前書き注意!!
・このお話ですが、本編の時系列的には第1部・第1章の終盤くらいから~第5章くらいの話となります。
若干のネタバレを含むので、気を付けてください。
・このお話は、本編内で登場する組織の補足話みたいなものです。
ダラダラと設定を垂れ流してます。
・思ったより長くなったので、前編と中編、後編の3話で分割してお送りします。
中編や後編がいつになるのかは現状未定ですので、ご容赦くださいませ。
以上を踏まえたうえで、お読みだくだされば幸いです。
護国戦姫と呼ばれる猟団がいた。
女性のモンスターハンターのみで構成された猟団であり、彼女らは特定の拠点を持たない事で知られる。
世界の各地を巡り、今日も今日とて彼女たちは護国を目指し、強敵を屠るべく、武器を振るう。
護国の定義というものが、本人達にも曖昧なため、ここでは割愛する。
だが、国家を守り、街や村を守り、人々や家、果てには家財から畑に至るまで、彼女たちは守る。
そのいずれもを守り抜いた末、彼女たちはいずれもが満足そうな笑顔を浮かべ、声高らかに宣言するのである。
「やったぁ! 護国完了!!」
一人の少女が天を見上げ、両手をあらん限りに伸ばした。
その顔には、この日の空同様に一片の曇りもなく、晴れ晴れとした笑顔が浮かぶ。
少女の名はラキシスという。
彼女の顔立ちを見た時、人々はいくつもの印象を抱く。
その多くは、勝気そう、負けず嫌い、気が強い、自信家っぽいといったものであり、そのいずれもが正しかった。
誰にも負けないと双眸が力強く語っており、眉は常に斜めに上がり、整った薄い桃色の口元は、開けば想像通りの声を発するだろう。
だが、今この時においては。
普段の彼女を知る者が見れば驚くくらいに、年相応の可愛らしさを振りまいている。
キリっとした眉は下がり、相手を射抜くような眼光の目元は細く柔らかいものとなり、顔全体に喜びがあふれていた。
そこだけを捉えれば年頃の少女としての愛らしさを見出せただろう。事実、彼女は相応に整った容姿に相貌の持ち主であったのだから。
無論、この時、本人にその自覚はないであろうが。
「おめでとうございます。大したものでしたよ、ラキシス」
喜びに小躍りしていたラキシスの背後より、別の一人の少女が現れる。
後頭部で髪を結び、ふわりと垂らしたポニーテールの少女だった。
その顔立ちにはくっきりと大きな瞳に、小さな鼻立ちに口元。表情は穏やかにも、おっとりとしてそうにも見える。
呼ばれたラキシスは満面の笑みを浮かべたまま、後ろへと振り返った。
「ナルナル団長、やりました!」
「ラキシス、貴方も立派な護国戦姫の一員です。その年で雌火竜を討ち果たせたなら、上出来でしょう」
「うー、ホントにキツかったぁ…………」
安堵の息をつくやいなや、ラキシスは地面に座り込む。
命の危険に晒される緊張感から脱し、戦いを終えた安心感が自然と身体の強張りを緩めていく。
彼女のそばには、物言わぬ骸となった火竜の番たるリオレイアが地に伏していた。
地面には、使い捨てた回復薬の空き瓶だの、磨きすぎて研磨の役割を終えた砥石だの、閃光玉としての使命を果たしたとおぼしき光蟲*1の死骸や、爆発したあとの残骸であろうタルの破片など、戦闘の中で使用した道具が散乱していた。
彼女の戦闘がどれだけ過酷で、総力を尽くしたものであったか、現場だけでも想像するのは難しくなかった。
汗や汚れで乱れた髪を軽く撫で、整えるラキシス。
帰ったら、まずはお湯で汚れを落とし、髪や肌の手入れもしなくてはと思いながら、ふと護国戦姫を率いる若きリーダーの後方へと視線を送る。
「…………」
ナルナルの後方には、彼女が歩んできた証とでもいわんばかりに、中型や大型を問わずモンスター達の死骸で舗装されていた。
まさしく死屍累々。
