ACE COMBAT ZERO-Ⅱ -The Unsung Belkan war-   作:チビサイファー

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Mission13 -汚れを見た純粋-

 

 

 

 

 彼女は周りと比べると、一言で言えば「小さい」という印象だった。いや、人は外見で決める物では無い。見かけによらず実はアクティブだったりするかもしれない。と、言いたいところだが、彼女はその見た目通りに、病弱で少し内気で、人間としてはどうしてもか弱い存在だった。

 

 彼女も重々自分の体や性格の弱さについては理解していた。何度も何度も変えようとしてきた。だが、それを拒絶するかのように体は言う事を聞かずに、不慣れな事をする度に体調を崩しては何度も失敗していた。

 普通なら妥協するであろう厄介な体。しかし、そんな体を持っていても、彼女は他人とは違うある物を持っていた。

 

 壁にぶつかってこそ、もう一度立ち上がろうとする心だった。何度失敗しても諦めなければ何とかなる。彼女はそれを信じてすべてにぶつかってきた。一種の、純粋な心である。

 

 だが、その真っ直ぐな心でさえも粉々に砕くような、汚い光景も、汚い人間も、汚い物を数多く見て来た。本当に辛かった。自分の考えている事はすべて幻想だったのかもしれないと、そう考えるようにもなっていた。

 

 だが、彼女の前にまるで太陽の様な人物が現れた、暗くなりつつあった彼女の心に光を照らし出し、彼女の純粋さを守り、尊重し、それを育てて、より新しい形へと作り変える事の出来た整備士。少女は、汚い世界を見たからこそ、自分は真っ直ぐに物事をとらえて、純粋に生きていこうと決めた。そして、自分にこの生き方を教えてくれた恩人にも、いつか自分の生き方で恩を返そうと密かに誓っていた。

 

 生き方を教えられてから、少女は自分なりの信念を決めた。どんな形でも、「命」という物を粗末にする行いは許さないようにしようと。自分が人殺しの手助けをしている事も、もちろん忘れないでいた。仕事でも、誰かを守るためでも、自分が関わった事によって死んでいった人間に対しての弔いは忘れた事は無かった。それだけ、彼女は人の命を大事にしていた。

 

 だから、たとえ身内でも、その命を粗末にする人間は絶対に許さない。

 

 誰であろうと、絶対に許さなかった。

 

 

 

 

 にとりは、自分の左手に激痛が走って見舞われて思わず悲鳴を上げた。だが、外傷はない。その代わり手に持っていた銃は遠くに弾き飛ばされて、その衝撃で左手が痺れて上手く動いてくれなかった。

 

 かろうじて動く右手で左手を掴み、どうにかしてその痛みを抑えようとして、その次に後ろに気配を感じて振り向いた。

 

「…………ゆたか……ちゃん」

 

 視線の先には、両手で硝煙の残るハンドガンを握り、普段の彼女から思えないような形相で河城にとりを睨みつける、小早川ゆたかの姿がそこにあった。

 

「はぁ……はぁ……っ!」

 

 数回ほど荒い息を繰り返し、ゆたかは手を勢いよく下してさらにその幼い顔を怒りで覆い尽くして、にとりに歩み寄る。その歩き方さえも怒りに満ちて、何を言っても恐らく聞かないであろうそのすべての動作は、にとりを少しだけ恐怖させた。

 

 にとりの目と鼻の先まで歩み寄ったゆたかは鬼のような眼でにとりを睨みつける。その目を、今のにとりは直視できないと思った。だが、目を反らす事はゆたかの瞳が絶対に許さなかった。だから、にとりは見続けるしかなかった。

 

「……ゆ、ゆたかちゃ」

 

 にとりがゆたかの名を言おうとして、しかしそれはゆたかの強烈なビンタが左頬に叩きつけられた事によって遮られて、その重い一撃によってにとりは地面に倒れ込んでしまった。

 

 頬がひりひりと腫れあがり、思わず手で押さえてしまう。この痛みは銃弾で撃たれた時よりもとてつもなく重く感じ、それ以上に痛いと思った。にとりは、恐る恐る顔を上げてみると、ゆたかは両目に大量の涙を浮かべて、しかしそれをこぼさないようにと耐え、涙こそは浮かんでいたが、それでも鬼の形相は変わらずににとりを睨み続けていた。

 

「……何をやっているんですか…………」

 

 ゆたかの第一声だった。怒りと悲しみで声がひしゃげそうだったが、それでも人間を押さえつけるだけの力はこもっていた。今の彼女を止められる人間は、恐らくいない。直観だがそう思えた。

 

「何をやろうとしていたんですか、にとりさん!!」

「…………」

 

 にとりは答えられなかった。言ったところで結果は変わらないだろうとも思ったし、しかしそれはゆたかの怒りに恐怖して返事が出来ないと言う自分への誤魔化しに過ぎなかった事にも気がついた。今は、ゆたかの言葉を受け止めるしか方法はなさそうだった。

 

「なんでそんなことするんですか!? ここまで来たのにどうしてそんなことするんですか!?」

「…………」

「答えてください!」

 

 無言を押し通す事は出来なさそうだった。言え。その目は殺意でさえも感じた。普段温厚で優しく、笑顔の彼女がまるで別人のような表情だった。だが、その目には大量の涙が浮かべられていた。彼女をこんな顔にしたのは、誰だ? そう、自分なのだ。そう思うと胸の奥が張り裂けそうな気分になった。黙っても、無駄だろう。

 

「…………落とし前、付けるためだよ」

「……何ですか落とし前って……それはあなたが死ぬ必要のある事なんですか!?」

「あるさ……君たちをこんな状態に巻き込んで、それでいて何人も死ななくていい奴が死んでいった……全部、私のせいなんだよ」

「それで、それで死ぬって言うんですか!? 人を殺すような事なら、私もあなたもやっている事です! 私たちは、直接ではないにしろ、人殺しの手助けをしているんです!」

「けど、私は死ななくてもいい仲間を殺した! 軍属になっている以上、敵を殺すことはする。けど、私は仲間を殺したんだよ!!」

 

 そうだ。敵を殺す事も、人間としては許される事かと問われれば返答に困る。だが、少なくとも味方を殺す、ということは間違いなく許されない事だろう。それなりの責任を取らなければならない。だが、それはゆたかだって理解していた。

 

「確かに、にとりさんは私たちを巻き込んでしまい、死ななくてもいい人たちが死ぬきっかけを作ったかも知れません。それについては、責任も取らなければならないと思います」

「だから私は……」

「けど、死ぬ事が責任になるなんて思わないでください!!」

 

 強い口調でにとりの考えを完全に論破したゆたかは、にとりを助けるために必死になったサイファーやスザク達を思い出す。あの時全員が必死だった。サイファーはにとりを地上まで送り届けた。やまとは酸欠で倒れそうになっていた。スザクは自分の血を遠慮なく提供した。出来る事が無いかと必死に探したパイロットたち。誰も、にとりを恨んでなんか無かった。

 

「なんで自分が生かされたと思ってるんですか……何で生きていられると思ってるんですか……それもこれも、みんなにとりさんを助けたい一心だったんですよ!!」

「…………」

「にとりさんの心臓が動いているのは、やまとちゃんが必死に動かそうとしてたからなんですよ! にとりさんの流れ出た血を補うために、スザクさんは自分の血をあなたにあげたんです! 今あなたの中で流れてる血の中には、スザクさんの物が流れてるんです!」

 

 ゆたかの声は、いつしか怒りから悲観へと変わっていた。今まで我慢していた物が決壊を始めているのが分かった。どうしてそこまでして泣いているのか、にとりはなぜか頭が回らなかった。どうしてか分からなかった。

 

「にとりさんが今息をしていられるのは、サイファーさんがあなたの止まった呼吸を再び取り戻そうとしたからなんですよ! 他のみんなだって、出来る事が無くても出来る事を探してたんです! 周りを出来るだけ明るくするために機体のライトを点灯させたり、にとりさんを休ませるために場所を確保したり、集められるだけの救護キットを集めたり、みんなみんな、みんなあなたを助けるために必死だったんです! それを……それをにとりさんは全て無駄にしようとしたんですよ……その行為こそ私たちは絶対に許しません……少なくとも、私はそんな事をしようとするなら、にとりさんだって絶対に許しません! 自分の命を粗末にする人を、私は誰であろうと許しません!!」

「っ!」

 

 全く言いかえせなかった。正論で完全に論破されてしまった。気づくのが遅い。まったく、なんて様だ。頭がおかしくなっていたに違いない。自分は、自分を助けてくれた人物たちを裏切ろうとしていたのだ。唐突にそれに気が付き、思わず涙が出た。今更過ぎる。情けなさ過ぎて涙が止まらなかった。

 

「責任を取りたいと言うのなら……生きてください。生きてこの先に起こる地獄を見て生きてください。それが、今あなたに出来る最大の責任です。だから…………」

 

 ゆたかはしゃがみこんで、にとりに顔を向ける。もう、怒りの顔ではなくなっていた。その代わり、溜めていた涙を流して、優しくなった瞳でにとりの瞳を見つめていた。

 

「だから、死ぬなんて悲しい事、言わないでください……私の尊敬する河城にとりさんで居てください…………みんな、あなたが必要なんです。やまとちゃんは、まだあなたの事を必要だって言ってるんです。まだまだやる事があるんです。それだけは、忘れないでください……」

