真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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77話:泥沼の会議

         

 琅邪城は徐州北部の軍事境界線として、今は亡き陶謙が建設した防砦システムである。かの有名な始皇帝が建設した万里の長城をモデルとし、延々とのびる城壁と無数の城砦によって敵の侵入を阻むことを意図していた。

 

 しかし城の主は変わり、現在この城に掲げられているのは『曹』の旗であった。かつて陶謙が長城をもって北からの攻撃を防いだように、この壮大な建築物は、今や曹操を南から守る壁となっていた。

 城外に展開しているのは、袁術・劉備の連合軍4万。守備側の倍以上の数であり、しかも曹操軍の大半が『下邳の戦い』から逃げ帰った敗残兵。琅邪城も大きく損壊しており、城というより城だった(・ ・ ・)何か、としか傍目には見えない。それほど損壊は激しく、すでに放棄されたものと勘違いした連合軍が素通りしかけるほどであった。しかし蓋を開けてみると、思わぬ苦難に直面したのは彼らの方であった。

 

 瓦礫の山と化した城壁と、崩れ落ちた建物、そして通行が困難なほど荒れ果てた通路は、それ自体がバリケードや障害物としての役目を果たす。少数ならともかく、数千の軍勢が押し寄せれば直ちに大渋滞をひき起こしてしまう。迂回も試してみたものの、曹操軍は無数の破壊された建物を資材として、すぐ強固なバリケードを構築してしまうのが常であった。遠距離戦闘をしかけようにも、遮蔽物が多いために射線や視線が通りにくく、どうじても偶発的な近接戦闘が頻発する。騎兵と弩兵は無用の長物となり、陣形を組んだ組織的戦闘を行うこともできず、ただ個人の蛮勇のみが支配する戦場と化す。

 かくして明確な戦線が存在せず、作戦や兵站計画の立案が困難となったことも曹操軍優位に働いた。偶発的な戦闘が多発する戦場では流動的な対応を迫られるため、統制と指揮系統に問題のある連合軍では対応できなかったのだ。

 

 

 この稀に見る善戦を演出したのは、卓越した指揮能力を持つ一人の軍師・郭奉孝の繊細にして緻密な采配によるものだった。

 

「城を崩して時間に変えよ」

 

 郭嘉は無理に敵を撃破しようとするのではなく、障害物を利用しながら徹底的に時間稼ぎに徹していた。捉え方によっては消極的な戦術ともいえるが、これは曹操の戦略的な意図を汲みとってのもの。彼女にとって琅邪城は使い捨ての障害物に過ぎず、下邳で失った兵力が回復するまで敵を釘付けに出来れば、城そのものがどうなろうと気にしてはいなかった。

 

 そこで郭嘉は部隊を小規模に分けて運用し、臨機応変に奇襲・待ち伏せ・撹乱といった小規模戦闘を連続的に実施することによって、優勢な敵に消耗戦と神経戦を強いて士気の低下と戦線の泥沼化を狙ったのだ。

 結果、短期間でつくと考えられていた戦闘は予想外に長引くこととなる。曹操軍は障害物を巧みに利用して津波のように押し寄せる連合軍と粘り強く戦い、数度に渡る攻勢を悉く撃退していた。

 

 もっとも、連合軍側の不手際にも原因がある。「兵力10万」を豪語し、数的に優勢とされている袁術軍だが、戦闘が始まった時、そこには極めて少数の限定された戦力が存在するだけだった。当時の袁家は恐らく、大陸でもっともシビリアンコントロールが行き届いた組織であり、職業的な常備軍はわずか3万6000に過ぎなかったという。文官優位の体制下で軍部は抑圧され、その巨体に不釣り合いなほど小さな戦力しか擁していなかった。

 

