ACE COMBAT ZERO-Ⅱ -The Unsung Belkan war-   作:チビサイファー

25 / 37
読者様待望(?)にとり回です。どっちかというと外伝扱いなので読まなくても大丈夫な話です。


Mission21 -河城にとり、恋の麻薬-

 

 懐かしい夢を見た。と言っても、まだ全然最近の自分の夢。舞い上がり、どん底に落ち、彷徨い続けてひょんなことから現れた自分への道を示す光。そしてその光に恋をした自分の夢。

 まるで他人を見ているかのような感覚。実際半分くらい間違ってないだろう。あの時の私と今の私は違うのだ。昔の自分が今の自分を見たらどんな気持ちになるだろうか。全く予想できないかな。少なくとも信じられない、と漏らすに一票だ。

 

 思えば、始まりはあのド田舎離島の空軍基地での出会いだった。まだオーシアとユークトバニアの緊張状態が無かった時代、サンド島は余裕があれば傭兵パイロットの育成も行っていた。ベルカ残党に対する対抗処置の準備のために各地を転々としていた私は、長かった髪の毛をバッサリ切り落としてなるべく目立たないように、心的に大きな損傷を受けたトラウマを克服すべく、整備のリハビリを行っていた。

 

 もちろん一人でやったりはしない。私の面倒を見てくれる、通称おやじさんが整備をする時には再チェックをしてくれていた。年は結構行っている人で、頭の毛根も寂しい感じではあったけど、それでも頼りがいのあるとても優しい人だった。

 

「君は良い目をしているね。修羅場をその目で見て、経験し、しかしそれに立ち向かおうとする意志を感じる。君ならきっと大丈夫だ。相手は手強いだろうが、味方はきっと集まってくれるよ」

 

 まるで父親の様な温かさだった。この基地の人たちがあの人を大きく慕うのもよく分かる。訓練兵は悩みなどがあればおやじさんの所へと向かって、そしておやじさんも親身になって聞いていたりして居るのを時々見てた。

 

 そして、新米兵士の最大の鬼門がこのサンド島基地の鬼教官、バートレット教官。基地上空を飛びまわる新米の乗ったホーク練習機を容赦なく追いかける仮想敵機塗装をした同じくホーク練習機。よたよたと飛ぶ練習機を一機、また一機と確実に撃墜判定を積み上げていき、一定時間逃げ切れなかったパイロットは着陸した後に滑走路往復二百が待っている。

 

 そんな鬼特訓を受けるパイロットたちだけど、一人だけ負けてない奴がいた。たった一機になっても背後だけは奪われまいと必死に回避運動を取る機体。あの教官がてこずるなんてなんて奴だろう。ほんの一瞬だけ背後に回りかけて、まさかの教官撃墜かと思った次の瞬間だったけど、結局粘りが足りずにオーバーシュートで逆転された。

 

 その機体はよく覚えている。パイロットこそどんな奴かは知らなかったけど、基地上空で演習が行われる際に私は彼の機体を見るようになっていった。

 

 そうして過ごすうちに、ひょんなことから私は彼に出会うことになる。

 

 リハビリも大分進んで、おやじさんからも私一人で任せて大丈夫だろうと判断されて、訓練を終えた練習機の整備をするようになっていた。当初こそ機体を前にすれば体が震えるくらいのトラウマたっぷりだったけど、この当時になると整備自体はほぼいつも通りこなせるくらいになり、強いて言うなら終わった後のどこかミスが無いかどうか、という恐怖の方が厄介で三回は見直しする手間の方が辛くなっていた。

 

 そうしてその日も訓練を終えてくたくたになった練習機の相手をしていた。激しい戦闘機動が増えたせいか、機体の損耗具合が増えて少し大変だった。念入りにチェックして、使えるかどうか判断に困った部品は交換するようにしたり、基本に乗っ取った整備を絶対に忘れないように心がけていた。

 

 着陸したホーク練習機の一機に近付いて、まずは機体の外周をぐるりと回って目視で点検。次にコックピットのタラップを上って計器類を確認すると、一旦降りてノーズギアの中を覗き込む、その時だった。

 

「なぁ、お前さんがこの機体を整備したのか?」

 

 後ろから声を掛けられて少しばかり体が跳ね上がり、恐る恐る振り返る。この基地のパイロットに話しかけられたのは初めてだったからだ。極力一般のパイロットからは接触は避けるようにと言われて、誰も居なくなった時を見計らって出て来ていたのにこのパイロットは私が出て来るのを待っていたんだ。

 

「え……うん……油圧系統と操縦翼面の方を……あの、トラブルか何か?」

 

 たぶん、たどたどしい返事の仕方だったと思う。これが所謂コミュ障と言う奴だろう。今思えばものすごく情けない顔をしていた気がする。まぁ、私に話しかけてきた当の本人はすっかり忘れていたみたいだけど。

 

 やっと回復してきた私にとってはどうしても嫌な想像しかできなくて、整備ミスがあったのかと頭の中の血液が全て引いていくような気がした。

 けど、目の前の新米パイロットは少しだけ不思議そうな顔をしながらも予想外の言葉を口にした。

 

「いや、すこぶる調子が良かったんだ。良い腕してるから礼を言いたくてな。次も頼むぜ」

「え……あ……」

 

 そう言い残すと、彼は「じゃあ、それだけだ」と言って会釈しながら格納庫に向けて歩き出した。あっという間に来て、あっという間に去っていく。嵐の様に、とはいかないが、さながら突風の様な出来事だった。

 

 色々と同時に私の心にインパクト与えた彼だった。しかも、良い腕だ、また頼むと言われれば整備士としては本望だ。

 

 ただ。ただ、その時の私は言葉に出来ない何かが胸に残り、そしてその訓練パイロットの顔が強く頭に焼き付けられていた。リピートされる彼の声。緊張で脈打ってると思っていた私の心臓は、どうやら違う何かのせいでいつもより多くの血液を流しているようだと気がついた。

 

 けど、それがなんなのかはよく分からずに取りあえず私は整備を再開した。その日だけは、すこぶる調子が良くて、今の自分でも完璧な部類に入ると思う整備内容だったと思う。

 

 その男こそ、私の人生をまた変な方向にひん曲げた鬼神の再来こと、二代目サイファーとのファーストコンタクトだった。

 

 それからはずっと悶々とした心境だった。部屋のベッドの上で布団に抱きついてごろごろと転がりまわったり、食堂で食べる食事の味もあんまり覚えてない。ただ、彼を思い出すと顔が熱くなって心臓の鼓動が速くなった。

 

 それで、だ。そんなのがしばらく続いた数年後、サイファーと再会した時に私は自覚した。びっくり仰天。私は恋をしてしまっていたのだ。

 

 それまで男を異性として意識することは皆無だった。その時までの私にとって機械が恋人の様な物だったから、生身の人間にこんな感情を抱くなんて全くの予想外だった。

 

 それに、男の凶暴さを知ったことで、男性恐怖症になっていたからあんな風に思うなんて全く予想外だった。とにかくこの感情をどう扱うかでかなり困った事をよく覚えている。

 

 それでも、彼に言われた一言はすごく励みになったし、その後のリハビリへの最高の栄養剤になった。トラウマはほぼ克服したレベルになって、毎日の整備に明け暮れた。その片隅で、訓練を終えたサイファーを探してては遠くから見つめていた。

 

