ソードアート・オンライン ~逆位置の死神~   作:静波

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第二幕・ゲームの終わりと始まり

 

 連携もある程度練習でき、更に1時間が経った頃には、もうすぐレベルアップできるというところまで3人とも来ていた。

 

 マーチやルイさんに比べると、わずかに私が先んじていたはずの経験値だったが、経験値獲得量は敵に与えたダメージ量に比例するシステムのため、全体的な攻撃力の低い攻撃スキルのない私は、すぐに2人に追いつかれ、おそらくすでに越されているだろう。

 

「でも~、ほんと綺麗な夕焼けだねぇ」

 

 気が付けば2時間もの間、休みなしに狩り続けていたこともあり、私たちは一休みすることにし、夕焼けの綺麗な草原の中腹に腰を下ろしていた。

 

「だろ? この世界に来なかったら、こんなVRゲーム他になかったもんな」

「だねぇ。他のはまだ、ぜ~んぜんナーヴギアの本領を活かせてないようなのばっかりだったもんね~。や~、ちょっと無理してでもナーヴギア買っといてよかったって、やっと思えたよ~」

「確かに、ここがゲームの世界だなんて、信じがたいほどに美しい世界ですよね」

 

 現実には存在しえない美しさ故に、ここがVRだとは思えるのだが、リアリティがありすぎて現実が貧相に感じられる……といったら言い過ぎだろうか。

 

「そうそう、戦闘ばっかで忘れてたが、2つ目のスキルスロット、お前らどうするよ?」

 

 マーチが唐突に、しかし目を輝かせながら聞いてきた。

 

「どうする、とは?」

「こんだけスキルが膨大にあるんだ。何を選ぶか迷うだろ? 戦闘メインなら《索敵》や《隠蔽》なんてのもあるが、生産系・日常系のスキルも多いだろ。スキルに悩むのもSAOの醍醐味だと思うんだよ!」

「アハハ、マーチん、鼻息荒いってば~。マーチんはどーするの~?」

「俺はまだ決めてねぇ。だから聞いた」

「って、それはズルくないですか?」

 そんな話から、2つ目のスキルについてあーでもないこーでもない、それはどうなんだなどなど、とりとめのない話を続けていた時。

 

 ──リンゴーン、リンゴーン――

 

 突然、巨大な鐘の音が響き渡り、私達3人は一斉に立ち上がった。

 

「な、なん……ですか?」

「びっくりしたぁ~、なにこれ、何の音? マーチん?」

「いや、俺も初めて聞いた。なんだこれ」

 

 と、私達が口にした直後、3人の体が、鮮やかなブルーの光に包まれた。

 その青い光の膜の向こうで、草原の風景がみるみる薄れ、次の瞬間、体を包んだ光が一際強く輝き、私の視界を奪った。

 

 思わず目を瞑り、数瞬の後に目を開いた時には、全く別の風景が広がっていた。

 

 広大な石畳に、瀟洒(しょうしゃ)な中世風の街並み。そして奥に見えるのは黒光りする宮殿。

 

「ここは……スタート地点の……」

「あぁ、間違いない。《はじまりの街》だ」

 

 その声に気が付いて隣を見やると、マーチとルイさんが寄り添うように立っていた。

 

「びっくりしたぁ~」

 

 ルイさんは思わず掴んでいたマーチの腕を恥ずかしそうに離した。

 

「先ほどの光は、もしや」

「βでも何度も世話になった《転移》のエフェクトだ。だが、なぜ突然……それに何のアナウンスもなしに……」

「しかも……これはおそらく……」

 

 言いながら私たちは周囲を見やる。

 私達だけではなく、おそらくSAOにログインしていた全てのプレイヤーがここに転移させられてきたのだろう。

 スタート地点となる《はじまりの街》の中央広場は人で埋め尽くされていた。

 

「……それに……どうやらこの広場からは出られないみたいですね……」

 

 私たちが転移させられてきたのは広場の外周だった。

 私の位置から2歩も進めば外に出られる位置──しかし、それを試みて、見えない壁に阻まれた。

 

 一体何があったというのだろうか。

 プレイヤー全員をここに転移させるなどということは、間違いなく運営側の仕業だろうが、しかし何故、という疑問が残る。

 

「……なぁ……さっき周りの奴らが言ってたんだが……『これでログアウトできるのか?』って、どういう意味だと思う?」

「えっ?」

 

 マーチが聞いたその言葉を、ルイさんは呆然と聞き、私は聞いてすぐ、メインメニュー画面を呼び出した。

 

「……な、ない……ログアウトボタンが無い……」

「えぇええ?! うそぉぉ?!」

 

 ルイさんも、慌てて確認し、マーチも急ぎ確認する。

 

