「ここまで来れば一安心だな」
武は京を大きな木の根本に下ろして地面にタオルを敷き、その上に座らせた。
「京、少しでも良いから寝とけ、これからまだまだ出番はあるからな」
「…うん」
消耗が激しい京の額に浮かぶ汗を拭き取り、首に飲料水で濡らしたハンカチを巻きつけて、残りの水を飲ませる。
「ほんと、武は準備が良いよね…」
「良いから寝とけ」
「…何かあったら…起こして…」
「ああ、わかっ―」
言葉を切った武は、多数の人の気配と音に、振り返って辺りの様子を窺う。
「あれは…キャップか」
見れば少し離れたところを走る一団が居た。
先頭には何時もの赤いバンダナを靡かせた翔一が、部下を従えて疾走している。
しかし、武はすぐに違和感を感じた。
「あの馬鹿がいねぇ…」
本来、翔一の横に居るはずの岳人の姿がないのだ。
武は素早く携帯を取り出して戦況の履歴を見ると、黒の隊はS軍不死川隊と一時交戦の後、撤退とあるが、岳人が居ないのに翔一達だけ引いているのは有り得ない。
武が考えられる事は一つだけだった。
「馬鹿の癖に格好つけやがって…みや」
武は慌てて口をつぐむ。
見ると、既に京は寝息をたてていた。
無防備となった京を置いて行くわけにはいかないが、何らかの理由、恐らくは負傷したために足手まといになるのをよしとせず、一人戦っているだろう岳人の事が頭を過る。
「見捨てるしかねぇのかよ……すまねぇガクト」
武は奥歯を噛み締めて、爪がくいこみ血が出るほど拳を強く握る。
「十五分だけだぞ」
「っ!?」
声を殺して驚く武の背後、京が凭れて眠る木の裏から突然声がした。
「驚いている時間もないのだろう?」
「ぁぁ…」
思わず武の喉から小さく歓喜の声が漏れる。
「それ以上は私も一ヶ所に留まる事は出来ない。川神百代の気の探知に引っ掛かりかねないからな」
姿は見えないが、気配を消して尚感じる包み込むような大きさと、聞き間違うはずがない凛々しい声に、武は涙が出そうになった。
「急げよ」
「っ!!」
無言で頭を下げると、武は黒の隊が最後に不死川軍と交戦した場所を目指して全力で駆ける。
「ふっ、随分と見違える様になって…良い心境の変化でもあったのか」
声の主は笑みを浮かべて、武の背中をサッカーボールくらいありそうなおにぎりを頬張りながら見送った。
☆ ☆ ☆
「ぐっ!?おらぁっ!!」
岳人は痛みで思うように動かない片足を引きずり、相手の攻撃を避ける事も出来ぬまま戦っていた。
辺りには岳人に倒された不死川軍の兵士が幾人も倒れている。
「囲めっ!!前後左右同時に攻撃して沈めろ、こいつはもう限界だ!」
敵の言う通りであった。
足さえやられていなければ、幾らでも戦い方はあったが、防御もろくに出来ないままの岳人のダメージは相当なものだ。
加えて数の暴力もあり、このままやられるのを待つだけであった。
「すまねぇキャップ…どうやら俺様はここまでみたいだ」
「これで終わりだっ!!」
「ぐぎゃっ!?」
敵の威勢の良い声と同時に、鈍い音と情けない声が重なった。
岳人を囲むようにしていた敵の背後から、突然現れた男は飛び蹴りと共にその囲いを突破して岳人と背中合わせになる。
「ちょっと見ねぇ間に随分と良い男になってんじゃねぇかよガクト」
岳人は背中合わせになった男に大袈裟に溜め息を吐いてみせる。
「おいおい、どっかの馬鹿のせいでこれから始まる俺様の武勇伝が台無しだぜ」
「そりゃ悪い事したな、俺はてっきり馬鹿が一人で泣いてんじゃねぇかと思ってよ」
「言ってろよ」
先程まで立つことも儘ならなかった岳人は、急に力が湧いてくるのを感じる。
それは、あの日に似ていた。
☆ ☆ ☆
「ぐはぁっ!?」
小学生だった岳人は、上級生に囲まれていた。
人数も多くその中には中学生も居り、力自慢の岳人でもどうすることも出来なかった。
「ここは俺達の縄張りなんだよ!」
急に現れたそいつらは、遊んでいた卓也を突き飛ばして吐き捨てるように言ってきたのが喧嘩の発端。
遊ぶ場所なんてどうでも良かったが、卓也に手をあげられたのが岳人には許せなかった。
「お前ら風間ファミリーとか言って最近幅きかせてる奴等だろ?生意気なんだよっ!!」
片膝を着く岳人に蹴りの集中砲火が浴びせられる。
「ち、ちくしょう…」
唇を噛み締めて悔しがる岳人の耳に、聞き覚えのある声が響いて、蹴っていた一人が吹っ飛ばされる。
「なっさけねぇな岳人!!」
「武!?」
「ブサイクな顔がさらにブサイクたぞ」
「う、うるせぇ!」
岳人は立ち上がって武と背中合わせになる。
武にだけは情けない姿を晒すのが嫌だった岳人は、精一杯の強がりをみせる。
「なんだお前!お前も風間ファミリーか!?」
