ホツリ村の中央に建つ大衆酒場。
そこはハンター達への依頼が集うハンターズギルドでもあった。
一介の農村において、民家や畑が多く並ぶ中、そこはよく目立った。
立地の影響もあれど、昼夜を問わずしてこの辺りに賑わいは絶えず、騒がしい。
明けぬ夜はないと言うが、この酒場に限っていえば、いつまで経っても夜が続くかのようであった。
酒を片手に武勇伝を語るハンターがいて、周りにはそれを囃し立てる者達がいて。
かと思えば、依頼で失敗したのかヤケ酒をあおる者もいる。
一心不乱に出された料理を食らう者もいて、酒の飲みすぎでべろんべろんになって酔いつぶれる者もいた。
そんな客達の注文を受けて、酒場で働く給仕達が慌ただしく食事や酒を運び、駆け回る。
もちろん、節度を守って和やかに雑談を交わす者達もいたが、ここでは少数派に属した。
いつもの事である。
ルーク・フェルマーが酒場へ足を踏み入れた時、狩りを終えてきた者達の纏うソレや、麦酒やら煙草、様々な食事の入り交じった匂いが鼻腔を刺激する。
初めてここに来た時は、よくもまあこんな臭いの中、平気で大人達は過ごしていられるものだと感じたルークだったが、今はこの匂いや雰囲気が、嫌いではなかった。
ここへ入ると、これから一仕事をするのだと、あるいは一仕事を終えたのだと強く実感する。
見慣れた面々が普段通りに過ごす姿に、自然と安堵を覚えてしまう。
それに、いつでも活気が満ちたこの空間が好きなのだった。
ルークが酒場の奥にあるカウンターへ辿り着くと、台帳を開きながら業務に勤しんでいた受付嬢が顔を上げる。
水色がかった白藍色の髪に、整った顔立ち、すらりとした身体つきの女性。
アイナという名で知られる彼女は、やってきたルークへと声をかける。
「あら、ルーク君」
「どうも、アイナさん。依頼を達成したので報告に来ました」
「お疲れ様。ルーク君は……ランポスの討伐依頼でしたね」
「はい。これ、討伐証明の鱗や皮です」
そう言うや、ルークは手にしていたランポスの鱗や皮をカウンターの上に載せる。
ランポスという名の烏竜は、小柄*1だが俊敏で厄介なモンスターである。
黄色い嘴に、橙色の鶏冠、青と黒のストライプ模様に覆われた皮や鱗が特徴だ。
一般の村人などには脅威となるが、ハンター達にとってはそう難しくない相手であった。特に、一対一で苦戦する程度ではハンターとしてはまだまだおぼつかないと言われても仕方がない。逆に言えば、複数で襲い掛かってくる分には、手慣れたハンターであっても油断はできないわけだが。
ともかくも、ルークは複数のランポスを相手取っても不覚をとらない実力は備えていた。
アイナはランポスの鱗や皮をサッと視界に捉えていき、慣れた手付きで確認する。
とはいっても、これらの流れは形式的なものでしかない。
ギルドから受注した依頼は基本、ハンターを狩場への送迎も行っており、依頼達成をしているのかは迎えの際に一通り確認しているからだ。
受付での報告は、現地での報告との間に虚偽がないか確認の意味も込めてのものである。
熟練したギルド関係者であれば、狩りの中で与えた傷であるのか、狩りとは別で出来た傷であるかの区別はもちろん、いわゆる端材と呼ばれる素材に適さずに廃棄されたそれとの違いでさえも見抜けるのだ。
ギルドを欺くのは並大抵の事でなく、しかもバレてしまえば懲罰や罰則はそれ以上に厳しい。ハンター側にとっても、騙すメリットは少ない。
「確かに。では、契約金や報酬等の精算が終わりましたらお渡しします。少々お待ちくださいね」
「はい、お願いします」
慣れた動きでアイナがいくつかの書類にサインをしていき、カウンターの奥の部屋へと入っていく。
そう時間を置かずに清算は終わる事を知っていたが、そのまま突っ立っていても邪魔なだけであろう。ルークがざっと中を見渡し、空いている席に座ると、間髪入れずに給仕であろう少女が一人、注文を取りにやってくる。
少女の名前はパーフィといった。
明るい茶髪を腰まで伸ばし、それを邪魔にならないように今は編んでいる。
顔立ちはまずまず、整っているといってもいい。
