真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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81話:霧の中

    

 南陽郡・宛城 徐州政府領事館にて――

 

 

「また、運河で事故ですか?」

 

 諸葛亮は読書をしていた手を止め、顔を上げて声の主を見返す。桃色の髪を櫛でとかしていた劉備は、どこか困惑しながらも頷いた。

 

「うん。せき止めていた堤防の一つが崩れて、ケガをした人たちが一杯いるって。現場監督の手抜き工事が原因って事になってるけど……」

 

 当の現場監督は行方不明だという。状況が状況なだけに、何か裏があったのではと勘ぐってしまう。

 諸葛亮は眉をひそめた。ついこの前には、豫州で反乱があったばかり。それ以前からも頻繁に暴動の話を聞く。どこそこでどんな事件があったという話が出ない日が、ここ最近で一体どれだけあっただろう。揚州でも南陽でも豫州でも暴動が起きている。偶然にしては、明らかに多すぎる……。

 

「曹操さんの送った工作員が、本当の犯人だって言う人もいるし……」

 

 劉備は思いつめた顔で息を吐いた。そういえば、と諸葛亮は思う。最近の曹操軍は目立つ動きを見せていない。専守防衛に努め、傍目には徐州戦役で疲弊した国力の回復に徹しているように見える。だが、本当にそれだけなのだろうか。密かに工作員を送り込んで相手を混乱させつつ、隙を見せるのを虎視眈々と待っているのでは――。

 

「曹操さんだけじゃないよ。袁紹さんかもしれないし、劉表さんだって怪しいって……もう何を信じていいか分からないよ」

 

 劉備はひとりごちた。その横顔に泣きそうな表情が漂うのを見て、諸葛亮は無理に明るい声を上げた。

 

「そんな陰謀論みたいなこと言わないで下さい。あの孫家だって、袁家を裏切らなかったんですから」

 

 そうだね、と劉備は笑ったが、やはり眉根が不安をたたえたように寄せられていた。

 

(工作員か……)

 

 諸葛亮は窓の外、すっかり秋めいた風景を見渡した。水鏡塾で勉強していた頃から少しも変化がない、荊州の秋。いつもと変わらないのどかな風景だ。穏やかで、落ち着いて、安穏としている――だが、目に見えないところで不穏なことが起きている。まるで物の怪の類が跋扈しているような、道術や妖術すら疑いたくなる不自然さ。

 

(……まさか)

 

 諸葛亮は劉備に声をかけようとして思いとどまった。

 

(孫家が袁家に従ったのも、機会を伺うために……?)

 

 諸葛亮はは密かに息をのんだ。孫家が黒幕ではないか、とは誰もが一度は口にしたことだ。しかし諸葛亮自身、その可能性を排除していた。そんなことは出来ないと心のどこかで思っていたし、そう思いたかった――これまでは。

 

 しかし、もし本当にそうであるとしたら。諸葛亮は櫛で髪をとかす劉備の横顔を伺う。これは彼女には言えない。言ってしまえば彼女は不安で胸の塞がれる想いをすることだろう。

 あるいは――仮に工作員の正体が分かったとして、自分たちはどうすればいいのだろうか? 曹操や劉表の手の者だと知ったら、それを理由に彼らと全面戦争に踏み切るのか? そもそも一体、これまでにどれだけの工作員が紛れ込んで、袁家にはどれだけの工作員が暗躍しているのか。

 

(きっと大丈夫)

 

 そのはずだ。孫家と袁家が反目していたのはだいぶ昔の話だ。これだけの期間、孫家は沈黙していたのだから、周瑜らも諦めたに違いない。

 諸葛亮は安堵の息を吐いたが、それでも背筋の下の方に鈍い悪寒が張り付いているような気がした。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 華雄は訓練場の前に立って、兵舎のほうを一瞥した。いつもと変わらないはずの光景。それが、最近になって乱れつつある、と思う。

 一つ一つは些細なことなのかもしれないが、彼女はそういったことの一切が気に入らなかった。

 

 袁家には袁家の規則(ルール)がある。これまで袁家はそれに従って動いてきた。なのに最近、その規則が少しも守られず、極めて無造作に破られていく。華雄はなぜか、それが自分への侮辱のように感じた。

