ACE COMBAT ZERO-Ⅱ -The Unsung Belkan war-   作:チビサイファー

11 / 37
Mission9 -泉こなたの消失-

 

 B7Rは相変わらず殺風景な場所である。もともと鉱物資源が豊富なこの場所は、その影響もあって強力な磁場で満たされており、生半可な電子機器だとまともに動いてはくれなかった。長距離レーダーミサイルでさえも、AWACSの支援なしでは信頼性が四十年ほど前のミサイルレベルにまで下がってしまい、その性能は飛んでも目標と反対方向に飛ぶほど低かった。よってここで戦闘が起きればドッグファイト中心になる。ベルカ戦争でもB7Rで起こった戦闘は短距離ミサイルと機銃によるドッグファイトが数多く繰り広げられ、撃墜された機体の残骸はベルカだけで百を超えているという。そのほとんどが未回収、行方不明のままである。

 

 今でこそ救難信号などの発達のおかげもあって、先日の撃墜された偵察機の乗員の救助に成功したが、磁場が比較的に低い場所だったというのもある。B7Rのど真ん中だったらほとんどかき消されていたかもしれなかった。

 

 それでもここにやってくるパイロットは多い。ECM妨害下での訓練ができるし、ここは多くのパイロットが座学の机よりも学ぶべきものが多い卓上なのだと教えられていた。特に、円卓の鬼神の伝説はウスティオの正規兵、傭兵たちに語り継がれており、知らない人物はいない。

 

 今は円卓の鬼神は行方不明扱いとなっており、誰も行方を知らない。クーデター鎮圧後、ヴァレーに帰還後数日で同基地から出ていき、その後は不明である。一部の噂では、娘に会いたくて仕方がないからさっさと帰ったという話もあるが、定かではない。

 

 そのB7Rを、円卓の鬼神と同じく両翼を青く染めた一機のF-22が悠然と飛んでいた。最新鋭機であるこの機体がここを飛ぶというのは、一種の時代変化の表現でもあるだろう。15年前までは、F-4やF-5シリーズが飛び回っていたのが信じられないくらいだった。今でも一部空軍で使用されているが、それでもめっきり姿を見なくなった。ほとんど博物館行きである。

 

 機体の所属はウスティオ空軍第6航空師団所属、機体番号009。コールサイン、フロストフェアリィ。TACネーム“サイファー”。

 

 無論、“サイファー”は本名ではない。周りがそう呼んでいて、いつの間にか本名を忘れられていたという何とも救われない経緯だった。この名前は、15年前の円卓の鬼神のTACネームと同じで、機体こそ違うけれども配色は同じ。それでもって腕も同年代の中では群を抜いている。そして、長年ヴァレーにいる古参のパイロットからは、その飛び方が円卓の鬼神に似ているという理由で“鬼神の再来”と呼ばれている。

 だが、正直サイファー、今のラプタードライバーであるサイファーは、その肩書は似合わないだろと思っていた。彼自身、先代の円卓の鬼神のことはよく知っていた。だが、だからこそそう呼ばれる言われはないと思った。あの戦闘機乗りはより鋭く、より大胆な飛び方をしてそれでいて器用だった。自分はまだまだ至らない箇所が山のようにあって、そこを突かれると弱い。熱くなりすぎて弾切れに気づかなかったりなど致命的である。

 

 よって円卓の鬼神と呼ばれるのはむず痒い感じもするし、そんな器じゃないと思っている。

 では、なぜ“サイファー”というTACネームを使っているのか。この名前を最初に名乗ったのは今のサイファー本人なのだから、ある意味矛盾といえるだろう。機体の配色だって同じなのだ。だが、サイファーは名乗らなければならない理由がある。

 “サイファー”から受け継いだ名前を、名乗らなくてどうしろというのだ。

 

 機内のコールが鳴る。AWACSラッキースターからのデータリンクである。レーダーに反応、IFF応答あり。スザクのXFA-27だ。後方約100キロ地点から猛スピードで突っ込んでくる。今日のテストは、XFA-27の最高速度でのフライトだった。安定性が低ければ、音速を超えるときに機体が大きく揺れる。その際に起きる機体、パイロットへの影響を調査するのが目的だった。

 

 マッハ約2.3、時速2210.4キロで突っ込む針のような戦闘機は、あっという間に距離を縮めてきていることをそのフィリップで示している。あと五分もすればソニックブームをまき散らしながら飛び去ることとだろう。多分、気象や高度の条件次第ではもう少し早くなる。F-22に匹敵、あるいは凌駕するその性能は、サイファーも脅威を覚えた。 ただ、安定性が恐ろしいほど低い。シミュレーターでサイファーも動かしてみたが、とてもではないが乗りこなせる代物ではなかった。

 

 よくもまぁあんな機体に乗れるものだ。サイファーは変に感心してしまい、息を吐く。やはり、乗りなれた機体が一番なのだろうと思うが、スザクに関しては他機種への順応が早いことが分かった。基本さえ押さえれば、何にでも乗れるタイプだったのだ。

 

 恐ろしい奴め、なんて才能だ。俺はせめてある程度の安定感がないとまうまく動き回れないぞとサイファーは羨ましそうな目で後ろに首を向ける。レーダーのフィリップはもうすぐそこまで接近しており、しかし後方は何も見えない。サイファーは再び前を向いて、スザクの通過を待った。

 

「接触まで60秒です。カウントします、カメラポッドスタンバイ」

「あいよ。SET UP、RDY」

 

 時計のタイマーを見る。AWACSからのリンクを基準にしてセット。カウンタは残り20秒。頭の中で秒読みをはじめ、残り10秒でAWACS口頭のカウントが始まった。

 

「10、9、8、7、6……」

 

 サイファーは衝撃に備える。万一何があってもいいように身構える。何が起こるのかなんて想像できないが、構えていれば何かに対応できる。そう教えられた。

 

「3、2、1、通過!」

 

 刹那、スザクの乗る漆黒のXFA-27が音速の二倍以上の速さでサイファーの右側を通過し、そしてその後ろ姿はあっという間に雲の中へと消え去り、その直後に遅れてやってきたエンジン音が空に轟音をまき散らして飛びぬけ、空に静寂が戻った。

