真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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 ついに主人公の初陣。実際に自分で部隊を指揮するのはこれが初めて。


13話:蒼天己死

                       

 討伐命令から一週間後、劉勲は黄巾軍を迎え撃つべく出陣していた。

 その兵力は5万5千人であり、南陽群の郡都・宛城の東に兵士を整列させた。そこは前方に河が流れており、宛城を目指すならば、必ず渡河しなければならない。

 

 

「敵の兵力は報告通り、およそ8万人ほどでこちらに向かって来ます。兵士の配置は8割が完了しています。」

 

「ちょっと遅くなぁい?予定じゃ半日前に終わってるはずだし。……ったく、ちゃんと金払ってんだからさぁ、給料分の働きぐらいしてって話よ。」

 

 天幕の中、報告を告げる軍師に対して、劉勲は頬を膨らませながらブ―ブ―文句を言っている。

 

「で、ですが急な変更でなにかとゴタゴタしておりまして……」

 

「あーもう、なんかイラつく!女の子待たせるとか、どんだけ気が利かないのよ!」

 

「………」

 

「何よ?その“お前そんな歳じゃねーだろ”みたいな目は!?アタシまだ20代前半よ!」

 

「いや、20過ぎたらとっくに……………いえ、やっぱり何でもありません。」

 

 自称:女の子(笑)はどーでもいいとして、劉勲が不機嫌なのにはもう一つ原因がある。

 この戦いに際して劉勲は、袁術から傭兵を雇う許可と資金をもらっていた。その金で傭兵を雇うまでは良かったのだが、別の問題が発生した。

 

  南陽群のすぐ隣にある豫州・潁川にて波才率いる黄巾軍と朱儁率いる官軍が激突し、官軍が敗走したのだ。

傭兵の大部分は職を持たない難民だっために、傭兵部隊の半数を占める豫州出身の兵の大部分が脱走したのだ。誰だって実家や故郷が襲われるかも知れない時に、出稼ぎ労働など律儀にやっていられない。

 

 しかも荊州介入の失敗と粛清によって袁家では軍縮ムードが漂っており、人材不足が著しい。士官不足と粛清の混乱によって規律が維持できず、脱走兵のほとんどに逃げられてしまうという大失態を犯したのだ。

 戦力がごっそり抜けたおかげで、当初の予定を変更せざるを得ず、それが更に混乱を拡大するという悪循環を引き起こしていた。

 

 

(純軍事的には、一度後退して防御の堅い宛城に立て籠もるべきなんだけど……)

 

 宛城全体が南陽城という城に囲まれており、その防御能力は非常に高い。籠城すれば勝算は十分にある。

 

 だが、政治的にそんな愚行は許されなかった。

 既に権力闘争によって軍の作戦行動に支障をきたしているのみならず、雇った傭兵に給料まで持ち逃げされているのだ。その上、護るべき民を見捨て退却し、本拠地を『たかが農民上がりの反乱軍』に包囲されれば袁家の評判はガタ落ちどころでは無い。当然、責任者である劉勲のクビも飛ぶ。

 

(脱走を甘く見ていたのが間違いだったわ。それさえなきゃ、今頃もっと快適で文化的な生活を送れたっていうのに……やっぱ政治将校か督戦隊でも配備すべきだったかしら?)

 

 多少なりとも兵士の忠誠心に期待していた過去の自分に後悔するも、既に手遅れだ。現場を信用できない以上、自分が現地に赴いて監督するしかない。書記長という肩書きを持ちながら、劉勲が前線に出てきた理由はそこにあった。

 

 

 

「……とにかく、まずは目の前の黄巾軍を何とかしなきゃいけないわね。」

 

 作戦図を見やり、思考を切り替える。

 

「敵の主力はたぶん、アタシ達の武器を鹵獲した部隊でしょうね。相次ぐ敗戦で、かなりの武器や鎧が奪われているから、十分気をつけてね。いい?ここを突破されれば宛城全体が戦場になる。それはなんとしても防がなければならないの。」

 

 この戦いの重要性を、各指揮官たちに告げる劉勲。その表情は、一様に優れない。

 

「……でも逆にいえば、突破されなければアタシ達の勝ちよ。そのための作戦を今から説明するわ。」

 

 真剣な表情で会議室を一瞥し、全員が自分の意見に耳を傾けているのを聞くと、劉勲は詳細の説明を始めた。

 

