ACE COMBAT ZERO-Ⅱ -The Unsung Belkan war- 作:チビサイファー
―2010年12月31日 午前0時37分―
シャンツェの破壊に成功したサイファーを始めとする連合航空隊は首都オーレッドへと急行していた。シャンツェの破壊に成功したことでSOLGは地上からのコントロールが不可能になり、これでベルカ過激派の野望は打ち砕かれたかに見えたが、敵は最悪のカードを残していた。
シャンツェが破壊された際、SOLGそのものをオーシア、またはユークトバニアどちらかの首都に落下させるようにプログラムしていたのだ。そして落下予測地点はオーレッド判明、オーレッドまで飛行可能な航空部隊は進路を南に向け、現在に至る。
だが、落下予定時刻まではあと数時間ほど残っており、作戦の構築と補給が現在のところ最優先とされていた。指定されたポイントはオーレッド国際空港。本来なら空軍基地を利用するべきではあるが、多国籍の戦闘機が加入したことにより大部隊となった航空部隊を収容、および円滑に離着陸させるには滑走路を四本所有し、なおかつ広大な貨物ターミナルおよび貨物機用エプロンと格納庫を所有する民間空港に集結するほうが最善であると判断された。加えて、オーレッド国際空港のほうがSOLG落下地点にわずかながら近く、少しでも移動時間を短くするという目的も含まれていた。
『こんな形でオーシアの首都に来るとは、なかなか私たちも奇妙な人生を送るものだな』
そういうのはユークトバニア第703飛行隊のリーダーだった。ユーク側の他の航空隊も同感のようで、眼下に見える首都の光を眺めているようであった。
『よかったら観光案内でもしようか? オーレッドにはなかなかハイテクな設備もあるぞ』
『悪くないな、だがガイドはどうせなら美人のレディがいいな。誰かいいバスガイド知らないか?』
『おいおい俺じゃいやだっていうのかよ』
『むさ苦しい筋肉モリモリマッチョマンの男たちだけで観光っていうのもなかなか変な光景だぜ』
『それもそうだな』
無線の中で笑いが起こる。ああ、SOLGが落ちてこなければもっと楽しかっただろう。終わったらこの戦友たちとどんちゃん騒ぎをしたいものだとサイファーは思う。
と、右手に滑走路の光が目に入る。空からもわかるその広大さ、オーシア最大級の空港の一つであるオーレッド国際空港が見えてきた。それとほぼ同時に無線のコール。
『こちらオーレッドタワー、連合航空隊へ。レーダーで捕捉した。大統領の命令によりこちらの受け入れ態勢は整っている。順次着陸に入ってくれ』
『ラッキースターより各機へ、ただいまから着陸の順番を説明します。まず燃料の残量が少ない機体からアプローチに入ってください。なお艦載機につきましてはオーレッド湾にて空母ヴァレーが待機していますのでそちらに向かってください。これより割り振りを説明します』
と、ラッキースターの指示がるのと同時に、一機、また一機と各国の戦闘機たちが編隊から離れていく。サイファーたちの順番はワイバーンの航続距離の短さを配慮して早めに回され、アプローチに入る。久々の広い滑走路にサイファーは何やら安心感を覚える。なんの苦も無くタッチダウン。
スザク、海里も続々とタッチダウンし、三機が地面に降り立つ。
グラウンドコントロールの指示に従い、誘導路を走行。貨物機エリアに誘導されると、既にE-767やKC-10、C-5、C-17輸送機と言ったサポート用の大型機がずらりと並んでいた。輸送機に関しては貨物ハッチを開け、中から戦闘機の武装を今まさに取り出している最中だった。
指定されたエプロンに到着すると、空港照明に照らされて見覚えのあるツーサイドアップのシルエット。手際のいい誘導でサイファーを招くのは間違いなく河城にとりだろう。それでその隣でスザク機を誘導しているのは永森やまと、海里に関してはおそらく椛だろう。
スポットイン。前輪に車輪止めが置かれてエンジンカット。キャノピーを開き、サイファーは久々の外の空気を肺に送り込む。冬の冷たい空気がすっかり熱くなってしまった肺をあっという間に冷やしていった。
耳に入る風の音、地上を歩き回る作業員たちの声や足音を聞き、サイファーはようやく自分が無事に下りたのだと実感して一言。
「……死ぬかと思った」
あのトンネルのことがまだ頭を離れなかった。がなり立てる警報音、よどんだ空気に煽られる機体、後ろから迫る敵戦闘機と爆炎、その他もろもろのエトセトラ。あんな飛行は二度と御免だとサイファーは心底思う。
「おーい、サイファー。余韻に浸るのはいいけどさっさと降りてきてー。伝えたいことあるから」
と、にとりが下で呼びかけてくる。周りを見るとすでにワイバーンは整備兵たちに囲まれ、燃料と武装の補給が開始されていた。
「そっちから上がってきてくれー」
「病み上がりの乙女に無茶させようっていうの?」
病室抜け出して格納庫にで作業してたやつが何を言うか。とサイファーは思ったが、言えばスパナが飛んでくるからぐっと我慢して降機用ラダーを展開し、数時間ぶりの地面へと降り立った。
「あー、お前の顔が見られるのがこんなにもうれしいことだったとは」
「それ毎日言ってくれたらうれしいな。まぁそれはさておいて、状況の説明だよ。スザクと海里も呼んできて」
「御呼ばれしたので参ったぞ」
「右に同じ」