 10秒もないだろう。サイファーは鼻で呼吸して、マスクを付け直す。AWACSからの通信。

 

「サイファー、任務完了です。今日のテストメニューは完了しました。スザクと合流後、帰投してください」

「了解っと」

 

 機体を軽くバンクさせて、スザクが戻ってくるのを待つ。ここ一週間ほどヴァレーは静かだった。上層部の視察という名の監視も回数が減り、サイファー達は堅苦しい気分から解放されて清々としていた。

 

 あの目は嫌いだ。人間の輪の中にいる人間以外の物体を見下してるかのような目だ。いや、現在のウスティオ上層部は実際そうなのだろう。だが、サイファーはその目に何か違うものを感じた。まるで、邪魔な何かを見るような眼だ。毛嫌いではなく、もっと明確な敵意をもったかのような感じだった。

(なんか臭うな……こいつはくせぇ、ってどっかのスピーディなワゴン車みたいな名前の実況者が言いそうなセリフを言いたくなるな)

 

 サイファーは少し興味がわく。何をそんなに嫌うか、邪魔な理由が俺たちにあるのかと、考える。そう言えばにとりが一際嫌そうな顔をしていたのを思い出す。まさか、関係があるのか?

 

「よう、待たせたな」

 

 そんなことを考えているうちに、スザクが反転を終えて編隊に戻った。声は若干上機嫌で、どうやらXFA-27の使い心地にも満足しているらしい。可変翼ゆえの独特な挙動もあるが、本人いわく新しい感じで面白いそうだ。地味に久しぶりに見る、スザクの楽しそうな顔だった。

 

「どうだった、最高速度試験は?」

「ああ、いい感じだベルクートよりも若干速度は劣るようだが、十分な速さだ。申し分ない」

「ならよかった。まったく、よく乗りこなせるなその機体」

「アビオニクスが充実しているんだ。バックアップ機能もまた更新されていた。あいつ、復帰したからって力入れすぎだ」

 

 あいつ、とはやまとの事で間違いないだろう。業務復帰後、始末書などの罰はあったが、にとりの計らいとヴァレー指令が多めに見てくれて比較的軽くで済んだ。その後は自作の戦闘支援アプリの開発をやってみたり、XFA-27に搭載はされているがお払い箱扱いされた支援機器を復活させたり、独自でアクチュエイターの設計をしてみたり、新しい事に挑戦している。いつも熱心で、楽しそうにしていた。

 楽しそう、と言っても表面上表情は変わっていないのだが、スザクにはなんとなく分かる、だそうだ。お前らいつの間にそんな仲になったんだとサイファーは突っ込もうと思ったが、フラグだフラグだとにとりと一緒に冷やかす方に専念しようと決めた。

 

「それはお惚気ですかな、『兄さん』?」

「ちげーよバカ。例えるならアニメを毎日熱心に見ている子を見守る親の気持ちだ」

 

 色々あるだろうがと言いたくなったが、個人によって感性は違うのだから言ったところでたぶんそう簡単には変わらないだろうとサイファーはやめておく。性格が簡単に変わらないのと同じである。個人の感性は様々だ。尊重をすべきだとサイファーは一人頷く。

 ヴァレーへの帰還コースに機首を向けると、残存燃料を確認する。まだ一時間ほど飛べる。ヴァレー基地周辺は今大きな雪雲が立ち込めていて、降りるには少々部が悪いと情報が入った。出来る事なら空中で待機したいところだ。降りるときにリクエストしてみよう。

 

 もう、11月も終わる時期だった。雪景色は一層濃くなり、ヴァレー空軍基地の除雪隊はいかにも嫌そうな顔で仕事に出る。おかげでこの時期、こなたのバーには愚痴を言いに来る除雪隊のへべれけたちで埋め尽くされてしまうから入れる事が少なくなる。今のうちに入っておこうかと思う。

 

 そんな時だった。AWACSからのコールが鳴り、サイファーとスザクはほぼ同時に応じた。

「ラッキースターです、レーダーに未確認機の反応を確認。方位265方面を速度300マイルで南西に向けて飛行中。IFFの応答ありません、確認に向かってください」

「国籍不明機か? 何やら久々だな」

 

 サイファーは表向き呑気な声でに答えるが、内心は緊張していた。少なからずあのエースパイロット、『キニゴス』がトラウマになりつつあった。あんな戦闘機動は見たことがなかった。しかも、一発も弾を撃ってないのに機体を損傷させられた相手なのだ、警戒しない訳がない。

 

 頼むからもう来るな、と思いながらサイファーはもう一度燃料の残量を確認し、進路を変えた。スザクも後方から付いてくる。スザクの機体ミサイルは積んでないが、機銃なら500発ほど搭載していた。有事の際には威嚇射撃くらいなら出来るだろう。

 操縦桿を捻り、指定された方位へと機首を向ける。レーダーに転送された位置情報によれば、ここから約10分先の地点だ。スロットルを通常出力の最大位置にまで押し込んで増速。Gが体に圧し掛かり、雲の流れる速度が速くなる。後方のXFA-27の主翼角度が後退し、高速飛行形態へと移行。二機は速度を上げて目標へと向かう。

 

 レーダーに目標のフィリップが表示される。そろそろ目視できる距離に入るはずだ。二人は目を凝らして対象の機体を探す。だが、見つからない。速度からして戦闘機ではなさそうなのだが、それでも万一に備えてミサイルのセーフティースイッチに手をかける。と、先に声を上げたのはスザクだった。

「サイファー、いたぞ。俺たちより下にいる」

 

 XFA-27のコックピット下部のコフィンモニターが対象機をとらえ、軽い警告音でスザクは気づくことができた。さすがは最新型、といったところだろうか。

 

 二機は降下。ようやく目標を目視することができた。大きい。戦闘機ではない。サイファーは機体を接近させ、距離5マイルの地点でようやくはっきりさせることができた。

 

「IL-76輸送機だ。なんたってこんなところ飛んでるんだ?」

 

 東側製の大型輸送機だった。しかもたった一機で低空をまるで隠れるかのように飛んでいる。遠目で見る限り、塗装は制空迷彩。この機種ではあまり見かけない塗装である。サイファーの知る限り、ホワイト塗装に青いラインと決まっているのだが。

