真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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 ちょっと時系列をいじって大幅に修正


94話:大粛清

 

 攻撃は、ずっと以前から始まっていた。何かきっかけがあった訳でも、袁家の行政機構を麻痺させる絶好の機会があった訳でもない。それでも地獄の釜は、少しづつ開いていたのだ。

 

 孫堅が不自然な死を遂げた直後から、袁家を牛耳るようになった劉勲らは次々に政敵を粛清していった。それまで武官の脇に追いやられていた劉勲ら文官としては、一刻も早く足場を固めなければならなかったからだ。

 

 この時点における粛清とは政治的な手段であり、あくまで権力掌握のための方便に過ぎなかった。いかに劉勲が猜疑心の塊のような女であるとはいえ、彼女なりの理性をもって計画的に粛清は執行されていたのだ。

 経済発展に人民は満足していたし、官僚たちも甘い汁を吸おうと劉勲にすり寄ってゆく。放っておけば毎日のように面談や賄賂が届けられ、劉勲も我が世の春を大いに謳歌していたものだ。

 

 ◇

 

 しかし幸福な時代も長くは続かない。最初の試練は、曹操による徐州侵攻であった。また、その頃から格差と貧困、景気後退といった袁家統治の矛盾が表面化し始めていた。そうした大小様々な不満は次第に最高統治機関である人民委員会へと向けられ、事実上のトップである劉勲の心にも大きな影を落としていた。

 

 ――彼女はいつクーデターが起こるのかと、眠れぬ夜を過ごす。

 

 もともと新参者といっていい劉勲が、袁家で力を得たのは経済発展という波にうまく乗れたからだ。裏を返すと、このまま不景気が続けば、袁家に強固な基盤を持たない彼女は後ろ盾を全て失う事になる。

 

 もしそんなことになったら――と劉勲は背筋を凍らせる。失脚して力を失えば、次に粛清されるのは自分である。

 

 劉勲が経済の立て直しに東奔西走している隙に、反対派は着々とクーデター計画を立てて彼女を失脚させようとするであろう。かつて劉勲が政敵にしたのと同じ拷問と粛清を、今度は自分が味わう番になるのだ。実際その考えは正しく、ライバルたちは虎視眈々とその隙を窺っていた。

 

 そこで劉勲は大運河の建設をはじめとする大規模な財政出動を行う一方で、災いの芽は早めに刈り取ろうとした。それこそが、周瑜の仕掛けた壮大な罠だということにも気づかずに――。

 

 しかしそれだけでは、まだまだ大粛清には程遠かった。粛清は、袁家政権という『身体』を反体制派という『病気』から守るための『薬』でもあったからだ。「薬を過ぎて毒とする」という周瑜の目論みも、経済が上向けば水泡に帰したかもしれない。

 

 ◇ 

 

 ところが『大運河建設』という景気回復を狙った大規模な財政出動は、結果的に江東の経済を低迷させてしまうことになる。

 

 ――では、何が問題だったのだろうか?

 

 後世の分析によれば、驚くべきことに計画そのものは完璧に近い状態だったという。天才軍師・諸葛亮の緻密で入念な計画は、当初の予算内で十分に工事を完了させうるものであった。労働者にも適切な給料が支払われ、事故などのリスクも織り込み積み。計画通りに運河を完成させて淮水と長江を連結した時の経済効果も、数年以内に借りた資金を利息付きで返済できるほど莫大なものだったという。

 

 問題だったのは、「運河が完成すれば」という部分に目が行き過ぎて、「運河を作っている間」を楽観視し過ぎていたことだった。

 

 このあまりに大胆な計画を遂行するために、袁家は領内のありとあらゆる商人から資本を調達し、それを建設予算に充てていた。問題はその比率で、公共事業であったにもかかわらず袁家の出資率は1割程度しかなく、残りは全て領内の商人や豪族からの負債だった。

 

 それだけ運河建設には巨額の費用が必要だったという事であるが、袁家は資金の調達に成功した。「運河が完成すれば」、膨大な見返りがあることが誰の目にも明らかだったからである。

 

