ACE COMBAT ZERO-Ⅱ -The Unsung Belkan war-   作:チビサイファー

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第二章 地獄の猟犬
Mission12 -少女の見たもの-


 

 少女は、少女と言うには少しらしからぬ性格をしていた。普通の女の子と言えば、洋服やお洒落、音楽など、華のある物を好きになるのが普通、というのが世間の認識である。実際世の中はその枠にはまっていて、それが常識だった。

 

 だが、彼女は違った。物心ついていない時から機械に興味を示し、工具を取り出しては分解し、部品を並べる。それが彼女にとって、世間で言う「ままごと」と同じような感覚だった。周りはおかしな子だ、という目で見ていたが、彼女にしてみれば世間の言う「普通」がおかしかった。あんな大人の真似事をして何が楽しいのだろうか。あんな夢を見て何が楽しいのだろうか。こうして機械を分解し、その部品を理解する。こっちの方がしっかりと現実として残り、何かに生かせるではないか。

 

 彼女は分からなかった。世間の言う事が理解できなかった。だから、知らぬ内に孤独になっていた。だが、彼女はその孤独を全く恐ろしい物とは理解しなかった。それ以上にのめり込めるものがあったからだ。

 

 しかし、己が成長していくにつれて、身の周りだけでは全く物足りなくなった。もっと大きな、もっとすごい物を分解し、見てみたい。それが明確に何なのかは分からなかったが、そう言ったもやもやした日々を送っていた。

 

 だが、彼女は運命的な出会いをした。戦闘機という物に出会ったのだ。

 

 日用品では全く相手にならない複雑な中身。電子の部品もあれば、油を通す部品もあり、歯車やワイヤー、彼女が見た事の無いような物がすし詰めにされて、そしてそれが空を飛ぶ。彼女はそれを改めて認識し、触りたいと強く願った。

 

 そして、その願いは思いのほか早く叶った。思わぬチャンスが訪れた、と言ったところだろう。それからして彼女の能力は恐ろしいほどの勢いで開花して行った。その能力は近年稀に見るような才能と言っても過言ではない。

 

 その力が認められ、彼女は周囲に認められた。それが嬉しくて、彼女はさらなる高みへと目指し、新たな挑戦をしてその度に結果を残した。

 

 自分はすごい人間なんだ。周りが怪奇として見ていた自分は、こんなにも大きな可能性を持った人間だったのだ。少女は嬉しくて仕方が無かった。そして、更なる結果を残そうとした。自分ならやれる。困難な物でも必ず道はあるのだ。今までそうやってきたのだ。

 

 そしてその自信が、日が経つにつれて自惚れへ、自惚れから油断へと変わるのに、あまり時間はかからなかった。そしてそれが完全な形で目の前に現れた時。

 

 彼女は、はじめて人を殺した。

 

 

 

 

「これって……」

 

 サイファーは照明に照らし出された一機の戦闘機を見て、思わず立ち上がった。機首から胴体に掛けての曲線的なライン、後退翼から始まり、前進翼で終わる形の特異的な翼。垂直尾翼は水平尾翼との一体型のタイプ。エンジンノズルは三次元可動ノズル。サイファーは実物こそ見た事は無かったが、様々な資料や写真などでその機体を知っていた。

 

「X-02……ワイバーン……!」

 

 X-02ワイバーン。エルジアが開発していた、エルジア戦争最後の切り札とも言える機体。その洗練されたデザインは二十年以上前に既に完成され、その潜在的能力はF-22をも上回ると言われた機体。しかし、戦時中の切り札として開発されたその機体は、完成を目前にして終戦を迎えてしまい、完成させたのは摂取したISAF軍だった。

 

 ワイバーンを摂取したISAF軍は、その性能に驚愕したそうだ。スペックはエルジアの開発チームの言った通り、F-22よりも圧倒的だったそうだ。

 

 低速下では三次元ノズルと前進翼機の特性を如何なく発揮する高機動能力。高速時には前進翼部分の主翼を収納し、尾翼を水平に変形させることによって、空気抵抗をそぎ落として発揮する高速巡航機能。両立の難しいこの二つと、さらに高レベルのステルス性を兼ねそろえた次世代機。

 

 そのデータは一部の軍事組織に渡され、ユークトバニアでは非正規の作戦機としてすでに正式配備されているという話もあった。事実、写真の撮影に成功したスポッターも少なからずいた。

 

 が、流石にウスティオに持ち込まれているなんて話は一切聞いたことは無かった。今までにとりが隠し通し、そしてウスティオ強襲部隊が摂取しようとしていたのはこいつだったのかと、ようやく納得がいった。

 

 しかも、所々エルジアのオリジナル機とは違う改修が行われているようだ。まず、キャノピーが資料の物より長い。座席が二つあるのを見れば、複座型だとわかる。さらに、主翼両側の付け根に通常と異なる、あたかもステルス性を意識した様な燃料タンクが積まれていた。

 

「にとり、お前はこいつをずっと用意していたのか……」

 

 にとりは答えずに、わずかに唇を釣り上げた。どうだやってやったぞ、と言いたげな顔だった。本当にこの整備士はとんでもない事をやってくれる。見れば機体の全ての主翼は青く染められ、尾翼には自分の登録番号と氷の妖精のエンブレムが突貫だが描かれていた。

 

「あと、は……君に合わせてコックピットのシステムを……調整すれば……」

「分かった、分かったから。取りあえずそれ以上しゃべると辛いぞ。俺が質問するからイエスかノー、首を動かして答えてくれ。まず、調整は俺がやる。その後は脱出だが、囲まれて茶話しにならない。俺の考えではどうにかして敵の数を減らしたいが、お前はどう思う?」

 

 にとりは迷わず首を縦に動かし、同意見である事を示す。サイファーは取りあえず喋らなくなった事に安心する。

 

「よし、ありがとう。だがしかし今のところ俺にこの状況を打破する考えは思いつかない。お前にはあるか?」

 

 再びにとりは首を縦に振り、置いてある端末に指をさした。サイファーは端末を覗きこみ、にとりが貸してくれと手でジェスチャーし、落とさないように支えると、おぼつかない動きでにとりは操作し、コンコンと合図する。

 

「俺のF-22?」

「細工……しておいた」

 

 端末の説明文が表示され、読み上げる。そしていくつかの詳細画像が現れて、それを読み終えてサイファーは脱帽した。

 

 サイファーのF-22は、F-15Cのエンジンに換装され、さらに遠隔操作が可能な物に魔改造されていた。しかも、やろうと思えばあらゆるコンピューターからの遠隔操作が可能というとんでも仕様と来た。何をしているのかと思えば、こんな事をしていたのか。

 

 そのF-22を見て、サイファーは察しがついた。この状況で遠隔操作が可能なF-22、言うなれば無人機の記号を加えたQF-22がある、という事は。

 

「これを使って、あたかも俺たちが裏をかいてラプターに乗り、脱出するかのように仕向けて引きつける、ということか?」

 

 肯定のサイン。サイファーは何とも言えない気分になり、さてどうするかと少し手順を考えてみる。画面を監視モニターに切り替えて、状況を確認して見ると、どうやら外部アクセスで無理矢理解錠しようとしているらしかった。まぁ、たぶん無理だろう。

 

 状況を整理すると、ヴァレー基地正規兵を見張る数人と、オスプレイを護衛する複数名、基地内を制圧する一部隊、と言った配置である。F-22の格納庫が手薄になっているのは幸いだった。だが、格納庫の扉は閉まっている。どうやって解放しようかと考えるが、調べていくうちに爆薬が扉にセットされている事に気が付き、そしてこの格納庫自体も遠隔操作で扉の爆破が可能だと言う事も詳細に書かれていた。

 

「よし、まとめるぞ。まずはF-22のエンジンを回して、格納庫から出す。敵の注意を俺たちから話したいから南側に向けてタキシング、或いはそのまま離陸。敵兵を引き連れて、可能な限りの数を引き離したら、俺たちがここを爆破して北側に向けて脱出。こう言う事でいいか?」

 

 にとりは確実に頷き、サイファーももう一度プランを頭の中に描いて確認する。一か八か、と言ったところだ。正直なかなか派手な作戦だが、どの道このままではにとりは死に、自分もその場で射殺だろう。それなら脱出作戦を実行して死んだ方がましだ。

 

 取りあえず、サイファーはにとりを機体の後ろに乗せるために、怪我の具合を再チェックする。血は何とか止まってくれたみたいだ。が、流れた血の量は、安心できる範囲ではなさそうだった。ともかく、見た限りではこの格納庫ににとりを救うだけの道具は無い。スザク達と合流するのが適切だ。

 

 格納庫の壁際に用意されていたヘルメットを手に取り、にとりの頭を軽く起こして被せてやると、フライトスーツのチェックをする。銃で撃たれた個所は穴があいてしまっていたため、応急用のパッドで塞ぐ。

 

「にとり、体を起こすぞ。痛いかもしれないが我慢してくれ」

「だい……じょうぶ……」

 

 にとりの左肩を持ち上げ、極力丁寧に体を起してやると、ゆっくり歩かせる。が、左足も撃ち抜かれているため、どうしてもバランスが悪く、腰に手を添えてこけないように保つ。

 

「もう少しだ、きついか?」

「へいき……」

 