振り向けば数時間ぶりに面と向かってみるガルムの2番、3番機の素顔。二人とも疲れ切った顔をしていて、自分と同じなのだとサイファーは察した。
「じゃあちょうどいいね。一先ず今わかっているだけの情報を君たちに教える」
にとりはタブレット端末をタップしてオーレッド周辺の地図を表示する。
現在、SOLGは地球衛星軌道をぐるりと一周し、オーレッドに向けてゆっくりと降下中。幸いというべきか、SOLGの降下速度自体はゆっくりで、今すぐに落着することはない。信じられないがあの形でも一応空力学的に理想なリフティングボディとなっており、滑空が可能とのことだった。
「まぁ、そうでもしないと正確に首都を攻撃することはできないもんな」
「その通り。で、私たちの任務はこのSOLGの破壊……と言いたいところだけど、違う」
「ん?」
てっきりSOLGの完全破壊をするものだと思っていたガルム隊メンバーは全員ほぼ同時に顔を上げてにとり方を見る。対するにとりは予想通りと言わんばかりに端末をタップして次の画面を開く。
「SOLGの破壊はラーズグリーズの四機で行うことが決まっている。彼らならきっとやれると思う。けど、それはあくまで必要以上の邪魔者が入らなければ、の話なんだ」
「ということは……まだ敵さんがやってくると」
「その通り。ヒビキがつかんだ情報によると、オーシア、ユークの好戦派の一部がベルカ方面に向かって行方不明になったって情報がある。おそらくまだどこかにいる協力者の下で補給を受けて、SOLG破壊のために出撃するラーズグリーズを邪魔するのが彼らの目的だ。もう戦争がどうだこうだとか関係ない、やつらはラーズグリーズを葬り去ることだけを考えている」
「愚かな奴らだ……クソが」
スザクの言う通りだった。オーシアに関しては自分たちの国が危機にさらされているのに、いったい何を見ているのか。彼らを突き動かしているのは祖国の愛国心でもなんでもない、報復なのだろう。
「それで、規模はどれくらいなの?」
「それなんだけどさ、どうやらかなりの数が向こうに行ったみたい。推定50は越えてる」
「ごっ……!?」
海里が絶句する。50機、そんなバカげた数の航空部隊がまだ残っているのだ。ここまで来てまだ復讐のためだけに戦おうとするやつらが居る。一体何が彼らをここまで駆り立てるのだろうか。サイファーたちには到底理解ができそうになかった。
「こっちも味方の数自体は増えたけど、実際動ける機体は少なくなると思う。SOLG予想降下時間まであと5時間。妨害部隊が来るのはそれよりも前の時間になると予測されるから実質残り時間は4時間。その間に再整備して補給、分隊の編成を考えると稼働可能になるのは10機ってところかな」
「5対1かよ……」
スザクは周囲を見回す。今オーシア中から集められるだけの装備、部品がかき集められているが、ユーク軍機だって居るのだから整備規格が合わないこともままあり、整備班に関しては苦戦は必須だった。空母ヴァレーからも予備パーツを回してくれているが、それでもやはり足りないし、輸送にだって時間がかかる。ここまで来ての思わぬ課題に、整備兵たちは頭を悩ますことになった。
「掌握した輸送船から発見された機体もありったけ回してるけど、今ヴァレーは損傷機でいっぱいで搬入が難しいんだ。どうにかユークのアイスト隊がピストン輸送でここまで運んでくれてるけど、ヘリ自体の燃料を考えるとあと三回で限界らしいんだ」
「いいこともあれば悪いこともある、か……」
ため息交じりにサイファーは並ぶ戦闘機たちを眺める。ほぼ無傷な機体からさっきまで煙を噴いていた機体までずらりと並んでいた。せっかく集まったのに動けない機体のほうが多いとは。これなら普通に郊外のオーレッド空軍基地を利用したほうが良かったのではないだろうかと思う。
「……まぁ、あくまでそれは補給の宛てがなかったらの話なんだけどね」
「なに?」
「ほれ、あそこ」
にとりが指さす方向にを、ガルムチームは目を向ける。その先にあるのはオーレッド国際空港の全長4000メートルを誇る滑走路の先端。さらにその奥に航空灯が点滅して見える。その影は次第に近づき、進入灯に照らされてその姿を現す。
目につくのはなんといっても遠近感の狂う巨体。そのエンジンは片方に三発、左右合計でなんと六発のエンジン。その胴体はC-5よりも太くたくましく、それを支える下部のメインギアは数え切れないほどの量だった。そう、これこそ世界で最も重いといわれる超巨大輸送機、An-224ムリーヤだった。
「うっそだろ!?」
「ユークトバニア最大にして世界最強の航空輸送部隊、キート隊がユークからパーツを運んできてくれたんだ。これで稼働可能の機体は20機にできる」
世界で最も重い輸送機とされているAn-224の巨体がタッチダウンする。その巨体が降り立った瞬間、並大抵の輸送機では起こりえない煙が巻き上がる。続く六発のエンジンの逆噴射はその場にいたパイロットや整備兵たちの目線を独り占めにするには十分すぎた。
「それも一機や二機じゃない。ユークトバニアが保有している六機全部が来る。ほら、後続も見えるよ」
平行滑走路のもう片方に、次のAn-224がタッチダウンする。そのまた後方にはさらに四つの航空灯。残りのムリーヤ部隊だった。
