真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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※少し修正を加えました(10/6)



63話:抗えうる力

   

 曹操軍が下邳で戦闘を開始した――その知らせは瞬く間に中華を駆け巡り、劉備らは血相を変えて現場へと急行した。

 

(お願い……間に合って――!)

 

 脳裏をよぎるのは2つの光景。青州・臨菑城と徐州・琅邪城……従ったものと、逆らったもの。対比としてはこれ以上ないぐらい良く出来ている。 

 

 死にたくないと喚きつつも、最後まで為政者としての責任から逃げなかった孔融と青州の高官たち――苦渋の決断を下した彼らの姿が脳裏をよぎる。

 降伏の後、主な人物は処刑されるか軟禁状態に置かれただろう。少なくとも明るい未来ではないことは確かだ。より多くの民を生かす為に、己の命も誇りも全てを強者に差し出し、屈辱に耐えながら不様に許しを乞う。そして救った民からは国を守れなかった無能と蔑まれ、死ぬまで勝者にこき使われながら生きてゆく。それは青州の民衆にしても同じ。ただでさえ貧しかった青州は戦乱によって完全に荒廃し、今年の冬を全員が無事に越せるかどうかも怪しい……。

 

 ――ゆえに臨菑城は生き残り、それが出来なかった琅邪城は3万の屍と共に廃墟と化した。

 

  推測でしかないが、本心ではたぶん両者の間に大きな違いなどなかったのだろう。青州に住む人も、徐州に住む人も。共に自分達の故郷を愛し、勝利するまで戦い続けたかったはずだ。

 だが想いの強さで勝てるほど、戦争は甘くない。精神論が勝敗を決するなら兵法など無用。青州はギリギリでその現実に気づけ、徐州は手遅れだった――その少しの差が両者の結果をここまで分けたのだ。

 

(……でも、いやだからこそ――下邳までそんな目には遭わせない!もう悲しい事は充分だよ!!)

 

 ゆえに劉備は駆ける。祈るようにして、死の戦場へと走り抜ける。

 

 

 

 そして――少女は再び、地獄を見た。

 

 

 ◇

 

 

 つい先ほどまでは数多の人々が暮らしていたであろう痕跡とは裏腹に、下邳の空気は墓場のように凍りついていた。音が無いわけでは無い。たが擦れるような呻き声と阿鼻叫喚が風に乗って運ばれる様は、この地から『生』の要素を根こそぎ奪い取っていた。

 

「……水攻め、ですね。恐らくは、付近にあった泗水の堤防を決壊し、溢れ出た洪水で下邳は……」

 

 青ざめてはいるが、諸葛亮の分析は全く的確なものであった。今でこそ水も城外へ流れているが、数刻前は此処も水の底だったのだろう。地面は泥と化してぬかるみ、血の気を失った水死体がそこかしこにある事がそれを証明している。

 

「桃香様、内城に……!」

 

 諸葛亮が指さす先は陶謙の居城。屋敷は土塁と石垣を積み上げた天守台の上にあり、水没を免れた数少ない建築物だ。かつてあった城壁は洪水で破壊され、今は外からでも屋敷の様子が見える。そして開け放たれた門からは、室内に一人の少女が立っているのが見えた。

 

「おい、あれって……」

 

 続く一刀がが何か言うより早く、劉備は全力で駆けていた。

 

 

「――曹操さんっ!」

 

 

 非難の意をこめて呼び掛けた叫び。

 されど返答はなく、目的の少女――曹操は相変わらず不動の姿勢を崩さない。劉備は何やら得体のしれない混乱に苛まれたまま、不審感と警戒を抱きつつ更に距離を詰める。

 

「お願いです、何か言って下さい!いったい何が――」

 

 一瞬。曹操の身体が震えたように見えたのは、気のせいだったのだろうか。だが曹操は無防備に背中を劉備達に晒したまま、一向に振り返ろうともしない。

 そんな彼女の様子を見て、劉備達は戸惑ったように動きを止める。

 

 その姿は間違いなく洛陽で見知った出会った金髪の少女。にも拘らず劉備は、目の前の少女が別人のであるかような印象を受けた。容姿ではなく、その身に纏う空気が――かつて彼女が放っていた、居並ぶ者を思わずひれ伏させるような強いオーラや自信はどこにも無い。

 そのときになって初めて劉備は、事態が異様な状況に陥っている事に遅まきながら気付いた。そして先ほどから抱いていた違和感が何なのかも。

 

(なんで……曹操さん達も傷だらけなの……?)

