真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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 張譲と『兵馬妖』に関してはアニメ版を基にしております。


28話:それぞれの思惑

    

 

「くそっ!あの役立たず共め!」

 

 洛陽の一室で、張譲は怒りに支配されていた。部屋に陳列していた絢爛豪華な調度品は無残に破壊され、壊した張本人は荒い息をしている。

 

 無理も無いだろう。

 先の戦闘で董卓軍は惨敗し、氾水関どころか虎牢関まで占領されてしまった。その上呂布、張遼、陳宮といった名立たる指揮官まで馬騰軍の捕虜にされる始末だ。

 

 張遼が機転を利かせて華雄に伝令の役目を与えたため、辛うじて華雄だけは無事だった。

 1人でも多くの兵士を逃がすには呂布の武力が必要であり、かといって前線を支えている張遼が抜ければ混乱が大きい。陳宮では万が一追手に追い付かれた場合に自分で自分の身を守ることが出来ない為、消去法で華雄が選ばれたのだ。

 まぁ、それはあくまで張遼の考えであって張譲としては“多少の犠牲を出しても、どうせなら呂布をよこせ”と言いたいところだ。おかげで子飼いの官軍が総出で出動する羽目になり、洛陽の守備はスカスカだ。

 

 

「それだけではない!……このままでは、あの道士の言っていた計画までもが台無しだ!」

 

 

 張譲には駒が3つあった。1つ目は董卓軍、2つ目は洛陽にいた官軍だ。この二つの軍は実質、張譲の支配下にあったが、あくまで事実上の支配であり、張譲固有の軍事力とは言い難い。董卓軍は董卓を人質に従えているだけであるし、官軍も金で買収するか、恐怖政治で無理矢理従わせているようなものだ。

 

 故に張譲は固有の軍事力を欲しており、干吉と名乗った道士の提案は渡りに船であった。干吉は人心を乱すことによって大量の妖力を集め、始皇帝の陵墓内に眠る『兵馬妖』を復活させることを進言した。

 

 

 『兵馬妖』とは、妖力によって動く泥人形の軍隊であり、疲れを知らず、衣食住などの補給もいらず、命令に絶対逆らわない、まさに理想の兵士だった。

 

 もちろん兵士の自立性が皆無であるという「弱点」は存在する。だが大抵の場合、兵士の自立性は「敵襲に対する臨機応変な対応」などといったプラスの効果よりも「脱走」「反乱」「命令無視」「略奪」「パニック」「戦意喪失」といったマイナスに働くことの方が多い。虎牢関の戦いで華雄軍の兵士が総崩れになった原因の一つも、この脱走兵だ。

 そういったリスクを省みれば、戦場で「扱いにくい精兵&高スペックで故障の多い武器」よりも「扱いやすい弱兵&低スペックだが確実に動く武器」が重宝されるのは当然と言えよう。

 

 

 張譲もその点に着目して、万が一の備えとして『兵馬妖』を使う予定でいた。しかし『兵馬妖』を動かすには、人心を乱して大量の妖力を蓄えなければならず、こうもあっさりと董卓軍が敗北してはそれも望めない。

 

「……だが、連合軍は無理な進軍で補給に支障をきたしているはず。ここは、官軍と董卓軍残党を使い潰す覚悟で連合軍を攻撃すれば……」

 

 実際、反董卓連合軍は急な進撃に補給が追い付かず、最前線では矢が不足したり、折れた刀や鎧の修理が出来ずに消耗している状態だった。その上、各軍の構成や錬度の違いから進撃速度に差が出て兵力は分散している。現在虎牢関にいる部隊は攻勢限界に達した馬騰、公孫賛、曹操、孫策軍の8万人ほどだった。

 

「……既に李儒の進言に従い、天子を連れて都を長安へ遷都する準備は整っている。長安には函谷関もあり、そう簡単には落とせまい。天子が手中にある以上、我らが再起するまでに必要なのは時間だけだ。」

 

 敗走した董卓軍を急いで再編成し、洛陽の官軍5万と合わせれば戦力差は縮まる。

 大軍を擁する袁紹や袁術あたりが虎牢関に到着してしまえば、どのみち董卓軍の敗北は確定してしまうだろう。反董卓連合軍に打撃を与え、連中の進撃を遅らすには今しかない――。

