カヤキス・プリンシバルは、ヒュルックの都市で生まれ、今日まで過ごしてきた。
別段、裕福な家でも、貧しい家の生まれでもない。
強いていうなら、多少裕福な家ではあったかもしれない。
まあ至って平凡な一家の長女として、特に不自由もなく暮らしてきていた。
不満は、ないはずだった。
欲しい物は大体手に入ったし、大概の事において、自分でどうにか出来るだけの才能もあった。
そこに努力が加わると、出来ない事の方が少なくなった。
だが、なんとなく虚しかった。
女だてらに武術にも優れ、勉学の面でも両親を凌駕し、ヒュルックの騎士団にもスカウトもされた。まあ、こちらは丁重に断ったが。
勝気な面の目立つ彼女だったが、面倒見もよく、世話焼きな姉御肌な面もあり、友人にも事欠かなかった。
ヒュルックで就ける仕事で、彼女が目指せないものはないように思われた。それこそ、王都へ赴いても決して引けを取るとさえ思わなかった。
順風満帆な人生の途にあり、選択肢は無限のように存在するはずであった。
その彼女がモンスターハンターを目指したきっかけは、他者からすれば才能を捨てる愚行にしか思えなかった。
わざわざ危険に身を寄せる必要がなく、平和や安全に保護された中で、彼女自身の才覚だけでまず不自由しない将来が約束されたようなものだからだ。
彼女は、夫となる人物がハンターであり、その自由な生きざまに憧れを抱いた。抱いてしまった。
それは運命的な出会いであったと本人だけが語る。
ハンターといえば、その日に何をするかは、すべてが己の選択で決まる。
どんな依頼を受けるのか、狩猟か採集か運搬か、討伐とすれば何を狩りに行くのか、狩りの前の下準備も、必要な知識や道具の仕入れも、狩場へ到着してからの行動もすべてが、自分で考え、自分でせねばならない。
討伐にしたところで、相手は自然界を生き抜いてきた巨大なモンスターであり、当然ながら易々と敗れてくれるはずもない。自然の環境さえも、時には人間に牙を剥く。モンスターと戦う前に原生生物にやられて死亡するケースとて決して珍しくない。
熱砂の砂漠や極寒の凍土に適応できず、力尽きたハンターだって幾人も存在した。
実際にモンスターと戦ってみて、入念に計画してきた作戦が通用しない事なんて、それこそ無数に存在した。思い通りにいくことの方が稀なのだ。
何をするにせよ、思い通りにならない。それが何よりも甘美な魅力を秘めていた。
今にして思えば、誠に短絡的で衝動的な選択であったと、いわざるをえない。
だが、後悔はしていなかった。周囲の反対を押し切ってハンターとなった事も、夫となるハンターを伴侶に選んだ事も、その夫との間に子をなした事も。
すべて、自分で選び、貫いた選択であるのだから。
ただし、注釈しておくなら、夫の方は多才な妻をハンターの世界に招いてしまった事に対し、罪悪感を抱いているが。それをいえば、きっと彼女は夫を叱咤していた事だろう。
カヤキスがハンターを志し、一年もせぬ内に夫の実力を凌駕してしまい、数年もしない頃にはヒュルック最強のハンターの称号を得るに至った。
雌火竜を中心に、飛竜を幾頭も屠っていき、防具も武器も一通り揃えた頃には、【竜槍】などという、大層な二つ名も頭に付くようになった。
二十代も半ばに差し掛かり、そろそろハンターとしての階級も上から二番目となるA級も目前といわれて久しい。
だが、ヒュルックで最強とは称されても、南部最強のハンターと呼ばれる存在は別にいた。
ヒュルックから南へ、街道を進んでユーリアの山々を抜けた先。
草原地帯の中でぽつんと点在するホツリ村に、その者はいた。
その名を、ヴァリエ・アルハイドという。
齢十二歳で王都アーカイネルへ向かい、ハンターの養成学院で知られるエールトベーレに入学。
そこで三年間在学の末、卒業する頃には【竜姫】の異名と、A級の階級を伴っての堂々たる巣立ちであった。
竜姫以外にも、様々な異名を彼女は持つという。