「ラッキースター、目標発見。機種はIL-76輸送機だ。一機で現在高度5000フィートを飛行中。方位変わらず」

「了解しました。警告勧告を行ってください。指示に従わなければ撃墜の許可も下りています」

「あいよ」

 

 

 取りあえず、正体が分からない以上それなりの態度を持って対応しなければならない。ひとまずは呼びかけである。話はそれからだ。

 

「スザク、お前呼びかけて見ろや」

「だが断る。喋るのはお前の方が上手いだろ」

「だからって人任せにするのはいかんぞ?」

「断る」

「はぁ。はいはいやりますよ」

 

 まったく、いくら口達者だからってこの手の作業は皆に押しつけられてしまう。お前らそんなんだといつか喋れなくなるぞとサイファーは思いながら、全周波数のオープンチャンネルを開き、サイファーは軽く声を出してテスト。輸送機に接近しながら呼びかけを開始した。

 

「あーあー、こちらはウスティオ空軍第6航空師団所属、フロストフェアリィである。貴機は現在ウスティオ領空内を侵犯中である。許可があるならIFFの応答をされたし。トラブルの場合はギアダウンせよ、最寄基地へと誘導する。聞こえたかー、応答、またはギアダウンせよ」

 

 呼びかけが終わった辺りで、サイファー達は輸送機に追いついた。見た感じ怪しそうな装備などは見えない。さて、その目的が怪しくなければいいのだがと、サイファーは機内を覗き込もうとする。どうやら何かで窓を覆っているようだった。

 

 わずかに速度を上げて、コックピットが覗きこめる場所まで移動する。さすがにここの窓を塞ぐ訳にはいかまい。サイファーは首を曲げて輸送機のコックピットを覗き込む。パイロット二名確認。予備シートにさらに一人だ。

 

「繰り返す、貴機はヴァレー領空を侵犯中である。抵抗の意思がなければ応答、またはギアダウンせよ」

 

 そうしてまた少しばかり待ってみるが返事無し。全周波数で呼びかけてるから聞こえていないはずがない。仕方ない、とサイファーはスザクに呼びかけた。

 

「スザク、威嚇射撃だ。後方から右側をすり抜ける感じでよろしく」

「はいよっと」

 

 スザクが少し減速し、IL-76の右後方へと位置に着く。機銃のレティクルを表示して、それが輸送機と重ならない位置へと微調整する。また変な試射だなと思いながら、スザクは弾くようにトリガー一回、二回、三回と引いて、合計で80発ほどがIL-76の右側をすり抜けた。

 

「今のは威嚇である。こちらは実弾を搭載している。指示に従わなければ撃墜する。もう一度言う、指示に従え」

 

 今度はもう少し強い口調で呼びかける。そろそろ本気だということを示さないと事態が動きそうにない。サイファーは、AAMのセーフティを解除して、ロックオンの体制を取ると、後方に回り込んでシーカーオープン、ロックオン。向こうのコックピットではロックオンの警報が鳴り響いているに違いない。

 

「最後通告だ。指示に従え、応答かギアダウンせよ。さもなくば撃墜する」

 

 発射ボタンに指を近づける。これでアクションがなければ撃墜だ。無抵抗なのは目に見えて分かるが、人さまの庭に勝手に入って好き勝手動くのを見て怪しくないというのは頭がおかしい奴である。

 一秒、二秒と少しずつ時間が過ぎて行って、ついに二桁目の秒数になった。

 返答無し。サイファーは、ミサイルの発射トリガーを押しこもうとして、次の瞬間。

 

がなりたてたミサイルアラートに対し、思考が認識する前に左ロール、急旋回。スザクも同様にバレルロールしながら急降下。レーダーにミサイル確認、数は四。二発ずつがサイファーとスザクそれぞれに群がる。長距離射程ミサイル。

 

「ブレイク、ブレイク!!」

 

 ラダーペダルを蹴り飛ばして更に機首の向きを捻らせる。接触まで十秒。サイファーは荒れる呼吸を整えながらチャフを散布する。右反転、急上昇。ミサイルが振り回されて逆方向へと流れて行った。アラートが鳴りやんで第一波回避。すぐにサイファーは索敵を開始すると同時に、AWACSにバックアップを要請する。

「AWACS、攻撃を受けた! 大至急周囲の情報をサーチ、データを送信してくれ!」

 

 続けてロックオンアラート。レーダーを広域にするが反応がない。まさか。サイファーは嫌な予感がした。ステルスという可能性だけで体がピリピリする。それに、さっきから体を虫が這いずりまわる様な殺気を感じていた。

 

「レーダーに微弱な反応を感知、輸送機の進行方向からこっちに突っ込んできます!」

 

 AWACSが叫ぶ。こちらのレーダーでは捉えられない。サイファーはリンクを要請する。すぐさまラッキースターが相互データリンクを二機に飛ばして、位置の把握ができた。

 

 反転、敵のいる方へと向かう。シーカーオープン、ダイヤモンドがサークルへと重なろうとして、しかし目標が跳ねるかのように逃れた。あの鋭い動き、サイファーは確信した。

「キニゴス!」

 

 ちくしょう、本当に来やがった。サイファーは一気に全身が汗だくになるのを感じ、背筋が凍るのを感じた。しかも前回は丸越しだったが、今回はしっかり武装しての登場だった。

 

 左旋回。ロックオン回避のため急旋回した敵機を追いかけながら、もう一度ロックオンしようとする。だが、カーソルが重なる前にまるで鳥のように回避される。サイファーはマスクの中を流れ、口元に届いた汗を舐める。

 

「サイファー、援護する!」

 

 スザクが反転から回復して、キニゴスの進路先を機銃の射線上に交錯させようと割り込もうとする。ありがたい。牽制になる。一瞬そう思ったが、すぐにサイファーは首を振ってそれを制止した。

「ダメだ、お前はヴァレーへ行け!」

「なんだと!?」

「その機体をむやみに晒すな! それに武装だって威嚇程度の機銃だけだ、そんなので太刀打ちできると思えん!」

「だが!」

「お前は救援を呼べ、俺が押さえて見せる!」

「こちらラッキースター、こちらからも同意見です。スザクは大至急帰投してください! たった今救援機が離陸しました!」

 