 この極小の常備軍の不足を補うために、戦時には傭兵と強制徴募が実施される。正規兵1万、農民兵1万2000、これに徐州兵2万を加えた4万強の遠征軍が、袁術・劉備連合軍の実態であった。しかし農民兵の装備は簡素で訓練もほとんど受けておらず、通常は防具すら無いという有様。訓練と規律も欠けており、複雑な軍事行動には適していなかった。徐州兵はそれよりマシだったが、あくまで一時的なトップに過ぎない袁術のために命を懸けるはずもなく、士気は総じて低い。袁術軍もまた彼らを捨て駒としか見なしておらず、互いに足を引っ張り合うのが常態化。「徐州の解放」などといった崇高な大義名分とは裏腹に、その内実は反目し合う烏合の衆でしかなかったのだ。

 

 それでも当初は数にモノを言わせればどうにかなる、といった楽観論が大勢を占め、かくして連合軍による遠征が実行に移される。結果、連合軍は死兵と化した曹操軍と、郭嘉の洗練された指揮の前に散々に打ち負かされることとなったのである。

 

 

 戦闘が長期化するにつれ、そのコストは徐々に袁家を圧迫し始めた。単純な戦費もそうであるし、もとより3万程度しかいない常備軍、その3割が遠い徐州で消耗しているのだ。かねてからギリギリ最低限しかいなかった兵力は完全に不足状態となり、しかも広範囲に分散して統一した軍事行動がとれなくなっていた。

 

 これに呼応するように、勢力圏内にある豪族たちが不穏な動きを見せていることもまた、袁術軍の処理能力を飽和させる原因になっている。

 そもそも袁家の正規兵力が極小であった要因のひとつには、地元の豪族たちが保有する私兵を、有事の際に補助戦力としてアテにしていた部分がある。実際、小さな反乱や農民一揆などでは彼らの協力を仰ぐことも容易であり(もし一揆が成功すれば袁家のみならず自分たちも困るから)、そうであるなら常備軍は減らした方がコスト的にも遥かに安上がりだった。

 

 ところが、今回は事情が違った。従来の内憂ではなく、曹操軍という外患と戦わねばならない。だが豪族たちの協力を仰ぐには徐州は遠すぎ(豪族の私兵はあくまで彼らの領地を守るための軍なので、遠く離れた所へは行きたがらない)、徐州豪族は曹操との戦いで戦力の大半を喪失していた。

 当然、主役となるべきは袁術軍正規兵しかありえず、戦費もまた自らのポケットマネーで支払わなければならない。こうしたリスクを懸念して遠征に反対する者もいたが、結局は「疲弊した曹操軍など恐れるに足らず。兵力ではこちらが優っている」との声に押され、なし崩し的に遠征が決定されてしまった。

 

 その結果が今の惨状であり、袁家は曹操軍を打ち負かすことが出来ないばかりか、その軍事的敗北を世間に晒したことで、権威と名声は大きく傷ついた。勢力圏内の豪族たちの心はオセロのように裏返り、統治の不安定さに拍車がかかることとなる。

 

「今すぐ兵を増員して、袁家の権威と力を見せつけるべきだ!!」

 

 威勢だけはよい強硬論が、華雄ら武断派から出始めるのに長い時間はかからなかった。もはや傀儡いえども信用ならぬ。袁家に従わぬものは、すべて潜在的な敵と見なす風潮が大勢を占めてゆく。中立は許されず、敵と味方に2分する善悪二元論的な意見が方々で聞かれるようになる。

 

 「――我々の側につくか、反逆者の側につくか」

 

 こういった弾圧を実質的に担当しているのは賈駆の保安委員会である。実力に見合うだけの資金と人員を与えられた彼女は、順調に実績を積み重ねて出世街道を歩んできた。秘密警察を拡大し、更なる弾圧の強化によってテロを撲滅できると主張している。

 

「秘密警察の権限を増やしたおかげで、反乱分子への包囲網は強まっているわ。州境線を封鎖したおかげで、他州からの援助も先細っている。あと半年もあれば、全ての敵を根絶やしに出来るはずよ」

 

