真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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51話:才媛の証

 

 先ほどから延々と続く会議を、北郷一刀は悶々とする思いで眺めていた。

 分かっていはいたが、人民委員会はいざとなれば徐州を見捨てる事を躊躇わない。彼らにとっては戦争の大義などどうでもいい事なのだろう。重要なのは、どちらの方が失う資産が少ないかというリスクマネジメント。特権階級による寡頭政ならではの強力なリーダーシップで、反対派を抑えつけて合理的な判断を下す――それが人民委員会という組織だ。

 それでも、曹操に対抗する為には袁術達を頼らなければならない。徐州一州だけでは、どうする事も出来なかったからだ。一刀の歴史知識をもってしても、曹操を止める方法は考えつかなかった。

 

(そもそも俺の知る『三国志』の知識は大まかな展開が分かるだけで、そう簡単に改変できるものじゃない……。だから、曹操の父親も……!)

 

 一刀はもどかしげに、ぐっと拳を握り締める。

 史実での『徐州大虐殺』を知る一刀は、その原因となった曹嵩の死を防ぐべく奔走した。政治問題に関わるからと陶謙を説得し、曹嵩の屋敷に怪しい者が近づかないように監視を続け、見張りの工作員も信頼できる人間を選んでもらった。

 それでも、何者かによって曹嵩は暗殺されてしまった。

 

(これが歴史の修正力って奴なのか……?)

 

 まもなく訪れるであろう乱世を想像し、一刀は戦慄する。反董卓連合戦の後、中華の歴史は大きく変わったはずだった。今までそう思い込んでいた。

 例えば史実で中原を暴れ回った呂布は、この世界では大人しく西涼に籠っている。曹操は青州黄巾党を手に入れられず、彼らは未だ野放し状態だ。勢力均衡によって戦争は抑えられ、民は平和を謳歌している。全てが董卓を倒した時のまま。まるでその時から、時の流れが止まってしまったかのように――。

 

(――いや、時の流れは止まった(・ ・ ・ ・)んじゃない。一人の女に、止められた(・ ・ ・ ・ ・)んだ。目の前にいる、この女に。)

 

 ざわつく会議場の中央に目をやると、劉勲と張勲が何やら話し込んでいた。他にも数人の人民委員が会話に加わっているが、恐らくは劉勲の子飼いなのだろう。先ほど彼女の元に部下らしき人物から報告書が届いて以降、ずっとそんな感じだ。

 しばらく眺めていると劉勲も一刀の視線に気づいたのか、翠の瞳をこちらに向けてきた。一刀は慌てて目線を逸らすが、気になってもう一度彼女の方を見ると劉勲はまだこちらを見つめていた。目が合うと劉勲は悪戯っぽい笑みを浮かべ、くすっと口元をほころばせる。無邪気な子供のようでいて、どこか大人の余裕を感じさせる微笑み。

 

「なぁに?さっきからじぃーっと見つめたりして、ひょっとしてお姉さんに見惚れた?」

 

「なっ……!?いっ、いや……えっと、それより何の手紙だったんだ?」

 

 一刀はとっさに思い浮かんだ言葉を絞り出す。我ながら気の利かない受け答えだと思ったが、劉勲は意味ありげな笑顔を浮かべたまま向き直って口を開いた。

 

「う~ん、そうねぇ……みんなが平和に暮らせる方法、とか言ったら信じる?」

 

「それは……この状況でもまだ策があるって事か?」

 

 半信半疑、といった様子で一刀が問う。見れば、周りの人間も似たような表情を浮かべている。準備不足のままの開戦、財政負担増大、仮想的敵の強大化と有望な市場の喪失、外交的孤立――どう転んでも八方塞がりといえる状況の中で、一体どんな策があるというのか。

 だが劉勲は気にした様子もなく、むしろ楽しんでいるような雰囲気すら感じられた。

 

「アタシの言った言葉、そんなに信じられない?」

 

「……本音を言えば、少し」

 