「うるさい!俺が誰かなんてどうでも良い!家族に手をあげて只ですむと思うなよ!」
「生意気だぞ!こいつもやっちまえ!!」
「やられるかっ!岳人!!」
「俺様に指図するんじゃねぇ!武!!」
半分キレた武と岳人のコンビは、先程まで優位に立っていた上級生相手に、少しも臆すること無く向かっていった。
三十分後、卓也が百代を連れて戻って来たときには上級生との喧嘩は既に終わっていた。
「お前が弱いせいでいっぱい殴られたじゃないかよっ!!」
「自分が弱いのを俺様のせいにするんじゃねぇっ!!」
その代わり、何時も通りの武と岳人の喧嘩が繰り広げられていた。
「おいモロロ、これはどういう事だ?」
「ぼ、僕にも分からないよ」
「まっ、せっかく来たんだし武と岳人でもいじめていくか!」
横から乱入した百代の蹴りが、二人を仲良く沈める。
「「ぬがぁっ!?」」
それは、武と岳と人が初めて共闘した日であった。
☆ ☆ ☆
「ふっ」
「なに笑ってんだ岳人、不気味わりぃぞ」
「いちいちムカつく奴だなてめぇは!…ったく、なんでもねぇよ」
だが、偶然か武も岳人と全く同じことを思い出していた。
「手伝えるのは十分だ!あの時みたいに足引っ張るんじゃねぇぞっ!!」
「へへっ、その台詞そっくりそのままてめぇに返すぜっ!!」
突然の乱入者に慌てる敵に向かって、武は岳人の背中を全力で蹴り押した。
「ハンサムラリアーーットッッ!!!」
正面に居た三人の敵は、武によって加速した岳人の剛腕によって無惨にも吹き飛ばされる。
「ブサイクラリアットに改名してやっただろうがっ!!」
武は相手の懐に飛び込むと、二人の襟元を掴んで岳人の方に投げ飛ばし、それを岳人が殴り倒す。
「それはてめぇが自分で使えっ!」
二人の連携は、付け焼き刃の部隊が敵う程甘いものではなかった。
距離を保って戦える得物を持った者を武が優先的に倒し、それ以外を岳人の射程に投げ飛ばしたり誘導したりして殴り倒させる。
「うらぁっ!!」
「おらぁっ!!」
岳人と武がお互いの顔に放った拳をギリギリで避けて後ろに居た敵を殴り飛ばす。
「武てめぇ今俺様を狙ったろ!」
「そう言うお前も俺を狙ったろうがガクト!」
連携に必要な指示など無く、何時も通りの喧嘩口調と目線だけで連携できる武と岳人の前に、敵の数は瞬く間に三分の一にまで減っていた。
しかし、全ての敵を倒しきるには至らず、武に残された時間は無情にも無くなってしまった。
「はぁはぁはぁ、脳筋ゴリラ、はぁはぁはぁタイム、アップだ、はぁはぁはぁ」
「はぁはぁはぁ、最初から、はぁはぁはぁ頼んで、ねぇよ、はぁはぁはぁ」
背中合わせの二人は、荒い呼吸のまま笑みを浮かべている。
こんなに暴れたのは久しぶりの事で、まるで子供時代に戻ったみたいで不思議な爽快感があった。
呼吸を整えて、武は決意したように切り出す。
「すまねぇガクト」
「助かったぜ武、いけっ!!」
全て分かっていると言わんばかりに、岳人は武の背中を思いっきり押して走らせる。
最後に目の前の敵を蹴り倒して、振り返らずに駆け抜けていった武を追おうとする敵に、岳人の怒号が響く。
「てめぇらの相手はこの俺様だろうが!!」
再び戦闘を開始する岳人と不死川軍の元に、大将の不死川心がお尻を叩かれながら負けを宣言する様子が流れるのはまもなくの事であった。
☆ ☆ ☆
武が京の元に戻ると、既に先程の声の主は居なくなっていた。
「ありがとうございました」
武はその場で深く頭を下げた。
その武の携帯が鳴る。
メールが全F軍に宛てて送られており、文面は簡潔であった。
ー最終通知、動ける者は決戦の地へー
場所は一番開けたS軍本部に程近い川原。
そこまで忠勝と一子が前線を押し上げていた。
「京」
このまま寝かせておきたい気持ちを押さえ、肩を揺すると京は直ぐに目を覚ます。
「…んっ……どれくらい寝てた?」
「ほんの十五分だ、大和から最終通知が来た…行けるか?」
「…もちろん」
京は起き上がって体を伸ばすと、弓と矢の手入れを始める。
そして、ある事に気付く。
「…武、なんか怪我増えてない?」
「ひょっ!?ソ、ソンナコトハナイデスヨ?」
「…しかもあちこち汚れている」
「い、いや、キノセイダヨ」
「ふーん…後できっちり説明してもらうから」
「さ、さぁ準備が出来たなら行こうぜ!」
武は京のジト目から逃げる様に言うと、手で促しながら二人で駆け出す。
大和達が待つ最後の戦場へ。
前回の終わりに最終局面と書いておきながら、川神大戦終わりませんでした。
岳人との共闘が書きたくて、と言うかむしろこれを書きたいから川神大戦を書いてたようなもので、岳人の良さが出てれば良いのですけど。
次回は川神大戦終了で、ついに恋の進展が…すいませんなにも考えてないです。
ではまた次回で。