 動かしたせいで息が荒くなってしまっていた。早く座らせてやりたい。はやる気持ちを押さえこんで、タラップまで辿り着くと一歩一歩確実に足場を踏み外さない様にしながら、どうにかしてにとりの片足をコックピットに入れるまでに到達し、一旦体重を自分の方に掛けさせてにとりを休ませる。強がってはいるが、顔色は悪く、息も荒い。額は汗びっしょりで、どう見ても大丈夫ではなかった。高空だと気圧の関係で傷口が開きやすくなる。だが追撃を振り切るには高空を音速で飛ぶのが一番だ。燃料の消費だってある。低空だと厳しいかもしれない。

 

 サイファーは、脱出直後は高空、安全圏到達後は低空飛行で逃げる算段を立てると、にとりの全身をコックピットシートに収め、ハーネスで固定する。

 

「痛くないか?」

「痛いけど我慢するよ……」

「我慢できる様な状態じゃないだろ」

 

 仕方ない、とサイファーは前席を覗きこみ、救急キットを探す。こう言うのはだいたい座席の下にあったりするからすぐに見つかった。

 キットの箱を開けて、中からモルヒネを取り出す。使用法を確認して、訓練で使用した物と同じ使い方だと安心し、にとりの方に向き直る。しまった、もう固定してしまった。こんなことなら先にモルヒネを打っておくんだったと後悔した。

 

 仕方ないからハーネスを外して、にとりの左腕の袖をまくり、血管を浮かせて注入する。その際軽くうめき声を上げたが、サイファーにそんな一流の医者ほどの技量は無いため勘弁してほしいと思い、注入が終わってゆっくりと針を引き抜いた。

 

「っ……!」

「すまん、これで精一杯だ」

「女は……丁寧に扱う物だよ……」

「不慣れだ。勘弁してくれ」

 

 袖を元に戻して、再びハーネスを固定する。モニタリングシートのモニターの電源を入れてみる。ロード画面が表示されてセットアップメニューが立ち上がる。同時に前席の電源も入り、サイファーはそっちに目線を映す。開示されていた必要最小限のコックピットの資料とは細部が異なっており、タッチパネル式のコンソールとモニターが中央に装備されていた。

 

 初期設定の文字。パイロット登録の表示と、キーボードが表示される。サイファーはキャノピーに搭載された後方確認用の鏡でにとりの様子をチェックする。相変わらず辛そうだが、目はしっかりと開いて、しかも左手で画面を操作してセットアップの手伝いをしていた。もう止めても聞かないだろう。にとりの目は整備士としての眼光へと変わっていた。むしろこうした方がいいのかもしれないと思い、サイファーは黙ることにした。

 

 パイロット登録が終盤まで近づき、指紋認証画面が現れる。こんな物まで搭載するあたり、果たしてセキュリティのためか道楽か、どっちか分からないがまぁこれは無いに越したことは無いということで割り切ることにした。

 

「立ち上げ完了だ。にとりは何してんだ?」

「F-22の遠隔システムとリンク……そっちのモニターに、出す……」

 

 中央モニター、にとりの画面が転送されてサイファーは表示される文字をスクロールする。またハイテクな機能だ。第一の感想がこれである。どういう風にハイテクなのかと言えば、今現在サイファーのコックピットに、F-22の機首に搭載されたカメラからの映像がリアルタイムで表示され、しかも遠隔操作の制御がこのワイバーンのコックピットとリンクしているのだ。

 

 これじゃあ巨大なラジコンだ。いや無人機は言えばただのラジコンなのだが、こんな近代的技術本当にどこから仕入れるのかと脱帽するが、もう驚かない事にした。たぶん、にとりなら核弾頭を一人で量産するくらいはやるだろう。

 

 ともかく脱出が最優先。サイファーはキャノピーを降ろして、にとりにマスクをするように促す。タッチパネルに指を走らせてF-22が格納されている格納庫扉の爆破スイッチまで走らせ、少し呼吸を整えてからにとりに「行くぞ」と宣言し、にとりも頷いた。

 

 モニターの起爆スイッチを押す。にとりは後方でワイバーンのエンジンを始動させる。エルジア性のワイバーン専用エンジン、ERG-1000の唸りが上がる。

 

 直後に振動。モニターでは目の前の扉が吹き飛ばされ、サイファーはスロットルを押しこむ。無人のF-22がタキシングし、格納庫を飛び出す。いつもよりも早い50ノットほどの速度で無理矢理機体を南側に向けてタキシングする。その辺りで銃弾が機体に当たる音が聞こえ、思った以上に敵の動きが早い事を察知して、迷わずアフターバーナーを点火させる。画面の隅の後方モニターに、追いかけてくる敵とRPGの白煙。これはまずい、出来ればもっと時間を稼ぎたいため、揚力がまだ足りないがフラップを深めに下してピッチアップ。ギアを格納して右旋回、機首を北に向ける。RPGは回避、しかしアラートが鳴る。

 

「携行ミサイルか!」

 

 サイファーは旋回でかわそうとしたが、無理矢理離陸したため、速度がフラップ全開でも失速寸前だった。ならせめて、出来るだけ多くの人間の目に入る形で終わらせてやる。

 

 ほんの少し機首を降ろして、進路を滑走路上に向ける。それとほぼ同時にF-22のモニターが消え、爆音と衝撃が響いた。

 

「リンク、カット……」

 

 遠隔モードを解除し、サイファーはX-02の目視チェックを行い、今度は目の前の格納庫爆破用のボタンを押し、目の前が炎に包まれて思わず目を背けたくなったが、ヘルメットバイザーを降ろして正面を睨む。敵はいない。数人の兵士が爆風で吹き飛ばされているのが見えた。

 

 格納庫から機体全てが空の下に姿を現して最終チェック。サイファーは最小限の動翼確認を行い、機体を誘導路まで運ぶと北側に向けて、スロットルを押しこんだ。にとりの状態では手荒く行くのはよくないが、構っていられない。サイファーは、すまないと頭の中で叫びながら加速し、離陸速度に達したところでエアボーン。直後に、ミサイルアラート。スティンガーミサイルが迫る。サイファーは軽く操縦桿を捻り、そしてワイバーンの反応の速さに驚いた。ロールの性能がラプターよりも早い。少し扱い方に違和感を覚えたがすぐに立て直して旋回。離陸直後の低速だと言うのに、全くぶれない動きで旋回し、ミサイルを回避する。

 

(なんて機動力だ! F-22と比べ物にならない!)

 

 エルジアの航空技術の結晶の力を目の当たりにしながら、急上昇。加速力も申し分ない。だが全力加速は今ご法度。7割型の出力で上昇し、そのまま離脱する。主翼と尾翼が変形して高速巡航モード。サイファーは円卓に向けて離脱して行く。

 

「…………」

 

 首を曲げて、遠ざかるヴァレーを見つめる。その滑走路上に、訓練学校を卒業し、傭兵として活動を始めた時から苦楽を共にした愛機、F-22ラプター。燃え盛る青い翼と氷の妖精のエンブレムは、滑走路に横たわって炎に焼かれていく。サイファーはもう原型を留めていないかつての愛機に敬礼し、猛禽の名を与えられ、最強と呼ばれた戦闘機の最期を見届ける。

 

「安心しろ、お前の魂はこいつに受け継がれた。だから眠れ。あばよ、俺の愛機」

 

 後ろ髪をひかれる思いを振り払い、サイファーは前を向く。もうここには戻れないだろう。だが必ず帰ってくる。その時にはこんな腐った事をする奴らを叩き潰して、英雄として帰ってきてやる。そう胸に誓った。

 

 さらば、ヴァレー空軍基地。鬼神と言う名の英雄を生んだ母なる大地よ、さらば。

 

 

 

 

 脱出して北西へと進路を修正し、サイファーは高度を落としてスーパークルーズで航行する。ただ、やはり降下すると燃料の消費が激しい。離陸直後の高高度巡航時はそうでもなかったが、空気抵抗が増えるとやはり厳しくもなる。サイファーは予備燃料込みの飛行可能距離と時間を算出する。ひとまず、追加燃料タンクの分を合わせれば、気流次第でオーシア大陸の隅まで行ける計算が出た。

 

 取りあえず、気圧が地上とほぼ同じの高度1万フィートを維持して飛ぶことにした。後は敵に見つからない事を祈るのみだ。ただ、灰色の男たちの最大の目的でもあったX-02を簡単にとり逃すとは思えなかった。どこかに網を張っているに違いない。サイファーはレーダー画面を広域モードに変更して、そして範囲の広さにまたも目を見張った。

 とにかく範囲が広いのだ。恐らくF-22の倍以上の索敵範囲だった。さすがは射程200キロのダークファイア長距離ミサイルを搭載可能にした戦闘機の事だけはある。見れば南東側にヴァレーに向かうウスティオ所属の戦闘機部隊がちらりと映っている。距離にしておよそ300キロ先。向こうは全く気がついてない。というか、敵からしてみれば索敵範囲外なのだから見つからなくて当然である。

 

 取りあえず反応のある敵機をやり過ごして、サイファーは円卓を目指す。途中レクタ国境が張り出している場所があるため、避けるためにさらに西側へと進路を向ける。その辺りで眠った物だと思っていたにとりが口を開いた。