それは、二つ名を冠するモンスター達を次々と討伐でもしなければ、到底成しえぬ偉業の一つでもある。
カヤキス自身、竜槍と呼ばれるまでにどれだけの飛竜を狩ってきた事か。異名をいくつも得るなど、途方もなければ、想像もつかぬ戦いの連続であったはずだ。
しかも、人外魔境の者達が到達するといわれて久しい、G級への昇格も目指しうるほどの逸材だと聞いた時は、そんな化け物がいるものかと思ったものだ。
以前一度だけ、G級のハンターが戦う姿を見た事があったが、あれはまさしく人の域を超えた者達の到達点であったと、確信をもっていえた。
ただ一度の戦闘を見ただけで、自分がまだまだの存在であったのだと思い知るに十分な情報であったのだから。
話を戻すと。
そんな逸話に事欠かぬ彼女が故郷のホツリへ、夫と娘を連れて帰ってきたという。
だが、帰ってきてからの彼女は、特に狩りに行く事もなく、家事育児に専念をしていると耳にした時は、正直正気を疑ったものである。
せっかくの才能を捨てて、何をしているのかと。
自分がハンターを目指すと言った時、周囲が反対に反対を重ねたのも同じような思いだったのだろうか、とこの時は意外なきっかけで、当時考えもしなかった周囲の気持ちについて思いを馳せる事となってしまい、憮然*1とせざるをえなかった。
正直、恵まれた素質をもちながら、それを活かすでもなく、自由気ままに好き勝手に生きている変わった人だという評価を下していた。
あの日、彼女が火竜を倒した*2という報告を聞き、その検分へ行くまでは。
「これを、その竜姫がやったの?」
「そのようです。驚きますよねぇ。あの人、私服で大剣オンリーだったんですよ」
ハンターズギルドからの依頼で、火竜討伐の現場検証などという意味不明な依頼を受けた時は、ギルドも求心力を失い、とうとうハンターに現場検証を任せるほど、蒙昧したのかと思ったものだが。
実際にヒュルックから離れた街道で、その火竜の遺骸や周辺を見渡した時、カヤキスはギルドの困惑や疑問について理解を示した。
ギルドから送り出された職員も数名いたが、その内の一人、カヤキスとも交流の深い女性職員が軽口交じりに答えるが、その表情には驚きが色濃く残っており、声色も口にした言葉ほどには飄々といかなかった。
空の王にして、火竜の名を冠する大型モンスター。
それがリオレウス。
カヤキスは、そのリオレウスの番となる雌火竜を幾度となく狩ったが、このリオレウスにしたとて、倒した事はもちろんあるが、相当の難敵にして、強敵である。
敗れるかもしれないと、ここで死ぬかも、と感じた事は一度や二度ではなかった。
装備を万全に、道具も下準備も怠らず、計画立てての狩猟を踏まえても、その戦いは毎回が死闘であった。
空から一方的に火球を放ち、滑空して音もなく強襲してくるのはまさしく恐怖。
よしんば地面に降り立ったとしても、繰り出す動きのすべてが致命傷を等しく与える脅威の塊だ。
頑丈な防具を身に纏ったとて、幾何もの安心にもつながらぬ。なにせ、鎧袖一触さながら、火竜の爪も牙も尾も触れただけで容易く肉が裂け、骨が砕けるほどの威力をもっているのだから。
その火竜を相手にしながら、彼女は私服姿で、炎剣リオレウス一本で戦い、倒したという。
道具も罠も使わなかったらしく、実際にその形跡がまったくない。隠蔽痕もないし、その気配さえもみられない。
火竜の遺骸にも、大剣で受けたであろう傷以外に目立った他傷が見当たらないのだ。
真実であればあるほどに、その人並外れた行為に恐怖を、畏敬を抱かざるを得なかった。
同じことをやれと言われて、出来るものならそれだけで人外の仲間入りだろう。なるほど、G級へ足を踏み入れる資格があるというのは、彼女のような存在なのかもしれないとさえ思った。
これを見るまでに少なからずあった嫉妬や羨望などといった負の感情も霧散してしまった。競う事でさえ、おこがましいと思えた。
「竜姫さん、かぁ」