 昔からあいつはやたらと腕が良かったのを覚えている。同期の中ではずば抜けて強くて、時折り抜けている動きこそあったけど、それを補うだけの技量を秘めているのは私でも分かった。ただ、そのせいなのか彼はある意味バートレット教官の『お気に入り』になってしまい、普通のパイロットよりもきついメニューを与えられてはサボっていた。

 

 で、サイファーがサボっている時にたまたま非番だった私が遭遇した事があった。それがサンド島時代のサイファーと一番まともに話した最初で最後の日だった。

 

 基地はずれの、海辺の草むら。気分転換にそこに訪れた私はそこに寝転がっていたサイファーを見つけて、思わずどきりとして立ち止った。

 どうしよう。話しかけるか見なかった事にするかで悩んだ。訓練パイロットとの接触は極力避けるようにと言われてたけど、個人的感情という物がそれを押し切って私の足を進ませた。

 

 けど、同時に緊張という物が私の前に立ちふさがった。話した所で何になるだろうか、そもそも彼は私を忘れているかもしれないと言う考えが巡って来た。

 ほんの一瞬の時間だったけど、私はここから下がるべきだと決定してその場を離れようとする。けど、戦闘機乗りの背中には目があるっていうのは本当なんだね。あいつは私に気がついて首を曲げて声をかけて来た。

 

「おやま、お前さんはあの時の」

 

 気付かれるとは思ってなかったから、私は「ひゅい!」と情けない声を上げてしまう。とにかく一旦落ち着きを取り戻して軽い会釈で済まそうかと受け答えた。

 

「ど、どうも……」

「あー、脅かしたならすまんな。そう言うつもりは無かったもんで。こんな所で何を?」

「いや。その……今日は非番だからその……」

「あ、バートレット教官に言いつけたりとか!?」

「いやいや、そんな事はしないよ! たまたまここにきて君を見つけて、その……」

「なんだそう言うことか。ふぅー、助かった」

 

 ほう、と彼は安心した表情になり、何故だか私も安心してしまった。そんな彼の表情がなんだか可愛く見えて、そしてとても魅力的だったからどんな人か知りたいという好奇心が芽生えていた。

 

「えっと……ここで何を?」

「見ての通りサボりだ。サンド島五十周とかやってられねーからな」

「そりゃまた難儀だね……」

「教官によ、『お前は見どころのある奴だから特別に鍛えてやる』だってさ。いらぬ計らいだぜ全く」

 

 流石は鬼教官だ、とサイファー(その時はまだ名前を知らなかった)は両手を上げる。それが微笑ましくて私は少しだけ吹き出してしまう。そう言えば笑ったのって結構久々かもしれない。

 

「お前さんはここに来てどれくらいなんだ? あの時お前さんに声かけるまでそん時に気がつかなくてよ。割と最近なのか?」

「え……えっと」

 

 ここで私は言葉に困った。亡命したとはいえベルカの追手の事を考えて片田舎の空軍基地にいるのだ。下手に発言することは危険だと私自身が知っていた。それから少し間が空いて、急いで答えないと怪しまれると焦る私に対し、サイファーは何かを察した顔になる。

 

「んああ、オッケーオッケー。気にすることは無い。訳ありって奴なんだろ? なら深くは聞かないさ」

「え…………あ、ありがとう……」

「しっかしあれだなー。この基地は色々と混ざってるよな。傭兵パイロット、国籍不明機の残骸、訳あり整備士、噂ではおやじさんも訳ありって聞いたがさてどうした物かねー」

 

 国籍不明機の残骸。当時私もそれは見ていた。当時私はその機体を恨めしく思っていたのをよく覚えている。なんせ、ユークトバニアの軍事生産工場に潜入したベルカ工作員が作ったものだからだ。エルジアからの持ち運ばれた設計図をもとに、彼らが完成させ、そして撃墜された機体。まさか、この機体が後に私の運命に大きく関わるなんて思ってもみなかった。

 

「田舎だから……かな。やっぱり物を隠すには打ってつけだと思うし」

「朝刊が夕方に届くぐらいだしな」

 

 そうだね、と私は軽く笑みを浮かべる。そしてはっとした。こんなに自然に笑ったのは、本当に久々だったからだ。

 

 それからはなんの取りとめのない世間話をした。主にサイファーの故郷の話を聞いたり、過去の武勇伝を聞いたりと、私が聞き手になる事が多かった。と言うか、日陰者の身分としては多く話せる事はない。それでも、私は本当に楽しかった。

 

 それと同時に、彼への意識が強くなるのを感じた。あわよくば、いつまでも見て居たい、触れていたい、といった、今まで機会にしか向いて居なかった感情が生身の人間へと募っていくのが手に取るように分かる。これを知るのはまた少し後だ。けど、これだけは覚えている。

 

 その日の夜。私がサンド島を離れる時に感じた強烈な胸の痛みは、サイファーによる物だったと。

 

 

 

 

 目を覚ます。また、サイファーの夢。私はやや寝不足気味で頭痛のする頭を押さえながら起き上ると、体を引きずるようにして洗面所に向かう。キンキンに冷えた冷水を顔面に叩きつけて神経が冷たいと叫ぶ。その叫び声で脳がはっきりと目を覚ます。しかし、血の気が足りないせいかいつもよりも頭の回転が遅い。せっかく目が覚めた脳がまた眠いと訴える。つい最近ようやく腕の包帯が外れ、痛みは残ってるけど自由に使えるようになった。しかし体が鉛の様に重いこんな状態では仕事もまともにできない。でも一応医者からは療養しておけと言われてるし、正式な業務復帰となった訳でもないし、このまま二度寝してもいい気がしてきた。いや、うん。それでいい。

 

 私は冷蔵庫から牛乳を取り出して腹の中に流し込むともう一度洗面所に戻って口をゆすぎ、ベッドに倒れ込んだ。一応、やまとちゃんに連絡を入れておく。送信の画面を確認して、私はまた眠りに入る。その時に見た夢は、珍しい事にさっき見た夢のほぼ続きだった。

 

 

 

 

 彼と再会したのは、それから数年後の春先だった。春と言っても、大絶賛豪雪中のある日だった。

 雪かきに追われる作業員たちに混じって私もエプロンの雪をかきだす作業に追われていた。猛烈とまでは行かないが吹雪の中をかき出しては積もりかき出しては積もりの連続。でもこうしないとヴァレーはあっという間に雪に埋もれてしまう。そんな中、吹雪が一瞬だけ止み、晴れ間が覗いたその瞬間を狙って二機の戦闘機が急旋回しながら滑走路に滑り込んだ。

 

 後方を飛ぶ戦闘機は黒いボディの要所に深紅の塗装を施し、いびつな翼を背負い、少しだけ狂気じみた笑みを浮かべる悪魔のエンブレムを背負ったSu-47ベルクート。ややふらつきながら右主脚からタッチダウン。そして先頭を行く機体は翼を青く染め、氷の妖精をモチーフにしたエンブレムを背負ったF-22ラプター。こっちはかなり無理な進入角度で進入したと言うのに、設置の直前で微調整を繰り返し、鮮やかなタッチダウンを見せた。

 

 雪かきをしていた訓練生たちが声を漏らす。噂に聞いていたアグレッサーの傭兵だろう。戦闘の方はいい腕だと私は察する。これでここの教官の負担も減るだろなと思った。

 

 エプロンに進入して整備兵たちが機体を取り囲む。開け放たれたキャノピーからパイロットがヘルメットを脱いで、そしてその顔を見た瞬間、私の胸の奥にしまい込み、ほんの少しだけ消えかかっていた炎にバケツをひっくり返した油が注ぎ込まれたかのような勢いで燃え盛った。