 

 それ以上、ゆたかは言葉を言わなかった。言えなかったというのが正確な意味であった。一気に嗚咽が押し寄せて、たまらずにとりの胸に顔を押しつけて声を殺していた。肩が震え、涙が流れているのを感じる。そうとうな無理をしていたのだと分かった。

 

 拳を作って、弱々しくにとりの胸を殴る。勢いも何もない、全く力の無いその一撃は、深く胸に刻まれるのを感じた。あの時と同じだ。あの時も、自分の親友は「生きろ」と言った。だが、自分は親友の言ってくれた言葉も、チャンスも無駄にしようとしていたのだと、今更知った。

 

(私……本当に馬鹿だ。大馬鹿だ……)

 

にとりは、もう馬鹿な事は考えないようにしようと誓った。これからは生きようと、生きて償いをしようと決心した。何をすればいいのか分からない。だが、どうすれば償いになるのか、それを探して生きるのもいいだろう。

 

「……ごめんね、ゆたかちゃん。もう大丈夫だよ。ありがとう」

 

 泣きじゃくるゆたかの頭を撫でながら、にとりは笑顔で「大丈夫」と言って見せた。ゆたかは、顔を上げなかったが、ゆっくりと頷いて見せた。

 

 

 

 

 格納庫の向かい側、燃料タンクと思われる跡地の近くで、サイファーはかっぱらってきたスナイパーライフルのスコープから目を離して、一息吐いた。どうやら自分の出る幕は無かったようだと安心し、マガジンを外して片付けを始める。万が一、ゆたかが間に合わない、または銃弾を外したとしても、一秒も無い差でサイファーがにとりの持っていた銃を撃ち抜いていただろう。

 

「大丈夫らしかったな」

 

 後ろからスザクが声をかけてきて、サイファーは振り向かずに返事をする。にとりがモールス信号を発信すると言う辺りから、まだバカな事を考えているなと感じたサイファーは、ワイバーンに積みこんでいたライフルの組み立て作業をしていた。端末をいじっていると言うのはフェイクで、遠目に見るにとりの目を誤魔化すには十分だったようだ。

 

「まったく、ゆたかちゃんは本当に成長したな。初めて会った時はすごく弱々しかったが、見た感じすごい顔だったぞ」

「ほう。それは見てみたかったな」

「鬼の顔だったぜ、鬼。もうあの子が鬼神でいい気がしてきた」

「ゆたかは天使だ。異論は認めん」

「かー、ロリコンスザクさんまじ兄貴」

「殴るぞ」

 

 おぉ、こわいこわい。サイファーはそれ以上おちょくるのをやめて、ライフルの解体を終えると、立ち上がってにとりが居る丘の上を見つめる。まだ動きそうにないが、なに。ゆたかが支えて連れて帰ってくるだろう。収納バッグに入れて、立ち上がって伸びをする。

 

「あ、そうだサイファー。一つ思い出したんだがちょっといいか?」

「あん、何だ?」

 

 呼び止められ、後ろを振り返ったサイファーの目の前にあったのはスザクの顔ではなく拳だった。何だ、これ? だが、サイファーはそれを認識する間もなくその拳は顔面に直撃し、スザクの全体重がたっぷりと乗った強烈な一撃がサイファーを吹き飛ばした。

 

「でっ!?」

 

 しかも地面に倒れ込んだ衝撃で腰を強打してびりびりと神経の中を電撃が走るような感覚と、ストレートに岩場に腰を強打した痛覚が脳髄になだれ込んでまるで目が飛び出るかのような錯覚に陥って悶える。

 

「いっでぇ……何すんだよ!」

「こっちの台詞だ、馬鹿野郎が」

「ああ?」

「この世のどこに、敵に占領されてる基地にたった一人で残る馬鹿がいると思ってやがる。しかも身代わりまで用意しやがって、変なところで用意周到な奴め」

 

 ああ、それか。サイファーはそりゃ殴りに来るなと納得がいった。例えるなら、ガンジーも助走をつけて殴るレベル、という奴だ。にとりの応急処置でドタバタして忘れていたのだろう。だが、だからと言っていきなり殴る奴がいるのだろうかとも思った。

 

「だからっていきなり顔面パンチは無いだろ……」

「死にはしない。取りあえずすっきりした」

「ストレス解消かよ。俺は」

「こっちがどれだけ心配したと思ってる。もっと状況を考えろ」

「はいはい、私が悪ぅございました」

 

 痛む腰を押さえながら立ち上がり、背筋を伸ばそうとしてまた激痛が走り、少し前かがみでなければ動けないくらいだった。もう少し座って休むかと決め、猫背になって座りこんだ。

 

「……で、お前が乗って来たあの機体は何だ?」

「ん、X-02ワイバーン。エルジア海軍が80年代に老朽化した機体に変わる新型機の依頼を出して、設計された機体だ。途中で空軍も更新機の要請が舞い込んで、空海共通運用のマルチロール機として設計されたんだ」

「やけに詳しいな」

「機体案自体は昔からあったんだ。ただ、どんな機体を作っているかは機密で具体的な機体は分からなかったが、予測からしてそれがこいつだった、ってことだ。途中開発が難航して、エルジア戦争まで開発が遅れたんだが、そこから急きょ配備が必要だと判断されて開発直前までこぎ着いたんだ。が、完成間近で終戦。ISAFが摂取したと言う訳だ」

「なるほどな。それをにとりはXFA-27と一緒に用意してた、という訳か」

「イエス。しかもこいつの場合はかなりの改修が加えられているらしい。オリジナル機とは違う個所が目立つんだ。まず複座になってるし、コックピットもオリジナル機よりもグラス化されてタッチパネル対応、構造上欠点である航続距離の短さを埋めるためのステルス仕様追加燃料タンク、まだ全部見れてないけどもっとあると思う。にとりは長い事これを用意してたんだ」

 

 大分痛みが引いてきたので、サイファーは腰に負荷が掛らない程度に立ち上がる。ついでに首も曲げてこきこきと音を鳴らして、またゆっくりと背筋を伸ばしてみる。もう大丈夫そうだ。腰を回してストレッチ。ライフルの入ったバッグを持ち上げると、スザクに戻るよう促して自分も格納庫に向かった。

 

 

 

 

 夜。辺りはまた何も聞こえない世界へと入り、満天の星空と月が旧ベルカ野戦基地を見降ろしていた。昼間に一度ほど偵察用の戦闘機編隊が現れたが、反転せずに通過しただけで上手く誤魔化せた。だが、敵のエンジン音を聞いた時の緊張感は、もしかしたらここ生きていた中で一番の物だったかもしれない。にとりはそう思った。

 

 にとりは、夜になってもゆたか達の居る格納庫で眠らず、ワイバーンの上に乗って空を見上げていた。キャノピー後方の主翼部分に張り出した燃料タンク部分に背中を預けて夜空を見上げる。やはりキャノピー越しより、生で見るのが一番いい。青空とは違う、違う意味で吸い込まれそうな感覚に包まれた。

 

「よう、まだ寝ないのか?」

 

 声のした方を見れば、コックピットのタラップを経由してサイファーが昇って来た。寝ないのはお前もじゃないのか、とにとりは言うが、お互い様だと返されてまぁいいかともう一度空を見上げた。

 

「………で、どうだった?」

「なにが?」

「激おこゆたかちゃん」

「……あー……」

 

 にとりは、見てたのかとため息を吐いた。その次にここ最近ため息が多くなったと気づいて、またため息を吐いてしまった。無限ループとは全く恐ろしい。

 

「……あんな顔になるんだって言うのが率直な感想かな。そんな顔にしたのは私だけどさ」

「あんまり泣かせることするんじゃないぞ?」

「分かってるよ。もう馬鹿な事はしないさ」

「ならいい」

 

 サイファーがにとりの隣に座り、同じく空を見上げる。にとりはそんな彼の横顔を見てほんの少しだけ赤面し、少しだけ体を寄せてみる。サイファーは何もアクションを起こさない。受け入れているのか鈍感なのか。今のにとりには分からなかった。

 

「…………迷惑、かな?」

「何がだ?」

「……私が、サイファーにこうしているの」

 

 少しだけ勇気を出して聞いてみた。答えを聞くのも怖いのだが、聞かなければ分からないのだから聞いた方がいいだろう。人間、行動して後悔するより行動しないで後悔した方が大きいのだ。にとりはその信念に従っていた。

 

「そうだな。そりゃあいつの前でこんなところ見られたらあれかもしれないが、それでお前が少しでも元気になれるって言うなら少しくらいは叶えてやるつもりだ」

「……じゃあ、私の告白の答え、聞かせてくれない?」

 

 結果は分かっている。が、やはり聞かないと気がおさまらない。聞いて得すっきりしないと、要らぬ希望を持ってねちっこくなってしまうだろう。思えば、告白しておいて答えを聞かずに死のうとした、というのは中々後味の悪い物だった。

 

「ああ、いいぜ。ごめんなさいだ」

「随分とばっさり言うね」

「なら優柔不断に迷った言い方をした方が良かったか?」

「…………いや、それじゃ君のイメージガタ落ちだよ。一途にずっと同じ人を愛し続ける、それが出来る君が好きなんだからさ。それでいいよ」

 

