ACE COMBAT ZERO-Ⅱ -The Unsung Belkan war-   作:チビサイファー

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Mission3 -ファーバンティ空輸護衛任務 後篇-

 ヴァレー空軍基地。サイファーがエルジアに向かって翌日の朝。たっぷり休養をとったスザクは、久々に悪夢なしの清々しい気分で朝を迎えることができた。

 

 窓の外は雪景色が広がり、駐機場や滑走路には白いじゅうたんを思わせる積雪が一面に広がっていて、その中を除雪隊がいそいそと機体を動かせるように雪をかき出している。少なくともあと一時間はかかるだろう。

 

 寝癖マックスな頭を整えながら、洗面台の水をかぶって唯一未だ眠気を訴えている目蓋を叩き起す。

 

―コンコン―

 

「ん?」

 

 ちょうど顔を拭き終わった時、部屋をノックする音がした。歯磨き粉を歯ブラシに乗せようとしていた手を止めて、返事をしながらドアを開ける。

 しかしその視線の先には誰も居なかった。気のせいか? そう思った時、自分の視線より下の方で声がした。

 

「こっちですよ、こっち!」

「んー?」

 

 視線を降ろすと、ああようやく視界に入った。スザクより頭が一つと半分ほど小さいゆたかが居たのだ。今日は非番なのか、彼女らしいクマさんセーターを着込んでいた。

 

「おう、どうした?」

「よかったら今から一緒に朝食でもどうかと思いまして」

 

 お食事の誘いだ。しかし、ゆたかとは時々食事を一緒にすることはあるので、別にスザクはこれと言って特別だとは思わない。それが日常になりつつあるのが現状だ。

 

「構わないぞ。ただ少し待ってくれるか? 身だしなみがまだなんだ」

「あ、分かりました。それだったらここで待ってますから……」

 

 と、一歩下がろうとしたゆたかだったが、スザクはちょい待ち、とそれを引きとめた。

 

「さすがに廊下じゃ寒いだろ。部屋に入ってろ」

「え、でも……」

「いいから。風邪引かれたらこっちが後味悪くなるからよ」

「えっと……じゃあ、お邪魔します」

 

 おずおずと、ゆたかは部屋の中をきょろきょろ見回しながら部屋に入る。そう言えばゆたかを部屋に入れるのは初めてだったか、とスザクはベッドに座らせて歯磨きを再開。しゃこしゃこと丁寧に歯を磨いて行く。

 

 その間にもゆたかは、どうしても落ち着かない様子で、しきりに堅苦しい直立の姿勢で座り、辺りを見回す。

 部屋の中には、生活用品、彼の趣味であるモビルスーツなプラモデルが五体ほど、ついでに何着かの私服。黒と赤を重視した、彼のイメージ通りのカラーセンス。スザクの機体も、黒と紅の塗装がされていた。

 

「珍しいか、俺の部屋が?」

「ひゃうっ!?」

 

 突然声を掛けられ、ゆたかの体は小さく跳ね上がった。やはりこう言う仕草の子供っぽさがたまらないとスザクは自分の年下好き疑惑を半ば諦める形で認め、ジャケットのファスナーを上げた。

 

「え、えっと……まぁ。男の人の部屋ってあまり来たこと無いですから」

 

 そう言えばこの子の家族と言えば、お姉さんと両親で構成されていたから、男子の部屋と言う物に不慣れのもうなずけるかと結論付ける。

 こんな純粋な子がいつか男を知ってお嫁に行くと考えると、どこか寂しい気がした。兄貴分の寂しさ、或いは嫁入りする父親の寂しさ、とでも言うのだろうか。

 

「まぁそう固くなるな。ほら、準備できたから行くぞ」

「あ、はい!」

 

 すとんとベッドから飛び降り、スザクが開けたドアを潜り抜けて廊下に出る。

ヴァレー基地は、部屋には暖房はあるが、廊下まで暖房が完備されているのは少なく、あるのは女性宿舎と指令室付近のみ。スザクの部屋が置かれている宿舎の廊下には残念ながら暖房は無い。

 

 廊下に出たゆたかの体を、冷たい空気が包み込む。

 

 後ろでスザクが鍵を閉め、ゆたかは少しだけ体をさすって体温を稼ぐ。鍵閉めが終わると、スザクは「行くか」の一言で、ゆたかも了解の返事をして食堂へと歩き出した。

 

 ヴァレー空軍基地。ウスティオの南部の山岳地帯に位置する辺境の砦。かつて、ここはベルカ戦争時のウスティオ最後の司令部であり、前線基地となった場所。この険しすぎる地形から、ベルカ軍の地上部隊の侵入を防ぎ、占領を免れたこの基地は、ベルカ戦争中一度も攻撃を受けず、無傷で終戦を迎えた。

 

 しかし、多国籍クーデター軍、「国境無き世界」の空中要塞、X-BOフレスベルクによって壊滅的被害を受けたが、現在は完全に復興。強いて言うなら、先日の国籍不明機の攻撃でハンガーが一つ全焼したほどだろうか。

 

 格納庫も増設され、傭兵中心に編成されているこの基地には、さまざまな人間が居る。それぞれがそれぞれの理由で空を舞い、戦っている。

 

「そう言えばスザクさん、あの時の国籍不明機、どこの所属か分かりましたか?」

 