 

 言うまでもなく、サイファーだった。思わず手に持っていたスコップを落としてしまった。肌には突き刺すような寒さが体を包み込んでいるのに、体の奥底は恐ろしく熱い。呼吸が乱れそうになって、体を循環する血液の流れがいつもより早くなる。ああ、運命なんて言葉はそんなに好きじゃなかったけど、今回ばかりは信じたくなった。

 

 機体から降り立ったサイファーは、迎えの兵に少しの間だけ口を交わし、その次に私にお呼びが掛った。そう言えば私はこれから来るアグレッサー部隊をメインに整備担当になれと言う辞令が下っていたのを思い出した。つまり二人の機体を整備士しろと、私に言いかえればサイファーの機体を触れと言うことだった。それは同時にサイファーと接触する機会が多くなる。

 

 心臓に悪い事この上ない。彼とどう接すればいいのだろうか。「久しぶり」と言うべきだろうか? いやしかし向こうが覚えていないという可能性もある訳だし、しかしそれはそれで少し寂しいような気がして。

 

 まぁ、結論から言って彼は覚えていなかった。無理もないとは思う。この時から私は髪を結べるくらいに長くなってたけど、サンド島に居た時は髪の毛をバッサリ切り落としてベリーショートにしていたし、その上帽子をいつも被っていたから目を合わせた回数が片手の指の本数あるかないかだったし。覚えて居なくても当然と言えば当然かもしれない。それに、もうISAFの元で動き始める身としては、覚えていない方が都合が良かった。

 

 でも。それでも私は、少しだけ……いや、けっこう残念だな、と思った。

 

 

 

 

 再び目を覚ませば、ちょうど昼を過ぎた辺りだった。目覚めはそこそこいい方だ。お腹もすいたし、そろそろ体を動かさなければならないだろう。私は今度こそ体を起こし、もう一度顔を洗って今度は歯ブラシに歯磨き粉を塗ってゴシゴシこする。少し時間をおいたから口の中が気持ち悪い。私としては朝食後に歯を磨くより、朝食前に一刻も早く歯を磨いてすっきりしたいのだ。この辺りは人それぞれだけど。

 

 口をゆすいでわたしは自分の顔を見る。ぼさぼさの髪の毛、見るに堪えない。手に水をつけて軽く髪の毛を濡らして、手でほぐしてあげると今度はくしで髪の毛を梳かす。今日の出撃予定はない、つまりは艦内であいつと遭遇する確率が高いからちょっと念入りに髪の毛を整える。完了。さて、これで幾分か見れる程度にはなっただろう。

 こう言った身だしなみに気を使うようになったのも、サイファーのおかげである。それまではよくぼさぼさの髪の毛だったから、今となっては恥ずかしい。補給物資調達のリクエストに高級シャンプーを書いた時、こなたにニヤニヤと目線を向けられた。

 

 適当な上着を羽織って、私は部屋から出る。目標食堂。さぁいざ行かん私の胃袋よ、ご飯はそこにある。

 

 艦内を歩き回ると、また忙しそうに乗組員たちが歩きまわっている。狭い艦内だから走るのは非常時出ない限りやらない。隔壁の段差もあるから下手すれば転んで精密機械と衝突なんて事もある。現に三人くらいは居た。

 階層を上がり、食堂へと続く通路に出ると空気がやや和やかになる。主にこの辺りは娯楽施設が集中してるから居心地はいい。

 

「やっぱりシスターのお言葉はありがたいよな」

「ああ。まるで心が全て見えているような的確な教え、あれには何度も助けられたよ」

「妹のこいしちゃん見たか? 見た奴は幸せになれるそうだぜ」

「なんかな、すれ違った事はあるんだろうけど明確に覚えてないんだよな。あれ、居たっけ? って思って後ろ見たらスカートがちらりと見えたり」

「そうそう、あの子とすれ違う時だけ無意識になっていると言うか、そんな感じ」

 

 すれ違う休憩中の乗組員の話を小耳にはさみながら食堂へと入る。昼のちょっと前くらいだから、人はまだまばらだった。バイキング形式の食堂。私はプレートを持って取りあえず目ぼしい物を盛り付けていく。なんと、今日のサラダにはきゅうりが無い。これは起訴しなければ。

 

 あらかた終わって、座る場所を探そうと辺りを見回す。知り合いが居ればいいんだけどな。そう思っていると、私の目にサイファーの後ろ姿が目に入った。ああ、彼だけは簡単に見つけてしまう。いや、いつも無意識のうちに探してしまうんだ。思春期の中学生みたいに。彼の前に座って、笑顔で話したい。そう思ってしまう。

 

 けど、その向かい側に私は座ることが出来ない。当然だ。既にサイファーの目の前には幼馴染であり、恋人であり、将来すらも誓っている女性が居る。私よりもスペックが高く、家庭的で優しい笑みが印象的な彼女は、海のように広い心と太陽の様な笑みを持っていて、まるで常夏の様な人だ。

 

 それを見てぎゅう、と私の心が締め付けられるのを感じた。もう慣れたはずなのに、慣れる事のない締め付け。彼はどんな顔をしているのだろうか。向かい側の彼女は女神の様な頬笑みを浮かべて相槌を打っている。私にあんな顔が出来るのだろうか。

 

 悔しい。体には自信がある。整備だってできる。彼のためなら、専属の整備士になって生涯を終えることだってできる。覚悟は負けて無い。けど、違うのだ。私ではだめなのだ。

 

 覚悟があっても、超えられない壁は腐るほどにある。その壁の巨大さ、多さを知った時の衝撃は大きすぎた。井の中の蛙、大海を知らずとはよく言った物だ。

 

 どうしてこの男を好きになってしまったのだろう。他人からしてみれば極力イケメンかという訳でもない。どちらかというなら中の上だ。でも、好きになってしまった。

 いやまぁ私の補正からしてみたら十分顔はいい方だよ。私生活はダメ男で、妙にほっとけない奴。嫌な事嬉しい事があればすぐ顔に出て分かりやすい。低血圧で朝に弱くて二度寝三度寝は当たり前。まだ子供っぽくて飛行機バカで、時々頭のおかしい事言ったり、変なところでSっ気なところがあって、かなりのスケベ。女湯盗聴事件の首謀者でもある。これだけ並べると何でこんな男好きになったのかと問われる。実際、やまとちゃんから真顔でしかも真剣な面持ちで聞かれた。

 

でも言葉に出来ない魅力というのは厄介なものだね。本当に口に出来ないのだ。

 

 でも一つ言える。私にとって彼は、私がここにいてもいい、存在していて欲しいと言ってくれた人物なのだ。言わば認められたと言う事。それが嬉しくて、受け入れてくれる彼が本当に恋しくてたまらなかったのだ。

 

 だから、彼に恋人が居るって知った時の衝撃は大きかった。

 

 

 

 

 サイファーと親しくなるのに、そんなに時間はいらなかった。というよりも、彼の方から積極的に近づいて来てくれたから、私の第一次サイファー接近作戦は計画する以前に達成してしまった。本当に話しやすい奴で、ヴァレーに配属されてからも誰とでも会話できるような奴だった。まぁ、よく目を凝らせば苦手なタイプもいるみたいだったけど、社交性に関しては十分だった。

 