 清々しいくらいに振られてしまった。だが、これで良かったとも思う。諦めはついた。だからもういい。少なからず今後の自分の心情に支障をきたすかもしれないが、聞かないよりかはずっといい。聞かなかったらもっとダメになっていたと断言できた。

 

「ま、確かにお前の気持ちはありがたいが受け取れない。受け取ったら人間として、男として許せないだろう」

「そりゃね。女でも同じだけど」

「確かにな。けどよ」

 

 サイファーは突然にとりに手を伸ばし、彼女の体制を自分と向きあう形にさせると、呆けている彼女の頭を押さえて自分の胸の中に押し込み、傷に触れないように力強く抱きしめた。

 

「一人でずっと戦ってきた女一人を、褒めたり慰めたりしても罰は当たらないと思うな、俺は」

 

 サイファーの言葉が、にとりの胸に深々と突き刺さった。その突き刺さった胸の奥から、今まで抱え込んでいた物すべてが流れ出てくるのが手に取るように分かった。ずっと、誰にも言えずに抱え込んで、思いを寄せている人物にも言えずに、数年間孤独とも言える戦いを雪山にある空軍基地でやってきた。仲間を巻き込んで、仲間を犠牲にする原因を作ってしまった。

 自分の自惚れで人を殺し、そのせいで純血はとうの昔に奪われ、一人国を捨てて逃げ出し、身を潜めて生きて来た。見つからないように居場所を転々とし、その先で初めて恋を知った。初めて異性を心から愛して、でもそれが叶わない物だと知って落ち込み、諦めようという気持ちと裏腹に日に日に強くなる想いを必死に抑え込んで、しかしまだわずかながらに見える可能性を信じていた。

 

 その可能性も、たった今潰えた。後悔は無い。だが、負けたという悔しさだけはどうにもならなかった。それでも、それでもにとりはサイファーの事が好きで好きでどうしようもないのだ。

 

 これからも、にとりはサイファーの事を想い続けるのは間違いない。いつか、故郷で暮らしている彼の恋人との挙式を見る日も来るかもしれない。彼の子供を見る日が来るかもしれない。そして、その相手が自分ではないということがたまらなく悔しかった。

 

 自分がベルカで生まれなければこんな思いをしなかったのだろうか? 自分が全く汚れていなかったら彼はもっと自分を見ただろうか? もっと女らしさを持っていれば、もっと華やかなら、整備士ではなく救護班や管制官をやっていたら、少しでも結果は変わっただろうか?

 

 色々な物が溢れて、混じり込んで、どす黒い何かに変わっていく。それは今までにとりが経験した事の無い様な量の大粒の涙となって流れ出す。目尻から溢れる大量の涙が、サイファーのフライトスーツにしみ込んでいく。嗚咽が込み上がって、それを必死に呑みこもうとする。

 

「うっ……ずるい、よ……きみは……ずるいっ、よ……!」

「ああ、何とでも言え。けど、今までよく頑張ったな。お前は本当に頑張った。俺たちのために命をかけてくれた。本当にありがとうな、にとり」

 

だが、サイファーがその声とほぼ同時に、優しくにとりの後頭部を撫でて、それがとどめになってついににとりの涙腺を崩壊させ、限界が来た。

 

「ずる、い……うっ……ずるい……ううっ、ひぐっ……ずるいよっ!!」

 

 にとりは大声で泣き叫んだ。今まで自分でも経験した事の無いような嗚咽だった。涙で顔を濡らして、動く両手でサイファーの服を掴んで、涙を押しつける。お前のせいだ。お前のせいで今泣いているんだ。お前が、お前がこんなにも優しいからこんなに泣く羽目になったんだ。にとりはそう訴えかけるように、サイファーにすがりついて泣き叫んだ。

 

「うあぁぁぁぁあ! っああぁぁあああ!!!」

 

 声になっていない叫びを上げ続けた。一体どんな声になっているのか認識できないくらいに泣き叫んだ。こんなにも自分の思いが溢れ出したのは初めてだった。泣く事を今まで我慢してきて、どうすればいいのか制御が全く不能だった。本能のままに、獣のように泣き叫び、サイファーの胸板に頭を押しつけて涙と鼻水でスーツをぐちゃぐちゃにしていく。サイファーも、そんなにとりを安心させるために強く抱きしめた。拒絶はしていない。だから遠慮なく泣け、今まで抱えていた物を安心して吐き出せと。

 

 辛い物が濁流の様に流れ出て、にとりは苦しかった。息が詰まるほど苦しくて仕方なかった。だが、サイファーが拒絶しないで受け入れてくれている。その事実だけは確かの物で、にとりは泣き叫んでいても、心地よいと感じている自分を見つけ、それに安心してまた泣き叫ぶ。居てもいいのだ、自分はここに居てもいい。

 

 にとりの嗚咽は止まらない。声がひしゃげるまで泣き続けた。涙は止まらない。しかし、枯れるまで泣き続けよう。サイファーが居てくれるから、ずっと泣き続けよう。

 

 にとりはサイファーに抱えられながら、無意識のうちに嗚咽に混じってこう言っっていた。

 

「すき、だからぁ……さいふぁーのごと……すぎだがらぁ!!」

 

 感情の濁流は、いつしかサイファーへの想いに変わって、ただひたすら同じことを言い続けた。サイファーの事が好き。初めて恋を教えてくれた戦闘機乗り。その男の背中を追いかけて、振り向かせようと初めて必死になった男。にとりは、ただただサイファーの事を想いながら、泣きながら眠った。

 

 

 

 

 夜明け。にとりはふと眼を覚まし、ゆっくりと顔を持ち上げた。目尻に違和感を感じ、そっと指を当ててみると、涙が指にくっついていた。どうやら寝ながらも泣いていたらしいと理解出来た。視線を上げてみると、サイファーの顔が見えた。ただ、彼の目蓋は降ろされていて、寝息を立てていることからまだ寝ているのだとも分かる。次に、隙間から見える空を見て、夜明けの直前だと言う事に気が付き、はっとして出発のために起きようとした。

 

 が、体を起こそうとするのだが何かが引っかかって体が持ち上がらなかった。一体なんだ? にとりは体の向きを変えて、次に首でその原因を探ると、自分の腰回りを、サイファーの腕によってがっちりと固定されていた。あれからにとりが泣き疲れて眠った後も、サイファーはずっと抱きしめてくれていたのだと、それを見てすぐに分かった。

 

「……ありがとう、サイファー」

 

 にとりはまたサイファーの胸の中に顔をうずめると、心がとても安らぐのを感じた。もう少しだけ、堪能させてもらおう。にとりは、今だけ泥棒猫になろうと思った。

 

「…………主任、別に私は何も言いませんけど、出発までには終わらせてくださいね」

「ひゅい!?」

 

 まったくの予想外な事態に、にとりの全身は跳ねあがってしまった。そのせいでサイファーもうっすらとだが目を覚ましてしまった。にとりは恐る恐る振り返る。視線の先には、X-02の後席でマニュアルを読みながらモニターに指を走らせるやまとの後ろ姿があった。

 

「……やまとちゃん、いつから居たの?」

「三十分くらい前からです。お邪魔なようだったので声はかけませんでした」

 

 淡々と、やまとは見た限りでは全く気にしていない感じで操作を続ける。が、にとりは対照的に顔から火が出るような思いで、あわあわとどう対応したらいいのか分からずに、オーバーヒートを起こしそうになってしまった。

 

「えっとね、やまとちゃん、これは違うんだよ、あれだ、不可抗力って言って、取りあえず私と……そう! 私とサイファーはエクストリームに寝相が悪いからこうなっちゃっただけで!!」

「主任、ちょっと落ち着いてください。らしくないですよ」

「あ、えっと……うん、うん、そうだね……」

「あともう一つだけ。主任、けっこう可愛いですね」

「~~~~っ!!」

 

 顔が熱くなりすぎて、今自分はトマトの様な色になってるのではないかと錯覚してしまう。穴があったら飛び込みたい。蒸気カタパルトの最大圧力で突っ込みたくてしょうがなかった。

 

「んー……なんだ、どうしたんだにとり?」

「……うるさぁい!! あんたのせいだよ馬鹿っ!!」

 

 左手全力パンチがサイファーの顔面にめり込んで、その勢いをまともに喰らったサイファーは、後頭部をワイバーンの胴体にぶつけて、遠くなる意識の中またこれかと呟き、もう少しだけ就寝することになった。

 

 

 

 

 夜明け直前、全員の準備が終わってそれぞれの機体に乗り込み、日が昇るのを待っていた。サイファーはシートで半分覆われた自分の機体の予備電源で、機体のチェックをする。その後席にはにとりではなく、やまとの姿があった。

 

「やまと、本当に大丈夫か?」

 

 スザクはXFA-27のシートに体を沈めながら、左隣にいるサイファーのX-02の後席を見つめる。後席にはにとりではなく、かわりにやまとの姿があった。

 理由としては、まずにとりが重傷であるため。戦闘になった際間違いなく傷口が開くし、耐えられる訳が無い。だが、X-02のOSにはまだバグが現れたり、何かしらのエラーを起こしてしまうため、それを処理しなくてはならないし、レーダーがまだ後席の補助支援なしでは全機能使えないため、万全に動かすにはサポートが必要なのである。

 