 

「上手く、行ったみたいだね……」

「ああ。お陰さまで今のところ敵を一方的にこっちが見つけている状態だ。円卓周辺を見るまでにはもう少しばかり飛ばないといかんが、取りあえず一時間もいらないだろう」

「そうだね……上手く行けば一時間くらいで目的地かな……」

 

 時刻を確認する。朝、スザク達が脱出して三時間近くが経とうとしており、午後を回っていた。北側は日没が早い。恐らく日が沈むまであと四時間から五時間と行ったところだろうか。

 

「サイファー、もしかしたらステルスも混じってるかもしれない……だから、そっちでガリウムナイトライドAESAレーダーを使って探知して……」

 

 長い名前だ。と、突っ込みを入れながら、サイファーはレーダー画面の隣にあったモード変更のコマンドを押しこんで、AESAレーダーを起動させる。すると、ほぼ何も映っていなかったレーダーに、さらに複数の反応が現れ、しかも中にはベルカ機のIFFも混じっていた。

 

「なるほど……正規の調査隊に混じって、裏で動いている奴らもいるってことか。大方YF-23辺り使ってるな」

 

 一番近いのは、自機から見て二時方向の二機編成ベルカ機。動きが直線的な辺りを見れば、こちらには気がついてない。サイファーは高度を落として、山陰に隠れて斜面に沿うように飛ぶ。そう言えば追加タンクを積んでいたらステルス性が落ちるが、それでも見つかって無いのか?

 

「燃料タンクの形状を、ステルス対応型にしたんだ……コーティングもしてるから、簡単には見つからない……」

「革新的技術だなおい」

 

 これで心配事は一つ消えた。このまま円卓まで突破できるかと一瞬考えるが、万が一見つけていないふりをしているとして、遠くの後方から接近されれば集合場所を嗅ぎつけられる。こちらのレーダーで着いてくる事が分かっていても、集合しなければ次の行動に移行出来ない。ここは直接飛ぶより、暗くなるのを待った方が得策なのではないだろうか。

 だが、にとりの傷に手当だって急がなくてはならないのだ。あと五時間、切りつめて四時間。にとりを放置することなんて出来ない。どうすればいい? サイファーの脳内は決断を迫られる。

 山間を抜け、少し開けた場所に出てくる。二時方向のベルカ機編隊は四時方向の位置にまで移動し、首を曲げれば小さな黒点が見えた。それはあっという間に見えなくなって、サイファーはやり過ごしたことに安堵する。

 

 考える。サイファーは、心を鬼にする事に決めた。恨まれても仕方がない。恨むなら恨め、一生俺に取り憑くがいい。

 

「…………にとり、近くにこの機体が着陸できる場所はあるか?」

「…………」

 

 少しの間、にとりは答えなかった。バイザーに隠れてその表情は読み取れなかったが、目線を少し下してモニターへとおぼつかない指を走らせる。意図を読み取ったのだろうか。いや、恐らく直感で何をするか理解しているだろう。でなければ聞き返してくる。

 

「レクタ国の……国境線ギリギリの地点に、硬い岩盤の平地が、ある……」

「分かった、後はこっちで探す」

 

 モニターに指を置こうとして、だがすぐに座標データが後席から送られてきて、サイファーは本当に言う事の聞かない奴だとため息が出た。

 取りあえず、説教は後にして目標の座標を確認する。本当にぎりぎりだ、ちょっと間違えたらひょっこり入ってしまうくらいだ。しかも、あそこまでになると警戒空域だ。レーダーで捕らえられたらスクランブル機が飛んでくる。事情を話しても恐らくは奴らの工作で即刻ウスティオに送られてさようならだ。だが、逆にとればベルカ機もウスティオ機も迂闊には近寄れない。特にベルカ機はレクタ以前にウスティオ国にも侵入していて、ファトー政府がウスティオになぜそれを見逃していたのかと問い詰められればぼろが出る。奴らもそこまでのリスクを冒す訳にはいかないだろう。

 

 レーダー画面で敵機が居ない事を確認して、指定座標に向けて右旋回。目標までは三十分もいらないだろう。極力頭を出さないように飛行し、頭を張り巡らせる。

 

 だが、結構集中した割には怖いくらいに問題無く目的の場所に到着した。指定されたポイント付近を見降ろして見れば、広くは無いが戦闘機が降りれそうな平らな岩場がある。降りれなくはない。

 

 旋回しながらエアブレーキ展開。速度を殺しながらアプローチに入る。燃料はまだほとんど満載のため、少しばかり勝手が違う。可能な限りの減速をしなければ、凹凸の激しい岩場に突っ込んで最悪車輪が折れる。距離としてはぎりぎりと言ったところだろうか。

 

 タッチダウン。舗装された滑走路とは比べ物にならない振動がコックピットを襲い、少し早すぎたかと思うが、少し進んでましになり、やがて速度が殺されて荒い岩場の数十メートル手前で停止した。

 

「にとり、少しやり過ごすぞ。体はどうだ?」

「まだまだ……こんな所でくたばらないよ……」

 

 バイザーを持ち上げ、にとりは笑って見せた。ああ、こいつは強い奴だと再認識する。

 キャノピーを開けて、空を見上げる。雲が多めだが、隙間から青空が覗いている。気温は0℃手前。息が白くなり、空気と同化して消える。機体を隠せそうな岩陰を探すが、残念ながら見当たらない。せめて出来るだけ大きめの斜面のふもとに機体を動かすくらいしかない。

 

 スロットルを開けて、タキシング。多少の段差を乗り上げてどうにかしてましな場所にまで辿り着いて停止させる。自走で出れるようにしないと詰む。トーイングカーなんて無いのだから当然だ。機体によっては人力でも引っ張れるが、燃料満載、ミサイル満載の戦闘機を人一人で動かすのは少なくともサイファーには出来ない。

 

 エンジンカット、残燃料を確認してタラップを降ろす。一足先にサイファーは降りたち、周囲を見る。ひとまず目に入るところで敵影なし。少しは大丈夫だろう。

 

 次に、にとりを降ろすためにもう一度タラップをよじ登り、動けるか聞く。日没直前までの四時間、座る続けるのも酷だろう。

 にとりの左腕を持ち上げ、肩に回して持ち上げる。体の向きを変える際に背中に背負い、慎重にタラップを降りてにとりの体をノーズギアに預けると、応急ベッドを膨らませてそこに寝かせた。

 

「ごめん……たすかるよ……」

「なに、気にするな。お前にはなんだかんだで借りがあるし」

「ははは……この大騒ぎはノーカウント扱いか」

「ああ、ノーカンだ」

 

 幾分安定してきたのか分からないが、にとりの口調は安定していた。サイファーは取りあえず安堵した。

 

「痛い場所はあるか?」

「全身痛いよ……モルヒネなかったらまだ悶えてるさ……」

「いやいや、モルヒネ使ったら普通判断力が鈍ぶって口数減る物だが」

 

 全くよく喋る。だが傷口を確認する限り、再出血は無い。冷凍輸血パックが搭載されていれば今ここで処置したが、流石にそんな都合のいい物までは用意されていない。サイファーは、出来る事なら自分の血を分けてやりたいところだが、あいにくサイファーの血液型はB型。にとりはO型だから無理な話だった。

 

 ひとまず、寒くないように緊急時用の保温シートでにとりを包む。手足まですっぽりと入れたため、まるでミイラだ。少しだけサイファーは笑いが込み上がってしまう。

 

「笑うなよばか」

「すまんすまん」

 

 それにしてもさすが最新鋭機と言ったところだろうか。応急キットの中身の充実具合が尋常ではなかった。例えるならかゆい所に手が届く具合だ。モルヒネや応急パッドは分かるが、今にとりが寝ている応急ベッドや、保温シート、後席も探して見れば軽い心電図とAEDまで置いてあった。こいつは空飛ぶ救急車かと突っ込みを入れたくなった。まるで不時着を想定した様な備え具合だった。

 

「ん?」

 

 サイファーはふと、ワイバーンの主脚に目を向ける。艦載仕様だと聞いていたが、ワイバーンの主脚は確かに陸上機よりも頑丈な太さで作られており、この頑丈さだからこそさっきの着地に耐えられたのかと納得がいく。だが、その次にタイヤを見て、それが荒地にも対応した方だと言うのに気がつく。もともとそういうオプションなのかは分からないが、このワイバーンは整備の行き届いていない基地での運用を想定しているのだと予測できた。

 

「にとり、ワイバーンのこの仕様はお前が考案したのか?」

「ははは、分かったか。もともとの目的地が閉鎖されて半世紀の基地だからね……」

「あと救命キットが充実しすぎだ」

「私の道楽。あと対ゆーちゃん用」

 

 もうあの子そんなに病弱じゃないだろと言ってやりたくなったが、この前熱出したの思い出して黙っておいた。まぁ、そのお節介が今こうして準備下にとり本人の命を繋ぎとめてるから結果として言えば良かったのだろう。

 

「さて、また後で飛ぶからにとりは寝てろ。俺はコックピットで無線傍受して情報集める」

「あ……まって……」

 

 サイファーが立ち上がろうとして、だがにとりが左腕を必死に伸ばしてサイファーを掴もうとし、しかしそれが届かずに終わる。だが、サイファーを呼びとめるのには十分で、どうしたと言いたげな顔でにとりを見る。

