真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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58話:分たれる未来

            

 太史慈の直率する2000人の特別部隊が目標を補足したのは、臨菑城を抜け出してから2日後の夕刻だった。既に日は傾き、海岸沿いに構築された集積所がおぼろげに照らし出されていた。

 

「包囲網の突破は成功した。後は追いかけてくる敵と時間との勝負って訳か」

 

 付近の森の茂みに隠れながら偵察を行っていた一刀は、ふぅと大きく溜息をつく。

 劉備ら揚動部隊は、実によくやってくれた。幸運なことに彼女らが最初にぶつかった敵軍は、袁紹につき従う豪族を中心とした部隊だったらしく、突如として現れた敵軍に対処しきれず、手ひどい損害を被ったという。顔良ら袁紹軍本隊の救援があと少し遅れていたら、そのまま勝利を収めていたかもしれない。

 だが増援投入のために北部同盟は部隊の一部を抽出せざるを得ず、包囲網の密度が下がったところで一刀ら決死隊が一気に包囲を突破した。

 

 とはいえ同盟軍がやられたまま黙っている訳もなく、すぐさま楽進を指揮官とした6000人あまりの追撃部隊を編成。半日ほど遅れた距離に迫っており、まさに時間との戦いと言えた。

 

 

「……にしても、焼き討ちするのがもったいないぐらい凄い拠点だな」

 

 視界の大部分を占めるは、都昌という港町を接収して作られた補給拠点。北部同盟に占領されてからまだ2週間も経っていないというのに、かつては地方の一港町に過ぎなかった都昌は、見間違えるほど立派な軍港として発展を遂げていた。

 埠頭には船舶が接岸する岸壁や係留施設が並び、無数の水夫がせっせと荷さばきを行っている。貨物を借り置きする為の倉庫・保管施設も整備され、一部には貨物運送のために港湾道路まで作られている。だがそれでも膨大な北部同盟軍の補給を賄い切れていないのか、波止場には新しい桟橋が次々に設置されていた。いくつもの木箱でできた浮体を水上に浮かべてアンカーで固定し、陸岸と渡り橋で連結した浮き桟橋と呼ばれる建築物は、潮位差の大きく水深の深い青州沿岸部での港湾拡張を容易にしていた。

 

(さすがに華北一の名門と呼ばれるだけあって呆れた物量だな。戦争のために町ひとつ作るとか、どれだけ金持ちなんだよ……)

 

 袁紹軍の潤沢な兵站に舌を巻く一刀。現地調達が基本であったこの時代において、ここまで近代的な兵站線を備えている様は、もはや驚嘆を通り越して不気味にすら感じられた。 

 

「成程な。これが彼女らの力の秘訣、ということか」

 

 隣にいた太史慈が真面目な口調で告げる。

 

「私もずっと気にかかっていた事がある。あれほどの大軍を、袁紹はどうやって維持しているのかと」

 

 この時代の常識として、一諸侯が戦場に投入可能な兵力は多くて5万程度とされていた。勢力均衡によって覇権的な諸侯が不在だったという理由もあるものの、それ以上に兵站に問題があったからだ。

 現地調達で軍隊が1日に確保可能な食糧は、原則として1日の行軍範囲内。仮に10万もの兵力を略奪による現地調達で賄おうとすれば、1日の平均行軍距離である10kmほどの区域内に10万人以上の農民の存在が必要だった。現実にはそこまで密度の高い穀倉地帯はほとんど存在せず、かといって軍を分散させることもできない(少数部隊に分散させて略奪区域が重ならないよう別々のルートを通れば食糧問題は解決できるが、脱走兵や連絡の途絶、敵の各個撃破の餌食というリスクが高まる)。

 

 大軍というのは、ただ数を集めれば良いのではない。集まった兵士を一定期間確実に養っていけるだけの兵站網、給料、脱走防止システムや情報網の完備といった全ての問題をクリアして初めて、大軍として存在できるのだ。

 そして、もしそれを実現できる諸侯がいたとしたら……それは恐らく天下統一に最も近い人物だといっても過言ではないのだろう。それだけの財力と兵力、権力を持った上で、なおかつ自らの巨大組織を支えられる人材をも保有しているのだから。

 

 

「……俺達で勝てるんですかね?この戦争に」

 

