「青嵐脚っ!!」
乙女の風を纏った凄まじい蹴りが武を吹き飛ばす。
一回、二回と地面を転がりながら何とか体勢を立て直すが、その目の前には既に追撃を加えようとする乙女の拳が迫っていた。
百代に鍛えられていなければ、どれ一つとして見える事の無い拳の弾幕を最低限の、と言ってもそれが精一杯なのだが、急所に来る拳だけを防御しようとする。
しかし、その防御を縫う様に掻い潜って、数発の拳が武の体を捉えた。
「かはぁっ!?」
血の混じった唾液を吐き出しながら、武はその場に膝をつく。
武の打たれ強さでなければ、秒殺されてもおかしくないほど乙女の攻撃力は高い。
さらに、普段受けている百代の拳と比べて一切の手加減がない上に、技の一つ一つの鋭さが格段に高い事もあり、打たれ強さに自信のあった武の体が限界を迎えようとしていた。
「どうした?もう終わりか?」
数度拳を交えただけで、乙女は武が内包する力を感じていた。
しかしそれは、子供が積み上げた積み木の様なバランスの悪さと、見ているものを不安にさせる危うさがあった。
「い、いやぁまだまだ…ゴホッゴホッ…げ、元気一杯ですよ」
ボロボロになりながらも、決して諦める事の無い武の姿に、京は唇を噛み締め耐える。
何故なら、武は元々勝ち目の無い戦いだと分かっていながら、交渉が決裂しそうになった場合、決闘になるように事前に対馬レオに頼んでいたのだ。
☆ ☆ ☆
「申し訳ないがお断りさせてもらう」
武は最悪の予想通りになり、内心落胆するが決してそれを表に出さない。
何故なら、最悪ではあったがそれも予想の一つで、既に手はうってあったからだ。
「理由を聞かせてもらえませんか?」
「私は既に現役から引退した身だ。それに話を聞くとその川神百代とやらを止めるのは今の私では難しいだろう…出来るか出来ないかも分からない状況で、無責任にお前達の真剣な頼みを受けるわけにはいかない」
「でも、鍛練は続けているんですよね?」
「もちろんだ…しかし、実践から離れればそれだけ戦いの勘も鈍る。現役で武の総本山である川神院で戦いに身を置く川神百代と私ではその差は歴然だ」
「それでも俺達には鉄先輩の力が必要なんです…どうしても首を縦に振って貰えるまでは帰るわけにはいかないんです!お願いしますどうか考え直してくださいお願いします!」
武は席から立ち上がると床に頭をつけて土下座する。
「お、おい、こんな所でやめないか、そんな事をされても―」
「…私からも」
乙女の言葉を遮って京も立ち上がると、武の横で同じ様に土下座する。
「どうか、考え直してください…お願いします」
困った表情を浮かべて乙女がレオを見ると、レオは二人のもとに行き優しく立たせる。
「乙女さん、このままだと二人は納得しないよ」
「しかしだな…」
「武達の学園にはさ、譲れないもの同士がぶつかる時「決闘」ってシステムがあるんだよな?」
レオの問いに武と京は黙って頷く。
「ならさ、その「決闘」で決めたらどうかな?」
「決闘だと?レオ、お前何を考えているんだ?」
「武の総本山、川神院が誇る川神学園の生徒である武達もそれなら納得できるんじゃないかな?」
レオは乙女に気づかれないように、武に視線を送っていた。
武も気づいてその目に感謝の色を浮かべて答えたる。
「それならば俺達も納得出来ます。それだけの覚悟があってここに来ている事を分かってください」
「乙女さん、ここまで本気の気持ちに答えないなんて、乙女さんらしくないよ」
「レオ……」
乙女は武達を見る。
その目はこの勝負を受けない限り、決して諦める事が無い事を如実に語っていた。