 袁家に仕えて暫く経ち、ようやく仕事を覚えて職場の雰囲気にも慣れてきた頃だからだろうか。移民である華雄は苦労して袁家の規則に馴染んだだけに、余計に規則を破る者が許せないのかもしれない。それに、汜水関での敗北の反省も踏まえて、彼女は規則というものを重視するようになっていた。

 

 世の中には、覆されてはならない規則がある。これまで、確実にどこかの時点まで袁家はそれに従って動いてきた。それがだんだんと覆されるようになり、今や規則に従って秩序を保ちながら動いているものは何一つないといってもいい。

 

 華北の戦争は、それまでの『勢力均衡』に基づく中華の秩序と平和を破壊した。外交は顧みられなくなり、あらゆる紛争が武力で解決されるようになってしまっている。国力差に基づいてある程度の結果が予想できる外交とは違い、戦争は博打のようなものだ。結果は誰にも予想できず、それが中華全体の混乱をいっそう大きくしている。

 

 徐州への出兵は、元より弱小だった袁術軍を更に弱体化させた。曹操軍を撤退させたとはいえ、戦争による経済損失や戦費も大きく、財政赤字と市場の不安定化は大きな懸念事項だ。景気後退は社会不安をもたらし、社会不安は政府支出の増大をもたらし、政府支出の増大は更なる景気後退をもたらす。これが長引けば、経済成長の陰で無視されてきたあらゆる不満が噴出し、袁家は未曽有の混乱に見舞われるだろう。

 

 移民の急増は、社会不安を増大させた。華北の戦乱は膨大な数の難民を生み出しており、その大半が平和と繁栄を謳歌している江南に向かったとしても驚くことではない。もともと奴隷を確保するために、袁術領では以前から多くの移民を受け入れていたものの、華北の戦乱はその需給バランスを破壊してしまった。つまり移民という労働力の供給が、その需要を遥に上回ってしまったのだ。供給過多となった労働力は失業者となるしかなく、失業者の増大は貧困と社会不安を増大させる。

 

 他にもスキャンダル&トラブルまみれの大運河建設に、独立運動と反乱が頻発する植民地など、不安要素は山積みだった。

 

袁家はあるべき状態にない。どこかで歯車が狂ったまま、それが修正される様子もない。それどころか日に日に軋みは大きくなり、一切の規則が踏みにじられてゆく。

 

「まったく……どうなっているんだ」

 

 華雄は呟いて、練兵場の射撃場へと向かう。入り口付近の武器庫が開けっ放しになっているのを見て、顔を歪めた。武器はきちんと手入れと管理をしておけ、といつも言っているのに。

 

「おい! 部隊長!」

 

 ついイライラを抑えきれず八つ当たりするような形になってしまったが、続く部隊長の反応は火に油を注ぐ結果となった。そこにはあるべきはずのもの――恐怖に怯えた兵士の顔――が無かったからだ。

 上官が怒鳴れば、部下は恐縮して従う……それが袁術軍の規則だったはず。しかし目を顔を上げた部隊長の表情はどんよりと濁っており、目には卑屈さと不貞腐れた感情が凝縮されていた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 揚州・曲阿にて――

 

 

 長江沿いの港街に、夕暮れが近づいている。街の中心にある市場からのびる裏通りでは、帰宅する住民たちの腹を満たすべく小さな露店が並んでいた。店の主人たちは点心などの軽食をを用意する傍らで、灯篭をともしたり椅子を道端に並べたりしている。

 そんな露店のひとつに北郷ら一行が座っており、テーブルには空になった料理の残骸が散らばっていた。空になった急須や饅頭が入っていた蒸篭、蒸し蟹の殻などなどだ。

 

 頻発する暴動や襲撃事件への協力を求めて揚州へ旅立った一刀らだったが、いざ着いてみると適当にあしらわれただけ。運河建設の件も、うやむやにされた。一応は衣食住に不便のない生活と自由行動が認められているものの、肝心な公務は一つも果たせていない。

 だが、収穫が無いわけでもなかった。揚州の発展は予想をはるかに上回るものであり、また揚州人の袁家への反発は相当に強いようだった。

 

「なんか胡散臭いな。……どうも気に入らない」

 