 基地の案内をしたり、時折り一緒に食事をしたりと、まるで恋人のような気分を味わった。ああ、幸せだ。もしかして告白したらオッケーをもらえるんじゃないかって舞い上がっていた。告白して付き合って、手をつないだりしてデートして、それからそれからと色々な妄想をしては枕に頭を突っ込み悶えるの連続だった。

 だから彼の機体の整備には全身全霊を注ぎ込んだ。ただ一応基地運営の費用とかもあったから、パーツやミサイルの手配に関してはバカ安値をつけるなんてことはしなかった。そこは割り切っていかなければならないと知っていたからである。

 

 それでも、私の整備で満足そうな顔で乗り込む彼が、鮮やかに空を舞い、いかんなく機体の性能を発揮する彼が、降りて来たときの笑顔の彼が、私へと入りこんでくる。その一つ一つが積もって、私は自分の戸棚の中へとしまいこむ。一つ一つ、とても大切な物。私が初めて知った恋。はじめて愛し、そして私の事を認めて受け入れてくれた人。

 

 何度告白のシミュレーションをしたことだろうか。場所はどこか、朝か昼か夕方か夜か、ムード選ぶなら夕焼けの海で、って言うのがいいかなと思ったけど、あいにくヴァレーの近くに海はおろか湖も池もない。となると雪明かりに照らされる基地のちょっと外れに誘い出すか。

 

 ではなんて出だしから行こうか。堂々と「好きです」というか。いやこれではいきなりすぎかもしれない。ここはひとつ少し躊躇いを見せてサイファーにある程度察して貰い、そこを突く。案外いけるかも?

 

 しかしまず自分は性格面でやや不利な所がある。ガサツな所である。整備に関しては徹底してるが、部屋の掃除や服の整理整頓が点でだめなのだ。ならば改善するしかない。ではその代りわたしの長所はどこか。と言われたら真っ先に目に入るのが自分の足元の視界を遮るほどに育ったバストである。現にヴァレーの男たちが私と接する時の目線は全て胸である。特に夏場はすごい。10人中10人が見る。サイファーだって見るくらいだ。あいつは触ろうとした事もあったけど、丁寧に迎撃しておいた。いや実際は触られたいと思ってるけどそこは落ち着いていくべきだと迎撃最優先にしている。

 

 体は十分だ。けど、残念ながら純潔はとうの昔に奪われ、体は大人数の男たちによって汚されてしまっている。彼は、こんな汚れた自分を受け入れてくれるだろうか。

 

 でも、それでも彼が私を受け入れてオッケーをもらった後の妄想はとても楽しくてベッドを何回も叩きつけた。一回枕の中の羽毛が飛び出た事もあった。

 

 しかし考えているだけでは何もできない。今すぐ思いをぶつけたいのは山々だがもっと情報を集めるのが最善だ。いやしかし善は急げとも言うし、どうしたらいいのか。

 

 そうやって悶々として、結果としてはもっと情報を集めようと言う事で決定して、その重要参考人としてスザクと何気なく会話している時だった。

 

「サイファーは故郷に置いてきた恋人ぞっこんだからな」

「…………え?」

 

 スザクの言った一言が私の頭を思い切り殴りつけた。モンキーレンチを真横からぶん回され、頭に直撃されたかのような衝撃だった。おかげでスザクの後半の言葉は全く耳に入らず、その日はしばらく部屋に引きこもった。非番じゃなかったら危なかった。

 

 ただ、それからは私の中には、常に心臓を縛り付ける感触がまとわりついた。サイファーに恋人? 何で? いつから? どうして?

 

 今にして思えば、少し考えればその可能性にすぐ気付けたはずだ。けど残念ながら当時の私にはそれを判断するだけの能力は備わっていなかった。もはや病みとも言って過言ではないだろう。

 

 サイファーの恋人の話を聞いてから、私はどうしたらいいのか分からず、ちょっとだけ彼と距離を置いた。数日ほど私の頭はサイファーの顔を思い浮かべては、自分ではない誰かが隣にいて歩いていて、楽しそうに会話しているサイファーの姿を思い浮かべていた。ぎゅう、と胸の奥が強く締めあげられる。そして悔しくてしょうがなかった。

 

 一週間でどうにか落ち着いて、取りあえずサイファーの恋人が居るかどうかは棚上げして極力気にしないようにすることにした。しばらく考えて、遠距離恋愛は続かない割合が多いと言う話を思い出した。そうだ、ならばいっそ彼を奪い取ってしまえばいいんだ。

 武器ならある、男っていうのは体に惹かれるというのは私が一番知っている。ならば彼を落とすことだって可能なのだ。奪って見せる、サイファーを私のものにするために。

 

 思えば屑も甚だしい。けど、だれでもこうなりえるんだ。ゆたかちゃんからは恩人だと呼ばれ、やまとちゃんからは信頼できる上司、師匠とも言われ、サイファーをはじめとするパイロットたちからは信頼のおける整備士だと言われた。

 けど、私はそんなんじゃない。たった一人の男のために屑にもなろうとした、正真正銘の屑なんだよ。私はそんなに強い女じゃない。むしろ途方もなく、救いようのない女なんだ。君たちのほうが、もっと立派なんだよ。だから、そんな目で見ないで。私は……私は、そんなんじゃないんだよ……もう、そういわれる資格はないんだよ。だから……やめて……。

 

 

 

 

 私はサイファーよりも少し離れた場所で食事をすることにした。邪魔しちゃいけない。ここ数日はかなりの頻度で出撃してるからゆっくり話をする時間も必要だろう。とも思ったけど、あの二人ほとんど一緒に寝てるからそうでもないんじゃないか? とも思ったが、まぁいいかと私は机に座って食事をする。いやはや、空母の料理は美味い。いや、正確に言えば海軍の料理は全体的に美味なのだ。そうでもしないとやっていけない。職場環境というのは大事だ。と

 

「あややー、にとりさん独り飯ですか?」

「…………文、冷やかすならスパナでカメラ叩き割るよ?」

「おぉ、こわいこわい」

 

 ひょっこりと顔を出した私の旧友、射命丸文。彼女の手にも昼食のプレートが握られて、その首からは愛用のカメラがぶら下がっていた。大方ネタ探しをしてお腹が空いたからここに来たといった感じだろう。

 

「で、なんか面白そうなのはあったかい?」

「いやですね、ここの医務室の主治医は大手薬品メーカー八意製薬の社長自らが受け持っていると聞いたのでそのインタビューに行ってました」

「あー、なるほど。そりゃ格好のターゲットだ。で、なんか聞けた?」

「門前払いでした」

「だろうね」

 

 あむ、と私はサラダを口の中に放り込み、文もオニオンスープを一口入れる。寒い日にはうってつけである。ああ美味しい。

 

「ところで今日はお休みで?」

「うん。今日は散歩が中心かな」

「あちらに鬼神がいらっしゃいますけど、声かけなくていいのですか?」

「…………いや、私の付け入る場所はないよ」

「……これは失礼を。相当好きなんですね」

「そりゃ、ね。彼と会うまでは機械が恋人だったからね」

 

 よくまぁこの女は私とつるんでいたものだ。どうしてまた私に関わっていたのかね?

