「こーんにちわぁー。あーけーてぇー」
「あーけてぇー」
昼過ぎ。
ホツリ村の面々も畑作業だの、仕事だのを一時休止し、休息している頃合いだ。
ヴァリエは自宅を出て数分もせぬ内に隣家へ到着し、玄関扉をコンコンと叩き、間延びした声を発していた。
娘のセリエはその隣でそわそわと佇み、やはり母と共に声を上げていた。
ノックの音から数秒ほどして、「はーい」と返事が返ってきて、そのあとにぱたぱたと歩く音が聞こえてきた。
「お待たせ……ってやっぱりヴァリエじゃない。セリエちゃんも」
「遊びにきた!」
「きました!」
同じ顔をした母娘が揃って手を上げ、にこやかに笑みを浮かべる。
それを隣家の女性こと、ティルテュ・ネインツェルは微笑みながら見やるのであった。
「セリエちゃん!」
「クロねえちゃん!」
ティルテュが家の中へ招こうとした時、女の子が玄関へとやってきた。
ティルテュの娘であった。名前をクローチェという。
セリエより二年ばかり早く生まれ、二歳年長の幼馴染みであった。
深い群青色の髪を伸ばし、顔立ちもまだ幼いながらもすでに整っているといえた。
セリエにとっては自分のなりたいと思う、憧れのお姉さんである。
一方でクローチェの方もセリエの事は妹のように可愛がっていた。元々年齢の割にしっかりした性格だといわれていたが、セリエを前にすると殊更にお姉さんぶり、さらに落ち着きと気配りの出来る彼女だった。
髪の色など違わなければ、姉妹だと言われても信じるほどに仲の良い二人であった。
そのクローチェが玄関先に出てくると、セリエは勢いよく飛びついた。
自分へ無邪気に甘える妹のようなセリエの頭を優しく撫でると、クローチェは少し上へ視線を向ける。
「ヴァリエおねえさん、こんにちは」
「クロちゃん、こんにちは。相変わらず可愛いね。へへへ」
「村の男どもみたいな事言わないの」
「可愛いのは事実じゃん。言い方が怪しいのは仕方ないよ」
「何が仕方ないんだか」
控えめで丁寧に慎ましく挨拶をするクローチェ。
この歳で、すでに自分よりもずっと優雅で上品に振舞える姿にヴァリエは実のところ感嘆を隠せなかった。隠す気もなかったが。
自分の五倍は礼儀正しく、大人びているのではないかとも思った。
この表現をホツリの村人達が聞けば、一笑に付すであろう。
五倍とは控えめな。十倍の間違いであろう。いや、十倍とは言いすぎだ。八倍くらいにすましてやれ、などと口々に言ったに違いない。
それをヴァリエが聞けば、手加減しつつも並々ならぬ膂力で報復にやってくるので、迂闊に口にはしないのだが。
そんなヴァリエがクローチェを褒める言い方は、酒場で飲んだくれている男連中が受付嬢へ声をかける時のそれとよく似ている。
下卑っぽい褒め方だが、半ばは自分よりもしっかりとしている五歳児への賞賛と、その幼い女の子より落ち着きのない自分への気恥ずかしさが入り混じっていたのかもしれない。
それをおおよそ理解しているからこそ、一応は注意していてもティルテュの表情はいたって穏やかである。
挨拶や仕草などもそうだが、そもそもが外見からしていてもクローチェは既に頭角を現し始めていた。
ティルテュ譲りの群青色の整った髪に、小さな輪郭には整った鼻梁と口唇、眠たげな群青の瞳が綺麗に収まっていた。
振舞いがしっかりとしていて、幼くして気立ても良い。こりゃきっと将来楽しみだ、等といえば本当に酒場で飲んだくれているようなおっさん連中のような言い方かもしれない。
とはいえ、クローチェを良く思っているのは事実である。
なにより、二十歳を過ぎて一児の母である自分の事をまだおねえさん等と言ってくれるのだから!