「カヤキスさんを見た時も、正直とんでもない凄腕だと思いましたけど。あの人を見た時は、もうなんていうか、言っちゃなんですけど同じ人間と思えませんでしたよ」
「その、竜姫さんってどんな外見してたの? 竜姫なんて異名を持つくらいだし、やっぱり人目を引くような美人さんとかだったりするのかしら?」
「いやぁ、それが……もう、子供かってくらい、小柄な女の子でしたよ。旦那さんと娘さんいましたけど、正直歳の離れたお兄さんと、そのお兄さんの子供さんで姪っ子ちゃんって言われた方が私は信じれましたねぇ」
「そう、なの……」
この時、竜姫たるヴァリエは齢二十歳を超えているはずなのだが。
子供? 女の子? 旦那に娘? なんだか、色々とにわかには信じられない。
そんな少女だか区別のつかない子が、あの火竜を一方的に地に伏させたというのだろうか。炎剣を手にするまで火竜を倒してきたのだから、火竜の相手などお手の物なのかもしれない。
だが、それでも聞き及ぶ容姿と、やってのけた事のちぐはぐな乖離性が、彼女の輪郭をいまいち想像させてくれないのだ。
とはいえ、この長年の付き合いあるギルド職員の彼女が嘘をつく理由もまた、ない。
見たままの姿や印象を彼女なりに伝えてくれているはずだ。
竜姫を直接、見てみたい。
そう一度思うと、ジッとなどしていられなかった。
何かしら、依頼などを通してホツリ村へ寄ってみようかと思っていた矢先。
思いもがけぬ機会が訪れた。ユーリア山地でのコンガの大規模な群れが発見され、その対応が必要となったのだ。
万全を期しての討伐作戦に際し、竜姫ヴァリエの協力を得ようとするギルドマスターの方針を聞きつけるや、彼女は真っ先にギルドの一室へと駆け付けた。
アポイント*3? 知らぬ。
「失礼するわ! ギルマス! ギルマス! ちょっといいかしら?」
「おや、カヤキス殿。あまり口うるさい事を言いたくないが、もう少し慎みを持ってだね……」
「ホツリ村へ行くって聞いたのだけれど? 竜姫さんに会いに行くのでしょう!? 私も行きたいわ! 連れてって!! どちらにせよ、ホツリに行くなら道中の護衛のハンターも必要でしょう!?」
「おやおや、これはまた……お耳の早い事で」
彼女の名誉を守るため、注釈するのだが、普段はこのような無礼なまでに己の行動を最優先させる性格ではない。
だが、この時は興味や関心が胸中を満たし、居ても立っても居られないほどに、身体を焦がしていた。
あの竜姫に会ってみたい。どんな人なんだろう、どんな思いでハンターになったのか、ハンターとなってどう思ったのか。聞きたい事が山ほどある。
彼女へ会いたいという、その一点がカヤキスを突き動かした。
一度勢いに乗ると止まれないあたりは、カヤキスが知る由もない事ではあるが、目的の人物であるヴァリエも似たようなものであろう。
ギルドマスターであるヴェルラーの呆れながらも浮かべる苦笑など、どこ吹く風か。
カヤキスはこの時、まだ見ぬ竜姫に思いを馳せていた。
ユーリア会戦において、山々の西側は完全勝利に近い形で、コンガの群れを壊滅させた。
五頭いたババコンガはいずれも狩り取った。
二百近い大群であったコンガ達もほとんどが躯を晒し、生き残ったコンガ達も四散した。
あえて生き残ったコンガを数頭見逃したりもしたが、当面は人間へ近づく気にもなれないほどの衝撃であったはずだ。
対して、討伐側であったハンターや騎士達に被害はほとんど出ていない。死者は少ないが存在するし、負傷者もそれなりにはいるが、コンガの規模を考えれば、よくもここまで一方的に勝てたものといわれるだけの戦果を挙げていた。
ユーリアの会戦は、当初から人間側の有利に事が進んでいた。
戦略面でいっても、開戦する以前から勝利が決定的である状況を作り出せていた。
群れの動向は常に把握していたし、圧倒的な戦力も整える事ができた。現場の指揮を任せられる人材も、単独でババコンガを狩りうる人材にも恵まれた。負けるはずもなかった。
事実、西側の討伐勢は苦戦する気配もないままに勝利したのであるから。
