私は正直、この眼鏡男はそんなに強くないだろうと思っていた。
武器も持ってないし、防具も全身が道着系なんていう布系防具だし、何といっても眼鏡キャラだし。
私も決して、防具は固いものじゃないけれど、布防具よりは圧倒的に耐久力も防御力もある軽金属鎧だ。
この人とクエをすることになってしまった時には、私が敵を惹き付けるしかないと、半ば諦めていた。
しかし、始めてみると、その考えが甘かったことに驚かされた。
(おひょー! 凄い凄い。全然こっちにタゲが来ないよ)
セイドといった黒髪眼鏡の男は、武器も持たず、しかしそれを活かした《体術》を巧みに使い、決して狭くない範囲にワラワラと溢れているゾンビに
それも凄いのだが、何よりも凄いのは――
(この戦闘が始まって10分か……いやぁ~、まっさか、ここまで
その回避能力だ。
いくら動きがノロいゾンビとはいえ、その分、筋力値は驚異的だ。
間違って捕まりでもすれば、逃げるのはほぼ不可能で、そうこうしているうちに、周りのゾンビに囲まれてタコ殴りにされるのは目に見えている。
だが、彼は、これほどの数のゾンビを相手に大立ち回りをしているというのに、1撃すらかすめられていない。
もう完全回避とか絶対回避とかいう次元の回避能力だ。
(敏捷一極……? いんや。それじゃ、あの攻撃力は出ないよねぇ)
彼が回避に徹しているのなら、ゾンビのタゲは私にも向く。
敵の数を主に減らしているのは私だし、1撃の威力も私の方が上なのだから。
だけど、私にはタゲが来ない。
つまり、彼は相応のダメージをゾンビに与えつつ、攻撃を回避し続けている、ということになる。
(う~む、不思議だ。あ! ほらまただ! なんでだろう?)
彼の回避能力の秘密は、死角からの攻撃すら避ける、という点にある。
私もソロ狩りが多いので《索敵》は鍛えているけれど、それだけではあのような回避行動はとれない。
というか、攻撃しつつ《索敵》に意識を割いていると、私なら動きが鈍る。
(何か秘密がある……乙女の勘がビンビンいってるよ!)
「って、こら! アロマさん! なんで止まってるんですか! 敵倒して下さいよ!」
「おぉう、サボってるのがばれちった! テヘペロ!」
彼の秘密を気にし過ぎて、敵を倒す手が止まっていたのを笑って誤魔化そうとし――
「ぁいた!」
間髪入れず飛んできた小石が眉間に当たった。
HPが減らず、
(っぅ~! 《投擲》スキルまで上げてるのかな?……侮れない男だ!)
若干涙が出たが、気を取り直して、敵を切り伏せにかかった。
(まぁ、このクエ、クリアしたいのは私だしねぇ。仕方ないけど頑張りまっしょい!)
戦闘開始から1時間が経過し、《
(ここまでは順調でしたね。彼女も、途中でサボらなければ、褒められたのですが……)
ここまで、私もアロマさんもほぼ無傷だ。
1撃で沈められなかった死兵から、アロマさんが少し反撃を受けたくらいだろう。
時間はかかったが、ここまでは予定通りといっていい。
「アロマさん、私がこいつらとやりあってる間に、もう1回、耐毒ポーションを!」
「へ?」
何故か間の抜けた返事が飛んできた。
「もう持ってないよ? 次なんて。私4本しか持ってなかったし」
続けて返ってきた答えは、衝撃の一言。
「えええええ!?」
(……しまったな……先に所持本数を確認しておくべきだったか……)
本気でこめかみを抑えた。
ここまでロクにダメージを喰らっていないから必要なかった、と思うかもしれないが、耐毒ポーションはこのクエストにおいて必要不可欠な予防線だ。
喰らってから解毒結晶などを使っていては、間に合わない場面も多い。
特に、このクエストのボス《
ドラゴンの前面に展開される毒のブレスは、回避不可能というほどではないにせよ、広範囲に展開されるため、回避が難しい。
また、吐き出された後の数秒間、周囲に残るという特徴があるため、移動が制限され、ドラゴンの攻撃をさらに回避しにくくさせる。
故に、耐毒ポーションはこのボス戦では必要不可欠なのだが、ポーションの効果時間が15分ということもあり、最低でも1ダース、長期戦を見込むなら3ダースが必要、と情報には有った。
「クエスト情報に、耐毒ポーションを大量に用意するというのがあったでしょう?」
「あ、そなの? 大量にっていうのは
頭が痛くなってきた。
(……この娘は、何故こんな状況で能天気にしていられるんだろう……)
「ああもう! とりあえずこいつら片付けたら、私の持ってる分を渡しますからすぐ受け取って下さい!」
「あ~い!」
のんきな返事とともに、腐乱兵が斬り倒されていき、最後の1体がポリゴン片となって消えたと同時に、私は彼女に、手持ちにあった耐毒ポーションを全て押し付ける。
「ありがちょ! って、ちょいまち! これセイドの持ち分、全部じゃないの?」
「そうですよ。とりあえず、もうすぐボスが出てくるはずです。ボスが出たら1本はすぐに飲んで下さい」
「いや、そじゃなくて! セイドの分が無いんじゃ――」
「いいですよ、私は受けませんから」
とても久しぶりだが、攻撃を受けないことを言い切った。
(はぁ~……もう、こんな戦闘、さっさと終えてしまいたい……)
(受けないって……え? 全部回避する自信があるってこと?)
