『とりあえず、今日のところは休みましょう。話はまた明日に』
というセイドの言葉に、私は渋々したがい、第11層主街区《タフト》の宿屋で眠りに落ち、目が覚めたのは――昼の12時過ぎだった。
この宿屋の部屋に入った段階で午前4時半を少し回っていたはずだが、まさか7時間以上も寝てしまうとは。
(アラームで9時に起きたはずなのに!)
完璧に2度寝したらしい。
これではセイドに逃げられているのでは、と大慌てで部屋を飛び出し宿屋1階に設けられている食堂に飛び込むと――
「あぁ、お目覚めになったようですね。おはようございます、アロマさん」
そこには、何事もなく普通に食事をしているセイドの姿と、一緒のテーブルで食事をしている1組の男女の姿があった。
「おはようって時間じゃねーだろ? もう昼だぜ?」
「マーチん。事情はセイちゃんから聞いたでしょ~? 疲れてたんだろうから、そ~いうこと言わないの~」
「そうですよ、マーチ。時間を決めて話す予定でもなかったんですから、何時だろうと、それを責めるのはお門違いです」
「へいへい」
そういって肩をすくめた銀髪は、私を見て、間違いなくニヤリとしていた。
(分かってて言ってるな、あれ!)
「アロマさん、とりあえずこちらにどうぞ。私の仲間も紹介しますよ」
「あー、うん、んじゃ失礼しまっす」
私はセイドに促されて、セイドの隣に座った。
「まず、こちらの銀髪がマーチです。口は悪いですが、根は良いやつなので許してやって下さい」
「マーチだ。よ・ろ・し・く!」
「よ・ろ・し・く!」
片手を上げてニヤリと笑う銀髪バンダナ男――マーチに、私も同じように片手を上げてニヤリと返す。
「マーチの隣に居られるのが、ルイさんです」
「ルイです~。よろしくね~ロマたん♪」
「よろしく~ルイルイ~♪」
腰まで届く金髪をオールバックにしている美少女――ルイちゃんは、私のことを、初対面にもかかわらず『ロマたん』と気さくに呼んでくれた。
この子とは気軽に付き合えそうだと、私も彼女のことを『ルイルイ』と呼ぶことにした。
「ちなみに、2人とはリアルでの幼馴染で、同じ大学に通う仲間です。さらに言えば、マーチとルイさんは婚約者同士です」
と言われた瞬間、マーチは口に付けていたコーヒーで盛大に咽た。
吹き出さなかっただけましだろうが、かなり苦しそうだった。
「ちょ、セイちゃん?! 婚約とかそんな話にはまだなってないよ?!」
セイドも、何故初対面の私などにリアルの話をしたのか、その真意は定かではないが、分かったことは1つ。
(え、なに、ってことは、ルイルイって私より年上?! うわ! 詐欺だ!)
口に出さなかったのは奇跡に近かったが、どう見ても私と同じかそれより下にしか見えない顔つきで、20歳とか、世の中って不公平だとつくづく思い知らされた。
「でも、こちらでは《結婚》しているじゃないですか。なら、こちらから帰ってもそういう話になるのは当然でしょう?」
「ゲッホゲホッ!――そりゃ、こっちでの《結婚》は簡単だからだろ! マジでするってなると簡単じゃねーんだよ! できるんならしてるわ!」
この話にも驚いた。
この世界での結婚は、詐欺や裏切りが多いため、どんなに仲が良いプレイヤーであっても、なかなか行われないと聞いていたからだ。
まさかそんな稀有なプレイヤーが目の前に現れる日が来るとは思いもしなかった。
「え。マーチん、それホント?」
「ん? え? あっ! いや、今のは勢いっていうか、言葉のあやっていうか」
「……ふ~ん……」
「いやいやいやいや! ちょ、ルイ! 考えてないわけじゃなくて、大学卒業したらとか、金が貯まったらって意味で――」
何やら2人の世界の会話に突入しつつあるマーチとルイルイを見ながら、セイドはくつくつと笑っていた。
(こういう展開になるのを分かってて、さっきの発言したな……こいつ……)
私はしばらく話が進みそうもない2人をよそに、セイドに気になっていたことを尋ねた。
「で、聞きたいことがいーっぱいあるんだけど、説明してもらえるんだよねぇ?」
私は隣に座るセイドに向かって、テーブルに肘をつき、頬杖をついた状態で睨みつけた。。
「えぇ、答えられることなら。それに、私としても、アロマさんには言わなければならないことがたくさんありますから、そのつもりで」
コーヒーをキザっぽく1口飲むセイドの態度に、ややムッとしながらも、私から質問できるという状況に免じて許してやることにした。
