「おい、ヴァリエ」
ヴァリエが酒場を出ようと向かっていた時、テーブルから麦酒を片手にギースが声をかける。
常に不敵な笑みを浮かべたこの男が、今は面白くもなさそうに口を尖らせていた。
一方で声をかけられたヴァリエの方は、苦手な報告書の記載に消沈しかけていたのが一転して、楽しげに目を輝かせた。
「おぉ、ギィじゃん。おっひさぁ。ルークもお疲れ様」
「えぇ、ヴァリエさんこそ、大変だったようで……」
「てめぇ、ヴァリエ。変な呼び方すんな。レウス狩ったぐらいで調子乗ってんじゃねーぞ」
「ふふふ、そんなん言って羨ましいんでしょ~。ギィも戦いたかった?」
「あ”ぁん? あったりまえだろ、そんなモンッ!」
にひひと悪戯じみた笑顔を見せるヴァリエに対し、ギースは犬歯を剥き出しにして睨みつける。
基本的に容姿通りの屈託のない性格をしたヴァリエだが、ギースと関わっている時は特にそれが顕著であるように思えたルークだった。
事実、この二人は幼い頃からずっと喧嘩続きの幼馴染みであったと聞く。
腐れ縁とでもいうべきなのだろうか。
歳を重ね、互いに家庭を持って落ち着いた立場になっても尚、こうして出会うと子供時代に戻ったかのようなやりとりをしていたのだった。
流石に大人になった今、本気でやりあう事もなくなってしまったが。
代わりにというべきか、ハンターとしての腕を競い合うようになって久しい。もっとも、ヴァリエの方に分があるのは悔しいがギースも認めるところだった。
「つーかよ、なんでレウスがいきなり出てくんだよ。っかしぃだろ」
「そりゃぁ……狩猟の神アルテが頑張ってる私につかわしてくれたんでしょ。多分」
「てめぇでも思ってない事を言ってんじゃねぇ。で、腕は鈍ってなかったかよ」
「あったり前じゃん。私を誰だと思ってんのォ? 余裕の無傷勝利でした~」
「けっ、相変わらずふざけた奴だ」
不愉快さを隠しもせず、ギースが勢いよく分厚い肉を噛み千切る。
同じテーブルで食べていたルークなどは、その様子を苦笑しながら見ているしかできない。
ギースがヴァリエをライバル視しているのは周知の事実だった。
幼い頃はともかく、ハンターとなってからのヴァリエの伸びは目覚ましく、竜姫の異名がついた頃には差が縮まりそうもなかったのだ。
ギースとて、ハンターが多数在籍するホツリ村において、ヴァリエに次ぐ二番手に位置するほどの実力者だ。
単独でリオレウスを討伐した事とてもちろんある。それだけでも、並のハンターにはなしえぬ偉業でもあるのだが。
だが、それでも。
ヴァリエのように防具は身に着けず、道具や罠もロクに使用せず、己の武器だけで勝てるかといえば、限りなく厳しいといわざるをえない。
ルークなども実力を伸ばしつつあるが、万全の状態で戦っても絶対に勝つという自信はなかった。それだけにヴァリエの異質さが垣間見えるというものだろう。
「だが……」
「ん?」
「育児だの家事だのやってるより、てめーはハンターだわな。上手くもならねぇ料理だの掃除を続けてる場合じゃねーだろ?」
「う”っ」
思わず言葉に詰まるヴァリエだった。
揶揄しつつ、ギースが何を言わんとしているのか分からぬヴァリエではなかった。
モンスターハンターとして、まだまだ実力がある内にさっさと復帰しろと言外に言っているのだろう。
とはいえ、家事云々はまだしも、セリエの世話を放棄するつもりもないヴァリエであった。
ただ、それはそれとしても、セリエが産まれてから三年。
正確には、セリエを抱いてシュタウフェンと共にホツリ村へ来てから二年。
ちっとも料理も掃除も上達する見込みがないのは、誰の目にも明らかだった。
「……まだ本格的に復帰するつもりはないよ。時々狩りはしてくかもしんないけどさ」
「娘のためか?」
「それもあるけどね。もう少しのんびりしながら、あの子に色んなの教えていきたいかな」
「あのお転婆がまぁ、母親らしくなって、か……。いや、お転婆どころじゃねぇけど。なんならまだ落ち着きもありゃしねぇ。なんだ、さっきのやりとりは」
「うっさい」
ギースが何を思ったのか、ヴァリエには分からない。
とはいえ、ヴァリエの狩猟の腕を惜しんでいるのは理解できた。だからそれ以上は言わなかった。
憎まれ口を叩きあっていても、どこかで互いに認め合っているからかもしれない。
「まぁ、うだうだ言ってもしゃあねぇか」
この話題は終わりだ、といわんばかりにギースが言い放つ。