「何がですか?」

 

 同行していた部下――糜竺が心配そうに口を開く。

 

「劉繇も揚州政府だよ。なんだか信用できない。あれから何回か会話もしたけど、どうも世間体を装って俺たちから情報を集めようとしているみたいだった」

 

「しかし、外交官の仕事とは本来そういうものでは?」

 

「それはそうなんだけど」

 

 一刀の表情は晴れなかった。首の後ろで両手を組み、唇をすぼめる。

 

「俺が感じている嫌な感じっていうのは、それだけじゃないんんだよ。なんだかあいつら、袁家の連中に似ているような気がする」

 

 袁家のイメージは悪い。権謀術数、拝金主義、秘密警察、絶え間ない政争、膨大な奴隷と農奴を抱える人民の牢獄……それに加えて袁家の評判を落としているのは、人民委員ないし袁術領に住むエリート階級の価値観である。彼らは極端に利己的かつ個人主義的で、金と力の信奉者であった。

 

「ひょっとして揚州は、第2の南陽郡になろうとしているのかもしれないぞ。袁家にとって変わるつもりなのかも……」

 

 やや歯切れ悪く口を閉じる一刀。自分で言い出したことながら、段々と不安が込み上げてくる。袁家とそのシステムについて、昔から感じてきた嫌悪感と不吉な予感が、急に現実味を帯びてきたようだった。

 

 江南の支配権が漢帝国から袁家に移り、すでに相当の年月が経過している。その間の変化で最大のものが、商業の発達であることは異論がない。従来のように農業を主体として商業を補助とするシステムではなく、流通経済が前面に押し出されるシステムだ。

 しかし、これは農業の軽視を意味しない。商業はそれを扱う商品がなくてはなりたたず、一面では農業の発達をも意味するからだ。商品作物の流行がその代表格で、江南の農民は大量の消費を見込んで近郊農業へと乗り出す。野菜の栽培、魚の養殖、家畜の飼育が重要な商品となり、油や酢、酒と言った調味料も重要な商品だった。取引されるのは食品ばかりではない。繊維製品や漆器・紙などの加工品も登場したし、灯油や針・釘などの日用品も種類が豊富になってゆく。

 

 輝く絹に、なめらかな磁器、繊細な金銀細工……それらを供給し、支えているのは長江デルタを利用した水運ネットワークだ。都市部ともなれば、先に述べた品物は庶民の手の届く贅沢の範囲内となり、さかんに取引されている。商品は全国的スケールで動き、細やかな商業ネットワークで覆われていた。たとえば宛城では必要な品々と奢侈品が、江南の2000か所から供給されていた。化粧や防腐剤、料理に使う香料や香辛料などの珍奇な品々も南海から運び込まれ、その専門店もあったという。

 

「大袈裟かもしれないけど、この町をよく見てみろよ。あんなに大量の水車なんか、宛城にもないぞ。工場だって風車や水車みたいな機械を使った最新式のものだし、交通網も港から道路まできちんと整備されている……」

 

 後進地域であった江南はどんどん開発され、恵まれた自然条件に支えられて生産力は大きく上昇してゆく。北の混乱を身ひとつで逃れてきた多数の移民や在来の住民も、農耕に適した気候風土と豊富な資源のもとで生産性を高め、次第に力を蓄えていった。今や袁家の繁栄は、ここ揚州を含んだ江南によって支えられているといっても過言ではないだろう。

 

 

「北郷様、やはり袁家に伝えるべきでは? もし今の話が本当なら、劉揚州牧は何かを企んでいるとしか思えません。まさか揚州が、袁家に反旗を翻すなんてことはないでしょうが……」

 

「常識的に考えればそうだろうな。袁術兵は弱兵と言うけど、あれは戦乱続きで鍛えられた、曹操軍や董卓軍と比べた話だ。戦らしい戦の無かった益州や揚州の兵に比べたら、袁術兵は装備も訓練も行き届いている。つい最近だって、豫州の反乱を潰したばっかりだろ?」

 

 そもそも揚州が発展できたのは、袁家の資金力とその経済ネットワークをうまく活用したからだ。袁家に反旗を翻してそれを崩壊させることは、自分で自分の首を絞めることに等しい。