 

 見間違えでは無い。曹操の周囲に護衛の兵は10人程度しかおらず、しかも全員が満身創痍の状態だ。その意味に気づくと、先ほどまであった怒りも完全に引き去った。後に残ったのは薄ら寒さと、胸を押し潰すような圧迫感だった。

 

 ――では誰がこんなことを?

 

 冷やかな焦りが、劉備の背中に汗を流させる。真相は依然として分からないものの、何か裏がある、という予感だけは彼女の胸の内で確信へと変化していた。そして更に一歩踏み出すと、それまでは建物の陰に隠れて見えなかった複数の人影が視界に入る。

 

 屋敷の内部いる誰かが、ゆっくりと近づいてくる。曹操軍兵士ではない。もっと重装備で、上質な軍服を着た兵士達が武器を構えている。そして彼らの中心に立つ人物は、劉備達も良く知る人物だった。

 

 

「陶謙……さん?」

 

 

 ◇

 

 

「おお、玄徳殿も無事だったか。この混乱の中、此処まで来るのはさぞ苦労したじゃろうな」

 

 果たして現れたのは徐州を統べる郡雄・陶謙その人だった。その右手には儀礼用の剣が握られており、切っ先は曹操へと向けられている。彼の周囲には50人ほどの兵士がいたが、こちらは曹操の護衛と違って負傷も疲労もなく意気軒昂のようだ。

 

「陶謙さん、これは一体……?」

 

 状況が理解できない――劉備は青ざめた顔で尋ねる。

 

「見ての通りじゃよ。これから和平のための対話(・ ・)を行う」

 

 対話、という平和的な言葉とは裏腹に、陶謙の周囲の兵士達は一向に武器を下げようとはしない。

 その様子と言葉の裏にある意図を読み取り、曹操が怒りと屈辱で顔を歪ませる。

 

「貴方……」

 

 殺気をこめて陶謙を睨みつけるが、どうにもならない。逆に事態の深刻さを曹操に再確認させただけだった。どう考えても真っ当な対話にはならないだろうが、この場で彼女の生死与奪の権利握っているのは目の前の老人なのだ。

 

「……分かったわ。それで、要求は何?」

 

「ほう、若い割にもの分かりが良いと見える。実に結構なことよ」

 

 満足そうに言うと、陶謙は懐から取り出した紙を読み上げる。

 

「まず兌州はすぐさま軍を解体し、その兵力は4万まで縮小すること。そして今回の戦争において我が州が受けた損失を補填するための賠償金を支払うこと。最後に『3州協商』に兌州も加盟すること――以上の3点じゃ」

 

 体のいい降服勧告だ、と曹操は思った。これに従えば兌州は完全に従属状態に置かれる。軍を自らの支持基盤としている曹操にとって、それを失うことは死活問題に等しい。そして賠償金はただでさえ豊かとはいえない兌州の財政を破滅させ、その状態で3州協定――袁術が主導した自由貿易協定――に加盟すれば間違いなく半植民地的な収奪の対象となってしまう。

 しかも曹操が袁術らの自由貿易協定に加入すれば、それは袁紹への裏切りと同義である。公孫賛軍のこともあって即座に戦闘開始とはならないだろうが、今まで長い時間をかけて両者が築き上げてきた協力・信頼関係は破綻するだろう。

 

「もし以上の条件が受け入れられない場合には、非常に心苦しいが……」

 

 陶謙が右腕を上げると、それを合図として数人の兵士が槍を突き出しながら、曹操とその護衛を取り囲む。

 

(予想はしていたけど、やはり交渉は問題外ね。なら、一刻もここから脱出しないと……)

 

「―――」

 

 ちらり、と曹操は横眼で窓の外の様子を探る。

 たしかに洪水で多くの兵を失ったが、それは陶謙も同じ。多小の兵力は温存出来ているだろうが、主力を率いていた陶商の部隊は壊滅させたし、もともとの総兵力はこちらが上回る。屋敷の外では依然として自軍が優勢――