「“勝てるか”じゃない。我々は“勝たなければならない”のだよ。――そのために、君の小さな軍師は単身で援軍(・ ・)を連れに向かったのだろう?」

 

 太史慈の返答に一刀は黙り込む。彼の言うとおり、もう既に“勝てるか否か?”といった議論の段階は過ぎている。戦端を開いてしまった以上、この戦いで勝つしか生きる道はないのだ。

 

 劉備は城を包囲する敵を引きつけるために出陣し、諸葛亮はこの襲撃を確実なものにするために援軍を連れに向かった。そして、自分に出来る事は――。

 

 

「太史慈殿」

 

 後ろから一人の兵士が近づいてくる。彼は太史慈と視線が合うと、無言のまま小さく頷く。別動隊の配置が完了した合図だった。

 

 作戦は3方向からの奇襲による一撃離脱を基本としている。主目的はあくまで補給拠点の破壊による兵站網の妨害。補給拠点の占領ではない。

 もちろん補給拠点を占領すれば敵の継戦能力を奪えるが、襲撃だけでも間接的にも大きな効果を及ぼすことができる。つまり兵站網が安全でないとなれば、同盟軍は大軍を維持する為にその防衛に多大な兵力を割かざるを得ず、また襲撃部隊を排除するためは防衛部隊とは別に索敵部隊を投入せざるを得ない。結果としてそれは青州、徐州方面に展開している北部同盟軍の圧力が低減されることを意味し、戦略的にも無視できない効果を与える事になる。

 

「前進開始。いいか諸君、絶対に音は立てないでもらいたい」

 

 太史慈の合図とともに、襲撃部隊はひっそりと移動を始めた。

 味方の数は2000、対する敵の守備部隊は5000前後。状況からして、奇襲は完璧なものでなければならない。ゆえに至近距離まで気づかれることなく接近し、第一撃で拠点防衛部隊を壊滅させて混乱を引き起こす必要がある。続けて拠点内部に突入し、戦闘を極力避けながら素早く兵糧の大部分を焼き払う。そして半日ほど後の距離に敵の追撃部隊が迫っている以上、戦闘時間は可能な限り短縮するのが望ましい。

 

 太史慈は大きく息を吸い込んだ。すでに全員が抜剣しており、目標指示も終えている。

 

「――突撃ッ!!」

 

 号令と共に、兵士は素早く走り始めた。

 

「「「うおおおぉぉぉぉぉぉっっ!!!」」」

 

 奇襲効果を増す為、部下には大声を張り上げるよう指示してある。突然の絶叫に驚いた敵兵が態勢を立て直す間もなく、襲撃部隊の第一陣は警戒ラインを突破した。人と馬が入り乱れ、雪崩のように轟音が連続して響き渡る。

 

「このおおおぉぉぉぉっ!」

 

 一刀も隠れていた茂みから飛び出した。彼の両脇には徐州から連れてきた兵士が並んでいる。

 背後から年配の兵士の叫び声が聞こえた。

 

「――坊主、左だ!」

 

 見れば、敵の騎兵がこちらに向かって駆けていた。曹操軍のトレードマークである藍色の衣を纏っており、その下に頑丈そうな鎧を着用している。軽歩兵主体の曹操軍において、鎧を着用するものはごく僅か。そこから一刀は彼を士官クラスの人間だと判断した。

 

「おらぁッ!」

 

 突っ込んでくる騎兵突撃をギリギリでかわし、馬の脚を狙って斬りつける。だが角度がまずかったのか、剣は馬の脚を殴打した直後に中央から真っ二つに折れてしまった。

 

「くらえぇぇぇッ!」

 

 再び馬首を返してこちらに突撃しようとする敵騎兵の先手をとり、一刀は折れた剣を片手に突撃する。相手もまさか武器が壊れた歩兵が単身突撃するとは予想してなかったらしく、少しばかり対応が遅れた。

 一刀はそのままジャンプして騎兵の胴体に飛びつき、重力に任せて馬から引き摺り下ろす。折れた剣で相手を刺そうとするも、敵も負けてはいない。曹操軍士官は一刀の頭を足蹴にし、這ってその場から避難する。続けざまに落とした騎兵刀を拾い、襲い掛かろうとした。

 

「――伏せろッ!」 

 