ため息を一つ吐き出してから、戒めるように自分の頬を叩いて真直ぐな瞳を向ける。
「…分かった。その決闘受けよう」
「ありがとうございますっ!」
感謝の言葉と共に深く頭を下げた武は、少しだけ緩んだ口元を引き締める。
望む形になったが、ここから武にとって地獄のような試練が始まるのだ。
相手は四天王の一人、万に一つの勝ち目もないが、武は少しも後悔していない。
何故なら、それは大和の為であり、F軍に所属するファミリーの為であり、S軍に所属する百代の為であり、何よりも京の為であるのだから。
☆ ☆ ☆
「ほほぉ…あの二条武と言う男、なかなかやりおるわい」
顔に傷のある豪傑を体で表した様な漢。竜鳴館館長、橘平蔵が感嘆の声を漏らす。
「無理言って校庭を貸していただいてありがとうございます館長」
「なぁに気にするな、お前達が卒業してからここも随分と静かになってな、退屈しておったところだ…時に椎名京とやら、本当に止めなくて良いのだな?もう限界はとっくに見えているぞ?」
「……」
京は小さく頷く。
この勝負、武は一つだけ嘘のルールを付けた。
それは、勝敗はどちらかが参ったと言うまで行うと言う事。
このルールであれば、気絶させられようが骨を折られようが、参ったと言うまで負けになら無い。
そして武は、本当に殺されても参ったと言わない事を京は知っていた。
家族のために何かをする時の武の覚悟は、普通の人からすればある意味、狂気に近いものがあり、それは自身の死すらも問題にしない。
「…武」
しかし、京の内心は違っていた。
始めから勝つ気の無い、相手が参ったと言うまで耐えるだけの拷問のような勝負。
何時もファミリーの為に傷付く武を見てきた京は、本当はすぐにでもこの勝負を止めたかったし、戦いになら無い事を願っていた。
「がぁっ!?」
武が腕の関節を極められて、乙女に組み敷かれる。
「参ったと言わなければ肩を外す。それでも言わなければ逆の肩を外す。お前はもう十分に戦った…大人しく負けを認めろ」
「へへっ…ま、負けを認めたら俺達の頼み、聞いてくれますか?」
「何故だ?お前が傷つけばお前が大切にしている者達も傷付くんだぞ?それが分からないのか!」
「あるいはそうなのかもしれません…それでも、俺にはこのやり方しか思い付かないんですよ」
「お前…」
「さぁ参ったと言ってくれるんですか?言わないなら俺に言わせるしかないっすよ!」
「っ!!」
乙女が力を込めると、鈍い音がして武の肩の関節が外され、声も無く武はもがき苦しむ。
武のその姿に、我慢の限界を迎えた京は走り出していた。
「はああっ!!」
武を見下ろす乙女に繰り出された京の拳は、呆気なく受け流されてカウンターを腹に受ける。
「ぐぅっ!?」
「一対一の決闘のはずだ。見ているのが辛いならお前が負けを宣言しろ!」
「京っ!?っっ!!」
刹那、起き上がり様の武の蹴りが乙女を防御ごと吹き飛ばした。
「た、ケホッ…武…」
踞る京を一瞬見てから乙女に向き直る武の目には、明確な殺意が込められていた。
「許さねぇ…許さねぇえええええっ!!!」
吠えて地を蹴る武は、これかと納得するように呟く乙女に迫る。
咄嗟に放たれた拳の弾幕を掻い潜りながら乙女の懐に入ると、左の掌打を突き出す。
しかしその掌打を掴まれ、合わせるようなカウンターの蹴りで武は校舎まで吹き飛ばされ、破壊された瓦礫に埋まる。
「大丈夫か椎名さん、武はどうしちまったんだ?」
「…わ、私が攻撃されたから…」
「キレちまったのか…前に武が話してたのはこの事だったのか」
「…すぐ止めます、私が声をかければ―」
「止めてはならん」