「ムリーヤにはユーク軍機の整備兵も乗り込んでくるからそっちの面でも大丈夫。オーシアからも間に合うだけの物資を届ける手はずになってるから、迎撃航空隊は20以上。弾薬を最小限に積んだ機体は首都上空の警戒に回す。メカニックの仕事はここからだからね。その間、サイファーたちはしっかり休養を取ってほしい。休養が今の君たちに最も重要な任務だからね」
ムリーヤが続々とスポットインし、機首を持ち上げて補給物資を搬入する。その後も続々と近隣の基地から燃料弾薬を載せた輸送機が到着し、最後の戦いに向けての準備を進めていく。
それはにとりを始めとする整備兵たちにとって、長い長い夜の始まりを意味していた。
*
格納庫内に臨時で作られた休憩所は内部に臨時の調理場が設けられ、そこで作れるだけの熱々料理が振る舞われた。それは長い飛行を終えたパイロットや整備兵たちにとって強力な燃料となった。
格納庫の半分には簡易のベッドが設けられ、戦闘に参加するパイロット優先に開け放たれた。簡易ではあるが仕切りを設け、ふかふかの羽毛布団も持ち込まれた(ISAFスポンサーの布団メーカーから提供)。おかげで環境の評判は上々であり、パイロットたちはじっくりと休むことができた。
その隅のほうの一角において、サイファーと海里は二人一つのベッドで二時間ほど仮眠をとって今まさに起床したところであった。なお、まだ少し時間があるため、未だ二人とも布団の中である。
「外から見たらいちゃついてる様にしか見えないわよね」
「まぁ間違っちゃいないからいいんじゃないのか。今日生き残れる保証なんてどこにもないんだから、できるだけ一緒にいたほうがいいだろ」
「私を放り出していった男の台詞とは思えないわ」
「すんません」
「ふふっ、もういいわよ。帰ったら家の掃除よろしく」
「帰ったらねぇ…………なぁ、終わったらどうするよ、俺たち」
もしかすると、朝にはもうサイファーたちが今までやってきた戦いが終わるかもしれないのだ。思春期の後半を、青春をこの戦いに注いできた。だがそれが終わった後には何が待っているのだろうか。少なくともサイファー個人は飛行機に乗り続けたいと思っている。もちろん、海里との関係も大きく変わるだろう。
「結婚するんでしょ?」
「いやそうなんだが、言うてお前と一つ屋根の下で生活ってしたことなかっただろ。いろいろ忙しくて特に気にしてなかったが、お前と同じ部屋で過ごしたのって空母に乗ってからが初めてだぞ」
「あ。そういえば。ナチュラルに当たり前になってたけど初めてだったわね」
「だろ? だから、終わって故郷に帰って二人で暮らすって言っても俺はお前に何をしてやったらいいんだ?」
海里は人差し指を頬にあてて少し考える。しばらくの間会えなあったのは確かに不服だったし、こうして追いかけてきたのもサイファーが放り出していたから、というのが最も大きい理由ではある。
よって現状、海里は特に不満もないし、何かしてもらおうとも思ってなかった。一緒にいればそれでいいのだ。
「そうねぇ……特に考えてないからその時に考えましょ」
「それでいいのかお前は」
「いいのよ。今はこうしているだけで、ね」
こつん、と海里がサイファーの胸板に頭を押し付けた。サイファーはそっと彼女の頭を優しく撫でる。ふわりといい香りが鼻腔を突いて、指先に髪の毛をくるりと巻いた。
「そういえばよ、俺前から思ってたんだが」
「なに?」
「今回の一件、スザク完全なとばっちりだよな」
「…………確かに」
*
その後、補給物資を積んだ支援機は数を増し、ユークだけではなくベルカまでもがグランダーから掌握した予備パーツをかき集めて運び入れ、オーレッド国際空港貨物地区はあっという間に大規模空軍基地並みの稼働率となった。その中では整備兵が大忙しに走り回り、時には怒号が飛び、時には悲鳴が上がるというまさに修羅の世界と化しており、そんな彼らの姿にパイロットたちは呆然と見守り、普段無茶して機体に乗っている者については今度から丁寧に飛ばそうと心に誓うほどであった。
最初に起きていた白兵戦のような整備補給もようやく落ち着きを取り戻し、休むものが増えている中、永森やまとはSu-47ADVANCEの最終調整を行うべくコックピットに座って奮闘していた。スーデントールの戦いで被弾こそなかったが、トンネルから脱出する際軽く炎にあぶられて機体の電装系が一部ショートしていた。コックピット後部にあるAIユニットから損傷した基盤を抜き、新しいものに取り換えてFLANを起動させる。ついでに収集したスザクの戦闘データをラーニングし、アップデートも加えて置く。
隣を見ればサイファーのX-02がにとりの手によって整備されているところだった。ガルム隊の三機には、現在突貫で作られた追加武装の搭載とそれに対応するためのアップデートが行われている。大規模な戦闘になることを予想し、ミサイルの搭載量を増やすべく、X-02専用の増槽をベースに新しく作られたFASTパックを搭載。スザクのSu-47にもウェポンベイにY/CFA-42が搭載しているADMMを改良したミサイルポッドが搭載され、Y/CFA-42にも主翼下にスザクと同じくADMMの追加とデータリンクシステムの改良が施される。今はADMMの火器管制に対応するためのアップデートを行っていた。
「よう、お疲れ」