些か拍子抜けといってしまえば、贅沢であろう。
だが、リオレウスを追い出すほどの勢力の割には、そこまでの強さは……というのがホツリ村のハンター達や、共に戦った騎士団としての率直な感想、見解であった。
騎士団やハンター達が早期に対応を開始した事、ホツリ村のヴァリエなど、突出した実力のハンターが参戦していた事も優勢の一因であったのは間違いない。
万が一を踏まえての盤石の布陣ではあったのだが、想像以上に勝利しうる条件が揃いすぎたのは、後日都市長たるマレーズやヴェルラーにとっても笑い話の種であった。
この戦いで勝利し、参戦者達は少なくない報酬に、ユーリア会戦の勝利者としての名声も得て、まずまずの戦果を得ていく。
万事めでたし、のはずである。
しかし、ユーリアの峠を挟んだ東側では想定外な苦戦を強いられていた。
「迎撃準備! 竜鱗の陣*4!」
騎士団の副団長を務めるシーリアス・アプリカードの鋭い声が響く。
彼女の号令に従い、長大なランス*5と、身を覆うほどの大盾を構えた騎士達が、幾重にも隊列を組んでいく。
攻守に富んだランサー隊と、その後方にはボウガン*6を構えたガンナー隊が控える。
比較的傾斜の少ない峠を選び、シーリアスを中心に、竜の鱗さながらに強固な防御陣を形成する、はずだった。
だが、最前列で大盾を構えていた騎士が宙を浮く。小さなうめき声をあげ、地面に転がったまま、その騎士は動かなかった。
別の騎士が目前の敵に対し、ランスを突き出すも、勢いのない穂先を軽やかに逸らされ、事態を理解しえず、呆然としたままの騎士が頭部を叩き潰された。
「なっ!?」
「くそ、盾が意味をなさないぞ!」
「迂闊に隙を見せるな! 防御中心! ガンナー隊は、確実に狙って攻撃!」
シーリアスから矢継ぎ早に指示が出るが、その声に対する騎士たちの反応は幾分か鈍い。
上官に不満があっての事ではなく、目前に迫る脅威への警戒や恐怖、焦燥などから、脳で理解していても、身体がすくんでしまうのだった。
相手はババコンガだ。
しかも、左側には他の個体が備えているような丸太さながらの腕が途中から存在しなかった。
この戦闘において失ったわけではない。戦闘が始まる前から何らかの理由で失ったのであろう。
歴戦の経験を積んでいるのであろう、隻腕のババコンガ。
だが、両腕を備えて五体満足のコンガ達より、片腕で戦うこのババコンガの方が遥かに強かった。
片腕によってバランスを崩す事もなければ、重心がぶれる事もなく、片腕で的確に殴打を放つ。しかも、その殴打の速度と正確さたるや、ランス使いの繰り出す突きよりも速く、しかも盾の隙間を縫うように貫くため、視界が遮られる大楯がかえって邪魔になる有様だった。
よしんば盾があっても、体当たりを食らえば強かに吹き飛ばされるし、なんとか踏みとどまっても体勢を崩したところを狙い撃つように殴打を浴びてしまう。最悪の場合、盾をそのまま貫いてしまうのだから、もはや盾の意義を失いつつある。
屈強な見た目通りの腕力をしており、先ほどから一撃を耐え抜いた騎士が存在しない。直撃を受けた者は即死するか、少しの時間を経て死ぬかの不名誉、かつ、理不尽な二者択一だ。
二つ名*7を持つババコンガはいないとの情報だったが、どうやら未来の二つ名候補が紛れていたらしい。
ここで生き残れば、さらなる強敵と化すだろう。
どうにか倒してみせるか、西側で戦っているハンター達が駆け付けるまで、時間を稼ぐしかない。
人里にこんなのが下りていったら、手に負えるわけがないのだから。
「おのれ、珍妙な頭をした片腕の猿風情め……!!」
「アリエンロー! よせ!」
騎士団の中でも上位に位置する騎士、アリエンローが双剣を抜く。
彼は単体での戦いにおいては、団長たるシュライハムにも引けを取らぬと豪語するほどの武芸達者である。事実、虚構でも誇張でもなく、モンスターを幾頭にも渡って単独で討伐してきた実力を備え、この戦いにおいてもコンガを続けざまに二頭、危なげもなく討ち取っている。