麦酒を一気に呷り、大きく息をつくと続けてヴァリエに話しかける。今度は先ほどまでのような軽口めいた雰囲気がなかった。
相変わらず不敵そうなふてぶてしい表情ではあるのだが、真剣めいた気配を感じ、ヴァリエも態度をあらためる。
「だが、今回レウスを狩った事はあちこちに知られんだろ。いつまでも母親してられるとは限んねぇぞ」
「うん……」
「それに」
「まだ何かあんの?」
「お前の二番弟子が黙ってねぇだろ」
「あ~……ニーナか」
ギースの言葉に苦い笑みを浮かべるヴァリエであった。ルークも何をいわんとするのか理解したようで、思わず笑ってしまう。
ヴァリエには弟子が二人いる。
どちらもモンスターハンターとしての弟子である。
一番弟子はここにいるルークの事であり、もう一人はニーナという名前の少女であった。
ルークは性質的に真面目で誠実、温厚にして堅実といった絵に描いたような好青年である。
まだ齢十五歳ながら、すでにハンターとしての腕も凡庸とはいいがたく、年々と腕も上がりつつあった。
実際、ホツリ村でも上から数えた方が早いレベルで急速に成長を見せている有望株なのだ。
この酒場で働くパーフィなどのように、村中の同年代の少女達から好意を向けられるのもやむなしであろう。
それに対し、ニーナであるが、こちらは普段の性格は可憐にして愛嬌のある少女だ。
齢十四歳であるが、言葉遣いも丁寧で、物腰も柔らかく、それでいて人見知りもしない性格である上、容姿も華奢で愛らしく整っている。
ルークが村の少女達から好かれるなら、こちらは村の少年達に好かれていた。
ルークより年も下なのだが、ハンターとしては既にルーク以上の伸びを見せるほど、才能あふれる二番弟子だった。
ただ、安定性でいえばルークの方が遥かに上であるのは周知の事実であろう。
ニーナはハンターとして非常に真摯に取り組む性格だ。ただ、狩猟中の彼女はとても好戦的なのである。
その事はホツリ村のハンター達は誰もが知っていた。
彼女が戦っている時、その暴風のような戦いについていける者はホツリ村でも限られていた。
そして極めつけに、ニーナは飛竜との戦いをとても渇望しているのである。
うっかり、「一緒に狩りに行こう」なんて誘えば、デートのつもりが命がけの死闘に変わる。
そんなところまで師であるヴァリエに似ていた。
「ニーナの事ですから、きっとヴァリエさんを誘いに来ますね」
「だろうよ。シュウと相談しながら狩りに行ける日を決めとくんだな」
「むむむ」
ルークもギースも、なんならヴァリエでさえも、近日中に起きるであろう出来事が容易に想像できるのだった。
ヴァリエが三年ぶりにハンター活動をして、いきなりリオレウスを討伐してみせた。
華麗なまでの復帰を遂げた、などと勝手な噂が立つだろう。
日常生活はまだしも、飛竜関連の情報に限っては、針が地面に落ちた時の微々たる音さえも逃さぬニーナである。
ヴァリエの復帰に喜び、ついでリオレウスの討伐に羨望を隠しもしないだろう。
そしてヴァリエを誘いにやってくるのだ。
にこやかな天真爛漫の笑みを浮かべながら、「師匠! 狩り行きましょう! 飛竜討伐なんていかがですか!?」と。
「万が一、ニーナが黙ってても周囲がここぞとばかりにお前を指名してくるだろうしな」
「そっちのが面倒なんだよなぁ。いろいろ考えるのダルいし……ニーナと一緒に暴れてる方がずぅ~~と楽」
「へっ、そりゃそうだ。大概くだらねぇしがらみが付いてくるもんだしよぉ。ハンターなんてのは、好きに暴れて狩ってりゃいいってのに」
「ホントにそれ。マジにそれ」
ギースの言葉にうんうんと頷くヴァリエだった。
実感の強く籠った返事であった。
ヴァリエが現役で活動していた頃、名指しでの依頼が相次ぐ事も多かった。
単純にモンスターと戦うだけで済むのならまだ良かった。
むしろ厄介な敵だの、強敵だのと遭遇しえるのなら、大歓迎である。
実際は街や村のお偉いさんと関わったり、政治的な配慮が必要だったりと疲れる場面が多いのがストレスであった。
狩りに成功して、それを祝って宴を開くのはまだいい。だが、そこでも見知らぬ顔が次々とヴァリエの元へやってきては、世辞だの賞賛を口々にし、今後も関係を続けていきたいなどと言っては束縛してくる。
にやにやと下卑た笑いを浮かべる貴族だの領主だの、愛想笑いを浮かべてすり寄る連中だのを見ていて、「とりあえず殴るか」と考えたのは一度や二度どころでなかった。
今日まで未遂で済んだのも、夫であるシュタウフェンや友人知人のフォローのおかげなのは間違いなかった。