 

「面白そうだったからです」

「取材対象かよ……」

「いやまぁ、当初は確かにそうでしたけど、接していくうちにあなたのことはどうも放っておけない存在になりましたね。いい意味でも悪い意味でも、ね」

「とんだ物好きがいたもんだね」

「全くです。でも退屈しませんでしたよ。あなたは本当に強い人ですからね」

「…………そうでもないよ」

「うん?」

「……私は、弱い奴だよ。みんなそう言ってくる。けど、皆がいうほど私は強い奴じゃないよ。むしろ、点で脆い」

 

 口に運ぼうとしたプチトマトがフォークから落下して、プレートを転がる。それを文がひょいと指で摘みあげてふむ、と唸る。

 

「まぁ、知ってましたけどね。強い、と見せかけて本当はとてつもなく弱い。ありがちな意地っ張りな人のあり方ですね。確かにあなたは結構脆い存在ではあります」

 

 なんだよ、知ってるなら強いなんて言わなければいいじゃないか。そういうお世辞はそんなに好きじゃないんだから勘弁してほしいね。

 そう思う私だったけど、その考えは彼女の次の一言によってそれこそ脆くも崩れ去ることになる。

 

「けど、そんな風に自分の弱い所を誰か一人にでも言う事が出来る、それはある種の強さなのではないのでしょうか?」

 

 あむ、と文はプチトマトを口に放り込んだ。私は彼女の顔を凝視する。適度に噛んだ後の見込み、片目を開けて私の表情を確認した文は満足そうな笑みを浮かべる。

 

「本当に強い人と言うのは、自分の弱みを見せる事が出来る人です。多くの人の前では強者の仮面を被ることはあるでしょう。事実それがあるべき姿なのです。しかし、その仮面を脱ぎ、本来の姿をさらけ出すことが出来る人物が居ると言うのは大きいです。誰かれ構わず仮面を被り続けるのは、自分を殺していくのに等しい。仮面が二度の脱げなくなれば、もう自分は強者で生きていくしか無くなる。強い自分でなければならない。けど、残念ながらこの世に絶対強者なんていないんですよ」

 

 フォークでサラダをつつき、野菜を口に入れて文は噛みながら唸る。「少しドレッシングの味が濃いですね」と言いながらお茶を口に入れた。

 

「例えば、そこそこに知識がある人が周りから『何でも知ってる人だ!』『この人はすごい!』と言われたとしましょう。知識がある人は次第に名声を浴び、様々な人から様々な事を聞かれる。やがてその量が多くなり、自分では把握しきれない量になってしまう。しかし、知識のある自分、誰にでも聞かれる自分と言う名声を守るために、出まかせ、知ったかぶりをするようになる。そして、それが世間にばれて崩壊する。これが典型的なパターンですね。自分の弱さを認め、それを打ち明ける存在がある。それが、本当に強い人ってことです」

 

 文はサラダを完食してメインディッシュのローストビーフにありついた。先に野菜から食べてお楽しみを残しておく性格なのだろうか。思えば彼女のこういう仕草にも気を止めた事が無かった。ちょっと新鮮。

 

「ま、かといって弱みを多くの人に見せるとただの凡人か、最悪弱者ですね。それだけは逃げられない。強者になろうとしても意地張り続けたって何の得にもならないんですよ。故に」

 

 フォークを置いて、文は天を仰ぐ。その目にはまるで光が見えず、本当に底なし沼のような濁りを見せていた。さっきまで好奇心で溢れていた瞳は消え失せ、まるで屍の様な射命丸文が一瞬だけそこに居た。

 

「私は、弱者の方ですよ」

 

 その言葉が何を意味しているのか。昔の自分なら分からなかっただろう。けど、今なら分かる。彼女の言葉を聞いた私ならはっきり分かる。彼女は、私の前では決して涙を見せることはなかった。気丈に振舞い、軍が私にした仕打ちを世間に知らしめるために走り回った。彼女は一体どこで涙を流したのだろうか。仇である私を目の前にしても顔色一つ変えなかった。自分で自分を弱者と、彼女はそう言った。

 

 しかし、本当にそうなのだろうか? 私は、陰で泣く彼女の姿を見たのだ。一度だけ、薄暗い廊下の隅で泣いている彼女を見たのだ。弱みを見せたくないのなら、自分の家で泣けばいいのに。耐えられなかったかもしれない、と言う説を少し考えたが、それまで気丈に振舞っていた彼女があんな所で泣くとは思えない。

 だから、本当は見つけてほしかったのではないかと思う。文、君だって私に見せたかったんじゃない? 恋人を失っておかしくなりそうな自分を。けど、言いたくても言えなかったんだと思う。私が当事者だったから、私に言えばもっと壊れていきそうだったから、言えなかったのだ。

 

 彼女を弱者にしたのは、ほかならぬ私なのだ。

 

 

 

 

 私がどうにかしてサイファーを振り向かせようと計画してそこそこな時間が経過していた。最初こそ偶然を装って生身の肌を触れさせてみたり、手を触ってみたりと、今思えば中学生かと言いたくなるようなアタックだった。

 

 その一方で露骨な私の好意に気づかれないように、彼が私の胸にアタックを仕掛けようとしたなら迎撃活動もした。軽い女とは思われたくなかったし、ほんの少しだけまだ怖かった、という点もあった。実際、サイファーになら私は何をされてもよかったんだけど。

 

 そんな私を知ってか知らずか、あいつは相変わらずめきめきと腕を上げていく。周りからは鬼神の再来と言われるようになり、私も何となく嬉しくなる。だって彼の機体を整備しているのは私なんだから。整備した機体のポティシャルを最大限に発揮してくれるのだ。メカニックとしてはこれほど嬉しい事はない。

 

 一年、二年とサイファーと過ごし時間が延びていく。環太平洋戦争がはじまり、私の本来の役目を行うその直前くらいになって私はもっと大胆になれるようになった。ほぼ下着同然の格好で部屋に乗り込んでお酒を飲んだり、ツナギの上半身だけ脱いでスポーツブラで強調した自分の胸をちょっと見せつけてみたり、色々やった。基地の男たちの視線がやったらめったら増えたけど、その中にサイファーもいる訳で効果的ではあると確信した。

 

 それで、私は一回目の勝負に出た。ファーバンティでY/CFA-42のレールガン受け取りの時に、寝起きの彼の部屋に乗り込んでやった。こんなスタイル抜群(自分で言うのはあれだと思うけど)の女が同じ布団に潜り込んでるのだ。普通の男がここまでして持つはずが無い。理性のタガが外れても私は一向に構わなかった。

 

 なのに、思っていた以上に君は堅い奴だった。寝たふりをする私に、親切にも毛布をかぶせて朝食を買いに行った。小さく布団の中で、「バカ」と言った。なんで、なんでだよ。私じゃ君の願いは叶わないって言うのかい? 私は君に女として見られてないって言うのかい?