 

「ああ、水を差すようで申し訳ないがの。友軍の救助はアテにしない方が賢明じゃ」

 

「……つまり?」

 

 警戒心を露わにする曹操に、陶謙は溜息を吐きながら答える。

 

「分かっているはずじゃよ。たとえ数が多かろうと腕に覚えがあろうと、一度とて指揮系統を失った兵は戦力たり得ない」

 

 無線もGPSもないこの時代において、情報伝達の手段は限られる。有体に言えば、指揮官は自分の目が届き、声が届く範囲でしか兵士を制御できないのだ。ゆえに一度はぐれてしまえば命令を送ることはおろか、自軍の状況すら把握できない。仮に洪水で指揮系統を失った曹操軍が外に2万人いようが、それは1人の兵士が2万人いるだけで、2万人で1つの『軍』ではない。烏合の衆、と評してもあながちはずれてはいないだろう。

 

「そもそも、洪水などという災害にあった後、兵士がいつまでも被災地に残りたがると思うかね?建物が崩れる恐れもあるし、まともな神経の持ち主ならまずその場を避難して安全な外へ逃れるはずじゃ。場合によっては、上官の目が無くなったのいい事に脱走を図るやもしれん」

 

「………」

 

「加えて、あと少しで袁術の“救援部隊”が到着する予定じゃよ。聞くところによれば、紀霊将軍の指揮する4万5000の部隊が下邳の解放(・ ・)へ向かっているらしいの」

 

「へぇ……」

 

 曹操はふん、と鼻を鳴らす。何が裏にあったのかを推測するには、それだけで充分だった。

 確かに現状、曹操を討ち取ったとして曹操軍が退却する保証はどこにもない。夏侯惇あたりが軍を再編する可能性もあるため、彼女らにトドメを刺すには袁術軍の力を借りるしかないだろう。だが自軍を犠牲にしてまで同盟相手の支援を得ようという売国的な態度には、流石の彼女も眉を顰めざるを得なかった。

 

あの(・ ・)袁術軍にしては素早い動きじゃない。まるで(・ ・ ・)何が(・ ・)起こるか(・ ・ ・ ・)知ってた(・ ・ ・ ・)みたいに(・ ・ ・ ・)

 

幸運にも(・ ・ ・ ・)付近で大規模演習があったようなのでな。同盟に基づいて人道的な支援を行いたいという、書記長殿の御好意に甘えさせてもらった形になるのぉ」

 

「つまり、それが貴方のお友達(・ ・ ・)の計画って事かしら?」

 

 曹操の視線が鋭さを増す。

 

「それならこの暴挙も説明がつくわ。堰を崩壊させて敵味方もろとも下邳を水没させれば、私たちと貴方たち両方の力を削れる。かくして漁夫の利狙いの第3勢力・袁術が一番得をする、そんな筋書きかしら。……まったく、劉勲あたりが好みそうな策ね」

 

 曹操軍が到着する前に下邳へ増援部隊を送ろうとも、その後の戦闘で勝利できる保障は存在しない。彼我の戦力差を省みれば、曹操軍を城内に引き込んだ上で下邳ごと水没させた方が遥かに効果的な確実だ。しかも囮になる味方は全て徐州の兵士であり、成功しても軍を失った徐州の発言力を低下し、より袁術に従属せざるを得なくなる。仮に失敗しようとも袁術軍に被害は出ないため、袁術陣営から見れば実に合理的な作戦だと言えよう。

 

 

「今の言葉は……本当なんですか……?」

 

「必要な事だった。それ以上でもそれ以下でもない」

 

 呆然とする諸葛亮の問いに、陶謙はそっけなく答える。

 諸葛亮は何か言い返そうとするが、言葉が出てこない。一個人の感情を抜きに軍師として考えるならば、陶謙の言葉にも一理あるように思えたからだ。

 