 ところが、運河建設というものは4、5か月で完成するものではない。本格的に利益が上がるのは完成後であるため、それまでの間、投資された資金は大部分が固定資産化する。袁家のバランスシートは、借方の大部分が固定資産かつ貸方の大部分が負債という、極めて危険な状態へと変化していった。

 

 しかも当時の会計に、複式簿記などという便利なものは普及していない(伝統ある商会が、経験的にそれらしきものを秘伝の技として運用している可能性がある程度)。

 

 袁家が地方分権色の強い政府だった事も、財務の不透明性の一因だ。運河建設の費用は袁家が一元的に調達・管理・運用していたのではなく、各州・郡レベルまで細分化された上でバラバラに調達されていたため、政治的な思惑から情報の開示と共有が十分になされているとは言えなかった。 

 

 あるいは、そもそも計画が巨大すぎて当時の技術レベルでは計画の全貌を把握することなど不可能であった。

 

 そのため袁家は膨大な資産を保有しながら、その大部分が固定資産化してしまったため、「運河が完成するまで」自由に動かせる流動資産を失ってしまったのだ。一時的な財源不足とはいえ、不況時に景気対策の柔軟性が失われた事は致命的であった。

 

 

 もちろん袁家が財源不足に陥っただけで、すぐに大不況になるとは限らない。当初は運河建設という公共事業で新たな雇用が生まるたため、彼らが景気を支えるのではないかという予想が主流であった。

 

 しかし蓋を開けてみれば、巨額の支出は金利を上昇させ、却って経済活動が抑制されるという真逆の効果が発生した。借り手が増えれば当然ながら利子が上がるため、投資は減少する。

 

 

 江東中の資金が運河建設に雪崩れ込む一方で、それ以外の経済活動はむしろ縮小していく。しかも運河建設に使われた資金は、完成まで動かせない。

 

 とどめは、豫洲と揚州で起こった反乱だった。

 

 不景気で、ただでさえ不満が高まっている時期に起こった反乱……袁家に譲歩するという選択肢はなかった。弱腰と舐められないよう、断固とした措置をとる必要がある。人民委員会はすぐさま軍隊の派遣を決定した。

 

 体制存続に関わる非常事態である。反乱が広がる前に、急いで鎮圧せよ。経費については幾ら掛かっても良い――前線にはコストを度外視し任務達成を優先せよという、これまでの袁家では考えられない要求が送られた。

 

 結果的に豫洲は制圧され、揚州も長江周辺の主要都市も全て袁家の手に堕ちることとなった。これで周瑜は大事な駒を2つも失ったように見える。

 

 だが、華々しい勝利の裏で、袁家は記録的な大赤字を計上していた。

 

 あと一押しだった。周瑜が少しづつ袁家に飲ませた毒は、あと一押しで全身に回る。

 そして――。

 

 

 宛城で、北郷一刀と諸葛亮が逮捕される。

 

 全ては計画通り。陸遜を使って揚州で彼らを襲撃し、豫洲で地下活動をしていた孫賁を使って宛城まで向かわせた。周泰を使って玉璽が一刀たちに渡るよう画策し、黄蓋が協力者の口封じをする。

 

 そして秘密警察の魔の手が伸びた。一刀と諸葛亮は逮捕され、徐州の劉備らも軟禁状態に置かれる。未だ袁家は健在であったが、立て続けに起こった一連の事件は人民委員たちの心に暗い陰を落としていた。

 

 次は一体、誰が裏切るのか、と。

 

 最も反抗的だった劉備たちを蹴落としたとはいえ、袁家が安心することは無い。袁家は長引く粛清と権力闘争で、全員がお互いに不信感を抱いている。いつ誰に裏切られるかも分からない不安と猜疑心で、ある種の集団ヒステリー状態にすらあったといえよう。当初は失笑を買うだけだった張繍の「工作員」説が現実味を帯びてきたのも、こうした下地があったからだ。

 

 

 **

 