そんなクローチェが遠慮がちにもじもじとしながら、ヴァリエへ視線を向けた。
「あの、セリエちゃんと遊んできてもいいですか?」
「もっちろん! むしろ、こっちからお願いしてもいい?」
「はいっ!」
「セリエ、お行儀よくして、クロちゃんの言うことをよく聞いてね」
「はーいっ!」
躊躇いがちに問いかけてきたクローチェの表情がぱぁっと輝いた。
セリエの手を引きながら、慌ただしくならない程度に早足で自室へと向かっていく。
二人が部屋へと入っていくのを見届けると、ティルテュはヴァリエをあらためて招くのだった。
「リオレウスの討伐……ねぇ」
昨日の出来事を一通り聞いたティルテュの顔に浮かんだのは、最初は心配げな表情だった。
おそらくはヴァリエに怪我がないか、身体を見て回すと、怪我はなさそうだと安心するも、次に困惑した様子を見せる。
よくもまぁ、現役から三年離れていて、火竜相手に難なく立ち回れたものだと感心もした。
だが、どうして急にリオレウスが出てきたのだろう。最近はこのあたりで飛竜も中々見かけなかったのだが。
「シュウさんは何か言ってたの?」
「んー、縄張り争いで負けたのが出てきたのかもとか、なんとか……でもシュウも不思議がってたね。最近はレウスとかホントに見なかったし、遠くでの討伐依頼ばっかりだったもんねぇ」
このあたりでリオレウスが縄張りを作る場所など限られるだろう。
村の周囲などは草原地帯が広がっているから、あんなのが飛んでいればすぐに分かる。
西にあるリムルの森林地帯や、南のポタモス川などあたりも、やはり見かければすぐに分かってしまうだろう。
となれば、ホツリから北のユーリアの山々であろうか。山地であれば、確かに巣は作れると思うし、方角的にヴァリエ達が移動していた街道へやってくる可能性も少なくない。
たまたま発見されたばかりに襲い掛かられた商隊達は不運といわざるを得ない。
しかし、不幸さ具合でいえばリオレウスの方が上だろう。
たまたま襲い掛かった手頃な餌相手の中に、人の形をした竜などと称されるヴァリエが紛れていたなど、想像もできない災難そのものだ。
とはいえ、火竜にして空の王と名高いリオレウスを巣から追い出せるようなモンスターがそうそういるのだろうか?
いたとして、今まで目立たずに活動していたのか? 流れのモンスター?
「他にもレウスがいるのかもってシュウは言ってたなー。あるいは二つ名持ちかもって」
「じゃあ、近いうちに依頼があるかもしれないわね。大きな相手なら、ここのハンター達は喜ぶでしょうよ」
理解しがたい、と言いたげに目を細めるティルテュだった。
リオレウスに縄張り争いで勝つような相手なら、自然とその相手も相応の強さが求められるのは自明の理であった。
相手が強ければ強いほど、怪我をする可能性も高く、それどころか死に至る可能性も飛躍的に上がっていくというのに。
というのに、なぜかホツリ村のハンター達は特に喜び勇んで向かっていくのだ。その結果、還らぬ者も決して少なくないのに。
二つ名持ちというのは、同じ種族のモンスター達の中でも際立って強い個体に与えられる通称であった。
それこそ、飛竜のリオレウスでも、烏竜のランポスであっても、長く生き残り続け、敵対者を破り続けていれば、おのずと人々の印象に残っていき、やがては二つ名を付けられるのだ。
駆け出しの新米などはもちろん、熟練のベテランハンターさえ返り討ちにしてみせる実力を備えてこその二つ名だ。当然ながら、同族の中でも際立った強さを持っている。
そのかわり、強い分だけ懸賞金もかかっていて、討伐した時の実入りも大きい。なにより、倒してみせれば名も響く。
富と名声を求めがちなハンター達にとって、願ったり叶ったりの相手だった。
ハンター側にも二つ名持ちは多く存在する。
たとえばヴァリエなどは【竜姫】の異名を持ち、その名に恥じぬ実力者であろう。