 自軍の犠牲を前提とした非人道的な作戦だったとはいえ、圧倒的に不利だった状況を少なくとも五分まで持ちこめた。加えて曹操兵士の質は徐州軍より上であるため、失われた兵数が同じならダメージがより大きいのは曹操軍なのだ。しかも最初から下邳を水没させるつもりなら一定の対策もとれるはず。現に陶謙はクーデターというアクシデントがあったにもかかわらず一部戦力の温存に成功し、こうして曹操を殺せる状況を作り出している。

 

「曹操殿。弱小勢力が独立を維持していくのは、貴公の想像より遥かに困難な作業なのじゃよ。現実問題として、徐州は南陽の同志(・ ・)達の保護抜きには立ちゆかぬ。肝心なのは利がある側に与すること」

 

 もはや隠す必要もない。陶謙の発言は、直に袁術の干渉を認めていた。

 

「……前から気になっていたのだけれど、劉勲の誘惑ってそんなに魅力的なのかしら?自分の財産を貢いでまで、あの子に縛られ首輪を嵌められるのが、そこまで待ち遠しい?」

 

 袁術陣営に助けを求めれば目下の戦力は増えるかもしれない。だがその代償として徐州は主権を制限され、都合のよい盾として酷使されるだろう。もっとも――。

 

「では、貴公は違うとでも?」

 

「まさか。この曹孟徳に逆らった時点で選択肢は2つ。全てを捧げて私の覇道に付き従うか、死あるのみよ」

 

 そう、開戦という事態を引き起こしてしまった以上、徐州の命運はどちらにせよ尽きたと言ってよい。初めから負けの決まっていた戦争とまでは言わないが、敗北可能性が濃厚な戦争で普通に戦い、普通に都合のよい奇跡など起こらず、普通に負けたというだけのこと。

 ゆえに、残された道は3つ。曹操に逆らって滅ぶか、曹操に全てを捧げて降伏するか、自ら進んで植民地となって別の諸侯の庇護を受けるか。

 

「成程、それで袁術ね……目の付け所としては悪くないわ。特に劉勲なんかはそういうの好きだから。安全地帯から他人を唆して、足を引っ張り合う泥試合を見て喜ぶ。ほんと、あれは性質悪いわよ」

 

「だとしてもじゃ。 そもそも貴公はひとつ勘違いをしている。いいかね?――弱小な徐州にとっては、むしろ袁術による植民地化こそが最後の希望なのじゃよ。彼女らが欲しいのは市場と安全保障上の緩衝地帯であって、領土や民の支配ではないからの」

 

 曹操や袁紹のように農業や畜産を基盤とする勢力は土地と人口がそのまま国力に直結するため、強力な支配権を要求する傾向がある。だが大都市・宛城を有する袁術にとって富の源泉とは商売によってもたらされる商業利益であり、取引できる市場とそれを保障するルールがあれば、それ以上は欲しがらない。

 

「それに袁術自身が南陽群太守に過ぎない事もあってか、あそこは貴公らに比べると遥かに君主権力が弱い。しかも売官制を始めとする金権政治がまかり通っているがゆえに、金さえあれば一定の発言力は保持できる。戦争によって徐州の独立維持が不可能になった今、よりマシな従属先を探そうとするのは自然なことじゃ」

 

 陶謙は言葉の端に強い響きを含めて言い放つ。既に彼は徐州の崩壊を前提としたプランを立てており、いずれ袁術の傀儡となることも覚悟の上なのだろう。

 

「さて、話はここまでじゃ。なるべく平穏に済ませたかったのじゃが、今までの様子だと大人しく従う気はないようじゃの。出来れば生け捕りにしたい所ではあるが……此処はやはり確実に行くべきか」

 

 陶謙の瞳がすっと細められる。

 

「――曹兌州牧を殺せ。その首を袁家への忠誠の証とする」

 

 曹操が動くより先に、陶謙の周囲にいた兵士が一気に突撃する。数は約50、曹操の護衛の5倍であり装備やコンディションも上だ。部屋という密閉空間では逃げ回る事も出来ず、曹操目掛けて突き出される槍が宙を切る。

 

 

「ッ――!?」

 

 

 しかし次の瞬間、その場に耳をつんざくような金属音が響いた。剣が槍を阻んでいる。そして曹操と陶謙の間に立ちふさがるように、一人の人間が立っていた。

 

 

「……これはどういう事だね、一刀君」

 

