真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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 今回は経済の話がメインです。



38話:自由と平等、そして正義と

                    

 洛陽会議から約4年。准河・泗水流域にある徐州でも、仮初の平和は保たれていた。

 徐州牧・陶謙はその平和を十分に享受しながら、知り合いの諸侯と連絡を密にとるなど万が一の備えも怠っていなかった。バランス・オブ・パワーに基づいた中華の受け入れつつ、劉備軍を雇い入れるなどして軍備の拡充を図り、“恐怖されるほど強からず、侮りを受けるほど弱からず”といった微妙な地位を維持している。

 

 

 だが、その陶謙も既に老齢の身。全盛期に比べれば精神的にも、体力的にも衰えが目につくようになり、本人もまたその事実を自覚していた。

 治安維持、被災地の復興、農地の開拓、裁判、農民一揆の鎮圧、徴税と脱税調査、豪族同士の争いの調停――それら全ての政務をこなすには、あまりに年をとり過ぎていたのだ。しかしながら本来それを補佐すべき2人の息子は、残念ながらどちらも力不足感が否めない。

 

 されど、幸いになことに政情が乱れることは無かった。軍事力を期待して徐州に迎え入れた劉備軍が、期待以上の逸材を連れてきたからである。

 

 

 諸葛孔明、そして鳳士元。

 

 人物鑑定家として名高い水鏡をして、「伏竜、鳳雛のいずれかいれば天下を得る」とまで言わしめた2人の天才。陶謙の要請を受け、2人は早速徐州の構造改革を実行に移す。諸葛亮は主として内政を、対して鳳統は軍事に辣腕をふるった。

 

 

 ――劉備一行が来てから、徐州牧・陶謙は諸葛亮らの進言に従い、『綱紀粛正』を掲げて悪徳役人の追放や財産没収を行った。賄賂、公文書偽造、横領、脱税など様々な不正を働き、富を搾取してきた貴族たちもまとめて一掃され、没収された財貨は飢えに苦しむ民のために使用された。

 

                               ――蜀書・諸葛亮伝

 

 一見すると役人の不正を正し、彼らが不正に蓄えた富を民衆に分配するという、正義の味方のテンプレのような改革だ。

 だが、これはあくまで劉備らの視点での評価であり、評価に偏りが無いとは言い切れない。当時の別の記録を見れば、必ずしも改革に肯定的な意見ばかりではなかった事が伺える。

 

 

 “言いがかりをつけて金持ちの財産を略奪し、人気取りの為に民衆にバラまいただけ”

 

                        ――中央人民委員会議事録より抜粋

 

 辛辣な評価を下したこのコメントは、とある人民委員が言ったとされる。商人や貴族の影響力が強い袁術陣営ならではの評価であるが、急進的な改革が少なからず暴力を伴う事を鑑みれば、事実無根だとも言い切れない。実際、きちんとした根拠も無しに『富農』のレッテルを貼られ、財産を没収された貴族も少なくなかったという。

 

 当然ながら、この改革は地主や豪族から大反発を受け、幾度も中止の危機に遭っている。諸葛亮の主君たる劉備でさえ、あまりに性急かつ強引な手法に難色を示しており、諸葛亮自身も行き過ぎた改革の見直しを検討していた。

 だがそれらの嘆願空しく、最終的にこの改革は“不退転の決意”をもって実行される。この強硬策には、陶謙の意向が強く関係していたという。

 

 主な理由としては、徐州における劉備たちの立場の不安定さが挙げられるだろう。

 徐州内部には、余所者である彼女らの存在を快く思わない人間も多数おり、陶謙の息子達は父があからさまに劉備を優遇している事に嫉妬していた。諸葛亮らが大胆な改革を実行に移せたのも、州牧たる陶謙の全面的なバックアップがあったからこそ。

 それゆえ陶謙は己の寿命が残り少ないことを意識し、自らが存命の内に改革を完遂させる事を決断したのだ。

 

 