 だが、そう思ってなお、不安は去らなかった。それを言うならば、反乱を起こした豫州だって同じ条件だったのだから。

 

「どの道、揚州を告発するならもっと証拠が必要だ。今のままだと、もし揚州政府がシラを切った場合は逆に俺たちが疑われる。この前の賈駆の反応からして、袁家には嫌われてるみたいだしな」

 

 そう言って一刀は残っていた饅頭を手に取る。糜竺は何か言いたげだったが、結局黙りこんで食事を再開した。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 南陽郡・とある料亭にて――

 

 

 閻象が行きつけの料亭のドアを開くと、客は2人だけだった。梁綱と楽就、2人とも袁術軍の将軍だ。

 

「いらっしゃい。お久しぶりですね」

 

 店長の挨拶にええ、と閻象は呟く。店内にはどこか陰鬱なものが漂っている。そう思うのは、心なしか人が少ないからかも知れなかった。

 

「おや、橋蕤将軍は来ていないんですか。ここの常連だったはずですが」

 

「ああ。また豫州で反乱があったとかで、そっちに10日ほど出かけているみたいだ」

 

「また? 今月に入って何度目かしら……まったく、本当に何がどうなっているの」

 

 楽就が言うと、梁綱がため息交じりに答える。

 

「正直なところ、軍部も相当まいっているんだ。部隊の空気は悪くなるし、人民の反応も冷ややかだし」

 

 閻象が首を傾げると、楽就は苦笑した。

 

「はら、政府内に他州の工作員が紛れているなんて噂があるからよ。移民や難民に紛れて工作員が送り込まれている、ってね。今じゃ誰も信用できないんでしょう。しかも秘密警察と政治将校はそのせいで気が立ってるし、何かにつけて兵士に言い掛かりをつけるもんだから、部隊の空気は最悪な事に」

 

「そんなことが……」

 

 連続するテロや暴動に対して、他州の工作員の陰謀だという噂があったが、閻象はそれについて懐疑的だった。袁術領で事件が続いているのは事実だが、いくら情報提供者を探っても他の諸侯がそれを推進しているような動きを発見できないでいる。

 それはともかく、真面目に勤務している兵や民にとっては理不尽で堪らないだろう。袁家のために税金を納め、袁家の定めた法をきちんと遵守しているのに、当の袁家からは不信の目で監視されるのでは気も荒れるに違いない。

 

「本当に袁術様の領地はどうなってしまったんだろう。今の状況は尋常じゃないよ」

 

 そういえば、と閻象は首をかしげる。

 

「店長さん、店の改装でもするんですか? 入口の扉が取り換えられてましたけど……」

 

「ああ、そのことね」

 

 店長は苦笑する。

 

「別にウチの店だけじゃないですよ。どうも最近、みんな防犯に気を配るようになったようで、こういうのが流行っているんです」

 

「流行っている?」

 

 閻象はどう反応していいか分からず、複雑な笑いを浮かべた。

 

「そうですね、この近くだと李豊将軍の家ですか。警備兵を増やして、門の補強もしてたような気がします。それから堀をもっと深くして、物見櫓まで付けるみたいですよ」

 

「壁を高くしたり、秘密の抜け穴を作ったりする人もいるとか」

 

 楽就も同意する。

 

「秘密の抜け穴……ですか?」

 

「ええ。何でもいざという時に逃げ出せるように、だそうです。――まったく、この国はどうなってしまったんでしょうね」

 

 家の外を徘徊する目に見えない何かに怯え、それから身を守ろうとしているような。それぞれに聞けば古くなったとか、資産が増えたからとかそれなりに妥当な理由はあるのだろうが。

 

「……まるで皆、家の中に立て籠もる準備をしているみたいだ」

 

 

 

 ◇◆◇

  

 

 

「それにしても遅いな」

 

 ややあって、一刀が呟いた。

 

「糜芳なら、知り合いの揚州名士に会っているという話では?」

 

 肉粽を食べながら、糜竺が呑気に発言した。話題の糜芳は彼の弟であり、同じく使節団の一員として揚州まで同行していた。

 劉繇が好意的とは限らぬ――軍師らしい慎重さで、諸葛亮は一刀ら使節団を劉繇の元に向かわせる一方で、独自の情報収集ルートを使っての調査をも銘じていた。糜芳もその一人であるのだが、どれだけ待っても合流地点に姿を見せる気配はない。すでに時刻は夕方に達しており、日は沈みかけていた。