 陶謙が静かに質問する。曹操の捕縛を阻んだ相手を、穏やかだが油断なく見据える。

 対して一刀は何かを堪えるように沈痛な表情で、絞り出すようにして応じた。

 

「もう一度、考え直してはくれませんか?」

 

「異なことを言う。儂は交渉の余地を与え、曹操殿がそれを蹴った。ならばもはや、話すことなど無いのではないかね?」

 

 対して答える陶謙の声は、親が優しく子供を諭すようで。それでいてどこか冷たい響きを含んでいた。

 

「でも!でも、こんな事よくないです……」

 

 次に口を開いたのは劉備だった。なおも武器を下ろそうとしない陶謙に向かって、彼女は身振り手振りを交えて必死に訴える。

 

「こんなこと間違っています!ここで曹操さんを殺して、袁術さんの庇護下に入って使い潰されて……そんなの、あんまりです……!」

 

「玄徳どの」

 

 陶謙は困ったように眉をしかめる。

 

「そなたの気持ちも分からなくはない。じゃが、それ以外にこの戦争で生き残る術があると思うかね?中華全土を覆う戦火に抗う力は、もはや我らには残されておらぬ」

 

 辛そうに黙りこむ劉備に、陶謙は続けて諭すように語りかける。

 

「それでも、たとえ主権や誇りを失おうとも民は生きてゆかねばならんのじゃ。そして為政者として、儂は民を確実に生かす方法を取らねばならぬ」

 

 ああ、この人も同じなんだ……劉備の頭に浮かんだのは、戦わずして降伏した青州牧・孔融の姿だった。陶謙もまた彼と同じように、生き延びて僅かな希望を未来へと残そうとしている。たとえそれが、どれほどの屈辱と犠牲を生むとしても、それが最善だと信じている。

 

「弱者は強者に縋らねば生きてゆけん。己の収入源を持たぬ子供や女性が、手に職を付けた男性に依存せねば生きられぬように。売り物になるだけの技術のない新人の職人が、見習いとして親方や組合に滅私奉公せねば一人前になれぬように。国や地方政府とてそれは変わらぬ」

 

 自立が出来るのならばそれに勝るものはない。

 だが現実問題、全てを一人で成し遂げ一流の域に達するという事は理想論はおろか妄想だ。なにせ単に「出来る」というだけでは到底足りない。他者との競争も考慮せねばならない以上、やるならばその部門で最上位に入らねば意味がない。農業も工業も商業も資源も文化も財政も政治も軍事も外交も。全てが一流にならねば真の「自立」はありえない。

 そして全てにおいて自立せんと欲するならば――砂漠の国家が砂地の上に農園を作るかのごとく非効率な作業を、多くの犠牲の上に成り立たせるしかない。

 

「でも、それを何とかするのが俺達の役目じゃないんですか!?貴方だって見てきたはずだ!一方的な通商条約、自己中心的な3枚舌外交、見殺しにされた青州……自分の未来を他人任せにすることが、どれだけ悲惨な末路を辿るか分からないんですか!」

 

 声を荒げる一刀の糾弾に、陶謙は呆れとも憐みともつかない表情を浮かべる。

 

「理想が高いことは結構じゃ。 だが、他に方法があると思うのかね? まさか奇跡を信じて一か八かの勝負に打って出る、などとは言うまい。一個人としては議論の余地があるが、少なくとも数万の民の命を預かる為政者が取るべき行動ではない」

 

「……だけど、それじゃ俺達を信じて戦ってきた人たちの想いはどうなるんですか」

 

 劉備の隣にいた一刀は顔を拳を握りしめ、低い声を絞り出す。

 力なき正義は無力である。それは分かった。納得できなくとも、ある程度は理解できる。何度も自問自答を繰り返していただけに、こういった回答も予想はしていた。

 

 しかし、それでも。一刀にはどうしても看過できない事がもう一つ。

 

「答えて下さい、陶謙さん。貴方は……いつから(・ ・ ・ ・)知っていたんですか?」

 

 水面下で進められた、袁術との黒い取引を。その過程で生じた数多の犠牲を。

 どこまで承知の上で行っていたのかと。

 

