ACE COMBAT ZERO-Ⅱ -The Unsung Belkan war- 作:チビサイファー
辺りはすっかり暗くなり、わずかに明るみの残る空だけが頼りとなった旧市街地は恐ろしいほど静かで、まるでそこだけ時が止まっているような不気味さを持って逃げ込んだスザクとやまとを受け入れた。どうにか追手を掻い潜ってここまで来たが、やまとはすっかり息が上がって足元がふらふらな状態で壁にもたれかかっていた。
(さすがにもう無理か。あと一息なんだが、もしかしたらこの判断は間違っていたかもしれない……いや、民間人を巻き込めない以上結果は同じか)
くそったれめ。スザクは歯を食いしばった。いったい誰が自分たちを消したがっているのなんて考えなくてもすぐに分かる。ベルカの奴らはここまでしてくるというのか。自分だけならまだしも、やまとまで狙ってくるなんて。いや、敵からしてみれば当然だろう。最大の脅威ともいえるヴァレー上がりの戦闘機乗りと整備士。その二人が丸腰で街中を歩いているのだ。少し人気のないところにおびき寄せれば誰にも悟られずに消すことは容易だろう。
そして、この立地である。誰も居なくて明かりもない旧市街地。壁のあちこちには銃撃や爆撃の被害の痕。銃弾の一発二発撃ったところで気づかれることはない。遺体が残ったとしても回収してしまえば証拠はほぼ残らない。しかし、自分たちにはここしか逃げる場所はなかったのだ。
どうにかして四方を高いビルで囲まれた路地に転がり込んだ。ここなら仮に狙撃手がいるとしても狙いを定めるのは容易ではないだろう。だが安心はできない。スザクは周囲にまだ殺気を感じていた。背中がピリピリするこの感触、戦闘機で背後に着かれた時と同じで不愉快だった。
「兄さん……これからどうするの……?」
やまとが不安そうな顔でスザクを見上げる。正直何も考えていないというのが本音だ。いや考えてもそう簡単には答えが出ない。動くならとにかく援軍が欲しい。試に携帯を取り出してみるが、電波は『圏外』という今この状況では最悪の二文字を表示していた。こんな爆撃と銃撃を受けて放置された市街地だ、電波が通らないのも無理はない。敵はそこまで考えていたのだ。
「基地までもう遠くはないが、走り続けて二十分って言ったところだ。サイファーたちに連絡を取りたいが、電波がこれだとな」
「そう……よね」
やまとの顔色が悪くなる。いかん、不安な気持ちを煽ることになってしまったと、スザクは後悔する。こういう時どう対応したらいいのか少し困ったが、昔妹と山の中で遊んで迷った時のことを思い出して、そっとやまとの頭に手を置いて軽く撫でまわした。
「大丈夫だ、何とかなる。俺がちゃんとお前を無事に連れて帰るから安心しろ」
こんな状況下で安心しろというほうが無理そうなのだが、それでもやまとにとってはありがたい一言だった。頭を撫でるスザクの手が心地よくて、少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。
対するスザクはそんなやまとの顔を見て少しだけほっとする。うまいこと緊張が和らいだこともあるが、それよりも拒絶しなかったことのほうが意外だった。そういえばこいつの頭を撫でるのって初めてじゃないだろうかと気づく。さっき手を握ったことはすっかり忘れていたが。
「……大丈夫よね、兄さん」
「ああ。心配するな」
基地に変える予定時間はすでに一時間ほど過ぎている。連絡はできないが、パーティの準備をしているサイファーたちがそろそろ気づいて動いてくれるに違いない。それを狙って今は耐え凌いだほうが先決かもしれない。おそらく、スザクにできることはこれだけだろう。それまで周囲の警戒を怠らないことだ。
(幸いなのは相手がそこまで腕の立つ殺し屋じゃないというとこだな。殺気を隠しきれていないから俺たちの事を伺っているのは丸わかりだ。おそらくただの雇われた素人だろうか……いや、それにしては手口が巧妙だ。暗殺の仕方については痛いところを突かれているし、素人ならなりふり構わず襲ってくる。だがここまでじわじわと追いつめたということは、指揮している人間がいるということか?)
スザクは頭の中で憶測を立てるが、結論は出ない。相手の情報があれば少し大胆な動きができる。が、もし指揮をしている人間がいれば実行犯が素人だとしても予測される可能性がある。まったく、生身での戦闘がここまで心身に苦痛を与えるなんて。スザクは今後一切白兵戦をしないと心に誓った。
(幸いなのは相手がそこまで腕の立つ殺し屋じゃないというとこだな。殺気を隠しきれていないから俺たちの事を伺っているのは丸わかりだ。おそらくただの雇われた素人だろうか……いや、それにしては手口が巧妙だ。暗殺の仕方については痛いところを突かれているし、素人ならなりふり構わず襲ってくる。だがここまでじわじわと追いつめたということは、指揮している人間がいるということか?)