 スザクは射線上にあと数秒で入る敵機を見つめ、次に自分が与えられた機体のコックピットを見て、そしてこの機体を整備したやまとの事を思い出して舌打ちし、歯を食いしばりながら機首を急上昇させた。

 

「くっそ! 落ちんなよ!!」

「落ちねーよバカ!」

 

 スザク、急速反転。全力で南東へと向かい、ヴァレーへの帰還コースを目指す。サイファーはそれをレーダーで確認して少し安心するが、次の瞬間キニゴスのT-50PAK_FAがコブラでサイファーの後ろに回り込んだ。

 

「っ!」

 

 言ってるそばからこれか。機銃がコックピットの脇をすり抜ける。サイファーは機体をロールさせて回避。被弾なし、右急旋回からのバレルロール、急上昇。そこからループ。一瞬敵の機体後部バーナーが目に入ったが、急加速されてすぐに振り切られそうになるが、サイファーはバーナー出力を上げ、エアブレーキを展開させて機体の機首を強引にPAK_FAの背中に向ける。捕まえた!

 トリガーを引き、機銃掃射。若干の孤を描きながら弾丸がその背後を追う。が、左旋回されて回避される。

 

 サイファーは何とか追いかけようとするが、視界が暗くなっていってまともに前が見えなくなりそうだった。追跡を一時中断。操縦桿を押し倒して頭に血が上るようにと出力を上げる。視界の約七割が回復。だがHUDにロックオンの警告が表示される。

 

「なめるな、よ!!」

 

 回復運動で幾分か速度が落ちたため、エアブレーキ全開。機首を持ち上げて機体が立ち上がり、そしてその場で一回転する。キニゴスがサイファーを追い抜き、サイファーが機体を立て直すのとほぼ同じタイミングで前へと飛び出した。

「もらった!」

 

 再び機銃のトリガーを押しこむ。レティクルにPAK_FAが一瞬重なるが、すばしっこい事にわずかに反れる。サイファーは高速で突き放そうとするキニゴスに向けて、短距離AAMを選択して今度こそロックオン。すかさず発射。二本の白煙が敵に向かって飛び、キニゴスは急上昇。ロールしてからのスプリットS。ミサイルを回避する。

 サイファーはスプリットSをしたその先に機銃を叩きこんだ。だがこれもローリングで回避される。当たらなさ過ぎだろ、とサイファーは叫びたくなった。

 

「ふん、今のはいい手だった。だがまだまだ甘い」

「うるさい、勝手に人の回線に入ってくるんじゃねえよ!」

 

 サイファー、同じくスプリットSで追いかける。エンジン出力を上げる。アフターバーナーは使わない。使えばいつもより急激なGが襲いかかる。高速での急旋回が一番危険なのだ。

 

 レティクルが表示されて、機銃発射。だが、やはり当たらない。もっと接近しなくては厳しい。だが、PAK_FAのエンジンは思っていたよりも強力で、バーナーなしでは追いつけそうにない。引き離される割合を抑えるだけで精一杯だ。だが、ここで逃がしたくはない。すでに短距離AAMの射程外になってしまったが、中央ウェポンベイを開いて長距離XMAAを選択すると、ロックオン。まず一発目を発射し、キニゴスは急上昇して回避。そこに二発目を発射。左旋回。三発目、左バレルロールからの急降下。だがサイファーはこの動きを待っていた。

 

 急上昇からの急旋回を繰り返せば速度は落ちる。数回の回避運動後に速度を上げるため降下するのは必然と言えた。だからその進路の先に、更に機銃をばらまいたのだ。

 

「む!」

 

 キニゴスの焦りの声。ついに一発が主翼基部に命中し、小さく煙を上げた。サイファーの心は歓喜した。15年前のエースパイロットを被弾させたのだ。これほど心躍る事はない。今ならいける。追撃しようと増速させる。だが、それがまずかった。

 

「しかし、まだまだだ!」

 

 刹那、キニゴスのPAK_FAが機体を左にスライドさせながらクルビットをして、一瞬でサイファーのF-22がそれを追い抜いてしまった。まるでブーメランの様な動きだ。そんなバカな、あんな動きができるのか?

 化け物じみている。そんな動きが可能なんて。サイファーは一瞬で全身が冷たくなるのを感じた。

 

 半ば本能だ。右ラダーペダルを蹴り飛ばして、機体を半ロール。直後に機銃掃射が飛んできて、右垂直尾翼と左エンジン排気口バーナーを押し広げるように貫通し、エンジン本体命中した。

 

「ぐっ!」

 

 衝撃。エンジンの中を弾丸が跳ねまわった。火災発生、煙が噴き上がる。それと同時に左エンジンの回転数が激減し、速度が落ちて警報が鳴り響く。だがまだましだ。ロールしなかったら、恐らくコックピットに弾丸が撃ち込まれてミンチにされていた。

キニゴスとの距離が縮まる。追撃が来ればやられる。機体の背面を地面に向けてダイブ。降下の勢いで速度を稼ごうとする。が、通常よりも上がらない。なぜ?

 

 首を曲げて機体の状況を見てみる。何ということだ、サイファーはくそったれと叫んだ。

 

 弾丸が跳ねまわったせいで、機体の背面から一部エンジンがむき出しになっていた。それが空気抵抗になって増速を邪魔していたのだ。

 

 消火剤で左エンジンの火災は収まる。幸い右エンジンはまだ生きていた。左エンジン完全停止。右エンジンの出力で最大パワー。動かなくなった排気口からは煙が尾を引いていた。

 

(くそ、状況が状況なだけに被害状況の詳しいチェックができない、操縦系統が生きている事を祈る!)

 

 機体反転、ピッチアップ。上昇姿勢、スロットル最大出力。燃料計に目を向けると、左燃料タンクが空っぽになっていた。どうやら主翼もやられているようだ。エルロンには影響がないようだが、それでもドッグファイトを続ければ間違いなく空中分解を起こすリスクが高くなる。万事休すか?