 ふと気になったことをゆたかは口にし、スザクはそれについて数秒考えて、

 

「大方の見当はつけている。塗装と飛び方からして、多分……ベルカだな」

「やっぱり、ですか……」

「ゆたかも気づいていたのか?」

「はい、管制塔の記録に残っていたIFFデータと、過去のデータを照らし合わせてみたんです。そしたら、いくつかは違う点が合ったんですけど似ている物があって、それが……」

「ベルカか…………」

 

 最近、あることがウスティオの間では噂になっていた。ベルカの残党軍が、オーシアとユークトバニアにあの戦争を手引きしているのではないか。これはネット上で囁かれており、その説を支持する物は少なからずおり、一時期話題になった。

 

 だが、その情報源である掲示板は閉鎖され、その噂もまるでかき消されるかのように聞かなくなった。

 

「少し、気になりますね。なにも無ければいいんですけど…………」

 

 不安げな顔になるゆたかだが、スザクはそれを見て頭をくしゃくしゃに撫でてやった。

 

「ひゃっ!?」

「確かに気にはなるが、今その話題は無しにしようぜ。これから飯なんだし、朝から悩んだって仕方無いだろ? せっかくの飯がまずくなるぜ」

「…………そうですね! ならいっぱい食べちゃいます!」

 

 その小さな体にどれだけの物が入るのだろうか、とあえてスザクは言わずに、まぁ彼女なりのいっぱいを奢ってやってもいいし、残したら自分で平らげてあげよう。

 

 兄が妹を、または親が子を見るような優しい目でゆたかを見下ろすと、ヴァレー空軍食堂に到着し、注文口で適当に腹に入りそうなものを選び、ゆたかにはお子様ランチを注文しようとして本人に腹をぽかぽかと殴られた。

 

 

 

 

 慣れないベッドの感触は、安眠妨害になるので(特に枕。これ重要)サイファーにとってはかなり辛いが、どうやらエルジアの宿舎は自分と性に合うらしく、寝心地は良かったため、翌日の目覚めは最高だった。

 

 目をこすり、時計を見て何時か確認する。ふむ、一応出発まで時間はあるし、もう少しベッドでゴロンゴロンしようか。そう思っていたが、マッハの如く自室のドアが開け放たれ、直後に人の気配。

 

「ダイナミック部屋侵入&ダイナミックお目覚め!!」

「てゐっ」

「げふっ!?」

 

 膝落としでサイファーを叩き起そうとしたにとりを見事に回避し、にとりは顔面をベッドに沈めて行動停止。してやったりのサイファーは、もじゃもじゃとにとりの髪の毛をいじると、再び布団にもぐりこんだ。

 

「ちょ、起きなよ」

「まだ一時間くらい寝ても平気だろ」

「いやさ、そういう問題じゃなくてさ。時間が余っても早起きしたら目覚めがいいんじゃない?」

「お前も寝るか?」

「寝るー」

「寝るんかい!!」

 

 ボケと突っ込みが逆転しにとりはサイファーの羽毛布団にのそのそと入り込み、にゅっと顔を出したその目の前にはサイファーの顔。まったく、こ奴は羞恥心と言う物を知らないのか。

 

「ふむ~、暖かい」

「そら俺が入ってるからな」

 

 人肌で温かくなっていた布団の中に、にとりが入ったことでさらなる温度上昇を開始。こいつ素で寝る気だ。証拠にもう寝息を立て始めていた。

 

「…………お前、まさか徹夜か?」

 

 試しに聞いてみるが、にとりからの返事はない。本当に熟睡している。よく見れば目の下にはほんの少し隈が出来ていた。

 

「はぁ……徹夜はお肌の敵だって言ってるだろ」

 

 もぞもぞと布団を抜け出し、起こさないようにそっと布団をかけ直すと、部屋の暖房を入れた。

 

窓のシャッターを開け、ファーバンティ空軍基地のエプロンが広がる。目の前に駐機していたのは黄色中隊の生き残りで、新生エルジア空軍のパイロット育成のために編成されたアグレッサー部隊のSu-37。そしてその隣には水色に塗装された機体番号713のSu-33が駐機していた。

 

 その後ろを、F-22の三機編成の部隊が離陸。車輪を収納すると、まったく乱れないトライアングル編成を組みながら左へ旋回して行った。

 

 それを見届けると、サイファーは頭をバリバリと掻きまわして洗面台で歯を磨く。

 

 その音を聞きながら、にとりは薄眼でサイファーの居る方を見る。実際見えない位置に居るのだが、いるであろう場所に向けて視線を伸ばし、小さく「ばか」と呟いた。

 

 そんなことも知らずに、サイファーは呑気に歯を磨き続け、鼻歌を歌いながら口をゆすいでタオルで口周りを拭くと、朝食を食べに食堂へ向かおうとしたが、にとりをどうしようかと思い、鳩が餌付けする人間を見つけて飛んでくるほどの時間考えて、朝食を二人分買ってこようと結論付けた。

 

 

 

 

「お残しは許しまへんでぇー!」

 

 食堂のおばちゃんのいつもの言葉に、スザクとゆたかは二人揃って『は~い』と、それはそれはもう息ぴったりの兄妹の如く返事をして手近な座席に座った。

 

「さみぃな……。今日は一段と冷える」

「スザクさんは寒いのが苦手でしたもんね」

「こたつがほしいぜ。基地司令に導入を訴えてみるか」

「その時は私もお供しますよ」

 