スザクは頭の中で憶測を立てるが、結論は出ない。相手の情報があれば少し大胆な動きができる。が、もし指揮をしている人間がいれば実行犯が素人だとしても予測される可能性がある。まったく、生身での戦闘がここまで心身に苦痛を与えるなんて。スザクは今後一切白兵戦をしないと心に誓った。
だが、待ち続けると言う事も叶わないだろう。この場にとどまって既に一時間以上経過し、やまとの精神的負担を考えるとかなり厳しい事は目に見えていた。銃の一丁でもあれば助かったのに。やまとに気を使ったせいでこんな羽目になるなんて誰が予想しただろうか。
しかし今更嘆いた所でどうしようもない。移動か待機か、この二つのどちらかを選ばなければならない。やまとの状態を確認するべく、スザクはそっと声をかけた。
「やまと、気分は?」
「まぁ……良い物じゃないわよ。なんて言うか常に針を突き付けられてる感じだわ」
「喋れるってことはまだ大丈夫だな」
「なによそれ」
「安心したって意味だ」
よく分からない、といったやまとの顔だったが、スザクはそれを見て思っているよりかは大丈夫だと言うことに安心した。伊達に修羅場を経験していないだろう。
「さてと、そろそろ移動したいところだがどこかにいい場所は……」
―カラン―
と、自分たちの背後で何か金属の塊が落下する音がして、二人は同時にその音がした方向に首を曲げる。暗くて一瞬何か分からなかったが、スザクは落ちた物が空き缶サイズの筒状の物が転がってるのが暗がりの中に見えて、そしてそれがなんなのかすぐに分かった。
「やまと目を閉じて走れ!!」
「えっ!?」
やまとの手を握って路地から一気に抜け出す。直後、凄まじい閃光と爆音が二人の神経を貫き、やまとは何が起こったのか分からずにただ瞼の奥が焼かれる気がして、なお且つ耳に針を突き刺されたかのような激痛に襲われてたまらなかった。耳が聞こえない。だが、かろうじて目を閉じていたおかげで視力だけは完全には奪われてなかった。
何より、スザクの手を握っている事が一番の安心材料だった。迷いなく走ってると言う事は、スザクは目を焼かれていなかったということだろう。
まだ耳が聞こえない。キーン、という音が頭の中に響いてくらくらする。だが、止まれば死ぬと言う事がスザクの手を通じてやまとに伝わる。足を止めてはいけないと自分に言い聞かせて走り続ける。
やまとの予想通り、スザクは完全ではないにしろ視界の確保には成功していた。とにかくどこか狭い路地が無いかと探す。耳元をチュイン、と弾丸がすり抜ける音がして背筋が凍る。足がすくみそうだ。だが止まれば死ぬ。それくらいなら走った方がいい。
スザクの視界にビルの隙間が目に入る。あそこがどこに続くか分からないが、どの道このまま逃げても同じだ。
「こっちだ!」
体を隙間に滑り込ませて二人は逃げ込む。その先に出口。行き止まりならアウトだったが、こうなれば運が良かったと言えるだろう。
そう思えたのは、ほんの少しだけだった。
スザクの目の前に銃弾が撃ち込まれ、思わず足を止める。目の前に撃ち込まれたと言う事は目の前にいると言うこと。つまり、挟まれたと言うことだ。
「に、兄さん……!」
やまとも察した。スザクはぎり、とまた歯を食いしばる。それに合わせてこつり、こつりと足音が近づいて来る。スザクはやまとを自分の真後ろに引き寄せる。やまとはスザクの肩を握りしめ、そのタイミングでビルの陰から一人の男が現れた。
「……お前か、さっきから俺たちを付け回していたのは」
現れたのはスザクよりも一回りほど年を食った男だった。その右手には二人を殺すには十分な殺傷能力を持ったサイレンサー付きのハンドガン。それを握る手は素人とは思えなかった。複数いる内の一人、主犯格とみて間違いないだろう。自分たちをおびき寄せたのはさしずめ素人の適当に撃ち込まれたとみて間違いないだろう。
「そう言うことだ。ここまで逃げられるとは思ってなかったが、流石は戦闘機乗りと言ったところだな」
こちら側の質問に答えた、ということは向こう側にはかなりの自信があるとみて間違いない。恐らくバックにはまだ何かいる。自分たちをここまでつけ狙うとは、確実に葬り去りたいと言うことだ。
「一応聞く。目的はなんだ」
「お前たちを消すことだ」
だろうな、とスザクは思う。そして、お前「たち」と言われてやまとを逃がすという算段が潰されたことに頭の中で舌打ちし、とにかく時間だけでも稼ごうと口を動かす。
「お前は何者だ。ベルカの残党過激派か。それともただの金か?」
「金……そんな物で我々は動きなどしない」
この反応。おそらくベルカ軍の高いプライドを持った元兵士と見て間違いない。ならば揺さぶりをかける事も出来るかもしれないと考える。スザクは言葉を選び、そして男はそのまま言葉を続けた。
「15年……我々は15年待ち続けたのだ……あの時に受けた我らの屈辱を晴らす機会が。そして、今まさにそれが完遂されようとしているのだ。金だと? 笑わせるな、我々の高貴なる使命はそんな物で叶う物では無い!」
「高貴なる使命だと? 笑わせてくれる。それがあの七つの核起爆とどうなるのか。まったくお笑いだ」
「黙れ! 我々をここまで惨めにしたのはオーシア、ユークトバニア、そして忌まわしき鬼を生み出したウスティオ! 奴らさえいなければ、我々の理想は世界を導く存在になることだって夢では無かった! 核を起爆させることだって無かったのだ!」
お笑いだ。それと同時にスザクは怒りを感じた。自分たちの故郷を焼いた奴らがこんなお花畑の人間の集まりだったなんて。頭の中を燃え盛る街と妹の千切れた右腕が頭の中をめぐり、喉の奥でこらえていた言葉を思わずスザクは口にしてしまった。
「くっだらねぇ……」
「なに?」
「下らねぇって言ったんだ。なにが使命だ、なにが理想だ、何が世界を導くだ……こんな下らないお花畑の連中のせいで何の関係もない人間が爆弾で吹っ飛ばされて、俺の……俺の妹もバラバラにされたと思うと虫唾が走るんだよ……」
「…………ほう、なら情報通りか」
「何の事だ?」
「貴様、シンリア出身だろう」
「!!」
スザクの中で何かが蠢いた。ぞわぞわと心臓を撫でまわすようなとてつもなく不快な感触。まさか、と思う。目の前の男はへらへらと嫌な笑みを浮かべて、スザクの苛つきを色ごく染めていく。
「みじめな物だったさ。田舎だと思って無警戒過ぎて笑いが出ると思ったくらいだ。おかげでこちらの憂さも晴れたがね」
「貴様……」
