残暑も落ち着いて季節は夏から秋へと変わっていく。
あの日、武の手術が成功してから早二ヶ月が経とうとしていた。
未だに教室に空席が在る事に慣れない。
ふと、授業中の教室の扉が突然開き
「いやぁ良く寝たぜ」
そう言いながら武が何時もの笑みを浮かべて教室に入ってくるような、そんな錯覚にさえ捕らわれる。
しかしそれは幻で、現実の武は今こうして皆が授業を受けている間も病院のベッドで眠り続けていた。
授業の終わりを告げるチャイムが響いて、学校は放課後へと変わる。
京は荷物を纏めるとすぐに立ち上がった。
「京、俺も生徒会の仕事が終わってから行くから」
「…うん、先に行ってるね」
足早に出ていく京を心配そうに見つめる大和。
それでも、二ヶ月前よりはだいぶマシな方だと納得するしかない。
最初の一週間、京は学校にも行かず寮にも帰らず食事も摂らずで武に付きっきりだった。
その顔に精気はなく、武が目覚めるより早く京が倒れる方が確実であった。
誰の説得にも耳を貸さない京に、葵冬馬が見舞いをする条件を出した。
それは普段の生活を崩さない事と、ファミリーの誰かを一人連れて来る事と言うシンプルなものであったが、これ以上無いほどその時の京には必要なことであった。
当然、京が納得するはずもなかったが、冬馬はそれが出来ないなら病院にすら入れないと言い放ち悪役を買って出てくれた。
大和が教室を出ると、ちょうどその冬馬と一緒になった。
「やぁ大和くん、これから一緒にお茶でもどうですか?」
「それ以上近寄ると姉さんを呼ぶぞ」
「三人でですか?私はそれでも構いませんけど」
「ちげぇよ!……葵冬馬、お前には感謝しているよ」
「大和くんに感謝されるとは嬉しいですね」
何時もと変わらない態度で接してくれる冬馬に、大和は少なからず救われていた。
「こちらとしましては武君が目覚めた時のために、今のうちに風間ファミリーに恩を売っておくのも悪くないですから、それでは」
大和は黙ってその後ろ姿を見送る。
二ヶ月前の冬馬の制約以降、京は少しずつだが日常を取り戻していった。
それでも京は寝ているとあの事故の事を思い出してしまうのか、悲鳴と共に起きる事が幾度となくある。
その為、今でも夜はクリスか由紀江、たまに泊まりに来る百代、一子と一緒に寝るようにしていた。
献身的な家族のフォローもあって、京はファミリーとなら普通に会話も出来るようになるまでに回復していたが、大和達は気付いていた。
あの日以来、京の笑顔が失われてしまったことを。
☆ ☆ ☆
「…来たよ武」
病室に入ると京は何時ものように武に声をかける。
何時か返事が返ってくると信じているから、信じていたいから。
「少し寒いけど、部屋の空気を入れ換えるね」
窓を開けると十一月に相応しい乾いた冷たい風が病室内に吹き込む。
ベッドで眠る武の、二ヶ月前より少しだけ延びた髪が風に揺れる。
あの事故で、武が大切にしていた髪留めは無くなってしまっていた。
今は京が新しく持ってきた髪留めをしている。
「…髪、少し伸びたね…今度切ってあげるよ」
そっと髪に触れながら武を見つめる。
何時もの様に顔を赤く染めながら慌てる武の姿が浮かぶ。
「…っ」
不意に込み上げてくる涙を必死に堪える。
武の前では泣かないと、武との約束だからと強く自分に言い聞かせて。
「少し…冷えすぎちゃったかな」
京は武の布団をしっかりと肩までかけてから窓を閉める。
そして武の横に座ると、その手を握って今日一日あったことを話し始める。
