しだけ。
もう少しだけ、今だけ。
私は、セイドの胸で泣いた。
「私も、両親と一緒の時間が少ない生い立ちなんです」
アロマさんが泣き止むのを待って、私も軽くだが、自分の身の上話をすることにした。
「ふうん……」
アロマさんは、毛布の中。
私は毛布の上ではあったけれど、アロマさんの隣で肘をついて寝転んでいた。
お互い、顔を見合わせて話をしているのだが、もう緊張は無かった。
「小学校入学直前のことです。私の両親は事故で他界してしまいした。私を最初に引き取ってくれたのは、母の姉に当たる伯母夫妻でした。マーチとルイさんに出会ったのもその頃です。特にマーチには、本当にお世話になりました」
「その頃からの付き合いなんだ。長いね」
「はい。両親のことなども分かっていて、付き合ってくれています」
アロマさんの燃えるような赤い、サラサラとした長い髪を弄びながら、私もポツポツと昔話を始めた。
「伯母夫妻には、私以外に子供が3人いて、生活には余裕がありませんでした。それでも、私が小学校を卒業するまでは、面倒を見てくれていました。しかし私は、中学校に入学する前に……言い方は悪いですが、追い出されるようにして、伯母の家を出ざるを得なくなりました。その後は、懇意にしてくれていたマーチの家が、親戚のいない私を引き取ってくれたんです。本当に、マーチの家族には、頭が上がりません」
「……マーチって、すごくいい人なんだ……ちょっと信じられないかも……」
アロマさんのその台詞に、私は不覚にも、少し笑ってしまった。
「フフ……それでも私は、義務教育が終わって、高校に入学する時には、1人暮らしを始めました。いつまでも御厄介になっているわけにはいきませんからね。バイトをいくつもしながら、マーチの家と伯母の家に少しずつお金を返していくために、必死でしたよ」
「そうなんだ……セイドも……凄いよ……1人暮らしってだけだって、楽じゃないのに」
「毎日がギリギリでしたけど、だからこそ、生き甲斐も感じられました。1人暮らしをすることにして、良かったと思ってます……まあ、そんなわけで、私も父や母との思い出というのは、あまり多くないんですよ」
何が言いたかったのかを、ちゃんと伝えると、アロマさんもそれが分かったようだった。
「似てるね」
「似てますね」
ふふふ、とアロマさんは忍び笑いをし、仰向けになった。
「またセイドのこと、ちょっと知っちゃった」
「何で笑うんですか、まったく」
アロマさんは、またちょっと笑うと、私の方へと身体を向け直して、目を閉じ、そのまま深く一呼吸した。
「セイドとこんな話をする時って、いつもベッドの上だね」
「そう……ですね」
そう言ったアロマさんは、まだ目を閉じたままだった。
ベッドの上、という言葉に妙な緊張を覚え、髪を撫でる手が、少しだけぎこちなくなる。
「ちょっとずつだけど、なんか嬉しい」
それでもアロマさんは、目を閉じたままだ。
気のせいか、その顔が少し上向きになっているような気がする。
(……これは、もしや……そういうこと、なのだろうか……?)
妙に手が汗ばむような錯覚を感じつつ、滑稽なほど目が泳いでしまう。
「……アロマ、さん?」
しばらくの沈黙の後。
おそるおそる声をかけるが、返事はない。
目も閉じられたまま、静かに呼吸する音が聞こえる。
アロマさんのそれとは反比例して、自分の鼓動はだんだんと早くなる一方だった。
(いい……のかな?)
髪を撫でる手を止め、彼女の顔にそっと近づいていく。
長い
形のよい眉に、赤い髪がさらりとかかっており、ふっくらとした唇は、まるで花の
口元が、ほんの少しだけ、緩く開き。
私が大きく、固唾を呑んだところで――
「スー……」
――アロマさんから、静かな吐息、というか、寝息が漏れた。
(……寝てる……)
私は思わず、大きく、しかし静かにため息をついて、脱力した。
ちょっと、ほっとしたのも否めない。
そして、誰が見ていたわけでもないのに、1人で赤面して、手のひらの汗を拭う様に何度も服にこすり付けた。
(我ながら、中学生のようで……うう……ナサケナイ……)
その後、私も極度の緊張から解放された反動の為か、アロマさんの隣で寝こけてしまった。
その現場を見たマーチとルイさんに、その後1週間にわたってからかわれ続けたのは、余談にしておこう。
アロマがギルドに復帰してから数日後。
昼飯を食い終えた俺たちは一旦それぞれの部屋へと戻り、午後の狩りに備えるのが日課になっている。
しかし、その日のセイドは、午前かソワソワとしていて何となく落ち着きが無かった。
それだけならまだ何も言わなかったが、飯を食い終わった後、セイドが自分の部屋から出てくるなり、廊下でラジオ体操をし始めたのを見た俺は、流石に問い質さずにはいられなくなった。
「おいセイド? お前、なんで廊下でラジオ体操してんだよ?」
半ば呆れつつ聞いた俺に対して、セイドは妙に真剣な表情をしていた。
「マーチですか……いえ、こういうのは、中々緊張するものですね……」
「こういうの?」
「いずれ分かることですから、マーチには先に話しておきます。アロマさんに、プ……プロポーズ、しようかと思っています」
「ブフォッ?!」
思わず噴き出していた。
今が食事中でなかったことだけが幸いだった。
「……何故笑うんですか」
「いやまて落ち着け。俺は笑ってはいない。そしてお前は落ち着け!」
「私は落ち着いています」
そう答えたセイドは、流石にラジオ体操を止め、俺を真っ直ぐに見据えていた。