 その時、背後から太史慈の声がした。一刀はほとんど反射的に声に従って地面に倒れこむと、後ろから一本の槍が飛んでくるのが見えた。太史慈の放った1mほどの短槍は吸い込まれるように曹操軍士官の腹部を貫通し、彼は驚きに目を見開いたまま息絶えた。

 

「大丈夫かっ!?」

 

 振り返ると、太史慈が駆け寄ってくるのが見えた。同時に周囲の様子も目に入る。辺りには20人以上の曹操軍兵士の死体。青州軍や徐州軍の衣を着た死体も15人ほどあった。恐らく他の部隊も似たような状態なのだろう。奇襲が成功したとはいえ、大陸随一の精兵の名は伊達では無かった。

 

 

「副長、何人動ける!」

 

「ふ、不明であります!敵味方が入り乱れて戦況を確認できる状況ではありません!」

 

 やや離れた位置から曹操軍の将校らしき人物と、その副官と思しき兵士の声が聞こえる。

 

「旗を上げろ!兵士を集めて私に続け!」

 

 乱戦では不利と判断したその将校は、すぐさま部下に移動を命じる。部隊を混乱から回復するべく、都昌の外へ再集結するつもりなのだろう。

 

 

「……なんという錬度だ。予定ではもう少し削れるはずだったのだが」

 

 迅速な判断と行動のできる指揮官。それに従えるだけの訓練を積んだ兵士達。どれも青州軍には無いものばかりだ。

 太史慈は呆れと感嘆が入り混じった声で、やれやれと首を振る。

 

「これでは、勝てないな」

 

 太史慈の視線は都昌の外へと向かう曹操軍に向けられている。奇襲で600人ほどは倒したが、こちらにも300名以上の死傷者が出た。元より戦力で圧倒的に劣っていた以上、決死隊が勝利を収めるには混乱が収まらない内に敵を敗走させるしかない。

 だが曹操軍はそこまで生易しい相手ではなかった。不利な拠点内での乱戦を避け、数の優位を生かすべく遮るものの無い外の平野に兵を集めた。それどころか東から楽進らの追撃部隊の先遣隊が近づいてくるのが見えた。

 

「楽進将軍か……噂にたがわぬ仕事熱心なお人のようだ」

 

 太史慈は皮肉っぽく口元を歪める。

 状況から考えるに、楽進は速度を優先して夜通し走り続けたのだろう。睡眠不足と疲労によって士気は大幅に低下するが、守備隊と合流すれば兵力差で押し切れると踏んだに違いない。見れば守備隊の方も増援の到着に気づき、楽進らの到着を待つ事に決めたようだ。そして彼女らの合流が完了した時、太史慈ら決死隊の勝機は失われるはず。

 

「さて……私たちに出来る事は此処までだ。後はお手並み拝見といこうか。諸葛亮くん?」

 

 だが太史慈のは焦ることなく、冷静に集結しつつある曹操軍を見つめていた。

 

 

 ◇

 

 

(間に合った……!)

 

 楽進は燃え盛る都昌の町を眺めながら、落胆と安堵の入り混じった表情を浮かべていた。

 襲撃を完全に防ぐことは叶わなかったが、まだ拠点の全機能が失われた訳では無い。見たところ火の手は拠点全体の3割ほどにしか広がっておらず、急いで修理すれば2週間以内には回復するはず。

 

「勇猛なる我が将兵達よ!最大の危機は脱した!敵は拠点の破壊どころか守備隊の掃討にも失敗した!もはや我らに抗う力は残っていない!後はただ敵を討ち取るだけだぞ!」

 

 楽進が声を張り上げると、配下の軍勢から歓呼の声があがる。2000対1万1000という圧倒的兵力差を前に、否が応でもその士気は高まりつつあった。

 

 

 ◇

 

 

 曹操軍の歓声は、補給拠点に立て篭もる太史慈らの耳にも届いていた。

 曹操軍は勝利を確実なものとするべく、数の優位を活かして包囲網を形成しつつある。どうやら曹操軍の将・楽進は噂通り堅実な戦いを好む指揮官らしい。一気呵成に攻め込むのも一つの手だが、そうすると補給拠点への被害は免れない。確実に包囲網を形成する事で敵の士気を挫き、降伏を促す事で都昌を無傷で手に入れたいのだろう。加えて夜通しの強行軍で配下の兵士が疲労していることも考慮すれば、極めて合理的な判断だった。