「ふむ。んじゃまぁ、私から」
「どうぞ」
私は1口水を飲んでからセイドに向きなおす。
「あんたのあの回避能力。あれは尋常じゃない。私の行動まで把握してたよね。あれは何?」
「ん~、単刀直入ですねぇ。それを私が教えると思ってたんですか?」
「教えてくれないなら、とっくに逃げてるでしょ?」
私がそう言うと、セイドは何か、教師が生徒に向けるような眼差しを私に向けた。
「……では、アロマさんは、私の《アレ》を何だと思いましたか?」
答えをはぐらかすつもりはないようだが、まずは私の見解を聞こうという算段らしい。
それならそれで、私の推測を聞かせてやる。
「あり得ない話だと思ってたけど、思いついたのはシステム外スキルの中でも1番胡散臭い《
《超感覚》の話は、ことゲーム世界であるSAOにおいては、オカルトでしかないと思っていた話だが、《殺気に気付く》という技術、を指すらしい。
けれど、そもそもゲームの世界において、殺気などというものが情報化されるわけがない。
そんな、技術ともいえないような代物が、オカルト話でなくてなんだというのだろう。
「アハハ。《超感覚》ですか。それはまた、突飛な発想ですね」
「ん、私もそう思う。そもそも《超感覚》って、一瞬嫌な予感がした~って程度の話よね。なのにあんたのアレは、見えない位置にいた私に的確に指示をしてたし」
「基本的に、《先読み》と《索敵》を合わせれば、可能ですよ。前衛が戦闘中に《隠蔽》するのは無理ですし」
「ふ~ん、《索敵》のスキルが、そんなに正確に人の挙動まで教えてくれるんだったら、私も同じようなことができるんだけど?」
「アロマさん、ご自分で仰ってたじゃないですか。《聴音》と《見切り》も合わせれば、できる人にはできると思います」
「そうね。一瞬あんたの真似をするくらいはできるかもしれない。でも。1時間近い戦闘でそれを維持できるなんて、ないわ。あり得ない。断言しても良い」
「ふふ……なら、アロマさんの中で、答えは出ているのでは?」
「《超感覚》はオカルト、だとするなら。あんたは特殊な、それもシステムに裏付けされたスキル――エクストラスキルを手に入れることに成功した。そういうことじゃない?」
私の予想を話すと、セイドは静かにコーヒーを1口飲み、そのカップをテーブルに置いた。
笑みを絶やさぬままに、私を見つめなおす。
「進んで口外するつもりはありませんし、詳細を話すつもりもありませんが、アロマさんの仰った通りです。私は皆さんが見つけていないスキルを見つけることに成功し、その効果によって、あの結果を出しました」
「やっぱり! そのスキルの名前は? 出し方は?」
「教えません」
「何でよ! 情報は共有するべきものでしょ? あんたの持ってる、そのスキルが知れ渡れば、戦闘での死者はほぼ間違いなく出なくなるわ」
「と、同時に、大いに悪用されます。私以外にも何人かこのスキルを手に入れる人が現れれば、その時は公開を惜しみませんよ」
「悪用?」
そう呟いた私に、セイドは大きなため息を吐いた。
「では、私からアロマさんに言わねばならない話をしましょう。アロマさんは、PKという言葉をご存知ですか?」
PK――他のプレイヤーを攻撃、または脅すなどして、モンスターからアイテムやコルを得るのと同じ感覚で、しかしそれよりも遥かに多くのアイテムやコルを有しているプレイヤーから、それらを奪い取る行為を率先して行うプレイヤーたちの総称を、プレイヤーキラー、略してPKと呼ぶ。
「うん、まあ、意味位なら。でも、SAOで、そんなことする人いないと思ってる」
「情報不足、経験不足ですね。この世界でも、しっかりいますよ、PKは」
セイドのこの言葉には、少なからずショックを受けた。
「そんな……! だって、みんなで力を合わせて脱出しようって話なのに――」
「そんなことお構いなしな人間は、確実にいますよ。現実世界だってそうでしょう? 皆が皆、善良ならば犯罪など起きない」
「それはそだけど……」
多少の詐欺や裏切り、ハラスメント行為、アイテムの隠匿などの問題には私も直面したことがあるが、直接的なPKがあるとはここに来るまで知らなかった。
「厄介なのが、この世界におけるPK行為は、現実世界では裁かれないかもしれない、という点でしょうね……このままだと、本当に殺人行為にまで及ぶプレイヤーが出てくると思います」
