真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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92話:声が聞こえる

        

 小沛では、袁家が武装攻撃を準備しつつあるということがいよいよ明白となってきた。しかし劉備たちは袁家の邪推に反し、いかなる武装蜂起をも意図していなかった。というより、今までの動きも実のところ、なんら計画されたものではなかった。

 もし彼女らが本当に袁家妥当を意図していたのであったら、そもそも一刀や諸葛亮らが未だ宛城の地下深くに囚われている時期に蜂起を開始しはしなかったであろう。武器や食糧に関しても、もう少し準備をしたに違いない。

 

 という訳で、この一連の騒動は、袁家支配に不満を覚える人びとの自然発生的な行動であった。それゆえ小沛は袁家の混乱を拡大するための謀略など考えもしなかったし、軍事的な攻撃計画などは立案すらされていなかった。

 蜂起はあくまで要求を袁家に認めさせる手段でしかなく、彼らはなお袁家との対話を模索し続けていた。この時点における劉備らの目的は革命ではなく、体制の枠内における改良だったのである。

 

 

 対して袁家は、軍、官僚、秘密警察の全てをあげて強権的手段を採る事でこれに応えた。揚州からは華雄が呼び戻され、小沛攻略作戦の指揮官に任命された。

 

 この時、華雄は敵が素人であることから、当初は近隣にいる部隊の投入で充分であろうと考えていた。小沛の人口は4万人をわずかに超える程度で、武装した1万程度の市民ならば、同数の兵士で鎮圧できるだろう、と。

 

 「――今夜から明日の朝にかけて、小沛城は強襲によって奪取さるべし」

 

 それゆえ華雄のとった方針は速戦速決の強襲攻撃であった。反乱発生から10日後、彼女からよって発せられた攻撃命令によって、袁術軍はついに攻勢を開始する。

 

 この時、華雄はまだこの事件の本質に気付いていなかった。真の敵は武装した小沛市民などではなく、その主義主張に本能的に魅せられている自軍の兵士と、全ての民衆であったのだ――。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

「袁術軍工兵部隊、投石器による投擲を開始! 敵目標を西門と断定、反撃の許可を!」

 

(ついに始まりましたか………)

 

 慌ただしい戦況報告を受け、鳳統は厳しい表情になる。こうなる事は予測していたが、やはり現実に起こると平静ではいられない。

 攻城兵器の威力は凄まじく、市民たちは大混乱に陥っていた。ある者は恐怖で青ざめ、ある者は泣き言を喚き散らし、ある者は怒り狂って敵を罵倒し、ある者は徹底抗戦を叫んだ。鳳統らに求められる最初の仕事は、いかにして騒然となった彼らを鎮めるかだ。迅速な対応による意思の統一が、勝敗を左右すると言ってもいい。

 

「住民の避難を最優先に。それから城壁および障害物の修復を急いでください」

 

「反撃はついては……?」

 

 傍らの元徐州軍将校が、不安げに尋ねた。

 

「小沛は市街を囲む高い市壁により、いまや難攻不落の城郭都市です。包囲戦はもちろん、投石器に対しても絶大な防御力を誇ります。しかし、敵兵が梯子などで強襲をかけてきた場合、非暴力では……」

 

「かもしれません。ですが、敵は目の前にいる袁家の兵では無いんです」

 

 たしかに袁術軍から確実に街を防衛しようとすれば、弓矢で応戦するのが最も現実的なのかもしれない。

 

 だが、それを実行すれば対立は決定的になる。小沛側は、袁家の兵に語り掛ける言葉を失ってしまう。唯一の武器である、“声”が相手に届かなくなってしまうのだ。

 

「立ち向かうべきは、袁家の権力者たちです。兵士たちのほとんどは、自分がなぜ戦っているのか分かっていません。ただ袁家上層部に言われるがままに従っている……こちらの立場と私たちが立ち上がった理由を話せば、彼らだってきっと共感してくれます!」

 

「しかし……!」

 