 

 そう考えて張譲が賈駆を呼び出そうとした、その時だった。

 

 

「い、一大事です!」

 

 

 董卓軍を裏切った文官の一人、李儒が、部屋に駆け込んできた。相当急いで走って来たのか、肩で息をしており、顔面は蒼白だ。

 

「敵襲です!洛陽に、敵が……!」

 

「馬鹿な!連合軍の補給線が持つはずが無い!」

 

「ち、違いますっ!敵の首謀者は司徒の王允、これは反乱です!」

 

「何……だと……?」

 

「王允を筆頭とした反乱軍は、陛下の兄君、弘農王・劉弁を確保した模様!再び少帝弁として擁立し、敵対する者を、全て逆賊として攻撃しています!」

 

 

「なっ……!」

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 洛陽を目前にした反董卓連合軍と、それを阻止すべく余力を振り絞って出動した董卓軍。天下を掛けて、2大勢力がまもなく衝突するかと思われた矢先、事件は起こった。

 

 全ての引き金となったのは、董卓を裏切り張譲についた軍師・李儒の言葉だった。

 

 

『――勅命により洛陽を放棄し、都を長安へ遷都する。異論は認めない。――』

 

 

 氾水関、虎牢関共に連合に占領された以上、彼らに残された道は玉砕か逃亡の2択。即座に李儒らは皇帝を連れて長安へ逃げる事を選択した。

 

 

 あまりに急な遷都の勅命。

 洛陽に住む多くの人間が混乱する中、この命を受けて、もっとも慌てふためいたのが、王允率いるクーデター派であった。

 

 王允――三公の一つ、司徒を務める漢の重臣――は本人の功績は勿論のこと、皇室に対する忠誠心が篤いことで多くの人々の尊敬を集めていた。。剛直を持って知られ、王佐の才を持つと評された人物である。

 当然ながら、そんな人間が皇帝を蔑ろにして専制を敷く宦官を快く思うはずが無い。政敵の手段を知り尽くしていた彼は、董卓の暴政の裏で張譲が暗躍している事を見抜いていた。

 

 

 ――この国は腐っている。ゆえに救わねばならない。そのために漢王朝は、存続されなければならない――

 

 

 この一連の事件を利用して宦官を一掃する。

 全ては健全な漢王朝を復興させる為。

 王允もまた、賈駆と同じように劉勲と取引をした。

 

 結局、直接会う機会は得られ無かったが、予想以上に劉勲は良い取引相手だった。物資の調達、資金援助、人材の派遣。それらによって王允は、力と漢王朝復興への道筋を。劉勲は、保障と保険とを得た。

 

 念のため潜在的な脅威を外側からだけでなく、内側からも崩す。王允の立てたクーデター計画は劉勲にとって、それこそ軽い保険のようなものだったのだろう。王允にしても、劉勲らにそこまで期待している訳ではなく、援助がないよりマシという程度の認識だった。

 

 

 ――だが、軽い気持ちで利用しあった両者の思惑とは逆に、事態は混迷の色を深めていく。

 

 しばらくは全てがうまくいっていた。途中、董卓軍が壊滅的な敗北を喫したという事実も、王允にとってはむしろ僥倖。張譲が連合に対応しようとすれば、それだけ洛陽の守備は薄くなるのだから。

 

 “もうすぐ計画は最終段階に入り、後は実行に移すだけ”――王允がそう思った矢先のことだった。

 李儒の口から今までの努力の全てを振り出しに戻してしまう言葉――遷都――が発せられたのは。

 

 一口にクーデターといっても、実行には綿密な調査、武力・資金源の確保、計画の秘匿など困難が多い。今回は袁術陣営からの協力が得られたからスムーズに進んだが、二度目のチャンスがある保障はどこにも無いのだ。

 故に王允は迅速に行動を起こす必要があった。

 

 張譲と李儒が天子を長安に連れていく前に。

 自分達を見限った袁術陣営から手を切られる前に。

 そして野心に燃えた反董卓連合の大軍が洛陽に到着する前に。

 