 

「……その、するならするで傍にいてほしい、かな……」

「…………急に乙女になったな、お前」

「女っ気が無さ過ぎなのには悩んでたよ……ちょっとは察してくれたら嬉しいんだけど……」

「へいへい、私が悪うございやした」

 

 待ってろ、と言い残してコックピットに行き、まずは回線の具合を確かめて調整をすると、無線の延長コードを繋いでにとりの寝ている所まで引っ張り、セッティングを終えた。

 

「さて、これでいいだろ? ちゃんといてやるからお前は寝てろ。温存も作戦の内だ」

「ははは、まぁそうさせてもらうよ。さすがに厳しいや……」

「あいよ、おやすみ」

 

 サイファーはヘッドセットを耳に当てて、ウスティオの周波数で動きを調べる。口数は多くないが、定期更新の無いように自分たちが見つかった、という報告は無い。並びにスザク達を見失った、という報告も聞き、取りあえずスザクは逃げ伸びたのだと知ることは出来た。出来ればベルカ側も聞きたいのだが、暗号回線が複雑そうで、ヒットせずに諦める事にした。

 

 にとりの方をちらりと見れば、目を閉じて寝息を立てていた。素直に眠っているようだった。いつもなら何か自分の事をするとか言ってスパナを握っていそうなのだが、それだけ体力を消耗していたということだろうか。

 

 一応、手首の脈拍を確認してみる。通常よりも弱いが、まだ許容範囲だろう。ただ、サイファーはそこまで医学には詳しくないから実際はどうかなんて分からない。心電図を使うか? とも思ったが、まだ必要無いだろうと判断する。万が一敵に見つかった場合、素早く撤収しなくてはならない。医療器具はにとり以外の誰かのためにも使えるから残しておきたい。

 特に、サイファーが覚えている限りではゆたかが医療についてかじっていたはずだ。下手に扱うよりゆたかに任せた方がいいだろう。

 

 ノーズギアにもたれ掛かり、何も聞こえない無線の声を聞き続ける。これが数時間か。中々堪えるな。そんな事を考えながら、サイファーは少しだけ疲労を感じ、軽く目を閉じていつの間にか眠りに入っていた。

 

 

 

 

「こ……ファー……」

 

 サイファーの耳に声が入り、一体何かとその声を聞き取ろうとする。耳に意識を集中すると、少しずつ声が鮮明になって来て、自分が目を覚ます寸前なのだと言う事に気がついた。

 

「こらサイファー、起きろって言ってるでしょ」

「……んあ」

「なに間抜けな声出してるのさ。そろそろ日没だよ」

 

 そう言われて、サイファーは目を開いて少しばかり驚いた。もう太陽は地平線にたどり着く寸前の位置まで達しており、少しばかり休みすぎた事に焦る。

 

「すまない、寝すぎた。すぐに出る」

「ったく、しっかりしなよ」

「悪い……って言うか、やけに元気だな。大丈夫なのか?」

「幾分気分はいいさ。ただ、ちょっと傷が痛むかな」

「また飛ぶから傷口がうずくだろう。もう一回モルヒネ打っておくぞ」

 

 予備のモルヒネを取り出して、脱出時と同じようににとりに打つ。やはりにとりは苦痛そうな顔をしていたから、やはり自分はへたくそなのだなと少々唸ったが、そんな場合でも無いので急ぐことにする。

 

 傷に触らない程度ににとりを後席に乗せて、サイファーもコックピットに乗り込む。太陽は半分ほど沈んでおり、真っ暗になる前にはここを離れなければ暗闇の中を手さぐりで飛び立つことになる。それはさすがに危険すぎだと思う。

 

 APUを起動させて状況確認。機体は異常なし、周囲に機影は無し。日没寸前で捜索を打ち切ったのだろう。残念ながらこちらはまだ近場に居るのだ。盲点だったなとサイファーは少しだけ得意げになる。まぁ、座標を割り出したのはにとりなのだが。

 

 エンジンスタート、回転数を上げる。吹きあがりが早さはF-22と同じくらいだが、十分に早い。一昔前の戦闘機だと幾分か時間が掛った。この速さは急ぐサイファーにはとてもありがたい物だった。

 

 キャノピーを降ろして、機体を反転させる。風は追い風になっているが、そこまで強くは無い。このまま離陸する。

 スロットルを押しこんで滑走。少々エンジンに負荷が掛る飛び方だが一瞬だけだ。アフターバーナーの唸りが響き渡り、荒々しい岩盤を滑走し、ピッチアップ。X-02は暗闇に染まる空へと舞い上がる。ちょうど、そのタイミングで太陽が完全に地平線の向こうに沈んだ。

 

 目指すは円卓。そこに仲間たちが待っている。待っているはずだ。サイファーは相棒と仲間たちの無事を祈りながら速度を上げる。エンジン音が機内を支配して、しばらく無言の状態が続く。が、にとりはその空気を破って、口を開いた。

 

「……前さ、私が戦闘機の整備士になったきっかけ話したじゃん」

「ん、ああ。戦闘機弄ってたのを熱心に見てたんだろ」

「うん。その戦闘機を弄ってて、私をこの道に引き入れた男が、サイファーの撃ったあいつなんだ」

「なんだと?」

 

 サイファーは一気に自分の頭の中が罪悪感で満たされるのを感じ、血の気が引いて行くのを感じた。だが、にとりはそんなサイファーの心情にすぐに気がついて訂正を入れる。

 

「まって、大丈夫だから。もうあいつは恩人じゃないから」

「け、けど……」

「いいんだ…………正直、あんな奴についていかなければ良かったって思ってるから……」

 

 声のトーンから察して、あまり触れてはならないとこに触れてしまったのだと気が付いて、しかしその先がどうしても気になってしまった。だから、踏み入れるかどうか迷ったが、サイファーは今回だけデレカシーの欠片のない奴になろうかと思った。

 

「……続き、聞かせてもらえるか?」

「ああ、いいよ。昔話が出来る相手が欲しかったんだ。久々だよ」

 

 鏡で見るにとりの顔は暗くてよく見えなかったが、笑っているのだろうとサイファーは直感で分かった。現ににとりは嬉しそうに唇を釣り上げて、窓の外のまだ明るみの残る西側を見ていた。

 

「あいつに整備士として呼ばれて、私の技術はあっという間に開花して行った。それはもう世紀の天才だって言われたくらいに。そりゃ浮かれたね。それまで周りにはおかしな女って言われてたからさ。おかげで友達も右手の指の数程度にしか居なかったし。けど、私はおかしくなんかない。私は天才なんだってすごく自信を持てた。最強の空軍、ベルカ空軍に認められたら誰だって光栄に思うさ」

「ベルカ空軍だと? まさか、お前の出身って」

「そう。私の故郷はベルカさ」

 

 にとりの目はベルカの国境がある方角へと移動し、それを少しだけ哀愁漂う目で見つめる。もう、戻るつもりはない。そう決心していたからだ。

 

 

 

 

 にとりの技術はベルカ内で話題になり、国内のあらゆる場所からオファーが掛ったくらいだった。国内外の戦闘機製造メーカー、旅客機製造メーカー、新型機の試験飛行機関など、目も眩むような場所ばかりだった。

 

 その中から、にとりが選んだのは、自分を整備しにしてくれた男の所属するベルカ空軍第407整備団だった。彼のためにもこの技術を生かそうと、奮闘していた。

 

 どこへ行ってもにとりの評判は高く、基地内からでも持ちきりで言い寄る男も多かった。が、にとりは異性には全く気を向けず、ただひたすら目の前の戦闘機たちの腹に手を突っ込んでいた。それだけでも楽しかった。

 

「全く、考えてみれば浮かれ過ぎていたよ。考えれば考えるほど恥ずかしい」

「そんな時期だってあるだろ。好きな事を評価されたら誰だってそうなる」

「君は鬼神だって呼ばれてるのに喜ばないね」

「スザクにぼろ負けしてるようじゃまだまだだって知ってるからな。そりゃガキの時は周りよりか断トツで強かったけど、あの人と戦うといつも完膚なきまでに叩き潰されたわ。目視したと思ったら死んでたんだからな」

「なるほど。そりゃ無理だね」

「ああ、無理だ」

「……ま、その分なら君は私みたいな末路を送らなくて済むかな」

 

 それは唐突だった。いつものように兵士たちの訓練飛行を見送って、一息吐いていた時だった。突然基地の中が騒がしくなり、そして次第にそれが出撃した機体にトラブルがあったのだと知った。

 最初こそにとりは焦りつつも、情報を集めようと動いていた。が、詳細を調べていくにつれて、知りたくない情報を知ってしまう羽目になってしまった。

 

 事故を起こした戦闘機のパイロットは脱出できずに機体と共に運命を共にしたそうだった。機体の残骸は雪山に埋もれ、捜索不能。遺体の回収も出来そうになかった。

 しかも、そのパイロットが、にとりの数少ない友人の恋人でもあったのだ。

 

「一体どうしたらいいのか、分からなかったよ……親友の恋人が死んで、一体どう説明すればいいのか分からないよ。サイファーならどう伝える?」

「そりゃ伝えにくい事この上ないが……伝えるしかないだろう」

「その原因が自分でも出来る?」

「…………まさか?」

「そう。原因は私さ」

 