 逡巡する元徐州軍将校。本当に自分たちの声は届くのだろうか、そんな懸念が胸に渦巻く。

 

 だが、鳳統の主張が間違っているとも言い切れない。袁家の兵力は膨大だ。たとえ今回の攻撃を頓挫させても、やがては物量の前に磨り潰されてしまう。勝機があるとすれば正規戦での勝利ではなく、もっと別の何かだ。そう、袁家を内側から崩壊させるような、何かが――。

 

 

 **

 

 

 攻城兵器による攻撃は、まるまる6時間以上も続いた。華雄は堅固な城壁を少しでも破壊しようと、投石器と共に弩砲による砲撃を繰り返す。金属の弾や矢羽のついた槍、石などが打ち出され、袁家の火力をこれでもかと見せつける――。

 

「撃て、撃ちまくれ! 敵は素人だ! 徹底的に砲撃すれば士気は崩壊する!」

 

 袁術軍の陣地では、華雄が大音量で工兵に投擲を命じていた。しょせん相手は素人でしかない反乱軍。大量の攻城兵器の集中運用で物理的に城壁を破壊してしまえば、すぐに戦意喪失して降伏するだろうと華雄は踏んでいた。

 

 結局のところ、反乱軍は袁家に不満を持つ素人の集団に過ぎない。秘密警察を追い払ったことで興奮し、一時的に盛り上がっているだけだ。にわかに燃え上がった怒りは、鎮火するのも早い。

 

 それに、と華雄は思う。小沛市街には数百人に上る袁術軍捕虜と、蜂起を快く思わない市民がいる。本格的な攻撃が始まれば市民の士気は挫け、今度は親袁術派の民衆が命惜しさに寝返るのではないか……。

 

 

 しかし、華雄の甘い考えは見事に覆されることになる――。

 

 

 **

 

 

 壊れた城壁の復旧作業を続ける関羽の元に、袁術軍捕虜の一団が近づいたのは昼過ぎだった。

 

(っ――)

 

 鳳統の許可で、袁術軍捕虜たちには行動の自由が約束されている。その彼らが隊列を組み、軍靴お音を高らかに鳴らして近づいているのだ。反射的に警戒するのも無理は無かった。

 

 やがて太鼓の音までが聞こえ、ほどなく誰の目にも揃いの特徴的な背広型軍服を着込んだ元袁術軍兵士の姿が見える。弱兵の袁術軍いえども流石は元正規軍、丸腰であろうと整列すると迫力が段違いだった。

 

「小沛駐屯軍・第3歩兵中隊はこれより、関羽将軍の指揮下に入ります。ご指示を!」

 

 肩章付きの軍服を着た士官が進み出て、関羽に味方する意志を伝えた。目を丸くする関羽たちに向かって、士官は照れ隠しのように続ける。

 

「我々は元は袁術軍ですが、たった今から集団脱走することにします。同じ徐州の民として、どうか仲間に加えてはくれませんか?」

 

 士官がそう言うと、配下の兵士たちも口々にそれぞれの思いを叫んだ。

 

「袁家のやり口にはウンザリだ! 俺も一人の市民として戦いたい!」

「人民委員会のクソッタレめ!敵味方お構いなしに攻撃しやがって!もう我慢できねぇ!」

「修復作業を手伝わせてくれ! 俺たちも加勢するぞ!」

 

 攻城兵器による無差別攻撃は、捕虜たちの最後の忠誠心を打ち砕いた。あくまで非暴力を貫いた反乱軍に対して、容赦ない破壊で応えた袁家の暴挙に激怒したのだ。捕虜の多くはその場で認識票を地面に投げ捨て、蜂起する市民たちに合流したのであった。

 

「よく言ってくれた! お前らは今日から俺たちの仲間だ!」

「きっと分かってくれるって信じてたぜ! 一緒に袁家から街を守ろう!」

 