 早く、もっと速く。

 決行は可能な限り急ぐべし。

 事は可及的速やかに、為されなければならなかったのだ。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 官軍が反董卓連合軍を迎え撃つべく洛陽から出て行ったその日の夜、洛陽で王允を筆頭とした反宦官勢力が一斉に蜂起。都に流入する難民に紛れて密かに集められた兵士達は、同じく大量に運び込まれた武器を手に各所で反乱を起こし、瞬く間に洛陽中に広がってゆく。

 

 兵営や官公庁が真っ先に狙われ、次々に占領されていった。宮殿はもとより、洛陽市内の門や名士の住宅までもが封鎖された。裁判所や商館は言うに及ばず、牢獄、寺社などにも大勢の兵士が殺到した。

 洛陽の民衆はこの喧騒の中でただ怯えるしか無く、一部の野次馬を除いて家に逃げ帰り、嵐が過ぎ去るのを祈るばかりであった。

 

 反乱は以前から綿密に準備されており、張譲達にとって完全な奇襲となっていた。だが、さすがに張譲の方も皇帝の身柄はしっかり確保しており、王允らは皇帝の保護に失敗。やむを得ず、王允らクーデター派はより確保の容易な皇帝の兄、弘農王・劉弁を確保して新皇帝を擁立する方向へと計画を変更した。

 

 そもそも現皇帝は董卓によって強引に擁立された皇帝であり、もとの退位させられた劉弁こそが真の皇帝である、との見方をする人間も少なくは無い。王允らが劉弁を皇帝として擁立すると、事態はますます混乱し、洛陽は一夜にして完全に無法地帯と化したのだった。

 

 

 更に李儒・王允が共に“こちらの天子こそが正当な皇帝である。恐れ多くも陛下に盾突いた逆賊は、一人残らず厳罰に処す”との旨を発表したため、目先が利く者から洛陽を脱出していく人間が後を絶たなかった。両勢力による報復の連鎖を恐れたのは勿論、反董卓連合軍のこともあったからだ。

 

 

 名目上は「悪政を敷く董卓から、洛陽市民と皇帝陛下を解放する」というのが反董卓連合軍の結成動機となっているが、内状はもっと複雑である。

 自国の安全保障の為、名を挙げる為、民の為、皇室への忠義の為。様々な思惑が重なっているのだが、その中の一つに「皇帝を確保して権勢を得る」というものもあった。

 

 董卓軍――裏で操っているのは張譲だが――はもちろんのこと、半ば火事場泥棒的に漢王朝の実権を握ろうとした王允にも、各諸侯が嫉妬するのは目に見えていた。王允の方にも言い分はあるだろうが、結果だけを見れば董卓軍が健在な時には保身を優先し、その力が弱まった所で、彼一人が一番おいしい所を掠め取った感は否めない。最悪、反董卓連合軍が洛陽を蹂躙することもありうる。

 

 故に、行動するならば、急がねばならない。嵐が目に見える頃には、既に打つ手が無くなっているのだから。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 そして賈駆もまた、打つ手が無くなる前に、予定が大幅に狂った事態を打開しようとしていた。

 

(なんでまた……こんなことに……っ!)

 

 現状は完全に八方塞がりだ。戦力としての董卓軍は大幅に弱体化し、もはや張譲は自分達に価値を認めていない。まとめて始末されるのも時間の問題だ。

 張遼も、呂布も、陳宮でさえも、もうここにはいない。華雄が辛うじて帰還できたものの、彼女と二人で出来る事などたかが知れている。

 

 そして今、最後に残ったもう一つの希望さえもが――

 

 

 

「劉勲!!」

 

 

 ノックもせずに乱暴に部屋の扉を開けると、中には荷物をまとめている劉勲とその部下がいた。いつもは丁寧に手入れされている劉勲の髪は乱れ、寝巻きの上にそのまま雑に外套を羽織っている。

 部屋の中に物はほとんど残っておらず、誰がどう見ても洛陽から逃げ出す準備をしているようにしか見えない――賈駆や董卓を見捨てて。

 

 

「あら、誰かと思えば賈駆じゃない。今日はいい天気ね、気分はどう?」

 

「気分はどう?、じゃないわよ!」

 

「はいはい、とりあえず落ち着いて。あんまりカリカリしてると、お肌に悪いわよ?まだ若いからって、肌荒れとかシミとかむくみとか嘗めてると、後々苦労するって言うじゃない?」

