真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜 作:ヨシフおじさん
※ちょいビッチっぽい描写があります。今更感がありますが、念のため。
「――なんだ劉勲、オマエここにいたのか」
突如、背後から声が響く。宴会場からこちらへ向かってきたのは、袁術軍指揮官の一人、紀霊だ。袁家では数少ない叩き上げの軍人で、本人の戦闘能力も高い。
「あら、紀霊じゃない。宴会楽しんでる?」
劉勲はひらひらと手を振り、軽いノリで答える。
「お久しぶりです、同志紀霊。ご機嫌麗しゅう」
一方であまり親しくない――というより軍部の主導権を巡って孫家と紀霊は対立関係にある――孫権は表情を引き締めると、背筋を正してキビキビと礼をする。
「オイオイ、そんな他人行儀な言い方すんなって。宴会で盛り上がったのが白けるだろうが」
しかし紀霊はオーバーに両手を振り上げると、気にするなとでも言うように豪快に笑う。宴会場から取ってきた酒瓶を片手に持ってはいるものの、武人らしい隙の無い動きと濃紺の背広タイプの袁術軍制服が良く似合っていた。
「いやー、アタシはこういう謙虚な姿勢好きよ。上司への飽くなき敬意と祖国へ忠誠……ぜひ紀霊にも見習ってほしいわね。」
すっと横から身を乗り出した劉勲が口を挟む。悪戯っぽい微笑を浮かべ、紀霊の顎をそっと掴んで引き寄せた。
「……でさぁ、紀霊~、お酒飲ませて~。その左手に持ってるヤツぅ」」
「オイ、上司への飽くなき敬意はどこ行った」
未だにアルコールが抜けきってないのか、やけに媚びた口調で酒をねだる劉勲。砂糖菓子のように甘ったるい声をかけながら、そのまま体ごと紀霊にしなだれかかる。もちろん上目遣いも忘れない。
「うわ……」
「すごく自然にいったな……」
思わず言葉に詰まる賈駆と、上辺こそ冷静だが内心の動揺を抑えきれない様子の孫権。あからさまな色仕掛けに半ば引きつつ、興味を隠しきれない辺りがお年頃の複雑な心境なのだろう。
「お願い、紀霊くん……ダメ?」
ちなみに、劉勲が着ているドレスはローブ・デコルテで、胸の谷間を強調するデザインになっている。そんな服で下から見上げる格好になれば、当然ながら胸元がチラチラと……どころかモロ見えだった。
そして――
「七乃ぉー、劉勲達は何をしておるのじゃ?」
「シッ!お嬢様、見ちゃいけませんっ!」
幼女特有のやたら高い声が響く。続けて子供をしつけるような声。袁術と張勲だった。
張勲はとっさに無邪気な興味を示す袁術の目を覆う。むべなるかな。体を密着させた男女2人……教育上、断じて幼女の視界に入れて良いモノでは無い。
「………(チラッ)」
だが、張勲本人はというと動揺を隠しきれていないらしい。ポッと頬を染めながら、俯き気味にぶつぶつと呟く。
「……そりゃ劉勲さん達みたいなオトナなら……いろいろ進んでいるんでしょうけど……」
しかも何やら勘違いしているようだ。だが、100%勘違いとも言い切れない辺りがややこしい。
「何もこんな……人の目につく場所で見せつけるように……」
「見られながらってのも結構コ―フンしていいわよ?」
「劉勲あんた、とんでもない変態ね!?」
思わず大声でツッコんでしまった賈駆。隣の孫権はというと、先ほどから汚物を見るような視線を向けている。
「………不潔」
「ちょ、待って孫権ちゃん!『流石に引くわ』みたいな顔しないでよ!半分は冗談だから!」
逆に言えば半分は本気である。
「あんたの自業自得でしょーが。……いいから、紀霊将軍もソイツさっさと離しなさいよ。教育上よろしくないし」
「だな。オイ、いい加減離れろ劉勲」
賈駆の言葉を受けた紀霊が、腕に絡みついた劉勲を引き剥がす。その時に「あん♪」とか聞こえたような気がするが気にしない。