飛竜の多くを倒し、同じ異名を持った雌の火竜を倒した時に、若くしてその名を付けられたのだ。
通称で呼ばれている者の多くは、それ相応に実力を備えているものの、中には自称で二つ名を好んで名乗る者も少なくない。
自称から通称に至るまで生き残れるハンターは多くないが……。
「で、ヴァリエからそういう話があるって事は、もしかしたら貴方を指名する可能性があるって事?」
「分かんないね。でも、可能性はあるかも。色々と尾ひれがついて噂になってるかもしれないってシュウが言ってた」
「まあ、それだけの事をしてたらねぇ……」
空の王と名高いリオレウス相手に、防具は身に着けず、道具や罠も使わず、己の大剣のみで叩きのめす。
しかも無傷で、だ。
三年間、丸々と現役を離れていたハンターの復活劇にしては、出来すぎなレベルである。
それを易々と出来るハンターがこの国だけでも、一体どれだけいる事か。
出来の悪い冗談だ、と捉えてくれるならまだいい。
誇張にしては度が過ぎる、ありえない事だ、もう少し現実的な妄想にすべきだ等と鼻で笑ってくれたら、そのうちに沈下していくであろう。
だが、二つ名を持ち、現役を退くまでは最高位のG級(クラス・グレート)近くまで名声を高めてきたヴァリエが噂の対象者であると知れば、幾分か信憑性を帯びてくるかもしれない。
ルクレイアという国において、ヴァリエの名を知らぬハンターの方が未だ少ない程度には名は知れている。
三年も経ち、目立った活躍も噂されなくなれば、流石にその後の行方を知らない者もいるので、どこかで飛竜と戦って命を落としたという話も少なくはないらしい。
あるいは、現実に見かけたとしても、名前や異名に比べると圧倒的に顔は知られていないのがせめてもの救いであろう。
異名から勝手に連想する姿に対し、実物が想像と違っていて気付かなかったケースも幾度もあった。
実際のヴァリエであると知ると、なぜか落胆したような顔を浮かべる者もおり、その都度ヴァリエは憤慨したし、周囲の者が宥め、賺せるのであった。
ホツリ村でも一度や二度ならず、そうした場面に遭遇したティルテュなどが宥めたものである。
周辺の都市でも、もっとも近い北方のヒュルックや、あるいは東方のユーステリアなどはヴァリエの存在を把握している。
だが、この三年間においてヴァリエが出向くほどの大きな危機も訪れず、大概の依頼は近隣のハンター達でどうにかなっていたのも、今日までヴァリエが戦わずに済んだ一因であろう。
よしんば近隣のハンター達が勝てなくとも、ホツリ村には戦意に満ちすぎたハンターが集っているのだから、放っておいても依頼は次々と消化されていった。
もしかしたら強敵が潜んでいるかもしれない、との期待もあってかキノコ採集の依頼ですらも早々に受諾してなくなってしまう有様だ。
依頼する側としては早めの解決も望め、しかも成功率も高いので願ったり叶ったりの状況ではあったのだが。
と、話を戻して。
ヴァリエがこの三年間は目立った活動もせず、事実育児や家事に専念していたわけであるが、モンスターハンターとして現役復帰を果たすのであれば、周辺の都市部や村々も黙ってはいなかった。
噂に名高く、事実その名に違わぬ実力を示すヴァリエと、つながりを持っておいて損はないと考えているからだ。
噂の中には、ルクレイア国内でも有数の高級貴族や、騎士団の団長やハンターズギルドの上層部ですらも、ヴァリエには一目置いているといわれてきているのだ。
ヴァリエとのつながりは、ただ単純に有望なハンターとの関係を築くのみにあらず、ルクレイア国内の権力者とのコネクションにもつながるのだと捉えているのである。
例外として、ヴァリエの人柄を面白がり、単純に親交を深めたいだけの者もいたが、それらは極めて少数派であった。