「ふふっ、正直ね。まぁ状況が状況だしう簡単に信じられるものでも無いでしょうけど……それでもアタシ、外交には結構自信あるんだよ?」

 

 劉勲はほっそりとした指に髪をくるっと巻きつけながら、なぞなぞ遊びでもするかのように告げる。

 

「曹操ちゃんはね、基本的に無駄な事はしない主義なの。起こした行動には必ず意味があるし、それも2歩3歩先まで見据えて動くのよ。まずはそこから考えてみて」

 

 劉勲に諭され、一刀はもう一度曹操の行動を思い起こしてみる。

 反董卓連合戦では連合軍の参謀を務め、真っ先に洛陽に乗り込んで皇帝を保護し、漢王朝に対して強い影響力を手に入れた。続く洛陽会議では兌州の州牧の地位を手に入れ、本拠地と自由に扱える兵を得た。そして、次に曹操がした事は――

 

「覚えてない?少し前に、曹操ちゃんがしつこく青州黄巾党討伐を目論んでいたコト。何故あんな治安も悪くて生産性も微妙な土地に、皇帝の勅命までもらって攻め込もうとしたのか疑問に思わなかった?」

 

「それは……」

 

 史実だと曹操は青州で30万の黄巾兵を手にいれている。なら同じように、青州黄巾党を自軍に編入する為ではないのか――そう言いかけた所で、一刀はハッとして口をつぐむ。

 

(待て、良く考えろ……本当なら、これは誰も()()()()()()()()()()出来事のはず……)

 

 一刀がこの結論に至った理由は、黄巾党の構成にある。一刀の知る史実では忠実で勇敢な兵とした戦った青州兵であるが、その内実は言ってしまえば無法者の集団。そんな連中を軍に加えるという突飛な考えを、果たしてどれだけの人間が受け入れられるというのか。こういった非正規軍は存在するだけで略奪や虐殺を伴うものであり、戦などによって恩賞が得られなければ、その刃は自分の領民にも向けられる。かといって平時から全員に給料を払えば国庫が破産するため、傭兵としての一時的な戦力補強以外の使い道は無いと考えられてた。

 

 つまり青州黄巾党の軍編入という、一刀の知る史実上の出来事は極めて例外的な事件であり、この時代の常識に照らし合わせれば“あり得るが、確率的に無視できる”程度のもの。結果論でしか語れない推測に過ぎない。

 だとすれば、別の理由があるはずなのだ。曹操が青州を攻めようと考える理由が。あるいは、青州を()()()()()()()()()()理由が。

 

 もし自分が曹操の立場だったら――そう仮定してみる。

 まず最初に考えねばならないのは、本拠地である兌州の防衛だろう。四方を囲まれた兌州は常に他正面作戦の危険を孕んでおり、戦争時には何としても時間差で各個撃破する必要がある。これは内線作戦と呼ばれ、一方面で防御の優位により戦力的劣勢を一時的に補って時間的猶予を確保しつつ、他方面に優勢な戦力を集中して迅速に勝利した後に防御部隊と合流し、残る敵を撃破するという作戦だ。作戦成功のカギはいかに素早く最初の敵を撃破出来るかにかかっており、弱い相手から順に倒すのが望ましいとされる。

 

(………っ!)

 

 一刀は弾かれたように体の向きを変え、周囲に目を走らせる。驚く一同をよそに、一刀はあるモノを探し――それを見つけた瞬間、頭に針でも刺されたかのような衝撃が走った。

 

 地図。中華の地図。

 

 会議場の隅に貼られた中華の地図には、広大な領土を区分する13の州が描かれていた。今回の騒動の原因となった徐州は袁術領から見て真東に位置し、東部は海に面している一方、西部の大部分を袁術の統べる豫州と接しており、南部には揚州が、そして北部の大部分は青州と接している。

 

「だとしたら、あの時の曹操がやろうとしていた事って……!」

 

