真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜 作:ヨシフおじさん
孫家のもとに中央人民委員大会への出席要請が届いたのは、翌日の早朝のことだった。孫策と周瑜はすぐさま家臣達を集め、孫家の立つべき立場を決める事にした。
とはいえ、最初から結論は出ているも同然だ。今の孫家は袁術の客将であり、独立するためにはこの止まった世の中を再び動かす必要がある。であれば、同盟に反対する理由などあるはずもなかった。
(――いいか雪蓮、これはお前の仕事だ。今回の会議、何としても非戦派を説得して開戦に持ち込ませてもらいたい。袁術軍が動けば、中華は――)
孫家に与えられた屋敷の縁側に腰掛けたまま、孫策は親友の言葉を思い返す。
「分かってはいるんだけど……なんか引っかかるのよね」
冥林らしくない――そんな感想を抱いたまま、諾々引き受けてしまった。
当の周瑜はというと、別の用事があって出られないらしい。これから彼女抜きで袁家家臣と面倒極まりない議論をしなければならないと考えると、どうにも憂鬱だ。
「浮かない顔でどうしたのですか?姉様」
背後からの声に振り替えると、正装した孫権が立っていた。彼女もまた会議に出席する事になっており、服装からして手抜かりはないようだ。
「んー、人生の意味についていろいろと」
「そうですか。納得できる答えが見つかったらいいですね」
「あっさり流さないで!?」
「で、次の会議で発言すべき主張についてですが……」
「だから無視しないでよ!……妹が仕事人間過ぎて心折れそう」
不服そうに抗議するも、孫権はさして気にした様子もなく、次の会議での打ち合わせ内容を確認する。孫策はそんな妹の説明を聞きながら、ふと外へ視線を向けた。
窓からのぞく街の、昼間の喧噪。商人の支配する市街地の外には、どこまでも続く貴族の大農園。両者の境界線上には掘立小屋の乱立するスラム街があり、つくづくこの国は金持ちの為の楽園だと気づかされる。
しばらく孫策はそんな光景を見ながらぼんやりとしていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「ねぇ……蓮華はどう思ってる?今の世界を」
孫権の説明が止まる。風が吹き、桃色の髪がふわりとなびいた。暫しの沈黙の後、孫権は地面に目を伏せて呟いた。
「私には……よく分かりません」
諦観と、達観とが混じった蒼い瞳。
分からない、というのは正直な意見なのだろう。
「今の統治に不満が無いわけではありません。ただ、それでも……世の中はきちんと回っています。かつてないほどに」
経済は順調に成長している。最近では農村部でも貨幣が浸透し、貿易量も増えた。農地開墾にも多くの資本が投下されるようになり、人口も回復傾向にある。どれも“平和な世の中”でなければ起こらない状況だ。
現に『洛陽体制』が発足してからというもの、諸侯同士が争うような“戦争”は起こっていない。せいぜい豪族同士の主導権争いか農民一揆、良くて水賊退治といったところ。しかしそれすらも、パワーバランスが崩れることを恐れる諸侯たちの“平和維持と共生の為の助け合い”によって即座に叩き潰されている。諸侯間の勢力均衡を目的とした洛陽体制は中華に停滞と安定をもたらし、体制に反抗さえしなければ息苦しくも平穏な一生が約束されているのだ。
「だから分からない、か……。ま、それが普通の考えよねー」
意外にあっさりと自分の意見を姉が認めた事に、孫権は驚きを覚えた。『打倒袁家』が孫家共通のスローガンとなっているだけに、本来ならば次期当主ともあろう者が口にして良い意見では無かったからだ。
「実際、現政権を倒した所で全ての問題が解決する訳じゃないし、もしかしたら今より悪くなるかもしれない。だったら今のままでいい。今のままがいい……袁術ちゃんに従ってる連中も、本音ではそんな風に考えてるのかも知れないわね」
そう、あのとき劉勲はそう言っていた。世界を変えたからと言って、良い方向に変わるとは限らないと。世の中には悪意から生まれる悪よりも、善意から生まれる悪の方が多いのだと。
「それなら――」
「どうしてそんな危険を冒してまで変革を目指すのか、かしら?」
質問を先読みすると、孫策は優しく妹に微笑みかける。どこか彼女の母親を思い起こさせる、そんな顔で。