スザクの拳に血管が浮き出るほどに力が入る。やまとは背中越しにスザクの怒りが溢れ出て来るのを感じる。尋常じゃない怒り具合だ。やまとが思わず怖いと思ってしまったくらいだ。そして、このままだとまずい。やまとの脳髄がレッドアラートを叩きだしていた。
「君たちの事も少なからず調べてるのでな。残念ながら私は君の事は見た事は無いがな。爆撃機の中から下を見ていた物で」
スザクの脳裏に、あの時自分の真上を飛んでいたBm-335を思い出す。あの中に、妹の仇が居た。そしてその敵のうちの一人が目の前にいるのだ。
考えるよりも体の方が早く動いていた。ジャケットに忍ばせていたナイフを抜こうとしたが、次の瞬間に銃弾が自分の横をかすめ、後ろから悲鳴が上がった。
「あぁぁっっ!!」
「やまと!」
スザクが振り返ると同時にやまとの体が崩れ落ち、どうにか腕で支えるがすぐに右肩から血が流れている事に気がついた。恐らく深くは無いが、それでもスザクの脳内に千切れた妹の腕が重なる。
「無駄だ。私を含めお前たち二人を五人が狙ってる。私を撃ち抜いた所で集中砲火を受ける。素人とは言え四人から集中的に撃たれれば無事では済まないだろう」
スザクは少しだけ頭が冷えて、自分たちはもう戻れない位置にいる事にようやく気がついた。もうどうにもできない。くそったれ。
「殺すなら俺を殺せ!」
「残念だが二人一緒にというのがこちらの総意でな。厄介なパイロットに整備士、この二人が居なくなるだけで大きく変わるだろう。まずはそちらの小娘からだ」
黒光りする銃口がやまとに向けられて、スザクは恐怖が自分を舐めまわすのを感じた。そして、今自分が恐怖したことにまた恐怖する。また失うのか。大事な人を。こんなゲス野郎に。でも、何もできない。なぜ俺を殺さない。なぜやまとなのだ。なぜ。
「安心しろ、お前もすぐに妹の所に行ける」
トリガーに指が掛けられて、スザクはやまとを自分の後ろにかくまう。どうにかしてでも自分を盾にして守らなければならない。もうあんなのはこりごりなんだ。なんでこいつは二度も死ぬような眼に遭わなければならないのだ。こんなまともな死に方も出来ないなんて。
ダンッ! と銃声がして、スザクは思わず目を閉じる。だが、様子がおかしい。自分は無事で、背中にしがみつくやまともそのままだ。次にスザクの目の前に銃が転がり落ち、目の前のベルカ暗殺者は腕を押さえて悶えていた。
「な、なに……」
やまとが何が起きたのか分からないと言った顔で顔を覗かせる。俺が聞きたい。スザクはそう思ったがそれを見て体が叫んだ。
今だ、殺せ。
チャンスなのだ。今この絶対的不利な状況かを丸ごとひっくり返すチャンスなのだ。怒りが体を満たし、それは筋肉に驚異的な力を与えてスザクを押し出した。まるでばねの様な跳躍を見せて拳を握りしめて男の顔面にパンチを叩き込み、壁に叩きつけられて地面に転がる。更にそこへ追撃を加えて馬乗りになり、もう一発殴りこむ。
「ぐ……ぅ……だが、お前らもただでは済まんぞ……」
確かに話しではこいつ以外にも四人が自分たちを狙っていると、この男はそう言った。
だが、今のスザクには全く関係なかった。ただ目の前のこの男が憎くて仕方なかった。この歪んだ醜い顔を潰してやりたいと、血に染め上げて首を搔っ捌きたいと。憎い。ただ憎い。
「貴様らは……どれだけ奪えば気が済むんだ……」
今度は左の拳で殴り付ける。男の呻きが聞こえたが、全く何も情が湧かなかった。当然の報いなのだ。人を弄ぶ非人道を行った人間は死すべきなのだ。この男の、この男たちのせいで家族を、妹を色々な物を失ったのだ。
「一度ならず二度までも……俺の大切な物を奪おうとする……どこまでも腐りきった頭しやがって!!」
スザクは体を起して右足を上げ、全力でブーツのかかとを溝に叩き落とす。そのまま靴底を胸板に全体重を押し付け、更に何度も踏みつけて顔面を蹴り飛ばす。
「なにが理想だ、何が誇り高きベルカだ……そんなお花畑な事ばかり……反吐が出るんだよ!!」
顎を蹴り飛ばして、スザクはポケットのナイフを取り出し、逆手に持ち直すと男の胸倉を掴み、その切っ先を目玉の目の前に突き立てた。
「お前らの様な屑のせいで死んでいった奴らの恨み、存分に味あわせてやる……その目玉くりぬいて、腕切り裂いて、魚の餌にしてやる!!」
スザクのナイフが降り上げられ、そのままの勢いで振り下ろされる。目玉を貫通するのは目に見えている。もはや正気では無いのは誰が見ても分かることだった。唯一分からない人物がいるとすれば、それはスザクだけだ。
やまとは恐怖していた。いつものスザクの面影は全くなく、目の前の男はただ家族を失った報復をしようとする復讐者の顔をした何かだった。正直今すぐここから逃げ出したいくらいだった。だが、そうはいかないとやまとは思う。彼女でなければ間違いなく逃げだすレベルだ。止めろ。本能がそう叫び、その次にさとりの言葉を思い出した。
『あなたの想い人、少し心が歪んでいます。普通に過ごす分なら取りあえずは大丈夫ですが、何かのはずみでその歪みが広がって、取り返しのつかない事になるかもしれません』
これだ。もしこのままスザクの復讐が完遂すればさとりの言っていた取り返しのつかない事になる。それを誰が止める? 聞く必要も考える必要も全くない。やまとはたぶん人生で最凶レベルの反射神経と洞察力と腕力を発揮した。
振り下ろされたスザクの腕を止め、ナイフの切っ先が到達する寸前に受けとめることに成功する。その際筋肉と撃たれた右肩が悲鳴を上げたがどうにかこらえる。
「…………何のつもりだ、やまと」
「もう……もう良いでしょ……」
「何がだ」
どうにかアクションを起こすことはできた。だがその先の事を考えてなかった。気付けば怖くて体が震えていた。ぎろりと睨みつけるスザクの顔は憎悪に満ちた酷く醜い物で、だがここで引き下がるわけにはいかない。やまとは言葉を振り絞ってスザクを睨みかえす。
「もう十分よ! ここまでやる必要なんてないわ!」
「どこがだ。こいつらは故郷を燃やしつくした揚句にお前も殺そうとしたんだぞ。一度ならず二度までも俺の大切な物を奪おうとしたんだぞ!」
「だからってこんな酷い事をする必要があるの!? 抵抗する意思もないのよ! 状況もこっちが有利、敵の反撃もない、それなのに!」
「だがこいつらは戦争とは何も関係ない人間を焼き殺したんだ! 爆弾で、ミサイルで、機銃で家族は……妹は殺されたんだ! それを許せって言うのか!!」
「そうよ!!」
「っ!?」
スザクが驚愕の表情を浮かべる。何を言っているんだお前は。スザクはそう問いたくなる。急激に体を恐怖で包んでいく感覚。そう、裏切られたと言う感覚だ。なぜだ。何故お前は敵をかばう?