 自信たっぷりに言い放った賈駆だが、言葉とは裏腹にその表情は硬い。治安は一向に回復する気配がなく、次々に発生する襲撃事件やら暴動やらに追われて弾圧どころではなくなっていたのだ。こうした治安悪化の背後には、袁家の弱体化を狙う曹操や劉表の影もチラついている。賈駆も持てる資源を総動員して事に当たらせているが、雨後のタケノコのように増え続けるテロ事件に翻弄されているのが実態だ。

 

 最初は裏で誰かが手引きしているのではないかと疑っていたが、それにしては一貫性がない。逮捕者を尋問すればするほど、動機も目的もバラバラになってゆくのだ。目的を持ったスパイであることもあれば、単なる欲求不満で破壊活動を行う者もいる。反乱分子に政府関係者が刺されることもあれば、酔っ払いが役所で大暴れしただけという事もある。

 だが、いずれにせよ治安の悪化は隠しようがなく、人民委員たちは以前にも増して警戒過剰になっていた。護衛の数は倍に増え、睡眠や房事でさえ衛兵が付いている有様だ。

 

「昨日の衛兵じゃが、妾はあの澄ました態度が気に食わぬ。さっさクビにするじゃ!」

 

 しかも袁術などは注文が煩い。本音をいえばそんな些事にいちいち構ってられないのだが、無碍にするわけにもいかないのが辛いところだ。他の人民委員もだいたい似たようなもので、劉勲などは3日に一回ぐらいのペースで、やれイケメンがいいだの、飽きたから新しいオトコが欲しいだのと、煩い事この上ない。賈駆も適当に受け流すようにしているが、袁術は我慢を強いられたことで明らかにイラついていた。それを他の人民委員が見逃すはずもなく、賈駆が失脚するのを虎視眈々と待っていた。

 

「おや、あと6ヶ月も君は留任するつもりなのかね、同志賈駆。次の総会まであと3か月しかないのだから、そろそろ何かしらの成果を出した方がよいと思うが」

 

 法務人民委員長・楊弘が棘のある言い方で口を挟む。口元は皮肉っぽく歪んでいるが、タカのように鋭い眼光は獲物を追いつめる猛禽類を思わせた。

 

「選出など問題ではない!これは袁家全体の危機だ!」

 

 続いて、傍にいた軍務委員会議長の袁渙が声を張り上げる。がっしりとした体格の偉丈夫で、文官というより退役したベテラン軍人を思わせる姿格好だ。厳つい見た目の通り気性も激しく、若い頃から地方の行政官として辣腕を振るっていたという。袁家の傍流出身で、劉勲らとの政争に敗れてからはストレスを発散するかのように苛烈な振る舞いが目立つ。

 

「目と鼻の先で破壊活動が行われているんだぞ! 間違いなく、治安の悪化は中華全土に伝わっていく。徐州の苦戦もだ! 領内にいた間諜は雇い主の元に戻って、袁家が弱体化していると伝えるに違いない!」

 

 袁渙が太い指でコツコツと机を叩く。

 

「先週だけでも3件もの大規模な襲撃と5件の暴動が起こっているんだ! 揚州に限らず、そこら中で反乱やら暴動やらの話が囁かれている。我々は最大の危機に直面しているといってもいい。同志賈駆、君がグズグズしていればしているほど、袁家は敵という敵に付け込まれるんだぞ!」

 

「……治安が悪化しているのは、徐州で苦戦中の軍部にも責任があるんじゃない?」

 

「私は開戦前、もっと兵力が必要だと言ったはずだ! 曹操軍を甘く見てはならないと。 それに反対し、徐州派遣軍を3割以上も削ったのは同志賈駆、君たち保安委員会だ」

 

「……っ!」

 

 袁渙をキッと睨み付ける賈駆だったが、それ以上は何も言えずに腰を下ろす。心なしか顔が青いようにも見えた。事実として袁渙の反論は間違っておらず、戦争による軍務委員会の影響力拡大を懸念した賈駆は軍拡に反対した経緯がある。