うんざりだった。
少なくとも、セリエと一緒に過ごすようになるまで、イライラしていた時期も多い。
狩りで疲れるならまだしも、それとは関係のない次元での疲労ばかり溜まっていくのだから、ヴァリエとしては苦い顔をせざるをえない。
それでいて、ヴァリエがしくじったり、おざなりな対応をすればホツリ村や、関係者に迷惑がかかるかもしれないのだから、尚更に嫌であった。
セリエの育児や家事をダシにするつもりもないし、したくもないのだが、こうしたしがらみから離れていられるのは、実のところヴァリエにとっても精神衛生上悪くなかった。
シュタウフェンもそれを理解していたからこそ、妻の育児専念を良しとしたのかもしれない。
事実、セリエと過ごす前と今とでは、表情も口調も雰囲気も、何もかもが違うのだから。
「久しぶりに嫌な顔思い出したらお腹空いた。ギィ、肉ちょーだい」
「おい、俺の肉だぞっ」
「今日は頑張ったからサービスという事でっ! さてと、夜更かしはお肌に悪いから帰る! じゃあねぇ~っ」
「ったく、いつまで経っても変わらねぇやつだ……」
「ははは、お疲れ様です」
ギースの食べていた肉を一枚掴んで口にし、手を振りながら去っていくヴァリエ。
そんな彼女を苦々しい表情で見やりつつ、ギースは見かけほど嫌がっていないようにルークには思えた。
そのあたりは長年の付き合いであろう。
「ヴァリエ~っ、ちゃんと報告書は書いてきてね」
「分かってまぁ~す」
カウンターから少し声を出して念押しするアイナの声に、ヴァリエは炎剣を背負い直し、ひらひらと報告用の羊皮紙を振りながら酒場を後にするのであった。
ヴァリエ・アルハイドの朝は遅い。
うっすらと開いた視界には、すっかり陽が昇った青空が見え、今日もいい天気であると知らせてくれていた。
窓の外からは人々の声や仕事の音がかすかに聞こえてくる。
ヴァリエが起きた頃には、シュタウフェンは朝食も摂り終えており、幼い愛娘のセリエの身だしなみを整え、酒場へと出かけていた。
セリエは父の作った朝食を食べて、普段着に着替えた後は家の中で雑多になっているハンターの参考書などを難しげに読んだり、玩具で遊んだりとしていた。
昨日もらった火竜の鱗を用いたペンダントは、目が覚めてからずっとセリエの首にかかったままである。
すっかり気に入ったようだった。
「おはやぁ」
寝ぼけながら居間へとやってきた母親に対し、セリエが声をかけた。
なんとなく舌足らずな朝の挨拶に、ヴァリエは思わず笑みがこぼれる。
「おはよう、セリエ。お父さんのご飯は食べた?」
「うん! きょうもおいしかった!」
「そっかそっかぁ」
テーブルの上には、シュタウフェンが用意してくれたのであろう朝食が置かれていた。
草食竜で知られるアプトノスの肉を薄く切って、野菜と一緒にサンドイッチにしてあり、その一つをヴァリエは口にした。
夫が作ったサンドイッチである以上、味に不安もなく、安心して食べられる。
実際、挟まれていた肉や野菜にからんだソースはとてもおいしかった。
ヴァリエがこの三年間、周囲からの指導や自宅での訓練の末、懸命に磨いた料理スキルから作られる食事よりも、シュタウフェンが片手間に作った簡単な食事の方が遥かに美味いのは自他ともに認める事実である。
というより、ホツリ村において異論を言い放つ者は一人としていなかった。
当のヴァリエですら、反論しようもなかったのである。
サンドイッチを平らげ、ジャム入りのクヨクヨーグルトも食べると、ヴァリエは一息ついた。
そしてテーブルの上に置かれた未記入の狩猟報告書が視界に入り、今度は大きなため息をつくのだった。
ヴァリエはこの手の事務的な手続きだの、作業が大の苦手で、大嫌いであった。
「買い物してたら帰りにレウスに会った。挨拶がてらにやっつけた。大剣振るうの楽しかった。以下略……はダメか」
羽筆を一度は手にしたが、投げ出した。
シュタウフェンにお願いしておくべきだった、と後悔もしたが、何でもかんでも任せてしまったら彼の負担も大きい。
流石にその程度の気遣いは出来るヴァリエだった。
とはいえ、なんと書くべきか、ちっとも思いつかなかった。
暫し、悩んだ。考えた。
それから数分ほどして、ヴァリエは立ち上がり、座りながら火竜の鱗を弄んでいるセリエの元へ近づき、座り込む。
「セリエ」
「んー? なーに?」
掌の中で火竜の鱗をいじっていたセリエが、母親の顔を見上げた。
セリエにとって、ヴァリエは母親であり、なんだかおもしろい人だった。