 そう言いながら、ゆたかはビーフシチューにパンをつけて小さくかじり、リスのように小さな顎の動きでパンを噛むと、こくりと飲み込んだ。

 

「にゃー」

 

 スザクが自分のコーンポタージュにスプーンを入れようとした時、足元から明らかに動物的鳴き声が聞こえ、ゆたかとスザクはその方向を見る。

 

「おう、お燐じゃないか。さては今日は寒いから温かい食べ物をたかりに来たな」

「にゃー」

 

 お燐と呼ばれた尻尾に赤いリボンをつけた黒猫は、スザクの言葉を理解したかのように返事をし、ひょいと膝の上に飛び乗ると、鼻を利かせて欲しい物をねだる。

 

「にゃー」

 

 視線の先にはコーンポタージュ。ちなみに熱々であるが、小皿に移してやれば問題ないだろう。

 

 スプーンで数杯すくって、それを小皿に入れてお燐に渡すと、迷わずその皿に顔を突っ込んで美味しそうに舐め始めた。

 

「おはよう、お燐ちゃん」

 

 ゆたかがお燐の頭を撫で、お燐もそれに「にゃ」と答えて食事を再開する。

 

「ったく、現金な奴だよなお前は」

 

 そう言うスザクの言葉には、あたかも聞こえていないかのように皿の中身を減らしていく。こいつ本当に人間の言葉分かってるんじゃないのか?     人間になったらきっと三つ編みの二つ結びに赤い髪の毛をしている違いない。

 

 お燐とは、いつの間にかヴァレー空軍基地に住みついた野良猫で、一体どうやってここまで来たか分からない謎の猫。来るとするなら夏だが、目撃が始まったのは一年ほど前の冬。猫一匹がこの極寒の中を単独で歩いて来れるとは思えないため、おそらくは物資運搬用のトラックや輸送機にいつの間にか紛れ込んだものと思われる。

 

 いつも基地の中をふらふらと歩いており、寒い日は誰かの部屋に入り込んで布団の中で丸まったりしている。見つかった当初、名前は「ちぇん」や、「きめら」やら「シャミセン」やらと、いろいろな名前で呼ばれていたが、サイファーの「お燐」という呼び名に一番反応するため、いつの間にかお燐と呼ばれるようになった。ちなみに、ごく少数だが未だに上記のうち、前者と後者の二通りの名前で呼んでいる兵士もいる。

 

「にゃん」

 

 口の回りをクリームで汚し、お燐はご馳走さまの意思をスザクに伝えると、ゆたかがティッシュを持って口周りを綺麗にしてやる。にゃごにゃごと少々嫌そうな顔をするが、掃除が終わると床に飛び降り、「にゃあ」と鳴いて食堂から出て行った。

 

「ったく、あいつもちゃっかりしてるな」

「急に寒くなったから、温かい物がほしくなったんですよ」

 

 ニコニコと笑みを浮かべるゆたかだが、おそらくあいつはもっと頭がいいんじゃないかと内心思っているスザク。たぶん、自分の愛嬌を利用してサバイバルしてるのだと考えた。

 

「あれ、あそこに居るのってスザクさんの整備担当の……」

「…………ああ」

 

 おうふと、スザクは少々嫌な物を、実際嫌な物を見てしまったわけだが、さてどう動くのだろうか。

 

「私、時々見かけるんですけど、あの人っていつも一人な様な気がします」

「そういや、あいつが他人と話したりしているのはあまり見たこと無いな。仕事の話は別として、プライベートなことは聞いたこと無いな」

 

 コーヒーを口に含み、スザクは一人黙々と朝食を食べる彼女を見てみる。やはり誰とも群れようとはせず、彼女はむしろ誰も寄せ付けない様なオーラを放っていた。

 

「……ちょっと、怖いかもです」

「俺は苦手の部類だ。何か性に合わん」

 

 周りに聞こえないように、より小さい声でひそひそと話す。

 

「あいつの家柄は軍属らしいが、どうもそれ以外の情報は無い。まぁ、強いて言うなら」

 

 もう一度ちらりと視線を送り、しかしまさかまさかの目線がぴったりと合ってしまい、ぎくりとスザクはゆたかの瞳に緊急退避した。

 

「あー、強いて言うなら、整備の腕は折り紙つき、ってとこだな……」

 

 まったく、まさか視線が合うとは思わなかった。しかも間違いなくじろりとした嫌な目つきだった。

 

「…………さて、そろそろ仕事の時間か」

「あ、もうですか? すいません、付き合わせちゃって」

「なーに、気にするなよ」

 

 席から立つと、スザクはひらひらと手を振ってスザクはそのまま格納庫へ向かう。なに、出撃の予定はないし、一応フライトスーツは着込んでたし、スクランブルがかかっても対応できる。だから格納庫のベンチで寝てやろうとまた欠伸をしながら歩いていった。

 

 

 

 

「うぉーい、にとりー、飯買って来たぞ~」

 

 適当に買ってきた売店の弁当二人分を片手にサイファーはドアを開けると、にとりはまだ布団の中に居た。まぁ、起こすのも悪いかとそのままにして、机に焼き肉弁当を並べて箸を伸ばした。

 

「にとりー、早く起きろよー」

「すー……すー……」

「おお! この河童巻き美味いぞ!!」

「ガタッ!!」

 