劉勲がようやく紀霊から離れると、張勲も袁術の目を覆っていた手を離した。視界が戻った袁術は事態を飲みこめていない様子で、“今のは何だったのじゃ?”と首をかしげていた。それを見て、一生分からないで欲しい、と願ったのは賈駆だけではないだろう。唯一、劉勲だけが不満げにむくれていた。
「ハァ……なんでこう、最近の娘って潔癖なのかしらね?そんな汚物を見るような目をしなくてもさ」
「テメェがだらしねぇだけだろうが。まっ、オレも人のこたぁ言えねぇがな。」
そう言う紀霊は紀霊でいかにもチンピラといった雰囲気を出しており、“ほぉ、あの村には中々イイ女が揃ってるじゃねぇか!景気づけに軽く抜いてこうぜ!”みたいなノリで村娘襲ってそうなイメージ。ある意味お似合いの2人かも知れない。
「だらしないって……言っとくけどアタシ、誰とでもベタベタするんじゃないわよ?」
ブーと頬を膨らませながらむくれる劉勲。
「公私混同とかもしない主義だし、なんだかんだで人間やっぱ性格だと思うワケよ」
「ハイハイわかりました。一応そーいう事にしておきましょう。」
ストップ、といった形で張勲が手の平を向ける。
「……で、ぶっちゃけ本当の所はどうなんです?」
「――※ただしイケメンに限る。ここマジ重要。試験に出るから」
「「「最低」」ですぅ」
身も蓋もない。かといって否定できないのもまた事実。漢代では容姿も人を判断する上での重要な要素であり、心の醜美は顔に現れるとされていた。
「何よぉ、じゃあアナタたち全員ブサメン萌えなワケ?」
「なんで選択肢が両極端なのよ!?」
賈駆が叫ぶ。そりゃイケメンorブサイクの2択なら前者に限る。恋愛などに限らず、就職の面接とかも大抵イケメン補正かかるらしいし。漢代においても例外では無く、同じ能力でも外見によって面接結果が変化することなど日常茶飯事であった。
イケメン高学歴→頭いいんだ、凄ーい。
ブサメン高学歴→ガリ勉乙www。
……みたいな。現実は非情である。
「おっと……そういや話がまだだった。」
完全に話が飛んでいたが、ようやく紀霊が軌道修正に入る。
「――閻象が冀州から帰った。人民委員は全員集合、緊急会議だとよ……って聞くなりイヤそうにガン飛ばすな。文句ならヤツに言え」
どうやら袁紹との交渉も無事に終わったらしい。もとより袁紹とは秘密協定を結んで“袁家以外が覇権を握ることが無いよう”協力する関係にあるが、万が一という事もある。冀州の主だった豪族を買収することで、曹操包囲網を確実なものにするのが閻象の務めだった。
「ハァ……長い目で見りゃシゴト早いのは助かるんだけど、少しは空気読んで欲しいわよねぇ。あんまり早すぎるのもアレだし………ていうかアイツ何者よ?いくらなんでも交渉早くない?」
「オレが知るかよ。テメェが雇ったんだろうが」
とはいえ交渉が終わったら終わったで、人民委員達には詳細報告を聞く義務がある。気だるげな劉勲を賈駆が引きずり、張勲も会議室へと向かう。袁術もそろそろ寝る時間なので紀霊が護衛して行き、人民委員でない孫権だけがその場に残された。
◇◆◇
劉勲らが去ると、後には何とも言えない静寂が訪れる。部屋の方からはまだ音楽や貴族たちの笑い声が聞こえているのだが、本来なら陽気なはずのそれも、どこか空寒いものに聞こえた。モノは溢れているのにどこか空虚な、そんな感覚。
「夜になっても明るいな、この街は……」
バルコニーから宛城の中心街を見下ろすと、そこかしこで人がうごめいているのが見える。月が高く昇っているのに、街の喧噪は収まるどころかその密度を増しているようにも思えた。
しかし、その雰囲気は昼とは打って変って一変していた。賑やかな空気もカラッとした陽性のものでは無い。どちらかと言えば陰性の、粘っこくどんよりとした熱帯夜のそれ。罵声と嬌声が飛び交い、汗と香水の混ざった空気が街を包みこむ。歓楽街を出歩く人々は窃盗や賭博で金を稼ぎ、安酒と麻薬に溺れながら、我が世の春を謳歌していた。