平蔵が京の前に立つ。
「何故ですか!?このままだと武も鉄先輩だって」
「あやつは学ばねばならん」
「学ぶって…」
「人は誰しも大きな力を持っている。だが、その力も正しく使えなければ己を不幸にし、己のまわりをも不幸にする」
「…大きな、力?」
「そうだ、純粋な力だけではない心の強さも含めてな…二条は何故そうなってしまったのかは分からんが、力と心のバランスが崩れておる、だから守ると言う気持ちより、相手を攻撃すると言う力の衝動に、我を忘れて獣のようになってしまうのだ」
「力と心のバランス」
「この戦いで鉄が教えてくれるはずだ…人を守るとはどういう事かを」
校舎の崩れた壁を撥ね飛ばして、武は立ち上がる。
壁に激突したのを利用して、外された肩を入れたのを確認する様に腕を回すと、再び乙女に向かって地を蹴る。
それを迎え撃つように小さく呼吸を溜めて、乙女が丹田に力を込めて構えた。
殺意すら飲み込むほどの乙女から発せられる威圧感に、一瞬足を止めた武を刃のような鋭い眼光が射抜く。
「二条武、全力でかかってこいっ!」
「お"お"っっ!!!」
威圧感を振り払うように声を張り上げて駆ける武と乙女が交差する。
弾幕のように放つ武の拳は、一つとして乙女の体を捉えることはななかった。
逆にそれに合わせるように放つ乙女の拳が的確に武の体を捉えていく。
打たれ強さが故に我を忘れた武は、防御をする事はなく、肉を切らせて骨を断つを体現するかのようにやられ様に手を出すが、やはり乙女には何一つ届かない。
「がはぁっ!?」
何度向かっていっても武の攻撃はかすりもせず、乙女の攻撃だけが武に刻まれていく。
何もかもが黒く塗りつぶされた世界で武は戸惑っていた。
京を傷つけられた怒りが溢れて京を守りたい想いを消していく。
ただ、目の前の敵を破壊する為だけの衝動に身を委ね、今まで幾人もそうしてきた様に向かっていく。
しかし、武の拳は乙女に届かない。
何故?戸惑いが怒りと動きを鈍らせる。
「何度来ようが同じ事だっ!」
乙女の綺麗な蹴りが武を地面に沈める。
武はすぐに立ち上がろうとするが、蓄積されたダメージがそれを許さない。
「はぁはぁはぁ…ぐっ!?はぁはぁはぁ…」
既に武の体は心に追い付いていなかった。
立ち上がろうとする意思に体が反応しない。
「いい加減に目を覚まさないかっ!!!」
ビリビリとまわりの空間が震動するほど、乙女の凛とした声が響き、その声が迷う武の意識を呼び戻す。
我に返った武は込み上げてくる吐き気に耐えきれず、その場で血の塊のようなものを吐き出して踞る。
「大丈夫っ!?」
慌てて駆け寄った京が武の背中を擦る。
「み、みやこ?…」
辺りを見回すと、一部が壊れた校舎に飛散している瓦礫、クレーターのようにへこんだ校庭に、心配そうに寄り添う京と見下ろす乙女。
その現状に、武は自分がキレてしまっていた事を悟る。
「なんだその様は、己を見失ってどうする」
「あ…お、俺は…」
「今までお前が怒りに身を任せて暴れた結果がどうなっていたか、見なくても察しがつくな」
乙女の言葉が武に突き刺さる。
「誰かを守る為に獣になってどうする愚か者がっ!人を守れるのは人だけだと言うことも分からないのか!」
「……人を守れるのは…人だけ?」
「そんな簡単な事も分からないから、側に居る人を悲しませて居ることにすら気づかないのだ」
武は咄嗟に京を見る。
その悲しそうな瞳に武の心は、乙女の言葉より深く抉られる。
「京…」
武の言葉に京は首を横に振る。
「…もう良いよ武、もう十分だよ…」
「京…ごめんな……負けちゃった………」