 やまとは、自分の身を案じるのはありがたい事なのだが、そこまで柔じゃないし過保護すぎではとも思う。が、考えてみれば戦闘経験のない人間が戦闘機の後ろに座ると言うのは確かに気が引ける物でもある。が、やらない訳にはいかない。ゆたかも出来なくはないだろうが、体の作りは間違いなくやまとの方が頑丈だから却下した。ちょっと急旋回したら折れてしまいそうな印象が本音だった。

 

「大丈夫よ。万が一ってこともあるでしょうけど、その時は頼むわ」

「俺任せかよ……やるけどよ」

 

 ため息交じりにそう言うスザクに、やまとは口に出さずに感謝する。機体の各所をチェックしながらやまとはマニュアルに目を通す。その次に、首を後ろに回して機体のストレーキに目を向け、尾翼を見て、一周する。そのシルエットに、やまとは懐かしさを覚えた。

 

(懐かしい。数年前、義父さんがこれに乗って突然基地帰ってきたっけ。戦後はテストパイロットをやって、よくそれを下から見て、コックピットに入れてもらって少しだけ計器を弄って怒られたわ)

 

 今頃父はユージア大陸で何をやっているだろうか。まぁ、大方新人教官だろう。最近はいつもそれだったし、あまり顔には出さないが楽しそうだったし。

 

 少し思い出に耽るも、やまとは機内の時計が出発予定時刻になったのを見てサイファーに伝達する。

 

「サイファー、時間です」

「あいよ」

 

 太陽が地平線から姿を現し、円卓の大地が暗闇から解放される。それを合図に、エンジンを回して待機していた傭兵たちの戦闘機が、覆っていたカモフラージュシートをエンジンの排気で吹き飛ばして姿を現した。

 

「こちらサイファー、準備完了」

「スザク、いつでも行ける」

「こちらゆたか、準備完了しました」

 

 続々と点呼が完了し、サイファーは自分の後ろにいる六機の戦闘機を見つめる。補修、整備は満足ではないが、それでも万全に近い場所にまで修理を終えたやまとは、疲れているのにも関わらず、サイファーのワイバーンの後席に座って、にとりの代わりに機体の補助のために指を走らせていた。

 で、にとりはというと、EA-6Bに乗るゆたかの隣の座席に座らされていた。もし傷口が開いても手当が出来るようにとの配慮だった。後は言っては無いが一応監視の役目でもある。もう馬鹿な事はしないだろうが、少なからずの不安要素は取り除いておきたいものであると言う、ゆたかの判断だった。

 本当は、にとりを疑うようで気が進まない。だが、念には念を。これが取り越し苦労ですめばそれでいいのだ。

 

 結果を言うと、ゆたかのその考えは、取り越し苦労で済む事になった。そして、自分がにとりを疑っていた事を、少なからず後悔することになるのは別の話だ。

 

「よし、全機準備完了確認した。俺が前に出る、全員続け!」

 

 スロットルを最前方に押し込み、すぐに最後方にまで引き戻す。X-02の車輪が動き出し、サスペンションが上下に揺れる。左に進路変更。ワイバーンが誘導路最前方に位置し、その後ろにスザクのXFA-27が続き、他の機体も続々と隊列に加わる。

 

 滑走路先端まで到着すると、機首を180度回転させて、滑走路に進入する。サイファーは右側に寄り、スザクは左側に寄って、スザク後方のEA-6Bは右側に寄る。

 

「離陸第一波行くぞ!」

 

 サイファーはワイバーンのスロットルレバーを最前方にまで押し込んでアフターバーナーを点火させる。ドンッ、という衝撃と共に機体が加速し、スザク、ゆたかのEA-6Bもそれに続く。続けて誘導路で待機していた機体が、滑走路に入ると同時に滑走を始める。サイファー、ピッチアップ。ギアを収納して右旋回。基地上空を周回して全員の離陸を待つ。四機目、五機目が離陸していく中、やまとがレーダーの索敵範囲を広げて敵が居ないかを警戒する。

 

 最後の一機がギアを格納して上昇し、編隊に合流して全機の離陸が完了した。サイファーは合流した仲間たちを見回して、ひとまず安心する。

 

「全機上がったな。やまとちゃん、索敵はどうだ?」

「現在は中規模範囲で索敵していますが、半径150キロ以内に敵影ありません。至って静かです」

「上等だ。これより北東に向けて脱出する。全機、離れるなよ!」

 

 右ロール、ピッチアップで右旋回。仲間たちがそれに続いて旋回する。天候は晴れ。雲がほとんどない絶好の快晴だった。天候に左右されないのはありがたい事だろう。だが、それを見たサイファーは一株の不安を感じた。

 

(……雲が無さ過ぎる。もし見つかったら隠れる場所がほとんどない。それになんだ、レーダーに全く反応が無い? 哨戒機や偵察機が居てもおかしくない気がするが、これじゃあザル警備だ。やまとちゃんは最初からガリウムレーダーを使っているからステルス機を見逃している可能性は皆無。という事は、本当に居ないと言うことだ)

 

 目視による索敵も行うが、やはり敵は見当たらない。何か、何か違和感を感じる。嫌な感じだ。この感覚が起きると、大抵嫌な事が起こるのだ。似たような経験を昔何度もしていた。特に、本家円卓の鬼神の手ほどきを受けていた時にも感じた予感だ。静かすぎる状況から、一転して突然喉元に食らいつくような襲撃を受けた事がある。その時とよく似ていた。

 

「……全機、警戒は怠るな。何か動く物を見たらすぐに報告してくれ」

「ん、やけに警戒してるな。そっちのレーダーには何も映ってないんだろ?」

「ああ。けど、嫌な感じがする。いつでも動けるようにしておけ」

 

 考えすぎだといいが。サイファーはワイバーンの機首を軽く捻り、進路を微調整する。そんなサイファーを、右後方のEA-6Bからにとりは見つめ、彼の予感に脳内で同意していた。

 

(確かに静かすぎる。目的の機体を回収できなかった以上、奴らは私たちが完全な敵性勢力になる前に撃墜に来るはずだ。けど、誰もいない。何を企んでる?)

 

 しかし、確かに不信感はある。だが、何もなければ結局何もできないのだ。ただ、にとりは不測の事態に備えてジャミングのチェックをする。機体主翼パイロンに搭載された発電機により、電源の確保は十分である。損傷も故障もない。円卓を出たらレーダー網の隙間を突いて脱出する手はずだが、念を入れるかとも考える。

 

 進路はウスティオ、ベルカ、レクタの三国の国境が交わる付近に向けられている。低空で飛べば見つからない場所が出る。途中途中でどうしてもレーダー網に引っ掛かる場所はあるが、その際はジャミングを展開して誤魔化す。と言っても、ジャミングでレーダー機能を潰すことはできても、ジャミングを起こす機体がいるのだと相手に察知される為、長くは使えない。だから、にとりは嫌がらせとも言える手法を使うことにしていた。

 

 ベルカとレクタ国の国境ぎりぎりを飛行し、時折りベルカの領空に侵入し、迎撃機が来る直前で今度はレクタの領空に侵入。これの繰り返しである。

レクタを超えると今度はゲベート国に進入することになり、レクタの迎撃機は追って来れなくなる。ベルカ機は当然国境沿いに追跡すると思うから、距離を置くまでゲベート国内で飛行。ゲベート側の機体が来たところで再びベルカ領空へ。ゲベートを超えたらファトー国が待っている。

 サイファーは、この作戦を聞いてとんでもない作戦だと思った。ベルカにもレクタにも、ゲベートにもファトーにもとんでもなく迷惑だ。時折りジャミングで誤魔化したり、レーダーの隙間に入り込むらしいが、自分だったらとんでもなく迷惑過ぎて胃に穴が開きそうだ。

 

 とはいえ、ゲベートとファトーの国境付近でどうやら例の友軍と合流するらしい。そこから先はどうやって誤魔化すかは分からないが、向こうに任せて信じるしかない。

 

 サイファーはレーダーに目を戻す。あと半刻もしないうちにウスティオ国を離脱する。それまでに敵に見つからなければいいが。

 

 だが、サイファーの予感は、突然鳴り響くロックオンアラートによって的中率の上昇に、要らぬ貢献をしてくれた。

 

「ロックオンアラートです!」

 

 やまとが叫ぶ。サイファーはそんな馬鹿なとレーダー画面に目を向けるが、反応は無い。範囲を狭めて、集中しての索敵をする。が、それでも反応が無い。どういうことだ?