それを聞いて、私は血の気が引いた。
背筋が寒くなる。
「そんな! それは流石に無いんじゃ――」
「というより、アロマさん」
必死に否定しようとした私にセイドが向けた視線には、先ほど感じた寒気よりも、何か底知れない冷たさを感じさせるものがあった。
私の台詞を遮り、セイドが言葉を続ける。
「今回のクエストは、貴女1人なら死んでいたかもしれませんし、私とて、今のスキル構成が無ければ死んでいたかもしれません。あの状況は、MPKと呼ばれるPKの一種です」
「なっ!? あれが、MPK?!」
「しかし……これまでの犯罪者プレイヤーたちは、あそこまですることは無かった……いや、知られている限りでは、と言い換えた方がいいのかも知れませんが……」
「下手したら、私が……あ、いや、セイドも巻き込まれて初のMPK犠牲者になってたかも……ってこと?」
セイドはそれに、静かに深く頷いた。
「初、かどうかは分かりませんがね。アロマさん、今回貴女は、何故あのクエストを受けたんですか? ある程度情報を持っていたようですが、その割には肝心な転移不可ということを知らなかった」
セイドの静かな問いかけに、私は記憶を呼び起こして、事の発端を思い出す。
「えっと……あのね、《ロンバール》で誘われたんだ。両手剣が使える人を探してる、私のような可愛らしい女性ならパーティーも華やぐ、最難関と言われるけれど私が来てくれればクリアできる、って……クエスト情報はその時に聞いただけで……」
「……それでついて行ってしまった、と……なんとわかりやすい誘い方……」
「だ、だって……その……もの凄い美形で……綺麗な声で……断る理由もなかったし……」
しどろもどろにそこまで言ったところで、セイドが妙に食いついてきた。
「美形で美声?……アロマさん、その誘ってきた人の名前は?!」
「え?……えっとね……ポフ? 読み方わかんないけど《
名前を告げた途端に、セイドの顔色が変わった。
「っ! マーチ!」
「ん?! なんだよセイド、こっちは今――」
「結婚話でもめてる場合じゃない! すぐに情報屋の伝手を使って、《
「《
突然あわただしい雰囲気に包まれ、あれやこれやと話を始めたセイドとマーチを、私とルイルイはしばしボー然と眺めていた。
「……え~と……何? なんかあったの~?」
「いあ……私も分かんない。なんかPKの話だったんだけど……」
ルイルイと一緒に放置された私は、ボー然と事の成り行きを眺め――
「アロマさん、PoH以外にいた2人の名前は!」
――ていたら、突然セイドに話を振られた。
「えっ!?……えっと……え~っと……《ザザ》ってのと……ゴメン、Jがついてて、《短剣》持ってて、覆面してた奴、ってことくらいしか覚えてない」
「《ザザ》と《ジョニー・ブラック》だな。3人とも、危険人物リストに常時トップテン入りしてる
名前が出てこなかった男のことすら、マーチもセイドもすぐに察しがついたようだ。
「嫌な予感がしますね……今回の状況、間違いなく、殺人行為としてのPKでしたし、同行していた時の3人のカラーはグリーンだったんです!」
「マジかよ?! カラー回復クエをやったんだな……マジで殺人まで試そうとしやがるとは……信じらんねぇバカどもだ!」
あーだこーだと言いながら、セイドもマーチもメッセージを打つ手が止まらない。
「他になんか情報は!」
「とりあえず、ここまでをすぐに回してもらうように流してください! それと、《丑三つ時の怨嗟》クエのMPKの危険性も添えて!」
「オッケ!」
「えっと……ねえセイド、ちょっと状況説明をしてもらえると……」
マーチとセイドは未だに慌ただしく、私の言葉は無視された。
「こちらもメッセージおくりました。後は各々の情報屋たちが広めてくれるでしょう。少し様子を見ましょうか」
「おお、そだな……しっかし、PoHとは……聞きたくねえ名前が出てきたな……」
「マーチん、説明してよ~」
メッセージを打ち終えたらしく、そこを見計らってルイルイも声を掛けるが、2人はまだこちらに気付かない様子で話を続けている。
「幸運だったというべきですかね……直接やりあう羽目になってたら、厄介だったと思いますよ、今更ながら」
「だな。ってか、その3人でつるんでるって時点で、この先もっと酷いことに――」
『だから説明しろぉぉ!!』
私とルイルイの、見事なまでにシンクロした言葉と平手打ちは、セイドとマーチの頬に綺麗に決まった。