ラキシスが一頭のリオレイアと激戦を三日三晩にわたって繰り広げる中、彼女は瞬く間に多くの強敵達を斬り伏せてきたのだ。
血塗られた大地の中、幾多もの死闘を潜り抜けてきたはずの彼女には、疲労や困憊といった色は見えない。
なんなら、右手に握ったままの片手剣の刀身にさえ、その返り血は点在さえしない。
剣聖、と人々は彼女を呼ぶ。
剣聖ナルナルという名を知らぬ者は、ハンター業に携わっていればまずいないであろう。
女性のみ、かつ、高い実力者のみで構成された護国戦姫を率いる猟団長。
モンスターハンター達の実力や実績を示すランク制度において、最高位のG級まで上り詰めた若き天才。
扱う武器は片手剣のみ、しかも、有史以来一度たりとも盾を使った事さえもないという。
ラキシスは、地面に座り込みながらも拳を握りしめ、決意を新たにする。
目標とするには、果てしないほどの差が自分と彼女の間には存在するけれど。
その差がどれほど遠く長いものであるか、把握する事でさえおこがましいかもしれない。
この先、どれだけの時間をかければ、研鑽を積めば、経験を重ねれば、その足元へ辿り着けるかさえ、光明見えぬ。
果てなき道であるのは重々承知。困難至難はとうに分かりきっている。
それでも。
いつかは、その隣で共に戦えるくらいの強さを得てみせる。
彼女が認めざるをえないくらい、強くなってみせるのだと固く誓った。
ラキシス・プリンシバル。
この時、まだ十五歳の出来事であった。
ラキシスの元々住んでいた場所は、ルクレイアと呼ばれる国の南部であった。
ヒュルックと呼ばれる中規模都市で、モンスターハンターとして活動する両親の元で彼女は産まれた。
両親から愛情深く育てられた彼女は、すくすくと育ち、特に不自由もなく暮らしてきた。
そんな彼女に最初の転機が訪れたのは七歳の折。
暮らしていた都市の世情が慌ただしく、きな臭くなってきたと母親が感じ、懸念を抱いた事から、住み慣れた土地を離れる事になるのであった。
船に乗り、大海原を渡って辿り着いた先は、モンタベルクと呼ばれる国だった。
特段目立った産業をしているわけでもなく、世界に誇るような特徴があるわけでもない。
強いてあげるなら、山岳地帯があたりに広がっており、山々が連なっているので、雄大にして自然豊かな景色が楽しめる。
このあたりでしか採れない山菜や珍しい草花が生えている事や、豊富な石材や貴重な鉱石も採掘できる事で知られているらしいが、当時のラキシスにとって関心を惹くものではなかった。
山のあちこちには、大人しい上に人懐っこい草食モンスターのエルペが生息していたが、こちらはその愛らしい見かけや仕草もあって、彼女を喜ばせた。
そのモンタベルク国内の山の中腹に広がる小さな街へ移住し、特筆すべき事もないままに彼女は生活していく。
快活、かつ物怖じも人見知りもしない性格であったゆえか、新天地へやってきてもさしたる苦もなく、彼女は周囲へと馴染んでいった。
街の子供達は幼いうちから仕事に励み、山羊の乳しぼりや、絞った乳を牛酪*2を作るのに撹拌したり、大人達が刈り取った干し草を集めたり、畑の種まきを手伝ったり、野鳥を追い払ったり、野菜の収穫にも駆り出されていた。
ラキシス自身は両親の豊富な蓄えもあり、そうした仕事とは無縁でいられたのだが、物珍しさや好奇心も相まって積極的に手伝いへ参加していた。
勉学に励むのも嫌いではなかったが、身体を動かす事の方に比重を置いていたのは、やはりハンターとして名を馳せる母親の影響も強かったのかもしれない。
幼い頃より勝気で負けず嫌いな面が表出しはじめ、子供同士での遊びはもちろん、同年代の異性に負ける事でさえ、彼女は嫌った。
好奇心も旺盛で、その辺の山へ登っては頂から世界の果てない広さに感動した。
向こうに見える山嶺の向こうには、どんな世界が広がっているのだろうか、その先にもまだ世界は続いているのだろうか?