「ない……な……確かに無い……そうか、それでみんな騒いでんのか……」

「ちょっと……これ、もしかしてログアウト方法が無いんじゃ……」

「……俺の知る限り、無いな……ログアウトにはメニュー操作以外の方法は……緊急切断方法もマニュアルにも載ってなかったはずだ……」

「ちょ、ちょっと困るよそれは~! 洗濯物も干しっぱなしなのに~!」

「……あ~……うん、そうだけど……今ここでそれを心配しなくてもいいんじゃないか?」

「マーチんはノータッチかもだけど! 洗濯したりするの、私なんだからね~!」

「はい……すんません……」

 

 ログアウト不可という状況でも、2人の夫婦漫才は健在だった。

 

「あっ……上を見ろ!!」

 

 誰かがそう言ったのが聞こえた。

 その声に、反射的に上を見ると、そこには奇妙なものがあった。

 

 上空――といっても、上には第2層の底があるわけだが、その底を真紅の市松模様が埋め尽くしていく。

 

 模様には【Warning】【System Announcement】という単語が交互に表示されていた。

 

「システムアナウンス……この事態の説明がされるってところか」

 

 マーチの言葉に、ルイさんが肩の力を抜いたのが見えた。

 

 しかし、私はそう楽観視できなかった。

 続いた現象が、私の勘が間違っていなかったことを証明した。

 上空を染め上げた真紅の市松模様の間から、大量の血液を連想させる真っ赤な液体が、ドロリと垂れ下がってきたからだ。

 

 雫は高い粘度を感じさせるゆったりした動きで垂れてきて、しかし落下せず、空中でまとまると、徐々にその形を変えていった。

 そこに現れたのは、身長にすれば20メートルを超すのではないかと思える、真紅のフード付きローブをまとった巨人の姿だった。

 しかし、その巨人は、私たちを見下ろしているにもかかわらず、その顔が見えなかった。

 

 ──顔が、なかったのだ。

 

 フードの下には空洞があるだけで、人の顔は無く、よく見れば、ローブの隙間に人の体は存在していない。

 まるでローブの幽霊──そんなものがゲームマスター、GMだと、私は思いたくなかった。

 

「GMのローブ……でも、なんで顔も体もねーんだよ……」

「怖いよ、マーチん……」

 

 マーチの言葉で、あれがGMの衣装だということは確認できた。

 だが、それがさらに言い知れぬ不安を煽った。

 

 他のプレイヤーたちも同様だったのだろう、不安や疑問の言葉を口にせずにはいられずに、ざわめきが沸き起こる。

 と、それらの声を抑えるかのように、不意に巨大なローブが動いた。

 右手と左手を掲げるように、1万近いプレイヤーの頭上で広げ。

 

 

『プレイヤーの諸君、私の世界へようこそ』

 

 

 という、低くて落ち着いた男の声が降り注いだ。

 

 『私の世界』とあのローブは言った。

 確かにあれがGMであるのならそう言っても過言ではないのだろうが……。

 そして、私は今のローブの声に聞き覚えがあった。

 それが誰だったのか思い出す前に、答えがもたらされる。

 

 

『私の名前は茅場(かやば)晶彦(あきひこ)。今やこの世界をコントロールできる唯一の人間だ』

 

 

「か……茅場……」

 

 そうだ、この声は。

 茅場晶彦──若き天才ゲームデザイナーにして量子物理学者であり、SAO開発ディレクターであるとともに、ナーヴギアの基礎設計者。

 

 おそらくこの場にいる誰もが知っている名前だった。

 そして、私にとっては、人生を変えたと言っても過言ではない男だ。

 

 しかし、そこで私は疑問を抱いた。

 先ほどの声は間違いなく茅場晶彦本人だったと思えるが、彼はこれまで、裏方に徹し、表に出てくることは非常に少なかった。もちろんGMなんていう役回りもしたことは無いはずなのだが。

 

 私の考えがまとまるよりも早く、顔のないフードから言葉が発せられる。

 

『プレイヤー諸君は、すでにメインメニューからログアウトボタンが消滅していることに気付いていると思う。しかし、これはゲームの不具合ではない。繰り返す。これは不具合ではなく、《ソードアート・オンライン》本来の仕様である』

 

「仕様……ばかな……」

 

 マーチが、いや、大勢のプレイヤーが掠れた声で呟いたのが広場に響いた。

 

『諸君は自発的にログアウトすることはできない。また、外部の人間の手による、ナーヴギアの停止あるいは解除もあり得ない。もしそれが試みられた場合、ナーヴギアの信号素子が発する高出力マイクロウェーブが、諸君の脳を破壊し、生命活動を停止させる』

 

 ──は?!