 布団が吹っ飛んだ。文字通り、吹っ飛んだ。

 

 サイファーはニヤリと笑みを浮かべ、にとりはしまった、と言いたげな顔になるが、すぐに首を振って体勢を立て直して布団からもぞもぞと出てきた。

 

「卑怯だよ。胡瓜まで使うなんて」

「さすがは河童の生き残りだな」

「本当かどうかなんて分からないけどね。我が一族が昔河童との間に出来た半人半妖の子孫なんて、実際分かんないよ」

 

 もぐもぐと、河童巻きの胡瓜を美味しそうに頬張るにとりを見ながら、豪快に焼き肉弁当を腹に押し込むサイファー。

 

「しかし俺は……なんの子孫だっけ?」

 

 自分の親は確かそれなりの資産を持った人物で、その祖父は軍歴があったが、それから先は知らない。もしかしたら、案外一国の王様の子孫かも?といらぬ妄想をしながらも口には出さず、口には肉を注ぎこむ。

 

「えーっと、サイファーの家計は……」

 

 胸の谷間から一冊の手帳を取り出し、にとりはペラペラとページをめくる。

 

「あ、データ無し。うーん、調べたら面白いこと分かるかもね」

「何がだよ。そして何つー場所に何つーメモ入れてんだ?」

「私の身の回りの人物たちの個人情報」

「悪魔手帳的な物作るんじゃねぇ」

 

 最後の一口である焼き肉を放り込むと、から容器をゴミ箱にボッシュートして、パイロットスーツのチャックを閉めた。

 

「早く食えよ。もうそろそろ時間なんだろ?」

「おお、そうだった。河童巻きは機内までお預けかな」

 

 

 

 

 ファーバンティ離陸から数時間。昨日飛んだ空路をそのままとんぼ返りし、今はゲベートの西端付近空域を飛んでいた。ここからさらに西はあのベルカ。視界が良ければ、ベルカの大地がこの空から拝めたが、あいにく下は雨雲で埋め尽くされているため、それはかなわなかった。

 

 しかしまぁなかなかのハードスケジュールだった。結局こなたの言っていたコーヒー豆は買う事は叶わずに帰還途中である。さて、どう言い訳をしようか。

 

 ちらり、とサイファーは右前方を飛ぶC-17を見る。腹の中に極秘物資を積んだ機体は、その重さに耐えかね、少々低めの高度を保つ。あの怪力輸送機がこうも高度を落とすのだから、中身は相当なものだろう。一体何を積んでいるのかは知らないが、まぁ大物なのは間違いない。中身は気になるが、そこは一傭兵である俺が口をはさむ場所ではないので黙っておく。

 

『そういやさー』

「んー?」

 

 不意ににとりが話しかけて来て、俺はまた何かなと思いながらスポーツドリンクを口にしながら聞いていた。が、すぐにそれが間違いだったという事に気付く羽目になった。

 

『サイファーの彼女って、可愛い?』

「ぶっ!」

 

 まったく唐突過ぎるクエスチョンに、マンガみたいにドリンクを吐き出して、一部は外に、喉に入りかけていたそのまた一部が気管に入って吹き出しながら咳き込む。

 

「お前、いきなり何を……! あーもうマスクにまで流れちまったじゃねえか!」

 

 液体物がマスクのチューブの中に流れると手入れが大変なのだから勘弁してほしいと思いながら、応急洗浄を施す。これが嘔吐物だったらマスクの中が常に大変な臭いになるのだからまだましというべきだろうか。

 

『んー、生で見られなかったのが非常に残念だよ』

「ええい味な真似を……」

 

 マスクを着け直し、改めて操縦桿を握り直して大きく息を吐く。マスクの中がスポーツドリンクの臭いで埋め尽くされていたが、胃液よりかはましなのだろうと思い直した。

 

『では落ち着いた所で本題を聞きたいのだけれども?』

「まったくを持って唐突過ぎて着いて行けないぞ……」

『まぁ暇つぶしにはなるじゃん。ヴァレーまではもうしばらく時間掛かるし、居眠り防止にも役に立つよ』

「まぁそうだが……いきなり聞かれてもなぁ……」

 

 今は大学に居るであろう幼馴染兼世話女房兼恋人の姿を思い浮かべてみる。そう言えばこの所電話かメールしかしてなかったから、長く顔を見ていない気がする。戻ったらテレビ電話でもしようかなと軽く考えながら、にとりへの返答を出す。

 

「ま、可愛いに決まってるさ。そんじょそこらの女と比べたら群を抜いて、だ。ただ、強いて言うなればこれといった特徴が無いのがたまに傷だな。どっかの小生意気整備士みたいにポニテじゃないし、アホ毛の青いロングヘアーでもないしな」

『私と比べてどっちが可愛い?』

「すまんな、恋人補正がかかって彼女の方だ」

『まったく、そこはお前も可愛い、みたいな事も言ってほしいね』

「安心しろ。胸ならお前が圧倒的な大きさだ」

 

 はて、自分のバストの乏しさに嘆いていた彼女はどうなったのかと考える。その辺りに突っ込みを入れれば、次の瞬間にみぞおちかグーパンが突っ込まれるのだから怖い。

 だが、サイファーからしてみれば、バストは乏しいくらいが好きであったし、彼女がその辺りを気にしているという女の子らしさもまた魅力だと思っていたから、別に胸がすべてではないと思っている。