もっとこの世界を隅々まで知りたいと思うようになった。この小さな街だけで一生を終えるのは、もったいないと、日増しに強く感じるようになっていった。
そんな彼女であるから、モンスターハンターである両親の、特に母親に憧れを抱くのに時間は要さなかった。
この街にもモンスターを狩猟して、そこから得た報酬や素材をもとに生活を営むハンターは幾人もいた。
山岳部で生息するモンスターから得られる素材で作られる家具だの日用雑貨は街の発展を助け、中には人間に襲い掛かる好戦的なモンスターもいるだけに、ハンターの存在は不可欠であった。
その中でも彼女の母は一、二を争う実力者であり、その事も少女の憧憬を後押ししたのかもしれない。
母は、いつだって自信に満ち溢れ、竜の素材をふんだんに用いた槍を手に、多くのモンスター達を屠ってきていた。
街へ来るかもしれない巨大で狂暴なモンスターを倒した時、彼女は大いに感謝と賞賛の言葉を浴び、それを見ていてラキシスもまた、誇らしくなった。
母の狩ったモンスターの素材が、街のあちこちで飾られたり、建物の一部になっていたり、人々の生活を支えているのだと知れば、ますますハンターという職業に対し、偉大で意義あるものだと捉えるようになっていった。
「ねぇ、お母さん。私、ハンターになってみたいのだけれど……ダメ?」
「いいわよ」
「え、いいのっ!?」
「でも、流石にまだ身体も小さくて未熟なんだから、まずは身体作りから始める事。いいわね?」
「やったぁ! お母さま、大好きぃっ!」
「お母さまって。調子の良い子なんだから……」
もっとも、少女の希望は本人が呆気にとられるほどにすんなりと通った。
聞けば、母親自身も勢いでハンターになった経緯があるゆえに、その気持ちは理解できるという。
父親は娘のハンター業への志には反対派であったのだが、妻がどういった経緯でハンターになったのかを思い出したのだろう。半ば諦めに近い表情と反応を見せつつも、危険な事はしないようにと繰り返し娘に懇願する様子は哀愁を誘う。
とはいえ、賛成した母親にしても、娘の年齢がまだ若い事は気にしており、無理はさせたくない気持ちは父親以上に強かった。
今の内に鍛錬を積んで武器を問題なく振るえるように、狩場でも過不足なく動き回れるように身体作りをしつつ、適切な経験を積んでいけるようにと、計画を立て始めた。
下手に反対して、反発した娘がおかしな手順を踏んで中途半端なハンターになるくらいなら、丁寧かつ適切な手順を得て修行を積んでもらい、将来に困らないだけの実力を備えさせたいとの考えだった。
このあたりの考えも、特に隠すこともなく母は娘へと告げた。
その考えを聞き、あらためて、自分が恵まれた環境の中で産まれ育った事を身に沁みて実感するラキシスであった。
この時、彼女は十二歳。
ただ、彼女が母親から本格的な修行を受ける事はなかった。
その前に、今後の人生を左右するほどの転機が訪れたからだ。
二度目の転機は、天地鳴動と共に訪れる。
「老山龍!? なんで、そんな奴がこんな辺鄙な街に来るってんだ!?」
「そんなもん、知るかよ! とにかく早く逃げなきゃ、ここも踏みつぶされちまう!」
「逃げるったって、どこへ逃げるんだ!?」
「知らねぇよ! ここにいたら木っ端微塵になる事だけはハッキリしてらぁ!」
老山龍の接近。
その名に恥じぬ、山の如し巨躯の龍。
動く霊峰だといわれても、信じざるをえないであろう。
かの龍が歩めば、大地を揺り動かし、空だって震え、その進路を阻むものは一つとして存在しないように思えた。
最初に発見したのは、ハンターズギルドに属する調査員だった。
巨大な地震の発生に伴い、震源地の調査へ乗り出した彼は、間近に見てしまった。
いくつも連なる自然の山々とは異質の、動く山岳を。
しかも、その山岳は人々の生活する街へ向けて動き始めたのだから、仰天しつつも、それでも自分の果たすべき職務を忘れず、街へと全速力で駆け戻った。
それが何故、出現したのか余人の知るところではない。
ハンターズギルドの職員からの悲鳴じみた報告が上司へ告げられ、ギルドから街の長へと知らされると、たちまち避難勧告が発せられた。
ただ、ここで問題視されるのはどこへ避難すればいいのか? 適切な指示もなされぬまま、あらゆる立場の者達が恐慌したままに動くものだから、上から下に至るまでパニック状態のままに物事が進んでいってしまった。
どのくらいの時間で、老山龍は街へと到達するのか、どのくらいの被害がもたらされるのか、その後はどこへ向かうのか。
何一つ、分からない。想像だにつかない。
分かっているのは、このままいけば、自分たちの暮らしている土地も街も、踏みつぶされて蹂躙されるという事だけだ。立ち止まっていれば、潰れる家々と区別もつかないくらいの肉片となる事だけは確かであろう。