「何故だ……頭でも狂ったのか、やまと!」
「狂ってるのはあなたよ! 報復を報復で返す……それがどう言う意味か知ってるの!? 復讐からは何も生まれない……憎いだけじゃどうにもならない……もしこの男を殺したら、兄さんと同じような人があなたを殺しに来るかもしれない……もしそうなったら、今度は私が兄さんを殺した奴に復讐する、そしていずれ私も殺される、それが永遠に続くのよ! ならどうするかなんて……許すしかないのよ!」
「こんな理不尽の許しがあってたまるか! ならお前が許せばいい、俺に押し付けるんじゃねぇ!」
「この捻くれ者! 私が許す? 出来る訳ないでしょ!! 兄さんを失ったら……まともじゃいられなくなる……残される人間の身にもなりなさいよ! あなただって、残された人間でしょ!」
その言葉でスザクはまるで頭に水を大量に浴びせかけられた様な気分に陥った。突然周りが良く見えるようになる。霧の中から抜けたような気分。そして頭の中の上りきった血液が急激に冷却されていくのが手に取るように分かった。握っていたナイフがゆっくりと降ろされて地面に転がる。
もし自分が死んだら、やまとは自分の様になるかもしれない。やまとの手を真っ赤に血黒く染めることになるのだ。
自分の手を見てみる。血に染まった酷く醜い手。俺がやったのか。今自分がした事を思い出す。一方的な暴力。形は違ってもやったことは15年前のベルカと同じじゃないか。それを、彼女にもやらせようと言うのか。
「理不尽なのよ……大切な物を壊されても、それを広げないためには誰かが許さなければそうやって広がり続ける。私たちは、それを止めるために今までやって来たのよ……それを捻じ曲げたらダメ……」
やまとは赤く染まったスザクの手をそっと握る。冬の空気に晒され、血がべっとりと張り付いた彼の手の平はひどく冷たい。ぬるりとやまとの手に張り付く。だがやまとは気にせずにスザクの手を握りしめる。まるで怒りが吸い込まれていくようだった。スザクはまるでうわ言のように小さな声で言う。
「……ごめん……やまと……」
魂が抜けたかのような感覚だ。今まで自分のやってきたことすべてが無駄になったかのような気分。いや、半分はそうだろう。ベルカに復讐しようと幼少の彼は思っていた。だが成長するにつれてそれは無駄かもしれないと思う一方で、記憶の片隅にいる妹の体の一部が焼きつけられ、完全に忘れる事をさせてくれなかった。そして、目の前に復讐すべき相手が現れると言う絶好のチャンスが訪れた。絶好のチャンスだった。
それを諦めるのだ。今まで戦闘機乗りとしてやってきた物すべてが無駄になるのに等しい。それは大きいダメージになるのは間違いないだろう。だが。
それ以上にやまとが自分と同じ状態になる事の方が恐ろしいと言う事を知ったのだ。スザクはそれがとんでもなく恐ろしい事だとようやく理解した。
やまとはスザクの怒りが鎮まって行くのを直に感じる事が出来て、思わず力が抜けてしまう。もう大丈夫だ。スザクは自分の事をちゃんと見てくれている。
大きく息を吐く。スザクは顔を俯かせて脱力している。とにかく戻ろう。自分もスザクも休む必要がある。
そう思った瞬間、やまとはまだ自体が完全に終息していないと言う事を思い出し、しかしそれに気づくのが遅すぎたと言うことに気づくのもすぐだった。
スザクが押し倒していた男は二人を押し飛ばし、全く身構えて無かったスザクは壁に叩きつけられ、やまとも地面に転がる。恐らくこの状況を一番理解することが出来たのはやまとだろう。スザクは言うなればまだ寝ぼけている状態と同じといってもいい。少しでも早く動いてこの状況を打破すべきだとやまとは思考した。
だが、起き上がろうと動かした右肩は悲鳴を上げ、動きが止まる。それがまずかった。
男は飛びあがると同時にやまとに向き直り、馬乗りの状態になって胸倉を掴む。成人男性、それに元軍人の体重に少女の体が耐えられる訳もなく、そのまま肺が押しつぶされそうな感覚と喉を締め上げられる感覚で一瞬で呼吸困難になる。そして男の右手にはスザクの撮り落としたナイフが握られ、その切っ先はやまとの心臓に向けられ一機に振り下ろされる。
悲鳴を上げる暇もなかった。スザクに関してはようやく状況が理解し始めているくらいで今動いても間に合わない。本当に秒で争う様な一瞬だった。
それでもやまとには目の前で起こっている事がスローモーションになっていることに驚いた。そして自分の17年分の人生で覚えている限りの記憶が脳を駆け巡り、それが終わるとこれだけは考える事が出来た。
(あ……私、死ぬんだ……)
*
結局のところ、やまとは再び目を開く事が出来た。気付けば自分の上に馬乗りになっていた男はすぐ横で呻き声を上げ、手から血を流してうずくまっていた。スザクは何が起きたのか理解できてない顔で男を見て、それはやまとも同じだった。
「哀れな物だな。15年前に囚われ続けるとこうも人は腐るか」
後ろから新たな気配が現れ、スザクはようやく回り始めた頭をフル回転させて地面に落ちた銃を拾い上げ、やまとを自分に抱き寄せて銃口を向ける。
「おっと、落ち着いてくれ。俺は敵じゃない。河城にとりの依頼を受けた者だ」
「にとりの……?」
「ひとまず銃を降ろしてくれ。それじゃあおちおち話も出来ない」
現れた男は自分の持っていた銃を地面に置き、両手を上げて無抵抗を主張する。それを見てスザクは銃口を降ろし、目の前の男は溜め息を吐いた。
「俺はお前たちの護衛をするように言われて雇われた傭兵だ。ベルカの追手からお前たちを極秘で警護していた」
「警護だって?」
「ああ。もう少し早く到着したかったんだが、少々てこずってな。遅れたことには詫びを言おう。それで、だ」
スザク達を助けた傭兵は男に視線を向けて残った左手でナイフを拾おうとした男の目の前に立ちふさがる。