 あっという間に市民も集まり、次々に握手と抱擁を求めた。元袁術軍捕虜の寝返りは瞬く間に街中に広まり、にわかに小沛中がお祭り騒ぎのような興奮に包まれる。

 

「民衆の底力を見せてやれ!」

「おうよ、今こそ小沛の総決起だ!」

 

 士気も上がっている。関羽はそのことを、はっきりと感じ取ることができた。

 金持ちと貧乏人、商人から兵士まで。同じ目標を見据えながら、今や小沛は完全に一つになったのだ。

 

 

 **

 

 

 異変は小沛だけではなく、総攻撃を始めた袁術軍でも起こっていた。付近に展開した袁家の反乱鎮圧部隊では、兵士の不平不満がかつてないほど高まっていたのだ。

 

「寒ぃよぉ………、これじゃ寝てる間に凍死しちまう」

 

 季節は真冬で、ときおり猛烈な寒波がを吹き荒れている。雪が舞い降り、兵士たちは身動きすらままならなかった。

 

「急かしやがって、クソ将校め……なら、せめて防寒具ぐらい準備しろってんだ。くそったれ」

 

「まったくだ。昨日から今日までで、寒さにやられて何人駄目になったと思ってやがる」

 

 反乱軍に時間を与えまいとする、急ぎの作戦だったことも裏目に出ていた。布団や冬服などの冬季装備はまったく不十分であり、真冬の吹雪きの中で野営する袁術軍は大勢の凍傷患者を抱えることになる。特に軍靴は長距離進軍に耐えるため底に鋲が打ってあり、足に冷気を伝え凍傷の原因となった。下士官ですらまともな配給をうけられず、薪の不足から凍った食糧を食べた兵士たちは下痢と腹痛、風に悩まされていた。

 

「服だけじゃねぇ、飯も酷いもんだ。食事が唯一の楽しみだっていうのによ」

 

 食糧事情の悪化も深刻であった。開戦に伴い、早急かつ最低価格での兵糧調達が必要とされたため、品質は二の次とされたからだ。その結果、最前線に届いた肉は腐敗していたり、また不衛生な管理で汚染された食糧までが平然と出回る事になる。これら食用に適さない低品質な兵糧により、前線の将兵は赤痢や食中毒に苦しむこととなった。

 

 

「お、俺は会稽の出身なんだ。北の寒さには慣れていなくて……」

 

「お前だけじゃねぇよ。つか、ここにいる連中はみんな南部の出身だよ」

 

 鎮圧軍の兵士は、そのほとんどが揚州の出身である。徐州の冬は華北ほど厳しくないとはいえ、南方出身の彼らを苦しませるには充分であった。

 この人事には、それなりの理由がある。反乱鎮圧にあたって、袁家は地元出身の部隊を信用しなかった。そのため鎮圧部隊は地元民に共感しないよう、揚州派遣軍は豫洲出身、徐州鎮圧軍は揚州出身といった遠方出身者で占められていたのだ。

 

「まぁ、傭兵の連中は知らんがな……」

 

 一人の兵士がボソッとつぶやき、ちらりと横を見やる。大部分の兵士が戦意に欠ける中、多少なりとも本気で攻撃しているのは1500人ほどの傭兵部隊だった。それも普通の傭兵ではなく、西涼や南蛮から来た異民族の兵士たちだ。 

 

「しかも上の連中、異民族ばかり優遇しやがって……いつから江東は異民族に乗っ取られちまったんだ?」

 

「あいつらと来たら、平気で女子供でも笑いながら殺してるって噂だ。俺にはそんな事はできねぇ……」

 

「ああ、小沛の反乱軍も俺たちも、同じ漢人だ。仲間殺しを命じられたら、躊躇するのが当たり前じゃねぇか。それを上の連中、『腰抜け』だと……!」

 

 異民族傭兵の投入もまた、兵士たちには酷く評判が悪かった。たしかに反乱軍にシンパシーを感じないという点で、彼らの活躍は目覚ましいものがあった。しかし外国人傭兵が自国民を虐殺して賞賛されるという構図は、袁術軍兵士の士気を低迷させ、上層部に対する不信感を増大させていった。