 

「にとり、レーダーの出力を弄っても敵の反応が無い、そっちで分からないか!?」

「こっちも無反応だ、チェックした時に損傷は無かったから故障してる可能性は低いけど!」

「ひとまず対応するぞ、スザクはゆたかちゃんの護衛だ! それ以外は散開して迎撃態勢! やまとちゃん、舌噛むなよ!」

「いつでもどうぞ!」

 

 サイファーはハーフロールをしてスプリットS。地面に向かって急降下する。主翼からベイパーが伸び、綺麗な曲線を描く。他の仲間たちもそれぞれ散開して目を張り巡らせる。だが、岩山ばかりで敵の姿は見当たらない。ロックオンを告げるジジジという嫌な音だけが、サイファー達を追い詰める。

 

「撃って来ない? ロックオンしてるのに、なぜ撃って来ない?」

 

 おちょくってるのか? それとも、焦った自分たちが隙を作るのを待っているのか? いずれにせよ、敵が見えないことには変わりない。最優先事項は敵を目視することだ。

 

「やまとちゃん、他の機体の索敵情報をこっちのレーダーにリークしてくれ」

「了解です。こちらで情報をかき集めます」

 

 サイファーはレーダーで友軍の位置確認を行い、どこかに手がかりになる物が無いかを探す。敵に見えて、こちらが見えない場所。そして、敵が見えていても撃てない場所。どこにそんな場所がある。視界を塞ぐならサイファーから見て二時方向、少し高めの岩山がある。だが、戦闘機が隠れるには無理だ。サイファーは取りあえず目に入った岩山の上を通過してみる事にする機体をバンクさせながら、山を撫でるように飛行する。と、山肌をすり抜けたその直後、ロックオンアラートががなりたてた。

 

「サイファー!」

 

 やまとが叫ぶのと、サイファーが機体を捻り、急旋回するととほぼ同時だった。やまとはミサイルの警告を口にする前に機体が急反転し、舌を噛みそうになるのを何とかこらえる。初めて体験する戦闘機動、そして迫るミサイルの殺意に、血の気が引いて行くのを感じた。

 

 右急旋回。なお且つ機体を若干降下させながら、更に機体を左ロールさせて左旋回で回避。度重なる急激な機動でやまとは目を開いているはずなのに視界が暗くなっていくのを直に感じた。

 

(これが、ブラックアウト……!)

 

 圧し掛かるGに歯を食いしばって耐え抜く。自重の数倍の重力が掛って、やまとはまるで人間数人分を押し籠められているかのような錯覚に陥る。目も見えず、とんでもない重力が自分に押し込められて、まるでもみくちゃにされているようで一気に吐き気がこみ上げ、しかしマスクの中で吐き出そうものなら悲惨な事にしかならないのだから耐える。それに自分は女だ、そんなことしたら女として終わる。その思いで耐え凌ぐ。でも、やっぱり乗るんじゃなかったと少し後悔した。

 

 と、ようやく機体の動きが優しくなり、やまとは盛大に酸素を取り込んで荒い呼吸を繰り返す。まさか実戦の機動がこんなにも辛かったとは、戦闘機乗りというのは一体どういう神経をしているのかと疑いたくなる。何を疑いたくなるかは分からないが。

 

「やまとちゃん、大丈夫か?」

「こ、これくらい……大丈夫、です!」

「なかなかタフだな。じゃあ次はもう少し本気を出すぞ」

 

 あれで加減していたのかとやまとは違う意味で血の気が引いた。もし、もっと急激な機動を必要とする場合、次は気絶するか吐くかのどっちかだ。前者の方が圧倒的にましだ。出来ればそうならないのを祈る。

 

 気管の奥に残る胃液の味を飲み込みながら、やまとはレーダーを睨む。と、八時方向に微弱な反応。鳥か何か? いや、違う。鳥がダイアモンド編隊を組んで飛ぶはずがない。やまとは、後方を見た。

 

「サイファー、後方に敵機六、F-35B編隊です!」

「なんだと!?」

 

 サイファーは、鳴りやまないロックオンアラートを振り切るためにやまとに支障が無い程度の旋回をする。サイファーもやまとが指示した方向に目を向けて、ようやく敵機を目視した。それを見て、ようやくサイファーは理解した。

 

 敵は、あの岩山の陰に着陸して自分たちを待っていたのだ。いくらステルス機でも探知できるレーダーでも、岩山の裏の死角にまでは届かない。しかも、地形上磁場が安定しないため、それもレーダーに映らなかったのも手助けしたのだろう。それ以前に、地上にいる戦闘機は地上物と大差ないため、補足するのはかなり難しい。

 

「厄介だな……だが!」

 

 サイファーは機首を敵編隊のど真ん中に向けて突っ込む。武装セーフティー解除、ウェポンベイを開放してダークファイア超長距離空対空ミサイルを選択する。ロックオン、奴らはまだホバリング状態だからただの的だ。

 

 ミサイル発射。四本の白煙がワイバーンの腹から切り離されて一気に伸びていく。VTOLで待ちかまえていたのは敵ながらいいアイディアだが、まだまだだ。

 

 ミサイル弾着まで数秒もない。行ける。サイファーは確信したが、レーダーに映るミサイルのキューが、敵のF-35編隊をすり抜けた。

 

「なにっ!?」

 

 予想外だった。なぜ空中ではほぼ的の状態のVTOL機にミサイルが当たらないのかと考え、しかしそれは後だとすぐに振り切り、ガンモードに切り替えてすれ違いざまに撃墜させる事を頭に入れる。

 レティクルが表示されて、一番近い敵に照準を重ねて、トリガーを引く。ワイバーン右側のサイドシルに搭載された機関砲が唸る。着弾、一機が火を吹いてそのまま落下する。が、次に残った五機からの集中機銃掃射が目に入って、バレルロールで進路を反らし、左急旋回。やまとはまたも訪れる高機動に思わず目を閉じてしまう。

 

「やまとちゃん、すまないが耐えてくれ!」

 

 後席で必死にGに耐えるやまとを見ながら、サイファーは敵機編隊に目を向ける。そうか、サイファーは理解した。一撃目のミサイルは、F-35の特徴でもある集団でのASEAレーダーを駆使した電子戦による、強烈なジャミングを張られたのだ。

 

 F-35は、空軍、陸軍、海軍の要望に答えるため、空陸海全ての戦闘にてオールラウンドに使用できるように設計された機体でもある。F-22程のステルス性能は無い代わりに、その低コストを利用して大量生産し、集団での戦法を得意とする。

 一機の機体が補足した敵機の情報を味方全員にリークし、そして集団で確実に仕留める。この点はX-02でも可能だが、X-02はあくまで仲間の情報を自分に集めるだけであって、仲間に送ることはできない。同じ事をするには、それぞれがX-02のリンクシステムに対応するようにアップデートを行わなければならないのだ。

対空だけでなく、対地目標に対しても、補足される前にジャミングを展開し、気付かれる前に撃破。さらに、地上を走る車両の正確な識別も可能。ピンポイントで爆撃することだって可能なのだ。

 

 そう、集団で来られるとこれほど厄介な機体は無い。欠点があるとすれば、最高速度がそこまで高くない事であるが、こちらにEA-6Bがいる限り、平気で追いつかれてしまうのが目に見えている。

 

 またもロックオンアラート。見ればF-35部隊は垂直離陸から戦闘速度まで稼ぎ、散会してこちらを囲みに来ていた。

 

「っつぅ……サイファー、後方に敵機三……!」

 

 やまとは、体に襲いかかるGに苦しみながらも、レーダー画面を睨んで状況を伝えている。この根性は素直に認めるべきだろう。一般人ならとうに気絶か嘔吐である。肝が据わってるじゃないか。サイファーはさりげなく笑みを浮かべながら、前に回り込もうとしていた一機に対して短距離AAMをロックオンし、迷わず発射した。

 

(だが、やまとちゃんを抱えてる俺が出るのは間違いだったな。それに今のワイバーンの装備は長距離迎撃用、近接には少し向かない)

 

 ミサイルは回避されるが、サイファーはその隙に隙が出来た背後をすり抜けて包囲網を突破する。そのタイミングで、仲間たちが加勢に来た。向こうもなかなか腕の立つ部隊の様だが、ヴァレーの傭兵部隊を舐めてもらっては困る。サイファーは反転して、スザクの方へと向かう。

 

「スザク、すまないが交代してくれ。今の装備じゃ近接戦闘に向かない。お前の方が適任だ」

「了解した。ゆたかは任せるぞ」

 

 スザク、ピッチアップ。ループに入ってそのまま機首反転。サイファーとすれ違ってF-35部隊の戦闘の中に飛び込んでいく。ロックオン可能距離まで接近した瞬間に、スザクは短距離AAMとODMMを合計六発を一気に発射する。ただし、AAMを先に撃ち、ODMMをワンテンポ遅らせる形でだ。

 敵はスザクの先に撃ったAAMを回避し、続けてやってきたODMMも同じように回避しようとして、それが間違いだった事に気がついて慌ててアフターバーナーを点火する。だが遅い。スザクは進路の先に機銃を偏差で撃ちこんで、回避しようとする敵機の進路をさらに限定的にさせる。反対方向に逃げようとしたF-35Bの背中に、スザクの放ったODMMが突き刺さり、破片がはがれて中からリフトファンが弾き飛ばされ、空中分解を起こして爆散した。

 

「残り四機!」

 

 スザクは下方モニターに映ったもう一機を見つけると、減速しながら左旋回してその背後を奪おうとする。が、ジャミングがシーカーダイヤモンドをかく乱し、まともにロックオンできなくなる。スザクは苛ついた舌打ちを軽くして、すぐにガンアタックを仕掛けようとするが後方から機銃掃射を受けてピッチアップで回避する。

 

「ジェンセン、ショーホー、俺の後方に回った一機を頼む!」

「任せろ!」

「上等!」

 

 ミラージュ2000とSu-30が、スザクに追いすがろうとする一機を追い回す。が、敵もさることながら、ノズルを90度回転させて機首をはね上げて、追いかけて来た二機の後方に回り込んだ。

 

「なんだと!?」

「何のこれしき!」

 

 ショーホーのSu-30の機首が大きく跳ね上がり、その高度を保って一回転。クルビット。機体そのものをブレーキにしてなお且つ回転を加えて更なる減速を生む。F-35Bのオーバーシュートが子供だましに見えるほど鮮やかな動きだった。