この酒場で働く給仕の中でも、もっとも若く、それに劣らぬ快活さの持ち主だ。
「あ、ルークさん。依頼終わったところですか!?」
「やあパーフィ。今回も無事に終えられたよ」
「さっすが~。若手期待のエースですね~」
「そんなことないよ。まだまだ未熟だからね」
パーフィの表情はにこやかで嬉々としたものだ。
彼女とそう変わらない年齢(といっても一、二歳は上だろう)であるはずのルークだが、すでにホツリ村のハンター達の中でも上から数えた方が早い実力者である。
この酒場で騒ぐハンター達の大半が抱かれるような、豪放とか豪快なイメージがとかく持たれがちだが、この彼に限ってはそうしたイメージとはまるで異なる。
好青年といった風貌に、彼女好みの整った顔、長身のすらりとした体格、穏やかで誠実な人柄、なにより、くどいようであるが顔立ちが整っている。
パーフィにとって理想的な顔だった。
パーフィは面食いだった。優男で、それでいて軟弱でない強さを持つ男が好みだった。
そして、自分の好みの容姿や性格に、ルークは当てはまっていた。
何より、口先や態度のみならず、ハンターとしての実力も備わっているのだから、文句のつけようもない。
将来有望で、しかも現時点でも十分に実績を示している。分かりきった有望株といえた。
というわけで、接近する隙があるなら逃さぬ構えであった。
お近づきになるためなら、多少あざとくても構わぬ姿勢である。恋路はいつだって背水の陣なのだ。逃げ場など端から思考の隅にもあらぬ。
ルーク自体、酒場を利用はするが依頼の受注や報告ばかりで、ここで飲んだくれる連中のように長居は滅多にしないのだ。
どれほど積極的であったとしてもやりすぎ、という事はない。
「うーん、謙虚だね! さっすが期待のエースってところかなぁ? ……っと、あんまり話してたら怒られるし、お仕事お仕事。報酬待ちだよね? その間に何かご注文聞こうか? 軽く一杯してく?」
「そうだね……じゃあ、ハチミツ酒を。それからいくつか軽めのメニューをお任せしようかな」
「かしこまりました~っと。じゃ、少し待っててね! すぐに良いの用意してもらってくるからぁ!」
浮足立つようにして、パーフィは去っていく。
厨房へ入っていき、「軽めのメニュー! それからハチミツ酒お願い! とびっきりのねっ~!」という声が聞こえた。それに対し、「どれもとびっきりだってのー!」という軽口交じりの応答がルークの耳に届き、そのやりとりを耳にしていたであろう別の給仕の少女が幾人か、険しい表情を浮かべたのも視界に入った。
もちろん、ルークに対してではなく、パーフィに対しての視線である。
「パフィ、抜け駆けすんじゃないわよ!」
「そうよ! 順番でしょうが!」
「うっさい! あんたらが遅いから悪いんでしょう! もたもたしてる暇なんてね、こっちゃないんじゃい!」
「なんだとぉー!? ルーク君協定*2を忘れたとは言わせないわよ!」
「そうだそうだ! 順番を守れ!」
「知らんなぁ~」
厨房から耳を澄まさずとも聞こえてきた給仕である少女達の声は、聴かなかった事にするルークであった。
彼とて少女達の視線だの、あからさまな感情に気付かぬほど、朴念仁ではない。だが、今は現を抜かしているだけの余裕もないのが実情だった。
なので、応えるつもりは目下予定にないのであった。
繰り返すようだが、ルークの容姿は整っていた。
ホツリ村の若者は少なくないが、その中でも容貌が優れ、かつ、将来性も高い者は限られた。
この時、ルークはまだ十五歳。まだまだ伸び代もあり、発展途上。
腕の良いハンターには、稼ぎもついてくる。そこに器量よし、性格よしともくれば。
優良物件であり、それを狙う者達は少なくないのだ。
この酒場の給仕をしている少女達は、出会いに飢えていた。
ハンターとの出会いだけなら、毎日、連日と機会に恵まれていた。
だが、如何せんハンターという者達は、後先を考えない者がとかく多い。
命がけの、明日をも知れぬ職業だからであろうか。
せっかく稼いだ報酬もすぐに使い切ってしまう。日々の生活費はもちろんの事、装備やら道具やら、この酒場での飲食代に消えていくのだ。