よしんば騎士を辞してハンターとなったとしても、やっていけるとさえ周囲も自身も思ったほどだ。
そのコンガを少々大きくした身体に、片腕ならば、多少強くとも勝てるはず。
侮るつもりはなかったが、ややこの時は自分の技量を過大に見積もっていた点は否めない。
アリエンローは双剣を変幻自在な軌道で振り、幾重もの剣閃を描き、片腕のババコンガを切り刻む。
だが、刃が触れてもほとんど通らず、しかも短時間で二桁以上もの斬撃を浴びせたにもかかわらず、そのすべてを右腕で凌いでみせた。
「くっ、俺の剣を、二刀流を愚弄するかっ!」
怒りに任せ、突貫しようと重心を落とした瞬間。
アリエンローの懐にババコンガが入り込んできていた。
馬鹿な、なぜ、と口に出す暇もなく、無駄と知りつつ双剣を構える暇*8すらもなく、手前に交差させていた双剣の刃が二つとも砕かれ、そのあとに続くようにしてアリエンローの腹部へと一撃が入る。その勢いでアリエンローはそのまま吹き飛んでいってしまい、そのまま動けなくなっていた。
骨が折れ、折れた骨が刺さりでもしたのか、内臓が潰れてしまったのか、呼吸も満足にできない。口腔内が出血で満たされ、あちこちから痛みを感じるはずなのに、もはや感覚さえ途切れているようだ。
「あ、ありえん…………」
「アリエンロー!」
これがアリエンローの最期に発した言葉であった。
負けた、死ぬのか。それだけがアリエンローの脳裏に浮かび、やがて意識が途切れ、生命も永遠に絶たれた。
ヒュルック駐留騎士団の中級指揮官たる上級騎士が戦死したのであった。周囲の騎士達に当然ながら動揺が走る。
当のババコンガは新たな獲物であろう騎士の一人に、アッパーカットさながらに拳を突き上げ、吹き飛ばした。
その騎士はしばし宙を浮き、地に落ちるとそのまま動かない。
当初の戦術構想であった、ハンター達との連携を絶たれ、シーリアスは歯噛みしていた。
今、長くに及んで共に戦ってきたアリエンローも殺されてしまった。このままではこちらの騎士団は壊滅だ。
「どうして、こんな事に…………!!」
この状況と陥った自分への不甲斐なさに、シーリアスは思わず、声を上げた。
敬愛する上官に、このざまを見られた時、なんと釈明すればいいというのか。ましてや、あの租にして雑の血気盛んな傭兵隊長である女性になど、絶対に見られたくない醜態であった。
唇を強く噛み、彼女は目前に迫るババコンガを見据えた。
また一人、率いてきた騎士が盾諸共殴り倒され、彼女の視界から消えた。片腕のババコンガは幾人も殴り倒しながら一向に疲れさえも見せず、表情を歪ませながらシーリアスへと双眸を向けた。
次はお前だと、言外に相貌が告げている。
きっと、これはババコンガの笑顔なのだろうとシーリアスは場違いな感想を抱いてしまった。
彼女の視界を覆いつくすように、隻腕の獣牙種が突貫を仕掛け、その拳を振り上げた――――。
「副団長さん、副団長さん。ちょっといいかしら」
「は、はい。なんでしょう?」
時は、ヴァリエ達と別々の方角へ進軍した頃に遡る。
シーリアスは、敬愛する上官の背中が見えなくなるまで見送ったのち、自分達が向かうであろう東側の山々や、それらを覆う森へと視線を向けた。
ユーリアの峠より、東側へと騎士団やハンター達は展開していた。
山頂にはまばらな木々や、野に咲く花々が見え、のどかな景色であった。
周囲には山を覆うように木々が生え、森が広がっている。その中に、コンガ達が動いているのだろう。
定期的にテンプエージェンシーから、コンガの動きを知らせるようにして、信号弾が空へと放たれていく。
耳をすませば、コンガ達の驚きや怒り、威嚇の鳴き声などが聴こえてくる。
木々のざわめきや、おそらくは襲い掛かられて、応戦しているのであろう。テンプエージェンシーのハンターによる戦闘音もそこに含まれていた。
西側の討伐勢と、同じような戦術構想で彼らは応戦していく。