母親である事は認識していた。それは間違いなかった。
だが、それはそれとして普段のヴァリエというのは誠に母親らしくない挙動をしているのである。
のちになって、セリエが記憶を振り返った時にしばしば感じた事は、「母というよりは歳の離れた姉みたい」な印象だった。
歳の離れた姉とはいっても、実際は三歳のセリエが呆れるほどに行動は突飛である。
セリエに怪我をさせない、嫌な思いをさせない、この二点は絶対遵守しているものの、それ以外はまるで守れていなかった。
料理をすれば、よく分からないものが出来上がるし、掃除をしているのに床やテーブルの上にはどんどん物が増えていく。
たまに食べれるレベルの料理が出来上がれば小躍りして喜んだ。
近所の友人などに自慢しに行くほどだ。はにかむ母を見るとセリエはなんとなく嬉しくなった。
洗濯はまだ多少マシだが、買い物もかなり金銭感覚に難がある。
セリエはよく分かっていなかったが、父であるシュタウフェンがそれとなくヴァリエをたしなめる場面は幾度となく見かけた。
その都度、落ち込んでいるヴァリエであったが、ほどなくシュタウフェンのフォローもあって、すぐに笑顔へと戻っていた。
裁縫をさせれば服よりも指に針が刺さる。
幼いセリエがした方がまだ見込みのある有様で、それを見るとヴァリエなどはあからさまにへこむのである。
と、誠にコロコロと表情が変わる母を見ていると、セリエはそれだけでも飽きないのだった。
セリエを楽しませようとしているのか、自分が楽しもうとしているのか、あるいはその両方か。
愛娘を連れ出して村の中を散歩したり、散策する事もしばしばだった。
池で釣りをしたり、丘から滑り下りたり、虫取りに興じたり、あるいは村の中で放牧している草食モンスターの世話をしてみたり。
外で母娘が遊んでいると、近所の子供たちも自然と集まってくる。子供たちを引き連れ、率先して遊ぶヴァリエを見ていると、どうにも村の中の他の母親達とは何か違うと、幼いセリエでも感じる事があるのだった。
もちろん、悪い意味ではなく、良い意味で。
娘はともかく、母親があちこちに擦り傷を作りながら帰ってきた事もある。
それを苦笑しながらシュタウフェンが見やり、ヴァリエの怪我の処置をしていくのだった。
一応は注意もされるが、二度としないように等とは言わないシュタウフェンだった。
ヴァリエが言って止まる性格でない事は重々承知しているからだ。セリエも歳を重ねていけば、ほどなくヴァリエのように怪我をこしらえてくるのだろうか。そう遠くない未来図を考えると頭を悩ませていたが。
容姿からして、セリエはヴァリエに酷似していた。
ヴァリエの顔立ちや背丈がそのまま幼くなったのがセリエだ、と雑多な説明で通じるくらいに、二人は似ていたのだ。
シュタウフェンの娘である、見れば分かると言われた場合はまず分からない。
だが、ヴァリエの娘だと言われれば、まず一目で見分けがつく。
癖のある金色の髪に、琥珀色の双眸、快活さのある幼い顔立ちがそっくりそのままで、容易に判別できたのだ。
だが、ハンターとしての彼女は間違いなく憧れの存在であった。
つい昨日のリオレウス討伐などは、後々までもセリエの脳裏に刻まれるほどの鮮烈さを残していた。
普段、ハンター時代の武器や防具、道具の取り扱いに関しては淀みなくヴァリエは動けていた。
その丁寧さ、熱心さを家事に活かせないのだろうか、とは村人達の言であった。
ただ、調合関係は怪しい点も多かったが……。
そんなこんなで、幼いセリエから見ていても危なっかしい面が多いものの、それを楽しさや面白さが上回るヴァリエなのであった。
そのヴァリエがセリエに声をかけるときは大概外出の誘いである事も、この頃はなんとなく理解していた。
「お隣のクロちゃんとこに行ってこない?」
「クロねえちゃん!? いくーっ!」
言うやいなや、セリエは勢いよく立ち上がった。
セリエより二年早く生まれ、二歳年長の幼馴染みの少女の姿が脳裏に浮かぶ。
穏やかでお淑やか、優しくなんでも知っているお姉さんのような存在。
娘の返答は予期していたようで、ヴァリエはにこりと笑う。
「じゃあささっと準備して行こっか」
「うん!!」
だだだっとセリエが駆け出していくのを見やりながら、ヴァリエはテーブルの上に置かれた依頼報告書*1に視線を向けた。
そして小さくぼやくのであった。
「うーん、何事もなければいいんだけどなぁ……レウス狩ったのまずかったかなぁ」