「お前には吐いてもらいたいことが山ほどある。灰色の男たちに通じている事は知ってるんだ。お前たちが一体どこで何をしているのか、どのくらい食い込んでいるのか調べてほしいと言うのも依頼主からの要望でな」
「金で雇われた犬が……!」
「ああ、そうだな。だが一応俺も大きな野望の名のもとに世界を敵に回そうとした事があるからお前さんの気持ちは分からんでもない。だが」
傭兵は憎悪で満たされた男の顔を見て、醜いなと率直に思った。自分ももしかしたらこんな顔をしていたかもしれないなと思うと笑いがこみあげてくる。まったく、漫画の様な顔だ。
「15年も引きずるほどでは無かったがな」
「…………そうか。貴様、元国境無き世界の人間か」
「そう言うこった」
「面白い……国境を消そうとした人間が国境を守ろうなどと……お笑いじゃないか」
「ああ、そうだな。だが新しく前を向く事が出来ただけましだと思う。少なくとも、今こんな戦争を引き起こしているお前たちよりかはな」
「ははは……はははは!」
男は笑い声を上げる。ビルとビルとの間を伝わって反響し、まるで複数いるかのような状態。不愉快な笑い声は誰もいない街並みに、憎しみの住人を蘇らせて賑やかにしていく。まるで亡霊が住み着いているかのような居心地の悪さだ。
「そうか、世紀の虐殺者になろうとした男はこんな小さな正義のために戦っていたか……笑うしかない……所詮勝つのは、私たちだ!」
男は左手にある物を取り出す。丸っこい形をした黒光りする物体。その手からピンが地面に落下し、スザクは……いや、やまとだってそれがなんなのかすぐに分かった。手榴弾。
自爆するつもりだったのだ。今ここにいる全員を葬り去ることが可能なそれは、男の手の上で握りしめられた。こじ開けるだけで一秒、いや二秒消費する。そして振りかざして投げるのに一秒、自分たちに被害が及ばない場所に飛ぶまで一秒、どう考えても間に合わない。
だが、銃声が響く。その銃声と同時に男に左手首から先が千切れ、空中に放り出される。神経を失った手は手榴弾を離し、空中に放り出される。そこに第二射。手榴弾はさらに高く舞い上がり、第三射。ビルとビルの隙間を真っ直ぐ進み、表に出たその瞬間。
爆音が耳をつんざき、同時に衝撃と爆風がなだれ込む。衝撃でビルの破片がいくつか落ちてきて、スザクはとっさにやまとの上に乗る形でそれから守る。ようやく収まり、目を開けると男はもう事切れた後だった。
「な……なにが……」
「大丈夫か、二人とも」
「あ、ああ……やまと、無事か?」
「うん……大丈夫」
「ならよかった。ナイス狙撃だ、ソーニャ。対象は死亡。本来の予定通り護衛対象をファーバンティ空軍基地まで送り届ける。迎え頼んだぞ」
『了解。三分で向かう』
無線を切り、傭兵は動かなくなった男に視線を向ける。手榴弾が起爆した時、脳天を撃ち抜かれて今度こそ絶命していた。あれだけの正確な狙撃技術。なんて奴だ。
一発目、男の腕を吹き飛ばしたのはスナイパーライフルで間違いない。だが手榴弾を吹き飛ばしたその後は恐らく威力の弱いハンドガン、またはアサルトライフルによる狙撃だろう。あの一瞬で二丁の銃を使って迎撃するなんて。
「一体どこから……」
「あのビルの窓と窓の向こうの更に数百メートル先に狙撃手の仲間がいる。あそこからずっと狙っていたんだ。お前たちを狙っていた他の四人もとっくにお陀仏だ」
「あそこから……」
スザクは路地の出口の先にあるビルに目を向ける。窓の大きさはせいぜい50センチ四方だろう。そのど真ん中を正確に撃ち抜くなんて人間離れしすぎている。
「……結局、こうなるのね」
スザクはやまとに意識を戻す。彼女は脳に銃弾を受け、絶命した男をじっと見ていた。その表情は哀れみと悲観が混じったような、口では表せない表情。スザクは「ああ……」と言うことしかできなかった。
「お嬢ちゃんの言っていたことは確かに正しい。どんな理不尽を受けても許さなければ報復は永遠に繰り返される。お前さんの様な心を持てる事は良い事だ。けど、その心を保ち続けなくなると、それは大きな歪みになる。この男も、昔はベルカのために忠を尽くし、国を守るためだと信じていたに違いない。けど、信じていた物に何度も裏切られ続けた結果がこれだ。そうなった奴は、心が戻ることなんてない。犠牲が増えるなら殺すしかない」
傭兵の言う事は、まるで自分に言い聞かせてるように聞こえた。元国境なき世界だった、と聞いた。傭兵も15年前に囚われていたのだろう。だが、自分たちに加担したと言う事は少なくとも彼はまともだと言うことだ。一体この傭兵がどんな気持ちで15年を生き、今ここにいるのだろうか。自分は何も知らなさすぎる。やまとは、自分の若さを少し呪った。
「ピクシー、乗れ!」
路地の向こうに、一台のジープが現れる。開け放たれたドアから金髪の少女が現れ、ピクシーと呼ばれた傭兵は入れ替わる形で運転席に座りこんだ。
「お前たちも早く乗れ。追手が完全に居なくなったとは限らない。お嬢ちゃんは後ろに座ってこいつに手当てしてもらいな」
一瞬二人はためらうが、もうこんな状況からおさらばしたいという気持ちの方が強く、一回顔を見合わせるとスザクは頷き、やまともそれを見て安心し、頷き返してジープに乗り込んだ。
「少し飛ばすぞ」
ドアが閉まるのと同時にジープは走りだし、凹凸の激しい道路を疾走する。後ろでは金髪の少女、ソーニャがやまとの右肩の手当てをしていた。
「ちなみにそいつはソーニャ。狙撃手って言うのはそいつの事だ」
「余計な事を言う奴だな、お前は」
「今回のMVPだぞ、胸張れよ」
「別に。仕事をしただけだ」
「言うと思ったぜ。お嬢ちゃんの怪我はどうだ?」
「なに、深くは無い。お前利き腕はどっちだ?」
「え……左、です」
「なら仕事の支障もないだろう。若干痛むだろうが、直るのにそんなに時間はいらない」
包帯を巻き、治療を完了させるとソーニャは体を前に向けて腕を組む。やまとは自分と年の変わらないスナイパーをちらりちらりと見てしまう。自分よりも背が低くて、細い体をしているのにあの狙撃技術を持っているなんて。
