生きる運命(さだめ)   作:にゃんちゅう

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呪森

暗がりの夜から日の出が頼邑を迎えるように辺りがうっすらと明るくなり始める。それでも、休むことなく走り続けていく。 やがて 、陽はだいぶ高くなってきた。よく晴れて、 大気には秋を感じさせる清々がある。ここも雨がないせいか、砂埃がたっていたが、爽や かな陽気である。

 

さらに休めることなく、走り続けていくと海原が見えてくる。青い空と海原のなかにくっきりの陽の光が浮かび上がって見えた。

 

「これが、海というものか」

 

海を見るのは生まれて初めてのことだ。いつか、長老が海といのは青々とした水は塩辛いと言っていた。海は地平線にのび、それはどこまでつづいているのか頼邑には想像できないものだった。 東へ向かう頼邑に潮風が心地好かった。

 

そして、海をはなれ、再び景色は森へと変わる。 しばらくすると、右手に寺が見えてきた。境内はひっそりしている。

 

頼邑は 、馬のアオをとめ、そこから足で歩き、山門をくぐると庵の方に歩いた。ふいに、前を歩いていた頼邑の足がとまった 。庵の前に人が立っていたのである。

 

この寺の和尚だった。

 

頼邑の姿に気付いたのか和尚が近寄ってくる。

 

「もし、旅人のお方であられますか」

 

和尚は、穏やかな微笑みを浮かべて頼邑を見つめていた。

 

それから、頼邑は庵の中で茶菓子を馳走になった。

 

「では、あなたの国ではそのようなことが起こっておりましたか……」

 

頼邑が旅をしているわけを聞いた和尚は、湯のみを持ったまま虚空な眼で、

 

「やはり、あの森のせいか」

 

と、顔をゆがめてつぶやくように言った。

 

「森」

 

頼邑が訊いた。

 

「ここから、さらに山を越えたところに、豊かな暮らしをしている集落があるそうです。その先には、神々が宿る深い森がある。それは、不死の森と呼ばれております」

 

和尚は、まだ湯のみに虚空にとめたままである。

 

「その森は、ここから何里ほどでしょうか」

 

和尚は手にした湯のみを飲まず膳に置いた。

 

「行こうとするのはやめなされ。その森は、またの名を呪われた森と呼ばれております」

 

急に声を低くし、眼付きも変わっていた。

 

「…………」

 

山の向こうの夕日が辺りを赤く染めていた。カナカナと ひぐらしが鳴いていた。

 

 

 

縁側に虫の音が聞こえる。 夜気が青く澄んで 、十六夜の月がかがやいている。宿無しの頼邑に和尚は、快く泊まることをすすめてくれた。ちょうど、弟子たちの使っている部屋の斜向かいの部屋が空いていたので、そこへ頼邑に好きに使っていいと言ってくれたのだ。

 

頼邑は、夕餉のときに、和尚が話したことが頭からはなれないでいた。瞼を閉じれば、故郷が脳裏に浮かぶ。もうわずかな食糧さえ残っておらず、餓えに苦しむばかりではなく、 挙げ句、里の宝とされてきた子供まで手にかけようとした。 里の皆の痛みがよみがえったと同時に、和尚の言葉がまるで交差するかのようによぎった。

 

頼邑の背後に真夜中の寝室にゆるやかに揺れる庭木の影が落ちている 。まるで、気持ちがそこに写り出されているかのようだ。 月は、頼邑の心情を試している かのように雲に隠れてはまた、光を照らし、隠れてい った。

 

薄らと夜が明け始めた紺色の空に細かい枝葉が影を落としている。秋らしい清やかな風が吹いている。庭にある柔らかい緑が青白く浮かんでいた。

 

チュン、チュンと鳥の鳴き声が聞こえる。

 

二羽の鳥が庭先で餌をついばんでいる。

 

和尚は、頼邑が寝ている部屋に足を進めた。その足は、腰高障子の向こうでとまり 、和尚は障子に手をかけた。しかし一瞬、 時がとまったかのように手が動かない。遠方から聞こえてくる鳥の鳴き声が耳元で聞こえ る錯覚がした 。

 

がらり、と障子を開け和尚が見たのは、すでに畳まれていた布団とその上に紅葉が置かれていた。

 

「行ってしまわれたか」

 

呟くような声であったが、その声は空へと向かって消えていった。

 


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