「少なくとも俺は、何も聞いていません。そして恐らくは、前線にいる兵士達も知らなかったと思う……」

 

 知っていたら、こんな事には手を貸さなかった。初めからこうする(・ ・ ・ ・)つもり(・ ・ ・)だったのなら、前線で傷つきながら戦っていた兵士達は何のために死んだのか。彼らの死に意味はあったのか。 

 

「徐州で虐殺が行われていた時、貴方は安全なこの場所で何をしていた? 何を命令を出していた?」

 

 護るべき民を殺し、それを対価に自ら進んで奴隷となる……そんな下種なシナリオを完成させるために、彼らは犠牲になったというのか――。

 

「俺達が頑張っていれば全員救えたとか、そんな夢みたいなことは言わない! でも、だけど――」

 

 一刀は胸を押さえ、訴える。

 

「何も真実を知らせないまま、人を捨て駒として使い潰していいはずがないんだ! 兵を死地に追いやるなら、せめて彼らに納得できる理由を与えて下さい!人の命は、政治の道具じゃない!」

 

 国の為に民があるのではなく、民の為に国がある……転生者である一刀にとって、それはごく当たり前の理屈。そして為政者とは、民を代表し彼らの代弁者となるべき存在だ。ならば民を蔑ろにして、為政者が勝手に政治を進めて良い道理などない。

 

「今まで徐州の兵が頑張って戦ったのは、袁術の奴隷になるためじゃない。自分達の住む土地を守りたい――その為にみんな俺達についてきてくれたんだ。そんな彼らの想いを、願いを貴方は踏みにじるんですか!」

 

 

「それが現実(・ ・)だ」

 

 

 陶謙がぴしゃりと言い放つ。

 

「何を言うかと思えば……戦う理由、死ぬ意味、そして“真実”とな」

 

 老人は深く、溜息をつく。

 

「そんなモノは知ったところで、いらぬ混乱を増やすだけじゃよ。目に見える現実があれば、それでよい」

 

 真実を知れば、恐らく誰も戦おうとしなかったに違いない。たとえ理屈で「大を活かすために小を殺す」ことが最善だと分かっていようと、殺される『小』の側はそれに耐えられるほど従順では無いし、それが人間というものだ。

 こればかりは立場の違い、と割り切るより他はない。全体を活かすために『大』として振舞う陶謙と、切り捨てられる『小』の側の一刀たちでは、視点も違えば各々の最適行動も違ってくる。

 

「そんなに、希望が持てませんか?」

 

 北郷一刀は静かに言って、一歩前へ進み出た。

 

「希望など最初から無い。――あるのはただ現実のみ」

 

 陶謙の瞳に宿るのもまた、決して引かぬという強い意志。

 

「どれだけ不様であろうと生き延びて、未来への余力を残す事こそが『力』を得る第一歩となる。目先の誇りや怒りに支配され、己の力量を見誤ればそこで全てが途絶えてしまう」

 

「でも……でも、他人の犬になれば同じことだろう!一度首輪を嵌められたら最後、力を削ぎ落されて死ぬまでこき使われるかもしれないだろ!」

 

「そうかもしれないし、そうでないかもしれぬ。じゃが今、徐州単独でこの戦争に立ち向かおうとすれば確実に破滅する。後に復活する可能性が未知数である前者と、零である後者……どちらの道を行くか、選ぶまでもない」

 

 陶謙の表情が鋭さを増す。抑えつけるような瞳の裏には、何が映っているのだろうか。

 

「例えどれだけ不様な生き方であろうと、生きている限り道はある。ゆえに我々は、生きねばならんのじゃ」

 

 その言葉を合図に、陶謙の部下達が再び突撃する。

 今度こそ、本物の殺意を滲ませて。

         




 なんだか後世ですごく評価が両極端に分かれそうな陶謙さん。「曹操と戦っても勝てないなら、いっそ袁術の配下になっちまえ」とエクストリーム売国。
 ただ、我々の感覚では分かりにくいですけど、当時は国民国家じゃないんで自分の領地ごと誰かの臣下になる、なんて事は珍しくはなかったとか。日本の戦国時代でも三好三人衆に負けそうになった松永久秀が、あっさり織田信長に恭順してますしねー。

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