「基本的な戦術目標は2つ。まず正面(・ ・)から来る敵の衝撃力を、いかに封殺するか。第2に、衝撃力を削がれた敵に対し、いかに反撃するか。基本的には、防御を主体に作戦計画を立てた方がいいみたいね。」

 

 陣形としては中央には槍兵を置き、前衛には弩兵部隊を配置。続いて両翼に長弓部隊を展開させ、更にその後方に騎兵部隊を展開させている。

 

「まず、両翼の弓兵は敵が射程に入り次第、射撃を開始。ただし、敵軍の中央には攻撃せず、側面に集中すること。」

 

 側面が攻撃にさらされているのも関わらず、中央が全く攻撃を受けなかった場合、側面にいる兵士はどうするだろうか?当然、安全な中央寄りに移動し始める。劉勲の狙いは敵軍を中央に集めることで、敵の戦線を縮小して数的優位性を発揮させないことだった。

 

「ですが、それだと中央の負担が大きくなります。敵の主力が最前列に配備されていた場合、突破される危険があります。」

 

 軍師の一人が懸念を口にする。しかし、劉勲はそれを予期していたように、淀みなく答える。

 

「だから、前衛には弩兵を配置するの。敵が河を渡り終わったら、弩兵は槍兵の隊列の隙間に入って槍兵が前進。そのまま敵部隊を足止めしている間、弓兵は作戦を変更。今度は満遍なく矢の雨を振らせてちょうだい。」

 

 

 弩の威力は凄まじく、堅牢な鎧ですら貫通する。その威力でもって、黄巾軍の主力が集中することが予想される正面部隊の衝撃力を低下させるのだ。

 しかしながら、弩は装填に時間がかるという弱点を抱えていた。ゆえに無防備となる装填中は槍兵に守ってもらおうという訳である。更に槍兵が密集隊形を組めば、大抵の敵はそれに突っ込むことを躊躇う。元々農民出身者で構成された黄巾軍相手には有効なはずだ。

 

「……といっても、完全に封じることはできないでしょうケド。それでも黄巾軍の先陣の動きは急に鈍るから、前に進もうとする後続の部隊とぶつかるはず。」

 

 中央の部隊はあくまで足止めに過ぎない。本命は両翼の弓部隊の方だ。

 黄巾軍は数こそ多いものの、鎧などはほとんど装備しておらず、総じて装備が貧弱だ。ゆえに乱戦になれば数的に袁術軍が不利だが、遠距離射撃に徹していれば防御力の差が明確に現れる。乱戦に持ち込まれることさえ防げば、弓兵と防具等装備に勝る袁術軍の勝利は明白だった。

 

 しかも、弓兵による両翼から射撃により、黄巾軍の側面部隊が中央に寄らざる得ないだろう。結果、部隊全体が押し出される形となり、混乱が生じる事は容易に想像できた。

 数的優位を失い、統制のとれなくなった敵など烏合の衆も同然。中央の槍兵部隊で足止めしている間に、両翼の長弓兵が満遍なく矢の雨を降らせれば、黄巾軍は文字通り混沌と化すだろう。

 同時に騎兵部隊が機動力を削がれた敵の背後に回り込むことで、黄巾党の退路を遮断。後は両翼から徐々に包囲していくだけでチェックメイトとなる。

 戦場における最も美しい戦術の一つ、両翼包囲の完成だ。

 

 

 巧みな部隊配置に、緻密で完璧な作戦。

 

 そう、計画は完璧だった。

 

 だが、現実はどこまでも非情だった。

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

「左翼部隊より、司令本部!被害多数、後退許可を!」

 

「敵が多すぎる、兵も矢も足りない!大至急、増援を請う!」

 

「左翼への増援部隊から報告!もう限界だ、これ以上は敵を押さえられない!」

 

「援護部隊はまだなのかッ!?このままじゃ皆殺しにされちまう!」

 

 

 次々届けられる凶報に、劉勲の顔が青ざめていく。

 

「……そんな、なんで……なんでなのよぉおおお!」

 

 戦場に響く劉勲の絶叫。劉勲は自身の作戦に絶対の自信を持っていた。

 

「こんな……こんなはずじゃない!アタシの想像した戦いは、こんなモノじゃない!」

 

 正面(・ ・)から来るであろう黄巾軍を一網打尽に出来る完璧な戦術。なのに――

 

 

 

「――どうしてアイツら迂回出来たのよぉおおおっ!」

 

 

 黄巾軍は側面(・ ・)から攻撃を仕掛けてきたのだ。

 

 