通学途中、百代が対戦者を秒殺した事、岳人と卓也がエッチな漫画を読んでいてクリスに怒られた事、ワン子が宿題を忘れて委員長に泣きついていた事、昼休みに翔一が旅の土産に貰った地鶏で満が作った鍋を食べた事、武の相槌を待つようにゆっくりと、ゆっくりと語り掛けていく。
「…今日はそれくらいかな」
丁度京が話し終わった頃、病室の扉をノックする音がして大和が入ってきた。
「お待たせ京、来たぜ武」
「…今日は早かったね」
「ああ、生徒会長って言っても周りが優秀だとお飾りみたいなもんだよ」
「そうなんだ」
しかし京は知っている。
出来るだけ時間を作る為に、大和は自分が動かなくても良い様なシステムを作り上げた事を。
そして大和もそれが京にばれているのは百も承知だった。
「しっかし、寝起きが悪いのは知っていたけど、ここまで寝坊助だとは知らなかったぞ?」
大和は水性ペンを取り出して武の顔に落書きをしていく。
最初にやった時には京に怒られたが、これが大和なりの武とのスキンシップだと京は納得する。
大和もスキンシップではあるが、なんとか場を和ませようと考えた末に、何時も通りを貫き通す事にしたのだ。
「…帰る前にちゃんと消してあげてね」
「分かってるよ、また看護婦に怒られるのは御免だからな」
以前、落書きをそのままにして帰ったら、朝一番で来た看護婦が何事かとちょっとした騒ぎになって大和はこっぴどく怒られたのである。
ふと、大和は武の額に「山」と書いた文字で一つ思い出す。
「そう言えば京がさ、山梨に引っ越した時の武の話、した事あったっけ?」
「…ううん」
大和は一通り落書きを終えると、備え付けられたミニキッチンでお茶を入れながら話し始める。
「あれは中学にあがって間もない頃だったな…」
☆ ☆ ☆
「なんだとおおおおおっっっ!!??」
武の絶叫が秘密基地内に響き渡る。
翔一、大和、岳人、卓也、百代、一子は予想していたのか既に耳を塞いでいた。
「み、みみみみみみ京がひひひひ引越しっっ!!??」
「ああ、両親が離婚する事になって引っ越す事になったと言うかもう引っ越した」
「引っ越した!?はっ!?俺の愛する京はもう居ないの!?」
「ああ、もう居ない」
「なんで俺だけ知らねぇんだよ!!」
「京に武が大袈裟に騒ぐだろうから引っ越すまでは教えるなって言われたんだよ」
「そんな…」
武は膝から崩れ落ちる。
「ただ、引っ越したって言っても同じ関東の山梨で―」
「っっ!!」
大和が言い終わる前に、弾かれたように起き上がって武は駆け出していたが、それも予想通りで百代の拳で撃沈される。
「落ち着け武」
「い、いや、モモ先輩、何も床にめり込ませなくても」
だが、武は直ぐに立ち上がる。
「いててて、ってこうしてる場合じゃない!」
「良いから話を聞け!」
百代が武の首根っこを掴んで無理やりソファに座らせる。
その両サイドを翔一と岳人がしっかりガードして動けないようにする。
そして正面に大和が立ち、話を続ける。
「言いたい事もしようとしている事もわかるがまずは話を聞け、京は山梨の学校に通う事になったが、金曜日の学校が終わってからここに来るって言っている」
「山梨から…ここに?」
「ああ、それも毎週来ると言ってる」
「それだけ京は大和が好き、いたっ!?」
言いかけた一子の額に武のデコピンが決まる。
「何するのよ!?」
「うるせぇ!ワン子のくせに生意気な事言うからだ!」
「なんですって~~がるるるる」
威嚇しあう武と一子に大和は頭を抱える。
「話しが進まない…ワン子、お座り!」
「きゃう~ん」
大和の指示で一子は大人しく座る。
「やれやれ…で、理由はともかく、それほどまでに俺達の事を思ってくれている京の気持ちに答えるにはどうすれば良いかって考えたんだよ」