ふと左から声をかけられて目を向けると、スザクがコーヒーの入ったカップを片手にタラップに立っていた。やまとはそれを受け取りつつも、なぜ休まないのかと聞く。
「まったく、あと数時間で出撃なのに何してるのよ」
「二時間ほどは寝たんだが、そこから眠気がからっきしでな。重要なのはわかるんだが、こうなると起きていたほうが休息になる」
「そう。ならアップデートした箇所に目を通してくれる? はい、これマニュアル」
「俺こればっかりだな」
だがもう慣れたとスザクは付箋の張られたページを開いて目を通す。やまとはFLANのアップデート完了までもう数分ほど必要なので、一度コックピットから出てコーヒーを飲むことにした。
「ところでサイファーは?」
「格納庫の仮眠所で海里と寝てる」
「もうあの二人が寝てるとかどうとか聞いてもなんとも思わなくなってきたわ」
「お前もすっかり毒されたな」
「どうせ昔は一緒にお風呂に入ったりお互いの家に泊まったり、はては『大きくなったら結婚しよう』みたいな約束もしているんでしょうね」
「全部当たりだが、もう一個『サイファーと一緒に飛ぶ』って約束もしてたぞ」
「叶ってるじゃないの。これがリアルに存在する人間の話だとは思えないわ」
「事実は小説よりも奇なり、ってな」
やまとはコーヒーを飲み干す。東の空はまだ暗く、出撃まではまだ時間がある。FLANの更新が終了すればSu-47ADVANCEの最終調整は完了、やまとの仕事は終わる。
「ふむ、大体理解した。腹にくっついたADMMの使用用途くらいか」
「そうだけどちゃんと読んだんでしょうね。しっかり言ってみなさい」
「同時ロックオン可能なのは12機だが確実に撃墜するなら6機のロックオンが望ましく、一度発射したらすぐさまパージ」
「なによ、分かってるじゃない」
「お前俺になんか言いたいだけだろ」
「大正解」
なんだかなぁ。スザクは頭を軽くかき回し、コックピットから立ち上がるとやまとの隣に並んで空を見上げる。
「なんかな。俺たち変なところに来ちまったよな」
「そうね。思えば私は整備士の修行でヴァレー空軍基地に配属されたのに、今やベルカ残党の策略を止めるために副主任になってたし」
「俺はサイファーについて行ってベルカ絶対殺すマンになってたからな。実際ヴァレーにいたらそんな機会ないんだが、意図せずこうなっちまった……」
ふと、そこまで言ってスザクは気が付いた。
「あれ、というか俺たちとばっちりでここにいるんじゃないのか?」
「確かに。私完全に巻き込まれたわよね」
思えば環太平洋戦争の動きに気づいて行動していたのは自分たち以外のほぼ全員だった。ゆたかも一応とばっちりだが、それにしたってサイファー、如月姉妹、にとり、こなた、椛と思いつくメンバーはほとんどISAFとつながるか、独自に動いていた。ほぼ関係ないのはスザクとやまと、ゆたかである。
「蚊帳の外だわ」
「でもおかげで貴重な経験ができたともいえる、かな。人工知能を搭載した魔改造ベルクートなんか乗れるもんじゃない」
「私の遊びで描いた設計図が本物になるなんて思いもしなかったわ。なんていうか、小学生が描く『ぼくの考えた最強のガンダム』を現実に見た気分」
だが、自分の描いたものが本物になるというのは少なからず嬉しくなるものだ。実際やまとはけっこう楽しく整備していたし、スザクも自分の機体がこうしてパワーアップして帰ってくると、一種のロマンを感じた。
「不謹慎かもしれないが、今この状態が結構楽しく感じるな、俺は」
「私も。こんな経験しないと私は井の中の蛙で終わっていたかもしれないわ」
「俺は復讐者で人生あっという間に終えてたかもな」
少なくとも、二人はちょっと前の自分よりも幾分か成長したとは実感していた。スザクは復讐の愚かさを知り、それを止めるべく空を飛び、やまとは自惚れと挫折を知り、自分がいかに未熟かを知った上でどうこの次につなげるかを学んだ。結局自分は、自分たちは多くの人間に支えられて生きてきたのだ。それをはっきりと認めるということは、実は難しかったりもする。それができるだけでも人間は大きな一歩となり、そしてさらにもう一歩につながることになる。こうやって世界は広がっていくのだ。
「くしゅん!」
不意に、やまとがくしゃみをして軽く鼻をすする音が聞こえる。見れば、やまとは少しばかり腕をさすっていた。コーヒー一杯では足りなかっただろうか。
「寒いか?」
「一安心したせいかしら、体が冷えちゃったわ」
「ずっと激務だったもんな。どれ、炊き出し物でも持ってくるわ」
「ありがと。メインギアの下にいるわ」
スザクはタラップを降りて炊き出しや毛布が用意された格納庫にまで行くと二人分の汁物と毛布を受け取り、愛機の元へと戻る。
「ほれ、豚汁だ」
「何で豚汁……まぁ好きだけど」
差し出されたカップと割り箸を受け取り、とりあえず一口入れる。まだ熱々だった液体が胃袋に注ぎ込まれ、やまとは思わず感激のため息を漏らす。
「そういえば昨日の晩御飯は一番高カロリーのレーションだけだったから、ありがたいわ」
「だと思った。具だくさんのほうが力も出るだろうからな」
「なるほどね」
言われてやまとはフォーク付きスプーンで具をすくい上げてじっくりと噛みしめる。豚肉と大根の香りが口の中でほのかに広がって、また息が漏れる。満足してくれたようなのでスザクは安心し、自分の分を口に入れる。素晴らしきかな里芋の柔らかさ。どうかこれが最後の食事にならないことを祈る。