大人達の恐慌に満ちた悲鳴や怒声を耳にしながら、ラキシスは父親と共に避難する準備を行っていた。
ハンターとして腕に覚えのある母親は、既に防衛要員として老山龍の撃退に赴いている。ラキシス自身も何かしたかったが、あまりにも未熟過ぎた。このような大規模な災害さながらのモンスター相手に駆け出しですらないラキシスの出来る事など、ありはしない。
とはいえ、召集されたハンターの半数以上が既に逃走してしまっている。
残った半数もほとんどが揃って諦観の域に達しつつあった。逃げても無駄だから、逃げなかった程度の者達。
諦めずに立ち向かう意思を見せるのは、ラキシスの母親を含む少数派であった。
勝つ、負けるどころか、その歩みを妨げる事や、進路方向を変える事でさえ至難の業なのだ。
人員や準備に時間、何もかもが圧倒的なまでに足りなかった。
もっとも、逃げたところで何処へ向かうのか。
逃げる人々はそれさえも定かでないままに逃げ続けようとしている。
「ラキシス、準備は出来たか」
「う、うん」
父親の声に、ラキシスは頷く。
普段から動揺とは程遠いはずの父の声には、娘でもはっきりと分かるほどに緊張が含まれていた。
一定のリズムを描くようにして、揺れ動く視界に足元。
振動によって、決して頑丈といいがたい家屋の天井からはパラパラ、と埃だの細かな何かが落ちてきた。
地響きが辺り一帯を覆い、その都度、かの老山龍がまた一歩、巨大な脚を前へ進めたのだと理解せざるをえない。
もうだいぶ近づいているのか、まだ距離が少しはあるのか、それさえも曖昧。
ラキシスが父親と共に自宅を出て、入口方面を見やる。
その先に見えるのは、多くの人々が恐怖だの不安だの、焦燥に駆られ、混乱のままに動く姿だった。
我先に逃げようと、逃げ惑う人々を押しのけてでも最前列を進もうとする者がいた。
後ろから押しのけられ、突然の衝撃と痛みでそのまま動けない者もいた。
逃げたところでどうしようもないと、諦め、座り込んでしまう者もいる。
彼ら、彼女らの行動や様子は、それこそ十人十色だった。
けれど、そう至った経緯の先にあるのは、これから迫りくるであろう老山龍であったのは間違いない。
かの巨大な龍にとって、敵意だの害意はないかもしれない。
ただ、散歩さながらに進みたかっただけなのかもしれない。
けれど、目的はともかく、進めば、脚を一歩進ませるだけで大地は揺れ、家々が崩れ、人々は潰れていくのだ。
歩く天変地異。災害さながらの脅威が着々と地響きと共に迫りくる。
「だ、大丈夫っ? パメラおばあちゃん? 足、挫いてない?」
「ラ、ラキちゃん。私はいいから、早くお逃げ……」
押しのけられて、地面に倒れたきり、中々立ち上がれずにいた老婆を起こしながら、ラキシスは地響きの方角を睨みつける。
私に力があれば、きっとあの老山龍だかなんだか知らないが、こうやって皆を怖がらせる相手にだって挑むのに。
今、もしかしたら戦っているかもしれない母親と共に、立ち向かえるのに。
気持ちだけなら負けてはいない。
けれど、あまりにも心身ともに未熟であった。
勇気だけで補うには、何もかもが不足していたのは他ならぬラキシスが自覚していた。
どうして、人は自分にとって必要な時に、それにふさわしい年齢でいられないのだろう……。
一歩、また一歩。
かの老山龍が闊歩する都度、人々の恐怖は最高潮を迎えつつあり、理性の防波堤はもはや決壊しつつある。
そんな中、場違いに明るい声が響いた。
「亡国の気配、確かに感じましたよ! これは護国が必要なようですね!」
恐慌、騒乱、狂乱。
人々が慌てふためき、けれど、逃げたところでどうにもならぬ状況下。
街の入口を堂々と、されど、自然体に悠々と。
彼女らは突然に前触れなくやってきた。
先頭に立つ少女は、まだ幼さを残す顔立ちに、それに見合った小柄な身体。
髪は後ろでまとめて結び、垂らしたポニーテール。それが少女の動きに合わせて躍動する。
右手には片手に収まる剣を一本のみ携えて。
浮かべる表情は意気揚々と、これから楽しい事が始めると喜び勇んでいるかの如く。
混乱の極みにあったはずの人々が、その少女へと思わず視線を集中させた。
いくつもの視線を浴びながら、少女には気後れした気配など、露ほども感じられなかった。
というより、そもそも視線を気にもしていない様子であったようにラキシスなどには思えた。
人々が向かう方角とは逆の方を、つまりは、老山龍のいるであろう方向を見ながら、笑顔を弾けさせる。
「皆さん、私達が今からこの街を護ってみせますのでご安心を! 老山龍の一頭や二頭、恐れるに能わず!」
先頭に立つ少女は、ラキシスとほとんど年齢も変わらないように思えた。