 

(悔しいけど、今回は敵戦力を見誤ったボクにも責任がある。いくら精強を誇る曹操軍とはいえ、まさか敗残兵があそこまで粘るなんて……)

 

 曹操軍1万2000 対 袁術・劉備連合軍4万2000――いくら兵の質が違うとはいえ、これだけの戦力差があれば勝てると賈駆が考えても不思議はない。常識で考えれば、むしろ1万弱の敵のために6万もの兵を投入しようとした、袁渙の方が「自派の影響力拡大のため」と思われてもおかしくない状況だったのだ。

 ……というより、袁渙本人も初めはそのつもりだったのだが、徐州での苦戦が明らかになるにつれて、あたかも当初から苦戦を予想していたかのように振る舞っているだけだったりする。

 

 賈駆が言葉に詰まるのを見て、袁渙は勝ち誇ったように椅子に座ると、再び熱弁をふるう。

 

「いずれにせよ問題は明らかだ。保安委員会では充分な成果を上げられないし、軍は広範囲に分散している。我々への敵意は中華全土に広まっているにもかかわらず、な」

 

 袁渙はそう言って全員を見渡した。

 

「社会不安の長期化は、政治的にも経済的にも深刻な影響を与える。軍務委員会としては、軍の量的拡大を真剣に検討して頂きたい」

 

 最後の発言は袁術に向けられたものだったが、当の本人は目の前のトレイに山と積まれた菓子をしげしげと眺めるばかり。長ったらしい会議に辟易しているのか、幼い君主はうんざりした様子だった。

 

「今の妾たちでは、曹操で勝てぬと?」

 

「いえ、そういった意味ではありません。が、万が一ということも考えられます。迅速に事態を沈静化させるためにも、我々にはより強大な兵力が必要なのです」

 

 頭を下げる袁渙。待つこと数秒、やっとのことで袁術が袁渙と視線を合わせる。

 

「つまり、兵が足りんと言いたいのかや?」

 

「はっ、左様でございます。治安の回復には、やはり軍の拡大が必要不可欠であるかと」

 

「じゃが――」

 

 袁術が口を開いた。

 

 

「黄巾の時は、6万の兵でもダメじゃったの」

 

 

 瞬間、あたりに戦慄が走った。まるで空気が冷却されたかのような、硬質の沈黙。袁術を除き、時が止まったかのようであった。袁渙は青い顔をしながらも、揚げ饅頭を頬張る袁術と向かい合った。

 

「あ、あの時とは状況が違います! あの苦戦を教訓に、我が軍はより強く、かつ洗練された軍隊へと生まれ変わりました!」

 

 対して、袁術は「そうか」と短く返しただけだった。袁渙は体を強張らせたまま、しばらく何と言うべきか考えていたようだったが、諦めたように深く腰掛け直す。それを見た張繍が忍び笑いをし、張勲が物憂げにうつむく。他の人民委員も取り繕うような笑み浮かべたり、考え込むような仕草で間を保っている。幼い君主の問いは、それだけ問題の核心を突いていた。

 

 

 中でも印象的だったのは劉勲の反応だ。黄巾の乱における苦戦の元凶もある彼女は、一瞬で青白い頬を紅潮させ、屈辱と憤りがないまぜになった表情を浮かべていた。

 

 その根底にあるのは恐らく、黄巾軍に対して手も足も出なかったという劣等感。たかが農民あがりの反乱すら潰せなかったという事実は、それまで順調に出世していた劉勲のプライドを大きく傷つけていた。

 

 しかも彼女にとって腹立たしいことに、最終的に黄巾の乱を鎮圧したのは孫家の軍事力だった。孫策に周瑜、2人の天才に率いられた孫策軍は半数以下の兵力で黄巾軍を壊走せしめた。おそらく、それは劉勲のコンプレックスを大いに刺激した事であろう。袁家の最高幹部であるはずの自分が醜態を晒した直後、より不利な立場にあるはずの孫家が楽々とそれを解決してしまったのだから。