 

『ふーん。ちなみに私がサイファーのこと好きって言ったらどうする?』

「すごく悩む。っていうか返答に困る質問をさらりとするなよ」

『ごめんごめん、からかった』

「お前いつかそのでかい胸揉みしだくぞ」

『どうぞご自由に。そう簡単には堕ちないよ?』

「俺のゴッドハンドを舐めるでないぞ……」

 

 と、サイファーが頭の中で一体どう手を動かしたらにとりをピンポイントで堕とせるか考えた時だった。レーダーに赤い反応が表示され、コックピット内部に短く警告音が鳴った。

 

「レーダー反応? 数は三機……リーパー、そちらのレーダーで反応はあるか?」

『こちらリーパー。同じくこちらのレーダーにも反応がある。IFFの応答は今の所無い』

 

 少し嫌な予感がした。ここはベルカ周辺。少し嫌な噂だってある。まさか、とは思いつつもサイファーは長距離射程ミサイルの安全装置を解除しようとした時だった。

 

 機内にロックオン警報が鳴り響いた。間違いない、敵だ。

 

「アンノウンエネミー! ブレイク!」

 

 アフターバーナーを点火。直後にC-17が大きくバンクを取って左旋回しながら急降下するのを確認して散らばる。

 

 ドロップタンク切り離し。自由落下に入った燃料タンクはそのまま雲の下へと消える。

戦闘機動に入ればドロップタンクはただの重りにしかならないため、出来る限り外すなと言われていたがそんなこと言っている場合ではない。すぐさまシーカーを表示して迎撃態勢を取る。

 

「にとり! そっちで分かるだけの情報を頼む!」

『分かった! こっちは雲の中に退避する!』

「了解、俺は敵さんの相手をする! お前は早くゲベート空軍にスクランブル要請を!」

 

 そう言い終えた瞬間にミサイルアラートが機内に鳴り響いた。

 

『ブレイク、ブレイク!』

 

 リーパー機長の緊迫した声が無線を貫き、サイファーは操縦桿を右に倒してラダーペダルを踏みこむ。前方に白煙が三つ。一発はこちらに首を曲げ、二発はそのまま直進している。二発はおそらくにとりのC-17が狙いだ。

 

「ちっ!」

 

 確かに鈍足の輸送機を狙うのは当たり前か。だが、威嚇がてらとは言え、サイファーは一発で逃げ出したりする程の腰抜けでは無い。

 

 チャフとフレアをばらまいてバレルロール。機体が背面になった所で180度旋回し、俺を狙っていたミサイルがついて行けなくなって虚空へと消える。続けてC-17を狙う二発のミサイルの進路上に割り込み、もう一度チャフとフレアをばらまき、エンジンの回転率を最大にまで押し上げる。

 

 複数の熱源に惑わされた二発が、より排熱の高い方が美味しいと言わんばかりに付いてくる。何とかC-17からミサイルを引き離し、ループ運動に入ってかつローリングをしながらさらに回避する。

 

 ハーネスが肩に食い込み、視界が暗くなる。おそらくこれで5Gくらいは体にかかっているが歯を食いしばって、機体がロールした数を数えながら意識を保つ。

 

 ラプター張り付いていたミサイルが、ついに急旋回のGに耐えられなくなって爆発を起こし、かろうじて根性で付いて来ていたもう一発を巻き込んで第一波の攻撃を凌ぎきった。

 

「リーパー、無事か!?」

『こちらリーパー、機体に損傷は無し。強いて言うならにとり主任のコーヒーがひっくり返って本人が熱いと騒いでいるが』

「気の毒だと伝えておいてくれ。こちらは時間を稼ぐ。そっちはゲベート空軍に国籍不明機侵入を通達してスクランブルを要請してくれ」

『了解した。グッドラック!』

 

 翼を振って、アフターバーナー点火。同時にこちらに接近する三機の機影を真正面に捉えて胴体中央ウェポンベイを開放すると、長距離シーカーを展開させて複数ロックする。射程範囲、安全装置解除。レーダーロックオン。発射ボタンを押し込み、ミサイルパイロンから切り離されたアムラームミサイルが己に満載された推進剤を点火し、一気に距離を離す。

 

「さぁて……どう出る?」

 

 レーダーが発射した三発のミサイル航跡を光点で表して迫る三機の機影に向かって飛んでいく。伸びきった白煙は空に消え入り、空には第一波の攻撃が嘘のように静かになっていた。

 

 その次に、発射したアムラームミサイル三発の反応が消え、そして敵機の反応が変わらずこちらに向かっているのを見て軽く舌打ちをした。

 

 IFFでリーパーはどうにかゲベートで一番近い空軍基地に向けて進路を取っていた。今頃基地にスクランブルが掛かってるはずだから、到着は最速二十分、最長三十分と言った所だ。それまでに何とかして敵を引きつけなければならない。

 

「厳しいな……だが、やらせるわけには行かん!」

 

 アフターバーナー点火。真正面からのヘッドオン。接触まであと十五秒。機体は不明、本当に三機だけなのかも分からない。

現代の空戦に置いて情報と言う物は、非常に重要な物になっていた。相手を知らなければ対策がとれないし、数が分からなければ一歩間違えれば大群に自ら突っ込んで蜂の巣にされる。