 また、『綱紀粛正』以外にも、自作農の保護などが改革の優先課題とされていた。

 『天の御遣い』北郷一刀の提案により、市場の安定と所得格差の是正を促すべく、自作農民への大規模支援が実施される。手始めに規制と高関税で輸入品を締め出し、自作農への直接支払いによって農業を保護。加えて価格支持政策によって主要作物の市場価格を設定し、物価を安定させる。更に所得に応じた累進課税方式による所得税、物品税、取引税、相続税、贈与税、資産・貯蓄税など様々な租税を通して所得の再分配を図っていった。

 

 もちろん、これらの野心的な政策が全て順調に進んだ訳ではない。公的権力による価格設定や各種規制は巨大なヤミ市場を生み、累進課税は所得調査の難しさから実現不可能として見送られていた。

 

 ともあれ、やり方はいささか乱暴ではあったものの、曲がりなりにも貴族から土地を取り上げたことによって地主の地位低下と農地の平等分配、自作農民の増加が実現。陶謙の統治下では『自作農主義』に基づいた農業政策が進み、農民の生活水準向上が図られる事になる。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

                 

 ――徐州・下邳

 

 徐州牧・陶謙の拠点であり、彭城などと共に徐州の経済的な中心地として繁栄した都市でもある。その下邳城の中に、明らかに陶謙の部下では無いと分かる、開襟の背広型軍服を着た兵士達の姿があった。

 その中心にいるのは一人の少女。健康的な小麦色の肌に桃色の髪、そして厳しさの中にも僅かに幼さを残す表情。

 

「『江東の虎』孫文台の娘、孫仲謀と申します。本日は南陽太守・袁公路様の代理として参りました。」

 

「孫仲謀殿ですね、お噂はかねがね聞いております。ようこそ徐州へ。

 私の名は関雲長、劉玄徳様と共に陶謙様の元に仕えている者です。」

 

 孫権を出迎えたのは、艶やかな黒髪が印象的な女性だった。関雲長――今の中華に彼女の名前を知らぬ者はいないだろう。かの有名な飛将軍・呂布と一歩も引かずに渡り合ったという、一騎当千の英傑だ。

 

「謁見の間には、正式な使節以外の者……つまり随員や護衛兵の方の入室はお断りさせてもらっている。それでも構わないだろうか?」

 

 しばらく奥に進んだ所で、関羽が孫権に問う。孫権は了解の意をこめて頷くと、数人の部下を下がらせる。その後も差し支え無くセキュリティ・チェックを終え、孫権は謁見の間に到着した。既に主だった武官と文官は全て参列しており、中央の玉座には徐州牧・陶謙その人が座っていた。

 

「陶謙様、こちらが南陽太守・袁公路殿の代理として参った、孫仲謀殿です。」

 

 関羽が紹介し、再び儀礼上の挨拶を数回交わしてから、孫権は本題に入る。懐から外交文書を取り出し、陶謙へそれを渡す。そこには外務人民委員長の署名と共に、曹操へ対する牽制として青州の孔融も交えた同盟を組もう、といった内容が書かれていた。

 

「(ご主人さま、やはり袁家の狙いは……)」

 

「(ああ、分かってるよ。朱里の読み通り――)」

 

 諸葛亮が小声で一刀に話しかけ、一刀が小さく頷く。

 

「(――向こうの使節は文官ばかりだ。)」

 

 一刀の言葉通り、今回の交渉に当たって袁家が派遣した使節には、護衛兵を除くと文官しかいなかった。

 それはつまり、今回の交渉は高い確率で経済的な話になるということ。

 そして政務に深く携わってきた諸葛亮は、袁術陣営が利権なしには動かない事を知っていた。

 

「(……では、お願いします。出来る限り、孫権さんと“お話”を続けて下さい。)」

 

「(任せてくれ。)」

 

 簡潔に小声で言葉を交わすと、2人は視線を孫権達の方へと戻す。周囲では既に陶謙の家臣団が互いに意見を戦わせていた。

 

 

「袁術と同盟を結べば、確実に曹操や袁紹に絡まれる。この同盟、今からでも中止した方が……」

 