 当時、袁術領の人々は社会的な不安の中で暮らしていた。長引く華北の戦争、農民の反乱、伝染病の流行、飢饉、格差の増大など。

 こうした不安に拍車をかけたのが住民たちの対立である。華北の戦乱を逃れてやってきた移民たちが流れることで、江東の人口は爆発的に増加していた。生活習慣や文化の違いに加え、袁家の自由放任政策によって格差も増大したため、人々はお互いを警戒するようになる。こうした民衆の不安と疑いを火種に、密告は激しさを増してゆく――。

 

 そして人民委員会議は、一連の反乱には協力者がいるにちがいないと考えた。そして、現政権に不満をもっていると思われる人物たち――密告されたのは移民や物乞い、元犯罪者や離婚経験者など社会的弱者だった。

 

 仕事熱心な秘密警察によって彼らはすぐに逮捕され、過酷な取り調べが行われた。もちろん最初は誰もが容疑を否認していた。当たり前である。ほとんどの者は立場の弱いだけの、善良な市民であったのだから。

 

 しかしこのとき、秘密警察は再び司法取引を持ち出す。冤罪だと分かれば、組織としてのメンツも個人の評価も大きく下がるからだ。容疑者の側も少しでも刑を軽くするため、司法取引に応じた。秘密警察と全面対立して恨みを買えば、どんな報復が待っているか分からない……こうして彼らは悪魔の取引に応じ、検察に促されるがまま、更に証言をし続けた。哀れで愚かな被告は協力者の存在をほのめかし、再び『工作員』が発見されてゆく。

 

 

 秘密警察の動きは迅速だった。すぐさま容疑者への尋問が行われ、恐ろしい拷問の末、人民委員会は「自白」を引き出した。告発された人間たちは皆、弱い立場にあったために経験上の知恵として自白したほうがよいと判断した。どんな理不尽な事であろうと、従っていれば抵抗するより酷い目にはあわない。そう信じて……。

 あるいは、そう信じたかったのか。例えでっちあげでも袁家が望む答えをすれば、自分は許されるかもしれない。最終的に摘発された『工作員』の数は、一か月で1万人にも上った。翌日から特別裁判が開かれ、次々に有罪を下された。そして有罪が決まれば、次の日には死刑が待っていた。

 

 

 本当の意味で大粛清が幕をあけたのは、ここからだった。

 

 

 それまでは社会的弱者が主な標的となっていたが、とある裁判では、なんと古参の家臣で大勢の尊敬を集めていた魯粛が工作員としてあげられたのだ。流石にこれは抗議が殺到し、40人以上の政府高官が無罪放免を求める嘆願書を出す。

 

 もう少し嘆願書を出すのが早ければ、あるいは荒唐無稽な展開を見せるのがもっと早ければ――彼女の命は救われてかもしれない。

 しかしこの時期になると、工作員に対する恐怖はどんどん肥大化していき、ほとんどの人民委員から理性的な判断を奪っていた。このままでは処刑されてしまうと、魯粛は怯えた。拷問を受けながら彼女は、ついにこう“白状”した。

 

「軍上層部には、他に205人の工作員がいる」

 

 最期の裁判では、さらに多くの工作員が軍にいるという驚きの証言が飛び出したのだ。「魯粛ほどの人物が白状したのだ。真実なのではないか?」そう考えた袁家の人々はパニックに陥った。もともと文民統制の強い袁術軍では、人民委員会に不満を持つ上級軍人は少なくはなかった。あり得ない話ではなかったのである。

 

 しかも相手が高位軍人となれば、今までの反体制派とは話が違う。立場の弱い今までの『人民の敵』と違って、今度の敵はその気になれば武力を用いてクーデターを敢行できるのだ。

 

 もはや一刻の猶予もなかった。

 

 秘密警察を使った礼状抜きの捜査と、形だけの杜撰な裁判。翌日には、宛城にいいた16人の将軍の内、7人が処刑されたのである。

 

 そしてこの事件は、袁家を更なる混乱の泥沼へと引きずり込んでいく……。

 

 ◇

 

 衝撃の発言から10日後、魯粛は『人民の敵』として絞首刑にかけられる。これに残った人々は恐慌状態に陥った。古参幹部で派閥色も薄かった魯粛でさえ処刑されたとなると、だれも無事とは言えなかったからである。中には、工作員だと申し立てれば命は助かると信じて、告白する者も出てきた。なにせ愛国心の証明は、悪魔の証明なのだから。