 にとりはある日司令部に呼び出された。その重い空気ににとりはまさかと思っていた。そしてそのまさかは的中してしまった。

 

 事故の原因はにとりの整備ミス。主翼付け根のボルトの整備不良だった。事故から一番近い日に行われた整備担当者はにとり。そして、交換するはずの新品のボルトが収納箱に入れられたままだった。

 

 つまり、整備を怠っていたのだ。チェックしてみた限りではまだ大丈夫だろう。そう思って、その日の交換をしなかったのだ。

 

 これは基地の大問題になっていた。とんでもない過失だった。許されることは無い。にとりは何の反論も出来ずに、ただただ自分の犯した過ちの大きさに後悔し、言われた内容をほとんど覚えていなかった。

 

 結果として、にとりは軍法会議まで自室謹慎ということになった。部屋に戻ってから、死人のような眼で過ごしていたのだろう。食事も何を食べたのか分からず、食べたのですら覚えていない。昼も夜も分からないような、そんな日々が何日も続いた時だった。

 

「そんなある日だったよ。私はあいつに呼び出された。今の私にとっては、誰からも話しかけられずにただ孤独を味わっていたよ。そんな状況だったから、誰かに話しかけられるって言うのはすごく嬉しかった。思えば奴の顔は落ち込んでる人間を慰めるような眼じゃなかったね」

 

 にとりは誰もいない部屋に連れ込まれた。何の部屋だったかは覚えていない。だが、薄暗いその部屋に入って、そこでにとりはようやく身の危険を感じた。だが、もう遅かった。

 

「男ってああも変わるんだね。俺の顔に泥を塗りやがって、って言いながら私の服を切り刻んで、あとは性処理の道具にされたよ。女を抱く、って言う物じゃなくて、本当に道具のように扱われた。抵抗すれば殴られ、蹴られ、髪の毛を引っ張られて、私は泣き叫んでも奴は笑っていた。そういう性癖だったんだ。強姦が好きな人間だったんだよ、あいつは」

 

 淡々と、まるで他人のように語り、そんなにとりにサイファーはある種の恐怖を覚えた。まるで病んでいる人間を相手にしているようだった。いや、実際思い出して病み気味になっているのだろう。

 

「処女は心に決めた人、なんて夢物語だって実感した。ただひたすら毎日……毎日犯されて、気づけば他の男たちにも貪られていた。あれほど死にたいって思った事は無かった……開放されたのに一体何日掛ったのか今でも分からない……」

 

 ぼろぼろになって部屋に横たわり、にとりは虚ろな目でただひたすら一点を見つめ続けた。頭には恐怖と痛みと、それに悦ぶ体の反応が焼き付けられて、言葉に出来ない感情が溢れて無意識のうちに涙が出る。ふと、力無く首を曲げてみると、ベッドの向かいの机に果物用のナイフが転がっているのが見えた。他の物は視界に入らないのに、やたらとナイフだけが、まるで自己主張をしているかのようにはっきりと見えた。

 

 にとりは迷わずそれを手に取った。窓から入る光でナイフの刃が反射して、まるで使えとでも言っているかのように見えた。ああ、分かったよ。にとりは笑みを浮かべて、ナイフの刃を手首に当て、そのまま切り裂いた。

 

 傷口から赤い液体が染み出す。いい光景だ。気持ちいい。にとりは流れ出る血を見て快楽を感じていた。これで気持ちよく死ねる。ああ、本当に気持ちいい。最高だ。流れ出る血液が、死へのカウントダウンとなり、にとりはそのまま目を閉じた。

 

「それで、死んだのか!?」

「それ本気で言ってるの?」

「冗談に決まってるだろ。……すまん、少し俺には重く感じた」

「ま、無理もないか。身近な奴がこんな経験談語ってるんだから当然かな」

 

 普通ならそのまま死んでいただろう。だが、にとりは救護室で目を覚まし、自分が生きているのだと知ると、なぜ死ねなかったのかと考えた。そしてきっと傷の入りが浅かったんだと結論付け、刃物を探すために起き上がろうとする。が、体を起こそうとして次に額に何者かの手を当てられて、そのまま押しこまれるような形でベッドに沈みこんだ。

 

 見てみたら、そこには心配した面持ちでにとりを見降ろす、彼女の親友が立っていた。なぜ彼女がこんな所に? 一瞬だけそう考えて、次ににとりは自分の整備ミスの事を思い出して一気に血の気が引いて行くのを感じた。

 

「私からしてみれば、あいつは私を仇として見ているに違いないと思ったよ。もう何されるか分かったもんじゃないね」

 

 

 

 

 にとりは、現れた親友を見て恐怖に呑みこまれた。たまらず起き上がろうとして、しかし体は全く言う事を聞かずに、まるで鉛のように重たかった。

 

「こら、まだ起きないでください。かなりの血が流れてたんですから」

「あ……ああ……」

「どうしたんですか、まるで鬼を見るような眼になってますよ?」

「ああ……いや……ごめんなさ……」

 

 恐怖で声が潰れていた。かすれるような声にしかならずに、逃げたくても体が言う事を聞いてくれなかった。それでも、心だけは必死に遠くへ、出来るだけ遠くへ逃げるようとしていた。

 

「まったく、何をそんなに怯えているんですか。取りあえず先ずあなたが落ち着いてください」

「だっ……て……」

「……あー、もしかして例の事故の件ですか?」

 

 にとりの体が大きく跳ねた。ただでさえ少ない血が頭から抜けていく。比喩ではなくひどい頭痛がしたくらいだった。鉛のように重く、血がたるなくて真っ暗になる視界。自分の言う事を聞かない体、目の前に仇となってしまった自分を見ている親友。もう動けない。

 

「そんなに怯えないでください。別に大丈夫ですよ」

 

 核兵器よりも恐ろしいであろう、親友の放つ言葉はとんでもない一言だった。にとりはあまりの呆気なさに別の意味で心身が停止していた。だが、強がりのようにも見えない。目の前の親友はけろりとした表情でにとりを見つめていた。

 

「だ、だって……原因は……」

「ええ、知ってます。にとりさんの整備ミスだと言うのも」

「…………」

 

 にとりは目の前の少女が何を言っているのか分からなかった自分が恋人の敵だと言うのも知っている。なのに全く動じていない。にとりは分からない事が多すぎて頭がおかしくなりそうだった。

 

「……わ、訳が分からないよ! なんで、どうしてそう平然としていられるの!? 私は……私は、君の恋人を殺した、言うなら仇なんだよ!」

「ええ、そうですね。確かに仇とも言えるでしょう。けど、だからといってあなたをどうこうするつもりはありません。あったとしても、そんな状態を見せられたらそんな気失せます。自分がどんな状態で発見されたのか知ってますか?」

 

 そう言われて、にとりはここ数日の記憶が無い事に気が付いた。部屋に戻ってからの記憶をめぐるが、上手く思い出せない。ただひたすら死にたいと、そう思い続けていた事しか覚えていなかった。

 

「覚えてないんですね。あなたは布一枚以外何も身につけず、体のあちこちに外傷、打撲、そして手首から血を大量に流した状態で私が見つけました。あと少し発見が遅かったら、出血多量で死んでますよ」

 

 親友はいくつか写真を取り出して、それを見つめる。その目をどこか辛いものに見えた。そこに映っているのは恐らく自分だろう。直観でにとりはそう思った。

 

「あなたの発見された時の状況写真を残しておきました。正直言って、痛々しくてとても見れた物じゃありません。ですが、私はこれをベルカ軍上層部に叩きつけるつもりです。不当な軍内での性的虐待、すぐに調査が入るでしょう。あなたがいくら大きなミスをした人間でも、人権はある。こんな事許されません」

 

 にとりは、気づけば自分で切った手首以外にも外傷がある事を知った。毛布を開けてみてみれば、あちこち包帯まみれにされていた。

 が、それでも納得がいかない。彼女がこうして平気だと言うのも、自分をこうして庇う理由も一切分からない。何一つ納得がいかなかった。

 

「なんでさ……何でそこまでして私を助けるのさ……私は、私は死んで責任を取らなければならないのに、なんで君は私を助けたんだ!?」

「……友達だからです。あなたの頑張り、私はこれでも一番に見て来たつもりですよ?」

「そんな物で許せる物なの!? 分からないよそんなの! 私は、私は死ぬ以外にどうすればいいのさ!?」

 

―パンッ!―

 

 にとりの頬に、平手打ちが叩きこまれた。とてつもない痛みを感じる。じんじんと頬が熱くなって少しだけ腫れあがる。にとりは驚いた顔で親友を見た。

 

「そうやってまた人を殺す気ですか。自分という命を差し出せばいいと思ってるんですか? それは逃げてるだけなんですよ」

「っ……」

「本気で責任を取る気があるなら、生きて責任を取りなさい。そのミスを生かして次への糧にしてください。それが、あなたに出来る最善の責任です」

 

 

 

 

「彼女にそう教えられてはっとしたよ。私は逃げていたんだってね。それからは彼女の通報によって、私の裁判は延期。またしばらく謹慎が続いたけど、ある日私の罪が免罪になったんだ」