であるからして、リオレウスの討伐報告がヒュルックへ届いているのは間違いないし、その討伐内容を知ればおのずとハンターズギルドの上層部も、都市の権力者達もヴァリエに着目するのは間違いなかった。もっとも、シュタウフェンの予想であったが、ヴァリエも信頼する夫の考えを否定しなかった。
あの時、シュタウフェンが倒した事にしたら良かったのかというと、それも難しかったとシュタウフェンは言う。
ヴァリエに比べて一段どころか、何段も劣る実力であったシュタウフェンが炎剣を持っていたからと勝てるか? といえば、答えは否であろう。
ハンターの討伐報告は基本的に虚偽をしてはならない。当然の事である。
低ランク側に属するシュタウフェンが唐突に火竜を無傷で倒したとなれば、ギルドとて疑問や不審に感じるであろう。
そして、現場検証や火竜の遺骸を調べて、傷痕などを詳しく調べれていけば、戦ったのがヴァリエであると結論付けられるのも時間の問題というものだ。
実際、状況証拠だの、その場にいた面々を考えても可能性が唯一なのはヴァリエくらいしかいないのだから。
もしも検証の際にでも、シュタウフェンへ試しに炎剣を振ってみろと言われれば、炎剣に振り回されるシュタウフェンが苦い笑みを浮かべるに違いなかった。
「もし、私が指名される事があったらだけど……」
「分かってる。セリエちゃんはうちで見るわ」
「うん、ありがと」
申し訳なさそうにおずおずとしていたヴァリエがみなまで言わない内に、ティルテュが答える。
むしろ、三年間狩りに携わらずに、よく保った方だと思うティルテュだった。
ふと、幼い頃の思い出を脳裏に浮かべた。
幼い頃からの付き合いである以上、ヴァリエの人柄だの為人、性質は知悉しているティルテュである。
今のセリエ、というよりはクローチェくらいの年頃だったろうか、四歳か五歳の頃にはヴァリエは猪のようなモンスターであるブルファンゴのごとし猪突な子供であった。
お淑やかさは母親の胎内に置いて生まれてきた、などとタチの悪い冗談を言われる程度には勝気で男勝りなヴァリエである。
村の主だった悪ガキ連中などは、一日も経たずして小さなヴァリエに叩きのめされ、子分にされてしまった。
例外があったとしたら、ギースくらいだろう。彼だけは子供の時から大人になった今に至るまで、屈する気配をみせずにいる。
「きょーからアタシ様がこの村のボスだわよ!」
変な言葉遣いのヴァリエであったが、子供ながらに腕っぷしは強く、自分よりも年上の少年すら一方的にぶん投げては泣かして回るのだから、とんだ暴れん坊である。
自分より弱い者を好んでいじめる性格ではなかったが、向かってくる相手は大人であっても噛みつくほどに負けん気も強い。
狂犬だの猪娘だのと好き放題に言われていたし、本人はむしろそれに満足げな反応すらみせた。
特に誰かが口にした飛竜の娘というあだ名は、ヴァリエの気に入った名前であったのだが、こちらはあまり使われなかった。ヴァリエはがっかりした。
さて、そんな娘の様子を知るヴァリエの両親、特に父親はいつも苦労していた。
絵に描いたように真面目な父親だったな、とティルテュなどは時々思い出す。
母親の方はヴァリエのお転婆ぶりに「あらまぁ」といつも笑顔で見守りつつ、怪我をさせた子供の親もとへ謝ったり、手土産を持って行ったりとして、ヴァリエのさりげないフォローをしていたように思う。
だが、きっとヴァリエは母親譲りの性格だったのだろうと、今では思うティルテュだった。ヴァリエの母ときては、怒っている時でさえも笑顔を絶やさないのだが、纏う雰囲気は尋常でなかったからだ。さしものお転婆娘もこの時ばかりは黙って正座をし、母の言葉を聞き入っていたのを見かけたのは一度や二度どころではなかった。
癖の強い髪や髪色に、容姿も母親の血を強く継いでいた。
父親も次第にはヴァリエの矯正は諦めの域に達していたが、それでも微かな希望は捨てきれずにいた。
上品だとか、清楚などまでとはいわないが、もう少し落ち着いてほしい。具体的には村の男連中を殴ったりしないでほしいと思った。