 だが、次にレーダーを見つめて、その中の青いフィリップが一直線にこちらに接近する機影。その称号反応がスザクだった時、サイファーは怒鳴ろうかと思った。実際怒鳴った。

 

「バカ野郎、なんで戻った!?」

「バカはお前だ、そんな状態で戦えるわけがないだろうが!」

 

 キニゴスとサイファーの間に、スザクのXFA-27が高速で割り込んで、キニゴスを回避運動させる。すかさずスザクは右急旋回。インメルマンターンからの急降下ダイブ。背中に食らいつこうとエンジンパワーを上げる。

 

「す、すげぇ!」

 

 サイファーは目を見張った。スザクの機体にはベクタードノズルは搭載されていない。なのに、F-22を上回る鋭い起動でPAK_FAに食らいついて、その背後を奪った。

「ほう……これはこれは」

「捕まえたぞ!」

 

 機銃掃射。砲身が唸りを上げてキニゴスのPAK_FAに牙を剥く。しかし、それでも敵機は冷静に射角を読んで機体の向きを捻らせて回避した。だがスザクも負けておらず、すぐさま反応して背中にもう一度かじりついた。今度こそ。スザクは再び機銃のトリガーを引こうとして、しかしPAK_FAの機首が跳ね上がってクルビットをしながらの急速反転で一気に距離を開ける。スザクは舌打ちしながらループ運動に入って、インメルマンターンで追いかける。

 

 サイファーも機体を立て直して、XMAAの再発射準備に入る。スザクが上手く追いかけ回しているおかげで距離的には余裕がある。シーカー冷却、ロックオン。まずは二発をほぼ同時に発射。そして三秒ほど間を置いて更にもう二発発射。キニゴスは雲へと突っ込む。スザクは一瞬そのまま追いかけようとしたが、すぐに思いとどまってサイファーのミサイルの白煙の先を目で追いかける。

 

「サイファー、奴はどこから出る!?」

「ミサイルの航跡だと、10時方向、スザクより高度プラス500! あと四秒で出てくるぞ!」

 

 四秒後、キニゴスが雲から飛び出す。スザクはすぐにその機影を追いかける。サイファーはもう一度ミサイルを発射しようとして、しかし次に無線機の向こうからキニゴスの一言が聞こえた。

 

「潮時か。今日はここまでだ、また会おう。命拾いしたな」

「なんだと!?」

 

 サイファーがそう叫んだ瞬間に、レーダー画面がホワイトアウトして、次に無線機のスピーカーから大量のノイズが流れ出して、瞬間的に電子妨害だと悟った。

 

 レーダーロックの警報が消える。つまりそれはキニゴスの撤退を意味していて、そしてジャミングが終わった時、周囲にはサイファーとスザクの二機しか居なかった。

 

「……離脱したか。一体何が目的なんだ?」

 

 スザクが一応辺りを警戒しながらそう言う。サイファーは、レーダーに自分たち以外何も映っていないのを見て、察した。

 

「たぶん、あの輸送機を迎えにきたんだ。ウスティオの領空から逃がすために、時間稼ぎをしていたんだ」

「ちっ、そういうことか。だがサイファー、一体あの輸送機の積み荷は?」

「分からん。だがここまで抵抗するということは、見られたくない物なんだろう。いよいよキナ臭くなってきたな」

「……ああ、そうだな」

 

 それからすぐにヴァレーからの援軍機が到着し、警戒飛行を受け継いで二人はヴァレーへと進路を向ける。見ればサイファーのF-22は、基地まで帰られるギリギリの燃料しか残っておらず、それに関してはスザクも同じでなお且つ機銃の残段が三桁を切っていた。間違いなく、キニゴスとの戦闘をあと一分続けていたらこちらが圧倒的に不利になっていた。運がいい。

 

「ヴァレータワー、こちらサイファー。機体損傷、エンジン一基停止、操縦翼面に損傷有り、火災はないが燃料が持たない。着陸を要請する」

「こちらヴァレータワー、貴機の損害状況を確認した。先にスザク機を降ろせ、スザク機がタッチダウンし、誘導路に入った直後の着陸を許可する」

「了解。と言う訳だスザク、急いでくれよな」

「はいはい」

 

 ヴァレー上空に到着し、まず真っ先にスザクがアプローチに入った。ビーコンキャッチ、ILSマーカー表示。フラップ、ギアダウン、グリーン。エアブレーキON、ピッチアップ+3。速度140ノットキープ。進入コース適性。

XFA-27、タッチダウン。続けてサイファーの番である。

 

なぜ、何時墜落してもおかしくない損傷機を最後まで回すのかと言えば、後続機がいる状態で着陸して、滑走路を閉鎖させるようなことが起きたらたまったものではなく、そのため機体が持つ限界まで上空待機させられるのだ。

 

スザク機が早めに誘導路に抜けて、続けてサイファーがアプローチを開始する。ILS進入に従い、滑走路手前に進入した時にはもうあと30秒で燃料切れを起こす所まで来ていた。

 

 片肺飛行で何とかタッチダウン。若干よたよたとした着地だったが、それでも通常とほぼ変わらないランディングを披露した。スザクはそれを見て、やはりサイファーの方が着陸は上手いなと思いながら、スポットインして、機体のエンジンを停止させた。

 

「ふぅ……」

 

 無事にタッチダウンして、サイファーは安心の息を吐いた。燃料もついに空っぽになり、エンジンが停止する。もうタキシングする力ですらサイファーのF-22には残されていなかった。

 残った最後の力で誘導路までこぎ着き、完全に停止。キャノピーを開放してヘルメットを脱ぐと、汗まみれの顔に雪山の冷たい風が突き刺さった。だが心地よい。緊張で体温が上昇した体にはこれほどよい冷却方法はない。フライトスーツの胸元のチャックを開けて体の中にも取り込もうとする。ちょうどそのタイミングで、トーイングカーが走ってきて、その運転席にはにとりが乗っていた。

 そこでサイファーは、派手に損傷した機体を思い出して後ろを振り返れば、垂直尾翼を貫いた穴、むき出しになった一部のエンジン、弾痕が目立つ左主翼。小破レベルである。

 