「それはね――」
再び窓から風が吹く。それが合図だったかのように、孫策はすっくと立ち上がる。
「結果がどうなるかなんて、やってみなければ分からないからよ」
さて、そろそろ仕事に行こうかしら――そう言って孫策は歩き出した。しっかりと背筋を伸ばし、一歩づつ前へと進んでゆく。まるで行く先に何があっても乗り越えてみせる言わんばかりに、力強く地面を踏みしめて。
(本当に、姉様らしい答えね……。悩むより先に行動する。どこまでも真っ直ぐに。)
姉はいつだって、あんな風に歩いていた。これからもそうなのだろう。
その後姿を見送ると、彼女もまた踵を返した。
◇◆◇
「お集まりの紳士淑女の皆様。これより、中央人民委員大会を開催したいと思います」
会議室に集まった全員が、開会の宣言を厳粛な面持ちで聞いていた。劉勲ら閣僚相当の人民委員が列席するステージ状のひな壇と、まっすぐ向かい合う多数の議員席はまるで近代劇場を思わせる。議員席には孫家をはじめとした官位の低い豪族の参加も認められており、事態の深刻さがうかがい知れた。
最初に口火を切ったのは張勲だった。
「どうするんですかぁ?このままだと皆さんは全員、どっちを選んでも失脚ですよ?」
現在、袁家は難しい立場に立たされている。曹操との対決を避け、徐州を見捨てるか。あるいは劉備達の同盟案を受け入れ、共に曹操と戦うか。2つに1つしかないと、誰もが思っていた。
「いくら理があるといっても、曹操の態度は強硬過ぎるわ。徐州と軍事同盟を結ぶべきよ」
最初に同盟を主張したのは孫策だった。彼女に続き、賈駆や閻象をはじめとする数人の人民委員がそれに賛成する。
「たしかに曹操がこれ以上強大化するようなら、勢力均衡の維持も危ういわね。今ここで劉備達を見捨てれば、間違いなく曹操は徐州を併合する。そうしたら、ますますボク達の手に負えなくなるわ」
「同志賈駆の言うとおりです。徐州という重要な市場を失えば、領内に住む商人と豪族に多大な損失が発生するでしょう」
ところがこれに強硬に反対したのが、他ならぬ中央人民委員会書記局長・劉子台であった。
「経済的な要因から徐州は失えない、ってのは分かるわよ。でも万が一戦争になったら結局は軍資金が必要になるわけでしょ?戦争がどれだけ経済に悪影響を与えるかは、黄巾党の乱でとっくに思い知ったじゃない」
たしかに徐州は主要な貿易相手だが、経済は貿易が全てでは無い。内需だけでもある程度は賄えるし、そもそも輸出・輸入先など他にいくらでもある。実のところ袁術領の財界では非戦派が主流であり、参戦を訴えているのは徐州と取引している一部の商人だけだった。
「それに“軍事同盟はあくまで交渉のための圧力”なんていうのは劉備ちゃんが勝手にそう思ってるだけで、曹操ちゃんも同じことを考えるとは限らないわよ。アタシたちが本気で曹操ちゃんとやり合うための事前準備と思うかもしれないし」
「それは……」
言葉に詰まる一同。言われてみれば、軍事同盟を結ぶことで逆に曹操を刺激してしまう可能性は十分にあった。それでも孫策はまだ何かを言おうと立ち上がったが、劉勲はそれを片手で遮る。
「もう一つ、ちょーっと冷静になって考えてみて。今の袁術軍で、あの曹操軍に勝てるとでも?」
「あ、それムリ」
「でしょ?」
ドヤ顔で偉そうに言うなよ……心の中で思わずツッコミを入れる一同。
それはともかく、同盟反対の理由としては単純にして明快。曹操との戦争に巻き込まれるリスク、そして巻き込まれた時のリスクが大き過ぎるのだ。
「万が一にでも全面戦争になれば、絶対に勝てない――高級将校の6割を粛清した、このアタシが言うんだから間違いないわ」
「「・・・・・・」」
もはや何も言うまい。劉勲による大粛清は、彼女が書記長に就任してから継続的に行われている袁術軍名物の一つ。
現在までの間に将軍クラスの8割、将校クラスの半数が粛清され、士官全体の4分の1が何らかの理由で鉱山送りにされていた。反革命罪で逮捕された人間の半数が死刑を受け、残りは強制収容所や刑務所に送られ、罪状によっては部隊が丸ごと消滅。その主な要因は劉勲の軍に対する不信と、統帥権の掌握にあったと思われる。書記長というのは中央人民委員会書記局――事務などの日常業務を処理する機関――の局長であり、本来ならば軍に命令する権利はない。だが劉勲は過去の経緯から軍を殆ど信用しておらず、粛清を通じて反対派の排除と軍に対する影響力増大を狙っていた。