 

「余計なお世話よ!」

 

 分かり易くとぼける劉勲に、思わず大声を挙げてしまう賈駆。劉勲はそんな彼女を宥めながらも、腕は休みなく荷物をまとめる作業を続けている。

 

 

「劉勲……これから一体どうするつもり?」

 

 部屋を出ようとする劉勲の退路を塞ぐように、賈駆は扉の前に立ちはだかる。

 逃がす訳にはいかない。ここで劉勲を逃がせば、口封じのため董卓と自分は確実に消される。

 

「うん?そりゃあ、見れば分かるでしょ。王允のバカが後先考えずに洛陽を戦場にしちゃうもんだから、巻き込まれないウチに安全なトコに行くつもり。」

 

「そうじゃなくて、契約を破棄にするつもりかって聞いてるのよ。月を助けるっていうボクとの約束、忘れた訳じゃないよね?」

 

「……ええ、ちゃんと覚えてるわよ。」

 

 はぁ、と呆れたように溜息をつき、心底迷惑そうな表情で劉勲は賈駆に視線を向けた。

 

「――ただし、こちらに協力の対価とし呂布を要求したはず。その呂布が捕虜になった以上、契約履行は不可能。反故も何も、契約そのものの前提条件が崩れたんだから、取引は中止よ。」

 

「で、でもっ!そっちの本当の目的はボク達と連合軍の争いを利用して、共倒れを狙うことでしょ!?」

 

 そう、今回の劉勲らの行動は、究極的には自領の安全が目的だ。「董卓軍の確保」も「連合への参加」も全ては「諸侯の勢力均衡」によって『安全保障』を実現するために他ならない。

 

「ボクだってその程度は解る!ボク達に氾水関の放棄を決意させた時点で、とっくに目的は半分以上果たされているはずよ!

 

 劉勲の最終的な目的がなんたるかは賈駆も見抜いていた。見抜いていたからこそ、賈駆は劉勲の提案に合意したのだ。お互い口には出さずとも、その事実は暗黙の了解として共有されていた――はず。

 

 

「……それは中々面白い(・ ・ ・)意見ね(・ ・ ・)。でも、今のところは所詮アナタの憶測(・ ・)に過ぎない。言っとくケド、アタシは自分からそんなコト一言も言っていないわよ?

 ……まぁ、アナタを信用させるために、若干思わせぶりな発言したり情報提供をしたのは認めるけどね。」

 

 あくまで劉勲はそれを匂わせただけ。ハッキリと明言もしていなければ、契約書に書いたわけでもない。直接的な証拠がない以上、それはあくまで賈駆の勘違い(・ ・ ・)に過ぎず、劉勲には何の責任も無い。であれば、劉勲は嘘を付いている事にはならない。

 世が世なら完全に悪徳商法で訴訟ものだが、現状で賈駆が頼れる人間は劉勲しかいない。怒りと悔しさ、己の力の無さに顔を歪ませ、必死に自分を押さえながら賈駆は声を上げた。

 

「ま、待って!まだ全員が捕えられた訳じゃない!華雄だっているし……自惚れる訳じゃないけど、ボクにだって利用価値は――」

 

 畳み掛ける賈駆を制止するように、腕を挙げた劉勲は面倒臭げに口を開く。

 

「そりゃアナタに価値がある事は認めるわよ?実際、アタシの予想以上に有能だったし。ただし――」

 

 そこで一旦咳払いをすると、劉勲は実に商人らしい結論を口にする。

 

 

「――董卓を匿い、反董卓連合軍全てを敵に回すような危険を冒してまで、アナタを得る価値は無い」

 

 

 状況が変わったのだ。賈駆達に協力する魅力はより薄れ、危険性はより増えたのだ、と。一方的にそう告げると、そのまま話は終わったとばかりに賈駆の横を通り抜けようとする。

 

 まずい、と思った賈駆はとっさに劉勲の細い腕を掴んだ。

 だが、そうした所で彼女を説得できるほど気の利いた言葉が見つかる訳でもない。とっさに口をついて出た言葉は、自分でも馬鹿馬鹿しくなるぐらい陳腐な八当たりにも近い言葉だった。