 

 

 ――これは意味のない仮定であるが、劉勲はエリートコースを歩めなかった方が、ひょっとしたら幸せであったのかも知れない。もし彼女が地方の小役人としてキャリアを歩んでいれば、その過程で政敵を蹴落とし、着実に出世街道を進む人生に深い満足感を覚えただろう。時には失敗することもあれど、下っ端ならば逆にそういった屈辱感との折り合いを容易につけられる。

 失敗したのは自分に権限がないから。もっと力のある誰かが邪魔をしたから。だから自分が失敗したのも仕方がない。自分にも権力さえあれば、と。あるいは、しょせん下っ端だから失敗するのは当たり前なのだ、と言い逃れしたのかもしれない。

 

 だが、書記長にそういった甘えは許されなかった。最高位の役職であるだけに、失敗すればすべて自分の力不足が原因。権限が足りないだの、上司が妨害しただのといった言い訳は嘲笑の対象でしかない。

 そもそも、失敗それ自体が許されなかった。失敗を認めてしまえば、自分は今の地位に相応しくないと発表するようなもので、分不相応に高い地位についてしまった責任を取らねばならない。社会的な信用も一瞬で地に堕ちる。それは築き上げてきたキャリアのすべてを否定し、自らの人格をも否定されることと同義であった。

 

 

 実に難儀な話である。書記長という位は、その肩書きを持つ者に、なんと多くの責任を要求することか。地位と責任と能力は、必ずしも一致しないというのにも関わらず。

 

 劉勲は本人と周囲が思っている以上には、真面目で責任感もあったらしい。彼女の振る舞いは劉勲という『個人』として見られるのではなく、『袁家の書記長』として周囲に認識されてしまう。失敗を犯せば個人の問題では済まず、袁家全体の失態として記憶されるのだ。だからこそ彼女は義務として、書記長の名に恥じぬよう振る舞わねばならなかった。常に完璧に、剛毅に、そして優雅に――。

 

 行政手腕によって領地を富ませ、謀略を巡らせて地位を守り、外敵を排除する……この程度(・ ・ ・ ・)のことは当然のように出来なければならない。無能な人間が、袁家という巨大組織の頂点に立つことは許されないのだから。

 

 あるいは――これも意味のない推測だが、もしかすると劉勲はその重荷に耐え兼ね、疲れ果てていたのかもしれない。いかに袁家が大きな組織で書記長の権限が強大であろうと、必ずしもその頂点に立つ者が周囲と隔絶した天才か超人であるとは限らぬ。身の丈に合わぬ強大な力は、しばしばその持ち主を不幸にしてしまうらしい。

 特に劉勲の場合、一から十まで自分の力で功績を立ててキャリアを積み上げてきたというより、派閥のパワーバランスや政治力学にもとづく微妙な駆け引きを利用しての出世である。あたかも「テコの原理」の如く他人の力を自分の力として利用することで、本来の能力以上のパワーを行使する……逆にいえば、劉勲個人の純粋な能力だけを見た時、それは彼女が振るう巨大なパワーに不釣り合いなほど、脆弱で平凡なものでしかなかった。

 

 もちろん袁術のように『お飾り』と成り果て、気ままに振る舞う人生を選ぶ、という選択肢もあった。が、それを認めることは敵わない。他者より秀でたいという劣等感をひとつの原動力として、彼女はここまで出世してきた。なればこそ、それが苦痛だからといって放棄すれば、結局は新たな劣等感を抱え込むことに他ならぬ。身の丈に合わない栄光を掴んでしまったがゆえに、劉勲はそれを克服することも放棄することも出来ず、パラドックスへと陥っていた。

 

 