周囲には何人か、同じような背格好の少女達。
彼女らの言葉を鵜呑みにできるほど、楽観的な者はこの場にいなかった。
それもさもありなん。屈強頑丈にして筋肉隆々なハンターでさえも尻尾を巻いて逃げ出したのに、街中で戯れていそうな若き少女達に何が出来ようというのか。
飛び交うのは罵声で、「お前たちみたいなガキに何ができる」だの、「こんな時にふざけている場合か」といった声が相次ぐ。
多少の理性を残した者は、こんなことをしていないで、早く逃げるようにと嗜めたりしていた。
だが、彼女たちにそれらの言葉が響いた様子はみられない。
特に先頭に立つ少女などは、うんうんと何が分かったのか知らないが、神妙そうに頷いている。
そして、カッと両目を見開くと高らかに声を上げた。
「まあ、論ずるよりは剣を振ってみせよと、御託はいいから戦えという事ですね!?」
そう言って、先頭に立つ少女が腕を掲げる。
その腕の先には、ラキシスが見た事もない片手剣が、文字通り煌々とした輝きを放っていた。
周囲にいた人々は思わず、その剣へと目を奪われた。
その剣身はなだらかな輪郭を描き、黄金色と白銀色の鱗や甲殻によって覆われ、中心には燃え滾った炎が包まれているかの如く、淡い紅蓮色。
美しく、荘厳でさえもあった。飾っておけば、一日眺めていられるほどに人の目を惹く逸品。
なんというモンスターの素材を用いたものであるのか、とんと見当もつかぬ。
その剣の持つ輝きが発せられた時、人々を完全な静寂に包みこんだ。
ラキシス自身も、その剣を見た時は思わず息を呑んだほどである。
「人の命は短し、剣振れ乙女! 護国豊穣! 天下泰平! 捲土重来! 亡国の危機、なんのそのですよ皆さん!」
「だんちょ、それ絶対意味違うっす」
一人で納得し、意気揚々とする少女。
突然に現れた初対面の彼女の事など、街の人々は知る由もなかった。
けれど、この街へ接近しつつあるのが老山龍と知っていながら、それに対して臆するところが一切合切みられないのは事実である。
人々はそれ以上、何かをいうわけでも、彼女らを止める事もできず、ただ見守っている事しかできなかった。
よくよく冷静になって観察してみれば、先頭に立つ少女以外の者達も、豪華絢爛とも壮麗華美ともいえる武装に身を纏っており、只者ではないと素人目にも分かった。
この街のハンター達の誰一人として、あのような装備をしているところを見たことがないため、その武装がなんのモンスターを素材としているのかさえ定かでなかったし、どのくらい凄い装備であるのかさえ判断しかねた。
けれど、これまでに幾多ものモンスター達を倒してきたのかもしれない、と想像しうるだけの雰囲気がそこには漂っていた。
慣れ親しみ、着け慣れた装備であるのだろう。少女達が身に纏っていても、不思議としっくりくるのだから。
いずれもが年端もいかぬ外見であったように映ったが、まだ若いであろうに、一体どれほどの修羅場をくぐってきたのか。
遠ざかっていく少女達。
尚も近づいてくる老山龍の足音。
少女達が街を出て行ってから、どれだけの時間が経過しただろうか。
悠長にしている場合ではないはずなのに、人々はどこか行き場を見失ったかのように、その場で立ち尽くしていた。
逃げなくてはいけないと思いつつも、その場を離れられず、老山龍の来るであろう方角をただ凝視している事しかできずにいた。
あのような小柄で非力な少女達が幾人向かったからと、足止めにさえなりはしないだろう。
これから迫りくる巨大な龍にとっては、文字通り虫けらのような存在でしかない。
けれど、もしかしたら、何か起きるかもしれない。
奇跡のような事象が起きうるかもしれない、と一抹の期待と、しかしそれでも捨てきれぬ不安が人々の瞳や表情には宿りつつある。
正気とは思えぬ沙汰である。
狂気のような楽観的主義と言い換えてもいい。
いきなり現れ、山さながらの巨体を揺れ動かす龍を倒してくるなどと妄言を吐く少女達に、己の命運を託すなど素面で出来ようか。
だが、この街が滅びるかもしれない瀬戸際で、唐突に現れた少女達は、救世の英雄さながらに神々しく映った者もいたのは紛れもない事実だ。
少女達が出向いてから数刻。
老山龍の一定の拍子を取るように迫ってきていた足音が、だんだんと緩やかなものとなり、次第に別の音が加わっていた。
規則正しい足音の他、身体を山にでもぶつけているのか、はてさて暴れまわっているのか、破壊音が次々と続き、そこに老山龍の咆哮。
人々には老山龍の咆哮の種類など、判別しようもなく、轟音さながらに迫る音の暴風に対して耳を塞ぐ他なかった。
いつまで続くのか分からぬほどに長い咆哮の都度、人々は必死になって両耳を塞ぎ、地面に座り込む。
だが、熟練したハンターであったならば、この声が恐怖と怒りに満ちたそれであったと分かっただろう。