それだけ言うと、武は眠るように意識を失った。
「…お疲れ様、ありがとう武」
☆ ☆ ☆
武が目を覚ますと、そこは昔に一度だけ来たことのある部屋だった。
壁には本棚があり、本の他に精巧なボトルシップが並べられている。
「…対馬先輩の部屋か」
その昔、このボトルシップがきっかけで、武はレオと知り合いになった。
なんだかそれも、ずいぶん昔の事のように思えて懐かしさが込み上げる。
ふと、下からする声に武はベッドから起き上がって階段を降りる。
「…おはよう武、体は大丈夫?」
「いや、全然大丈夫じゃないです」
軋む体を引きずって、武は京の横に座る。
「あれだけ乙女さんにやられて、自力で立ち上がれるとかどんだけ打たれ強いんだよ武は」
「なんだか私ばかりが悪者みたいじゃないか、さっきから椎名には目の端で睨まれているし」
見れば乙女達は武がお土産で持ってきた水羊羹を食べていた。
「しかし、これは本当に手作りなのか?美味しすぎて手が止まらんぞ…ぐまぐま」
「確かに、伊達に賞をとってないな」
「ああ、まったくこんな美味い手土産まで用意されて食べてしまったら、もう断れないじゃないか…」
「「えっ!?」」
武と京の声がハモる。
「乙女さんも素直じゃないなぁ」
「うるさいぞレオ」
「あ、あの、それじゃあ…」
「勘違いするなよ?私はあくまでも決闘の結果を受けて引き受けるんだ。私にはあれ以上お前を攻撃できないし、お前も参ったとは言っていないのだからな」
武と京は顔を見合わせてから、勢いよく立ち上がる。
「「ありがとうございます!」」
深々と頭を下げる武と京に、乙女は照れたのを誤魔化すように水羊羹を口に運ぶ。
「あ、あのそれじゃあこれ、俺達の軍師のアドレスです。細かい連絡は携帯でするので、乙女先輩のアドレスも教えてもらって良いですか?」
「うっ…私は携帯を持っていない」
「ははっ、乙女さんは機械に弱くてね、連絡は俺の携帯を通してやる事にするよ」
「ありがとうございます対馬先輩」
「気にするなって、さて、それじゃあ話もまとまったし夕飯でも食べていくかい?と言っても家の夕飯はおにぎりがメインだけど」
「お気持ちは嬉しいですけど、すぐに戻って直接この事を伝えたいので今日は帰ります」
「そっか、それじゃあ外まで見送るよ」
武達が外に出ると日が少し沈みかけていた。
「今日は本当にありがとうございました」
「…ありがとうございました」
武と京はもう一度深々と頭を下げる。
「良いって良いって、ね、乙女さん」
「ああ…二条、今日私が言った事」
「はい、決して忘れません」
「よし、そうすればきっとお前はまだまだ強くなれる…大切な人を守れる位にはな」
「はい」
一礼してから去って行く武と京の背中を見送りながらレオは伸びをする。
「あ~なんだか大変な一日だったね」
「お前、最初から私を戦わせるつもりだったな?」
「あれ?ばれてた?」
「まったくしょうがない奴め、それにしても」
乙女の視線の先には武の姿がある。
「何か気になる事でもあるの?」
「いや、二条が一瞬見せた力、誰かに似ていたような…」
「ん?」
「まぁ気のせいだろう…さぁ!今日はなんだか熱いトレーニングがしたい気分だな!」
「げぇ!?」
「覚悟しろよ?私を騙した罰だ」
「お、お手柔らかにお願いします」
「だらしが無いぞレオ、この根性無しが」
もっとこう乙女さんはカッコ良く書いて、レオにも活躍させてとか色々考えて居たのに、なんだかグダグダになってしまった。
しかも、また途中で切りましたごめんなさい。
次回は京と武の仲を進めます…たぶん。
ではまた次回で。