 ――話を遡ること一日前、黄巾軍の偵察隊は前方に対して正面攻撃を仕掛けると、自軍に大きな損害をもたらすことを発見。これを聞いた張曼成はすぐさま部隊を二つに分けることにした。結果、1万5千の黄巾軍が大きく迂回し、袁術軍左翼のすぐ後方の斜面の茂みから現れたのだった。

 

「こんなのウソよ……昨日までアイツら全軍で固まっていたはずじゃない!」

 

 だが黄巾軍が迂回しようとすれば、当然袁術軍も動く。それを防ぐには袁術軍を拘束し続けるか、気づかれないように回り込むかの2択しかない。

 しかし、現実に敵は気付かれることなく迂回を成功させている。通常ならば、ありえない事態だ。劉勲の叫びは、袁術軍指揮官のほとんどが抱いているものだった。

 

 

 

 ――結論から言うと、黄巾軍は夜中ぶっ通しの強行軍を行い、袁術軍警戒網の遥か遠くから回り込んで来たのだ。

 

 当然、劉勲とて警戒しなかった訳ではない。夜襲の恐れもある。広範囲にわたって抜かりなく警備網を敷いていたはず。

 

「どう考えたって、アレ以上は距離的にムリよ!そんな遠くから迂回したら今日に間に合わないはず……!」

 

 劉勲の考えはあながち間違いとは言えない。あまりに遠くから迂回すれば警備網には引っかからないが、時間内に間に合わなくなってしまう。迂回が終わる前に太陽が昇ってしまえば、正面の黄巾軍の一部が減ったことが袁術軍にも分かるはずだ。

 もちろん、警戒しすぎて困るという事は無い。だが、あまり警戒網を広げすぎて兵力の分散を招いてしまえば本末転倒だというのも事実。傭兵の一部が脱走したこともあって兵力が不足気味だった劉勲は、必要ギリギリのラインを見極めて最大限効率よく配置した――はずだった。

 

 

「早く増援を!我に余力なし!」

 

「くそぉッ!こんな農民上がりの連中にィッ!」

 

「誰か矢をよこしてくれ!は、早くっ!」

 

 

 だが、現に目の前の黄巾軍は迂回して袁術軍左翼に奇襲をかけている。袁術軍の警戒網に引っ掛かることなく大迂回を成功させている。それは紛れも無い、現実。

 

 しかし劉勲には失念していた事が一つあった。

 

 

 ――本来、黄巾軍には『鎧が無い』のだ。

 

 完全武装の兵士は鎧の重量だけで20kgはあるという。劉勲はそれを計算に入れて警備網を設定していたために、黄巾軍の機動力を実際よりも低く見積もってしまった。もちろん、鎧を装備しなければ防御力は低下する。ゆえに劉勲はせっかく鹵獲した鎧を、黄巾軍がわざわざ放棄するとは思わなかったのだ。

 しかしながら、黄巾軍迂回部隊は機動力を生かして素早く移動。弓兵と乱戦に持ち込むことで、接近戦の苦手な弓兵を圧倒していたのだった。

 

 

 「今が好機であるッ!全軍前進!」

 

 黄巾軍迂回部隊と袁術軍左翼が交戦を始めるのを見ると、黄巾軍司令官の張曼成は主力を率いて正面突撃した 。

 

 対して、袁術軍の中央部隊は激しく抵抗。一旦は黄巾軍主力部隊を撃退したものの、黄巾軍迂回部隊は瞬く間には袁術軍左翼を撃退し、弓兵を敗走させてしまった。これにより劉勲は中央部隊の一部を左翼に回さざるを得ず、結果として正面に対する防御力の低下を招いてしまった。張曼成はこの機会を見逃さず、正面から再度突撃をかける。

 

 

「黄巾軍、再び前進を開始しましたっ!渡河終了まであと僅かです!」

 

「……ッ!一発撃ったら弩兵を後退させて、代わりに槍兵を前に!なんとしても隊列を維持しなさい!」

 

 劉勲はほとんど悲鳴に近い声をあげて、必死に部隊を維持しようとする。既に接近された以上、防御に長けた槍兵部隊で抑えこむしかない。陣形の乱れた弩兵は後方で再編成する予定だが、問題は槍兵部隊がどれだけ持ち堪えられるか。

 

 

「……っ!騎兵を下馬させて、重装歩兵として増援に回しなさい!このままじゃ突破されるわ!」

 

「騎兵に下馬戦闘を!?ですが、それは……!」

 

