島津寮一階「二条武の部屋(京以外の侵入禁止)」と書かれた木札が下げられた部屋の前で、息を殺して佇む影が一つ。
椎名京である。
京がドアノブに手を掛けると、鍵のかけられていないドアは、まるで誘っているかの様に簡単に開いた。
部屋に入る前に廊下の左右を見回して、誰も居ないことを確認すると、音を殺して京は部屋に侵入する。
オレンジの豆球だけ点いている部屋は、大した広さは無く、すぐに目的の人物の姿が確認できる。
「……」
安らかな寝息をたててアホ面で寝ている男は、当然、部屋の主である二条武である。
「…起きてる?」
京は返事が返ってこないことを知っていて、あえて声をかける。
武は一度眠りにつくと顔に落書きされたって起きないほど眠りが深い。
返事が無いことで完全に眠っている事を確認した京は、武の横に腰を下ろし、武の寝顔を見ながら掛け布団の裾をそっと持ち上げるが、直ぐに思い直すように持ち上げた布団の裾を下ろしてしまう。
「…はぁ」
その夜で何度目になるだろうか、京はため息をつく。
幾度と無く大和の布団に侵入した経験を持つ京であったが、武には出来ないでいた。
その理由は自分でも信じられないが、両手をあてた頬から伝わってくる熱でわかる顔の紅潮で確信する。
「……恥ずかしぃ」
今まで対大和しか想定してこなかった京とって、こう言う時、武にどう接して良いのか分からない、いや、分かっているが恥ずかしくて出来ないのだ。
「…しょうもない」
自嘲するように呟いて、京は寝ている武の頬にそっと唇を寄せる。
たったそれだけの事で、京の鼓動は激しく高鳴り紅潮した顔がさらに赤く熱くなっていくのを感じて、慌てて武の部屋から退散した。
京は、廊下の壁にもたれ掛かりながら、自分の火照った体を抱き締める。
季節は春。
京は新たな自分の一面に戸惑っていた。
☆ ☆ ☆
「おはよう武」
「ぜぇぜぇぜぇ、お、ぜぇぜぇぜぇ、おは、はぁはぁはぁ、よう、み、京、はぁはぁはぁ」
息も絶え絶えで玄関に転がる武を覗き込んで、京は持ってきたペットボトルを差し出す。
「ぜぇぜぇ、その、まま、はぁはぁはぁ、ぶっかけて、くれっ」
「玄関を汚したら、麗子さんに怒られるよ?」
「はぁはぁはぁ、それも、はぁはぁはぁ、そうだな」
仕方なく、武はペットボトルを受けとると、体をなんとか起こして乾いた喉に水を流し込む。
「んっんっんっ、ぷはー!美味い!!」
「相変わらずワン子のリハビリと言う名のトレーニングはきつそうだね」
「はぁはぁはぁふぅ~…あいつ、リハビリと言いながら普段見せない悪意を俺にぶつけているに違いねぇ。さらに春休みだから体力有り余ってるってのも拍車をかけて地獄だ」
「…ワン子の悪意なんて見たこと無いよ」
「京は走ってるワン子に追いかけられた事がないからそう言えるんだ。ありゃ、普段の恨みを晴らそうと企む悪魔の顔だ」
「普段からワン子の恨みを買っているのが問題だと思うよ?…それより、早くシャワー浴びてしたくしてね。今日は、その…デートでしょ」
京のデートと言う言葉を噛み締めるように、武は感動を跳ね起きることで体現する。
「す、すぐ用意するから待って、ぐぁっ!?」
靴を脱ぎ捨てて向かう脱衣場の戸の角に、足の小指をぶつけて情けなくピョンピョン飛び上がりながら、それでも顔の満面の笑顔は崩れない。
「…しょうもない。慌てなくて良いから」
「お、おう!」
武を見送ってから京は自分の部屋に早足で戻る。
部屋の中は足の踏み場もないほど、数々の服が敷き詰められていた。
「…むぅ」
京はそれら全てを自分にあてがって鏡を見たが、今だにどれが良いのか決まっていなかった。
武と京が付き合いはじめて二週間。
初めてのデートである事と、今日が武の誕生日である事も相まって、京は、また新たな自分の一面を発見する。
「京、入るぞ~って、凄い事になっているな」
部屋の惨状にクリスは苦笑いを浮かべる。
「…クリス」
「決まったのか?」
「……」
京の無言の返事に、クリスは京が普段、出掛けるときに良く着ている服を拾い上げる。
「そんなに気負うこともないんじゃないか?」
「普通過ぎない?これなんて」
京は普段着ないようなフリルの着いた少し可愛い目の服を拾い上げる。
「自分は好きだが却下だ。京らしくない」
「むぅ…じゃあこれは?」
今度は胸元と背中が大きく空いた服を拾い上げる。
「京らしいと言えばらしいが却下だ。そんなの着て行ったら武がどうなるか容易に想像がつく」
「クリスが厳しいよぉ」
「愛情の裏返しだ、ほら」
時間もあまりなく、渋々クリスが選んだ着なれた服を着て、一回転して見せる。
「どう?おかしくない?」
「何時も通り似合っているから大丈夫だ。しかし…ふふっ…大和の時とは偉い違いだな」
クリスは然も可笑しそうに笑うと、京は頬を膨らませて抗議の顔を浮かべる。