最初に遭遇したコンガの小規模な群れを、やはりガンナー部隊がボウガンでの斉射を加え、ランサー部隊がランスで貫いて確実にダメージを負わせていく。この一連の動作だけで、十頭未満のコンガ達はほぼ無力化できていた。
近接戦闘となれば、ヒュルック側のハンター達もいつでも迎撃できるようにと備えていたが、せいぜいが一頭、二頭が半死半生の様子で自棄になって突っ込んでくるのを、最後にとどめを刺す程度のものでしかなかった。
向こう側と同じく、流れ作業のように討伐が行われていった。
そうした小規模な遭遇戦を三度終えたあたりで、カヤキスから話しかけてきたのである。
シーリアスにとっては、ヒュルックで最も強いと称される彼女の存在は、やはり記憶に新しい。騎士とハンターの立ち位置である以上、直接のかかわりは少ないのだが、依頼などを通してカヤキスがヒュルック周辺でのモンスター討伐を次々とこなしているのを知らぬはずもなかった。
時々強引な面もみられるが、基本的には礼節もわきまえているし、気さくで愛嬌のある彼女の懐へ飛び込んでくるような関わり方も嫌いではなかった。
つまるところ、シーリアスにとって彼女への印象は悪いものではない。むしろ、好意的だといっていいだろう。
「なんだか、嫌な気配がするわ。さっきから殺気を感じるのよ」
「それは一体? どこかに、コンガが潜んでいるという事ですか?」
思ってもみない発言に、一瞬シーリアスは眼を瞬かせる。
カヤキスの表情は平静そのものにしか見えなかったからだ。
発言の内容はともかく、声色などは挨拶をするような自然なものであったのも大きい。だが、言っている事は聞き逃すには剣呑すぎる内容だ。
ハンターとしての経験も豊富で、実績も十分な彼女の勘をとても軽視しえない。場合によっては速やかな対応が必要だろう。
「そうね……。木々の中に潜んでいるのでしょうけど……。岩肌や地面が剥き出しのところで、あの色の毛並みで隠れるのは厳しいだろうから」
「なるほど。では、警戒しつつ討伐をしていくよう、伝えましょうか?」
「そうしましょうか。テンプエージェンシーの人達から合図が出てないあたり、どこに潜んでるのか分からないし」
「…………えぇ」
シーリアスは眉を顰める。
テンプエージェンシーの名前が出てくると、どうしても頭にはあの失礼な態度の女性が浮かんでしまい、語気のトーンが落ちてしまうシーリアスであった。
それを察してか、空気を切り替えるためにかは定かでないが、カヤキスは「あ、そうだ」と声を出し、次いで、鶏冠のように逆立った赤い髪のハンターへと声をかけた。
離れていても、その男はよく目立つ。
「タイラー! ちょっといいかしらー!」
「俺を呼んだか! 俺か!? 俺はタイラー! 火祭の……タイラー!!」
「知ってるわよ。いいから、早くこっち来なさい」
「はい」
すげなくカヤキスは答え、タイラーに来るよう伝える。
遮光性のためなのか、黒塗りの眼鏡をかけ、見えるところだけでも顔中傷だらけのタイラーは、背も高い上に身体つきも屈強な上、おまけに声もでかい。威圧感を嫌でも感じる外見と雰囲気も醸し出している。
シーリアスは内心、この男に苦手意識を持っていたのだが、カヤキスに怒られると途端にタイラーは静かになった。
すん、と表情も沈み、声を発さなくなると別人のようになり、それはそれで怖いとシーリアスは思ってしまう。
理不尽である。
【火祭】の異名を持つタイラーは、ハンターでありながら武器をほとんど使用しない事で知られる。
使用する武器は、もっぱら爆弾*9である。
片手で持てるサイズのタルだったり、荷車で運ぶほどの大きなタルの中には、爆薬*10がぎっしりと詰まっており、何かの間違いで炸裂すれば危険極まりないのは確かだ。
だが、モンスター相手にも有効なのは、タイラーが火祭の異名と、ほぼ爆弾オンリーでC級まで昇格してきた事が証明しているといえるだろう。