 

「……だから、少しでも状況が悪くなったら契約を一方的に破棄して、無様に古巣に逃げ帰るの?」

 

「挑発しても何も出ないわよ?つーか最初からアタシの言う通りに、氾水関を捨て駒にすりゃこんなコトにはならなかったワケだし。」

 

「……っ……!」

 

「身の程をわきまえず、何でもかんでも救おうとするから、しまいには手が足りなくなって大事なものさえ取りこぼすのよ。」

 

 

 ――人は海から一度に、自分の掌に収まる量の水しか掬えない。

 

 ――どれだけ努力して大量の砂を掴もうとも、そのほとんどは指の隙間から零れ落ちてゆく。

 

 「自分に何が出来るか」ではなく、「自分は何がしたいか」だけで行動すれば、必ずや取りこぼしが生じてしまう。

 

 

 

「それは……」

 

 賈駆はぐっと拳を握り締める。実際、劉勲の言う通りに氾水関を捨て駒にしていれば反董卓連合軍の並行追撃は防げたはずなのだ。しかし現実にはそうはならず結果的に、捨て駒にするよりも多くの損害を出してしまった。張遼も、呂布も、陳宮も、反董卓連合軍の先頭にいた馬騰軍に捕えられてしまった。

 

「だけど、あれは合意の上だった……。最終的には劉勲も納得したはずよ。」

 

「……まぁね。アタシとしては偽装退却が成功するなんてハナから思っちゃいなかったし。どうせ氾水関の守備隊は全滅するんだから、少しはアナタの好きにさせようと思っただけなんだけど――」

 

 そこで、劉勲は一度言葉を切った。基本的に八方美人に振舞っている彼女にしては珍しく、苦虫を噛み潰した様な表情。そこで始めて、賈駆は劉勲の様子がいつもとは違っている事に気づく。

 

 ――何か、おかしい。

 

 訝しむ賈駆の様子など気にした素振りすらも見せぬまま、思い出すのも腹立たしいと言わんばかりに――

 

 

「――またアイツ(・ ・ ・)にやられた。」

 

 

 その言葉を告げたその瞬間、賈駆は部屋の空気が震えたような錯覚を覚えた。

 部屋を焼き尽くすような激しい怒りと、それに劣らぬ凍り付いた怜悧な憎悪――そして、狂おしいまでの妬みと憧憬。

 今回の失敗とはまた別次元のモノに対する、剥き出しの感情。尋常ならざる激情が、劉勲を覆い尽くしている。

 そこでようやく、賈駆は先ほど感じた違和感の正体に気づく。

 

(あの劉勲が……自身を理性で抑えきれてない?……しかもこの感情……普通じゃない……)

 

 普段は飄々として掴みどころのない劉勲が、こうも露骨に感情を露わにしたのを見たのは初めてだった。賈駆にはその原因が何なのかは分からない。分かりたくも無い。が、その話題に安易に触れてはいけない、そんな雰囲気は十分に感じ取っていた。

 

 そのまま、数秒ほどたっただろうか。劉勲の体から徐々に威圧感が抜け、賈駆も圧迫感から解放される。

 

 

「ありゃりゃ、怖がらせちゃったかな?ゴメン、ゴメン。もうしないから許してよぉ」

 

 今度は一転して、いつもの人懐っこい笑顔を浮かべる。困ったように頬に手を当てながら、明るく言葉をかけてくる様子は、あれだけ殺気を放っていた人間のものとは思えぬほどだ。

 だが、彼女は間違いなく同一人物だ。可愛らしく猫を被っていても、その本性はうかがい知れない。

 

 

「で、どこまで話したっけ?えっとぉ……確か偽装退却のトコだね。」

 

 偽装退却の失敗によって連合軍は虎牢関を落とすことに成功。それに伴い、張譲らは長安への遷都を決意したが、焦った王允らクーデター派が急きょ武装蜂起することで、現在の洛陽の状態はリアル世紀末だ。

 

「……ったく、まさかこのタイミングで蜂起するとはねぇ?流石のお姉さんもビックリよ。」

 

 正直、王允の武装蜂起は劉勲にとって寝耳に水だった。王允に直接会ったことはないが、クーデターを起こすにあたっての根回し、手際の良さから彼はもう少し理性的な判断をすると考えていた。