 

 悔しくて布団を頭からかぶった。なんだか無性に悲しくなって嗚咽が湧きあがるが、深く呼吸をして体を落ち着かせる。と、呼吸の際に私の鼻孔を通過した酸素の中に、ほのかな汗の臭いと、人間個人が持つ独特の匂いがした。

 唐突に、私は今サイファーの使っていた布団の中に居ると言うことを認識した。そうだ、これはほんの一分前までサイファーが使っていた布団なのだ。寒い冬の中温もりを持ったこの掛け布団、そしてこのベッドも、ベッドのシーツにほんの少し沁み渡った寝汗も、彼の物なのだ。

 

 我ながら危ない考えをしていたと思う。けど、まるで媚薬のように彼の匂いは私を満たしていき、体の奥底がジワリと熱くなるのを感じた。サイファーに、抱かれている。体すべてが包み込まれている。今私は、彼の中に居る。そう思った瞬間、私の右手がゆっくりと太ももの方にまで伸びていった。

 

 もし今彼がここに居たら、私に触れてきたらどうなってしまうのか。そうなって欲しい、そうして欲しいと、体が訴えかけていた。私の純潔を奪った男たちは道具として扱ってた。けど、サイファーならどんなふうに扱ってくれるだろうか。本当に大事に、仮に私を愛していたとしてどんな抱き方をしてくれるのだろうか。

 

 興味は好奇心に、好奇心によって分泌されたアドレナリンが私を満たしていく。息が荒い。もっと彼の事を感じていたい、もっとそばに居たい。壊れそうで壊れそうで、私の手は太ももをいやらしく撫でまわし、まるでそこだけ別の生き物の様な気がした。だめ、今そんなことしたら絶対止まらなくなる。もう歯止めが利かなくなる。だからお願い、耐えて。

 

 右手の進路を捻じ曲げ、どうにか両肩を抑える形で封じ込める。でも火照りが収まる気配は一切ない。耐えられる自信が全くない。こんなの、私にとっては媚薬付けと全く同じだ。堕ちるしかない。ダメだ、布団から出ないと。どないと本当に壊れる。

 

 でも、出たくない。もしかしたら今までで一番サイファーの事を近くに感じているかもしれないのだ。彼も拒絶しなかった。ならいいじゃないか。ここに居ていいじゃないか。

 

 息の荒さは激しくなり、私の火照りも増していく。右手がまた無意識のうちに私の体の下の方へとゆっくり伸びていく。それを察知した脳内も、「少しだけ……少しだけ……」と完全に言う事を聞かなくなっていた。見つかったらどうしよう。なにをされるんだろう。お仕置きでもされるのだろうか。でも、それでもいい……何でもしていいから……。

 

 私の事を、満たしてよ……と、体の疼きはただ増すばかりだった。

 

 

 

 

 食事を終えて、文は記事づくりをするからと自室に戻っていき、私もどうしようかと考える。サイファーは既に退席済みで、どうしたもんかと歩きまわる。やまとちゃんは私の代わりに副主任として整備に没頭している。まったく頑張ってくれてるから私あんまりいらないかもしれない。いや、後継が出来るのはいいことだ。

 

 さて、どうしようか。そう思った矢先に、私の目の前に黒い修道服を着て、緑色の髪の毛を黒い帽子から覗かせている小さなシスターさんが現れた。

 

「そこのおねーさん。よかったらお姉ちゃんの所でお茶でも如何ですか?」

「…………じゃ、いただこうかな」

 

 古明地こいし。地霊教会ヴァレー支部のシスター、古明地さとりの妹。一応乗艦リストにはあるのだが、神出鬼没で乗ってるはずなのに全く会った気がしない不思議な子。ふとした瞬間にすれ違っている事に気がついたりするのだが、面と向かって話した人物はそうは居ない。

 しっかりと認識して会話が出来た人は幸せが起こるか、悩みを持っている人のどちらかであるとすら、艦内の乗組員からは言われている。さて、私の場合はお悩みなのかな?

 

「ううん。お茶に誘うからお悩みじゃないよ。お話ししたいだけ」

「君が私に?」

「そうだよ。いつもお姉ちゃんばかりでちょっとつまらないもん」

「そっかー、色々話したいよね。でも空母にはいっぱい人が居るのに何で話さないの?」

「みんなエッチな目で私の事見るんだもん」

「そりゃ難儀だね……この空母に乗ってると男はロリコンになるのかな」

 

 そう言えば私たちが来るまで艦内の女性陣はこなたとシスターたちだけだったとも聞いているが。エロい目で見るって言ってもこの子まだ十歳超えてそんなに経ってないだろうに、もう男たちから狙われるなんて。あいや、あんまり目立ってないからそうでもないと言えるかな。

 

「じゃ、一緒にいこっか」

「はいよ」

 

 そう言われて案内された地霊教会空母ヴァレー支部。中に入ると相変わらず人形のようにそこに座っているシスターさとりが居て、にこやかに私の事を迎えてくれた。お燐が心地よさそうにその膝の上で丸くなってる。そしてテーブルの上にはまるで知っていたかのように、私たちの分の紅茶が用意されていた。

 

「ようこそ、にとりさん。お勤めご苦労様です。包帯の方はもういいのですか?」

「うん、そこそこ動くようになったよ。月末くらいになれば仕事でも動かせるようになるかな」

「それは何よりですね。皆さんあなたが居ないとやはり落ち着かないと言ってます。特に、可愛いお弟子さんがね」

「やまとちゃんが? 参ったな、今はあの子にまかせっきりだからな……独り立ちでもいいかなとは思うんだけど、やっぱりもう一年くらい見ておきたいってのが本音かな」

「ふふふ、教え子が居るのも楽しそうですね」

「お姉ちゃん、お姉ちゃんもお話しするのはいいけど今日は私もお話ししたいのー」

「はいはい、悪かったわね。申し訳ありませんが少し妹に付き合ってあげてください。私は少し買い出しに行ってきますね」

「あ、はい。お気をつけて」

 

 しなやかな動きでシスターは席を離れ、音を立てることなく協会から出ていく。私はそれを見送って向かい側にいるこいしちゃんに向き直ると、無邪気そうな顔でクッキーを「あーん」と食べて、足をふらふらと揺らしていた。まったく不思議な雰囲気を持った子だなと思う。

 

「でさ、お姉さん。鬼神さんのこと好きなんでしょ? なんで好きになったの?」

 

 と、なんでこの子がこんなことを知っているのかと問いただしたくなるとは思うが、もうこの子には何を聞いても無駄なのでスルーして平然と答えるのがベストだと覚えたため、特に気にせず答えてあげる。

 

「そうねー、初めて私の存在を認めてくれたからだよ」

「褒められたりしたの?」

「うん、そう。昔へまやっちゃってさ、あんなにちやほやしてた周りが一瞬で私を要らない子扱いして捨てられたも同然だったんだよ。でもね、サイファーは私のことを必要だって言ってくれて、一発KO」

「単純だね」

「純粋と言ってほしいかな」

 

 口が達者なことで。シスターの用意してくれた紅茶を口に入れると、こいしちゃんがクッキーを差し出した。なに、あーんしろってこと?

 

「お姉さんあーん」

「……はいはい、あー、むっと」

 

 もぐもぐと地霊教会印の手作りクッキーを飲み込む。いやはやこれは美味い。こんなに紅茶と合うものがあるなんて、これを知らない世の中の人間は人生の五分の七を損しているに違いない。というか何でこんなことをするかね。

 

「でもさ、鬼神さんもう恋人さんいるんでしょ? しかももうお嫁さんになるって話もしてるとか」

 

 それを言うか小娘め。君は純粋を装った腹黒娘じゃないか。なんて厄介な奴。薄々は感じていたが、この子の腹には相当厄介な虫が隠れているようだ。いいだろう。少し相手してやる。

 

「そうだね。叶わぬ恋ってやつだね。でも分かってるさ。私はしばらくまだあいつのこと好きでい続けるんだと思うよ。でも取り分け生活や仕事に支障が出るほどでもないから、今はそれでいいと思ってるし、むしろこの方がまだ居心地いかな、とは思うな」

「ふーん。でもそれでも辛いものは辛いんでしょ? 早く忘れたほうがいいと私は思うなぁ」

「そういうだろうね。でもこいしちゃん、君は本当に人を好きになったことがあるかい? 命を懸けてでも、自分のすべてを捧げてでも一緒になりたいと思う人が、少しでもいたことはある?」

 