そんな父親の願いは知ってか知らずか、ぐんぐんとヴァリエは活発に明るく育っていった。喧嘩は変わらず日常茶飯事だった。
しかし、やりたい放題、暴れ放題の振る舞いも、歳を取るにつれて落ち着きを見せてはいった。
泥にまみれず、返り血も浴びずに帰ってくるようになった娘を見て、心の底から父親はホッとしたものだった。
この頃に常用していた胃薬の内服量も減りはじめた。
だが、代わりにモンスターハンターに対しての意欲は加速度的に跳ね上がった。
村で活動していたハンターに対して憧れを抱くのに、時間は必要としなかった。
私もモンスターと戦ってみたいと考え、大人になるまで待つなどまっぴらだと結論付けた。
「ハンターかっこいい! アタシもハンターになる! 明日からなる!! いや、やっぱり今日なる!!!」
父親の反対をはねのけ、ヴァリエは宣言した翌日には酒場兼、ハンターズギルドへと顔を出して登録を申請した。
だが、その時のヴァリエはまだ七歳だった。当然ながら早すぎるのと、酒場の入口あたりで心配と不安と恐怖で胃に穴の空きそうな青い顔をした父親を慮って、受付は丁寧に断った。
当然ながらヴァリエは断固として抗議したし、反抗もした。
酒場の前に居座り、年齢制限反対! 今すぐハンター登録を認めろ! などと年齢に似つかぬ言葉を用い、それに対して笑みを零す者や、呆れる者、年端もいかないのに命知らずな、と感歎する者もいた。
隠れてギルド所有の馬車に乗り込み、依頼を受けるハンターに同伴しようとした事は数十回以上。
ギルドからハンターに向けて送られる支給品に紛れる事も同じく数十回以上。
堂々と名を偽り、歳も偽って、流石に変装はしつつも、ハンター登録をしようとしたのは数百回にのぼった。
しまいには、家出して馬車に乗り、遠くの街とやらで別の名前を用いてハンター登録してしまえばいいじゃないかとすら計画を始めていた。
それらすべてを見破られ、あるいは咎められ、注意を受けて首根っこをつかまれて放り出されるヴァリエだった。
諦めという言葉は辞書にないし、懲りるなど、そもそもが存在すらしないヴァリエであったが、次第にそうした行為もなりをひそめた。
村の中で活動しているハンターの中でも、有数の実力を備え、そのうえで人格面でも定評のあるアルバスというハンターがヴァリエの面倒を見ると言い出したからだ。
元々、年齢が幼すぎる事と父親の心労を除けば、身体能力も度胸も子供ならざるそれを持ち、なによりもハンターへの意欲も熱意も高い。
ハンターとしてどこまでやれるのか、期待する声は大きかったのだ。
アルバスの外見からハンターを連想するのは容易だった。
特徴的すぎる形をした厳つい強面に、それに劣らぬ巨体、隆々とした筋肉の塊。
幼かった事を踏まえても、アルバスの腰元にすらヴァリエの背丈は届かなかった。文字通り見上げる存在であった。
そんな大男に常に見開いたような大きな目に見据えられれば、大人でも竦んでしまう。
初見の時は、怖いもの知らずだったヴァリエも流石に一瞬戸惑った。その時に心配で様子を見に来ていたティルテュなどはその比でなく驚愕し、恐怖した。
真剣にヴァリエを連れて逃げ出そうと考えたくらいだった。
だが、そのあとのアルバスの言動や様子を見て、考えは改めなおした。
「吾輩がアルバスですぞ。ヴァリエ嬢、よろしくお頼みします。そちらのお嬢さんも」
「へっ、へぇあぃっ!」
「は……い……」
ビビッて甲高い変な返事をしてしまったのは、ヴァリエの終生の黒歴史の一つだった。
心配でそばに来ていたはずのティルテュなどは恐怖のあまり、声もまともに出なかったので、ヴァリエを笑えなかった。
幸い、アルバスが他者にそれを洩らすような性格ではないので、誰にも知られていないが。
アルバスが村の中でも実力のあるハンターである事は、ヴァリエも知っていたし、実際に関わってみてそれは疑いようのない事だと理解した。