シーリアスにしても、爆発物に対しての彼の造詣が深いのは知っているが、実際の彼を見るとそのような知識や技能が備わっている事がにわかに信じがたかった。
ひどい物言いをするなら、タイラーに知性があると思えない等と辛辣極まる意見も存在する。
いつも声が大きく、口を開けば「タイラー」以外の言葉が中々出てこないのだから、無理からぬ面もあっただろうが。
「タイラー。多分、ババコンガあたりが出てくる気がするのよ」
「はい」
「だから、襲われた時に気を付けてほしいの。大丈夫?」
「はい」
「分かってると思うけど、爆弾が誤爆しないように気を付けてもらえる? 衝撃を受けたら危ないんだから、ね?」
「……分かったぁー!! 俺は気を付けるぞー! 爆弾なら俺に任せろ! うわはははは!」
爆弾という単語が出た瞬間、目に見えてタイラーの顔色に生気が戻り、声色も元の騒々しく、けたたましいものへ戻っていく。
そのような感想を抱くほどに、タイラーの様子が一変した。
シーリアスは切り替わりの早さについていけそうにない。困惑した表情のまま、二人のやりとりを眺める。
カヤキスは慣れたものか、表情一つ変えない。
タイラーは有言実行した。
ただちに舎弟か仲間か区別のつかない、同じような髪色に黒眼鏡をかけた者達に声をかけると、速やかに行動を起こす。まず、荷車に積んでいた大タル爆弾の誘爆を防ぐようにして距離を開け、誤爆によるダメージの軽減を図るため、飛散物防止の金属を周囲に設置していった。
そもそも、いや、今更言っていいものかは分からないが、動きの激しいババコンガを相手に、大タル爆弾を的確に爆裂させる事が可能なのか、疑問を抱かざるをえないカヤキスである。
爆発によっては環境破壊の恐れもあるのだが、今日に至るまでタイラーがその手の始末書だの事故報告をギルドに提出したという事実はない。爆発物の専門家としての彼の技量を信じざるをえないところであった。
普通にボウガンで乱射するくらいの方が、コントロールしやすいというのが本音だが、そこまで干渉する権利はカヤキスにも、誰にもない。
あとはタイラーが異名通りの働きをみせるのを期待するのみだろう。
「タイラー、もう一ついいかしら?」
「なんだァ!? 俺はタイラー! 火祭なら、何でも任せろ!!」
「はいはい。あのね、潜んでるコンガを炙りだしたいのだけれど、そういうのに向いてる爆弾ってあったりするの?」
「わははー! あるぞー!! なぜなら、俺はタイラー!!」
ダメもとでの確認であったのだが、意外にもタイラーはすぐに準備をしてくれた。
人柄も性格もつかみどころがないが、少なくともケチでもなければ、非協力的でもないのは確かであった。
つんざくような高音を発する音爆弾や、爆薬の詰まったのであろう小タル爆弾を、さらに小さく手乗りサイズに加工したのであろう、いってしまえば手乗り式の超小型タル爆弾を取り出し、カヤキスの手に渡していく。
万が一、何かの間違えで炸裂したら両手が文字通り弾け飛ぶ恐れもあるのだが、気軽に渡してくれるものだ。
内心は恐々としつつも、カヤキスは掌の上に収まるそれを見やりつつ、持ち主に尋ねる。
「音爆弾に、小タル爆弾……なのよね? すっごい小さいけれど」
「音爆弾といったら耳の良いやつに使うもんだって思うだろうが、それはちがーう!! 俺らハンターだって、これを破裂させたら耳を塞ぐ! つまり、コンガ達だってこれを浴びせられたら、思わず反応しちまうってわけだぁ! はははーっ!! それに、この小タル爆弾は手投げ式で、投げたあとに少し時間をおいて破裂する! 威力も、まぁ控えめだが、驚かすなら十分だー! わははーっ!!」
高笑いするタイラーだが、言われてみれば確かに、とカヤキスは目を見張った。
意外と理性的な事を言う、とも思った。こちらは口にしない。
しばしば、ガレオス*11だの、イャンクックといった、聴覚に優れているモンスターを怯ませるのに使ってきたが、人間が間近であの高音を浴びれば、鼓膜が破れるのではないかと錯覚するくらいに、聴覚へ強い刺激を受けるのだ。