 皮肉にも異民族傭兵の投入によって、袁術兵はこの時、初めて反乱軍と自分たちが「同じ漢人である」という事に気付いたのであった。

 

「なぁ……そういえば、これは何の反乱なんだ? 小沛の連中は何をしたんだ? 脱税でもしたのか?」

 

「さぁな。上は“命令に従え”の一点張りだ」

 

 劣悪な装備と環境で攻撃を強制された袁術軍に、最初の砲撃ほどの勢いほどは無かった。時間が経つにつれ、徐々に自分たちの行動に疑問を抱く者が増えてゆく。それに比例するように、至るところで不満と愚痴が漏れ出していった。

 

「……おふくろ、元気にしてるかな」

 

「今年の冬は厳しいからな。なのにマトモな服も買えない……俺の親父も風邪とかひいてなきゃいいんだが」

 

「揚州で反乱、豫洲でも反乱、そんで今度は小沛で反乱ときたもんだ。ちょっと前まではみんなが羨む豊かな地域だったのに……いったい江南で何が起こってるんだ?」

 

「上の連中は、曹操の工作員に唆された民衆反乱だと言ってるが……」

 

「州牧の劉備が私利私欲で扇動したって話も聞くぞ?」

 

 その時、一人の兵士が市壁を指さして大きな声を上げた。

 

 

「――おい、あれを見ろよ!」

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

「桃香さま、戻ってください! まだ安静にしていないと……!」

 

 ふらつく劉備に、泣きそうな顔で縋りつく鳳統。関羽ら作業中だった人々もその姿を見つけると、唖然として動きを止める。

 

 

 ――事の起こりは半刻ほど前、昏睡状態だった劉備が目覚めたのだ。

 

 

「……行かなきゃ」

 

 鳳統から現状を聞くと、開口一番、劉備は現場に向かうことを決意した。まだ怪我も完治しておらず、長く眠っていたせいで体力が弱っているにもかかわらず、である。

 当然ながら鳳統らが反対するも、こういう時に劉備は意外なぐらい頑固な一面を見せる。自分が現場に行くと言ってきかず、反対を押し切るようにしてやってきたのだ。

 

「桃香、城壁の上は危険だ!」

 

 関羽が切羽詰まった表情で叫ぶ。

 

「それに、まだ病み上がりじゃないか。無理をすれば、また倒れるかもしれないんだぞ!?」

 

「だとしても、だよ。今が、絶好の機会なんだ」

 

 劉備をゆっくりとかぶりを振り、ふらつく足を無理やり動かして前へと進む。

 

「今なら、向こうの兵隊さんにわたし達の思いを伝えられる」

 

「だとしても、何も城壁に立つ必要はないはずだ! 口頭で伝えてくれれば、代わりに私が城壁に立って話をする!」

 

「それは駄目だよ。わたしが言わなきゃ」

 

 これは自分で言い出したことなのだ。どんなに危険であろうと、自分の口で伝えなければ意味がない。安全な後方で、危険な役目を人に押し付けるようでは、誰も話を聞いてくれない。

 

 正直に言うと劉備自身、怖くてたまらなかった。投石器から飛ばされる巨大な石や、鎧を易々と貫く弩砲の一斉射に、恐怖で足がすくみそうになる。

 だが、逃げてはならないのだ。自分は暴力ではなく、対話で中華に平和をもたらすと決めたのだ。たった一万の兵を前にして逃げ出すようでは、到底その先は望めない。弓矢の一本や二本、腕に刺さっても話を続けるぐらいの覚悟を見せなければ。

 

「………っ」

 

 病み上がりで息の上がった体が、ついに最後の階段を昇り終えた。城壁から下を見渡すと、無数の兵士が整然と並んでいるのが見える。その後ろには、巨大な投石器や弩砲が威嚇するように佇んでいる。

 

 