中心街からやや離れた高級住宅地でも、その本質は変わらない。高い塀に守られた豪邸の中で、貴族達は庶民には手の届かないような宝石と衣装を身に纏い、色とりどりの料理を堪能し、浪費に不倫といったスキャンダルには事欠かなかった。
だが、光溢れる場所には必ず陰が出来るもの。光が強ければ強いほど、陰もまた一層濃さを増す。
裏路地や、街はずれの寂れた旧市街にひとたび目を向ければ、その様相は一変する。
難民に戦災孤児、捨て子や廃人が住まう、薄暗く凄惨なスラム街。家もなく、服もなく、食事もなく。年端もいかない子供までが僅かな金を得る為に体を売り、死体を漁り、殺人を犯し、他人の僅かな蓄えを強奪する。
そんな人々が暮らしている光の裏側。繁栄から取り残された、犯罪が日常の一部と化した世界だ。
――『錬金術師』
ふと、孫権の脳裏にそんな単語が浮かぶ。
万物の変性を特色とする錬金術は、別名・錬丹術とも呼ばれ、本来は昇仙と不老不死を目的とする秘術だ。仙人になるという事は、それ自体が奇跡に等しい。当然ながらそれ相応の代償も求められ、錬金・錬丹の過程では貴重な材料を捧げねばならぬ。
「これが劉勲の……いや、我々全員で成し遂げた錬金術か……」
一言で言うと、異様だった。夢と現実、希望と不安がごった煮になった地獄の釜。
多種多様な人々の思惑が複雑に絡み合い、途方もない額の資金が絶え間なく動く。煮えたぎる釜からは快楽と欲望の香りが立ちこめ、金と権力が無数の人々の人生を狂わせていた。
「“先富起来、以帯動和幇助落伍――富める者から裕福になれ。然る後に落伍者を助けよ”、か。……いつもの事だが、相変わらず劉勲は言葉がうまい。実際の効果はともかく、説得力だけは妙にある」
実際の所、袁術陣営の景気は見かけほどよろしくない。
劉勲の書記長就任と同時に行われた、『五ヵ年計画』から既に十数年……袁術陣営は徹底的な自由化と大商人、大地主に有利な経済政策を進めてきた。
人民委員会の掲げた『先富論』とは、後世でトリクルダウン理論とも言われる経済思想だ。そのロジックは“資本蓄積と投資の活性化により、経済全体のパイが拡大すれば、低所得層に対する配分も改善する”というもの。
そして資本蓄積の為に、後世で言うサプライサイド経済学――規制緩和と富裕層の減税による貯蓄の増加により、資本蓄積と投資が促され供給力が向上し、生産性の高まりによって需要が満たされ経済成長が達成できる――という理論を組み合わせたものが、人民委員会の経済政策だ。
だが、よくよく……どころか普通に考えてみれば明らかにこれは異常事態なのだ。
まず、経済の基本は需要と供給のバランスをとる事だ。
しかしながら、袁家の公式路線では格差拡大が前提で、トータルでのパイが増えれば良いとされている。極端な話、「100人がそれぞれ10の財を持つ」という状況より、富の配分を変えることで「1人が1000の財を持ち、残りの99人が1の財を持つ」状況が生まれるならば、後者の方が好ましいという事だ。理由は言わずもがな、トータルの財の量は1000対1099となるからだ。
これについては劉勲と対立していた魯粛らを中心として、強い批判がなされた。すなわち『先富論』によると“経済全体のパイが拡大すれば、資本が社会を循環する中で低所得層に対する配分され、社会全体の利益となる”はずである。しかし現実には一部の富裕層の所得の改善を「社会全体の発展」という事にすり替えられている、というもの。
この批判に対して劉勲は、経済活動への貢献度を所得別に比較する事で反論する。