 今、茅場は何を言った?

 マイクロウェーブで脳を破壊?

 

「え……え? 何……どういうこと?」

 

 あまりのことに、ルイさんはすぐには理解できず、マーチも言葉を失っている。

 だが、そんなことが本当に可能なのか?

 

『残念ながら現時点で、プレイヤーの家族友人等が警告を無視し、ナーヴギアを強制的に解除しようと試みた例が少なからずあり、その結果、213名のプレイヤーが、アインクラッド及び現実世界からも永久退場している』

 

 冗談……などではなく……本当の話だというのだろうか?

 

「ばかな……そんなことができるような機能がナーヴギアにあるなんて考えられるか! ただのゲーム機械だぞ!」

「いや、マーチ、ナーヴギアの原理的にはあり得なくない……それに大容量のバッテリーも内蔵されている……不可能じゃない……」

「でも信じられるわけがねぇだろ! 実際に誰か死んだところを見たわけじゃ──」

 

 マーチのその言葉を裏付けるかのごとく。

 私たちの『これはイベントだ』というわずかな望みをあざ笑うかのように。

 茅場は事務的に言葉を続けた。

 

『ご覧の通り、多数の死者が出たことを含め、この状況をあらゆるメディアが繰り返し報道している。よって、すでにナーヴギアが強制的に解除される危険は低くなっていると言ってよかろう。諸君らは、安心してゲーム攻略に励んでほしい』

 

 茅場の周りには、実際に報道されているであろう映像がいくつもいくつも浮かび上がった。

 そこには、紛れもなく死者が出たことを告げる報道が繰り返されていた。

 

「そ……んな……バカな……」

「い……い……ゃ……ぃゃぁ……」

 

 ルイさんは顔を青ざめさせ、マーチにしがみ付いて居なければ立ってすらいられない様子だった。

 

『しかし、充分に留意してもらいたい。今後、ゲームにおいて、あらゆる蘇生手段は機能しない。ヒットポイントがゼロになった瞬間、諸君らのアバターは永久に消滅し、同時に』

 

 

『諸君らの脳は、ナーヴギアによって破壊される』

 

 

 この時、私は、間違いなく呼吸ができていなかっただろう。

 MMORPGというのは、何度も何度も勝ったり負けたり──直接的に言えば、何度も死んで、復活してを繰り返すことで成長していくゲームだ。

 

 なのに、それは不可能だと茅場は言いきった。

 

 1度死ねば、それが本当の死……。

 命を懸けた、デスゲーム。

 そんな状況でゲーム攻略に励め?

 あり得ない……誰も街の外に出ないに決まっている。

 そんなプレイヤー共通の認識を嘲笑うかのように、茅場はアナウンスを続ける。

 

『諸君らが解放される条件はただ一つ。このゲームをクリアすればよい。現在、君たちが居るのはアインクラッドの最下層、第1層である。各フロアの迷宮区を攻略しフロアボスを倒せば上の階に進める。第100層にいる最終ボスを倒せばクリアだ』

 

 クリア……100層?

 

「マ、マーチ……βの時はどこまで進めたんですか?」

「2ヶ月で……6層……」

「なっ!」

 

 それだけ……たったそれだけ……?

 

「βテスターは千人……今、その10倍の人数が居るとしても……単純計算で100層までクリアするのにどれだけかかるか……」

 

 いや、そんなに単純じゃない。

 自分で呟いておきながら自分でその考えを否定する。

 プレイヤーの数は、茅場の言葉が事実なら……この先、間違いなく減っていく……恐ろしいことだが、私はそのことを冷静に受け入れて考えていた。

 私たちが茅場の言葉の真偽を疑い、判断に迷っているのを意にも解さぬように、茅場の声はなおも降り注ぐ。

 

『それでは最後に。諸君のアイテムストレージに私からのプレゼントが用意してある。確認してくれたまえ』

 

 その言葉に、私は──いや、ほとんどのプレイヤーが反射的に、アイテムメニューを開いていた。

 そこにあったのは《手鏡》という、見知らぬアイテム名。

 

 なんだというのだろう、このアイテムが。

 訝しみながら、手鏡を選択。

 たちまち手の中に小さな四角い鏡が出現した。

 

 そこに映るのは、私が作ったアバターの顔だけ。他に変わったところは無い。

 マーチやルイさんも、同様に鏡をのぞいていた。

 

 ──と。

 

 突然マーチやルイさん、周囲にいた人たちのアバターが白い光に包まれた。

 いや、私自身もその例外ではなく、視界がホワイトアウトした。

 ほんの2~3秒で光は消え、元の広場の風景が……。

 