 

 AWACSが居れば戦局は大きく変わっていただろう。だが残念ながらこちら側にAWACSはいない。もし、敵側に居るとしたら相当厄介になってしまう。

 接触まで五秒。まだ敵は見えない。見えたと思った瞬間にはもう後ろに居る。相対速度は尋常じゃない。

 

 見えた。塩粒のように小さい黒い影が三つ、見えたと思ったその刹那、轟音と共に両者がすれ違った。ほんの一瞬だけ機体が見えた。主翼はほぼ完全な三角形。ならばタイフーンやミラージュのデルタ翼機かと思えたが、わずかに隙間があった。そして最初の長距離からのミサイル攻撃。おそらくは、F-14Dスーパートムキャット。

 びりびりと機体、キャノピーが揺れる。反転。ドッグファイトに備えるために短距離射程AIM-9サイドワインダーミサイルに切り替える。が、敵は反転しない。真っすぐににとりのC-17に向かっていた。

 

「最初から輸送機が狙いか!」

 

 反転する分、サイファーには旋回時の原則と言う大きなハンデが生まれた。向こうは直線で突っ走るだけだから減速の必要性なんて皆無だ。

 

 完全に機首を反転させるまでに、敵の三機編成のF-14Dは、追いつくには三十秒は必要だった。追いつく頃にはC-17はミサイルの射程内だ。間に合わない。

 

「ちっ、そのまま真っすぐ飛んでろよ!」

 

 すぐさまアムラームミサイルへと切り替えて、長距離ロックオン。三機のマーカーにシーカーダイヤモンドが重なってロックオン。迷わずボタンを押し込んで再びアムラームミサイルが火を吹いた。

 

 見ればC-17がチャフをばらまいて大きくバンクしていた。つまり簡単に言えば時間が無い、と言う事だ。

 

 だが、さすがにこのまま真っ直ぐ飛べば直撃は避けられない。相手もそこまで執着心の高いバカでは無く、三機が散開した。だが一対三では必ず隙が生まれる。ドッグファイト一対一で二機ががら空きになる。

 

「にとり、生きてるか!?」

『生きた心地がしないよまったく!』

 

 声を荒げならがらも、にとりはしっかり返事をしてくれた。無線機の向こうからはがなり立てるミサイルアラートの音が聞こえる。重い積荷を積んだC-17は鈍足以外の何物でも無く、言いかえれば的だった。

 

(せめてスザクが居ればあいつが一対一の相手をして、俺が残りの二機をさばけるんだが!)

 

 だが、肝心な相棒は確か今日は非番で、第一今から救援を頼んだ所で到着は最速で飛ばしても一時間以上はかかるから無理なの現状だった。

 

「低空に逃げ込め! 後ろに着かれたら叫べ、すぐに行く!」

 

 とにかく右方向へ旋回した二機にロックオンを仕掛けて、今度はサイドワインダーを発射して追い回す。もう片方には機銃掃射を仕掛けて煽る。さあ、こっちだ。こっちをみろ。挑発半分、祈り半分だった。

 

「来い……来い……!」

 

 本人気付いてなかったが、いつの間にか口に出していた。右に避けた二機は左側に捻り込む形で旋回。鼻先は再びC-17に向けられた。

 

「くそっ、あいつら何が何でもあっちをメインにする気か!」

 

 雲に突っ込んだC-17を追いかけ、F-14D編隊も雲の中へと飛び込んだ。迷わず追いかける。ウエポンベイ開放。頼むから今度こそ当たってくれ。

 

 だがその願いもむなしく、またもミサイルのレーダー反応はで虚空へと散る。もう距離が無い。焦りしか生まれない。

 

(どうするどうするどうする? 奴ら一体何者なんだ? 腕だって普通じゃない、むしろエースの部類だ。一体どこの差し金なんだ?)

 

 焦っていると言うのに、疑問が尽きなかった。一種の現実逃避かもしれない。だがこうでもしないと間に合わない、と言う現実に押しつぶされそうだった。

 

『ばかっ、落ち着け!』

 

 その焦りを悟ったのか、にとりは声を荒げながら叫んだ。

 

『こっちはまだ何とかなるから落ち着いて一機ずつ落として! 時間稼ぐ!』

「ど、どうやってだよ!?」

『私の乗る機体がどんな魔改造をされるか教えてあげる!』

 

 雲を抜けた。目の前にC-17とそれを追いかけるトムキャット。だがよく見れば、C-17の後部ハッチが解放されていた。一体何をする気だ?

 

『後部ハッチの真後ろから離れて、上空に退避!』

 

 言われたとおり、サイファーはC-17よりも上部へと退避する。その後、C-17の後部ハッチが一瞬光った様に見えた。そしてその直後、雷のような轟音が響き、真後ろで今まさにミサイルを発射しようとしていたF-14Dが一機爆発、破片をまき散らして四散した。

 

「な、なんだ今のは!?」

 

 サイファーは驚くしかなかった。ちょっと光ったと思ったら、一瞬で戦闘機一機が爆散したのだ。擬音で例えるなら、「カッ、バーン!!」である。魔法でも使ったのか?