「まったく、派手にやったじゃないか」

 

 降りて来たにとりの第一声である。もっと怒鳴られるかと思ったが、声色が無事かどうかの方に向けられているのに気が付いて、また一安心してしまった。

 

「ああ、すまん。手強かったわ」

「ま、無事に帰って来たなら良しとしようか。損傷は?」

「垂直尾翼に一発、主翼に数ヶ所、左エンジンスクラップと言ったところだな」

「かー、重要な個所ばかりじゃないか。修理代高くつくよ」

「分かってるって。修理完了にどれくらいかかる?」

「そうだね、ともかくF-22の予備パーツはここにはほとんど無いからね、取り寄せが当たり前かな。早くて来るのに一週間、遅くて二週間。それで修理期間考えたら最速でも三週間は動けないね」

「そうか……」

 

 長いな、とサイファーは呟いて機体から飛び降りた。みれば所々焦げ付いた痕が見えて、いかにこの機体が自分のために飛んでくれたのか身にしみて感じた。

 

「ところで料金はどれくらいだ?」

「あー、正直買い直した方がいいレベルだよ。エンジンと装甲、新しいステルス塗料のコーティングとか考えたら……」

「だよな……」

 

 サイファーは頭を抱えた。貯金はここ最近の迎撃任務でそこそこ稼いでいたが、それでもにとりの提示した金額を見ると、一気に半分以下になってしまうと考えれば頭痛もする。今度は憂鬱な溜息を吐いてもう一度愛機を見上げた。

 

「…………」

 

 ここで、にとりは自分の考えている事をサイファーに伝えようと一瞬口を開きかけ、しかし思い止まってその口を閉じた。まだ言うべきではないのかもしれない。「あれ」はまだ調整中だ。その状態でサイファーを乗せるには少し厳しい。整備士として、万全の状態に仕上げたいのは当たり前だった。

 

 部下がトーイングバーの接続が終わったと報告して、にとりはサイファーに機体にもう一度乗るように促して自分もトーイングカーに乗り込む。バックミラーでサイファーが乗ったことを確認して、アクセルを踏んだ。

 

 

 

 

 これはひどい。やまとが運び込まれたF-22を見て思ったのがまずそれである。大破しなかったとはいえ、エンジン一つが完全に破壊されたと聞くと、間違いなく手間がかかるとやまとは思う。しかも一部胴体からはみ出てると来た。外すことにさえ苦労しそうだ。しかもこの損傷だと間違いなく修理費はバカにならない。一体どんな奴がサイファーの機体をここまでにしたのかとやまとは少し興味をそそられた。

 

 見ると、コックピットの下にサイファーが肩を落として立っているのが見えた。珍しい光景だ。いつも呑気そうで、へらへらしているイメージしか無かったのだが、ものすごく暗いオーラを出しているのが目に見えて分かる。もしかして、あれほどには無いにしろ、自分もあんな感じで部屋に籠っていたのだろうかと考えて、ああ、やっぱりひどい荒れようだったと思った。

 

「よう、何見てんだ?」

 

 後ろからXFA-27から降りて、機外点検をしていたスザクが格納庫に入ってきてやまとは振り返る。

 

「兄さん……」

「サイファーの事か?」

「ええ。あんなに落ち込んでるのは初めて見たから」

「まぁな。あいつは人一倍機体の愛着を持つからな。例え燃料切れを起こしても脱出しないで基地に帰ろうとするだろうし」

 

 俺たちの教官からは、機体は消耗品、パイロットが帰還すれば大勝利って教わったんだがな、とスザクは付け足してサイファーの方を見た。当の本人は、ベンチに座ってぼんやりと機体を眺めているようだった。スザクはたぶん、誰も話しかけなければ一時間から二時間くらいあのままだろうと思う。実際なった事が訓練時代に一回あった。

 

「どうするの?」

「人間落ち込みたい時もあるだろうから少し放って置くのがいいと思う。幾分か時間経ったら声をかけてやればいいさ。それに、」

 

 とスザクは格納庫の隅でボードに何かを書きなぐっている河城にとりをちらりと見て、一息吐くとちょうどお昼時だなと思い、やまとを昼食に誘った。

 

「やまと、飯にでも行くか」

「え、でも私まだ仕事が……」

「どうせ今昼休みだろ。すこぶる調子がいいのは分かるが、詰めすぎると後が持たなくなるぞ」

「……そうね。分かったわ」

 

 タブレット端末に描いていた設計図らしき画像を保存し、やまとはちらりとサイファーを見て、次ににとりがサイファーの背中に声をかけたのが見えて、まぁ大丈夫かと思い直してスザクの後ろについて行った。

 

 

 

 

 哨戒任務を終え、次のシフトの部隊にバトンタッチした後にヴァレーに帰還することが出来たゆたかは、疲れ気味の両目を手で押さえながら宿舎方面へと歩こうとして、次にXFA-27が収納されている格納庫へと視線が向いて、その奥にがっくりと肩を落としているサイファーを見て、ああこれは相当落ち込んでいるんだなとすぐに分かった。

 ゆたかだって、サイファーの機体への愛着度合いがいかほどのものかは知っていたから、多分こうなるだろうとは思っていた。スザクなら「放っておけば元に戻る」と言いそうだが、ゆたかはあいにくそこまでのスルースキルは身に着けておらず、お人好しでお節介なのは知っていたがそれでも声をかけた方がいいだろうと思ってその背中に声をかけた。

 

「あの、サイファーさん。大丈夫ですか?」

「んー…………?」

 

 ゆっくりと、ぬるりとした動きで振り向いたサイファーを見て、これは重傷だとすぐに理解できた。目が死んでる。そういうのは今のサイファーの事を言うのだと実感した。典型的な例である。

 

「んー。大丈夫大丈夫。でもなでもな、さっきにとりが来てよ、慰めてくれるのかなーって思ったらよ、なんて言ったと思うよ?」

「何て言ったんですか?」

「ラプターのメーカー会社に問い合わせたら、オーシアとユークトバニアのごたごたで予備パーツが送れないんだとさ。つまり……」

 

 サイファーはわなわなとしながら顔を言ったん下して、次にものすごい勢いで顔を持ち上げてその目には情けない事に大量の涙を浮かべながら、

 