 いや、風景は変わっていなかったが、大きく変化していたところがある。

 アバターだ。

 目の前にいたマーチとルイさんのアバターは、見慣れた2人の姿に変化していた。

 

「マ、マーチ? ルイさん?」

 

 マーチもルイさんも、髪の色・形こそ変わっていないが、顔や背丈、体格が違っていた。

 マーチもルイさんも、現実よりもアバターの方が背を高く作っていた。

 

 特にマーチは随分高めにキャラメイクしていた。

 それが今は、ルイさんより頭1つ高い程度に落ちている。

 男性の身長としては低めで、彼が最も気にしているところだ。

 

 ルイさんも、先ほどまでのアバターは大人びた印象を受けたが、今は、現実と同じく、実年齢よりはるかに下に見られる可愛らしい童顔になっていた。

 

「セ……セイド……? マジかよ、なんでリアルの顔になってんだよ?!」

「か……顔だけじゃないよ……セイちゃんもマーチんも……身長も体格も、リアルになってる……」

「げぇえ!!」

 

 まさか、リアルの顔や体格を、アバターに反映した?!

 

「なんでこんなことできるんだよ!!」

「……顔は……ナーヴギアが覆っているから、スキャンできないことは無いでしょうけど……体格は……」

「……ある……体格のデータもあるぜ……ナーヴギアの初期セットアップで、キャリブレーションってことで、体のあちこちを触らされてる……」

「ありましたね……体表面感覚の再現作業……確かにそのデータがあれば、これだけの再現率でアバターに反映できる……」

「でも……なんで?! なんでわざわざこんなことまでするの?! わけわかんないよ!!」

 

 ルイさんの叫びは、もっともだった。

 

「……この世界も現実だと……認識させるため……おそらくそれが、わざわざアバターにリアルを反映させた理由でしょうか……」

「いや、それもだが……なんで茅場はこんなことを……!」

「それは……」

 

 私が応えに窮していると、上空の茅場からその答えがもたらされた。

 

『諸君は今、何故、と思っているだろう。何故SAO及びナーヴギア開発者の茅場晶彦はこんなことをしたのか、と。私の目的はすでに達せられている。この世界を創り出し、観賞するためにのみ、私はSAOを造った』

 

 その茅場の言葉を聞いて、私は唖然とした。

 それでは、茅場の目的は──

 

『そして今、全ては達成せしめられた』

 

 この状況を作り出すことだけだった……ということになる……。

 

『以上で《ソードアート・オンライン》正式サービスのチュートリアルを終了する。プレイヤー諸君の健闘を祈る』

 

 その言葉を最後に、巨大なGMのローブも、煙のように空を埋めるシステムメッセージに溶け込むように同化して──第2層の底に張り巡らされていたメッセージも、消滅した。

 すると、周囲に市街地のBGMが戻り、《はじまりの街》の中央広場は、本来の姿を取り戻した。

 

 そしてこの時点に至って、1万近いプレイヤーが、一斉に然るべき反応を見せた。

 

「嘘だろ……なんだよこれ、嘘だろ!」「ふざけるなよ! 出せ! ここから出せよ!」「こんなの困る! このあと約束があるのよ!」「嫌ああ! 帰して! 帰してよおおお!」

 

 圧倒的なボリュームで放たれる多重の音声──悲鳴、怒号、絶叫、罵声、懇願、そして咆哮。それらが1万人のプレイヤーたちから放たれ、広場の空気をビリビリと振動させたように感じた。

 

「ありえねぇ……あり得ねぇだろこんなの! 茅場ぁ! でてこいよおおお!」

 

 マーチも、耐え切れず罵声を吐き出し、しかしその横で。

 

「いゃぁ……いやああ……嫌ああああ! 帰りたい! 嘘だって言ってえええ!」

 

 悲鳴と絶叫を上げ、頭を抱えながら、ルイさんが泣き崩れた。

 

「マーチ! すぐにここを離れましょう! 私はどこかの宿屋に部屋を取ってきます!」

「あぁ?! テメ! 何言ってやが──」

「今! ルイさんをここに置いておくのは危険です! 彼女のことを考えるなら、すぐに離れた方がいい!」

 

 私はマーチの言葉を遮って、言い切る。

 

「マーチ! ここで叫んでいても変わらない! まず落ち着くべきだ! 違うか!!」

「っ! あ……あぁ、そうだな……すまん……」

「マーチはルイさんをお願いします。私は部屋の確保に。すぐメッセージを飛ばします」

 

 私とマーチは、あまりの事態に恐慌状態に陥ったルイさんを抱きかかえ、すぐに広場を離れた。

 他の人も助けるなどという余裕は、私にもありはしなかった。

 

 

 


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