「いいや、中立を保ったからといって、連中が軍事行動を控えるとは思えん。現に隣の青州は中立を保っていながら、“青州黄巾党の討伐”などという取ってつけたような大義名分で侵略されかけたのですぞ?」

 

「馬騰や孔融のみならず、幽州牧の公孫賛も袁術と結んだという話だ。合従連衡の波に乗り遅れれば最悪、我々だけで孤立しかねない。それだけは何としても防がねば」

 

 

 袁術との同盟について、陶謙の家臣達が思うことは様々だ。強大な経済力を誇る袁家を頼もしく思う者もいれば、逆にそれを脅威に感じる者もいる。あるいは、袁術はともかく曹操に目をつけられるのが怖い、袁家の争いに巻き込まれるのでは勘弁だ、等と言う人間もいた。

 

 しかし、全体的な雰囲気としては同盟締結の方向へと気が流れていた。

 なにせ同盟を結べば、技術の融通や貿易の活性化、軍事や外交における協力体制が取れる。南陽群を統べ、豫州を勢力圏下におく袁術陣営は、列強中最大の人口と経済規模を誇っている。人口900万以上の巨大市場に、その領土を守る為の膨大な数の兵士達。文官にとっては勿論、武官にとっても味方にいれば心強い事この上ない。

 

 

 だが、問題はその中身だった。

 

 

 ――我々は同盟に際し、加盟州間で域外に対する競争力を強化するために、自由競争の妨げとなる全ての貿易関税や非関税障壁を撤廃し、経済的な障害を無くすことを要求する。

 この同盟の主たる目的は、州同士の戦略的提携によって中華の市場における影響力を上げることであり、南陽群・豫州・徐州・青州の地域全体にまたがる協定とする。本協定は、規制制度間の整合性を取ることによる貿易の効率性上昇と、自由貿易による競争力強化および経済の発展を促進するものである。

 また、兗州を始めとする一部の州からの輸入品について関税を引き上げるものとする。これは軍事行動によって平和を乱す州が権益を持つことは、中華の人民に多大な不安と混乱を与える為、やむを得ない措置である――

 

 

 長ったらしい条文だが、要するに“全ての関税障壁を撤廃して、完全な自由貿易にしよう。”ということだ。ただし、“一部の州からの輸入品について関税を引き上げる”という内容は、あからさまに曹操に対する経済封鎖を狙ったもの。共通の関税政策を行うという意味では、『自由貿易協定』というより『関税同盟』に近い。

 

「う~ん……難しくてよく分んないんだけど、袁術さんはわたし達と仲良くしたいってことだよね?それだったら――」

 

「お待ちください、玄徳さま。どうやら、話はそう単純ではないようです。」

 

 渋い表情をした諸葛亮が、珍しく劉備の言葉を遮る。彼女がこういった真似をするのはめったになく、そういった行動をとるのはあまり好ましくない状況であることが多い。劉備もそれを感じ取ったのか、いったん開きかけた口を再び閉じる。

 

 ほどなくして、諸葛亮の危惧は現実のものとなる。陶謙が続きを読み上げるにしたがって、家臣達の表情もそれに比例するかのように強張っていった。

 

 

 ――同盟を結ぶにあたって我々は、貿易において不当な障壁を作ることと、経済的な発展に不必要な規制を承認しないこと、域外貿易について共通の関税政策を行うこと、以上の3点に同意する義務がある。よって自由な活動を阻害し、市場の構造を歪める原因となる、全ての価格操作の停止を実施すべし。

 

 それが認められない場合、我々は大多数の帝国臣民の平和と自由のため、断固として然るべき措置を取るであろう。 

             

               ――南陽群太守・袁公路(印)外務人民委員会(印)

 

「なっ……!」

 

 ストレートな脅迫だった。同盟と言う名の、自由主義経済への強制加入命令。

 

「何だよ、この滅茶苦茶な内容は!俺達から強請る気満々じゃないか!」

 

 外交の場であるというにもかかわらず、北郷が大声で憤慨する。左右に居並ぶ諸将達からも、同意するような声があがった。流石の陶謙も黙ってはおらず、袁術の使節達へ厳しい視線を向ける。

 