ヴァリエよりも遥かに重そうな武器を軽々と担ぎ、振り回してみせていたし、モンスターを相手に縦横無尽に暴れまわる姿を見てすぐさまに憧れと敬いを示した。
しかも、強面の割には言葉遣いは至って丁寧で、物腰も柔らかい。教え方も非常に理にかなっていた。
まだ幼いヴァリエに対しても、口調は紳士的で、最初は小ばかにされているのかとも思い、ヴァリエは不貞腐れる事もあった。だが、どうやら誰に対しても懇切丁寧なのだと分かると、次第に影響されていった。
強いからこそ、無闇やたらに強がってはならないのだと、暴力を振るって従わせてはならないのだと、アルバスが常々から言っていたからだ。
いわゆるお嬢様のような、お淑やかさや華やかさとは無縁であったが、腕白すぎる幼少期に比べれば天と地ほどに改善されていったといっていいだろう。
村の中で喧嘩する事もすっかりとなくなり(それでも口喧嘩や手が出そうになる場面はいくらかあったし、手加減してとはいえ実力行使も少なくなかった)、それだけでもヴァリエの父親の心労や胃痛は劇的に改善された。
ヴァリエの父親がいつもアルバスに感謝していたのはティルテュもよく覚えていた。
同時にホツリ村の人々からも、狂犬を飼いならした飼い主だの、猪を手なづけた勇猛な戦士だの、竜娘の師と賞賛し、アルバスは後日それを聞いて苦笑するしかなかった。
ハンターとなってからのヴァリエの成長ぶりは目覚ましく、まさに天職であったといっていいだろう。
当初はまだ幼く、成長期である事を踏まえ、まず基礎体力や知識を付けてから実践との教えに、素直にヴァリエは従った。
ただ暴れまわるのと、戦いの中で必要な筋肉や身体の動かし方は違うのだとアルバスがいえば、周囲が驚くほど素直にヴァリエは真摯に臨んだ。
十歳になってから、大人顔負けの腕力で大剣を振るうようになると、アルバスも初の実戦を積ませることにした。
そうなってからの勢いはまさしく飛躍といっていい。
ハンターとしての実力を示唆するランクは全部で七つだ。
下から誰でも最初はここから始まるF級(クラス・フェイタル)
初心者より少しマシといわれるE級(クラス・エイター)
脱初心者といわれるD級(クラス・デイジャー)
熟練の域に達したとされるC級(クラス・コモン)
優秀と称してもいいであろうB級(クラス・ベター)
天才の到達点ともいわれるA級(クラス・エース)
そして、最高峰にして、人の域を外れた者達が最終的に行き着く先がG級(クラス・グレート)である。
その内の最下級であったF級を一週間もせずして卒業し、同時に村の最短記録を更新した。
次いでE級の滞在記録も一週間で卒業、これまた村の最短記録を更新した。
その上のD級は卒業、もとい昇格のための必要な相手が中々現れなかったが、手頃な飛竜を討伐して、すぐにC級へ昇格した。
翌、十一歳になると、村周辺に強敵といえる相手がおらず、なのに本人はB級へいつでも昇格できる実力だった。
アルバスはこのまま才能を埋もれさせるのは惜しいと考えた。とはいえ、いかに実力があってもまだ若い。
世間へ放り出すには不安があった。ハンター稼業ほどに、世間での常識だの作法が身についていないからだ。
「エールトベーレ学院?」
そんな折、アルバスは弟子であるヴァリエにハンターの養成機関がある事を教えた。
ルクレイア国内の王都で、世界中のハンターを目指す者達が集う場所があるのだという。国内どころか、他国からも色んな者達が入学しにやってくるだろう、と。
すぐさまにヴァリエは興味を持ち、関心を持って飛びついた。
そんな夢のような場所があるのかと狂喜乱舞した。
だが、入学するには色々と知識が足りてない、いろんな人々と関わる面で礼儀だの作法だのが足りてないといわれると、顔を顰めた。
勉強だの習い事はヴァリエの苦手とするところだ。ましてや礼儀作法などくそくらえと公言していた有様である。おおよそ年頃の少女と言い難いふるまいであろう。