 騎兵とは本来、その機動力を生かした運動戦が本分である。下馬して戦闘させれば、その利点をわざわざ自分から捨て去るようなものだ。

 

「仕方ないじゃない!乱戦になった以上、攻撃一辺倒の騎兵を有効活用するには下馬させるしかないわよ!」

 

 どうしても臆病な生物である馬に乗る関係上、騎兵は防御に向かないとされる。

 そのうえ図体も大きく、遮蔽物に隠れる事も出来ない。馬の方向転換に時間がかかり、乱戦では器用に立ち回れないのだ。

 

「で、ですが!見ての通り、前線部隊と事前調整を行わなければ、却って混乱を増大させるだけです!命令の撤回を!」

 

「……なら、中央の後衛に回しなさい!槍部隊が敗走したら、次の楯になってもらうわ。」

 

「それでは単なる戦力の逐次投入にしかなりません!予備を無為に投入し続けるだけでは各個に撃破され、被害が増える一方です!」

 

「じゃあ、どうしろっていうの!?何か名案でも?」

 

 半ばヤケクソになりながら喚く劉勲に、本部付きの参謀が意見を口にする。

 

「戦闘によって黄巾軍の陣形にも、いくつかの穴が生じています。騎兵隊を迂回させて機動防御を行えば――」

 

 

「――脱走兵の名簿に、騎兵隊全員の名が加わるわね。」

 

 

 最悪の状態を想定した劉勲の言葉に、思わず言葉に詰まる作戦参謀。つい最近も反乱やら脱走兵騒ぎがあったばかり。臆病風に吹かれた騎兵隊が、既に()()()()()()()戦いから逃げ出す――あり得ない話では無かった。

 

「いい?すぐ自由に動かせる予備部隊は、騎兵隊の連中しかいないの!何としても黄巾軍の進撃を遅滞させ――!」

 

 増援投入によって戦線の立て直しを図ろうとする劉勲。だが、そんな彼女の努力を嘲笑うかのように、残酷な現実が付き付けられる。

 

 

 

「中央部隊より報告します!敵部隊の一部が防衛線を突破しました!」

 

「こちら前衛弩兵部隊!突破した黄巾軍から背後を攻撃されている!何とかしてくれェッ!」

 

「槍部隊より報告!黄巾軍の猛攻により、戦列が崩壊!これ以上の戦線維持は困難と思われます!」

 

「クソッ、隊長が負傷した!左翼は維持できないぞ!」

 

 

 

「なっ……!」

 

 早い。早過ぎる。劉勲を始め、その場にいた指揮官たちが驚愕する。

 

「……ちょ、ちょっといくらなんでも早すぎるでしょ!正面の部隊は何やってんのよ!せめて時間稼ぎぐらいできないワケ!?」

 

 逆ギレした劉勲は思わず、近くにいた参謀に八つ当たりしてしまう。

 

「で、ですが……すでに敵はもう、すぐそこまで……」

 

 見れば、すでに本陣からも見える距離まで黄巾軍が来ていた。

 

 

 

「邪魔だ!さっさと退かないか!こっちには後退許可が出ているんだぞ!?」

 

「いいから押すな!隊列が乱れるだろッ!」

 

「お願いだ、撃つな!まだ退却してない味方がいるんだ!頼むから待ってくれぇッ!」

 

 戦場では珍しくも無い、ありふれた、兵士の悲鳴が各所で聞こえる。

 

 

「……こんなの、ありえないッ!アタシの考えは、何も間違ってなんかいないはず……!」

 

 弓兵と槍兵、弩兵と騎兵を組み合わせてそれぞれの特徴を生かし、弱点を補うという劉勲の戦術そのものは、決して間違いとは言えなかった。むしろそれ自体は非常に先進的とも言える。

 だが、複雑な諸兵科の組み合わせには各部隊の完全な協調が求められ、実際の運用には障害となる問題が多い。

 

 そう。今回の場合、退却しようとする弩兵と、前に出ようとする槍部隊の間の連携がうまくいかず、袁術軍は大混乱を引き起こしていたのだ。しかも、そうこうしている内に黄巾軍が到着。

 隊列の乱れた槍部隊は密集隊形を組むこともできずに、懐に潜り込まれて次々に討ち取られてゆく。更に劉勲の命令によって弓部隊には「矢の雨を降らせよ」、つまり弾幕射撃による面制圧命令が出されていた。だが乱戦状態になってしまえば狙いを定めることもできず、味方への誤射が頻発。もはや誰が敵か味方かも分からず、闇雲に戦っているのが現状だった。