「何か用か?」
「え、いえ……その、助けてくれてありがとう……」
「礼なんていい。依頼をこなしただけだ」
「そう言うな、感謝されるのは良い事だ。久々に礼の言葉を聞いた気がする」
悪くない物だな、と男はハンドルを切る。廃墟の街並みから抜け、都市部の明かりが目に入り、すぐ真上を夜間訓練の戦闘機が飛び去っていく。スザクとやまとは、それを見てやっと自分たちが助かったのだと実感することが出来た。
「……ところで、あんたの名前はなんだ?」
スザクが口を開き、運転席にいる傭兵は「俺か?」と返事をする。
「残念ながら本名を名乗る訳にはいかない。こちらとて日陰者を続けてるからな。そうだな、さっきも呼ばれたがピクシーとでも呼んでくれ」
「妖精、か……」
サイファーが聞いたら喜びそうだ。スザクは頭の隅でそう思い、しかしやまとはそれを聞いて一つ疑問符を浮かべた。ピクシー。意味は妖精。とても聞いた事のある響きだ。とても大きな物の様な気がする。ただどうも記憶が曖昧で上手く具体化できなかった。
結局やまとは自分が感じる違和感の具体化が出来ないままジープは停車する。顔を上げてみれば、ファーバンティ空軍基地の門の前に到着していた。
「到着だ。迎えが来るそうだからもう大丈夫だ。ここまでくれば奴らももう手は出せない」
「……すまん。恩に着る」
「なーに、気にするな。どうしても借りを返したいって言うなら、この戦争を一刻も早く終わらせることだ。もう15年前の呪縛から解放されたいもんでな」
「……分かった。やまと、行くぞ」
「え、ええ……」ジープから降り、やまともソーニャに礼を言いながら降りたってドアを閉める。さて、スザクも閉めようかと思った時、ピクシーが口を開いた。
「知ってるか」
「?」
「エースは三つに分けられる。力に生きる奴、戦況が読める奴、プライドの高い奴。この三つだ。大体のエースは自分の本能に従ってこの三つのうちのどれかを選ぶ。だがお前は違う。お前は戦況の読める奴の様に見えるが、そうじゃない。無理に合理的な結果を探そうとして、結果ギリギリの結果につながっている。それだと高みへ行くことはできない。貪欲になれ、悪魔の執事よ』」
その言葉を聞いたやまとはピクシーの正体に気づき、あっと声を上げようと思ったがその前にドアが閉められ、ジープは走りだす。しばらく直進した後、曲がり角を右に回って自分たちの視界から完全に消えた。
「どうした、やまと?」
「……片羽の妖精」
「え?」
「あの男……片羽の妖精、ラリー・フォルクよ……」
*
スザクは取りあえずどうしようかと思うが、やまとを安心させるならみんなが居る所が良いと判断し、スカイキッドに足を向けていた。その中でやまとが言った言葉を思い返す。あの男が、ベルカ戦争時のサイファーと行動を共にし、B7R制空戦で圧倒的状況下を覆したパイロットの一人。
そして、国境なき世界へと身を移し、世界を核ミサイルV2で消し飛ばそうとした男。そう、文字通り世界を滅ぼそうとした男でもある。
「……国境を消す為に世界を滅ぼし、全てをゼロに戻そうとした男。その男が国境を守るために私たちを救った……何とも言えない皮肉だわ」
「そうだな……」
戦闘機乗りなら知らない者はいない有名人である。サイファーなら間違いなくハイになるに違いない。いや、サイファーじゃなくてもそうなる。スザクももうちょっとまともな状態だったら少しばかり高揚していたかもしれない。
が、スザクにとってはピクシーに最後に言われた言葉の方が気がかりだった。自分はサイファーより戦況が読める奴だと思っていたのだが、もしかしたらそうではないのかもしれない。彼は言った。貪欲になれと。
「貪欲になれ、か……」
「ピクシーの言葉?」
「ああ……上手く整理できない」
心にぽっかり穴が開いたような気分だ。おかげで考えること考える事がすべて抜き取られていく。これが戦闘中なら致命的もいい所だ。と、
「スザク!」
「やまとちゃん!」
前方から走ってくる二人の陰。なんだ、遅かったじゃないかとスザクはほっとする。スカイキッドの方からサイファーと海里が走り寄って来ていた。迎えとはこの二人の事か。
「スザク、大丈夫か?」
「問題ない。俺は特に怪我とかはしてないが、やまとが……」
「やまとちゃん怪我したの?」
「い、いえ。しましたけど大した怪我では無いです。すぐにでも治りますよ」
「そう……良かったぁ……」
海里は肩でため息をして、心から安心した表情になり、やまとも帰ってこれたと脱力する。サイファーは横目に二人を見てスザクに向き直る。
「ともかく無事でよかった。にとりから話は聞いてる。もしあれなら基地に戻って休む事を進めるが」
「いや、予定通り実行だ。やまとが休みたいって言うなら騒ぐだけでいいだろう」
「そうだな。やまとちゃん、この後食事会に付き合えるか? ゆたかちゃんもにとりも待ってるが」
「……はい。大丈夫です」
「もし気分悪くなったらいつでも言ってね」
やまとは何かあるのか、と言いたげな顔でスザクを見るが、まぁついて来いと言われて取りあえず促されるまま付いていく。そう言えば今日は何かあるのだろうかと疑問に思うが、スカイキッドについてその理由がすぐに分かった。
「ほらやまとちゃん、開けてみて」
「え、はい……」
そっと店に度に手を置いてゆっくり開けて中を覗きこむ。その直後、クラッカーの音が二回三回と聞こえて少し体が跳ね上がるが、すぐ目の前に満面の笑みのゆたか、にとり、こうなど大勢集まって声を揃えて言った。
『ハッピーバースディ、永森やまと!』
「えっ……」
やまとは鳩が豆鉄砲を食らった様な顔になる。当然だ、自分の誕生日はもう半月ほど前なのだ。まったくの予想外、何が待っているかと思えば属に言うサプライズパーティーと言う物が待っているなんて。
「ごめんね、もうとっくに誕生日過ぎちゃってるのは知ってたんだけど、今くらいしかゆっくり出来ないからと思って」