「なんだと?」

「理由は簡単。灰色の男たちの企みに協力すればいい、ってことさ。これは……後から知った事なんだけど、私は少なからず奴らに利用されていたんだ。腹が立って、仕方無かったよ」

「……それで、お前は?」

「参加するって言って、逃げたさ……基地のセキュリティ狂わせてパニック起こして、抜きとれる情報持てるだけ持ってファーバンティ行きの輸送船に潜り込んで極秘で亡命。それから椛と合流して、奴らの企みを潰す算段をしてたのさ」

「そう言うことか……」

 

 以前ファーバンティで出会った、癖っ毛のある犬のような少女を思い出す。彼女もにとりのために動いていた、ということだっだのか。それならこのワイバーンをにとりが仕入れることができた理由がはっきりした。恐らくだが、定期的に飛んでくるにとりの輸送機にパーツをばらばらに積み込んで、ゆっくりと組みたてたのだ。スザクのXFA-27も一緒に。

 

「私は、彼女に大きな借りがあるんだ。どうやって返したらいいのか分からないくらい大きな借り。でも、たぶんあいつは気にしない、って言うだろうね。でも、見ちゃったんだよ。陰で泣いてるの。気にしてない訳なんて無かったんだよ」

 

 ほう、とにとりは息を吐いて空を見上げる。少しの間だけ間をおいて、少し感傷に浸る。幾分楽になった気がした。話せる相手が今までいなかったから、どこか体が軽くなったような気がした。

 

「ははは……長くなっちゃったね。つまらない話して、悪かったよ……」

「いや、お前の事知れてよかった。まったく、俺よりシビアな経験してきてたんだな」

「ふふふ……見た目は子供、頭脳は大人っていうじゃん?」

「まったくもってその通りかもな」

 

 西に見える太陽の光が弱くなり、サイファーの真上は満天の星空で埋め尽くされる。時刻は17時直前だった。間に合うだろうか。少しだけそんな不安に駆りたてられる。

 座標をチェックする。目標地点までそう遠くは無いところに来ていた。あと少しだ。

 

「……サイファー、星がきれいだね……」

「ん? ああ、ここは乾燥してるし冬場だと壮観だぞ。任務中はあまり見れないけどな」

「そっか……私も夜空なんてそう長いこと見てなかったよ……」

「ああ、違いない」

「本当に綺麗だ……まるで、まるで海だ。星の海……」

 

 サイファーは少しにとりの言うことに違和感を覚えた。モルヒネが聞いて判断力が鈍ったせいなのだろうかと思うが、その割には口数が多い。どうも違う気がする。

 

「まったく、オーシア産のモルヒネはダメだな。患者がべらべら喋る」

「ははは……痛みは、実際感じてないよ……眠い、感じがする…………」

「…………」

 

 サイファーは何かおかしい気がした。理屈は無い、ただ直感でにとりの様子がおかしいと感じいた。その次に、にとりがほんの少し体を傾けた時に、嫌な音がした。水が衣服に張り付いているような、びちゃり、びちゃりとした音がエンジン音に混じって聞こえた。

 

「!!」

 

 サイファーははっとして、後席の照明を最大にして点灯させた。そしてにとりの体を見た時、絶句した。なんで今まで気が付かなかったのだと自分を呪いたくなった。

 

 にとりの腹部の傷口が、赤黒く染まっていた。そしてそこから血が流れ出ているのだとも予想する事が出来た。一体いつからだ? いつの間にこんな危険な状態になってしまったのだ?

 

「あはは……ばれちゃったか……気付かれないようにしてたけど、黙ってた方が……よかった、かな……」

「にとり、お前!!」

「しょうじき……いま目がよくみえないんだ……けど、星の光だけはわかるんだ…………」

「もうしゃべるな、それ以上血を流したら!」

「あはは、モルヒネ、効いてきた……みた、い…………ちょっと、ねる……」

「にとり、まて、気を確かにもて!」

 

 その時だった。サイファーの視界、暗闇のなかにぼんやりと光る物が見えた。その先は指定された目標地点、旧ベルカ空軍野戦基地。その光は炎で作られた滑走路。そして、VとLの二文字。

 

「にとり、おいにとり!」

 

 ここまで来たのだ。もう目の前なのだ。発煙筒が焚かれる。この役目はゆたかにしか知らされていないから間違いなく彼女たちだ。なのに、にとりの意識は完全に消えていた。早くタッチダウンしなければ、間に合わないのは明白だった。

 今のサイファーに出来るのは、にとりに呼びかける事だけだった。

 

「ヴァレーだぞ、ヴァレーに着いたぞ! おい聞いてるのかよ、にとり!!」

 

 

 

 

 タッチダウンしたX-02に向かって、スザク達が走り寄る。機体のカラーリング、ノーズに描かれた009の機体番号で誰だなんてすぐに分かった。走りながらスザクはこんな時間までどこをほっつき歩いていたんだと言ってやろうかと考えて、その次にひとまず一発殴ろうと決めた。が、開け放たれたキャノピーからの第一声は、その考えを吹き飛ばす大きな叫びだった。

 

「救護用意急げ! にとりが重傷だ、意識が無い!!」

 

 その叫びで全員の動きが一瞬止まる。にとりが重傷? なぜ? そういった空気がわずかだが流れた。が、間髪いれずにサイファーの二度目の叫びが飛んで全員はそれに動かされることになる。

 

「早くしろ!! 手遅れになるぞ!!」

 

 それで真っ先に動く事が出来たのがゆたかだった。下されたタラップをよじ登って、にとりの容体を確認しようとする。が、目に入ったのは酷い出血でぐったりと倒れ込んでいる、変わり果てたにとりの姿だった。

 

「そんな……にとりさん!!」

「出血多量、意識が無い! 外傷は右肩、右わき腹、左太ももに銃弾だ! いずれも貫通してるがとにかく血が足りない、輸血を!!」

「分かりました、とにかく機体から降ろします! 誰か手伝ってください!」

 

 ゆたかの声で傭兵たち数人とスザクでにとりを機体から降ろすと、サイファーは飛び降りて再びワイバーンの救命キットを広げ、予備の簡易ベッドを広げるとそこに寝かせるように指示した。

 

「やまとちゃん、他に機体から集められるだけ救命キットをかき集めてくれ! 手が空いてる奴はやまとちゃんを手伝え!」

 

 数人の傭兵たちが、やまとを先頭にして走り出す。サイファーは、にとりの口元に耳を当てて、呼吸を確かめる。その間にゆたかが胸に耳を当てて確認する。

 

「……呼吸は無い、そっちは!?」

「心臓も動いてません、心肺停止です!」

「胸骨圧迫をする、すまないがリック! 傷口を強く抑えてくれ、布類何でもいいからとにかく腹の出血を止めるんだ! ゆたかちゃんは輸血の準備だ。その救命キットに採取用の注射と輸血パック一式がある!」

「はい! スザクさん、O型でしたよね?」

「ああ、言われずとも使ってくれ」

「じゃあにとりさんの横に寝てください、輸血の準備をします!」

 

 サイファーが傷口の出血を見て、舌打ちをする。かなり流れていた。こんなことならさっき隠れた時に脱がしてでもチェックするんだったと後悔した。

 

「サイファー、押さえました!」

「そのまま離すな、胸骨圧迫を開始する!」

 

 にとりの胸と胸の間に手を置いて、全体重をかけて押し込む。それを一分間に百回のテンポで繰り返す。三十回までやって、にとりの顎を持ち上げて気道を確保すると、そのままにとりの唇を覆う形で口をふさぎ込み、空気を二回送り込む。そしてそのまま胸骨圧迫を再開する。

 

「にとり……戻ってこい、そっちに逝くんじゃないぞ……!」

 

 絶対に死なせない。サイファーは一心不乱に心臓を押しこむ。全部投げ出して死ぬのは許さない。必ず引っ張り戻してやると止まった血を循環させる。

 

「ありったけの救命キット持ってきました!」

 

 数回そのサイクルを繰り返したところで、やまとが両手に持てるだけの応急キットを持って帰ってきた。それくらいになると、気温が零度寸前でもサイファーの額には大量の汗が吹き出し、酸欠で頭がくらくらしていた。

 

「やまとちゃん、中にある包帯とタオルになる物全部出して! 出したらサイファーさんと胸骨圧迫を変わって! こっちは輸血の準備が出来たから!」

「分かった!」

 

 中身をすべてひっくり返す勢いでやまとは指示された物を取り出し、傷口を押さえていた兵に与えると、サイファーと向かい合う形になる。

 

「サイファー、変わります!」

「ああ、頼む! 3カウントで交代だ。行くぞ。3、2、1、今!」

 

 サイファーとやまとが交代する。やまとも自分の全体重をにとりの心臓に向けて押し込む。サイファーはキットの中に心電図とAEDがあるのを思い出してそれを急いで取り出すと、ゆたかに渡す。

 

「ゆたかちゃん、これ使えるか!?」

「これ……上等です、ここ一番の戦力です!」

「なら扱いは任せる!」

「スーツを開けて、電極を貼り付けます!」

「三十回です!」

 

 やまとの叫びに、すぐさまサイファーはにとりに人工呼吸を施して、呼吸の再開の兆候が無いか確認する。まだ、息は戻らない。

 