この酒場からすれば、利益になるので歓迎すべき点だが。
将来を共にする伴侶としての候補には、いささか、否、かなりの不安要素だらけであった。
お金遣いが荒いだけなら百歩譲ってまだしも、酒癖の悪い者も多いのだ。
受付嬢や給仕に言い寄ったり、セクハラ紛いの絡みをしてくる者、ハンター同士での言い争い、そこからの喧嘩騒ぎ、酒に飲まれての暴走……この酒場での出来事だけでも、「こいつは無いな」と思うハンターが幾人いたことか。
その点、ルークは堅実であった。
使うべきところでは惜しまないが、基本的には倹約であった。
パーフィの知る限り、ルークがこの酒場で酔いつぶれる姿も見たことがない。
いつも酒を嗜む程度に注文し、給仕達やハンター達と穏やかに接していた。無論セクハラもしないし、言い寄る事もない。
ハンター達が争えば仲裁するし、荒れ狂うハンターの大半はルークで抑えられる膂力もある。
パーフィなどは放っておけばいいのにと思わず呟いてしまうが、酔いつぶれて苦しそうにしているハンターを介抱して自宅まで送り届ける事すらあった。
なんなのこの人、欠点あんの? と逆にどこか欠点は、短所はないのかと疑問を抱いてしまう、そんな青年だった。
「ほい、ハチミツ酒。それとモス肉のベーコンとサラダお待たせ~」
「ありがとう。いただきます」
琥珀色の液体が注がれたグラスを手にし、ルークは静かに口元へ寄せる。
ハチミツの甘い香りが鼻腔に抜けていく。
ホツリ村の特産品の一つが上質なハチミツである。
そして、それを用いて作られる酒が、このハチミツ酒であった。
香りは濃厚で、ハチミツを用いた事は疑いようもないのだが、名前の割には甘味は控えめである。
だからこそ、ルークは好んでこの酒を注文するのだが。
「ふぅ……」
「よっ、ルーク! お疲れさん。モテる男は大変だな、オイ」
「あ、ギースさん。モテるってそんな事ありませんよ」
「へへっ、謙遜しやがって。お、美味そうなベーコン。もらうぜ!」
一息つくルークの前にギースと呼ばれた男が座る。
その男は座るなり、ルークの注文していたモスのベーコンを数枚手にして口に放り入れる。
「それ、ルーク君のでしょ! ギースさん!」
「こまけぇ事言うなって。おっ、旨いなコレ。パフィ、俺にも同じやつ頼んだ。あと、麦酒もな」
「もうっ!」
それを見ていたパーフィが憤りを見せ、ギースが屈託なく笑い、ルークはほんの少し、困ったように笑みを浮かべる。
ギース、ことギースカス・ハールはハンターだ。
このホツリ村の中でも、指折りのハンターである。実力だけに限れば、ルークよりもずっと上だ。
だが、パーフィにとっては好みの対象外であった。
顔は悪くない。
目つきは鋭く、にやりと笑えば犬歯を覗かせるその表情は肉食獣を思わせる。
実際、性格も大胆にして不敵で、常に自信に満ちていた。
こういう男が好みだという者も、もちろんいるのだろうが、パーフィの好みとは真逆であった。
そもそもが、こう見えて妻帯者なのである。おまけに子持ち。
よしんば好みであったとしても、そもそもが対象外なのである。
「ギースさんも一狩り終えたところですか?」
「おぅ! 最近は南からイーオスのやつらが出張ってきててな。群れごと潰してやったぜ」
「イーオスの群れをですか。ギースさんの事だから一人で、ですよね?」
「そらそうよ。俺がチームプレイなんて器用な真似できるわきゃねー」
「ははは……」
同意とも否定ともとれる、曖昧な笑みを浮かべるルークだった。
ルークが狩ってきたのはランポスという小型の烏竜だが、ギースが狩ったのはそれの亜種であった。
ランポスが青を基調とした色の鱗や皮を持つなら、イーオスという烏竜は赤色の体色であった。
色は違うが、それ以上に生態も強さも異なっていた。
ランポスはあちこちの、それこそホツリ村の周辺にある山々や森、草原のどこかしこでも遭遇する可能性がある。
だが、イーオスと呼ばれるそれは、沼地だの密林だの、火山地帯での生息が多い。