それから、さらに数刻。
もはや、完全に老山龍の足音は止まっており、辺りはただただ静寂に支配されつつある。
別に話し声を交わしたとて、老山龍の聴覚へ届くはずもなく、届いたところで些少ほどの影響もないはずなのだが、囁くように「終わったのか……?」「わ、分からん」などとやりとりをしている。
大人も子供も関係なく、街のあちこちで人々はただ佇んでいる事しかできなかった。
「お父さん、どうなったんだろう……?」
「分からん……母さんも無事だといいのだが」
ラキシスやその父にとっては、また別の意味での期待が込められていた。
先刻の少女達が、この危機を救うだけの力を持つのであれば、老山龍を食い止めるべく戦っている母も助かるかもしれないと。
希望的で楽観的な願い。
一抹の不安は残せど、それ以上に大きな期待を胸に秘めながらラキシスは父と共に、いつしか前へ進んでいた。
それは他の人々も同様で、何事が生じたのか、危険だと承知しながらも知りたくなったのである。
短絡的だが、山を登っていけば上から見えるかもしれないと誰かが言い出し、何が起きたのか知りたいとする人々がそれに続いた。
元々、山の中腹に広がっていた街であるから、生活の中で自然と鍛え上げられた人々の足腰は、決して軟弱とは程遠い。
元気のある者は次々と慣れた足取りで山道を登っていき、頂上へと辿り着くのに長い時間を必要としなかった。
ラキシス自身も上から数えた方が早い順番で辿り着く。娘に急かされながら父親も到着し、頂を登ってきた先着者達が一様に黙りこくっている事に気付いた。
「何が見えるんだい?」
「………………あれ」
ラキシスの父親が先着者達へと近づきつつ、声をかける。
高度が低いといえど、流石に山頂は足元が不安定な個所も多いのでラキシスも父親にくっついていた。もっともラキシスからすれば、母親に比べてやや頼りない父親が滑落しないように掴まえているつもりであったのだが。
そんな父親の問いかけに、一人の男が長い沈黙のあとに答えにならない返答を返して、指を向こうへと差した。
説明するより、見た方が理解が早いといわんばかりの態度であった。
男の指差す方向を見やると、ラキシスも父も沈黙をせざるをえない。
幾重にも連なる山岳地帯の合間に挟まるようにして、一つの異質な山が紛れている。
間違い探しというわけでもないのだが、赤銅色の見慣れぬ山が視界に嫌でも収まってきた。
離れていても、周囲の山々と大差ない大きさのそれが、かの老山龍というのだろうか。
あれが――――老山龍。
本当に、大きい。ラキシスの脳裏に浮かんだのは短い感想。
大きいなんて安直な言葉では表現しきれないほどに、巨大で雄大で、人の手が及ぶはずもないであろう存在。
本来、あんなのが一度動き出せば、人間が知恵を絞ろうが、技術を駆使しようが、武器を振るって戦おうとも、どうにもならぬはずだ。
「……倒したのか? あれを?」
「信じられない……でも、動く気配がない。動いてない……んだよな?」
「ハンター達はみんな無事なんだろうか? あの女の子達もそうだが」
黙っているのも不安が募ってくるのか、今度は口々に話し始める人々。
母も無事なのだろうか? いや、無事であるはずだとラキシスは半ば願いながら、なんとか人の姿は見えないかと目を凝らす。
しかし、山々や倒れたのであろう老山龍は見えど、それらより遥かに小さな人間の姿など捉えられようはずもない。
「ねぇ、お父さん。私、あそこ行ってきてもいい? お母さんもいるのか、見てきたい」
「無茶を言うな。老山龍が倒れされたとしても、他にモンスターもいるかもしれないんだ。一旦、街に戻ろう」
「私だって、まだペーペーだけど、ハンターだもん! 大丈夫よ!」
「あ、こら。ラキシス! 戻りなさい! ラキシス!」
口より先に身体が動いてしまう事や、気になればジッとしていられないのは、まさしく母譲りといってもいい性格だった。
父親の言っている事は至極もっともである。ラキシスはハンターとしての護身用に、今も初心者用の片手剣*3を腰に下げてはいたが、未熟な彼女が万が一にでもモンスターと遭遇でもすれば、たちまち餌となるだけの話だろう。
分かっている。分かっているのに、それで制止されて留まれないのがラキシスであった。
父親は心の底から心配し、憂いてはいたが、あの母にしてやはりこの娘ありなのだとつくづくに痛感したかもしれない。
せっかく街の滅亡という危機を免れたのに、まだ心労が絶えそうになかった。
山頂より下っていくラキシスだったが、不思議と身体が軽かった。
街へ迫る脅威が退けられたから? 母が助かる可能性が大きくなったから? それとも、あの若き英雄たちの姿をまた見たくなったのか? いずれもが該当するのだろう。