「いやな、どーしてプロポーズなんてことになったんだ? 詳しく聞かせろ」
「はあ……マーチ達に部屋に押し込められた後、2人で話しまして……お互い、離れて生きていくことはできそうにないと、そういう話になりました。私には、アロマさんが必要ですし、アロマさんには私が必要だと、そう確認しあったんです」
「……内容は合っていそうなのに、解釈に多大な飛躍が含まれていそうな気がするのは俺だけか?」
「マーチだけでしょう」
「……どうしてそんなに自信満々に言い切れるんだ?」
「私たちが。分かり合ったからです」
「……ってかお前、女と付き合ったことはねえよな?!」
「ありません、知ってるでしょう」
「……そうかそうだよな……それを確認できて、俺は素晴らしく不安になってきたぞ!」
「全く……何を心配しているんですか。指輪だって最高級の物を用意しました。きっと彼女も気に入ってくれます」
「行動が速いなお前……てか、そんなもん用意する前にすることがあると思うんだが……」
「式場の予約などはプロポーズの後でしょう? 先にすることというと……何ですか?」
「ていうか! まず付き合ってからだろ! プロポーズなんざ!」
「交際の先には結婚があります。将来を見据えた関係を築くには、まず先を見据えた関係であることを、お互いが意識し合うべきです」
「ああああああ……」
どう言ったとしても効果がなさそうで、俺は思わず頭を抱えて呻いていた。
このままでは、話は平行線だろう。
ここまで思い込むセイドも珍しい。
よっぽどアロマのことを気に入ってしまったか。
雰囲気で言った一言に対する妙な責任感に突き動かされているかのどちらかだろう。
賭けなら絶対後者に賭ける。
そして丸儲けだ。
だが。
だがしかし、ここでこいつにアホなことをさせるわけにはいかない。
今後のギルド運営が成り立たなくなる可能性が大いにあるからだ。
ここでこいつを機能不全に追いやるわけにはいかない、絶対に、何が何でもだ。
「……わかった。じゃあ、俺がちょっと聞いてきてやる!」
「ん? 何をですか?」
「アロマに、今すぐ結婚したいかどうかだよ」
「余計なことをしないでくだ――」
セイドが止めるが、俺は全く気に留めず、先に階下に下りていたアロマに声を掛けた。
「おーい、アロマ!」
「んあ~? なんだぃ、マーチ!」
何やら喚きそうだったセイドの口は、首を絞める様にして塞いでいる。
「お前、今すぐ結婚したいか!」
「何よ、藪から棒に。おっと、知性が溢れちまった。マーチには分からない言葉だろうに!」
余計な一言を挟まずには会話ができないのがアロマだが、この緊急時だ。
あまり取り合わずに話を先に勧めることに専念する。
「分かるわアホぅ。んで、どうなんだ? したいのか? したくないのか?」
「ん~……マーチのアイス食べていいなら答える」
今ギルドストレージに入っている俺の分のアイスは、ルイが丹精込めて作り上げた、まさに芸術と呼ぶに相応しい、至高の1品だ。
(っく……このアマ!……いや……しかし、今は仕方ない……)
一瞬の逡巡を表に出すことなく、俺は可能な限りにこやかに答えてやった。
「おう、いいぞ」
「え、マジで!? ひゃっはー!!」
アロマは嬉々としてギルドストレージから俺の分のアイスを取り出し、遠慮会釈もなしに貪っていく。
(くぅ……俺のアイス……!)
「んまいんまい」
俺の目に見えない涙など知る由も無く、アロマはバクバクとアイスを喰らっていく。
「んで!! 質問に答えろよ!」
「んあぁ、結婚だよね? 今のところ、この生活が気に入っているからなぁ、結婚なんてまだしなくても良いよー」
「ほう、まだでいいか」
「うむ。じっくり彼氏彼女を楽しんで、その先に結婚できたらいいな、くらいかなぁ」
「交際の先には結婚があるんだろ?」
「ふふん。そんなことは分からないよマーチ君。付き合ってみてダメなら、別れた方が幸せなこともあるんじゃないのかね?」
どこの
「なるほどなぁ……」
俺はアロマとの会話を進めながら、セイドの様子を確認していた。
するとセイドは、ものの見事に固まっていた。
プロポーズ云々という話が、自分の早とちりだと、理解できたのだろう。
悪い事をしたかとも思ったが、いきなりプロポーズして断られるよりは遥かにマシな結果だろう。
「……おーい、セイド、息しろ、息」
暴れなくなったセイドを放してやると、セイドは『崩れ落ちるとはこういう事だ』という見本になるような、崩れ落ち方をしてみせた。
「……決死の……覚悟で……指輪も……」
「決死で結婚しようとすんなよ……」
俺はそう言いながら、セイドの肩をポンポンと叩いた後、右手をセイドの前に突き出した。
「…………何ですか?」
「アイス代よこせ」
そう言った俺に、セイドは泣きながら掴みかかって来たのだった。
俺とセイドが、どったんばったん取っ組み合いをしていたせいで、最後の最後にアロマが付け足した言葉は、俺にもセイドにも聞こえなかった。
「でも、セイ――あ~いや……言う人によっては、考えなくもないよ……って! 聞いてないし!」
長くなりましたが、第四章もこれにて終幕となります。
今回に関しては、どうしても15~16幕まで行きたいと思っていたもので……長くなってしまいましたが、如何でしたでしょうか?(-_-;)
セイドたちも攻略層が60層となっております。
SAOの最終攻略が75層なので、彼らの物語の終着点も見えてきました。
更新の遅さゆえ、まだまだ終わらないのですが、これからもお付き合いいただければ、嬉しい限りです m(_ _)m