 背後に回り込んで、ショーホーのSu-30の機銃が唸りを上げて、F-35Bを蜂の巣にする。主翼の付け根から煙を吹いて、それと主翼がへし折れて燃料に引火するのはほぼ同時だった。

 

「イヤッホー! 一機やったぜ!」

「バカ、後ろにもう一機だぞ!」

 

 クルビットをしたせいで、機速が大幅に落ちて失速寸前になり、無防備な背中を晒している。それを見逃すほど向こうは能無しでもないので、生き残った三機の内二機が食らいつく。ショーホーは冷や汗が流れるのを感じた。

 だが、ショーホーとF-35Bの間を、翡翠のF-15Cがすりぬけ、敵機が一瞬動揺する。体制を立て直したジェンセンのミラージュ2000がXMAAを撃ちこんでそれが致命弾になった。

 

「リック、ありがとよ!」

「ショーホー、落として油断した時が一番危ないってあなたが言ってたじゃないですか!」

「はっはっは、お前が上手く対応できるかどうかを試したんだ、感謝しろよ?」

(絶対嘘だ)

 

 あーだーこーだと言う二人に対して、スザクは口には出さないが突っ込みをする。残り二機、止めを刺そうかと頭を回してみたが、最後に残った二機は距離を置いて離脱コースに乗っていた。

 

「逃げたか。ま、この戦力差じゃ当然か」

 

 スザクは旋回して、サイファー達に追いつくために増速する。他の仲間たちもそれに続き、一旦の危機を脱した事に安堵する。が、まだ安心するわけにはいかないと気を引き締め直す。

 

 サイファーは、追いついてくる仲間たちを見ながら、やまとの方に気を配る。さっきから荒い呼吸ばっかりで、一言も発してない。少しばかり機になる。

 

「やまとちゃん、大丈夫かい?」

「はぁ、これくらい……はぁ、どうってこと……!」

「あいよ、分かったからゆっくり呼吸しな。荒いと逆に回復遅くなるぞ」

 

 顔を少しだけ挙げて、鏡越しにやまとは「そんなこと分かってると」言いたげな目で睨むが、すぐに保てなくなって視線を降ろした。

 ダメじゃないか。サイファーは視線をHUDに戻して、燃料の残量をチェックする。さっきの交戦で幾分消費したが、まだ行けるだろう。

 

「サイファー、やまとの様子はどうだ?」

「さすがにきつかったみたいだが、意識はしっかりしている。肝が据わってるぜ」

 

 いつもの左後ろ、スザクの黒い機体が位置に着く。それを見てどことなく安心感に包まれる。やはりいつもの僚機がいるのは安心できると再認識する。

 

「兄さん……機体、傷つけて、ないでしょうね?」

「損傷はないからお前はまず体を整えろ。息荒すぎて聞こえにくいぞ」

「どうってこと、無い……!」

「うむ、大丈夫そうだな」

 

 コックピットからアラート音が消え、レーダーには敵影なし。そろそろウスティオ領から出る場所まで来ていた。もう十分もいらないだろう。ゆたかはジャミング展開の準備をする。

 

「にとりさん、ジャミング展開準備完了です」

「りょうかーい。じゃ、そろそろ頃合いだから展開して」

「はい」

 

 ECMポッドからジャミング電波放出。それから数分ほどしてついにウスティオ領から脱出し、ベルカとレクタの国境沿いに飛行する。さぁ、嫌がらせタイムの始まりである。許せと思いながら、サイファーは眼下の大地に目を向ける。荒々しい土地は目立たなくなり、緑のある景色が広がる。表面上は平和そうな景色だが、自分たちが今こうして日陰者として飛んでると考えると、平和なんて本当にあるのかと疑いたくなるし、実際そう考えるような出来事はこの数日で嫌というほど経験した。知りたいようで、知りたくなかった世界の裏側は、思っている以上に黒かった。

 

 雲一つない空は、透き通るような青さとは裏腹に、身を隠す場を与えないような嫌味を覚え、サイファーは目を一瞬閉じて、そんな馬鹿な事は無いと思い直した。

 

 

 

 

 ウスティオを脱出してから、まるでさっきの襲撃が嘘のように静かになった。時折り低空飛行でレーダー網をかいくぐり、その度に迎撃機が飛んできたが、隣の国の領空に侵入し、ジャミングを展開するなどして掻い潜ってきた。

 

 今はレクタとゲベートの国境手前を飛んでいて、もうじきゲベート領空に入るところだった。左手はベルカ。うっすらとだが、工業地帯の煙突から出る白い煙が見えていた。あそこは、ホフヌングだった。

 

「…………」

 

 やまとは、ほんの少しだけ見えるホフヌング工業地帯の煙突、そしてそこから出る煙を見つめていた。あそこが、自分の生まれた場所。生まれて一年で炎に呑みこまれて、自分もそれに巻き込まれそうになった。

 

 あそこは確かに故郷だ。だが、あそこで過ごした記憶が全くと言っていいほど無い。どちらかと言えば、ユージアで過ごした時の記憶の方が大きかった。だから、これと言って懐かしいという感覚は無い。だが、それでも炎を見ると体が炎に照らされて熱くなるような感覚に襲われる。不快でしかなかった。

 

「……やまと、左側は確か」

「……ええ、そうよ」

 

 やまとの視界の中に、スザクのXFA-27が翼を振りながら現れる。コックピットに目を向ければ、スザクがヘルメットのバイザーを上げて心配そうな目線で見ていた。

 

「……何見てるのよ」

「いや、なんとなく」

「…………別に、未練とかそういうのは無いわよ。どちらかと言えばユージアが故郷みたいなものだし。けど」

「けど?」

「……本当の両親があそこで焼かれて死んだって思うと、少しね」

 

 やまとはそんな想いを振り払うように、スザクと目を合わせる。まったく、そこまで柔じゃないぞとやまとは息を吐いた。

 

「大丈夫よ。そんなに気にしなくても。ちょっと過保護よ」

「俺の妹にも似たような事あったからな」

「なるほどね。ま、その気持ちはありがたく受け取って置くわ」

 

 唇を釣り上げて、やまとはモニターに目を戻した。少しばかり気分が良くなった。さりげなくスザクが気付いてくれた事が嬉しかったのだと自覚するのにしばらく時間が必要だった。

 

 それから特に問題なくゲベート国を離脱して、レクタ国に張り出す形で広がるベルカ領空内を飛行中である。もう少しゲベート国寄りに飛行した方がいいと思うのだが、その先にファトー国の地対空ミサイルの索敵範囲に引っかかってしまうため、極力避けて飛ぶしかなかった。

 

 次にファトー国領空に入る辺りで、迎えと合流する手はずだった。あと一時間もない。もう少しで安全圏まで行ける。そう思うと、サイファーは一刻も早くこの緊張感から解放されたかった。まだざわつく感覚が体に残っているから、不愉快で仕方が無かった。

 

 レーダーの隙間をすり抜けて、右へ左へ、時には上昇と降下を繰り返してベルカ国内を飛びまわる。燃料計を見れば、そろそろ増槽が空っぽになるところだった。

 

「こちらサイファー、増槽が空っぽになりそうだ。そろそろ切り離すが、にとりに確認したい。外して問題ないか?」

「うん、大丈夫だよ。むしろステルス性が少し上がるよ」

「そりゃありがたい。あと一分半で空っぽだ」

 

 燃料計を見ると、機内の燃料タンクはまだ未使用状態だ。ワイバーンの燃料タンクは機体の主翼の折りたたみ機能の構造上、主翼には搭載できないため、コックピット後方の曲線状のこぶの部分に搭載されていた。しかも、被弾時の事を考えて集めの装甲に覆われているため、その分の搭載量も少ない。性能が高いのはいいが、燃費が悪いと全体的な性能に響く。アフターバーナーを使って戦闘をすれば燃料を一気に喰らい、長く戦えなくなる。離脱する分も考えれば、少しでも使いすぎると途中で燃料切れになってしまう。スペックでは戦闘行動半径は1050km。他機と比べると約300kmほど短かった。それだけでも大きな致命傷である。だから、サイファーは増槽が完全に空になるまで待った。

 

「サイファー、増槽を使い切りました」

「よし、パージ」

 

 主翼付け根の増槽二つが切り離されて、地面へと落下する。同時に機体本体の燃料タンクの流動計が動き出した。

 

「燃料、正常に流れてます」

「了解。洋上までなら大丈夫だろう」

 

 レーダーに目を向けるが、反応は無い。恐らく今ベルカが最も近い基地からスクランブルをかけても、ギリギリ逃げ切れる距離だった。ほぼ安全域と言ったところだ。が、まだ油断してはならない。それはこの場にいる誰もが思っていたことだった。

 

 最初に気が付いたのはゆたかだった。広域レーダー、後方に反応八機。だが距離はある。長距離ミサイルを撃たれてもジャミングを展開し、回避運動をすれば地形を利用して回避が出来る。

 だが、ゆたかはすぐに異常に気がついた。後方のフィリップの移動速度がとにかく速すぎるのだ。自分たちの三倍、一歩間違えれば四倍近い速度で追いかけて来ていた。

 

「後方、敵機です! 速度……マッハ2.5です!」

 