ゆたかが少し申し訳なさそうな面持ちでそう言う。辺りを見回せば店丸々一件貸し切って飾り付けがされて、机の上には大量の料理。こうが自慢そうな顔でやまとを見ているからたぶん彼女も作ったのだろう。
「……ううん、ありがとう。びっくりしたわ」
「えへへ、良かった」
「うっし! メインのお嬢さんも登場したことだしサプライズのサプライズでお前らもう一丁行くぞ! せーのっ」
サイファーの突然の仕切りに、ゆたかは一瞬「え」と言う顔になるが、このノリがなんなのか分かるのはすぐ後だった。
『ハッピーバスディー、小早川ゆたか!』
「……え、わ、私もなんですか!?」
「あたぼうよ。ゆたかちゃんはちょっと早いが、まぁこの際だ。たっぷりやろうじゃないか」
始めるぞー! サイファーはとてつもなく楽しそうにしながらシャンパンの瓶を取り出し、コルクを押し出そうとして周りにいた数人が逃げる。
「ちょっとサイファー、周りに気をつけなよ!」
「え、なんか言ったかにとり?」
「わー! バカこっちに向けんな!」
ボンッ! とコルクが発射され、それはにとりの頬をギリギリかすめて壁に激突し、にとりは一瞬冷や汗をかくがすぐに持ち直してサイファーに向けてスパナをぶん投げた。
にとりとサイファーのファイティング(にとりの一方的な)が行われ、回りは飯だ飯だと皿を回し、やまとは主役席に座らされてリンゴ味のシャンパンもどきと既に料理が盛りつけられた皿渡される。にとりが片腕でジャーマンスープレックスをお見舞いし、歓声が湧きあがる。
「どうした、食わないのか?」
スザクが串に刺された焼き鳥を食べながらやまとの隣に座る。そう言えば逃げ回ってたばかりですごくお腹が空いていた事を思い出して一口食べる。
「…………美味しい」
とんでもなく美味しかった。少し冷めかけのエビフライだったが、それでもやまとの味覚はそれを人生最高の食事だと認定し、飲みこんでからまた一つ一つ料理を噛みしめていく。とても温かいスープを飲み。ああ生きているんだと実感することが出来た。と、
「おい、やまと?」
「やまとちゃんどうしたの!?」
「えっ……」
スザクとゆたかが驚いた顔でやまとを見つめる。何の事だ、自分はただ食事をしているだけなのだが。しかし、やまとはすぐに自分の目尻が熱くなっている事に気が付いて、頬に手を当てる。一筋の涙で湿っていた。
「あっ……ごめん、何でも無い……」
「で、でも……」
「大丈夫……嬉しいだけ。生きてる事が、みんなと一緒にいられる事が、本当に……ありがとう」
意識した瞬間涙が次から次へと溢れて来る。いつの間にか自分はこの場にいる事がとても幸せだと感じるようになっていた。本当にいつからだろう。あまり人と話すのは好きじゃなかったのに。
「ありがとう……兄さん、ゆたか……みんな……」
やまとは自分が生きている事に大きな幸せを感じた。今まで生きているのは当たり前だと、彼女はそう思っていた。だが違う。今自分がこうして生きているのは、自分を炎から守った本当の両親、それを拾ってくれた義父、自分を鍛え上げてくれたにとり、そして自分の事を考えてくれているスザクがいて、やっと自分は今この場にいられるのだと実感した。ああ、何と言うことだ。こんなにも自分は周りに支えられていたなんて。数ヶ月前の自分が恥ずかしいったらありゃしない。一体どんな顔をするだろうか。
その日、やまとは少しだけ成長した。まだまだ程遠い大人の階段を一歩ほど進んだに過ぎないだろう。だが、その一歩を進むのにはとてつもなく大きな時間が必要で、それに見合う価値のある物だった。そしてその一歩を踏み出す勇気を与えてくれたのは本当に大勢の人間のおかげなのだと知り、もう一歩進む。その二歩だけで世界が大きく広がるように見えて、その先を知りたいとさらにもう一歩進む。
少女が「女」になるのは、そう時間のかからないことだった。
*
パーティーが終わったスカイキッドは、酔いつぶれたサイファーとにとり、その他ヴァレーメンバーが折り重なってその様はまさに死屍累々。海里や夏芽などはその介抱、残ったメンバーは飾り付けの撤去や皿洗いなどの後片づけに追われていた。
やまとも片付けに少しだけ参加し、皿をまとめて洗うのを手伝おうとしたが、さとりに大丈夫だと止められて手持ち無沙汰になってしまう。だが、しばらく店内を見回してスザクがぼんやりと窓の外を見ている事に気がつく。生気のない目だ。あんな顔は見た事が無い。
恐らくさっきの暴走を気にしているのではないだろうか。思い当たる節があるとしたらそれだろう。或いはそれ関係。分かりやすいくらいにナーバスな状態だった。あれでは戦闘機に乗っても着陸すらできないかもしれない。やまとは有効かどうか分からないが、少し連れ出してみることにした。
「兄さん、ちょっといい?」
「……ん?」
「外の空気、吸いに行かない?」
「……いや、俺はいい」
「よくないわよ。いいから来なさい」
「えっ、お、おいっ」
「いいから来る!」
「……おう」
このダメ男め。やまとは頭の中で思う。サイファーに毛布をかけてる海里に少し出ると告げてスザクと一緒に店を出る。外に出れば冷たい風が二人を包み、少し嫌になるがやまとは構わずに出る。スザクもそれに続く。
やまとが目指したのは基地の敷地内にある海に近い芝生だった。海が近いから潮風が良く当たり、波の音が耳に響いてとても心地よい場所である。そこはやまとが過去にファーバンティに訪れた際見つけた場所だった。
もう時計の針は深夜を指差し、この時間になれば出撃もなく、基地はとても静かで滑走路のど真ん中を歩いても誰も文句を言わない。入口から目的地までの最短ルートでやまとはスザクを連れ出し、到着するとそのままとすんと座りこんだ。
「……で、何の用なんだ?」
「良いからそこに座りなさい」
「そこって……どこに」
「私の隣」
「……ああ」