しかし、これから村の面々だけでなく、よその世界を知るのだから、絶対に必要な事だといわれると強く反対できようはずもない。
ましてや、学院の入学時には試験というものがあり、その中には知識を問う筆記試験があるといわれてしまえば、勉学から逃れる事は不可避だったのだ。
知識がなければ、たちまちに利用され、騙される事だって往々にある、ましてヴァリエはうら若い少女であるから、様々な悪意をもって近づく輩も出てくるだろう。そうした危険を懇々とアルバスは説き続けた。女性特有の危険想定に関していえば、親友たるティルテュも日頃から強く注意喚起をしていたし、流石のヴァリエも無視はできない。
この時にはまだ幼さを残す年齢であるというのに、既に師であるアルバスと同等か、あるいはそれ以上の実力を備えたヴァリエであった。
だが、依然としてアルバスの事は尊敬していた。ずっと驕り高ぶる事もなく接してきていた師の人徳であったのだろう。
そのアルバスの言う事である以上、彼女は耳を傾けざるをえなかった。
慣れない勉強に時間を費やし、識字にも努力を欠かさなかった。ハンター登録からして、字が書けなくては話にならないといわれれば、危機感もひとしおであった。
依頼の内容を読んでくれる者だって向こうにいるとは限らない。それどころか、分からないのをいいことに、利用される可能性すらありうる。数字が分からなければ、相場よりもずっと高く道具などを売りつけられるやもしれないし、逆に素材を安く買い叩かれる可能性だってある。
最低限の経済観念についても、アルバスは叩きこんでいった。
結果として、十二歳でヴァリエは一通りの知識と、すでに大人顔負けの技量を持つハンターとしてホツリ村を出て、遥か北方の王都へ旅立った。
父親もこの頃にはヴァリエのする事へ理解を示したのか、はてさて止めたところで止まらぬと諦観の域に達していたのか、素直に入学を認めたのだ。
母親の方は相変わらずにこにことしていたが、ヴァリエにいくつか気を付ける事を伝えていた。ヴァリエもそれに素直に頷き、いささか真剣に聞いていた。
そこから先の数年間はティルテュも詳しくは知らなかった。
ヴァリエやシュタウフェンなどの話を聞いた限りで断片的に知るのは、学院でとりあえず筆記試験はギリギリだったが、実技試験は文句なしのトップクラスで合格をしたという事。
その後、三年間の在学中にトントン拍子にB級、A級へと昇格していった事。
多くの学院生徒達と親睦を深めていき、その中でのちに伴侶となるシュタウフェンと出会った事。
そして、学院を卒業する頃には、今の異名である【竜姫】で呼ばれるようになっていた事くらいだ。
時々、長期の休みがあるらしく、ホツリ村にも足を運ぶことがあった。
その内の一度は父親が急病で弱ったからだ。ほどなくして急変し、それを看取ったヴァリエはおそらく泣いていたのではないかと思う。
感情豊かなヴァリエであるが、親友であるティルテュですらもヴァリエの泣いた姿を見たことがない。
強くあろうと、人前では泣かないと決めているのでは? とも思ったが、真偽は定かでなかった。
それからほどなくして、母親も変わらずにこにことしながら、どこかへ旅立った。
行先も、目的も分からぬ旅であった。このあたり、やはりヴァリエの母親であるのかもしれない。
時々は戻る、と言っていたものの、その後はヴァリエがセリエと共に村へ来た際に一度帰ってきただけで、今はどこにいるやも分からない。
そこからヴァリエはあちこちを旅し、そのうちにシュタウフェンと結ばれ、セリエを授かって村へ帰ってきた。
ホツリ村に来た頃には、すでにセリエは一歳となっていた。どこで産んだのか、どこで育てていたのかは誰も知らなかった。
この時、ヴァリエは二十歳になるか、否かというところだった。