もっとも権力掌握のための粛清などそう珍しい事では無い。曹操や公孫賛辺りも州牧就任と同時に粛清を行っているし、家督を継いだ大名諸侯が親の代からの重臣や親族を殺害する事などありふれた習慣だ。というより君主が若い場合は支持基盤が盤石で無い事が多いため、そうでもしないと実権を軍に乗っ取られてしまう。そして統帥権の弱い国家の大半が軍の暴走で滅んでいる事を省みれば、この大粛清は実に合理的な行動とさえ言えるのだ。
だが、権力確立のために国防が犠牲とされた事は揺ぎ無い事実。古参の人民委員会の一人、楊弘が忌々しげな表情を浮かべながら尋ねる。
「……で、それを承知していながら、貴様は何の手も打たなかったと言う訳か。曹操の脅威を知りつつ、見て見ぬふりをしながら粛清を続けた――そう受け取っても?」
「あら、他に方法でも?それにもし何か別の方法があるのなら、なんでもっと早く言わなかったのかしらねぇ?」
すっと劉勲の双眸が細められる。こういった相手は自分からは何も提案してこないくせに、他人が失敗した時だけやたら『責任』という言葉を使いたがるから厄介この上ない。
案の定、楊弘は肩をすくめてしらばっくれた。
「仮に別の案を私が出したとして、貴様にそれを聞き入れる耳があったとは思えんね。今も昔もな」
「その言葉、そっくりそのまま返してもいい?ここでアタシが事前に策を講じたとか答えても、どうせ同志楊弘は満足しないんだろうし」
売り言葉に買い言葉、といった調子で責任を擦り付け合う両者。流石に見かねたのか、張勲が仲裁に入る。
「すみませーん、お2人とも会議の邪魔なので後にして下さーい。いいですかぁ?」
張勲はいつもの笑顔のまま、慣れた様子で2人を黙らせると話を元の流れに戻す。
「まぁ、劉勲さんの心配も分からなくは無いんですけど……お嬢様に好意的な諸侯を何もせず見捨てる、っていうのも世間体が悪いんですよねー」
張勲の言うとおり、徐州を見殺しにすれば袁術陣営は一気に諸侯からの信頼を失うだろう。そして一度「自分本位な諸侯」というレッテルを貼られてしまえば、後々外交交渉で不利になる。例え行為に意味は無くとも、何かやったというポーズは最低限必要なのだ。
「といっても、お嬢様が先日言ったように客観的に見れば非は徐州にあります。同盟結んだら結んだで世間から悪評買うんでしょうけど……」
困ったような苦笑を浮かべる張勲。すると今度は楊弘から別の意見が出る。
「袁紹に仲介を頼むというのはどうかね?向こうも曹操が強くなり過ぎるのは困るだろう」
今この状況で曹操の動きを抑えられるのは袁紹だけだ。そして袁紹とはかつて『二袁協定』なる秘密条約を結んでおり、何度か裏で通じて曹操の覇権主義を抑えたこともある。張勲の提案は主にこの2点を踏まえてのものだった。
しかし――対袁紹交渉を担当していた閻象によって、即座にその可能性は切り捨てられる。
「私の知る情報によれば、徐州侵攻によって曹操軍は占領した司隷東部の維持が困難になっており、袁紹と共同統治する方向へと話が進んでいるようです。こんなうまい話をみすみす捨てるはずありません」
それに、と閻象は続ける。
袁術陣営はかつて袁紹が主催した諸侯会議を中止に追い込んだ事があり、袁紹からは深く恨まれている。しかもそれに対抗するように公孫賛と孔融が軍事同盟を発効させ、中華の外交は曹操・袁紹同盟寄りか、それに反対する勢力に二分されつつあった。
閻象が参戦を主張したのも、同盟合戦の波に乗り遅れることで自分達が孤立するのを恐れたからだった。外交的孤立の危険性は言うまでもない。
「袁紹との同盟も、可能性としてはありましたけどね。曹操陣営の打倒を考えれば、今が絶好の機会ですし」
「袁紹ちゃんには袁紹ちゃんなりの事情があるのよ」
劉勲はそう言って苦笑すると、会議室の中心に置かれた中華の地図に視線を送る。
確かに曹操軍は西の洛陽と東の徐州に兵を分けており、加えて北の袁紹とも戦う羽目になれば間違いなく滅亡する。曹操と長い付き合いのある袁紹や田豊なら、将来的に最も危険な敵になるであろう彼女はなるべく早い内に潰しておきたいはず。となれば、今が千載一遇のチャンスである事は疑いようがない。