 私のその問いかけに、少女はしばらく考えて首を横に振った。まぁ、当然だろう。空母暮らしなんてしてれば同年代の異性と関わることなんてほとんどないに違いない。

 

「好きになった人はいないけど、大人の男の人の味なら知ってるかな」

「ぶふぅううう!!!」

 

 ああ、何と鮮やかな紅茶の噴水。地霊教会ヴァレー支部の内部を美しく飾り付ける。この小娘め、私のこんな姿をさせるなんて、恐ろしい奴だ。いやいやそれはいい、男を知ってるって? まさかこの子夜な夜なこの空母の誰かの部屋に入るなりして食い散らかしていると言うのだろうか? だれか薄い本を早く。いやいや違う違う。

 ……あまり追求しない方がいいかもしれない。

 

「うげっほげっほ、えっとだね、こいしちゃん……取りあえずそれは置いておこうか。本気の恋愛ってものはした事はないんだよね?」

「うん」

「なら、君が理解するには厳しいだろうね。人にもよるだろうけど……人を好きになったら本当に人は壊れてしまうよ」

「そこから立ち直る立ち直らないのが人間としての境目じゃないの? 叶わない人を思い続けて夢を見続けると、いつか自分が壊れてしまうこと間違いない。他人からしてみれば本当に無駄な事なのに。お姉さんは、本当にそれでいいの?」

 

 じっと、彼女が私の瞳を覗きこんでくる。まるで吸い込まれそうなその瞳から目を離すことが出来ない。ぐんにゃりと視界が揺らぐような感じがして、しかし私は目を話すことが出来なくなる。

 

 ここまで言われるとまぁ腹が立つことは間違いないだろう。それでもって、正論なのだからぐうの音も出ない。そのせいでイライラが募る事間違いないだろう。だが、こいしちゃんから発せられたこの言葉は、まるで人の人格を捻じ曲げるような、そんな感じがして目が離せなくなる。

 心臓の鼓動が速くなって、思わず唾を飲み込み、そんな私を少しだけ楽しむかのように「ねえ、どうなの?」と追い打ちをかけて来る。並大抵の人間だと、そのまま意識を失いそうな感覚だ。

 

 人を怒らせるのではなく、自分を疑い、否定したくなるような言葉だ。並大抵の人間が聞いたらこれだけで一カ月廃人になれそうだ。

 

 でも、彼女には残念ながら(なにが残念なのかはさておいて)今の私ははっきりと、冷静に私はその言葉に受け答える事が出来るだけの成長をしていたと実感することになる。

 

「けど、残念なことに私は彼を思い続けることその物が幸せと思うようになってしまったんだ。病気同然、もはや依存。私は、もうこれでいいんだよ」

 

 そう。彼に振られた時。彼が優しく私の事を抱きしめてくれた時。そして、彼が最も愛する女性の存在をこの目で確かめた時。無意識のうちに、私はこうやって生きていくことを決めたのだろう。それを自覚したのはつい最近。認めてしまうと意外と楽になった。なにが起きるか分かったもんじゃないね。

 

「ふーん……お姉さんは本当にそれでいいの?」

「うん」

 

 やや意外そうな面持ちだったが、こいしちゃんは自分の言葉が届かなかったことに対して飽きたのか、カップの淵に指を当ててくるりと一周させる。

 

「……やっぱり私には恋愛なんて分からないな~。非効率なだけじゃん」

 

 と、こいしちゃんが大きく伸びをして椅子の背もたれに体重を掛けたのと、教会の扉が開いたのがほぼ同時だった。

 

「そう言う考えしかできないから、あなたには教会のシスターは向いていないって言ったのよ」

 

 扉が開く音と同時に、シスターがコンビニ袋片手に戻って来ていた。一体いつから聞いていたのだろうか。本当にこのシスター姉妹はよく分からないことが多すぎる。

 

「妹がとんだ御無礼を言ったみたいで、どうもすいません」

「いやいや、中々肝の据わった妹さんだね。将来は大物になるよ」

「私としては、普通の女の子として普通に生きて欲しいのですけどね」

 

 やや憂鬱そうな顔でシスターはーこいしちゃんの頭を小突く。軽いお仕置きなのだが、本人えへへと嬉しそうな顔である。まったく効果が無いのが目に見えている。

 

「私もシスターやるの~」

「あなたがやろうものなら依頼人の大半が鬱になってしまうわ。あなたの言うことは正しいけど、言っていいことと悪いことの区別がついてない。正しいことすべてを言うのが正解じゃないのよ」

「分からないな~」

「それじゃあ、シスターは向いてないわね」

「もー、お姉ちゃんの分からずやー!」

 

 こいしちゃんがぷんすかと勢いよく立ちあがると、すたこらさっさと教会から出ていった。私はただ見ることしかできなかったのだけど、シスターは慣れた素振りで紅茶を飲むと、「気にしないでください」と一言添えてくれた。

 

「いつものことです。その内帰ってきますよ」

「そうなんですか……」

「妹の言ったことは気にしないでください。と言っても、今のあなたならさほど影響はないでしょうけど」

「もう少し前ならかなりえぐられてましてけどね」

「それは幸いです」

 

 その後、適当に私たちはお茶を飲みながらその語を過ごして、時刻は夕刻になろうとしていた。そろそろお暇した方がいいだろうと私は教会をあとにする事にした。ちょうどその頃になって、こいしちゃんが何事もなかったかのように戻って来て、私にお辞儀をしてお別れをした。さっき言われたことすべてを忘れているかのようで、本当によく分からない子だった。

 

 

 

 

 そんなこんなで、私は飛行甲板へと訪れて海に沈もうとしている太陽を座って見つめる。今まで忙しくて、外のことしっかり見たことが無かった。こうしてみると案外いい物だ。しばらくの間ヴァレーで過ごしてたから夕焼けの海なんて本当に久しぶりだった。

 

 思えば、たった一ヵ月半前まで私は激動の選択や行動をいくつも迫られた。その結果少なからずの犠牲だって出た。私のしたことは罪深いことだろう。死んでいったみんなは、私の事を恨んでいるのだろうか?

 

 でも、その中でも一番私の脳裏に残っているのは、ヴァレーから脱出する時、自分の死を覚悟した。でも最後に一つだけ叶えたかった自分勝手過ぎるわがまま。脱出の直前、私が奪ったサイファーの唇の感触。それが私の脳裏に強く焼き付いていた。一番覚えていなければいけない事よりも、やはり自分が最も幸せだと思ったことが脳裏に焼きつく辺り、酷い物だと思う。

 結局のところ良い訳にならないけど、嫌なことは考えたくない物だし、一番思い出したくもない。ただ、忘れてはならないのだろう。みんなは戦争なんだから深く考えすぎるのはよくないと言ってくれる。それが大きな救いだ。

 

 そっと、自分の唇に触れてみる。冬場でやや乾燥気味の唇は、私の指をそっと受け止める。あの時無理矢理押し付けた私の唇。そしてその向こうに確かにあった彼の感触。あの瞬間、私は自分の意思で大切な人の味を知った。ただのせい処理道具としか唇を塞がなかった男どもとは訳が違う。

 あの時ほど、時が止まったら良いのに思ったことはないだろう。そして、絶対に実ることのない私の恋の告白。答えを聞くつもりはなかった。あのまま格納庫ごと自爆するつもりだったから。サイファーに鍵を渡しはしたけど、正直あのまま逃げてくれると思っていた。鬼神の愛弟子とは言え、彼には帰るべき家があるし、恋人だっているのだから。淡い期待と言う奴だった。