「答えは簡単だぜ!」
武の横から翔一が立ち上がって机の上に載る。
「俺達も必ず金曜にここに集まれば良い!!」
「出来る限りここで集まって皆で過ごす。これが一番かなって」
「俺様も彼女が出来るまでは協力してやるぜ」
「それじゃあガクトは一生ここに居る事になるぞ?」
「どう言う意味っすかねぇモモ先輩」
「いや、聞かなくても分かるでしょガクト」
「皆で集まるなんて楽しそう!」
盛り上がる面子をよそに武は大きくため息を吐く。
「わかってねぇな…」
「何がだよ?」
「いや、金曜日に集まる、さしずめ金曜集会か?それには俺も賛成だ…ただ」
「ただ?」
「中学での思い出はどうする?体育祭とか音楽会、修学旅行だって…俺はその思い出に京が居ないのが耐えられない」
「それはしかたないだろう?…それに京だって向こうで友達と思い出くらい…」
言いかけて大和は口ごもる。
「京の性格からして作らんだろうな」
「ああ、モモ先輩の言う通りだ。俺様でも簡単に想像がつくぜ」
「でも、こればかりは僕達にはどうする事もできないよ」
全員が沈黙する中、武は意を決して立ち上がる。
「俺は決めた!中学校の全イベントは京の学校のに参加する!!」
「「はぁ!?」」
武以外の声がハモった。
「うひょ~!それ面白そうだな!!」
否、一名賛同する者もいた。
言わずもがな翔一である。
「お、おい本気で言ってんのか?無理に決まってるだろ?他校の生徒が参加するなんて」
「いいや!俺はやると言ったらやるんだ!!」
☆ ☆ ☆
「何て言ってさ、俺に京の学校の全行事を調べさせやがって」
大和の言葉に、京は忘れていた記憶が甦る。
「フレー!フレー!み・や・こ!!」
「ちょ、ちょっと止めてよ!」
体育祭の時、武とキャップが横断幕を持って応援に来たのを、周りから変な目で見られてとても恥ずかしかったけど、本当は嬉しかった事。
「ブラボーー!!ブラボーー!!」
「…泣くほどの事?」
音楽祭の時、歌が上手かった京がソロパートを歌い終えると、武が感極まって一人で泣きながらスタンディングオベーションしてくれた事。
「よ、よぉ、修学旅行先で会うなんてこれも運命だな付き合ってくれ」
「平日にわざわざ私の修学旅行先に先回りしているのを運命とは言わないお友達で…武、学校は?」
「えっ!?あー…えっと、あ!インフルエンザで休校になったんだよ!いやぁ皆寝込んじまってまいったよあははは…」
「…しょうもない」
結局その後、何故かたまたま京の修学旅行先に翔一も来ていて、自由行動を一緒に過ごした事。
一つの思い出が引き金になって次々に思い出していく。
朝の清掃週間で何故か箒を持った武が居たり、授業参観を覗きに来て教師に追いかけ回されていたり、水泳大会では警察まで呼ばれていた。
中学生の京には、金曜集会があって大和が居れば、それだけで全ての事に耐えられると思っていたし、耐えていたと思っていた。
しかし、そうでは無かったことに気付かされる。
「…馬鹿だなぁ…私、武との思い出なら全て思い出せるって思ってたのに」
「京…」
「ありがとうね大和」
京は立ち上がってそっと武の頬に触れる。
「ごめんね武」
それは大和の錯覚だったのかもしれないが、本当に、本当に微かだけど、京が微笑んだ気がした。
二ヶ月飛びました。
実は武が入院してからの一週間、京がどん底まで落ちていくにを書き上げたんですが、なんか書いてるときも、読み返して見ても凄く気分が落ち込んだので慌てて書き直しました。
もう何話か京の忘れた、京の知らない武を題材にやっていこうと思います。
ではまた次回で。
あ、風邪引きました。