袁術領では一般民衆の所得が圧倒的に少なく、その消費は小さ過ぎて経済に大して貢献していない。たとえ人口の9割を占めているのが低所得層だとしても、その経済規模が国内経済全体の1割しかないならば、むしろ残り9割の国内経済を支える、1割の高所得層の所得を改善した方が効果が大きい、と。
理論は良い。
だが、袁家ではその理論を実行に移した結果、需要と供給のバランスが完全に崩れた。
つまり生産者が競争力をつけ、資本を蓄積する為にコストを下げざるを得ず、コストを下げるためには人件費(どんな組織だろうとコストの割合が一番高いのは人件費だ)を低く抑えざるを得ない。それが自由農民の没落と奴隷・農奴の増加をもたらすのだが、人件費を低く抑えれば、消費者の購買力はいずれ低下する。生産性が向上する一方で消費活動は鈍化し、内需減退と供給過剰というアンバランスな状態が発生してしまったのだ。
しかし、これを以て劉勲の経済政策が失敗したと評するには、やや語弊があると付け加えねばならない。正確に言うならば、劉勲の進めた自由主義経済は“うまく行き過ぎた”のだ。
彼女が最初にこれらの政策を発表した頃は、事実として一般民衆の消費は非常に小さく、その活動は社会経済を左右するほどのものでは無かった。まさに「富は上から下へ流れる」というトリクルダウン理論が機能する社会だったのだ。
それゆえ劉勲の理論は有効に機能し、高所得層の富の増大が社会全体の厚生を底上げしたのだが……今思えばそれが不味かった。
富が下へ流れ、物価も下落すれば、民衆の所得は一時的に増大し、GDPに占める役割は相対的に大きくなる。経済の担い手が逆転し、今度は一般民衆の消費・生産活動が経済全体に影響を及ぼす「富は下から上へと流れる」社会に変貌してしまったのだ。
(南陽と豫州の貴族たちは儲け過ぎた。彼らはあまりにも儲け過ぎたのだ……)
こういった変化にも拘らず、人民委員会は依然として従来の自由化路線を維持し続けた。曹操のように高度な中央集権化が成し遂げられておらず、また組織が巨大であるがゆえに急な政策変更が出来ないからだ。
そして実体経済との乖離が発生した結果、経済成長のスピードが鈍化へ向かい始めたのだ。
つまり、劉勲の自由経済政策は、彼女の書記長就任当時の経済・社会に合わせた考え方。経済が発展し時代が進むと共に、社会の実情にそぐわなくなったというのが正しい表現だろう。
劉勲の書記長就任時と違い、「富が下から上へと流れる」社会では一般民衆の消費が経済を回し、政府を支える。そこでは一般民衆の購買力増大が好景気のカギのなるのだが、金持ち優遇政策の弊害として、既に自作農を始めとする一般民衆の購買力は低下していた。
同時に、農作物生産能力の増大もここでは仇となっていた。
「黄巾党の乱」とそれに続く「董卓の暴政」によって中華では農作物生産高が減少しており、食糧需要が高まりによって市場価格も上昇した。袁術領では大幅な穀物増産が行われ、多額の商人の資本が投下された結果、街道・港湾整備や農業の機械化・大規模集約化が見られるようになる。このような集約化・機械化・大規模化を通じた余剰生産能力の増大、生産性ショックは農産物価格の急激な低下を引き起こし、多くの自作農がこの時期に没落してしまったのだ。
しかし生産量の増大は、金融規制緩和による投機ブームという過剰な投機によって支えられ、手形などを始めとする信用販売と資金調達も重なって更に増産を続けた。一方で民衆の購買力低下には歯止めがかからず、次第に農作物は飽和状態となり始めた。
更に陶謙や袁紹、曹操などの諸侯が農産物の自給化を図り、輸入品に高関税をかけるようになった事がこれに拍車をかけた。需給関係の実態から離れた供給過多による、「豊作貧乏」とも言うべき農産物価格の下落を後押しした。
ここに来て、物価の下落率はついに無視しえぬ水準に達する。今まで「良いデフレ」だったのが、次第にデフレスパイラルへと変貌しつつあった。