「明かりあるだけ持ってこい! 暗くてよく見えないぞ!!」

 

 出来るだけ間を開けないようにして、ゆたかはにとりのフライトスーツの胸元を開くと、電極の準備に入る。その間にやまとが再び心臓を動かすために身を乗り出して、サイファーはにとりに声をかけ続ける。

 

「にとり、起きろ! 起きろって言ってるだろ、お前投げやりにして死ぬなんて許さないからな!!」

「主任、起きてください……あなたにはまだ教えてもらう事があるんです! 主任、起きてください!!」

「にとりさん、ダメです、頑張ってください! ここで死ぬなんて絶対だめです!!」

 

 全員が叫ぶだけ叫ぶ。聞こえてなくたって関係無い。少しでも可能性があるなら何だってやる。実際呼びかけはかなり効果的でもある。意識が無くても聞こえていた、なんて話は大量にある。なら聞こえるなら戻ってこい。さもなくば許さないぞ。サイファーは切に願う。

 

「AEDを使います、みなさん離れてください!」

 

 電極のセットが完了し、心電図とAEDが接続される。サイファーとやまとを始めとしたメンバーが立ち上がってにとりから離れる。ゆたかが誰一人にとりに触れていない事を確認すると、AEDのスイッチを押しこんだ。

 

 バンッ! という音と共に、にとりの体が大きく跳ね上がる。心電図の針が一瞬だけ大きく動き、しかしまた平行線に戻ってゆたかは一瞬ダメかもしれないと思う。だが、やまとがすぐさま胸骨圧迫を再開したのを見て、頭を振った。

 

「やまとちゃん、苦しいなら変わるよ!」

「大丈夫、変わる一瞬ももったいないわ!」

 

 だが、やまとは明らかに尋常ではないほど激しい呼吸をしていた。過呼吸寸前だ。このままではやまとだって呼吸困難になりかねない。だが、止めたら殺すとでも言うような眼で必死ににとりの心臓を動かしていた。ゆたかはどうするか一瞬考え、やまとの体力を信じることにした。

 

「スザクさん、パックに血を集めたので立ち上がって大丈夫です」

「ああ、たっぷり使ってくれ」

「三十、サイファー!」

 

 サイファーが再び人工呼吸。そのタイミングでAEDの再充電が完了する。

 

「もう一度行きます、みなさん離れて!」

 

 これで回復できなかったら本気でダメかもしれない。ゆたかは嫌な汗を流し、ボタンを押す指が震えている事に気がつく。動いて。動いてくれ。ゆたかは、精一杯の祈りを込めて押し込んだ。

 

 再びにとりの体が大きく跳ね上がる。一瞬の静寂。全員がにとり、或いは繋がれた心電図を見つめる。一秒がやたらと長く感じた。まるで止まっているよな感覚。誰もが拳に力を入れていた。

(動け……!)

(起きろ、にとり!)

(動いて……!)

(主任、戻ってきて!)

 

 一瞬の静寂を、全員が固唾を呑んで見守った。

 

 ―…………ピッ―

 

『!!』

 

 心電図の針がかすかに動く。それを合図に、一定のリズムで針が刻まれ、にとりの心臓が動いた事を示していた。それとにとりが息を吹き返すのはほぼ同時だった。

 

「……がっ……かはっ、げっ……ごほっ!」

「にとり!」

 

 サイファーの声を合図にしたかのように、にとりの呼吸が徐々に安定していく。それを見てゆたかは間違いなくにとりを助ける事が出来たのだと確信した。

 

「息を吹き返しました、もう大丈夫です!」

 

 歓声が上がった。全員が腹の底から声を上げて、飛び跳ねるようにして喝采する。やまとは激しく動きすぎて過呼吸を起こし、頭に酸素が回らずに目の前が真っ暗になっていたが、スザクが危なっかしいやまとの体を支えてくれたので、取りあえず支えは任せる事にした。

 

「大丈夫か、やまと?」

「頭がくらくらするわ……今目の前が真っ暗……」

「よくやった、少し休んでろ」

「あなただって血を出したじゃないの……よく平気ね」

「戦闘機乗りは血の気が多いからな」

 

 屁理屈ね。そう言いながらもやまとは目を閉じて回復に専念することにし、まともに出来ない呼吸をどうにかして落ち着かせる。サイファーは顔を降ろして盛大に息を吐く。こんなに安心したのはキニゴスに被弾を受けて生還した時以上かもしれない。気づけば額が汗で埋め尽くされていて、腕でそれを拭った。

 

「ゆたかちゃん、よくやった」

「あはは……腰抜けちゃいましたよ……」

 

 へたり、とゆたかは力なく座りこんで、冷や汗たっぷりな笑顔を見せた。みんなよくやってくれた。感慨深いものだ。しばらく余韻に浸りたいところだが、外では少し寒すぎるため、どこか室内に運ぶべきだと考えた。

 

「ゆたかちゃん、ひとまずにとりを温かい所まで運んだ方がいいと思う。宛てはあるか?」

「向こうにある、左から二番目の戦闘機用の格納庫、あそこだけは取りあえず人が眠れる程度にはしておきましたからそこがいいと思います。換気も出来る範囲でやっておきましたので、少々埃っぽいですが幾分いい方だとは思います」

「なら換気も継続しつつ、出来るだけにとりに寄り添ってやってくれるか? 交代でにとりの体温を確保しよう」

「はい、了解です」

「無線の傍受は俺たちの方で引き受ける。女子チームはにとりの事見てやってくれ。やまとちゃんもいいか?」

「はい、大丈夫です」

 

 まだスザクに支えられているやまとは、まだ血が回りきっていなかったがそれでも役目を全うすると言ってくれた。ヴァレーの女たちは本当にたくましい物だ。サイファーはつくづくそう思った。

 

 

 

 

 何と言うことだ。にとりは今度こそは次に自分がいる場所は三途の川だと信じていたのに、目に入ったのはコンクリートで作られたドーム状の天井だった。そして、やたらと年季の入ったような臭いが鼻孔の奥を小突いていた。カビ臭いと言うか、埃っぽいと言うか、言葉にしにくい物。死んでいる、にしてはリアルすぎる物だった。いや、死後の世界という物は分からない。試しに声を出してみた。

 

「…………いき……てる……?」

「ああ、生きてるぞ。ここは別にあの世の一歩手前でも何でもない、円卓にある旧ベルカ空軍野戦基地だ」

「……サイファー」

 

 あまり言う事を聞いてくれない自分の首を動かして、声のした方を見ると、毛布を羽織り、にとりの傍らで座っているサイファーが目に入った。

 

「……私、は?」

「心肺停止でここにたどり着いた。で、どうにかして息を吹き返して、今に至る。ゆたかちゃんに感謝することだな。あの子が医療かじって無かったら、もっと適切な治療は出来なかっただろうな。それに、一晩中お前につきっきりだったんだからよ」

 

 顎で向こう側を見ろ、とジェスチャーされて、にとりは言われるがまま反対側へと首を曲げる。その先に居たのは、にとりに寄り添って、少しだけ目の下にクマを作って眠っているゆたかの寝顔があった。

 

「やまとちゃんが交代するって言っても聞かなくて、いつお前が起きてもいいように待ってたんだ。傷口も上手い事塞いでくれたぞ」

 

 感謝しとけよ、と付け足して、サイファーは軍用レーションと水を取り出して、食欲はあるかどうか尋ねる。こんなときでも空腹という物は訪れる物で、にとりは素直に受け取った。

 

「……状況は?」

「生き残りは俺たち含めて七機だ。俺たち含め、ジェンセン、ショーホー、バクシー、リック。他はノースオーシア方面に離脱しようとして、キニゴスにやられたらしい。少なくとも六機はやられた。サピンや他国方面に脱出した奴らは分からない」

「そう……」

 

 にとりは、レーションを口に入れてゆっくりと噛みしめる。美味いかどうか問われれば、正直そこまでの物ではない。が、口に出来るものであると言うのは非常にありがたい物だとも思えた。

 

「…………けっこう、やられたね」

 

 上体を起こそうとし、しかし体は鉛のように重くてうまく動かす事が出来ずに、簡易ベッドに沈みこんでしまう。それを見てサイファーは背中に手を添えて、可能な限り負荷を与えないようにゆっくりと起こしてやった。

 

「まだ無理に動くなよ。機体の整備はやまとちゃんが頑張ってくれてる。お前は自分の体を治せ」

「……いや、まだやることはある。あのタブレット端末持ってきてくれる?」

 

 そう言われ、サイファーは懐からほれ、と取り出して手渡す。右腕が相変わらず動けないから、左での操作である。まったくやりにくい。致し方ないとはいえ、いつもの利き腕が使えないと言うのは、中々ストレスになる。

 

端末の中から、今後の移動ルートを割り出して、それをサイファーに見せる。新しいルートの手順が、地図と詳細な文章によって示されていて、サイファーは取りあえず大まかな内容を読み上げる。

 

「これがこの基地から逃げるときのルートだな」

「うん。あと、少しだけ休んだらワイバーンに連れて行って。後席にモールス信号の発信機があるからそれで連絡する」

「なるほど。アナクロならあまり手が回らないし、磁場の影響も受けないしな」

「そう言う事」

「じゃあ待ってな。すぐに取ってくる」

「ありがとう」

 