「お払い箱なんだよぉお!!」

 

 と号泣した。おろろーんと声を上げるサイファーに、ゆたかはこれに関わるべきではなかったのかもしれないと思ったが、それだと自分以外の誰が同じ運命に遭ってしまうのだから自分がそれを未然に防いだと考え直すことにしてサイファーに付き合おうと思った。

 

 うわんうわんと泣くサイファーは見っともない事この上ないのだが、逆に考えれば滅多に泣かないのだからたまには泣いた方がいいのではないかとも、ゆたかは考察する。ここはどういった対応を取るべきかと考えさせられた。日常で最善の判断を選択するのも、AWACSのオペレーターの義務でもある。

 

 取りあえずゆたかは、背伸びしてサイファーの頭に手を置いてそのまま軽く撫でまわすと、

 

「はいはい、大丈夫ですよー。きっと何とかなりますよー」

 

 と慰めてみた。男はこういう時女に慰めてもらうのが一番だと聞いていたりしていたからどんな反応をするのか見てみたい、という興味も半分くらいあった。そして、その効果はと言うと。

 

「あぁ……光が広がっていく……」

 

 効果抜群である。しくしくと流す涙は引っ込み、サイファーは癒され顔でゆたかに頭をゆだねて撫でられる。犬かこの男は、と思いながら少しばかり様子を見てみようとも思う。取りあえずセクハラしようとしたら殴るつもりではいた。が、幾分待ってみても何もしてこなかったから案外本気でへこんでいるのだと分かった。

 

 まぁ、このまま何もしなければもう少しこうしてやろうかと、ゆたかはそう思いながら今度はわしゃわしゃと頭を撫でまわしてみる。と、ポケットに入れていたゆたか自作の端末のバイブが鳴った。

 

「!」

 

 ゆたかはそれに気が付いて、サイファーの頭を放り出して立ち上がった。

 

「ふげっ!」

「…………すいませんサイファーさん、ちょっと用事があるので失礼します!」

 

 ベンチに落下し、涙の滝を流すサイファーを置いておいて、ゆたかは自室へと走り出した。

 

「……せっねー」

 

 半ば捨てられる形となり、おいてけぼりを食らってしまったサイファーはそのままベンチに突っ伏して、しくしくと涙の滝を流し続けていた。

 

 

 

 

 最後のへべれけの客が出ていき、こなたはようやく今日の仕事が終わったと、こなたは一息吐いた。グレーダーのドアが壊れてくそ寒いだの、呑んだくれてぐちぐち漏らしたあげく、ようやく連れ戻しに来た同僚たちの手によって撤去されて、店を閉める事が出来ると安堵した。最近こんなのばかりである。こなたはため息をもう一度吐いて、店の入り口のプレートをCLOSEDにして店内に戻り、カウンターの下に置いてあったノートパソコンを取り出して起動させる。

 

 パスワードを入れてデスクトップを立ち上げ、貌を上げて時計を見る。午前二時を過ぎたところだ。まだ大丈夫だ、とこなたは心の中で呟く。

 

 デスクトップが立ち上がって、メール受信の音が鳴る。やはり返答が来ていたか、とメールを選択して本文を立ち上げ、読む。さっき送った文章の返事だ。

 

『また新しいのを通販で買ったのか。君も体外懲りない奴だな。それはそうとこっちも新しいデスクトップパソコンを導入した。オプション付きでだ。おかげでなかなか動きがいい。ただやはりもう少し追加装備が欲しいところだ。グラボ以外はデフォルトのままだ。そっちで何かあまりはないのか?』

 

 ふーむ、とこなたは唸りながら添付ファイルを展開する。だが、開く前にパスワードを要求されてしまった。しかし、こなたは難なくそのパスワードを描き込み、ファイルを開封する。

 

「……間に合ったか」

 

 こなたは小さくそう呟くと、返信用の文面にカーソルを合わせ、指をキーボードの上に置いて滑らせる。返事の文章を素早く書きなぐり、隠しフォルダから画像ファイルを取り出し、添付する。その次に、文面に誤りがないかチェックする。

 

『あいにく今のところ余ったパーツはないね。けどめどは立ちそうな気がする。まぁ、店の店主が上手い事乗ってくれたらの話だけど、いやはやお得意様の私でも厳しいかもね。それはそうと私の友達のペットが成長したみたいで、こんなに大きくなったよ。ただちょっとおバカさんみたいで、時々間の抜けた行動するらしいよ。その辺りは飼い主の調教次第だってさ』

 

 間違いはない。こなたはノートパソコンに店内用の無線LANではなく、床下に張り巡らせていた有線LANを引き抜いてそれを差し込み、そこからインターネットに接続して送信ボタンを押した。その時だった。

 

―ピピピッ、ピピピッ―

 

 店内に、高い音のアラームが響き渡り、こなたははっとしてパソコンの画面を閉じて店内を見回す。と、部屋の隅に人影が見えた。だが、照明を一部落としていて姿が見えない。こなたは、太ももに備えてあるホルスターに手を伸ばす。陰の中から人影が現れ、照明がその姿を照らして、それを見たこなたは安心した。

 

「なんだ、ゆーちゃんか……脅かさないでよもう」

「ごめんねこなたお姉ちゃん。けど、こうでもしないと多分お姉ちゃんは尻尾出さないと思ったから」

「尻尾? サービス用の猫尻尾なら今日は付けてたけど?」

「そうじゃないよ、お姉ちゃん。これ、何か分かる?」

 

 ゆたかが手に持って見せたのは、小さな受信機だった。直径約四センチ。半分は音を出すためのスピーカーと電池で作られ、もう半分は送信機から発せられる電波を受信するための簡単な受信機だった。

 

「……それは何かな、ゆーちゃん?」

「受信機だよ。ヴァレーのネット回線、それも不正アクセスを検知するための」

「不正アクセス? じゃあこの状況から察するにまるで私がそれをやったみたいな扱いだね。けど、ヴァレーのネット環境は情報部で管理されてるからそう簡単にはハッキングできないし、したらすぐに気がつくはずだよ? しかもバーカウンターの店長である私がそんなことして何の意味があるのさ?」