 

「だとしても、そろそろ戻ってきていい頃だ。いくらなんでも遅すぎる」

 

 いったいどこで何をしているのか。いくら何でも遅すぎると顔をしかめたところで、チリンと鐘のような音が聞こえた。金属同士がぶつかる乾いた音が、あらゆる方向から同時に聞こえてくる。

 

「……?」

 

 結果からいえば、糜芳が時間通りに現れなかったのは一刀らにとって僥倖といえた。一刀は彼の姿を捉えようと周囲に意識を凝らしており、ただならぬ状況になっているのを幾らか早く知ることが出来たのだ。

 

「待てよ、この音は……?」

 

 その時、通りを行きかう人々が道の左右に分かれ始めるのを見て、ようやく一刀は事態を悟った。

 

「……っ!」

 

 一刀は食べかけの饅頭を乱暴に皿へ戻すと、袖で口元を拭きながら視線を左右に向ける。

 

「北郷殿?」

 

「ここから移動するぞ。周りを見ろ、囲まれている……」

 

 この時ばかりは一刀の意見が正しいことは、疑う余地もなかった。その視線の先には、敷石の道に軍靴のかかとを打ちつけ、槍を構えながら迫ってくる数十人もの兵士たちの姿があった。金属製の鎧が耳障りな音を立て、道行く人々が慌てて逃げ出してゆく。

 糜竺もその意味と、これから何が起こるのかを察したらしい。張りつめた表情で立ち上がり、一刀と共に一般人の群れに紛れて脱出を図る。

 

「――いたぞ! あの2人だ、逃がすな!!」

 

 兵士の怒声が街路にこだまし、騒ぎが一段と大きくなった。少し前まで一刀の頭部が存在していた位置を、鉄製の太矢が通過する。両脇で矢が風を切って飛んでくる中を、2人はわき目を振らず走り出す。

 

「あれは……!」

 

 群がる揚州兵、その中の一人を見た糜竺の顔が驚愕に染まる。

 

「誰だ?」

 

「この訪問の原因――笮融です!」

 

「なっ……!」

 

 なぜ笮融がこんな所にいるのか。いや、それよりどうして彼が揚州兵たちと共にいるのか。最悪の想像が一刀の頭をよぎる。

 

「殺してはいかん。生かしたまま捕えよ!」

 

 続いて混乱の中でそう命じたのは、この場に不釣り合いに高価そうな服を着た中年男性だった。恐らくはこの男が、笮融も含めた揚州兵の一団を率いているのだろう。

 

「笮融、本当に連中が袁家の(・ ・ ・)工作員(・ ・ ・)なのだな?」

 

「勿論ですとも。徐州使節団が送られてくる数日前、諸葛亮と劉勲との間で会談があったそうです。しかもその少し前には、保安委員会から劉勲へ非公式の依頼が持ち込まれているという情報も」

 

(ふざけんな、冗談じゃない――!)

 

 勘違いもいいところだ。――しかも、よりによって“袁家の工作員”とは。

 

「偶然……にしては出来過ぎているな。分かった、袁家の工作員には然るべき報復を受けさせる。だがその前に、知っていることを洗いざらい吐いてもらわねば」

 

「違う! 誤解だ、俺たちは――「話すだけ無駄です!」」

 

 弁明しようとする一刀を、糜竺が大声で遮る。

 

「間者だと疑っている相手が“自分は間者ではない”と否定したところで、誰が信用するというんです!?」

 

「くっ……!」

 

 こうなってしまえば最早どうにもならない。説得は不可能だろう。彼らが納得することがあるとすれば、それは一刀らが自らを「袁家の工作員です」と認めた場合だけだろう。

 

 一刀たちは人ごみの中を泳ぎ回り、殴打され、突き倒し、転び、物を蹴散らしながら必死の逃走を続けた。捕まれば、まず自白するまで拷問にかけられるだろう。命の保証はない。

 

 死の足跡が、2人の後からひしひしと迫ってきていた――。

          


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