 そこで一刀はようやく劉勲の言わんとする所を理解する。地図上では、徐州が無防備な腹を青州に晒しているのが見えた。  

 

「そゆこと。キミ、あのとき疑問に思わなかった?何で皇帝陛下の勅命までもらって、わざわざ他州の黄巾党を討伐しようとしたのか」

 

 そういうことか――劉勲の問いは、一刀も何となく疑問に感じていたことだった。

 なぜ、曹操はあれほど青州にこだわったのか。もし青州そのものが目的でないとすれば、何が真の狙いなのか。どうしてその為に青州が必要なのか。

 

「まさか曹操軍は……青州を、中立地帯を突破するつもりなのか……!?」

 

 

 ◇

 

 

 『泰山』、という山がある。標高は1500m以上あり、かの『兵法』を書いた孫武の生まれの地とも言われ、また道教の聖地である五岳の中で最も尊い山とされる。同時に多数の孔子廟が設置されるなど儒教においても重要な地とされ、皇帝が天下太平を願う封禅の儀式を行う山としても名高い。だが何よりも重要なのは泰山が『泰山山脈』の一部であり、長さ500kmにも及ぶ天然の大要害として曹操軍の前に立ち塞がっていること。しかもそれが、兌州と徐州の唯一の接地点だとということだった。

 

(素人の俺にだって、山越えが最悪の進撃ルートだってことぐらい分かる。曹操ほどの戦上手なら、必ず避けようとするはず)

 

 ぐるぐると渦巻いていた疑問がほどけてゆくような感覚に、一刀の鼓動がいっそう速まる。

 接地点が狭ければ、防御側は有利になる。攻撃側は攻勢正面を広く取れず、側面攻撃などの数の優位を生かした作戦も不可能になるからだ。適切な場所に陣地を構築し、兵を配備し、秩序だった防御が行えればそう簡単に負ける事は無い。となれば当然、長く曹操と対立していた徐州牧・陶謙は州境周辺で防衛しようとするはず。平和ボケしている現状では準備不足かも知れないが、その気になれば曹操軍に少なくない犠牲を強いる事が出来るはずだ。

 

 しかもそこには泰山山脈や淮河の支流といった、天然の要害までもが存在する。まともに正面から攻め込めんでも進軍には大きな制約が伴う上、陶謙の築いた強固な防衛線に阻まれてしまうだろう。無理に攻めれば突破できない事もないが、被害が増える上に時間もかかる。もたついている内に諸侯が仲介(・ ・)に乗り出せば、ただの骨折り損だ。

 

(ただし北に面した青州には、そんな天然の要害は存在しない。それどころか同盟国同士であるがゆえに、警備も防備も最小限。曹操は徐州に侵攻するために、補給が楽で敵の側面を付ける青州から迂回しようとしているのか……?)

 

 だが、そう考えると辻褄が合う。

 内乱続きで疲弊している青州に、曹操に抵抗するだけの軍事力は残されていない。曹操軍は苦もなく青州を攻め落とすだろう。それどころか、脅すだけで降伏する可能性すらある。あるいはそこまでいかずとも、青州を攻撃しない事を条件に軍隊の領内通過を黙認させるかもしれない。そうなれば、徐州は為す術もなく陥落する。

 

「ばっ、馬鹿な!……とても正気とは思えません!そんな暴挙がまかり通れば、この国の秩序は崩壊する!」

 

 傍聴席に座っていた関羽が反射的に叫ぶ。そして、それはこの場にいる全員が思っていた事だった。

 青州は今回の事件に対し、かねてから中立を宣言して不干渉を貫いている。にもかかわらず、徐州への侵攻ルートを確保するためだけにその中立の侵犯する――いくら軍事的妥当性があるとはいえ、考え得る限りで最悪の悪手だ。たとえ一度でもそんな暴論を認めれば、中華の法と秩序は完全に崩壊してしまうだろう。

 

「そんな……これはわたし達と曹操さんとの問題のはずじゃ……!」

 

 顔を蒼白にした劉備が声を絞り出す。

 

「だって青州の孔融さんはずっと中立を――」

 

「おやおや?劉備ちゃん、アナタ忘れてるかもだから一応言っとくケド、アタシ達もまだ(・ ・)中立だからね?」

 

 おどけるように告げられた劉勲の言葉に、劉備は驚いたような表情を浮かべ――その意味を理解すると同時に、苦悶の表情を浮かべた。

 

(……今は中立でも、もしかしたら孔融さんがわたし達と同盟を結ぶかもしれない。だから曹操さんは手遅れになる前に先制攻撃をかけようと……?)