「それは言わないで…自分でも正直戸惑っているんだから」
「繰り返すが、そんなに気負うこともないんじゃないか?自然体が二人には一番だと自分は思うぞ」
「…そうかなぁ」
「そうだとも。ほら、そろそろ時間だろ?服は片付けておくから行ってこい」
「クリス…ありがとう」
笑顔で答えるクリスに見送られて、京が一階に下りていくと、丁度、武が部屋から出てきた所だった。
その格好は普段どおりで、何時ものぼさぼさの髪だけは梳かしたのか若干整えられ、髪留めもしっかりと定位置に付けられている。
「お?良いタイミングだったか?」
「ばっちりだね」
「おし、それじゃあ行くか?」
「ね、ねぇ武…」
「ん?」
「この服…どうかな?」
京は聞いてから、自分で何を言っているんだと恥ずかしくなって下を向いてしまう。
その可愛い仕草に、武は一瞬で茹蛸の様に顔が赤く染まる。
「あ、ああ、凄く似合ってるぞ!」
「ありがとう」
「お、俺もおかしくないか?って言うか、めちゃくちゃ何時も通りできちまったんだけど」
「おかしくないよ。それに、何時も通りが私達らしいよね」
「だ、だよな、うんうん、何時も通りが一番だ」
部屋でのクリスとのやり取りを思い出して、京は自分の言葉に自分で可笑しくなって思わず笑ってしまう。
武にはその笑いの意味が分からなかったが、その笑顔は武にとって
「…俺の天使」
で、あった。
「何か言った?」
「えっ!?なんでもないなんでもない!さ、さぁ行こうぜ」
「…うん」
島津寮を出ると、気持ちの良い春の日差しが二人を出迎える。
「なぁ京、本当に任せちまって良いのか?」
「うん、今日は武の誕生日なんだから私に任せて」
「なんか、その、初デートなのに悪いな」
「私が好きでやっているんだから良いの、ほら、行こう」
京から差し出された手を、武は自分の手を服で全力で拭いてから遠慮がちに小指だけ掴む。
「…しょうもない」
小指に触れている武の手を振り払って、京はしっかりと繋ぎなおす。
当然、照れている武であったが、実はそれ以上に京の方が照れていた。
本当ならば武と腕を組みたいのに、手を繋ぐのが精一杯なのだ。
「えっと、ま、まずは何処から行くんだ?」
「まずは七浜から」
「了解!」
ぎこちなく繋いだ手から伝わるお互いの温もりを感じながら、駅へと歩き出す二人を、まるで祝福するかのように桜の花弁が風に舞っている。
「ねぇ武。何か欲しいものある?」
「欲しいもの?う~ん…俺が欲しいも―」
「欲しいものは全て持っている、って言うのは無しね」
「俺の格好良い台詞を先に言うなよ!」
「…お見通し。まぁ嘘では無いのだろうけどね」
「まぁな。なんか俺、物欲って言うか物に執着がないって言うか…それに、京から貰えるなら何でも嬉しいわけで」
「それが一番困るんだけどね」
「ですよねぇ…なんかネタになるものとか」
「それは、今日の夜にやる武の誕生日+クリスの卒業まで留学延長祝い集会の時に用意しているから」
「去年は確か、百体以上中に入ってる巨大なマトリョーシカ人形だったな…」
武は思い出して青い顔を浮かべる。
「一応貰った物だから部屋に全部だして並べたんだけど、なんかその夜から悪夢に魘されて大変だったんだぞ?」
「あれ、結構高かったんだよ?」
「無駄遣いを…まぁ有り難く押し入れの奥深くに封印させてもらったよ」
「そんなわけで、今日は欲しい物を上げるって言う恋人の優しさ」
京の言葉に武の足が止まる。
「京…もう一回言ってくれ」
「……」
照れ二割呆れ八割な表情を浮かべる京に、武はその場で土下座する。
「ち、ちょっと!?」
「お願いします京大先生!!」
「…はぁ……恋人」
武は感動と喜びに打ち震える。
「もう一回!」
「恋人」
「もう一」
「…死ねよ」
照れ隠しと言うには、少々本気の混じった殺気が京から発せられる。
「ひぃっすいませんすいません調子に乗りました!」
「まったく…しーらない」
京は武に背を向けて歩き出す。
怒らせてしまったと勘違いした武は、慌てて追おうと立ち上がったところで京が足を止める。
風に舞う桜と共に微笑みを浮かべて振り替える京が、優しくその手を差し出す。
「…行くよ…私の大切な恋人さん」
お世話になってますやさぐれパパです。
アフターは一話完結でやろうと思ったのですが、なんか一話だと長くなって更新をお待たせしてしまうので、一話~二、三話くらいずつやろうかと思います。
何時ものケチって話数を稼いでいるんだなと、優しく見守って下さい。
今回は京からエロエロ成分を抜いてみたので、京好きの方からは、こんなの京ではないとお叱りを受けそうですが、私は自分で書いていて何ですが、意外と乙女チック京も気に入っております。
クリスは空気読め過ぎて偽物っぽいですが…。
では、また次回で。