「……兄さんはさ、この戦いが終わったらどうするの? たぶんだけど、書類上死亡扱いされているし、ISAFの機密に触れてるから傭兵に復帰するのはちょっと厳しいわよ。その分報酬は多いから生活に困らないでしょうけど」
不意にやまとが口にした言葉に、スザクは一切考えたことがないのに気が付いた。一体どうしようかと少し考えてみるが、やりたいことも特に浮かばなかった。故郷に戻っても特にやることもないし、かといって農場が盛んな場所でもないから、このままだとニート暮らしまっしぐらだろう。
「考えたことなかったわ。戻ってもやることないし」
「そう……じゃあさ、ISAFに来ない?」
「ISAFにか?」
「うん。たぶん、私はこの戦いが終わったらユージアに戻ると思う。そしたら宛てがあるから、私の紹介で兄さんもそこで飛べると思う。もちろんあなたが良かったら、だけど」
意外なことにやまとから誘いの言葉が出た。まさか彼女に自分の今後を提案されるとは思っていなかったのだ。
ISAFということはユージア大陸に行くことになる。補給の際ファーバンティに立ち寄った以外は全く縁のゆかりもない地だった。そこで何をするかはわからないが……。
「そうだな……それもいいかもな」
どうせ帰ってもすることがないのだ。空に投じたこの身体、地べたに置いておくと身も心もあっという間に腐っていくだろう。そうなるくらいならどこかでまだ飛んでいたほうがいい。
「検討する」
そう言ったスザクの横顔を見ながら、やまとは嬉しそうな笑みを浮かべた。
*
ふと、やまとは自分が見知らぬ場所に居ることに気が付いた。さっきまで自分がいた燃料の臭いもしなければ、立っている場所はオーレッド国際空港のコンクリートでもなく、踏みしめているのは草花であった。
顔を上げてみると、目の前に見下ろす形で海があって、自分は高い山のどこかにいるのだと気づく。そこまでやまとは自分がこの場所をおぼろげだが知っていることに気が付く。いつだったかスザクに教えられた故郷の山の中にある秘密の場所で、ここに妹の墓が置いてあると聞いたことがあった。
しかし、彼の言う通りなら目の前に十字架の墓があるらしいのだが、代わりに一面には美しい花花が咲いていた。聞いていた話と少しばかり勝手が違い、そこまででやまとは理解した。
「……夢か」
夢の中で夢だと認識することは、できなさそうで実はできたりする。サイファーは昔空港のグランドハンドリングになる夢を見て『まぁ夢でしか味わえないから楽しむか』と夢の中で呟いたと言っていた。そんな馬鹿なと思ってはいたが、今なら彼の言うことがわかる。
その時、ざっと風が吹いて草や花びらが舞い上がり、やまとは思わず顔を伏せる。それが終わると同時に、自分の背後に誰かの気配があることに気が付いて振り返る。
そこには見覚えのある少女がいた。金髪のサイドテールで、その上にはかわいらしい白い帽子が乗っていた。身にまとっているドレスのような服は美しい赤色に染まっていた。スザクのSu-47に描かれている、ノーズアートの悪魔の妹そのものだった。
「あなたは……?」
気づけばやまとは少女に話しかけていた。特に疑問に思うこともなく、まるで呼吸をするかのような気持ちで聞いた。
少女は答えない。その表情ももやがかかっているようでよく見えず、しかしほんの少しだけ笑みを浮かべる口元だけははっきりと視認することができた。
「あの人に言いたいこと、あるんじゃないですか?」
「えっ……」
「言えるチャンスは、そう多くないかもですよ。だから後悔のないように。そして……」
少女は歩み寄り、見晴らしの一番いいところで立ち止まると、じっと海を眺める。と思えばくるりと少女は服を翻して振り向いて、言った。
「お兄ちゃんのこと、よろしくお願いしますね」
「あっ……」
やまとは全てを察した。少女はにっこりと笑みを浮かべる。それとほぼ同時に、周囲の景色が真っ白に染まっていく。だが、それとは反対に少女の顔ははっきりと見えていく。
「……ええ。任せて」
やまとの意識はホワイトアウトした。
―2010年12月31日午前4時20分―
「……んっ」
やまとの意識が瞼越しの暗闇に戻ってくる。ゆっくりと目を開けるとややぼやけた視界の向こうに整然と並ぶ戦闘機の垂直尾翼が見えて、今何時だろうと腕時計を見ようと手を伸ばす。
「今は4時20分だ」
すると上からスザクの声。やまとは自分が寝過ごしていないことに安堵する。が、すぐに自分の「上」からスザクの声が聞こえたことにハッとして首を曲げてみる。その先に自分を見下ろすスザクの顔。
「おはよう」
「…………おはよう」
と、やまとは自分が膝枕されていることに気付いて顔が熱くなる。一体いつの間に眠っていたのだろうか。ここはすぐにでも起き上がって弁明したいところなのだが、どうせ眠ってる間に多くの人間に見られたのだろうから今更無駄だと察して諦めた。
「っていうか、なんで膝枕してるのよ」
「いつだったかのお返し。けど、お前が眠そうにしてる時に俺が『膝で寝るか?』って聞いたらお前『うん』って答えたからな」
そう言われ、やまとは思いつく可能な限り記憶を遡る。あの軽い食事のあと、疲れがどっと出て急に眠くなり、スザクに何か言われて適当に頷いた記憶が確かにあった。
「……あー、もう騒いでも仕方ないわね」