 

 劉備はぎゅっと唇を噛み締める。

 袁術と同盟交渉をしていれば孔融とも交渉しているかもしれない――曹操の疑心暗鬼を招いてしまったのは、他でもない劉備たち自身の行動の結果なのだ。

 無論、中立を宣言しただけで戦争を免れるなどという保障はどこにも無い。だが暗黙の了解として、中立国への攻撃には周囲が納得する大義名分が必要とされるのが習わし。それが無視されつつあるという事実の持つ意味は、決して小さくなかった。

 

「ちょっ、ちょっと待ってよ!」

 

 突然、孫策の声が割り込んできた。他の出席者とは違い、表情には困惑の色が混じっている。

 

「だとしても、それに何の意味があるっていうの?たとえ曹操軍が青州から攻めてくるとして、戦争に変わりはないんじゃない?」

 

「――いえ、場合によっては戦争を回避できるかもしれません……!」

 

 だが諸葛亮は何かに気づいたらしく、はっとしたように手を口元に当てる。彼女が着目したのは、なぜ徐州への最短ルートを取らないかという部分だった。

 どういう事だ、という表情をする孫策達に、諸葛亮は興奮気味に説明を始める。

 

「簡単にいうと、曹操さん達はわたし達との正面決戦を避けたがっているんです。ただし、その為には、青州を(・ ・ ・)攻撃せざ(・ ・ ・ ・)るを得ない(・ ・ ・ ・ ・)……そこに逆転の機会が残されています」

 

 徐州と兌州は僅かながらも領土が接しているため、普通に考えればそこを通った方が早い。逆にわざわざ青州から迂回すれば補給線も延びる上に、中立侵犯の誹りまで被ってしまう。にも拘わらず、曹操は迂回ルートを選択した。

 

「もし青州からの迂回作戦に利点があるとすれば、『機動戦による短期決戦が可能である』という一点につきるでしょう」

 

 諸葛亮は地図を指さしながら、説明を続ける。 

 四方を他の諸侯に囲まれた曹操が、それを軍事力によって克服しようとしていることは、以前から諸葛亮も察知していた。それが袁術陣営なら言わずもがな。大量の密偵を放ったり、曹操と同盟を結んでいる袁紹の部下を買収して探らせたりと、あらゆる手段を用いて諜報活動を行った結果、劉勲は曹操軍のドクトリンを大まかに把握することに成功したのだろう。

 

 そして得られたデータから諸葛亮らが推測した曹操軍の計画は、以下のようなものだった。

 まず、兌州の防衛を考えるにあたって、郭嘉ら曹操軍首脳部は様々な仮想敵を想定し、あらかじめ戦争計画を立てておくことで迅速に対処しようとしていた。特に曹操の本拠地・兌州は四方を囲まれており、戦争時には何としても先制攻撃によって各個撃破する必要がある。そのプランの一つに徐州攻撃があったのだが、曹操が実際にが徐州に攻め込むにあたっては少なからず問題があった。

 

 一番の問題はやはり兌州が内包する地理的不利だ。

 だが曹操は彼女は北の袁紹と同盟を結び、更に函谷関までの土地を袁紹と山分けする事で西部・北部の安全を確保。南の袁術とは『豫州平和維持条約』なる不可侵条約を結ぶことで、第一の問題を克服した。続くもう一つの問題は、先ほど述べられていた徐州への侵攻ルートだ。