 部下から王允が蜂起したという報告を聞いても、劉勲はすぐには信じられず“これは王允の命令じゃなくて部下の独断のはずよ。もう一度連絡をとって。”とまで発言している。

 

 事実、理性的に考えれば王允の行動はいささか軽率にもとれる。仮に天子を確保し、張譲との争いに勝利したとしても、嫉妬に狂った連合軍が攻撃してくる可能性がある。確実性が低い上に犯すリスクに見合わない、というのが劉勲の意見であった。

 まぁ、およそ皇室への忠誠心など持ち合わせていないであろう劉勲と、それを生きる目的としてる王允の価値観が合わないのは当然と言えば当然なのだが。

 

 

「とはいえ、過ぎた事をいつまで悔やんでいても時間の無駄だし。アナタには悪いと思ってるけど、この一連の展開は予想外の事が多すぎて、正直アタシもどうにも出来ないのよ、ね?だから――」

 

 一切の邪気を感じさせず。

 あくまで笑顔で語りかける。

 

 

「――解ったら手を、離してくれないかなぁ?ちょっと痛いんだけど。」

 

 

 もうお前と、話すことは何も無い。さっさとここから出ていけ、と。

 上辺だけの謝罪をした上で、遠まわしにそう伝える劉勲。

 

 彼女自身、己の予想の範疇を超えた事態に苛立ち、焦っていた。加えて彼女の立場や責任を考えれば、賈駆の事情など思いやっている暇がないのもまた事実。

 

 そもそも賈駆が前に言ったとおり、董卓軍が大敗を喫した時点で、劉勲らは最重要目的であった「諸侯の勢力均衡」を既に達成している。「董卓軍の軍事力の確保」というもう一つの目的は果たせなかったものの、十分に許容範囲内だ。ベストではないが、ベターな状態。であれば、この時点で劉勲にとって賈駆の価値は大幅に低下しているのだ。

 

 

 

 だが賈駆としては、この場で逃がす訳にはいかない。劉勲に逃げられる訳にはいかないのだ。

 

(……仕方ない……こうなったら……!)

 

 劉勲の言葉を無視すると、彼女を無理やり自分の方へ向き直らせた。そして最後の切り札として残しておいた、決定的な言葉を告げる。

 

「……つまり、取引が立ち消えになった以上――」

 

 劉勲が腕を振りほどこうと抵抗しているが、それも敢えて無視する。恨みがましそうに睨んでくる彼女に怯むことなく、正面から向き合う。

 

 

「――ボクにも契約内容を順守する必要は無いんだよね?」

 

 

 瞬間、劉勲の動きが止まった。

 無表情だったが、その脳は目まぐるしく回転しているに違いない。先の言葉の裏に隠された意味を考えているのが、賈駆には手に取るように分かった。

 やがて、一つの結論に達したのか、劉勲の目がゆっくりと見開かれる。それと比例するように、彼女の顔から徐々に血の気が引いていく。

 

「賈駆、ひょっとしてアナタ……まさか……」

 

 辛うじて平静を装っているが、声の中に震えが混じっているのを賈駆は聞き逃さなかった。賈駆は安堵の息を漏らしそうになるのを堪え、青い顔をしている劉勲に顔を近づける。ここからが交渉だ。

 

 

「劉勲の想像通りで間違いないと思う。……ここでボク達を見捨てて逃げたら、連合軍にこの裏取引を告発するわ」

 

     




 ここに来て賈駆の逆襲。
 一方の劉勲さんはと言えば、肝心な時には相変わらずのクオリティー。


 おまけ:作者によるテキト―な現状まとめ

 劉勲「わざと汜水関で負けて董卓を助けよう!」賈駆「えいえいおー!」
              ↓
 曹操&馬騰&公孫賛「汜水関なんてケチな事言わずに虎牢関までgo!」
              ↓
 張譲「連合強すぎワロタ。」李儒「引越し先は長安、キミに決めた!」
              ↓
     王允「逃がさんぞ、ル○ーン!」
              ↓
  劉勲「洛陽オワタ……。今すぐ逃げ…転進する!」
              ↓
     賈駆「逃がさんぞ、○パーン!」←今ココ

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