「問おう……いかなる理由をもって、このような要求を?」

 

「徐州の不当に高い関税障壁によって、不公正貿易が引き起こされている。よって貿易摩擦の是正を行いたい――書記長・劉勲殿はそうおっしゃっています。」

 

 さも当然のことかのように、使節の一人がしれっと答える。当然ながら、それは火に油を注ぐ結果となり、徐州側からは激しい非難を受けることになった。

 

「洛陽会議で『領土内の法的主権と相互内政不可侵の原理』は保障されている!貴公らは、自分達が主導した会議で決められた事を、自分自身で破るというのか!?」

 

「無論、そんなつもりはない。だからこそ、こうして徐州に同意を求めている。」

 

「よくもそんな白々しい台詞を……!」

 

 嫌悪感すら滲ませ、一刀は袁術の使節団を睨みつける。

 

 彼らが危惧しているのは、徐州における農産物市場への影響である。徐州はもともと肥沃な大地であり、土地生産性も悪くない。それゆえ農業も盛んだったのだが、近頃では奴隷労働によって作られる、安い豫州産の農作物に押され気味だった。

 安価な輸入作物が出回れるようになれば、当然ながら徐州の農民は販売不振に苦しむ事になる。領民の大部分を占める農民の保護は緊急課題であったため、北郷一刀らは関税率を大幅に引き上げていた。

 

 

「何が“自由な活動”だ……奴隷労働で経済回してる州がよく言う。中華一の農奴大国さんはよほど冗談がお好きなようだ。」

 

 一刀は目を細め、不穏当な発言を繰り返す。普段と比べて必要以上に攻撃的なのは、自由主義経済への不信ゆえか。もっとも、格差や不平等を積極的に容認する袁術陣営が、劉備たちの理想と相容れないであろう事は想像に難くない。

 

「北郷殿、私はあくまで袁家の意志を伝えただけです。そして袁家は客観的に見て、最終的には本条約がお互いの利益になると判断している。あまり偏った視点で、主観的な感想を述べないでいただきたい。」

 

 対照的に孫権は、あくまで無感情に反論す。だが、それは却って一刀たちの感情を高ぶらせるという逆効果を生んでしまった。

 

「客観的な視点から見たからこそ、そちらの言葉は信用に足らない戯言だと言っている。

 袁術の領土じゃ大量の農奴を牛馬のように酷使して、異様に安い農作物を生産しているって話だ。一部の人間だけが得をする、行き過ぎた規制緩和で多くの犠牲者が出ているのに、まだ儲け足りないと?」

 

 徐州とは対照的に、袁術の領土では農奴制が一般的であり、奴隷売買も公然と行われている。もちろん徐州に農奴や奴隷がいないわけでは無いが、人口の40%が農奴、10%が奴隷とも言われる袁術領はその比では無く、彼らの待遇もまた酷いものであった。

 

 その一方で、農奴や奴隷の無償労働によってもたらされる利益は一部の商人や領主の懐を潤し、蓄積された富の積極的な投資は袁術領のGDPを増大させていた。

 『貴族の天国、農民の地獄』、豫州と南陽群の状況を表すなら、この一言に尽きるだろう。

 

「徐州は徐州、我らは我らです。奴隷にしろ農奴制にしろ古くからある慣習ですし、法的にも何ら違法性が認められるものでもありません。

 貴族を一方的に悪者と決めつけて奴隷制を廃止しようとも、それが徐州内部である限りはそちらの勝手です。が、全ての人間が貴方と同じ正義、価値観を認める等と勘違いしてもらっては困る。そもそも、我々の内政にまで口を挟む権利があるとでも?」

 

「内政干渉?笑わせないで欲しい、それはこちらの台詞だ。」

 

 一刀は小馬鹿にするような口調で、ふんと鼻で笑う。

 

「はっきり言ったらどうだ?いずれ、徐州を植民地にするつもりだと」

 

「控えよ!ここは外交の場、言葉が過ぎるぞ!」

 