 

(実際、今の私達では彼女らに勝てない。私達(・ ・)では……な)

 

 配下の兵士に動揺が広まる中、太史慈は相変わらず東の方角を一心に見つめていた。

 

 そして――。

 

 

「一刀くん!」

 

 

 不意に太史慈が声をかける。

 その声に応じて一刀が振り向くと、太史慈は顎で一刀にも視線を東に向けるよう促す。

 

 

「見えるか?」

 

「……はい、見えます」

 

 視線の先に映るは、反撃の用意を整えた曹操軍。一刀の瞳は、その先の軍勢を捉えていた。

 

「――待ちに待った、味方(・ ・)援軍(・ ・)です!」

 

 

 ◇

 

 

「……何だ?」

 

 補給拠点の外へ再集結した曹操軍の中で、最初に異変に気づいたのは一人の兵士だった。

 

「おい!そこのお前、何をよそ見をしている!?」

 

「す、すみません!ですが……」

 

 謝りはしたものの、その兵士はある一点を見つめたままだ。

 怪訝に思った上官が視線を追ってみるも、目に映ったのはただの丘だった。

 

「もっと左です……。左の丘の麓に何か……何かがいます」

 

「丘の麓?」

 

 上官は目を細め、そちらの方向を見やる。

 だが、やはり何も見ない。見えないのだが――

 

「明るく……なっている?」

 

 暗闇が、だんだんと明るくなっている。最初は月明りか何かだと思ったが、見ている傍から明かりはどんどん強まっていく。いや、それどころか音まで聞こえてきた。やがて、彼の目にはあるモノが飛び込んできた。

 

 

 旗が、見える。黄色の旗が。

 

 

「……まさか」

 

 見覚えのある旗だった。数年前にもこれと全く同じものを見たことがある。

 忘れようがない。今でもたまに夢に見る。全てを蹂躙する、黄色い津波。

 

「ひ………っ!」

 

 彼らはいつも大軍でやっていくる。殺しても、殺しても、殺しても止まらない。

 

 

「黄……巾………」

 

 

 それは、滅んだはずの軍勢だった。

 自分達が、完膚なきまでに滅ぼしたはずの軍勢だった。

 

 かつて数万の民を先導し、中華を震撼させた黄巾の教え子たち。彼らの王・曹孟徳が躍進するきっかけとなった、数に頼るだけの烏合の衆。

 その最後の残照が、かつての怨敵に牙を剥いた瞬間だった。

 

 

 

 ◇◆◇ 

 

 

 

 同時刻、徐州・下邳にて――

 

 北部同盟軍の徐州侵攻に伴い、州都・下邳では日に日に緊張が高まりつつあった。州政府は防衛戦略のな見直しを迫られ、新たな基本方針を巡って2つに割れていた。

 

「陶応、親父はどっちに付くと思う?」

 

 ここは陶謙の長男、陶商の部屋。人口4万の城郭都市である下邳の内城2階にあるこの部屋では、陶謙の2人の息子が密談をしていた。

 

「確証はありませんが……今までの経験からいって、最終的には援軍受け入れの方向に傾くでしょうね」

 

 そう答えたのは二男の陶応だ。眉間には深い皺が寄っており、その動きの節々に苛立ちが見える。

 兄弟の不機嫌の原因は、つい先刻ほど前に袁術から打診された援軍派遣の申し出だった。

 

「袁術め……何が“友軍への必要な協力と援助を惜しまない”だ。要は発言力を回復させるために、徐州に内政干渉したがってるだけだろうが」

 

 通常であれば、戦力を増強できる同盟国からの増援派遣は好ましい事態であり、諸手を上げて歓迎すべき状況だ。しかし危機的状況にある徐州では――いや、むしろ危機的状況(・ ・ ・ ・ ・)である(・ ・ ・)からこそ(・ ・ ・ ・)歓迎されていなかった。

 

「袁術との関係強化はこの地を蝕む。一方的な通商条約に自己中心的な3枚舌外交……自分の未来を他人任せにすることが、どれだけ悲惨な末路を辿るか父上は分かっていないのか!」

 