 ただ、それは劉勲という個人のみならず、袁家全体にも言えることかも知れなかった。その繁栄と権力は、しばしば借り物に過ぎないと指摘される。『富国強兵』を掲げ、出来るだけ他者に頼らず領内を発展させようとした曹操らに比べ、袁家は勢力均衡や自由貿易など外交に頼る比率が高い。

 人民委員会はピラミッド組織の司令塔であるというより、寄り合い所帯の調整機関に過ぎず、連合国家というより国家連合であった。州同士の問題もそうであるし、領内においても名士層や豪族の力を借りなければ、およそ支配はおぼつかなかった。

 

 「あれは神輿に担がれた玉座に過ぎぬ。己の足で立っているのではなく、他人が支える栄光だ」《荀或の言》という辛辣な評価も、あながち的外れとは言えなかった(――もっとも「かの軍師は二兎を追う者の末路をご存じない」《袁渙の言》というような反論に見られるように、曹操らは何でもかんでも自分で抱え込もうとして中途半端に終わる傾向があったと言われるから、一概にどちらが正しいとも言えない部分はある)。

 それを証明するように、外務委員長・閻象の報告は悲観的なものだった。

 

「情勢は良好とはいえませんねぇ……こちらの工作員によれば、我々への不満は豫州でも広がっているそうです。頴川でも暴動が起こっていますし、沛国や陳国もすべて同じ状況。それなのに我々の兵力は常に不足しています。抗議運動、暴動、反乱が領地のあちこちで吹き出しており、中華全土の敵はひとつ残らず我々を狙っていると考えていいでしょう」

 

 閻象によれば、袁家が打ち立てた傀儡政権のほとんどで、反乱の兆しが見られるという。

 

「いやはや、なんとも困ったものです。他州からの襲撃が増えているばかりか、領内の反乱分子の数も増加。こうした治安悪化が更なる不満を招き、農民一揆や暴動が増える一因になっているかと」

 

 豫州西部では曹操の工作員と軍が衝突し、淮水では劉表の息のかかった水賊が暴れている。魯国でも袁紹の放った間者が数人、憲兵隊によって検挙。汝南郡では劣悪な労働環境に耐えかねた農奴が暴動を起こした……などなど。

 

「宛城の治安がまだ良好なのが、せめてもの僥倖。民は不安を感じつつも、変化や意見を持つことに慣れていないがために深く考えてはいません。しかし社会不安が大衆の心理を圧迫し、不満の声が広がっているのは間違いないでしょう。彼らは普段の習慣で政府に従っていますが、決して満足しているわけではありません」

 

 表立った抗議こそ無いものの、以前には見られなかった行動パターンが目立つという。兵士が近づくと無表情を装う、役所に入るときに目つきが険しくなる、テロの犠牲者の家の前で祈る、などなどだ。声高に不平を訴える者はまだ少ないが、この宛城でも政府への怒りはゆっくりと膨らんでいる。

 

「政情不安が長引けば長引くほど、我々はより困難な状況に置かれるでしょう。このまま内戦に突入しても不思議はありません。そうなれば最悪、宛城以外のすべてを失うことに……」

 

 議場がざわめき、数人がそわそわした様子で身じろぎする。そんな中、華雄を始めとした武闘派数人が納得していない表情で顔をしかめた。

 

「そんな大袈裟な。どうせ相手は戦い方も知らん農民か、コソコソ隠れるだけの間者だろう。内乱になって正面から歯向かってくるならば、そちらの方が好都合だ。正々堂々と打ち倒せばよい」

 

 己の強さのみを頼りとし、戦での勝利を至高と信ずる華雄らしい答えであった。策略と陰謀を友とする袁家の人間からは、かのような発想は生まれないだろう。それどころか楊弘など文官の大部分は、闘争を卑しいものとして蔑視するような風潮すらあった。

 

「これだから蛮族あがりの脳筋は困る。殴り合って解決するのは西涼までだ。貴様らは経済というものをご存じない」

 

 あからさまにバカにしたような楊弘の態度に、華雄は体を強張らせる。

 