 

 

 それを回避する為に曹操が考えるであろう方法は2つ。

 一つ目の方法は徐州と兌州を分断するように存在する、豫州・魯国を突破して徐州の東部から攻めこむというもの。実際、劉備の赴任した小沛城はこの侵攻ルートの真上にある。ただし曹操は以前に袁術と不可侵条約を結んでおり、この方法だと確実に袁術を敵に回してしまう。劉勲は曹操軍と戦えば負けると言っていたものの、曹操とて無傷で済むはずもなく、疲弊した状態で徐州と戦う羽目になる。

 

 となれば必然、曹操が採用するのはもう一つの方法――徐州の北に位置する青州からの大迂回作戦だ。

 

「ふふっ、流石は伏龍・諸葛孔明といったところかしら。多分、アナタの推測で合ってるわよ。

 実際、青州方面に徐州軍はほとんど展開していないし、攻勢正面も広く取れる。だから機動戦によって短期決戦に持ち込めるはず……それが曹操ちゃんの考えた戦争計画、『黄色作戦』よ」

 

 一同の視線が再び劉勲に集まる。劉勲が国家保安委員会に調査させたところ、曹操軍は以下のような作戦計画を立てている事が判明した。

 作戦の第一段階では守りの堅い州境地帯の直接攻撃を避けつつ、陽動部隊を展開して陶謙軍主力を釘付けにする。その間に作戦は第二段階へと移行され、曹操軍主力部隊は奇襲によって青州領内へ電撃的に侵攻。補給拠点確保の完了をもって第三段階に移行し、主力部隊は続けて時計回りに旋回して防御の薄い徐・青州の州境を突破。第四段階ではそのまま徐州北部を制圧していき、兌州との州境にいる陶謙軍主力を逃がさず背後から包囲殲滅。敵戦力を撃滅した後、最後に総力をもって州都・下邳を落とす、というものであった。

 

「つまり徐州だけ(・ ・)と戦うより、青州と徐州の両方を相手にした方が与し易い。むしろそうで(・ ・ ・)無ければ(・ ・ ・ ・)困る(・ ・)――曹操ちゃんはそう考えているのよ」

 

 断言するように、劉勲はきっぱりと言い切った。諸葛亮もまた、その言葉に頷く。

 その推測に一刀たちはただ驚くばかりだった。普通に考えれば、敵は2人より1人の方が楽に決まっている。だが地理的要因から今回に限って言えば、曹操にとっての最善手は2つの州と同時に戦争を始める事だった。

 そして、逆に言えば――

 

「徐州一州としか戦争が出来なかった場合、曹操ちゃんは計画を変更せざるを得なくなる」

 

 もし青州からの迂回が不可能となれば、侵攻ルートは自ずと限定される。つまり、天然の要害が人の移動を妨げ、かつ徐州で最も防御の堅い地域に正面から衝突せねばならない。曹操は徐州侵攻は、間違いなく大きな損害を伴うものになるだろう。得るものより、失うものの方が多いと傍目にも分かるほどに。

 だからこそ、曹操は侵攻を急いだのだろう。時間が経てば経つほど陶謙は強固な防衛線を築くだろうし、袁術など他の諸侯の介入もあり得る。そうなる前に急いで徐州を撃破するには、青州からの迂回が必要だ。そして屯田兵制を採用した自国と他の諸侯の動員速度の差から、曹操はそれが可能だと判断した。

 

「本来ならば青州は今回の事件に対して、何の利害も持っていないはずなの。だから曹操ちゃんが青州を通過するには、それを既成事実化する必要がある。でも、もしここでアタシ達が“自由と平和”を護るために、青州の独立を保障したら?」

 

 劉勲の声が、会議室にこだまする。

 曹操の『黄色作戦』では青州の軍事力が弱体であり、それゆえ曹操軍の領土通過を黙って見過ごすしかない、という前提条件があった。しかし袁術による青州の独立保障は、この前提条件を覆すものだった。

 