 再び孫権に噛みついた一刀を、徐州牧・陶謙が一喝する。いくら袁術の要求が自分勝手なものだとしても、これ以上の挑発は本気で相手を怒らせかねない。

 しかしながら陶謙自身も、また居並ぶ家臣達も内心では一刀と同じ気持ちだった。

 

「……すまない、孫権殿。こちらの客将が過ぎたことを言った非礼は、後々詫びさせてもらおう。我々は、そちらの内政に干渉する意志は毛頭ない。」

 

「……お気になさらず。我々も徐州との敵対を望んでおりません。お互いにいくつかの相違点はあるかもしれませんが、同盟締結に向けてこの交渉を実りあるものにしていきたい。」

 

 本音を言えば、孫権も農奴制や奴隷制にはあまり良い感情を抱いてはいない。だが一刀と違って、生まれたときから奴隷が当たり前に存在しているような環境で育った彼女にとっては、奴隷の存在もまた社会の一部。ある程度の待遇の改善などの必要性は認めるものの、奴隷制度そのものの廃止には懐疑的であった。

 

(農奴制や奴隷制度を形だけ廃止したところで、土地と仕事が無ければ失業者として飢え死にするだけだ……。だが、少なくとも奴隷や農奴でいれば、最低限の衣食住は保障される。

 労働者の高待遇が、高失業と紙一重だということを分かっていないのか……?) 

 

 

 だが、それは現代人である一刀には到底理解できないもの。あるいは、基本的に庶民と変わらぬ暮らしをしていた劉備達と、生まれながらの貴族であって民衆を統べる立場であった孫権との見解の相違だろう。

 

 

 どちらが正しいという訳では無く、生まれ育った環境が違えば視点や価値観も違うというだけの話。

 それは政治や政策にも反映され、結果として現れた違いが両者の妥協を困難なものにしている。

 

 

 例えばこの時期、徐州では諸葛亮らが中心となって、貴族・豪族から農民を“解放”(貴族達から見れば権利の侵害と不当な没収ではあるが)し、自作農の生産意欲を刺激すると共に、購買力上昇によって需要を高めるような政策がとられている。

 一方、袁術の治める南陽郡と豫州では、むしろ貴族や大商人を積極的に擁護することで、農地の集約化や大規模経営による経営効率改善を図り、資本蓄積によって得られた余剰資本の再投資を繰り返す事で経済成長を目指していた。

 

 

 供給が需要を生むのか、あるいは需要が供給を生むのか――経済学の世界では長年に渡って議論が繰り返されており、未だに決着を見ないテーマでもある。

 

 袁家はどちらかといえば前者の立場を支持し、土地の集約と機械化(といっても風車や水車、農具改良や牛馬の使用だが)、そして大規模化によるスケールメリットを追求。供給側の役割を重視した袁家首脳部は、生産性の向上こそが至上命題であるとした。

 

 生産性が上がれば、余剰価値が増大し、資本が蓄積され、投資が拡大する。この投資と生産性の拡大のサイクルによって、財の市場への供給量は更に増大し、それに伴う物価の下落は国民所得を相対的に増加させ、消費も増大する。消費増は需要増でもあるため、ここで需要が供給に追い付くことになり、バランスを保った経済成長が実現できる。

 こういった理論が袁家では主流を占め、書記長・劉勲によって公式路線とされたのだ。

 

 そこにおいて貴族は農業経営者として生産を担い、商人は市場の流れを円滑にする役割を負う。そして小麦や米、木材などのいわゆる「世界商品」が競争力を維持するために、農奴に対する非人間的な扱いが常態化したのである。

 

 

 しかしながら、こういった奴隷たちの犠牲が袁術領へ繁栄をもたらしたのもまた事実。

 現実問題として、農地を有効利用する為のインフラや圃場整備には莫大な資金が必要とされる。水車や風車などの高性能機械は言うに及ばず、水を効率的に管理するための水道整備、あるいは農作業用の牛馬を買うにも金が必要だ。

 大土地所有制による区画整備・集約化は農地の効率的な利用を可能にし、農奴・奴隷の使用は大幅な人件費削減を実現した。生産費を極限まで抑えることで得られる格安の農作物は、市場で高い競争力を誇った。そうやって貴族の元に大量の資本が蓄積されて、初めてインフラ整備と生産効率の改善が起こるのだ。