「――いたぞ、あれが劉備だ! 打ち取った者には褒美を与える!」

 

 ひときわ大きな声が、袁術軍の中から響いた。鎧に身を包んだ白髪の女性が、巨大な斧を振り回している。鎮圧部隊の指揮官で、かつて汜水関で戦った華雄だ。

 

 華雄の命令に従って、何人かの射手が弓を自分に向けたのが見えた。死ぬかもしれないという感覚が現実のものとなった瞬間、凄まじい恐怖に襲われる。膝は震え、心臓は激しく動悸を打つ。胸の奥から吐き気がこみ上げ、呼吸が乱れてゆく。

 

 

「――袁家のみなさん、こんにちは。徐州牧の劉玄徳です」

 

 全力で顔の筋肉を動かし、明るい笑顔を浮かべる。今さら引くことなど、できはしない。多くの人々が、自分を信じて付いてくれているのだ。踏み留まらなければならない。

 

(怖がることなんてない、だってあの人たちは敵じゃないから……!)

 

 自分に言い聞かせるように呟き、一歩前へと進み出た。

 

「今日は皆さんにお話ししたいことがあって、このような形で挨拶させていただきました。少しだけ、わたしの話を聞いてもらえないでしょうか」

 

 胸元で祈るように手を重ねる劉備。

 

「いま、あなた達は袁家から、この小沛の街を攻撃するように言われているはずです。昨日まで武器を持たない素人だった民衆など敵ではない、と」

 

 静寂が隅々まで広がり、劉備の声は遠くまで響き渡る。

 

「そうです、それは事実です。もしあなた達が本気を出せば、わたし達など一捻りでしょう」

 

(桃香、いったい何を言っているんだ――!)

 

 思いもよらぬ劉備の言葉に、関羽は衝撃を受けていた。そんな事を言えば、敵の士気が上がってしまう!

 

「袁家の持つ力は膨大です。万を超える兵士、重装備の騎兵、長江に浮かぶ大艦隊、巨大な攻城兵器……そのどれをとっても、わたし達には到底及びません。こうした物質的な“力”こそが、袁家の勝利を約束しています。平和に対話、絆といった概念には、これを破壊する力はありません。――ええ、戦えば袁家の勝利は間違いないでしょう」

 

 困惑と動揺のささやきが、民衆の側にも兵士の側にも広がった。

 

「ですが、その勝利の後に」

 

 劉備は声を強めて続けた。

 

「いったい何が残るのでしょうか」

 

 劉備はそこで言葉を切る。続いて、数秒の沈黙。

 

「袁家は、今まで全ての戦いにおいて勝利を収めているように見えます。けれどもその勝利は、大きな犠牲をわたし達一人一人に強いました」

 

 しばし目を瞑り、自分を落ち着かせるように劉備は深く息を吸う。

 

「袁家が成し遂げた事は、確かに偉業と呼べるのかもしれません。精強な軍隊と洗練された市場、数々の公共事業によって、袁家はほんの数年で江東を発展させました。今や江東は中華でもっとも成長の著しい地域です。社会は目まぐるしく変化し、少しでも立ち止まれば瞬く間に置き去りにされてしまう。だから自分のしている事の意味を考えることもなく、がむしゃらに進み続ける」

 

 それは袁家の兵士にとっても、身に覚えのある話だった。わずか数年の間に袁家は沢山の娯楽や利便を生み出し、凄まじい勢いで江東を発展させてきた。しかし繁栄のスピードが速まれば速まるほど、そこから脱落していく人もまた増えていったのだ。

 

「わたし達の生活の為の繁栄が、いつの間にか繁栄のためのわたし達の生活へと、手段と目的が逆転してしまっているような気がします。わたし達は貴族のように豊かな生活をするために、朝から晩まで奴隷のように働かなければなりません。わたし達は外敵から自由を守るために、囚人のように秘密警察の監視を受けなければなりません」

 