供給過多・需要不足による物価下落が生産者の利益を減らすし、減少分は労働者へと転化され、失業者も増加する。それが続けば、購買力が低下した結果、商品は売れなくなり、生産者は商品価格を更に引き下げなければならなくなる。同時に蓄積される資本も減少するため、設備投資や信用販売も縮小。投資の縮小は更なる総需要の減少へつながる、という循環が止まる事無く進んでしまう。
中央人民委員会がこの危機を明確に認識したのは、本当につい最近になっての事だ。
好景気と財政の黒字化ゆえに無視され続けてきた問題――失業者の増加、倒産商会件数の増加、自作農民の急速な没落、貧富の格差拡大、犯罪件数の増加、消費支出の減少、領内市場の縮小、供給過多、過剰在庫など――が無視し得ぬレベルに達していた事が、財務金融、産業経済、内務自治の3つの人民委員会において指摘された。
これを克服する為に劉勲らが下した決断が、先の自由貿易協定だ。
徐州ではこちらと逆に『平等』を重視した結果、生産性が悪く競争力の無い小農が狭い土地を分散所有し、非効率な価格支持制度が社会全体のパイを減少させている。農民の賃金や所得が高いため購買力はあるが、そのために資本蓄積が進まず、投資によって社会インフラを整え生産性を拡大させる事が出来ていない。そういった歪みは市場価格にフィードバックされ、物価高騰によるインフレが各地で起こっていた。ならば、貿易を自由化してお互いを捕捉し合えば良い、という話になる。
内需が無いなら、外需を無理やりにでも作りだして外からマネーを持ってくればよい。孫権に与えられた任務の裏には、こういった事情があったのだ。
――悪い判断では無い。確かに、それによって南陽と豫州に住む人々の生活は守られる。
孫権は釈然としない思いを抱えながらも、その理性によって人民委員会の方針を合理的な判断であると結論付けた。
現に南陽郡と豫州は多くの問題を抱えつつも、袁家の指導のもと着実に経済成長を続けている。同時に勢力均衡を国是とする袁術陣営が健在ならば、曹操のような覇権主義も抑えられるだろう。長い目で見れば、戦争の減少は中華全体の利益となるはずだ。
今までの実績を見る限り、人民委員会は常に合理的な決定を下し続けている。効率よく投資し、効率よく生産し、効率よく稼ぐ。時には行き過ぎる場合もあるが、損得勘定に敏感な商人ならではの変わり身の早さで、市場相場のように最小限の損失で損切りする。その判断に感情の入り込む余地は無い。
全ては最大限の富と永遠の繁栄の為に。全てが効率よく機械的かつ合理的に動かされてゆく。
それなのに――
(何なのだ……この言いようの無い不安は……?)
幾度となく考えを探っても、別の答えは出てこない。今の中華で平和を維持するには、勢力均衡を維持しかない。常に最善手を取り続けているはずなのに、行く手には不吉な暗雲が立ち込めている。
静寂の夜の中、孫権はただ悶々と月に照らされた街を見つめるしかなかった。
(分かりにくかったので)袁家経済の流れ
生産性向上→余剰価値増大→資本蓄積増加→投資拡大→供給量増加→物価下落→国民所得増大
理論上はこのサイクルが繰り返されるはず。だが、現実には「国民所得の増大」の部分に問題があった。
現実には……
国民所得増大(高所得層の所得増が低所得増の所得減を上回ったというアンバランスなのもの)→内需減退と過剰供給(いわゆる豊作貧乏)
となり、
→さらなる物価下落→生産者利益の減少→リストラ→購買力低下→需要減→投資縮小
というデフレスパイラルへとつながった。
そこで人民委員会は周辺の諸侯に門戸開放を迫り、過剰生産した分を外需でカバーしようと目論む。
以上、袁術領土経済の変遷です。経済って生き物みたいに状況に応じてすぐ変化するし、「これをやれば全てうまく行く」みたいのは無いんでしょうね。