ホツリ村から南下して川を渡っていくと、広大な密林地帯が広がっており、そこから時々迷い込むようにしてやってくるのだった。
体躯自体はこの両者でそう変わらないが、イーオスには喉元に出血性の毒を生成する内臓器官がある。
そこから作られた毒液こそが、イーオスの最大の武器であり、脅威なのだ。
ルークも何度か遭遇し、狩った事もあるが、ランポスよりも生命力も厄介さも上だった。
毒液を浴びてしまった事で死に至ったハンターを見たこともある。きちんと対策をしておかないと、じわじわと苦しめられた挙句、死に至る羽目になる。速やかに解毒薬を用いて治療したからとて、すぐに痛みや症状が治まらないのだから、その毒性の強さたるであった。
それらが群れを成して襲ってくる中で、果たして自分ならどう立ち回るだろうか。
ふと、考えるルークだった。
「とはいえ、最近は大型モンスターの依頼が取り合いで、中々取れやしねー。そろそろ飛竜の一頭や二頭くらい狩りてぇな」
「大型、ですか。確かに最近はリオレウスとか、リオレイアも中々回ってきませんねぇ」
「だろ? 小型や中型のモンスターばっかじゃ、腕が鈍るってもんだろうが」
「ははは、ギースさんはそうかもしれません。僕も戦ってはみたいですが、まだそこまで自信ないですね」
よく言う、とギースは言外に出さずに呟く。
優男のような風貌こそしているが、こう見えてルークもそれなりに腕が立つとギースも認めていた。
まだ若いが、あと数年経験を積めば、自身をも上回る可能性がある一人だとすら思った。
生意気に謙遜する後輩ハンターへ、もう一杯勧めようとギースが考えたところで酒場の扉が開いた。
「こんばんはぁ~! どーもどーも。みんなぁ、元気してるー?」
ヴァリエ・アルハイドが意気揚々と酒場へと現れたのだった。
酒場にいたハンター達が、一様に各々の反応をもって彼女を迎えた。
ヴァリエが酒場へ入ってきた瞬間、そこにいた人物のほぼすべての意識がヴァリエへと集中した。
約三年ぶりだろうか。
ホツリ村で随一といってもいいハンターであるヴァリエが、久しぶりに酒場へやってきたのだ。
このホツリ村でヴァリエを知らぬ者など、モグリと謗られる程度に、未だその名は健在だった。
それだけに、どういった要件で来たのかと皆が関心と興味を寄せた。
「おー、ヴァリエじゃねえか! 久しぶりに来たなぁ」
「今日はどうした!? 炎剣を持ってきて狩りに復帰かぁ!?」
「炎剣も持ってるし、いよいよ狩猟本能に逆らえなかったかー!」
「とうとう子育てはシュウに任せて、ハンターに出戻りでもすんのかー!」
酒場の中にいたハンター達が口々にヴァリエへと軽口を向ける。
悪意などはなく、単純にからかいと、歓迎の意味も込めての軽口だった。
恰好こそ外出用に少しめかした程度の普段着だが、背中に担いだ炎剣リオレウスは現役時代からのヴァリエの象徴だった。
炎剣を背負っておいて、狩猟には一切関係していませんとは言うまい。
「復帰はまだしないっての~」
ヴァリエはそうした軽口に対して、にやっと笑って答えていく。
こうしたやりとりも久々で、たかだか数年なのに随分と懐かしくすら思えた。
「でも今日なんだけど、買い物帰りにレウスが出てさ。んで、狩っちゃった! せっかくの大物依頼、私が取っちゃってごめんね? てへっ」
片目を瞑り、悪戯っ子じみた笑顔で舌を出すヴァリエに、一瞬酒場が静まった。
静寂は一瞬、酒場は一気に沸いた。
「マジかよ!? レウスを!?」
「あのリオレウスを狩ったってか? いや、つか買い物帰りに? その恰好で?」
「装備もなしに狩ったのか!? 炎剣があるとはいったって、いくらなんでもそりゃ嘘だろ?」
「セリエが産まれてから狩りどころか、大剣もろくに振ってないんだろ? まあ、冗談に決まってるわな」
「そりゃそうか。慣れない家事に子育てで精神が追い詰められたと見える。かわいそうに」
「あぁ。レウスを狩ったなんて妄想を見るくらいだ。シュウめ、家事くらいは休ませてやったらどうだ?」
「そうそう。どうせ部屋を散らかすのが掃除で、肉を丸焦げにするのが料理だと認識してる女なんだしよ」
「買い物してても火竜が見えるなんて、いよいよ末期らしいな」