元々快活で活発な彼女にとって、山道を駆けるのは苦でもない。大人顔負けの速度と正確さで道なき道も進んでいき、岩場を超え、木々の合間を潜り抜け、露わとなっている岩肌を疾走していった。
老山龍のいるであろう方角へ進むと、彼女の聴覚に聞きなれた声がわずかに届いてきた。
いつだって自信に満ち溢れた女性の声。聞き違えようのない、慣れ親しんだ声。
「お母さん!」
「ラキシス!? どうして、こんなところに!」
母親の姿が見えた時、思わず涙腺が緩むのを彼女は自覚していたが、そんな事は構いやしない。
勢いに任せたままに駆け出し、母の胸へと飛び込む。
防具を着用しているため、ゴツゴツと無骨な感触が伝わるのみであったが、それでも嬉しかった。街を出ていく時と変わらない、無事な姿がまた見れたのだから。
大袈裟だと、余人はいうかもしれない。母親と離れて一日たりとも経過していないのに、まるで長らく会えずにいたかのように、少女は喜んだ。
母の周囲には、ラキシスも見覚えのある街のハンター達の姿もあった。
そのいずれもがラキシスの登場に驚きつつも、やはり一様に笑顔を浮かべていた。
絶望的な状況から、一転しての生還を果たしたのであるから、それも当然であったかもしれない。
「山のてっぺんから見たら、あの大きな……老山龍だっけ? が見えたから、きっとそこにお母さん達もいると思って!」
「それでここまで来たの!? 途中でモンスターに遭遇したりしなかったの?」
「うん! しなかった!」
「……もう。この辺は老山龍が動いたせいか分からないけど、他のモンスター達も動き回ってて危ないのよ。貴方が遭遇しなかったのは、たまたま運が良かっただけなんだから。勇敢と蛮勇は別。こんな事はしちゃいけないわ」
落ち着いた声色で、声を荒げたりはしないものの、母親の注意はもっともであり、ラキシスは素直に「ごめんなさい」と頭を下げる。
特に反論もせず、上目遣いで見上げてくる娘の姿に、母親もそれ以上叱るのは憚られたのか、「もう……」と言うと、愛娘の頭を撫でた。
「気持ちは分かるけどね。こんな事、人生でもう一度はないでしょうし」
「そういえば! お母さん、女の人達と出会った!? ポニテの女の子とか、他にも女の子ばっかりの人達なんだけど!」
「……会ったわ。あの子達がいなかったら、とてもじゃないけど勝つどころか、食い止める事も出来なかったわね」
「ホントに来たんだ!」
ラキシスの問いかけに答えつつも、母親は複雑な表情を浮かべた。
少なくともこの時、ラキシスには母がなぜそのような顔をしたのか、理解はできなかった。
「あいつらが、噂に聞く護国戦姫って猟団だろ? いや、すごかったのなんの。間近で見たのに凄さが説明できねぇやな」
「護国戦姫って、本当に実在したんだな。ホントに女だけの猟団で、しかもあんなに若いの揃いとは。子供ばっかりだったよな」
「剣聖ナルナルも初めて見たよ。ありゃ、人の形をした別の何かだって言われても信じるぜ俺ぁ」
「もって生まれた才能が違うとか、そんな簡単な言葉じゃ言い表せねぇよ、あんなん。僻む気にもなれないね」
口々に周囲にいたハンター達が感想を述べていく。
そのいずれもが、圧倒的な力量差を感じた事であったり、まだ若いのに末恐ろしい才能の持ち主たちであるといった内容だった。
自分達がどれほどの才能に恵まれ、努力を重ねたとしても、あの領域へ辿り着けるとは思う事さえ、おこがましいほどの存在。
老山龍が迫ると聞いた時は、無力感だの絶望感に苛まれていたのが、今は違うベクトルでの絶望感を味わう事になってしまった。
それを聞いていくたびに、ラキシスの中での憧れが形成化されつつあった。
「もっと教えて!」とラキシスがねだり、ハンター達が苦笑しつつも必死に記憶を辿りながら、見たままの光景を口にしていく。
いわく、老山龍を見るなり、次々に襲い掛かっていく少女達。
口々に「護国開始!」と叫びながら現れる少女達に、思わず街のハンター達も呆気にとられて攻撃の手を止め、その成り行きを見守るしかなかったという。
猟団長であり、剣聖で知られるナルナルなどは、人々の目に捉えるのが困難なほどの速度で老山龍目掛けて接近し、岩肌などを蹴りながら跳躍し、老山龍の背中へと駆けあがっていったらしい。それだけでも人並外れた身体能力のなせる業だろう。あの老山龍へ登っていこうなど、常人は考えもせぬ。
何をするのかと遠巻きに見守るハンター達を尻目に、ナルナルをはじめとする護国戦姫のメンバーたちが一斉に攻撃を仕掛け、瞬く間に鱗や甲殻ごと斬り裂いていった。
一枚一枚の鱗そのものが、家一軒を覆うほどのそれであり、その重厚さときては人の振るう武器など、傷つける事も叶わないと思われた。