 全員に緊張が走る。そんな普通じゃない速度が出る機体なんて一機しか居ない。ある意味始まりとも言えるヴァレー最初の襲撃に現れた、MiG-31だった。

 

「速度からして恐らくMiG-31、迎撃ミサイルの射程まで数分です!」

「くそ、俺が反転して長距離ミサイルを撃ち込む!」

 

 撃たれる前に撃つ。恐らくこれが今出来る一番効果的な策だろう。サイファーはそう思ったし、にとりも同感だった。だが、全ての撃墜は無理だ。やまとは燃料計を見ながら注意を促す。

 

「サイファー、この先全力での逃走を考えるならチャンスは一度きりです」

「分かってる、レーダー波のロックオン補助は任せるぞ」

「了解」

 

 やまとが後席のジョイスティックで敵フィリップにレーダー波を集中させる。通常射撃でもいいのだが、距離がある分補助はあった方がいい。回避する敵機に向けて誘導レーザー照射を合わせ続けるのだ。こうなるとほとんどセミアクティブ空対空ミサイルと大差ないなと思いながら、サイファーはシーカーダイアモンドを敵フィリップに重ね、やまとがそこにレーザー照射する。

 

「照準合わせました!」

「了解、フォックス3!」

 

 発射ボタンを押しこんで四つのダークファイア超長距離空対空ミサイルが獲物に群がる。MiG-31は速度の代わりに機動力が無い事は周知である。ワイバーン専用の長距離ミサイルはある意味MiG-31と似ているとも言える。長距離をより速く飛び、より速く目標に到達させるため、射程が長い代わりにそこまで素早い追尾は出来ない。だが、超高速で敵に突き刺さるため、そこまで大きな軌道修正が必要無いのだ。

 

 レーダーに映る敵機とミサイル群が重なり、いくつかの反応が消える。撃墜数三機。残りは五機だ。半分以上残っていた。

 

「くそっ、一機漏らした!」

「サイファー、もう限界です! これ以上飛ぶと本当に間に合わなくなります!」

「ちくしょう!」

 

 機体反転。再び機首を北に向けて先に逃げる仲間を追いかける。アフターバーナーを点火させたため、燃料計の流動数値が一気に早くなった。みれば、HUDに「FUEL」のキューが点滅していた。これが表示されるともう戦闘するだけの燃料が残されていないと言う意味になる。これを無視し続ければその先にはガス欠、墜落という特典がが漏れなく待っている。この機体を託された以上はそんな事をさせる訳にはいかない。

 

 スザク達に追いついてアフターバーナーをカットし、それとほぼ同時にレーザー照射のアラートが鳴り響く。ジジジという耳障りな音がコックピット内に響き、嫌な汗が流れる。サイファーは低空へと逃げ込もうと判断した。

 

「下に逃げ込むぞ、ついてこい!」

 

 ハーフロールからの急降下。高度が落ちたところで機体を立て直して、出来るだけ山肌に近い面を飛行し、後続もそれについてくる。山肌が目の前に迫り、サイファーは体毛が逆立つような感覚に陥り、後席のやまとに関しては身の毛もよだつような恐怖に襲われていた。

 

 旋回した先にそびえる山、サイファーは右旋回で谷合を通過する。ミサイルアラート。ついに来たかと、更に機体がこすれるのではないかと思うほどの勢いで低空を飛ぶ。だが、みればスザクの方が地面まで数十センチの場所まで低空位置に来ていた。まったく器用だと思いながらサイファーは機体を反対側斜面に向けて一気に幅寄せして、ミサイルが斜面に叩きつけられた。

 

「兄さん、サイファー! お願いだから機体擦らないでよ!」

「そんなへましないって!」

「むしろ楽しいくらいだぞ俺は」

「兄さんあなた頭おかしいわよ!!」

 

 喋ると舌噛むぞとサイファーは忠告したかったが、その前に旋回しなければならなかったから続けて左旋回。やまとは急に角度が変わった視界と体について行けず、思わず舌を噛んで悶絶した。

 

「やまとどうした?」

「舌噛んだだけだから気にすんな」

「お前もう少し丁寧に飛ばせよ」

 

 一瞬ロックオンの警報が鳴りやみ、逃げ切ったかとサイファーは後方ミラーを覗きこむ。が、敵はまだ後方について来ている。速度を落としてこちらの動きを探っているようだが、逃げるには余裕である。と、思っていた矢先にまたもミサイルアラートが鳴った。

 

「ジャミング展開します!」

 

 ゆたかのEA-6Bから妨害電波が流れ出し、サイファーのレーダーにも少しだけノイズが入る。ミサイルの機動が不規則になり、EA-6Bのすぐ横を通り抜ける。回避成功。誰もがそう思った。

 

 が、一瞬EA-6Bを追い抜いたミサイルは、直後に爆発し、火球を作り上げる。直撃こそ回避したものの、破片が主翼とECMポッドに突き刺さり、小さく煙が噴き上がった。近接信管ミサイルだ。

 

「ゆたか!」

「だ、大丈夫です! けど、今のでECMポッドが損傷してジャミングが使えなくなりました!」

 

 そのタイミングだった。レーダー前方に反応。サイファーは上かと思って索敵するが、すぐに反応が自分たちよりも下だと言うのに気がついて、正体を察知した。

 

「地対空ミサイルだ!」

 

 前方からミサイルアラート。それも全機に向けて一斉に発射されて一気に逃げ場を失う。例えるなら壁が迫ってるも同然なのだ。だが、上昇すれば間違いなく後ろからミサイルが飛んでくる。前も後ろも地獄だ。それでも、目の前にある危機を回避する方が最優先だとサイファーは急上昇した。

 

 他の機も同意見で、サイファーに迷わずついてくる。最後尾ジェンセンのミラージュ2000がチャフをありったけばらまき、半数近くを爆破し、誘爆を起こさせて回避に成功する。が、すぐに真後ろからMiG-31が再び速度を上げて一気に距離を詰めてくる。

 

「くっそ、これじゃあ……!」

 

 自分たちはともかく、ジャミングの出す事が出来ないEA-6Bはただの的と同じだ。一瞬反転しようかと操縦桿を握り直すが、今反転しようものなら今度こそ燃料切れが待っている。サイファーはやまとだって乗せているのだからそんなこと出来るわけがない。他の機体たちの搭載ミサイルは中距離か近距離ミサイルのため、MiG-31と真正面のミサイルの撃ち合いでは不利がある。それに長距離ミサイルを積んでいるとしても、再反転して編隊に戻る前に追いつかれるのが関の山だった。

 

(どうする……俺一人ならこいつらを逃がすことだけを考えて突っ込む事も出来たが、やまとちゃんを乗せている以上そんなこと出来ない! どうする!?)

 

 一気に顔じゅうを脂汗と冷や汗が滝の様に流れ落ちる。ロックオンアラートが鳴り響き、いつ撃たれてもおかしくない状況だった。国境までまだ時間が掛る。急いでも間に合わない。どうすればいい?

 

 この時、サイファーは自分が放ったミサイルで撃墜した三機の内、二機が長距離ミサイルXLAAを装備し、そしてその二機が落とされた事によって残りの五機の手持ちミサイルが中距離ミサイルしか搭載していないと言う、ささやかな幸運が起きている事には気がついてなかった。それがのちに大きな結果となるのにそう時間は必要ないのだが、そんなこと知る由もないサイファーは突破の糸口を必死に探し続けていた。

 考える時間は数秒も無かった。しかしその刹那に、サイファーは強制的に考える事をやめさせられる事態に直面したのだ。

 

 突如として、サイファーとやまとのマルチディスプレイに、全く不明のIFF反応の機体が現れ、そしてそれと同時にメッセージが表示された。

 

「な、なんだ?」

「これは……『貴機の敵機情報のデータリンクを要請』一体どういう……」

「言うとおりにして!」

 

 にとりが無線から割り込んで従うように促した。正直何がなんだかよく分からないサイファーなのだが、わらをもつかみたい気持だったから決断は早かった。

 

「やまとちゃん、前方の機体に後方の敵機の位置情報を送れ!」

「え、でも!」

「いいから、このままじゃどの道死ぬ!」

「っ……分かりました、敵編隊補足、位置情報確定しました。データネットワーク構築、前方の不明機に送信します」

 

 コーンソールを叩き、敵の位置情報を確定させ、データ送信。MiG-31編隊の情報が、はるか前方400km地点。ワイバーンに搭載されたダークファイアミサイルの射程の二倍の距離。一体何をするつもりだ?

 

「……不明機から通達! 『その場を動くな。発射コード、“スラッシュ”』です」

「動くな?」

「サイファー、言う事を聞いて! 全機絶対に今の進路を維持して!」

 

 にとりの必死な叫びに、全員が息を飲んだ。このまま真っ直ぐ飛ぶのは自殺と同じなのだが、どの道同じなのだからどうにでもなれと半ば全員がやけくそだった。

 

 サイファーは操縦桿を握り直し、回避運動をさせたがる体を抑える。本能が逃げろと叫ぶが、思考でそれを抑え込む。MiG-31の距離が更に縮まる。まだアクションは起きない。まだか、まだか?