「そこまで言うからには、何か解決策があるんだろうな?」

 

「もちろんだとも。いいか華雄、秘密警察と軍の強引な取り締まりが、そもそもの不満の原因だ。なら、なぜその原因を取り除かない? 答えは単純だ、連中と取引すればいい」

 

「貴様、正気か!?」

 

 華雄がうわずる声で、楊弘を睨み付ける。

 

「そんなものは完全な譲歩以外の何物でもない!」

 

「メンツにこだわって無為に被害を増大させるより、遥かに理性的だと思うが?」

 

 華雄は怒りに震えながら、拳で強くテーブルを叩いた。

 

「反逆者とは交渉しない!!」

 

 やはり、というべきか。華雄の言の是非を巡って、賛否両論がごうごうと巻き起こる。北郷の時代でも決着がついていない議論であるのだから、当時の人民委員会で結論が出るはずもない。会議は再び批判の応酬に陥るかに見えた。

 

「まあまあ、お二方、もう少し落ち着いたらどうです。そう熱くなられては、冷静な判断力も鈍るというもの。ここはひとつ、一息つく時間だと思って私の意見を聞いていただきたい」

 

 しかしその時、外務人民委員議長・閻象が口を開いた。相変わらずの柔和な微笑みをたたえ、怒れる華雄らの不機嫌な視線にも動じた様子はない。

 

「軍を引き揚げても問題は解決しないでしょう。むしろ敵に“袁家は疲弊している”との間違った印象を与えることになりかねません。しかし、戦いそのものは早く終わらせねばならない」

 

 今の袁家は何もかも収拾がつかなくなってきている。戦争も、暴動も、権力闘争も。それを破滅から救うには、今すぐに英断を下さねばならない。

 

「決定的な打撃によって徐州を迅速に制圧し、しかる後に兵力を引き上げるべきかと」

 

 妥当ではあるが、とりたてて独創性も具体性もない意見である。劉勲がこちらを見て、いぶかしそうに片眉をあげた。ほかの人民委員はむっとした顔をするか、バカにしたようなしぐさをしている。彼らはこう言いたいのだろう――それが出来ないから困っているのだろうと。

 だが、閻象には決定的なアイデアがあった。

 

「もちろん曹操軍を打ち破る策は考えてありますよ。答えは簡単です――精兵には精兵を。孫家を活用すればいい」

 

 閻象が予想したとおり、その発言をうけて場が一気にざわめいた。あらゆる人間が口をそろえて「問題外だ」「討論する価値もない」などと騒ぎ立てる。

 

「こうも異口同音に反論をされると、いささか心苦しいものがありますが……しかし申し訳ない事に、私には皆さんがなぜ反対するかがさっぱり分かりませんねぇ」

 

 言葉の集中砲火に晒されるも、閻象にはそうした中傷を気にかけた様子はない。むしろ言葉尻からは、皮肉の空気すら感じられた。

 

「我々が南陽を統治することが出来たのは、孫家の軍事力を効果的に運用することが出来たからこそ。前太守・張資を殺害し、その軍勢を散々に打ち破ったのは、今は亡き孫堅どのの活躍だったのでは?」

 

 正論ほど耳に痛いというが、多分それは事実なのだろう。袁家家臣がどんなプライドを持っていようと、その軍事的な危機を救ったのは常に孫家の軍事力であった。ただし正論だからといって、必ずしも共感できるとは限らない。人は得てして苦痛な正論より、心地よい甘言の方を聞きたがるもの。売国奴のレッテルを張られたくなければ、負けの決まった戦ほど必勝を叫ばねばならぬように……。

 

「勝てばそれで良し、仮に失敗してもこちら側に損はない。金銭的にも軍事的にも最も合理的な解決策のはず。なのに、この窮状を解決できる切り札を、なぜ封印しておくのですか?」

 

「――それは」

 

 冷ややかな声がした。

 