「…………」
ニコニコと、それでいて青筋を立てるヴァリエが酒場のハンター達へと視線を向ける。
その際に、さりげなく炎剣リオレウスを近くの壁に立てかけていく。
一見表情は変わらないように思えた。だが、ほんのわずかな表情の変化を見抜いたハンター達は、それとなく距離を取った。
熟練したハンターは、危機察知とその回避に長けるとされる。
ここでヴァリエの次なる行動を予測できるか、否かが未熟なハンターであるかの境界線なのだろう。
「よっしゃ、分からせてやんよ。まずお前じゃぁ!」
「っ!? あがががががが…………!!」
ヴァリエがもっとも近くにいたハンターの頭を脇に抱え、締め上げた。
一瞬で間を詰められたハンターは訳も分からぬ内に激痛が走るのを感じた。
「た、平ら……これは、まな板ァぁぁぁずい”まぜぇぇん……!!!」
そのハンターはかわす暇もなく、気付いたところで避けようもなく、頭部からの痛みを感じてから、ようやく自分が頭蓋骨を締められているのを理解した。
本気を出せば、このハンターの頭が文字通り割れてしまうので、これでもヴァリエは十分なほどに手加減はしている。
それでも痛いものは痛い。
パッとヴァリエが解放すると、ハンターは「おぉぉぉ……」と床を転がりながら悶えていた。
ヴァリエが動き、ほんの十秒足らずの出来事である。
本気で怒っていたらこんなものではない事を、ハンター達は知っていた。
あの華奢で小柄な身体にもかかわらず、自分の背丈より高く、自分の体重よりも重い炎剣を軽々と振ってのけるのだ。
遊び半分で火竜を狩りとれる者が、弱かろうはずもない。
半分は怒っているとしても、半分は冗談でのやりとりだ。
だが、冗談でも半殺しになりかねない。それは転がり続けている第一の犠牲者が現在進行形で証明していた。
ともなると。
「さ、流石はヴァリエ! 相変わらずのヘッドロックだ! ……ぐおぉぉぉぉぉ!?」
「あぁ、リオレウスを狩ったのは間違いないだろうなぁぁぁぁあっ!? あ、頭が割れるぅぅぅ!」
ヴァリエを褒めたたえようとしたハンターが二人、同時にこめかみを握られ、ぎりぎりと締め付けられた。
それを見ていたパーフィなどは、「うわぁ、人って片手で掴まれたまま宙に浮くんだぁ」などとつぶやき、引いた。
アイアンクローで人は浮く。また一つ勉強になった。
などと思えるのは傍観者であって、当事者たるハンター達の見苦しい命乞いは続いていた。
「ま、待て。俺はヴァリエがレウスを狩ったと信じてたぜ! あぎゃぁぁぁぁっ!」
「家事と狩りを両立する出来る良い女、大人の女、それがヴァリエだ。そうだろ? ぎぃぇぇぇぇぇ!」
「今更遅いわぁぁぁっ」
からかったハンター達が軒並み床で転がっていくと、ヴァリエは一息つく。
そして、両手をぱんぱんと叩き、いつもの屈託のない朗らかな笑みを浮かべた。
再度、先ほどのように愛嬌を前面に出しながら声を出す。
「みんなっ、お久しぶりだね! 元気してたぁ~?」
「……それ今言う? 皆、床で転がりながら悶えてるの見えない?」
床で伏している一人の苦情めいた声には気づかないふりをして、ヴァリエは受付へと向かう。
先ほど、ルークの応対をしていたアイナは苦笑しながら、それを迎える。
「というわけでお疲れ~。アイナ、元気にしてる?」
「お疲れ様、ヴァリエ。相変わらずで安心したわ。ホントにリオレウス狩っちゃったの?」
アイナの口調や表情は、先ほどまでのルークと話す時とは違い、幾分か柔らかかった。
事務的な口調は砕け、友人へ話すような気さくさがあった。
否、事実ヴァリエとアイナは以前からの友人である。
ハンターズギルドで働くアイナと、ハンターであるセリエが関わる機会は必然的に多い。
ここ三年、ハンターとしての活動がなかったので関わりは減っていたが、互いにさして変化もなく過ごしてきた。
ヴァリエに問いかけつつも、台帳を開いていくアイナ。
虚言で火竜リオレウスを狩ったなどと吹聴するヴァリエではない事など、とうに知っている。
「ホントだってば。ほい、ヒュルックからの討伐証明書と、これ。レウスの鱗」