「大人になったな、お前」
「どうせ作戦失敗したら死ぬんだから、世の女性が考えるリア充っぽいことを堪能してみるわ」
「俺でいいのか?」
「…………まぁ、ちょっとだけ――」
嬉しい、と言おうとしてやまとは思い留まる。幾分かスザクへ素直になれたとはいえ、今その言葉を言うにはいささか度胸とが足りなかった。何か感動的なシチュエーション、例えばこの後の任務で壮絶な戦いを遂げ、半壊したベルクートからスザクが下りてくるくらいであれば、もう少し勢いに身を任せられたかもしれない。が、残念ながら周囲は殺気立って逆に静まり返り、今の雰囲気で自分の気持ちん素直になることはできそうになかった。
「……まし、程度ね」
「へーへー、知ってたよ」
だから嘘を吐いた。吐いたが、直ぐにスザクの膝から離れることはしなかった。スザクも特に何も言わず、そっとやまとの頭に手を置いてほうと息を吐く。作戦開始時刻まであと30分、あと5分後には最終チェックが行われる。
「兄さん」
「なんだ?」
「……ううん、なんでもない。最後のチェックするわ」
「ん、もういいのか?」
「ええ。頭もすっきりしたわ」
やまとはゆっくりと起き上がり、首を時計回りに、続けて反時計回りに回して伸びをする。スザクもゆっくりと立ち上がり、腕を伸ばして背を伸ばした。
「じゃ、目視点検してくる」
「こっちはシステムの立ち上げをしておくわ」
タラップを上がり、やまとはインカムにジャックを差し込んでFLANの立ち上げを行う。待機モードにしていたため、すぐにFLANは起動する。機体の自己診断モードを起動して、異常がないかを確かめる。もちろんやまと自身も目視によるチェックは怠らない。一度タラップを降りて、ミサイルセーフティーのピンが刺さっているかを確認する。ウェポンベイに顔を覗かせているときに、スザクが機体を二周して戻ってきた。
「こっちはよさそうだ。そっちは?」
「まだちょっと途中。今のところ良好よ」
「そうか。じゃあこっちも準備に入るわ」
スザクはフライトスーツのジッパーを上げ、襟を整える。普段戦闘機乗りがしているこのしぐさが、いつになく目に突き刺さる。もしかしたら彼がこうして出撃するのを見送るのが最後になるかもしれないという不安が突然過る。そこで、さっき見た夢を思い出す。
『あの人に言いたいこと、あるんじゃないですか?』
言いたいこと……今自分がスザクに言いたいこと。一番思い当たるのは一個しかない。自分の気持ちを彼にぶつけたい。だが、勇気が足りない。自分の最後の一歩を踏み出すための何かが足りない。時間か、雰囲気か、一体何が足りないのだろうか。
でも、今言わないと最後になるかもしれない。どうすればいい。
「うっし、こんなもんか」
スザクがフライトスーツにハーネスを括り付けて準備を終え、ヘルメットを持ち上げるとタラップに向けて歩き出す。行ってしまう。けど言えない。ならどうする、どうするどうするどうする。
「まっ――!」
声が出ない。まだ言いたいことがある。もう少し時間がほしいのに。
その瞬間、やまとの体が動く。スザクの背中をつかみ、彼の足を止めるとそのまま顔を押し付けた。
「やまと?」
「…………きて」
「え?」
まだ自分の気持ちを言葉にするのはできない。ならできるようになる時まで待ってもらうしかない。やまとの思考は一周して理不尽な要求をすることで解決を図った。必ず帰ってもらう。何が何でも帰ってきて、自分が素直に言葉を言える時まで待ってもらうのだ。だから今は無事を祈るしかできない。祈りを込めて、やまとは腕を回してスザクを抱き寄せる。
「必ず帰ってきて……言いたいこと、あるから……」
「…………ああ」
スザクは回されたやまとの手を握る。その時彼女の手はこんなに小さかったのかと驚く。握ったのは二回目なのに、全く知らなかったそのか細さ。スザクは、たぶん自分とやまとの関係がこの戦いの後、大きく変わることを察する。
だから必ず帰ってこようと思った。
*
―2010年12月31日午前4時50分―
東の空わずかに明るくなり、夜の終わりを告げる。空いっぱいに輝いていた星空は東が明るくなるにつれて一つ、また一つと消え、少し早起きの鳥たちの声が聞こえる。だが、その声は最終チェックとブリーフィングを終え、オーレッド国際空港貨物エプロンに整然と並ぶ迎撃航空隊のエンジン音で簡単にかき消される。一基、また一基と始動し、機体に命が吹き込まれる。迎撃航空隊の合計機数は20機。機体の整備、補給が完璧に終了し、なおかつ隊長クラスのパイロットだけを集めた、歴史上類を見ない連合航空部隊だった。
並ぶ機体も様々で、オーシアからはF-15C、F-22、タイフーン、ユークトバニアからはラファールM、Su-27とSu-33。ベルカからはSu-47、YF-23、そして未だ情報も公開されていないエストバキアの試作戦闘機Y/CFA-42、スザク専用のワンオフ機であるSu-47ADVANCE、サイファー専用に調整されたX-02と、航空機マニアが見たら卒倒間違いなしの顔ぶれだった。
燃料弾薬を満載した戦闘機たちは、今か今かと出撃を待つ。そのコックピットではパイロットと掛かりつけの整備士たちが最後の打ち合わせを行い、その表情は真剣を通り越して修羅そのものだった。