「アタシにそのつもりがないからよ」

 

 声の主は劉勲。彼女は椅子に座ったまま閻象に向き直り、厳しい声で宣告した。緑の瞳が病的にギラリと光り、猜疑心を湛えている。だが、それは不埒な輩に対する怒りの発露というより、漠然とした不安と恐怖の裏返しであるかのような印象があった。

 

 文官と呼ばれる人種は総じて、制御しにくい精兵よりも従順な弱兵を好む気質がある。精兵を動かすにはそれなりの軍事才能が必要だ。しかし劉勲にその能力はない。ゆえに自分の地位が揺らぐのを恐れて、孫家というカードを切れないのだろう。

 張勲やその他の軍人なら、もしかすると孫家を制御できたかもしれない。しかし孫家を含んだ軍事力の全てを統制化に置ける人間がいるとしたら、その者が真の実力者だ。劉勲はそうした人物の出現を脅威に感じている。歴史上、彼女のような文官によるシビリアンコントロールが機能したのは、軍部が分裂していた時だけだったのだから。

 

「番犬は弱過ぎると役に立たないけど、強過ぎれば主人に牙を剥くものよ。目の前の暴力すら制御できてないのに、もっと強大な暴力を持ち込むつもり?」

 

「おや」

 

 釘を刺すような劉勲の厳しい視線に、しかし閻象は苦笑と共に首を振るだけ。おかしくて堪らないといった様子で、細い目に好奇の色を湛えている。

 

「まさか貴女の口からその言葉を聞く日が来ようとは。意外なこともあるものです」

 

 たとえ優雅な振る舞いであろうと、丁寧な物言いであろうとも――主の持つ雰囲気次第で胡散臭くも醜悪にも見える。閻象もまた、そうした人間の一人であった。

 

「……何が言いたいのかしら?」

 

「いえ、別に深い意味は。――ただ」

 

 柔らかい物腰で劉勲と語らうその行為は、決して聖人の類ではない。例えるなら、傷口に塩を塗り込むかの如き所業。禿鷹が手負いの獲物をいたぶり、衰弱する様を愉しむような邪悪さを含んでいた。

 

「かつて孫家を使って黄巾の乱を鎮圧した貴女らしくもない、と」

 続く劉勲の反応は、中々に見物であったという。顔面を多量の血液が血管内を移動し、頬の筋肉が引き攣る。

 

「なっ……閻象、アナタ少しは自分の立場を弁えて!」

 

 劉勲がヒステリックに叫び、苛立ったように髪をかき上げた。

 

「バカげた考えで和を乱すようなマネは謹んで! でないと、アナタ自身に何か企みがあると疑われるわよ!?」

 

「はて、間接的な脅しであるように聞こえましたが」

 

「脅しに決まってるじゃない! それ以外の解釈があるワケ!?」

 

 厳正なはずの会議室に似合わぬ、レベルの低い罵倒が飛ぶ。往々にして熱弁を振るう者は議場を支配するものだが、この時ばかりは様相が違った。激しい言葉で攻め立てれば攻め立てるほど、それに反比例するかのように劉勲の姿は小さく見えた。圧倒しているのは閻象の方であり、劉勲は精神的劣位に立たされていたのである。

 

 つい感情を爆発させてしまった事を、彼女は数秒と経たない内に後悔するハメとなったが、既に時を逸していた。

 以降、彼女はこの失態を挽回すべく、より危険な博打へと手を出していくことになる。

      




 袁術軍は意外と少ない……。
 歴史上だと、人口が多い国ほど軍隊が多いってワケでもないんですよね。ナポレオン時代のロシアなんかもロシア遠征までフランス軍より小規模だったらしいですし、WW2の中国なんかも人口の割に兵員数は日本と大差なかったり。
 むしろ大国ほど、軍の規模が巨大だと管理しきれなくなって地方軍閥化して勝手に独立、なんて事もあって逆に少数精鋭志向になるという話も。

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