ラキシスの母をはじめとするハンター達が、それまでに幾度となく攻撃を繰り出し、巨大なタル爆弾まで用いたにも関わらず、意にも介していなかった老山龍がたちまち苦悶の声を上げたのだから、心底仰天したという。
人生でこれほど短時間に驚いたのは、後にも先にもこれが最初で最後であろうと。
荒れ狂う山さながらの老山龍に乗りながら、ナルナルは尚も剣を振り続け、頭部までたどり着くと幾本もの角を薙ぎ払い、内一本は掴まるために残しながら、延々と頭部を片手剣で突き刺しつづけたという。
他のメンバーも容赦なく、前脚を重点的に攻撃し続け、凄まじい猛攻に耐えかねた老山龍が勢い任せに暴れたところで、誰一人慌てるそぶりもみせなかった。
それどころか、巻き込まれたら危ないからとメンバーの一人が、街のハンター達へもう少し離れているようにと、避難を呼びかけてくる余裕さえみせた。
どこまでも自然体で悠々とした一団であった。気負うものはなく、ただ日常生活を営むように老山龍を切り刻んでいった。一方的な殺戮と言い換えてもいい。
戦いにすら、なりはしなかったのだから。
「ごーこく護国ぅ。護国が完了~♪ 明日は明日の護国がやってくる~っ♪」
ラキシスがまだハンターとしての活動もしていないゆえに、乏しくならざるをえない想像力を懸命に働かせ、護国戦姫の戦いぶりを想像していた時。
軽快だが、調子はずれな歌を口ずさみながら、先ほどラキシスが見かけたポニーテールの少女、ナルナルであろう人物が現れる。
右手には金銀に輝く片手剣を、左手には老山龍に生えていたそれであろう角を握り、彼女はやってきた。
小さな輪郭の顔には、満足そうな笑みを浮かべ、うきうきとした挙動で足を進めてきていた。
その後方には同じような年頃、背丈の少女達。
彼女たちのいずれもが護国戦姫のメンバーなのだろう。
最初に街で見かけた時と、今とでは抱く印象もまるで違った。
ラキシスは考えが頭をよぎる前に動き出した。
ナルナルの前に走り出すと、彼女の前でラキシスは勢いに任せて頭を下げる。
「私を、弟子にしてください! 護国戦姫のメンバーに入れてください!!」
「ラキシス!?」
母譲りの、思い立ったら勢いのままに動き、止まれなかった。
短時間で抱いた憧憬は、彼女の勢いを後押しした。
一度動き出すと、もうどうにも止まれない。
後々に、人外魔境と名高き護国戦姫において、人の域を外れた者達の到達点とされる上位十名へと名を連ね、その中でも序列五位まで上り詰め、竜槍のラキシスと呼ばれる存在へとなるのは、まだまだ先の話。
この時においては、彼女はまだ十二歳のうら若き少女であり、まだまだ未熟なハンターの一人でしかなかった。
彼女の才能の芽が開花するまで、まだ幾何かの経験と時間を必要としていた。
【次回予告(内容予告なく変わる事もありますので、ご了承くださいませ)】
「ラキシス、貴方もこの護国戦姫に来てから早くも一年。そろそろ本格的な討伐について経験してみましょうか」
「はい! よろしくお願いします!」
「では、手頃な相手にまずは飛竜を二、三頭ほど狩ってみましょう。論ずるより、剣を振るが易し。最初はやはり、リオレウスあたりが無難でしょうか」
「待ってください団長、私まだハンター歴一年です。イャンクックどころか、ドスランポスも倒した事ないです」
ラキシスのもっともなはずの反論に、団長たるナルナルはカッと目を見開き、嘆かわしいといわんばかりに眉を下げて、首を左右に振った。
次いで、まだ理解の未熟な団員へと、諭すように優しげな声色で話し始めた。
「……ラキシス。人の寿命は短く、元気に動ける時間はその中でも限られ、十全に戦える時間はさらに一握りなのです。ハンターとしての寿命は実のところ、想像以上に短いといってもいいでしょう」
「はい」
「ゆえに安寧に、悠長にしていられる時間など、ありはしないのです。一つひとつの戦いを噛みしめていくのですよ。つまり、強い敵と戦い続ける事が肝要なのです。イャンクックやドスランポスにも強い個体は確かにいますが、そんなのと遭遇するか運任せにするくらいなら、無難にレウスと戦う方が身につくのだと、私は言いたいのですよ……?」
「最初はもっともらしい事言うなって思ったら! ぜーんぜん分かってない! 最初くらいは順当に自信つけさせてくださいよぉ! いきなしレウスからとか、単純に怖いんですってば!」
「でも……初戦でレウスを討伐できたら、自信がつきますよぉ……?」
「きー! 話が通じなーい!!」
ラキシス・プリンシバルの苦悩は続く。
人の域を超えた存在に、常識論など通じはしないのである。無常。
※適当に作っただけの流れなので、この通りに進むとは限りません。
ご了承いただくと共に、予告なしに変更する場合もございますので、ご容赦下さると幸いです。