なお、機体の整備が不十分、または弾薬が間に合わないという機体については、現在国内線ターミナルから出発しているオーレッド一般市民の乗った避難旅客機、および輸送機のエスコート、地上から自動車、鉄道で脱出する民間人のエスコートを担当する。
誘導路ではすでに二機のE-767がタキシングを開始しており、先に作戦空域に向けて飛び立とうとしていた。片方はサンダーヘッド、もう片方はオーレッド空軍基地から送り込まれた機体で、こちらにはゆたかとみなみが搭乗し、コールサインラッキースターとして戦闘指揮、および地上避難民の誘導を担当する。
整列した機体の端に駐機しているX-02のコックピットにて、サイファーとにとりは追加装備の確認と、複数敵機を補足するために行われたレーダーアップデートの確認を行う。Y/CFA-42のデータリンク支援とFLANのデータ処理能力の支援を受けることでを行うことで最大で24機の同時補足が可能。初期装備では6機の同時攻撃が限界だったが、FASTパックを搭載したおかげで22機に対して同時攻撃が可能になる。
そこからさらに連合航空隊にデータリンクを飛ばすことにより、理論上100機以上の機体を同時にロックオン、攻撃が可能である。
「うし、セットアップ完了。エンジン音は絶好調だな、さすがにとり」
「ほめても何も出ないよ。ま、いつも以上に気合入れたのはたしかさ」
「なら安心だ。もっともお前の腕を疑ったことはないけどな」
エンジンの回転数が安定域まで到達する。ミサイルピンを抜いた整備兵たちが小走りにワイバーンから離れ、隣に鎮座するスザクのベルクート改も動翼チェックを行い、主翼が上下する。
「よし、もう思い残すことはないかな。サイファー、余計なことなんて言わないよ。帰ってきて。君ならきっと大丈夫」
「ああ。任せろ」
サイファーとにとりは拳をぶつける。それ以上お互い何も言わず、にとりタラップを降りると機体から離す。十分に離れたところで車輪止めが外され、タキシング準備が整う。
「こちらガルムリーダー、最終チェック完了。いつでも出れる」
『こちらスザク、機体、FLAN共に絶好調だ』
『こちらアテナ、機体各所オールグリーンよ』
離陸第一波であるサイファーたちの準備が整い、グラウンド管制にコンタクト。後続の機体たちも準備を終え、続々とクリアランス要請の無線が入る。
『こちらグラウンド管制、離陸第一波へ、A4、A2を経由して滑走路16Rへの進入を許可。誘導路は民間用だからそれだけ気を付けてくれ。タワー管制へのコンタクトを許可』
「ガルム1了解。タキシングを開始する」
スロットルを一瞬だけMAXに、すぐさまMINに戻す。ワイバーンが前進し、誘導路の黄色い線に沿ってラダーペダルを右に踏み込み、右回頭。格納庫側を見ると整備兵たちが大きく帽子を振って見送っている。その中に、にとりとやまと、夏芽や椛の姿。サイファーはサムズアップすると、敬礼する。
「スザク、海里、ついてきてるか?」
『ああ、問題ない。あいつは抜かりないから』
『こっちもばっちりよ。夏芽と椛ちゃんがきっちり調整してくれたわ』
ついでにサイファーは動翼を動かす。右、左、上に下。右に一回転、左に一回転。目視で異常なし。深呼吸して滑走路に向けて足を進める。滑走路を見ると、ラッキースターのE-767が滑走を始め、エアボーンした瞬間だった。
誘導路を進み、やがて滑走路への入り口に到着する。ここでタワー管制にコンタクト、滑走路進入許可を求める。
「こちらガルム、滑走路への進入許可を要請する」
『タワー管制よりガルムへ、滑走路16Lへの進入を許可する。準備が完了次第離陸を許可する』
「滑走路進入、および準備完了次第の離陸許可了解」
機体が滑走路へと進入し、滑走路に正対すると数十メートルほど進み、ブレーキング。スザク、海里もデルタ隊形で後方にポジショニング。ガルム隊の後ろを、ベルカンナイツのSu-47が横切って16Rの滑走路へと入る。
最後の動翼チェック。続けて兵装確認。新しく装備されたFASTパックの接続は良好。重量は増えたが最初の会敵ですべて撃ち尽くした後パージするため、ドッグファイトにはあまり影響しない。
サイファーは前を見る。オーレッド国際空港滑走路16Rの4000メートル滑走路がまっすぐ伸びていた。その上に目を向けると、星が瞬く夜空。東の空に目を向けるとうっすらと明るみが見えていた。
目を閉じ、深呼吸する。これが最後の出撃。15年の呪いに決着をつける。師の教えを思い出し、そして自分の妻になるであろう女を思い浮かべる。彼女が普通に暮らせる世界を作るために己の青春をささげた。悔いはない。これで終わりにするのだ。
Su-47ADVANCEのコックピットで、スザクはメインモニターに映る計器類を見た後、ハンガーを見る。もう米粒のように小さくて見えないが、あそこにはやまとが居る。背中から抱き着かれたあの時、彼女の不安が直に伝わってきた。自分の整備に自信がないわけではない、彼女はただ純粋に自分が遠くに行くことが怖いのだ。その仕草が妹とそっくりで、でも兄妹とは違う何かを持っていて、スザクはそれがなんなのかうっすらとだが見えていた。
だから、やまとが言いたいことを聞くために戻ろう。もう自分は大丈夫なのだから。響くエンジン音、FLANがモニターに文字を打ち出す。
<Good luck.>
「……ああ。行こう」