「どれどれ……うん、間違いないわね。ちなみにヒュルックの近くで遭遇したの?」
「えっとね、ヒュルックから帰る途中の平原で……半分くらい馬車走らせたとこかな」
「えぇと、ちょっとざっくりしてるけど……。街道を道なりに進んだところで倒したって事でいいのかしら」
「そうだね。そんな感じ」
どうやら、ほとんど確信していたことが紛れもない事実であったと、アイナは理解した。
三年経っても、ヴァリエの腕に目立った衰えも生じていないようだ。
それにしたって、リオレウスを無傷で討伐してみせるとは……。
アイナがそれとなく酒場の中を見渡すと、先ほどまでヴァリエに制裁されていた面々も、今では起き上がって何事もなかったかのように、麦酒を飲んだり、食事に手をつけている。
立ち直りの早い面々だった。
だが、自然に振舞っていてもそこはハンター。
聴覚は常に研ぎ澄ましており、ヴァリエとアイナのやりとりは耳に挟んでいた。
いつ、どこで重要な情報が舞い込んでくるのか分からないものだ。
ハンターはあらゆる情報に対して鋭敏に、貪欲でなくては務まらないのである。ましてや、リオレウスの討伐談。面白い話であるなら、聞き逃すまいと鋭敏なまでに耳を働かせようとしていた。
中には耳を急に触り、垢を取り出していた者までおり、近くにいたハンターに「きたねぇ!」と殴られる者もいたが、アイナは意識的に無視した。
「分かっちゃいたが、マジでレウスを狩るとはな」
「マジであの恰好で狩っちまったのか? 三年もハンター休業してても衰えねぇやつだ」
聞いていたハンター達は納得もしたが、同時に信じられないものを見たといわんばかりに目を見開いた。
驚愕し、わりとガチ目にドン引きしているハンターもいたが、それも仕方がない反応だろう。
ハンター業に長く、深く携わっている者ほど、彼女のやってのけた事の凄まじさを理解しえるのだから。
もっとも、付き合いの長いアイナからすれば、このような事は今更であった。
ヴァリエが常識外れの規格外の存在である事など、百も承知の事。
今更めったな事では動揺もしなくなった。
対象がヴァリエでなければ、つまらん冗談だの、ほらの類だと一蹴される内容であったのだが。
彼女であれば、外出用に軽く着飾ったワンピースにスカート姿でリオレウスを地に伏させても、ありえるかもと思わせる実績があった。
それに、誇張して吹聴してまわったり、虚偽の申告をするような性格ではない事を知っていた。
第一、ハンターズギルドにそのような申告をしたところでメリットよりもデメリットの方が大きい、というのもある。
ギルドに連なる者が本気で調査を行えば、つぶさに調べられ、嘘であれば容易く見抜いてしまうのだから。虚偽であれば、ハンターとしての資格剥奪やら様々な罰則もある。そうなれば、大手を振って狩猟など二度と許されないだろう。
と、ヴァリエの申告が誠であると分かったところで。
これから当面は、ヴァリエによるリオレウス討伐で噂話も広がるだろうと思われた。
三年間音沙汰もなかった彼女が突然にリオレウスの討伐報告だ、そこに何らかの関連性を探る者とて出てくるのかもしれない。
ともあれ、竜姫の異名で久しい彼女が復帰ともなれば、周辺も黙ってはいないだろうとアイナは想像した。
「……はい、これ。貴方の好きな報告書」
「うへぁぁ……誰が何を好きだってぇ?」
「面倒だろうけど、家でいいし、書いてきてね。私だって、報告上げておかないといけないんだもの。よろしくね?」
「うわぁぉー。ヒュルックの方に報告したからいらないって思ってたのにぃぃ~」
「そうもいかないでしょうに。とにかく、数日中に提出してもらわなくちゃ。ホントの本当に、お願いだからね」
「うぅ……分かったよぉ」
一転して気乗りしない、やる気を失ったヴァリエである。
そんな彼女を眺めながら、アイナは小さくため息をつくのであった。
三年間、ヴァリエにしては本当に頑張って育児だの家事に専念していたとアイナも認めるところだ。
だが、今回の出来事を経て、いつまでも大人しくしていられないのではないか、とも思うのであった。