 

 サイファーがその兵器の正体を知るのはまだ先である。だが、これは後にある人物によって切り札となる最終兵器の一つでもあった。

 

 だが、今は問題では無い。にとりは銃弾を装填した椛の部下である若い男の整備兵に追加弾倉を要求したが、答えはNOだった。

 

「無理です! まともな冷却も出来ない状況だと次の発射の瞬間にジェネレーターが熱暴走を起こしてこの機ごと爆発します!」

「くそっ、これで限界か!

 

 見れば貨物室に搭載された新型兵器は、各部から煙を上げてどうにかして冷却しようとしていた。一様本体にも冷却機は搭載されているが、正直気休めにもならないから別途の巨大冷却機が必要なのだ。今はそれが無い。どうしようもなかった。

 

「サイファー! こっちは今の一発で限界だから後は何とかして!」

 

 サイファーも体制を立て直そうとしているF-14を見て、取りあえず考えるより行動する方が先決だと判断した。

 

 一体にとりは何を持ちこんでいるのかと考えたい衝動に駆られるが、今はそんな場合では無い。無理やり押し込んで、未だに戸惑った動きを見せている二機へと向かう。どうやら幸いな事に後方は危険と判断したようで、真後ろに着く事は避けているようだ。

 

 すかさず、アムラームミサイルを発射する。半パニック状態の敵機はそれでも冷静にミサイルから逃げようと回避運動を取っていた。やはりかなりの腕前の様だ。だが、サイファーだって24時間戦闘機動を合計で700時間やり込んだのだ。三対一ならまだしも、二対一なら分はあった。

 

 左右に分散したF-14Dのうち、左に旋回した敵機はC-17の後ろに再び回り込む形になり、慌てて進路を捻じ曲げた。多分、さっきの第二射が来ると思ったのだ。

 

 それは決定的な隙だった。サイファーは見逃さない。伊達に円卓の鬼神の再来と呼ばれ、ガルムのサイファーと同じTACネームで呼ばれていない。

 

 回避運動を取るために旋回したF-14Dは、必然的に背中を向ける事になり、そして回避の連続で速度を殺されたドラ猫は、ただの的だった。

 

 ガンレティクルがF-14Dの背中の中心を捕まえる。この瞬間を見逃す戦闘機乗りは、居ない。

 

 機銃の銃身が回転し、唸り声を上げて弾丸を叩きつける。無防備な背中を晒したドラ猫は、撃ち込まれた鉛玉を真正面から受け止め、そして装甲が砕かれ、中の配線がちぎれ、そして旋回の負荷に耐えかねた主翼がもがれて装甲がちぎれる音が断末魔となって落下して行った。

 

「よし、次!」

 

 残り一機。そう思って視線を回した時、にとりの悲鳴が無線を突き刺した。

 

『きゃぁぁあ!!』

「にとり!?」

 

 見れば、逃げたもう片方が上からC-17に機銃掃射を仕掛け、その弾丸数発が主翼と第三エンジンを貫いたまさにその瞬間だった。

 

『第三エンジン被弾! 火災発生、同時に燃料漏れです!』

『すぐに鎮火して! 引火したら主翼のタンクに火が入ってお陀仏だよ!』

『消火剤放出! 並びにクロスフィードバルブ閉鎖、第三エンジンの燃料を生き残ったエンジンに回して残りは破棄!』

 

 被弾させたトムキャットはC-17の真下を潜り抜け、今度は腹側から攻撃しようとするがそうはいかない。

 

「この野郎っ!」

 

サイドワインダーがトムキャットの排熱を掴んで二発発射。一発目はフレアで虚空へ消えたが、遅れて発射したもう一発が迫る。だが、向こうも急反転と急減速で機体を振り回し、回避する。

 

スロットルを押し込んで追いかける。左反転、サイファーもそれを追いかける。だが、やはり敵は無視して輸送機を追い詰めようと再度機銃掃射をかける。これは外れ。C-17の上を飛び抜け、サイファーも続く。

 

 今度は急上昇。おそらくはループから急降下して再び真上から銃弾を浴びせる気だ。なら、手の打ちようはある。

 

 サイファーはエアブレーキを展開して機体を急旋回。真上から射撃するなら、必然的に動く機動は読める。ならそこに機銃を先回りさせれば。

 

 無理矢理機首を捻り込ませ、予定ポイントへと機首が向き直ると迷わずトリガーを引く。その直後、目の前を止めを刺すべく突っ込んでいくF-14Dの背中が通過した。

 

 敵は機銃を発射しなかった。しかし、機体はまだ飛行している。フラフラとしながら降下し、やがて山岳地帯に小さく火球が光って消えた。おそらくコックピットを撃ち抜いたのだろう。

 

「ふぅ……リーパー1、そちらのレーダーで反応は?」

『いや、ない。どうやら増援は無い模様。生き残ったみたいだ』

「了解。損害状況は?」

『第三エンジンが燃えたがどうにか鎮火した。燃料の発火も無し。だが一旦着陸して応急修理した方がいいだろう』

「了解した。一番近いゲベート国の空軍基地へと向かおう。……っと、噂をすればだ」

 

 レーダーに青い光点。数は五つ。見事なトライアングル編成を組んでこちらにまっすぐ向かって来る機影。ゲベート空軍のラファールMが俺たちを追い抜くと、反転して横に着いてくれた。

 