如月海里は操縦桿を握りなおし、大きく息を吸って吐く。左前方にサイファーのワイバーンが見え、キャノピー越しに彼の頭が見える。その表情が伺えないのが残念だった。
考えてみれば、勢いでよくもまぁここまで来たものだと思う。幼いころから父から戦闘機乗りとしてのノウハウを教えてもらっていたとはいえ、Y/CFA-42に乗るまで何度おう吐したことだろうか。この二年はおそらく人生で最も濃い二年だろう。
でも、よかったと思う。こうして彼と一緒に飛べることが彼女の喜びなのだ。場合によっては、そばにいないと落ち着かないというのもあり、これは一種の依存だろう。そうなってしまうのはあまり良いこととは言えないかもしれない。恐らくサイファーが自分を必要とする以上に、自分がサイファーのことを必要としているのだろう。だが、彼と過ごすには如月家が背負ってきたこの呪縛を断ち切らなければならないのだ。
海里はスロットルを強く握る。これで終わらせる。父が、母が望んだ平和を取り戻すために。そしてそこで生きる自分とサイファー、まだ見ぬ自分の子供のために。
「……行くぞ。これが最後の出撃だ」
サイファーは小さく、だがはっきりと呼びかけた。その声にスザクと海里は迷いなく返事をする。アフターバーナー点火、ワイバーンが押し出されて滑走を開始する。二秒遅れてスザク、海里も滑走を開始。燃料とミサイルを満載したガルム隊は離陸可能速度がやや多めになる。HUDの速度計がぐんぐん回転し、数字があっという間に三桁へと達する。
ピッチアップ。ノーズギアが浮き上がり、メインギアのサスペンションが重そうにしながらもワイバーンを空へと押し上げる。ギアアップ、さらに加速。スザクと海里も一糸乱れぬデルタ編隊を組んで上昇。左後方からベルカンナイツも離陸を完了させ、ガルム隊の左後方へと位置に着いた。
そのままガルム隊率いる航空隊は空港上空で旋回待機し、続々と出撃する航空部隊と合流する。やがて全機の離陸が終了し、今ここに歴史上最強ともいわれる連合航空部隊が集結した。
「こちらガルム1、全機の合流を確認。下の連中に挨拶していくぞ」
機体を降下させ、サイファーはオーレッド国際空港上空をフライパスする。後方に続く友軍たちも翼を振って地上の仲間たちに答えて編隊を組みなおすと、エンジン出力を上げて暁の空に向けて飛び立つ。
今ここに、誰も知ることがないベルカ戦争が始まろうとしていた。
*
タキシングしていくガルム隊をやまとはハンガー前で見送った。スザクに見えるようにと精いっぱい手を振り、彼がそれに答えたのもしっかり目視することができた。今の彼に、緊張の様子は見られなかった。
恐らく、一番緊張しているのはやまとであった。自身もそれに感づいており、無事だと信じる一方で逃れられない不安が付きまとっていた。大丈夫、大丈夫と思うその隙間に言葉にできない不安が締め付け、思わず自分の胸を握りしめてしまう。
「不安?」
にとりが肩に手を置いて問いかけてくる。やまとは小さく「ええ」と答えてSu-47の背中を見つめる。
「自分の整備には自信があります。でも……もし、もし帰ってこなかったらと思うと、どうしても……」
「ま、気持ちはわかるよ。世の中の整備士はみんな不安に思う。その中の一握りが、より一つ上の段階に行ってしまう。私とやまとちゃんは、その一握りだね」
「主任は、今どんな気持ちでサイファーを見送ってますか?」
「そうだねー」
しばし、にとりは自分の経験について考える。一番不安だったのはトリニティ弾頭の一発目が撃ち込まれた次の任務だった。自分が用意してきた作戦に、寄りにもよってサイファーが当たったのだ。結果として彼もベルカ残党のために動いていたようなものだったから今となってはいいかもしれないが、関係ない彼を巻き込んではないだろうかと不安と罪悪感にさいなまれていた。
「そんな感じだったよ。でも、今なら大丈夫ってわかる。もう考えたって仕方ないんだ。やまとちゃんは初めてだから不安だろうけどね。でも共通してできることはただ一つ、信じて待つこと。スザクが帰ってきたら自分の気持ちはっきり言うつもりでしょ?」
やまとは思わず声を上げそうになった。なんでわかるのか。誰かに話すどころか口にもしなかったのに。
「見りゃ分かるよ。一大決心したって顔。大方、帰ってきたら言いたいことがあるから絶対帰って来て欲しいみたいな感じかな」
「なんでそこまでわかるんですか……」
「ここは勘だね」
にやにやとするにとり。適わないと思ってやまとはそれ以上何も言わないことにする。
「ほら、皆行くよ。しっかり目に焼き付けるんだ。私たちの仲間を、私たちが愛した男たちをね」
アフターバーナーの轟音。三機の機体、合計にして六基のエンジン音は雄叫びのように響き渡り、空へと向かっていく。自分の手掛けた機体から出る音は、絶好調そのものだった。
編隊を組んだガルム隊は空港上空を周回飛行し、両機の合流を待つ。やがて全機が編隊に加わると、空港上空を低空で飛び、整備兵たちに翼を振る。多くの人々がそれを見て激励の言葉を投げかけ、それにこたえるかのように20機の戦闘機は轟音をまき散らして北へと向かう。
にとりは、飛び去るその戦闘機たちに、その先頭に居る盟友に向けて叫んだ。
「私が、私たちが整備した機体なんだ。必ず帰ってこい!」
2010年12月31日午前5時00分。最終作戦開始。