 ここでいう独立とは州同士の内政不干渉という意味での独立だが、それを保障するという事は対象の外交権と領土の保全を尊重し、それが第3者によって侵犯されれば武力をもって排除する義務を負う、ということ。この場合、もし曹操が袁術の独立保障を受けた青州を侵犯すれば、孔融のみならず袁術とも自動的に戦争になってしまう。袁術が独立を保障してくれるのならば、青州も涙を飲んで曹操の領土侵犯を見過ごす理由もなくなる。

 

「これは曹操ちゃんへの警告よ。無視すれば、徐州・青州・豫州の3州が敵に回る。速攻をかけて各個撃破できる可能性も残ってるけど、失敗すれば滅亡が確実な博打なんて普通は避けたいはず」

 

 そもそも、曹操は本当に全面戦争をする気があったのだろうか……ふと、劉勲はそんな考えに至った。『黄色作戦』は、確かに軍事的には良くできた作戦計画だ。だが、中立侵犯に対する世間の評価といった政治・外交要因は完全に無視されている。あの曹操が、そんな杜撰な作戦計画に博打を打つような真似をするのだろうか。

 

(……もしかしたら“いつでも徐州を攻撃できる”と思わせること自体が、華琳ちゃんの狙いだったのかも知れないわね)

 

 戦わずして勝つ――それは孫子の兵法において最高の方法とされる。実際には戦う気が無くとも、その気があると相手に思わせ、同時に相手に「勝てない」と思わせる事が出来れば、一戦も交えることなく勝利が得られるのだ。戦争は始まる前に勝敗が決まっている事がほとんどであり、賢い君主なら戦場でそれを証明する前に降伏する。

 もし徐州が降伏するならそれでよし。犠牲をいとわずに戦うというのなら、青州を脅迫する事で徐州無血占領へのチケットを手に入れる。どちらにせよ曹操軍への被害は最小限で済む。

 

(曹操ちゃんは多分、置かれた状況の中で最善の手を打った。それに対抗するには、アタシも同じ“最善手”を打つ必要があった……)

 

 出来れば使いたくない手だったんだけどね――劉勲は心の中でひとりごちる。確かに自分達が青州の独立保障を行う事によって曹操軍の侵略は止められるだろう。だが、それは同時に青州という新たな紛争の火種を抱え込むことになりかねない。

 

 それでも、と劉勲は思う。これは必要な対価だった。

 独立保障とはいっても、今のところ単なるリップサービスに過ぎない。いざとなったら適当な理由付けてシラ切ればいいだけの話。忘れてはならない事は、パワーバランスを崩さず均衡を維持し続ける(・ ・ ・ ・)ことだ。既成事実は一つでも作ると、後から止められなくなる。

 

 目的は大陸の勢力均衡ただ一つ。終始一貫してそれだけだ。ゆえに例外や既成事実は、一つたりともあってはならなかった。

 

 そして世界は、再び動きを止めるのだ――。

 

 反応は様々だった。ほっと一息つく者、眉を顰める者、狐につままれたような顔の者……会議室に、様々な思惑の混じった形容しがたい沈黙が落ちる。

 それを破ったのは、やはり皮肉げな笑みを浮かべた彼女。

 

「いくら曹操ちゃんだって、得より損が多いと分かってる戦争なんかしない。戦争という交渉材料が使えないとなれば、曹操ちゃんも要求をいくらか緩めるはず。だから戦争なんて起きない――ううん、アタシが起こさせない」

 

 そう告げる劉勲の笑顔は、まるで何を考えているのか読み取れない表情だった。ただ、特徴的なエメラルドグリーンの瞳だけが、全てを見通すような光を放っていた。

           

「曹操ちゃんはよくやった。劉備ちゃんも頑張った。劉焉も、司隷の宮廷貴族達も、みんなアタシの予想を超える想定外のことをしてくれたわ。たしかに中華は再び乱れ始めている。でもね――」

 