「まったくです。戦争で完全に疲弊した状態で助けを求めた我々を、袁術が対等に扱うとでも思っているんですかね?目先の勝利は容易に得られるかも知れませんが、代償としてこの先永遠に袁術の奴隷として磨り潰される」

 

 袁術とて慈善事業で軍隊を貸してくれる訳では無い。当然なにかしらの対価を要求してくるだろう。

 軒を貸して母屋を取られる――戦争を優位に進めるために第3者の力を借りるのはいいが、足元を見られて乗っ取られては本末転倒なのだ。

 

「仕方無いだろう、それが彼女らのやり口だ。結局、袁術は徐州が曹操軍の手に落ちて、本土が戦場になるのを避けたいだけなのだから。自分達は無傷のまま、戦後の中華に君臨し続けるために……な」

 

 吐き捨てるようにそう言うと、兄弟は互いにアイコンタクトを取る。

 いくら徐州の未来を憂いてるとはいえ、愚痴ってばかりでは何も始まらない。南陽の毒牙によって骨抜きにされつつある徐州を救うには、誰かが行動を起こして目覚めさせる必要がある。

 

「……やりますか、兄上」

 

「ああ、徐州を袁術の植民地にする訳にはいかん。それが俺たち為政者の役目だ。それに――父親の間違いを正す事もまた、俺たち為政者の息子の務めだからな」

 

 幸いにも、アテがないわけではない。徐州の高官たちも表面上は袁術一辺倒の弱腰外交に従っているように見えるが、裏では自立を望む者も多くいるのだ。

 兄弟は同時に頷くと、灯りを消して部屋から立ち去った。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

「馬鹿な……っ!」

 

 楽進の背筋が震えた。発作的に起こった恐怖心を必死に抑えこみ、顔を奇妙に引きつらせる。

 ぱっと確認できるだけで、遠くから迫りくる黄巾軍の数は3万を超えていた。だが総兵力30万とも言われる青州黄巾軍のこと、後続の部隊がいる可能性は否定できない。

 

 しかも両軍が対峙しているのは遮るモノの存在しない平野だ。数で劣る太史慈ら決死隊相手には有利な戦場だが、圧倒的な兵力を誇る黄巾軍相手には最悪の戦場。そのうえ完全に背後と側面を敵に取られており、将兵に与える心理的ダメージは決して少なくなかった。

 遠くで揺らめく黄巾党を眺めながら、楽進は今とるべき最善策を検討する。いくら数が多いとはいっても所詮は歩兵。一気呵成に突撃して都昌を奪取し、籠城して本隊からの救援を――

 

(……いいや、それはできない。もし黄巾軍が戦場に到着するまでに都昌を奪還できなければ、挟み撃ちにされてしまう。仮に奪還できたとしても、本隊からいつ救援が来るのか分からない現状でそんな危険は冒せない……)

 

 楽進はこのまま突撃したいという衝動を抑えこみ、部下の方へ向き直ると大声で退却の旨を伝えた。

 

 

 ◇

 

 

「おお、よく頑張っているじゃないか。この調子で頼むよ」

 

「へへっ、言われなくても手抜きなんざしませんぜ。なぁ、そうだろ野郎共!?」

 

「おうよ!目の前に一生分あるかないかの食糧があるんだ!一粒たりとも置いてってやるもんか!」

 

 およそ軍人に似つかわしくない、粗野な笑い声がそこら中から聞こえてくる。ねぎらいの言葉をかける太史慈に応えたのは、黄巾のシンボルである黄色い布を纏った兵士達だった。戦闘が同盟軍の敗北に終わった後、青州黄巾党はその最大の目標である補給拠点の接収――つまり略奪に勤しんでいたのだ。

 

「いやぁ、同盟の連中がここに来てからは商売あがったりだったからなぁ。これでやっと嫁と子供たちにも腹一杯食わせてやることが出来ると思うと、此処まで飲まず食わずで走って来た甲斐があったってもんよ」

 

「おうよ、俺達の土地に入ってデカい顔しやがって。黄巾なめんな」

 

 両腕にたんまりと戦利品を抱え込みながら、黄巾党の兵士達が口々に笑い合う。

 