 

 次々と実行される処刑。もちろんその多くは罪など犯したこともない愛国者たちだった。特に貧しいものは賄賂を渡して逃げることもできなかった。

 

 そのうち秘密警察ですら密告の対象となり、密告をしなかっただけで怪しまれる風潮すら生まれた。自分が助かるために友人を密告し、その友人もまた密告される前にと密告し、最後には2人とも処刑――などという笑えない冗談が現実となってゆく。『工作員』の数はどんどん膨らんでいった。

 

 実に不思議な事態が発生していた。次々に『工作員』が見つかり処刑されて安全になっているはずなのに、袁術領全体に不安と猜疑心が落とす影はどんどんと密度を増してゆく。暴走する密告はとまらない。高名な軍人たちが次々と裁判へ引き出されていく。裁判で無実を主張すれば、待っているのは残酷な拷問だ。殴る蹴るはもちろん、睡眠妨害に水責めなどで無理やり自白へと追い込まれてゆく。ひとたび密告されたら最後、逃れる術はなかった。

 

 これに対し、「秘密警察に原因がある」と主張した者もいたが、秘密警察側からの告発を受け工作員とされてしまう。

 

 やがて工作員狩りは袁術領の全土へと拡大。秘密警察に逮捕された容疑者が自分への疑いをそらそうと、他人の名をあげることで広がってゆく。そのぐらいしか、愛国心を証明できる手段がなかったからだ。2月と経たないうちに、より多くの政府官僚、将軍、大商人といった名士たちまで処刑されてしまう。

 

 どんなに疑わしくない人であれ、裁判に引き出されれば確実に有罪――もはや異常事態であることは、誰の目にも明らかだった。とはいえ、こうした粛清に対して疑問の声をあげれば、今度は自分自身が工作員の疑いをかけられるかもしれない。人々は「次は自分の番ではないか」という恐怖から静かにするしかなかった……。

 

 この頃には人口1700万ほどの袁術領(南陽郡、徐州、豫洲、揚州)で、8万人以上の人間が工作員として逮捕され、辻褄が合わない事態にやっと疑問の声が上がり始める。

 聡い者は、この悲劇を秘密警察による恐怖政治の、構造的欠陥だと気付いて人々に訴えた。

 

「秘密警察と密告制度こそが、ありもしない『工作員』を生み出しているのだ!」

 

 理路整然とした説明に、人々も『工作員』などいないのではないかとと思い始めた矢先、保安委員会副委員長である張繍がとんでもない声明を出す。

 

 

「皆さん、油断してはなりません! 工作員は時に愛国者を装って、私たちの前に現れるのです!」

 

 

 

 これは文字通り「悪魔の証明」だった。なにせ「工作員では無い」ことの証明は非常に難しい。仮に「工作員である」ということを証明する場合、容疑の一つでも見つければよいが、「工作員ではない」ということを証明したければ全ての活動を検査せねばならなず、それは事実上不可能だからだ。

 

 秘密警察的な考えからすれば、「外国の本を読んだ」人間は「思想を洗脳されている」可能性があり、「外国人と話した事がある」人間は「工作員に情報を漏らした」可能性があり、「外国に行った事がある」人間に至っては、行為それ自体が容疑とされる。極端な話、生まれてから地元を一度も出たことがなく、地元民との接触しかなかった人間でなければ容疑は免れない。ほとんど悪魔の証明である。

 

 

 ――こうして、大粛清は最後の歯止めを失った。

 

 

 大粛清の波が最後に訪れたのは、揚州の大地だった。最前線で戦う孫家に工作員狩りの魔の手が届く寸前、周瑜はほくそ笑んだという。

 

「……勝った」

 

 袁術領の全てを巻き込んだゲームに、周瑜はとうとう勝った。致命の一手を打てた、と思っていた。無実の名将を敗死させることができたのだから。袁家に深い猜疑を植えつけることに成功したのだから。

 

 ――あとは、勝利の分け前をもらうだけだ。

  


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