 鳳統は、自分の視線が釘付けになっているのに気付いた。劉備の演説は、どんどん力強さを増している。病み上がりである事が信じられないほど、動きにも声にも人を引き付ける魅力があった。

 

「わたし達はいったん立ち止まって、自分たちが何をしているのか考えるべきではないでしょうか? 繁栄から取り残された貧しき者の叫び、戦勝の影で泣く未亡人たちの嘆き、体制維持の犠牲者となった無実の者たちの慟哭……こうした声にも、もっと耳を傾けるべき時ではないでしょうか?」

 

 いまや袁術兵は、完全に劉備の演説に呑まれていた。一介の兵士とて、年齢と同じだけの人生を歩んできた人間なのだ。誰かの子であり、親であり、友人である。袁家の歪んだ繁栄の影で、どれだけの犠牲が生まれているか知っている。

 

「わたし達はそれが言いたくて、今回のような行動に出ました。苦しむ民衆の声を聴いてほしくて、志を同じくする、市民の皆さんと一緒に立ち上がったのです。袁家を倒したいわけでは無いんです。ただ、話を聞いてほしい。そして、変わってほしいんです」

 

 鳳統は、劉備が無意識の内に、もっとも効果的な手段に出た事に気付いた。袁家の功績を全て否定するのではない。袁家による正の影響は素直に認め、その上で負の影響を訴える。体制ごと転覆させるのではなく、あくまで体制内での変革を求めるのだ。そちらの方が、兵士たちにとって心理的に受け入れられやすい――。

 

「袁家のやり方に問題がある事は、皆さんも薄々気づいていると思います。でも、口に出せば秘密警察に密告されるかもしれないし、政治将校に粛清されるかもしれない……そうした疑心暗鬼と恐怖心が心の中に巣食っている。だとしても、それに負けないで欲しいんです」

 

 劉備の声には、悲哀と説得力が織り込まれていた。これまでの彼女には見られなかった、カリスマ性すら感じられる。

 

「互いに争うのではなく、互いに話し合いましょう。わたし達は戦をするために立ち上がったのは無いのです。あなた達と共に語り、生活を豊かにするために話し合いたいのだけなのです」

 

 劉備は兵士たちを見据えて、最後に短く締めくくった。

 

「皆さんの力を貸してください。この世の中を、もっと良くするために」

 

 

 **

 

 

 袁術軍の兵士たちは、その光景を前にして無言で立ち尽くしていた。

 

「隊長、今のは……」

 

 若い兵士が、困惑した顔で尋ねる。質問された隊長は、まずその若い兵士を、続いて唖然としている副官と、悩んでいる表情の同期、そして最後に自分の隊員全員を見つめた。

 

「今のは、敵の情報操作ですよね!? こちらを動揺させ、士気を挫くための……」

 

 若い隊員は混乱している様子で、なおも問いかける。自分たちの属する正義、袁家の主張する大義名分を信じたいのだ。劉備たち反乱軍は秩序と平和を乱し、社会を混乱させる『人民の敵』だという――。

 

「彼らは“敵”……なんですよね!?」

 

 必死に問い詰めるも、隊長は答えない。

 声が出ず、手が震える。

 

 ……そして。

 

「――――いや」

 

 隊長は武器を地面に置くと、小沛城へ向かって一歩を踏み出す。

 

「隊長!?」

 

 咎めるような副官の叫び。しかし隊長はそれを無視して、もう一歩前へと進む。

 

 さらにもう一歩を踏み出すと、後ろから金属が鳴る高い音が連続して響いた。

 武器が捨てられる音だった。何人もの兵士たちが、同じように武器を捨てている。

 

 互いに顔を見合わせ、頷き合う。それからゆっくりと、再び足を前に進めた。

             




 結論:反乱鎮圧に自国民兵士は使ってはいけない

 バスティーユ襲撃といい、ルーマニア革命といい、リビア内戦といい、革命のときに最後まで体制に忠実なのは外国人傭兵という悲しい現実。
 
 なお、天安門は思想的優位があったから例外の模様(震え声)

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