スザクは訳が分からず、取りあえず言われるがままやまとの隣に座る。その動きを見たやまとはたぶん抜けがら状態だと察することが出来た。もう数日で出発するのにこんな状態ではらちが明かない。少し大胆で緊張したが、やまとは数回呼吸を繰り返して足をのばし、「ん」と自分の太ももを軽く叩いた。
「……ん、って?」
「ん!」
今度は少し強めに。それでもスザクは意図が理解できないようで、痺れを切らしたやまとはスザクの後頭部を掴むと半ば強引に自分の太ももの上にスザクの頭を乗せた。
「お、おい何して……」
「黙って寝てなさい」
「……いや、だから何で……」
「さっきのこと気にしてるでしょ」
「…………」
これで通じると言う事は、スザクも自覚はあったと言うことだろう。まったく分かりやすい。いや、いつもは表に出さないようにしているだろうがナーバスになったせいで隠す気力が起きないのだろう。
「分かりやすいわ。さっきまで私の事を気に掛けてくれたけど、安心したらすっかり腑抜けになって。見てられないわ」
「……そう言われてもな」
「まぁ、気持ちは分からなくないわ。私だって……つい最近の私だってそんな感じだったわ。絶対的自信を持っていた整備技師がただの幻想に過ぎなかった。かなりの衝撃よ。でもそこから後押ししてくれたのはあなたでしょ」
「…………」
「後押しした奴が腑抜けになってどうするのよ」
スザクはしばしの間答えなかった。その間は波の音が二人の聴覚を支配し続け、北風を混じらせた潮の香りが二人の鼻孔をくすぐる。コートを着ていても寒い。せめて耳当てが欲しかったかもしれない。
「……ピクシーは……片羽の妖精は貪欲になれって言っていた。つまりどうすればいいんだ?」
「さぁね。それを考えるのがあなたの仕事でしょ。ただこれだけは言える」
ぽん、とやまとはスザクの額に手を置いて、水平線を見つめながら言う。
「あなたが答えを見つけることができるなら、私は協力を惜しまない。機体をどんなにボロボロにしても私がちゃんと直す。だから、思う存分に探しなさい」
たぶん、その時のやまとは彼が接した中で一番優しい言葉だったに違いない。スザクが思わず目を見開いてしまったくらいだ。彼女は一体どんな気持ちでこの言葉を口にしたのだろうか。スザクには分からない。だが、彼女は絶対に嘘を吐かないって知っていたからスザクは安らぎを覚えることができた。
「……ありがとよ」
「しーらない」
べちん、と額におかれていた手が形を変え、スザクの額に一撃。不服そうな顔でスザクはやまとの顔を見るが、見上げたその先の彼女の顔は、暗くてもはっきり分かるほど朗らかで、とても優しい瞳をしてじっとスザクの瞳を見ていた。
そのやまとの顔を見て、スザクはようやくはっきりした気がした。なるほどサイファー。お前は海里と接する時はいつもこんな安らぎを覚えていたのか。そりゃ惚気たくもなるな。
ふっ、と瞳を閉じて寝る態勢。やまとは拒否することなく受け入れ、少しうとうとする。たぶん、今なら心地よく眠れる気がした。まだ自分がどうしたいのか、何をするのかよくわかってはない。だが。
好きになった女のために、もうしばらく頑張ってみようと、そう思うことはできた。
*
翌朝。二人で寝ていたところを海里に起こされた二人は、自分たちの機体が置かれている格納庫まで連れてこられ、見てみればサイファーやにとり、ゆたかたちがざわざわと談笑しながらスザクたちを待っていた。
「遅いぞー」
「ああすまん。それでこんな朝早くから何が始まるんだ?」
「あれ、見てみな」
サイファーの指差すほうに目を向ける。そこにはスザクのXFA-27の垂直尾翼がある。だが、いつもと違う個所が一点見受けられた。
いつもなら吸血鬼をかたどったエンブレムが描かれているはずなのだが、今はその陰形はなく、代わりに新しいエンブレムが描かれていた。
目につくのは血のように真っ赤な体と、己に巻きつく鎖を食いちぎろうとする獰猛な顔。今にも飛び掛かりそうな体制で獲物を見つめるその眼光。スザクは、このエンブレムに見覚えがあった。
「ガルム……!」
「その通り」
全員の背後から新たな声。空母ヴァレー艦長芹川凪乃がこなたとともに格納庫に現れる。
「全員そろっているな。これより重大な発表をする。心して聞け」
空気が張り詰め、全員が直立不動の体制となる。凪乃はそれが完了するまで堂々たる構えで見つめ、そして全員の受け入れが整ったところで口を開いた。
「本日、〇七三〇時を持って、ISAF特務艦隊旗艦ヴァレーに所属し、作戦行動を展開するISAF特務戦闘航空団の設立が決定した。これはISAF直属下の部隊といっても過言ではない重要な隊だ。我々の作戦に賛同し、作戦行動をする戦闘機部隊名は、ガルム。本時刻を持って、サイファーを一番機とする特務航空隊、ガルム隊を設立することを宣言する!」
それは、15年前に数多くの兵士を恐怖に陥れた悪夢の復活。しかしそれは同時に味方にとって最強の力を与え、勝利を約束するとも言われた地獄からの使者。そして、それを受け継いだ彼ら。
鬼神の遺志を受け継ぎ、今日まで『使命』を今まさに全うする時が来た鬼神の再来、サイファー。
家を、家族を燃やされ、そのはらわたに爆弾を抱えた鳥に『復讐』を誓った傭兵、スザク。
不安に押しつぶされそうになり、しかし自分にも大きな可能性があると信じ、『感情』に従い、己の道を突き進むこと決意した、如月海里。
自らの自惚れによって大きな罪を犯し、祖国を追われつつ、たった一人で戦うと言う事を自分への『戒め』にした整備士、河城にとり。
幼いころから自分の仕事を完壁にこなし、他の追随を一切許さずひたすらに高い地位へと目指し続けた『自尊心』を変え、自らの生き方を見いだした少女、永森やまと。
汚れを見せつけられ、壊れそうになった純粋を守ってくれた人への『尊敬』を忘れない、真っ直ぐな心、小早川ゆたか。
この六人の人間の、六つの決意が交錯した今日その日こそ。
地獄の猟犬が、再びその空の下に現れた瞬間だった。