 

 でも、彼は来た。それもヒーローその物の様な登場をして。私を整備士に育て上げ、そして私の体に大きな傷を埋め込んだ師とも呼ぶ男に殺されかけた私を彼は助けに来てくれたのだ。たった一人で白兵戦をしてまでここまで来たのだ。涙が出そうで、そしてまた深く惚れこんでいくのが良く分かった。

 

 脱出に成功して、一時は三途の川を渡りかけた身だけど、いざ助かったとなると今度は仲間が死んだという知らせを聞いて相当ナーバスになってしまった。せっかくもらった命を、また捨てようとして、ゆたかちゃんに止められた。あの時の顔はある意味一番怖かった。基地に来た当初の弱々しかった少女とは思えない成長ぶり。お姉さん涙出そうだよ。

 

 そのおかげで明確な告白の答えを聞く事も出来た。案の定の玉砕。分かってはいたけどいざ答えを聞くと結構来るものがあった。まさに完全敗北。私の孤児はこれで終わり。サイファーとも微妙な距離になるだろう。

 

 そう思っていたのに、彼は私の事を優しく抱きしめてくれた。たった一人で戦い続けて来た私の事を褒めてくれて、慰めてくれて、大きく感謝してくれた。

 その言葉は深々と私に突き刺さって、それまでの全ての我慢をぶちまけた。私が飛びこんだ彼の体はとても広く、とても優しく、とても安らげる場所だった。

 

 正直、泣き始めた後なんて言ったのか覚えてない。ただ、サイファーのフライトスーツがぐしょ濡れだったのは覚えている。我ながらよく泣いた物だ。

 

 意識を戻して、再び海を見つめる。赤道近くの海域を航行しているから、思いの外薄着でもどうにかなりそうかなと思っていた。けど、約30ノットで航行する空母ヴァレーの風はどうも冷たく、やや薄着で来てしまった私は早速後悔する羽目になってしまった。

 一度取りに行こうかとも思ったけど、どうせなら日が沈む瞬間を見ていたいし、せっかくだから我慢することにした。

 

「よう、なにやってんだ?」

「…………夕日を見てるのさ」

「黄昏の整備士ってか?」

「そんな所かね」

 

 胸が高鳴る。ああ、会えた。話す事が出来た。今私に犬の様な尻尾があったら千切れそうになるほど振り回していることだろう。

 私が首を右に向けると、これまたいいタイミングでいい所を持って行く最高にずるい奴がそこに居て、私の事を見降ろしていた。本当にいいとこ取りが好きだね、君は。

 

「今日は珍しく顔出さなかったな。ま、怪我人のお前はその方が一番なんだけどな」

「じっとしているのは嫌いなんでね。でもたまには世間話したりだらけるのも悪くなかったよ」

「もっともだな。しばらく忙しかったから時間の感覚おかしくなりそうだ。カレーが無かったら曜日が全く分からん」

「ふふっ、本当にね」

 

 私の隣に立つ男は、それからしばしの間夕日を堪能していた。彼も意外とロマンチストだからそれなりに思う事があるのだろう。あれだ、母校とかに久々に帰ったらとことん懐かしんだりするタイプ。

 

 最も、こいつに関しては空を飛んでるときでもいつでもそんな感じだ。より海面に近い所で沈んでいく太陽を見たのは私と同じく久しぶりだろう。

 

「故郷にな、俺とスザク、それと海里と夏芽しか知らない秘密の場所があるんだ。そこからなら街を一望して、その向こうには海、それでもって水平線に沈む夕日が時期によってはど真ん中に見えるんだ。今は近くにスザクの妹の墓が立ってる。ただ山の中にあるから、ガキの頃はそこまで行くのに一苦労でさ。ま、学生になったころなら結構余裕だった。それがちょっと懐かしくてな、ここ五年は行ってない」

「帰ったのが合計で一週間だもんね」

「ああ。だからこの戦いが終わったら俺は故郷で海里と暮らすことにするわ」

「うーわ、それ完全に死ぬよ。フラグ超立ってるよ」

「あえて立たせまくって死なないようにすることにした。だから海里には毎日戦いが終わったら結婚しようって言ってる」

「毎日はキモイ」

「本人にも言われた」

 

 そりゃ言われるわ。私は呆れて溜め息を吐いて、でも次にはほんの少し笑みを浮かべていた。そんなバカをいう君が愛おしくて、ついつい顔が柔らかくなってしまう。我慢もしなくなったから、顔も赤くなってるだろう。夕日のおかげで幾分か誤魔化せるのがありがたい。

 

「へっくし!」

「ん、寒いか?」

「あー、まぁね。ちょっと暖かいかなと思って上着置いてきたんだけど、船が進んでる以上寒かったわ」

 

 ずるずると鼻水をすすりあげると、後ろからふわりと何かが羽織られる。私はそれに触れながら顔を下げて確認してみると、彼がいつも着ているフライトジャケットだった。

 

「寒いのに強いって言っても、そんな状態じゃ説得力無いな」

 

 寒いのに強いんじゃなくて、君の視線を集めるためだったんだけどね。とは言わず、私は「ありがとう」とジャケットに袖を通す。まだ体温が残っていてちょっと得した気分。

 

 夕日が半分以上水平線の向こうに沈み、じっと見つめていれば意外と速い速度で沈んでいくのが分かった。瞬き一階に回とするたびにどんどん小さくなって、空の色が茜色から濃紺へと変わっていく。今日見た夕日と全く同じものは私が生きていく内で見られることは絶対にない。その日見た物が最初で最後の景色。それを考えてみると、一日一日の事を大事に見ていきたいと感じてしまう。

 

 そして、ついに太陽が沈み、私たちの顔は陰に包まれてしまう。後ろを向けばもう既に夜が始まっていて、ジワリジワリと私たちを覆い尽くそうとして居た。

 

 私は、サイファーの顔を見る。夕日が沈んでも尚その先を見ようとしている顔で、現にそうしているのだろう。どうしてそうしようと思っているのかは私には分からない。けど、それが今の彼を作り上げたのだろうと言うのは理解できる。

 

 きっとこの先、私河城にとりはサイファー以外の人間を好きになれないんだと思う。ううん、間違いなくそうだ。戦争が終わっても、どんなに良い男が言い寄って来ても、私の心を満たしてくれるのは彼だけなのだ。

 

 そう、まるで麻薬の様な存在。いつだってそう。私の心を壊していくのはサイファー。そして、私の心を癒してくれるのもサイファー。どうしようもないサイクルがこの先永遠に続くのだ。

 

 でもそれでいい。私はそれが幸せだと感じるようになってしまった。彼の事を想い続ければ、彼の傍に居続ければ、それでいい。そしてどんな形でも私の事を必要としてくれれば、私は一番幸せなのだ。

 

 病気だ。中毒だ。依存だ。そして情けないと、皆がそう言うだろう。

 

 でもいいんだ。私の在り方を決めるのは他人なんかじゃない。私なんだ。

 

 だからね、サイファー。この戦争が終わっても君の傍に居たいんだ。もし良かったらさ、君の専門の整備士として一生を過ごしたい。君がこの戦争が終わったら海里と結婚すると思ってるように、私は戦争が終わったらISAFをやめて君の専門の整備士になりたいんだ。君の生まれた町も見てみたいよ。だから、連れて行ってくれないかな?

 

 もし、サイファーが迷惑じゃなかったら、ね。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。