コンガ達が、特別音爆弾に平気である理由など、ありはしないのだ。
ただ、理屈は分かったのだが、それはそれとして結構貴重な爆弾をほいほいと使ってもいいのだろうか。
作る材料は決して高価ではないのだが、材料集めや作成する手間は馬鹿にならない。
何の見返りもなしに貰うには、憚られる程度に貴重なのだ。
「でも、音爆弾って結構作るの面倒じゃない。いいのかしら? 使っちゃっても」
「わははっ、俺はタイラー! 爆弾作りはいつでもイージーにゲット! そんでもってシンプルにクリエイト!! つまりノープロブレム!!」
「……よく分からないけれど、大丈夫って事ね。ありがとう」
音爆弾を一つ手に取り、カヤキスは目星をつけていたのであろう、森の一部へ視線を送る。
目を細めたところで、コンガの姿が見えるわけではなかったが、やはり気になった。
「副団長さん、ちょっと気になるところにコレを投げてみてもいいかしら? コンガがいる可能性があるのだけれど」
「え? も、もちろんです。カヤキスさんの判断を信じ、お任せします。私達は警戒態勢を整えますが、それでよろしかったでしょうか」
「お願いするわ。あとは、聴覚保護をお願いするわね。みんなー! ちょっと怪しいと思ったとこに音爆弾投げるからー! 一応、耳を塞いでちょうだい!! もしも、空振りしたり、思ってたよりいっぱい出てきたら先に謝っとくわねー!」
「あいよー」「オーライ」「分かったぜ!」
カヤキスの声に周囲のハンター達がすぐに反応を示し、いつでも耳が塞げるよう、両手を自由にしている。
一方、シーリアスの方も騎士達に号令をかけ、いつでも迎撃が行えるようにと指示を出していく。
団長であるシュライハムは西側の討伐勢に加わり、騎士も四十名ほど連れて行った。
だが、残りの六十名はシーリアスの指揮下となっており、ガンナー部隊が二十名、ランサー部隊が四十名の大所帯であった。
さらに、各中隊の指揮を執るための指揮官として、上級騎士であるエッペンハイム、ニッケルトン、アリエンローも東側におり、シーリアスの麾下にあるのだ。
万が一シーリアスが動けない状況に陥っても、彼ら三人の上級騎士のいずれかが指揮権を引き継いで動いてくれるはずだった。それぞれに武術の心得もあり、易々と不覚もとらないはず。
不安を抱く必要はない、はずであった。
「じゃ……行くわねっ! そぉーい!」
カヤキスが勢いに任せ、思い切り投擲した。
山頂付近からであればこそ、カヤキスの肩でも容易に、それは放射線を描きながら、ほぼ正確に彼女が狙っていたであろう箇所へと届いた。
一見、辺り一面を覆うようにして密集する森の一部でしか、それはなかったように見える。
だが、音爆弾が落下して地面に接触した瞬間。
それは炸裂し、辺り一帯へと甲高く耳障りな、音の衝撃が弾け飛んだ。
もしも、音を視認できうるなら、山を覆うように広がる波紋であっただろう。
近くにいれば、音だけで耳を貫いてみせただろう。傍であれば鼓膜が破れたとて驚かぬ。離れていてもそれは響き、山頂まで容易に届くほどの衝撃だったのである。
ハンターや騎士達はいずれも耳を塞いでいたが、それでも両手の掌越しに音の波が届いてきたのだ。
もし、カヤキスの投げた先にコンガ達がいたならば、無反応でいられると思えなかった。
「…………やっぱり」
そして、カヤキスは自分の勘も、判断も正しかったと確信する。
恐慌状態といってもいい悲鳴のような声をあげながら、桃色の毛並みをもった獣達が木々を飛び出すようにして現れた。
複数で固まって動く者達を群れとし、それは全部で四つもの群体となって一斉に動きだした。
ババコンガが二頭、その中に含まれていた。
片方はキノコを尻尾どころか、あちこちに身体から生やした奇妙なババコンガ。
もう片方は、左腕が前腕部分が綺麗に切り取られたような、隻腕のババコンガであった。
「むむ、思ってたより、強そうなのが混じってるなぁ」