あり得ない宣言をされた。
私も回避力には自信があったけど、セイドのそれを見せつけられては自信があるとは言い切れない。
だけど、受けないと言い切るのは無茶だと思う。
無茶だと思うが……。
(でも、さっきの回避力を見せられると、あながち、あり得ないとは思えないかも……)
とりあえず私は、全部で4本貰った耐毒ポーションのうち1本を呷る。
ボスが出たら、と言われていたが先に飲んでおく。
「まず注意すべきは、ボスのブレスにはダメージ判定がある点です。可能な限り正面に立たないように立ち回って下さい。毒や麻痺状態になったら迷わずに解毒結晶を使うこと……流石に持ってますよね? いくつ持ってます?」
彼は、私の飲み干す動作や台詞には一切関心を向けないまま、ボス戦の説明を始めた。
「アハハハ! 持ってる持ってる、流石に2ダース持ってるよ~」
「なら良いですけど……あとは、爪や牙、尻尾による直接攻撃、体当たりなどで轢かれないように注意を。翼は腐っていて飛ばないそうですから、その点は気にせずに。直接攻撃にも状態異常判定があるので、耐毒ポーションは切らさずに飲んで下さい」
「ふぁ~い。っていうか、仕切り屋さん?」
「仕切っているつもりはないですが、注意事項の説明が不要ならそう言って下さい。もう何も言いませんから」
彼の目が冗談を言っているようには見えなかった。
本気で説明をカットされてしまうと、生死に関わるかもしれない。
「あぁん、そんなこと言わないでぇ~。説明よろしくお願いしま~す!」
先を続けてもらえるように頼むと、セイドはジト目で私を見ながら続けてくれた。
「……弱点に関してですが、首、腹、足の付け根といった、所々鱗が腐り落ちている部分に攻撃を集中して下さい。敵は攻撃力が高く体力も多いですが、防御力は弱点を突けばかなり低いようなので、攻撃の正確さが要です。但し、鱗に覆われている部分はほぼダメージが通らないほど強固、且つ武器の耐久力が大幅に減ってしまうらしいので注意を」
「ふむふむ、りょ~かいです!」
ここまで話を聞いたところで、地鳴りが始まった。
ボス登場の前触れらしい。
成り行きで協力してもらうことになってしまったが、彼が居なかったら、このクエストボス、倒せなかったんじゃないかと、心底思う。
はじまる前に逃げた男3人と比べ物にならないほど、しっかりしてる人で助かった。
(とはいえ、この層の最難関クエストのボスを、2人で相手するってこと自体が相当無茶だけど)
地鳴りが徐々に大きくなってくる。
音だけでなく、振動が体を揺さぶり始める。
(ま、危なくなったら転移すればいいし)
私が気楽に行動しているのは、常に転移結晶を用意してあって、逃げる準備を怠っていないからだ。
とりあえず今回はボスの動きを把握できればいい程度の感覚でここまで来ている。
このクエストに誘ってくれた3人も、まずは様子見だと言っていたのに、何故か逃げた。
(始まる前から逃げる必要なんかないのに、バカだよねぇ)
私はポーチに転移結晶が入っていることを確認して――
「……それと、念のために言っておきますが、このクエストが始まっている時点で転移結晶は使えませんから、危なくなったら転移すればいいという発想は、持たないで下さいね」
「へっ?!」
だから、この彼の台詞。
こればかりは完全に不意打ちだった。
「ちょ、ちょっと待って! 何それ聞いてない⁈」
地鳴りが大きくなり、少し先の地面が大きく盛り上がった。
「……やはり……どうもクエストに対する危機感が軽いと思いました……」
セイドは慌てる私をよそに、酷く冷静に、静かに言った。
「……その話は後にしましょう。怖くなったなら隠れていても良いですし、危なくなったら走って逃げてもらって構いません。私も、どこまで貴女を庇いながら戦えるか分かりませんから」
盛り上がった地面から、巨大な鉤爪を持った前足が2本飛び出し、地面をつかむ。
「今は、ボスに集中します」
前足に続いて、竜の頭が地面から出てくるところだった。
「いや、まって、ちょ、嘘ぉぉ!?」
私は慌てて転移結晶を使用しようとした。
なんと非難されようと構わない覚悟で。
「転移! 《ロンバール》!」
しかし、私の叫びに結晶は反応しなかった。
「うっそぉぉー!」
「分かってもらえたようで何より。隠れるなら先に隠れて下さい。もう出てきますよ」
セイドはなおも冷静にボスを睨んでいる。
ボスの体はすでに半分以上外に表に出てきている。
さっきまで戦っていたゾンビもそうだが、地面から全身が出て、名前が表示されるまでは、攻撃されることもないが、攻撃によってダメージを与えることもできない。
「ちょ、ちょ、ちょ! まってまって!」
「Mobに言っても聞いてくれませんよ。離れてて下さい。『邪魔』になります」
先ほどまでと違って、セイドは私に見向きもしなくなっていた。
戦力外だと、本気で思っている顔だった。
混乱していた私には、それに反論する暇は無くて。
「うわ、うわ、うわぁ!?」
それでも私は、逃げ隠れするのではなく、両手剣を抜き放った。
(安全じゃない狩りなんて、冗談じゃないわ! けど……けどっ!)
「いいか。無理なことと、『邪魔』はするなよ」
ボスが完全に姿を現して、その名前が表示される直前。
セイドの言葉は、それまでの丁寧なものとは違っていた。
しかし、その口調よりなにより、私が1番癪に障ったのは――
(……『邪魔』扱いされるのだけは、我慢できない!)
――私のことを《邪魔》だと言ったことだ。
それも、2度も。
私は腹をくくった。
そして、セイドを睨み付ける。
「あんたこそ、邪魔になるようだったら、ボスと一緒に叩っ斬るからね‼」
――そして、この層最難関のクエストボス《