 これが、諸葛亮の策の正体。劉備たちが揚動を行った際に、もう一つ包囲網をすり抜けていった部隊があった。諸葛亮はわずかな手勢を引き連れて青州黄巾党を説得すべく、有力な黄巾の将軍・管亥の元へと向かったのだ。

 

 この時期、青州黄巾党は非常に微妙な状況に置かれていた。かつては青州政府の求心力が弱いのをいい事に好き勝手に暴れ回っていた彼らだが、7万を超える北部同盟軍が侵略してきてからはそうもいかなくなった。今までのように大規模な襲撃を行えば逆に返り討ちにあい、かといって小規模な略奪を繰り返すだけでは30万にも及ぶ黄巾軍とその家族100万を養う事など到底不可能。諸葛亮の提案はまさしく渡りに船だった。

 正面から曹操軍と渡り合うとなれば二の足を踏んだかも知れないが、太史慈ら正規軍が囮となって曹操軍を引きつけてくれるなら文句は無い。黄巾党は曹操軍の背後を付けるという絶好のポジションをリスクを負う事無く手に入れられ、仮に正規軍が壊滅していればそのまま退却すれば良いのだから。

 

「まさか黄巾党を味方につけるなんてな……」

 

 一刀は手頃な木箱に腰かけながら、北部同盟軍に同情の念を感じざるを得なかった

 通常の軍師ならば、まず袁術や陶謙といった同盟国の軍隊を頼りにするだろう。曹操軍とて馬鹿ではないので、当然ながら青州南部には多数の監視部隊を配置している。だがいくら数が多いとはいえ、所詮は盗賊の集団に過ぎない黄巾党に対しては最低限の警戒しかしていない。それゆえ諸葛亮は曹操軍に察知されることなく、また楽進もギリギリまで黄巾軍の接近に気づかなかった。

 

 もっともこの事実は楽進が周囲への警戒を疎かにしていた事を意味しない。

 “青州黄巾党”と呼ぶとあたかも一つの巨大組織のように思えるが、実際には統一的な指揮系統もなければどこかに拠点があって全員がそこに集結しているわけでもない。その実体は青州に住む複数の盗賊やゴロツキがそれぞれ勝手に黄巾党を名乗っているだけで、各犯罪ファミリーの総称をマフィアと呼ぶように青州の盗賊団を総称して“青州黄巾党”と呼んでいる。

 

 ただしマフィアに顔役がいるように一応は緩やかな連合がとれており、最大勢力を率いる管亥を説得する事で諸葛亮は青州黄巾党を動かしたのだ。都昌に現れた4万を超える黄巾軍は遠くからはるばる遠征してきたのではなく、管亥からの連絡を受けた地元の黄巾軍が勝手に群がってきた結果だった。

 

「つまり黄巾軍は最初からバラけて都昌周辺に居たって事だから、そりゃ気づけなくて当然だ。まったく大したもんだよ、朱里は」

 

 今さらながら一刀は諸葛亮の知謀に驚嘆する。常に相手の2手、3手先を見据えて軍略を組む。本当の天才というあのような人間のことを指すのだろう。

 

 

「さて、我々もそろそろ撤収しようか。後は彼らに任せても大丈夫だろう」

 

 そこからやや離れた場所では、太史慈が部下に退却の準備を命じていた。彼の周りでは生き残った青州軍兵士が、松明を空になった倉庫に投げ込んでいる。次第に火の手は広がり、遠くから焼け落ちた建物が崩れる音が響く。後は放っておいても勝手に被害は増大するだろう。

 現有兵力では占領した拠点を維持できないため、敵の再利用を防ぐには徹底的に破壊するしかない。焼き尽くされる都昌を後に、一刀たちの姿は闇の中へと消えていった。

   




 前回の更新からだいぶ時間が経ってしまいました。

 今回は黄巾党がいいとこ全部もってった感がありますが、実は最初は援軍として袁術軍か公孫賛軍を登場させる予定でした。ただ公孫賛軍が海わたってくるイメージが湧かなかったのと、信用の低い袁術軍がすんなり他州における軍の通過を認めてもらえそうになかった(それどころか陶謙の息子達には乗っ取り疑惑までかけられる始末)のでボツになりました。
 外国への援軍って面倒ですよね。送ってもやたら制限付けられたり陰謀論唱えられるし、送らなかったら送らなかったで文句言われますし。

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