 サイファーは立ち上がって、大人しくしてろよと言い残して、格納庫から出ていく。にとりはゆたかの方に向いて、まだ寝息を立てているゆたかの髪の毛にそっと触れる。軽くゆたかが「んっ」と声を出したが、起こさずに済んだようだ。

 

 自分の体を見てみる。フライトスーツを少しだけ開けられて、銃弾が貫通した場所は包帯で巻かれて、絆創膏が新しく張り替えられていた。触ってみる所、サイファーがやったにしては丁寧に張られているから、ゆたかがやってくれたのだろう。さすがだ、手際が良い。

 

「主任、起きましたか?」

 

 またも自分を呼ぶ声がして、また格納庫の入口の方に目を向けると、逆光で少し見えにくかったが、風になびくポニーテールのラインですぐに誰かの区別がついた。

 

「やまとちゃん、おはよう」

「よかった、大丈夫そうですね。気分はどうですか?」

「体が鉛みたいに重いよ。全然力が入らない」

「けっこう血を流しましたからね。まだあまり動かないで下さいよ?」

「分かってるよ。何をしていたんだい?」

「みんなで機体の整備を行ってました。燃料が少し足りない機体や、エンジンに被弾している機体もありますから、取りあえず燃料が余ってる機体から分けたり、この基地にある余った合板で穴を塞ぐくらいの事はしています」

 

 どうやら自分が寝ている間に、けっこう色々やっているようだった。前まで大方自分の指示で動いていたやまとが、こうして自分の判断で動けるようになったのは大きな進歩だろう。いずれは現場の指揮もしなければならないのだから、いい経験になってくれそうだ。

 

「ふふふ、立派になったじゃないか。もう一人前だね」

「そんな、主任と比べたらまだまだですよ」

 

 にとりの傍に歩み寄り、やまとはしゃがんで傷の具合を目視で確認する。特に出血は確認できない。まだ大丈夫そうだと判断して、安心した表情になった。

 

「ところで、これからどうするんですか? 一応当初の予定通りには進んでますけど、変更とかは?」

「少しだけ早めに移動するつもりではあるかな。明日の夜に再出発を考えていたけど、明朝の方がいいかもしれない。個人的な不安があってね、そういう要素は少しでも軽くしたいんだ」

「まぁ、安全に越したことはありませんから、主任に合わせて動きますよ」

「ありがとう、やまとちゃん。取りあえずこのルート見ておいて。これが脱出に使う飛行ルートだよ。私はこんな状態で動けないから、他のパイロットたちにも見せておいて。データはサイファーの機体に入れて、ここから離れる時に先導させるから」

「分かりました、後は任せておいてください」

 

 大丈夫だ、というやまとの表情を見て、にとりは少しだけ寂しくなった気がした。例えるなら、親離れして行く子を見る気分だろうか。自分にも子供が居たら、いつかこんな気持ちになるんだろうなと思って、少しだけ唇がつり上がった。

 

 格納庫を出ていくやまとを見送り、入れ替わる形でサイファーが帰って来た。手にはにとりが待っていたモールス信号機を持っていて、ああそれだよとそれを受け取った。

 

「じゃ、ちょっくら向こうの仲間に連絡するよ。サイファーはやまとちゃん手伝ってあげて。ワイバーンの細かい調整は君が立ち会った方がいい」

「まぁ、そうだな。そうしよう」

「あと、まだ動く訳にはいかないのは知ってるけど、外に出たいんだ。少しでも小高い丘にでも行かないと、電波が届かないかもしれないから」

「だが、その怪我だと……」

「大丈夫、行くにしてももう少し休んでからだから。でもせめて松葉杖になる物が欲しいかな」

「…………分かった、ゆたかちゃんが基地の医務室で見つけた古い奴ならそこにあるから使え。あまり遠くに行くなよ」

「ありがとう。すまないね、迷惑掛けて」

「気にすんなって。あと赤外線無線機だ。動けなくなったらこれで俺を呼べ」

「うん、ありがとう」

「じゃあな」

 

 サイファーは軽く手を上げて格納庫から出ていき、中はゆたかとにとりの二人きりになる。さて、状況は聞いてもやはり目で見なくてはなるまいとまだまだ重く感じる体をどうにか動かして、サイファーが気を使っておいてくれた松葉杖を動く左手でつかみ、どうにかして右足に力を入れて立ち上がる。たったそれだけで額に汗がたまってしまい、呼吸が荒くなってしまっていた。五体満足があんなにもありがたい物だったとは。にとりは普通、という物がこれほど恋しくなるとは思っていなかった。

 

 ゆっくりと歩き出して外に出てみれば、太陽は少し高めの位置にまで昇っており、目の前のエプロンにはカモフラージュシートで覆われた戦闘機たちが並べられていた。見たところ損傷がひどい機体は見当たらないが、少なからず被弾個所のある機体も見受けられる。飛べなくはないだろうが、戦闘には不向きなのは間違いない。やまとが穴の開いた垂直尾翼に、余った合板のサイズを合わせて貼り付けようとしているところだった。

 

 サイファーの方を見れば、ワイバーンのコックピットに潜り込んでマニュアルを読み漁っていた。時折りコンソールを叩いて、その他の補助機能について調べている様子だ。

 

 スザクの方を見れば、XFA-27のウェポンベイに手を入れてミサイルの点検をしていた。不慣れな作業なのだろうが、どうやら少し手を加える個所を間違えて、それを見つけたやまとが怒鳴り、ばつの悪い顔になって修正する。

見回せば、皆が自分のやれる事を全うしていて、にとりは出る幕が無いような気がして、少し疎外感を感じた。まったく、出る幕が無いとこんな気分になるとは、意外と自分も脆いのかもしれないなと思う。

 

 周囲を見回して、少しだけ小高い場所を探す。ちょうど、格納庫の裏側にいい場所があるのが見えた。上から見たら格納庫が死角になって見えにくくなる場所である。恐らく、この野戦基地はこれをうまく利用して作られたのだろう。どうりで半世紀前の戦争の基地だと言うのに、目立った損害が無いと思った。

 

 重たい足を引きずる形で歩き出す。少しだが軽くなった気がするが、前回と比べたら全く動きにくい。例えるなら、エレベーターが動かなくなった戦闘機並みである。無様な物だ。そう思いながら丘の上に向かって歩き出す。そんなにとりを、冬の円卓の空と太陽はひたすら見降ろし続けていた。

 

 

 

 

 丘の頂上まで登ってみると、野戦基地を見降ろす事が出来た。格納庫の陰に隠れて見えにくいのだが、サイファー達の戦闘機が並べられているのが見える。

 

 次に、周辺の空を見上げてみる。一応、敵機の影は見当たらない。だが、奴らだって血眼になって探している事だろう。いずれこの基地の存在に気がつくのは目に見えている。あとはどのタイミングで気がつくかだ。

 

 モールス信号を打ちこみ、こちらが明日の朝に脱出する事を仲間に伝える。何重にも複雑化させた暗号文だ、そう簡単には解読できない。たぶん向こう仲間でさえ解読が完了するのに半日は必要だろう。並みの兵士なら三カ月必要だ。

 

 送信を終えて、にとりは深く息を吐いてみる。白い息が空に溶ける。透き通った空を見つめると、まるで吸い込まれるような錯覚に陥る。

 試しに、大の字になるようにして寝転んでみる。実際両手両足を広げる事は出来ないが、なに気分だけでもそのつもりで行こう。格納庫の中は埃っぽくて敵わない。目を閉じてみると、何も聞こえない世界が広がって、いっそこのままでもいい気がしてくる。戦闘機の爆音に囲まれるのは好きだ。だが、たまには静かな世界に身を委ねてみるのも悪くは無い。

 

「…………」

 

 が、自分がこんな風にのんびりし続ける事はもう出来ないだろう。というより、もはやその資格は無いだろうし、する事もなくなるだろう。

 

 この騒動のおかげで、全く関係の無かった仲間たちを大勢危険に晒し、なお且つ多くの犠牲を出してしまった。もっと上手くやる事も出来たのに、出来なかった。力不足も甚だしい。

 

 サイファー達の脱出の目途も立った。後は、彼らが上手い事逃げ伸びる事を祈るだけだ。

 

「…………さて」

 

 やれることはやった。もうこんな体では完治するまでに全ての蹴りがつくだろう。こんな状態ではまともに動く事も出来ないだろう。それに、自分が生きている事が奴らに知れている以上、見過ごすわけはない。情報を広める前に消しに来るだろう。

 

 それ以前に、自分は多くの仲間を殺してしまった。許される事では無い。死ななくてもいい仲間を失ったのだ。おとしまえは付けるべきなのだ。やるしかない。にとりは立ち上がり、左手で太ももにあるハンドガンを手に取ると、そのまま自分のこめかみに押しつける。もう、十分やった。自分に出来る事は無い。だから、今までの過ちに蹴りをつける。

 

 だが、心残りだって少なからずある。だがこれは自分の私情にすぎない。そんなものはいらない。持ったところで他人に迷惑をかけるだけだと知っていた。後悔はある。だが、迷いは無かった。

 

「…………さようなら……サイファー」

 

―バァンッ!!―

 

 ひどく、渇ききった銃声が、響き渡った。

 


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