 彼女は小さく笑う。よく出来ました、と年長者が年下を褒めるような笑顔だった。

 

「――それに、世界を変えるほどの力は無い」

 

 ゆえに均衡は崩れない。バランスは保たれる。神の見えざる手によって。

 だから世の中はいつまで経っても変わらない。変えられない。

 ただ時間だけが、悠然と過ぎてゆく。これまでずっとそうだった。そして多分、これからも。

 

 それは決して過信でも希望的観測でもない。冷静に“現実”を見つめることで得た、彼女にとっての“真実”だった。

 

「もう一度言うわ。曹操ちゃんは天才だし、劉表や李儒、田豊あたりだって馬鹿じゃない。今の中華には英雄が有り余るほど大勢いる。だけどね……そんな一握り(・ ・ ・)の人間じゃ、この世の摂理の前には無力なのよ。人の手で変えるには、世界は少しだけ大き過ぎる」

 

 だから世界は何も変わらない。一個人の死に世の中を動かす力などありはしない。人の世がこんな些細な(・ ・ ・)偶然と必然の連続で変えられるのなら、とっくに変わっているはずだ。

 

 

「あなたみたいに、そんな風に考える人がいるから………世界は変わらないのよ」

 

 ふと、孫策が恨めしげに口を開く。思わず漏らしたそれは、彼女が長い間心の奥底に封じ込めていた本音だった。脳裏にふっと映るのはあの日の絶望。

 

「母上はこの国のあり方を変えようとして……だから殺された。そして今も、大勢の人がこの“世界そのもの”に殺されている……」

 

 皆の希望だった母、孫文台が殺された日。

 事務的に渡された無味乾燥な戦死報告書。

 

 泣きながら必死に現実を否定しようとする末の妹と。

 悲しみを心の奥底に封じ込めて、仮面を被り続けるひとつ下の妹と。

 怒りに全身を支配されながらも、結局なにも出来なかった自分――。

 

「そう……かもね」

 

 だが、続く劉勲の反応は、孫策が予想したどれとも異なっていた。

 嘲笑うでもなく、黙殺するでもなく。激昂するのでも無ければ、慟哭するでも無い。ただ少し困ったような顔で、どう返したらよいものか悩んでいるような。そんな表情。

 

「……でも、仕方のない事よ」

 

 それは決して大きな声では無かった。だが乾いた風の如く擦れてなお、重みのある声だった。

 

「だって、この世界はどうしようもないほど残酷で――」

 

 そうだ、世の中にはあまりにも辛いことがあり過ぎる。誰もがそれを、一度は経験している。現実という名の不条理を。

 

「――でも、それを受け入れないと生きていけないから」

 

 彼女は驚くほど穏やかな表情だった。窓から差し込む夕日に照らされ、劉勲のくすんだ金髪が淡い輝きを放つ。美しく揺らめく瞳の中には、果たして何が映っているのだろうか。

 

「たとえ儒教が消え、貴族が消え、万人に平等な国が作られたとしても……悲しみや憎しみ、悪意と狂気は無くならない。だってさ――」

 

 何かを諦めたような、そんな眼差しで。でも希望を捨てきれないような、そんな眼差しで。

 彼女は告げる。ここに、一抹の真理を。

 

「――そこに住む、人が変わらないんだから」

      




前回のあとがきで「近日中に投稿する」とか言った割には時間がかかってしまい申し訳ありません。
 
 やっと明らかになった曹操軍の作戦計画。気づいてる人もいるかもしれませんが、元ネタは30年戦争の時のスウェーデン軍による北ドイツ占領とかww1のドイツ軍によるベルギー侵攻とかです。小国が中立を宣言しても邪魔なら侵略されるのは世の常。それを防ぐには十分な軍事力を持つか、外交で有力な味方を作るのがメジャーですね。ただ前者だと経済・人材的な負担が大きく、後者だと同盟相手の思惑に左右されるのが難点です。まぁ大国にしてみれば、小国の保護ってのも面倒ですからねー。

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