 

 

 逆に徐州では徹底した「自作農主義」が推進され、自作農の保護と所得平等が農政の基本だった。こちらは袁家と違って需要側の役割を重視する事で、経済成長を実現しようとしていた。

 方法としてはまず、賃金上昇ないし農地分配によって生産意欲を刺激する。これに減税などを組み合わせ、自作農の実質的な所得の増大を狙う。生活が豊かになれば購買力も上がり、消費も増え、更に需要が高まって物価は上昇し、それが新たなインセンティブとなって供給を増大させる。諸葛亮や一刀達は、こういったサイクルを繰り返す事で経済の活性化を目論んでいた。

 

 しかしながら自作農重視の政策は、彼らの生産意欲を高める一方で、土地と資本の分散を促す結果となった。徐州では農民の購買力および生活水準向上と引き換えに、農地の集約化と資本蓄積は遅々として進まなかったのである。賃金上昇と物価上昇によって供給能力は相対的に減少し、農産物の競争力低下という事態が引き起こされていた。

 

 無論、一刀たちも座して見ていた訳では無い。輸出補助金や規制、関税障壁などによって農民を保護しようと努力したのだが、結果的にはこれらの保護政策が却って農民の補助金依存等を招き、競争力を失わせる結果となっていた。

 

 

「自領の農民を守ろうという心意気は立派ですが、それと高い関税障壁に守られて温まる事とは別問題でしょう。」

 

 孫権は相手の出方を窺うように、一刀を見つめる。

 

「もし自分達の商品が売れないのなら、自国市場を国際競争から切り離すのでは無く、商品の改善と販売努力によって状況を改善すべきであると思われますが?」

 

“商品が売れないなら、売れる商品を作れ”……孫権の言っている事は完全に正論だ。自由化に反対する者たちも、こればかりは首を縦に振らざるを得ない。

 

(――くっ……作戦を変えて、今度は正論で押し潰しに来たか……!)

 

 一刀は唇を噛み締める。

 

(確かに孫権の言っていることは正しい。純粋な商売の原則に照らし合わせれば、売れる商品が売れない商品を駆逐する事は常識……消費者が安い農産物を選ぶなら、それを妨げることはむしろ――)

 

 結局のところ、最後にモノを選ぶのは消費者自身なのだ。まさか無理やり徐州産の農産物だけを購入するよう強いる訳にもいくまい。住民一人一人の食事内容・食生活にお上が介入する光景など、せいぜい戦時中ぐらいのものだろう。

 

(……この辺が潮時か。後は頼むぞ、朱里……!)

 

 既に自由化論争では孫権に軍配が上がりつつある。この状況を覆すには、別の何かが必要だ。相手が正論をもって詭弁を弄するならば、こちらは詭弁をもって正論を吐くのみ。

 

 そんな芸当が可能な人物は、北郷一刀の知る限りただ一人だった。

   

 




 自由VS平等……と言いたい構図ですが、袁術陣営の自由はあくまで一部の裕福な人間の自由なので単純には言い切れない。農奴制に代表される、勝ち組と負け組の格差がはっきりしているのが袁術陣営の弱みであると同時に強みです。
 ちなみに劉備たちの経済政策は、農地解放令と戦後の日本農業をモデルにさせて頂きました。

 では袁術陣営の経済に関する、ありがた~い考え方を、貂蝉(の中の人)VOICEで

「人はァ!平等ではない。生まれつき足の速い者、美しい者、親が貧しい者、病弱な体を持つ者、生まれも育ちも才能も、人間は皆ァア、違っておるのだ。そう、人は、差別されるためにある。だからこそ人は争い、競い合い、そこに進化が生まれる。
不平等はァ!悪ではない。平等こそが悪なのだ。だが、我が袁家はそうではない。争い競い、常に進化を続けておる。袁家だけが前へ!、未来へと進んでおるのだ。
闘うのだ!競い奪い獲得し支配し、その果てには、未来があァァアる!!」

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