しかし袁紹達は同時に、曹操と事を構えるリスクを誰よりも承知していた。戦上手の彼女と全面戦争となれば、袁紹軍もただでは済まない。仮に戦争に勝利しようとも軍事的に大きなダメージを被れば、今度は自分達が公孫賛に叩き潰されてしまう。長年の対立もあり、既に公孫賛との関係修復はほぼ不可能だ。曹操もそれを見越して公孫賛に対袁紹戦を持ちかける使者を送るだろう。いや、それどころか既に送っている可能性の方が高い。
(アタシ達としては、そっちの方が嬉しい展開なんだけどね。公孫賛と曹操ちゃんが組んで袁紹ちゃんと潰し合ってくれれば、こっちもその間にいろいろ出来るし)
問題は、決定権が公孫賛にない事だ――劉勲は頬にほっそりとした指を当てながら、公孫賛の最適行動を模索する。彼女が軍事行動を起こすには、基本的に袁紹が南部の安全を確保していない事が条件だ。一方で袁紹の行動もまた、曹操に大きく左右される。その曹操の動向を左右する諸侯は袁術、陶謙、劉焉、そして――
「書記長、外務委員会からの報告です」
部下が足早に駆け寄り、彼女に一枚の文書を渡す。劉勲は思考を現実に戻すと、渡された報告書に目をやる。
「うふふっ……どうにか間に合ったみたいね」
「何がですかぁ?」
嬉しそうに報告書を眺める劉勲に、張勲が問いかける。劉勲が無言でそれを張勲に渡すと、徐々に張勲の表情が変化していった。
「劉勲さん、これは……」
「ええ。これがさっきアタシの言った、『事前に講じた策』よ」
◇
「……何かあったのかしら」
人民委員達の様子に変化が生じたことを、孫策は敏感に感じ取っていた。劉勲らの様子からして、何かの外交工作でも成功させたのだろうか。
(どっちにしろ、私達から見ればロクでもない展開なんでしょうけど。また、あの女の3枚舌に騙される犠牲者が増えたのかしら)
妹から聞いた話によれば、劉勲はかつて曹操に「世界を止める」と宣言したらしい。そしてその言葉通り、今日この瞬間まで『外交』によって時間の流れを黄昏の停滞へと縛り付けた。
(私たち孫呉の夢も、母上が亡くなった時から今に至るまでずっと……)
だが今や『洛陽体制』は自らの抱える矛盾によって自壊寸前の状態だ。歴史の歯車はあらぬ方向へと回り始め、勢力均衡の崩壊と共にまやかしの平和も終焉を告げるだろう。袁術陣営とて例外ではなく、この国を覆う戦乱の渦に飲み込まれる。
(貴女の小細工もこれで終わりよ、劉勲。事態がここまで進んだ以上、もうだれにも止められない)
その洗礼を最初に受けるのは、他でもない劉備たちの徐州だ。北からやってくる曹操軍によってかの地蹂躙される。覇王の軍勢は立ち塞がる障害をなぎ倒し、徐州の大地を我がものとするだろう。
「え?」
不意に、孫策は何か引っかかるものを感じた。
何かがおかしい。どこか変だという違和感を、彼女の勘が告げていた。
最初に彼女の脳裏に浮かんだのは、洛陽で見た曹操軍の雄姿だった。覇王の命令を忠実に遂行し、全てを蹂躙する完全武装の兵士たち。圧倒的な暴力で敵をねじ伏せ、逆らう者を皆殺しにする天下無双の軍勢。しかしそれは――。
(それは私の知る、曹孟徳の軍じゃない……)
孫策は、曹操と直接話した事は無い。せいぜい反董卓連合戦の時に遠目で見た程度のもの。だが、それだけあれば相手がどんな武将か把握するには充分だった。
(そうよ、あの少女がそんな戦いを望むはずない……!)
プロの棋士が勘だけでかなりの正解手を指せるように、孫策ほどの武将ともなれば相手の戦い方を見るだけで、何となくその人となりを見抜く事が出来る。そして氾水関の戦いで共闘した時、孫策は曹操が強襲より奇襲を好むタイプの指揮官であると看破していた。
なればこそ、曹操は見つけたはずなのだ。正面からの力押しに頼らない方法を。
そして劉勲らもまた、それに気づいたに違いない。
(どうするつもりなの?曹操と劉勲は、この状況で一体何を考えて……?)
眉根を寄せて思案を巡らす孫策。
彼女の勘が告げていた。
――この一連の事件には、まだ自分の知らない続きがあると。
リアルが忙しくて前回の投稿からだいぶ間隔が空いてしまいました。なるべく暇を見つけて執筆活動を続けていくつもりですが、しばらくは投稿速度が大幅に低下する可能性が濃厚です。
ただ、51話は50話の続きなので近日中に投稿出来るかと思います。