ヴァリエが誰かと結ばれた事にも、子供を作ってきた事にもホツリ村の面々は驚きを隠せなかった。
ティルテュですら、いささか驚いた。
エールトベーレ学院の在学中のヴァリエより、なんとなく気になってる相手がいる、という事は聞いていたが、失礼ながらこういう大人しそうなのが好みだったのかとも思った。
シュタウフェンの人柄はいたって誠実で真面目で、物腰も柔らかくて社交的な人物だ。もちろん、不満点などあるはずもない。
だが、どちらかというと、ヴァリエは自分と似たような活発な相手とくっつくのでは、と想像していたのだ。
たとえばだが、幼い頃から一番の喧嘩仲間だったギースなどのように。こちらも意表をつくようにして、大人しそうな子と結婚したが。
ともあれ、セリエの出産後から三年間。
ホツリ村へ来てからは約二年間。
本人が宣言したように、狩りからは離れ、家事や育児に専念するといったのは誠に真実だった。
その力量が宣言通りに及んでいるかはさておき。熱意だけは言葉通りに伝わってきた。
「でも、こんな事言ったら悪いけど……」
「ん?」
「シュウさんが家事とかしてる方が、多分効率はいいとは思う」
「ぐっ。うん、まぁ、私もそう思ってはいる」
にが虫を噛み潰したような表情を浮かべるヴァリエ。
セリエが産まれ、ハンター業から遠ざかってからもずっと言われ続けた事である。
ヴァリエも自覚していた。
シュタウフェンは万能多才であり、ハンターとしては並よりマシ程度だが、他は大概器用にこなしてみせるのだ。
家事だけに限定したとしても、調理もまず失敗しないし、掃除や洗濯、炊事に買い物もスムーズにこなす。それでいてセリエの世話とて手も抜かない。
妻たるヴァリエが苦戦している時にさらっと手伝い、彼女の負担を減らしていった。それを恩に着せるでもなく、静かな笑みを携え。
知識が元々豊富で勉強熱心。それゆえかあらゆる職業の手伝いも難なくしてみせた。
出来た旦那だ、といわれた事は数知れず。
傍目から見ても、ヴァリエがハンター業をして稼ぎ、シュタウフェンが家事や育児に時々仕事をしたらいいのでは? との疑問が浮かぶのである。
それこそが適材適所というものだろう、と。
お互いが苦手な分野を担う意味が分からないと。
ヴァリエがハンター業をしていれば、またぞろ知名度にあやかってか偉い身分の連中が寄ってくるだろう。
それでストレスがたまっていくヴァリエを見かねているからこそ、シュタウフェンがハンターとして活動してくれている事を十分すぎるほどにヴァリエは理解していた。
申し訳ないという気持ちも、この頃は強く出ていた。
同時に、久しぶりに火竜を相手どって楽しかったとも思った。
そろそろ慣れない家事だの育児と離れる時期が来たのかもしれない。
とはいえ、セリエの世話を焼いたり、成長具合を見ているのは苦でなかった。
いつまでも上達せず、平均点にも満たない食事を口にせねばならないセリエを思うと、それでいいのかと不安も募るが……。
「セリエちゃんの心配してるのも分かってる。でも、もし家を空ける時はいつでも頼っていいから」
「うん。ありがとね、ティル」
「いいわよ。ご飯だって、時々といわず、いつでも作るんだから。もっと頼りなさい」
「う”っ。とっ……時々はお願いするかも」
「まあ、貴方の心配も杞憂に終わればそれまでだけどね。ここのハンター連中は依頼があれば飛びつくんだし、貴方が出るまでもないかもしれないじゃない」
「だといいんだけど……」
そんな二人の考えはあっさりと数日後に裏切られる。
後日、ヴァリエの元に思いがけぬ形で依頼が舞い込む。
そして、ユーリアの山々を中心とした戦いが繰り広げられる事になる。
のちに、それはユーリアの戦いと呼ばれた。
その戦い自体は勝利に終わる。しかし、竜姫は再びモンスターハンターへと返り咲かざるをえなくなるのであった。
そして、その果てに辿り着く結末を彼女はまだ知らない。