 

 その時だった。はるか前方、12時方向が一瞬光る。サイファーは一瞬その正体を探ろうとして目を凝らしたその直後。目に見えない何かがすぐ真横を駆け抜け、レーダーに映っていたMiG-31の内二機の反応が消えた。それと雷鳴が響き渡るのはほぼ同時で、サイファーはその轟音に聞き覚えがあった。

 

「これは……あの時にとりの輸送機が積んでいた……!?」

 

 そう、全く同じだった。にとりの輸送機を襲撃に来た戦闘機を叩き落とした、例の最新型兵器。詳細は教えられなかったが、サイファーの脳髄にインパクトを与えるには十分だった。

 

 その間に第二射が来た。同じく全く視認できない速さで自分たちの編隊の真ん中を通過し、そして更に二機の機影がレーダーから消える。最後に生き残っていた一機は全く状況が理解できずに、急反転して離脱行動に入った。

 

「ふー、間に合ったか」

 

 全員が呆然としている中、にとりは安心しきった顔で座席に体重をかけた。少しばかりタイミングが遅かったようだが、間に合ったからよしとする。隣に座っているゆたかは何が起こったのか全く理解できずに、呆然とレーダー画面を見つめて完全に止まっていた。

 

「待ってました、吸血鬼さん」

 

 

 

 

 ベルカ国境から離脱し、ファトー領空に到着してから、目視で自分たちの窮地を救った戦闘機が確認できる距離まで来た。真正面に見える黒点、それを認識した瞬間に自分たちの真上を高速で通過して反転。少し上のポジションに位置しながら、サイファーより少し前に出る。サイファーはその機体を見て驚いた。

 

 全く知らない戦闘機だったのだ。今まで見て来た戦闘機は多く、それなりに公にされていない機体だって見て来た。だが、この機体はどこをどう見ても全く知らない機体だった。外側に傾いた斜め双垂直尾翼を持つカナード付デルタ翼機。主翼後縁はW型に屈曲しており、双発のエンジンノズルには3枚パドル式左右独立二次元推力偏向ノズルを有していた。

 

と、コックピットから光が点滅し、発光信号が出された。サイファーはそれを読み上げる。

 

「ワレ ニ ツヅケ シンテンチ マデ アンナイ スル」

「どういう意味だ?」

 

 スザクが機首を並べる所まで近づいて来て、サイファーは分からないと返事をする。それはにとり以外のみんなが同じことで、もう少し詳細を教えてもいいだろうとにとりは口を開いた。

 

「あれが私の準備した三機目の機体だよ。と言っても、私が手を入れたのは兵装関係だけだけどね」

 

 サイファーは、そのにとりの言葉でピンと来た。

 

「じゃあ、お前が言っていた新型兵器って、あの戦闘機の?」

「その通りさ。あの機体のさっきの装備だけが向こう側で手に負えなくて、私に依頼されたんだ。詳細は地上に降りてから話すよ。傍受されてないとは限らないからね」

「ところで、今俺たちへ以前とファトーの領空飛んでるけどいいのか?」

「大丈夫、たった今ファトー用に用意した偽装IFFに情報書き替えておいたから」

「用意がいいな……なら始めからそうしておいた方がいいんじゃないか?」

「頻繁にあれこれIFF変わると他国にも怪しまれるからね。なに、向こうさんだって表立って動いてる訳じゃないから公には出来ないさ」

 

 なるほど、とサイファーは視線をもう一度自分たちの少し前を飛ぶ戦闘機を見つめる。紺碧のボディに混じる灰色、海上迷彩仕様だと分かる。最新鋭機ならテストカラーリングにするものだろうが、となるとこれは先行実戦投入型だろうか?

 

 色々推測する。にとりの仲間が作っていたとすると、どこかスポンサーとなるメーカーや企業があるはずだろう。でなければここまでの事をすることはできない。にとりに仲間がいるのは分かったが、そう言えばその仲間がどういった組織なのかもまだ明確には分からない。一体バックにはどんな組織がいるのだろうか。

 

 そうして先が読めない推測を続けている内に、HUDに警告のキューが表示され、いつしか自分が洋上に出ている事にサイファーは気付いた。どうやらファトーからも離脱で来たようだった。追っては無し。ここまで来たらもう安全圏だろう。サイファーは安心の息を吐いた。

 

「みんな、お疲れ。ここまで来たらもう大丈夫だよ」

 

 にとりのその一言で、無線中に安堵の声が飛びかって、やまとも大きく深呼吸して肩の力を抜いたのが見えた。かれこれ数時間神経を張り巡らせて、なお且つワイバーンのバグ処理をしてくれていたのだから頑張ってくれた。どれ、帰ったら一杯奢ろうかと言おうと思ったが、死亡フラグになりかねないので黙って置く。言わずして成立しそうだが。

 

「あー、にとり。俺そろそろ燃料切れになりそうなんだが、まだか?」

「あとどれくらい持つ?」

「たぶん二十分くらい」

「なら余裕だね。ほら、見えてきたよ」

 

 にとりが指さす方向に、サイファーは視線を向ける。雲の向こう、海の上。そこに数個ほどの白波が立ってるのが見える。船舶だ。その真ん中に、ひときわ大きな白波。雲を抜けて、サイファーはその真ん中に鎮座する艦船を見て開いた口が塞がらなかった。

 

「冗談だろおい……」

 

 それはサイファーに限った事ではない。なんでこんな物を用意できるんだと全員が驚愕していた。個人が集まったところで用意する事の出来ないそれは、やろうと思えば小さな国一つを地図から消す事も出来る物だった。

 

 航空母艦ニミッツ級。全長約300メートル、最大航空機搭載数90機、操艦、航空団合わせて5500人以上を乗せて運用するまさに海の航空基地。これを一つ作るのに国の予算が大きく傾くほどの代物だった。

 

「にとり……お前いったい何者だよ……」

「秘密の多いレディ、とでも言っておこうかな」

「……だろうな」

「ほら、燃料無いんでしょ? サイファー最優先で着艦して」

「って言ってもなぁ……空母着艦なんてシミュレーター以外した事無いぞ……」

「向こうのクルーの誘導は優秀だから、誘導に従えばあとは君の腕次第さ。ほら頑張りな」

「はいはい……」

 

 サイファーは編隊を離脱し、空母に向けて降下を開始する。その際ちらりと自分たちをここまで誘導した戦闘機を見る。心なしか、目が合った気がしたが、すぐに視界から外れて余り気にしなかった。

 

「サイファー、貴機の着陸チェックを実施せよ。着艦を許可する」

 

 アングルト・デッキのアプローチコースに入る。誘導信号を受信して、HUDにILSマーカーが表示される。こうしてみると小さい。艦船として見るならこれほどに泣く巨大なのだが、滑走路として見るとヴァレーより1/10以下にもなる。なんて狭さだ、スカイダイビングで50センチ四方の小さな島に降りろと言われているようなものだ。

 

 そうは言う物の、やらなければもれなく寒中水泳が待っているのだから、やるしかない。空母から発行している誘導灯のミートボールの色が青色に保たれるように配慮しながら、ギアダウン。フラップダウン、アレスティングフックを降ろし、最終アプローチ。機首をほんの少し持ち上げて、着艦デッキを目指す。少し高度が低いとの信号が白くなる。少しだけスロットルのパワーを上げて上昇するが、今度は高すぎるという表示になる。適正コースが恐ろしく狭い。冷や汗がまた流れ落ちる。

 

「サイファー、速度が速い。20ノット減速せよ」

 

 やることが多い。サイファーはパニックになりそうなのをこらえて適正コースに機体を乗せる。このまま行け。サイファーは頭の中で呟く。タッチダウンまで五秒を切った。まだ速度が速い。少しだけ機首を上げて、速度を殺したが少しばかり高度が上昇。しかし殺した速度によって機体はそのまま降下。アングルト・デッキに進入し、アレスティングワイヤーにフックが引っかかり、機体を急減速させてタッチダウン。サイファーはスロットルをアフターバーナー位置まで押し込み、機体はそのまま甲板を滑走し、やがて停止した。

 

「ふぅ~……神経使うわ」

「サイファー、着艦を確認した。ようこそ、新天地へ!」

「どうもだぜ」

 

 主翼を収納して、マーシャラーの指示に従って機体をタキシングさせる。後方では後続の機体を着艦させるために、空母乗務員が慌ただしく動き回る。

 停止位置まで誘導され、停止の合図。機体を完全に停止させ、次にエンジンカット。キャノピーを開き、サイファーはヘルメットを脱いで外の空気を盛大に肺に送り込んだ。

 

「ぷはぁー! 完璧!」

 

 まぁまぁよくやったなとサイファーは自分で納得し、うんうんと大きく頷く。しかし、ヘルメットを脱いだやまとは、初の母艦着艦に初成功し、満足しているサイファーと打って変わって冷静だった。

 

「今のはちょっとハードランディングでしたよ。並みの機体なら車輪折れてます」

「きっついなぁ……」

 

 サイファーは空母の後方に接近してくるスザクのXFA-27を見つめる。はたしてあいつは大丈夫だろうか。機体の安定性が低いから空母の着艦にはものすごく向いてない機体なのだが。

 

「ま、兄さんならどうにかするわ。取りあえずタッチアンドゴー二回に一票」

「おいおい、それ大丈夫じゃないだろ。よし、三回に一票だ」

「あなたも大概ね……」

 

 ジト目で見るやまとに知らぬ知らぬとサイファーは手を振り、大きく伸びをした後に接続されたタラップから降機し、空母の甲板におり立ち、ようやく自分が助かったのだと実感する事が出来た。

 


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