「そうだね。そうだったらこれは私のミスだよ」

「それじゃあ……」

「でも」

 

 ゆたかはつかつかとこなたに歩み寄り、緑色の瞳を半ば睨む形でじっと見つめる。こなたは顔こそいつもの猫口で何かを楽しんでいるような笑みを浮かべていたが、その目の奥は笑っていない。ゆたかは気づいていた。なにか、ある。

 

「この不正アクセスを検知するためのセンサーを取り付けたのは、15年前に戦争終結と同時に使用されなくなった古い回線なんだよ」

 

 こなたの目じりが、三ミリ動いた。

 

「もう今のネット回線は新しい物にすべて切り替えられている。古いほうの回線は通信速度が遅くて、今のヴァレーの情報を処理することはできない。だから誰も使わない。けど、一人が独占すれば、充実したネット環境になる。違う、お姉ちゃん?」

「そりゃ通路を百人で歩くより一人で歩いた方が広いのと同じで分かるけど、もう使われてないんだよ? 15年も前だし動くとは限らな……」

「自分で新しく作って、今の回線にバイパスしたんだよね?」

 

 こなたは答えなかった。答えない代わりに、笑顔から真顔になり、臨戦態勢を整え始めた。ゆたかは確信した。

 

「お姉ちゃんなら新しい回線を作るのは簡単でしょ? 古い回線のルートを変更させて、新しいほうのルートに平然と割り込ませる。そして送信データはヴァレーが司令部に提示報告する時間に合わせた時刻。その中に紛れ込ませて、ヴァレーの管轄を離れた時に本来の目的地へと送信するように仕組んでおく。私はもう一つ罠を作ったんだよ、お姉ちゃん。ヴァレーにデータ送信するとき、私は情報部に容量のデータを出来るだけ送ってもらったの。そうしたら、ランダムで容量の数値が予定とずれる事があった。それはデータ管理の担当が変わる日。そして、交代時間の日。数回程度なら容量に誤差があったと思うけど、何十回も同じ人がそれを見たら怪しまれる。だから、担当が変わる日を狙ってデータを送信した。そうすればまだ誤魔化しがきく。そして、データは必要最低限のものにする。私の予測では、手紙とか使って詳細なデータを送ってもらう。ヴァレーの郵便物チェックは、手紙に対しては結構甘いのは私も知ってるんだよ?」

 

 こなたは何も答えなかった。そのかわり、ゆたかの目をじっと見続けて、答える気はないとでも言いたそうな表情を浮かべていた。なら無理やり口を開かせるまでだと、ゆたかは一番言いたいことを口にした。

 

「こなたお姉ちゃん、一体ここで何してるの? こんな山奥の空軍基地の前にある、廃れた娯楽街でたった一人でバーを経営して、その裏で何してるの? もっと都会に行ったほうがお姉ちゃんの好きなアニメやゲームも買いやすいのに。どうして?」

 

 ゆたかはもう一歩こなたに詰め寄る。こなたのこの行動について感づいたのは二か月ほど前からだった。こなたは高校卒業後、特に何もするわけでもなく実家で暮らしていたが、ある日突然就職が決まったといってこのヴァレーにやってきた。ゆたかは、自分を変えたかったからヴァレーに来た。こなたが居るというのも大きな要因だった。

 

 しばらくは相談事をしたり二人で軽く食事をしたりとしていたが、どうも何か違う気がした。雰囲気が何か違う、まるで自分が見ている従姉はフィルター一枚の向こうにいる気がして、そのフィルターの向こうがちらりと見えて、全く違う人物になっていることに気が付いたのだ。だが一時期はこれも環境のせいなのだと割り切っていた。しかし、そうではない。それにようやく気が付いたのだ。

 

「…………それを聞いて何になると思う?」

 

 こなたがようやく口を開いたその答えは、答えではなかった。質問を質問で返す、逃げるための典型的なパターンだった。だがゆたかは、それを逃がすはずがなかった。

 

「少なくとも、お姉ちゃんのやってることが分かる。私は答えたよ。お姉ちゃんも答えて」

 

 しっかりと質問を返して、こなたにこれで対等になったことを突き付ける。こうすれば向こうは答えざるを得ない。ここで逃げるようなことをすれば、つまり後ろめたい何かを隠しているという、もう一つの尻尾を掴むことになるからだ。

 

「…………わかったよ」

 

 ついにこなたは観念した表情になり、閉じていたノートPCを開いた。ゆたかはついにこなたが何を

していたのかが分かると、緊張しながら一歩ずつ近付いてゆたかの方に向けられた画面を覗き込んだ。

 見てみれば至って普通のデスクトップ画面である。こなたらしいアニメずくしな画面。その中にあるめぼしいフォルダを、ゆたかはクリックして展開させようとした瞬間、プシュッ、と何かが噴きでる音がして、次にゆたかは何か気体を吸い込んだと感じて、だが次の瞬間にゆたかは思考をすることができなくなっていた。

 

 だが、最後に残った聴覚が、確かにその一言をとらえ、しかし認識する前に意識が完全に消えた。

 

「ごめんね、ゆーちゃん」

 

 

 

 

 結局、丸々一晩へこんだ結果、どうせ商売道具がないのだからしばらく仕事は無い。よって呑み放題。さぁ宴の始まりだと、サイファーは舐めずりしながらこなたのバーへと向かう。朝早いが、あいつのことだから店自体は開けているだろうと考えながら、サイファーはドアノブに手をかけて引いた。だが、開かない。

 

「ん?」

 

 珍しいな、寝坊でもしたか? そう考えながらサイファーは窓から中を覗き込む。そして、目を見開いた。

 

 中がもぬけの殻だった。ワインどころか、グラス、テーブル、照明類全てが一切合財が無くなっていた。まるで、最初からここには店なんて無かったかのように。

 

「………冗談だろ?」

 

 その日は、ヴァレー空軍基地娯楽街、最後の店舗が消え去り、そして同時に店長である泉こなたも行方不明となり、およそ20年の歴史を持っていたヴァレー娯楽街の完全廃業となった日だった。

 

 

 

 

 

第一章・凍空の傭兵 了


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。