『こちらゲベート空軍第507戦術飛行隊 ウインド隊。到着が遅れてしまって申し訳なかった。そちらの損害は?』

『こちらリーパー1、エンジン一基を破損しましたが火災停止、飛行は可能。しかし、再発火の可能性が否定できないため、最寄り基地への緊急着陸を要請する』

『了解した、エルリッヒ空軍基地までの先導を開始する。』

 

 五機編成の美しいトライアングルフォーメーションが真正面へと移動し、翼を振って合図する。サイファーはようやく安心できると息を吐き、にとりも安堵のあまり座席に座りこんでしまった。

 

 ともかく、助かった。今はそれだけで十分だった。

 

 

 

 

 ドロップタンクを捨ててしまい、本体に内蔵された燃料ギリギリで着陸したF-22は、滑走路上で力尽きて動けなくなり、今はトーイングカーで基地内へと運ばれていた。

そんな中、キャノピーを跳ね上げて、ヘルメットを脱いだサイファーは、先に着陸したC-17を見つめる。

 

C-17の損害は思っていたより大きかった。エンジンは間違いなく新調しなければならないだろう。それに主翼を撃ち抜かれたらしく、見れば主翼からまだ少しだけ燃料が流れていた。

 

(こりゃ思っていたより当たりどころが悪かったか)

 

 ヘルメットをコックピットに放り込んで、立ち上がって背伸びをする。機体がエプロンに到着してタラップが接続されると、そのまま降りて軽く屈伸。長時間座るのはやはり辛かった。

 

 近づいてきた整備兵に被弾のチェックと整備、燃料の補給を頼んでにとりの元へと向かう。コーヒーをひっくり返したらしいが、果たして大丈夫だろうか?

 

 被弾したエンジンの真下に、にとりはいた。真剣な面持ちで砕けた装甲を見つめ、ため息を吐いていた。

 

「よう、怪我ないか?」

「ん、コーヒーで軽く火傷したくらいだよ」

「そうか。損傷は?」

「酷いね。当たりどころが悪かったよ。けど、燃料タンクに引火しない位置だっただけ幸運かな」

「いいのか悪いのかさっぱりだ」

「いいと祈りたいね」

「ま、正論だな」

 

 どことなく、にとりの表情がいつもよりも険しく見えた。まあ確かに自分の機体が傷つけられたら不機嫌にもなるのは当たり前だろう。

 

 だが、その時のにとりの顔がいつもと少し違って見えた。何か覚悟していたような、もしかしたらこうなることを予測していたような顔だった。

 

 その顔にサイファーは疑問を持ったが、今はオーシアの戦時中だからぴりぴりしてるせいなのだろうと思い直して取りあえずもう一度エンジンを見てみる。少し横に目をやれば、穴の開いた主翼から光が漏れていた。

 

「……ところで、お前何やったらあんな芸当出来るんだ?」

「へ?」

「あれだよ、一機真後ろに着かれた時の、俺に避けるように言った後の一撃だよ」

「ああ、あれか……」

 

 にとりはバツの悪い顔になって少し言いどもる。明らかに何かを隠している顔だ。と言うか、もともとにとりには謎が多い。どこ出身で、どこの学校を出て、なぜヴァレーで整備士をやっているのか、家族とか居るのかですらも分からない。

 

 考えて見れば、サイファーはにとりの事をよく知らなかった。知っているのは、腕の立つ整備士で、自分の機体の主任で、巨乳で童顔な自称17歳、と言う事だけだった。

 

「…………何も言わない、って訳には行かないよね」

「そうだな……出来れば、本当に言えるギリギリのラインで頼む。強いて言うなら限りなくセーフに近いアウト、とかだ」

「……分かったよ。見せる事は出来ないけど、本当にセーフに近いアウトまで言うよ」

 

 にとりは諦めた顔になり、C-17のメインギアにもたれかかった。

 

「……積んでるのは、極秘試験の新型兵器、それと新型戦闘機のパーツだよ」

「新型兵器に新型戦闘機? どういう事だ?」

「…………それしか言えない」

 

 追い詰められたような顔をしたにとりを見て、サイファーはそれ以上追及できなくなった。こいつは何か隠している。けど、一体何をしようとしているのか全く分からない。

 

「……にとり、なら一つ聞かせてくれ。お前がしようとしている事は、正しい事か?」

「……少なくとも、『奴ら』よりかは……いや、奴らを止めるために私はこうしてるんだよ」

「奴ら?」

「今は言えない……けど、いつか必ず君に、君たちに協力してもらうために全てを話す。それまで待ってて。今は準備するしかないんだ」

「…………」

 

 サイファーは彼女らしくない顔を見て、本当に何か悩んでるのだと悟った。もしかしたら、にとりは何かと戦う準備をたった一人でやって来たのかもしれないと、そう思えた。

 

 実際に見たあの新型兵器の威力。国籍不明機がその兵器の破壊を狙って輸送機を執拗に狙ったと考えれば納得がいった。なら、サイファーの答えはおのずと決まった。

 

「……分かった。今は聞かないでおこう。だが、いつかは必ず話してくれ」

「うん……この事は皆には言わないで。ギリギリまで、本当にギリギリまで言うわけにはいかないから」

「……ああ。了解だ」

 

 その先からをサイファーはにとりに何か言う事が出来なかった。ただ彼女は、サイファーにそう言った後エンジンの修理のための作業に入り、その横顔には悲壮に似た何かを見てサイファーはその場から立ち去るくらいしかできなかった。

 


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