 

 

 

 異なる兵科を自在に組み合わせて有機的に連携させ、戦場を縦横無尽に支配し敵を翻弄する――それは名将の条件であり、あらゆる軍師の夢であろう。羨望の的であろう。

 されど、それを実行に移せる錬度、数、装備、士気、指揮官、補給線を兼ね備えた軍隊は、悲しいぐらい少ない。

 

 戦場は生き物――この有名な言葉の通り、どんなに優れた指導者が指揮しようと、兵士が命令通りに動けるかどうかは殆ど運なのだ。ましてや書物でしか戦争を知らないアマチュアが初陣の指揮をした所で、思い通りに兵士が動くはずが無い。

 

 

 たった、それだけの話。今回の敗北も、その一例というだけ。戦場ではよくある、ありふれた失敗談の一つに過ぎない。記録書には「不様な敗北」と記され、後世の歴史家の嘲笑の種が一つ増える程度のものだ。

 

 全てが終わってみれば、分かり切った事だ。もともと袁家の将兵の質が残念な上、粛清によって熟練指揮官までが不足していた。傭兵の集団脱走の件もある。数で劣る上に士気も錬度も低く、指揮官不足がそれに拍車をかけていた。ゆえに弩兵と槍兵が移動した途端に混乱が生じてしまい、最悪のタイミングで黄巾軍に突撃されたのだ。

 

 

「なんとしても死守しろ!これは命令だ!」

 

「逃げるな!持ち場に戻って戦え!」

 

「おい!分かっているのか、脱走兵は即刻死刑だぞ!」

 

 戦列は崩壊し、袁術軍兵士は逃走を始めている。士官が必至に止めようとしているものの、なにせ脱走兵の数が多い。加えて袁術軍は大混乱に陥っており、兵士たちの怒声と罵声によって、士官の声はほとんど届いていなかった。中には、士官が率先して逃げだす部隊すらあった。

 

 

 もちろん、孤立した状態で善戦する部隊も少なくは無かったが、それはあくまで個々の戦闘でしかない。劉勲の命令で投入された下馬騎兵部隊などは、確かに一時的に敵の攻撃を押しとどめた。元が騎兵ということもあって装備は充実。錬度も充分なレベルだったが、そんな彼らですらも黄巾軍の突撃の前に刻一刻と戦力をすり減らしてゆく。しょせん戦闘で戦術は覆せないのだ。

 

 

 

 ゆえに味方の損害が徒に増えていく様子を、劉勲は奥歯を噛みながら、ただ見守ることしかできなかった。

 なんとか戦線を立て直そうと、子飼いの指揮官達も奮戦しているが、何せ実戦経験が足らない。彼らとて無能ではないが、劉勲の台頭と共に出世した若手が殆ど。百聞は一見にしかず、という言葉の通り、実戦となれば長年袁術軍を支えてきたベテラン指揮官には及ばないのだ。

 

 

「……退却よ。残存部隊はこのまま、健在な右翼部隊と共に後退する!」

 

「しかし、それでは左翼部隊と正面の兵が……」

 

 別の軍師の一人が、躊躇いがちに劉勲に声をかける。何の支援も無しに退却すれば、健在な部隊は無事に撤退できるが、敵と交戦中の部隊は大損害を被る。

 

「じゃあ、アナタは勝手に残れば?別に止めはしないよ。」

 

 冷めた目で軍師にそう告げると、劉勲はさっさと逃げ出した。

 その軍師はしばらく動かなかったが、ややあって劉勲に続いた。前線の兵士には悪いが、やはり自分の命には変えられない。

 

 

 

 

 

 ――こうして、南陽における黄巾軍との戦いは、袁術軍の一方的な敗北で終わった。

 かろうじて抗戦を続けていた劉勲率いる本隊と、右翼部隊が味方を見捨てて逃走を始めた事により、袁術軍は全面敗走へと至ったのである。この敗走により、宛城の命運も風前の灯火かと思われた。

 

 

 しかし不思議な事に、張曼成率いる黄巾軍は突如として進撃を停止した。宛城を目前にして謎の退却を始めたのだ。

 

 このあまりにも不可解な行動に、後世の歴史家の間ではその後も様々な憶測が漂う事となる。

 一説によれば、黄巾軍の兵站が限界に来ていた事とされ、別の説では黄巾軍内部の不和によるものともされている。また、実際には先の戦いの結果は引き分け程度であり、劉勲の政敵が彼女の評判を落とすために、わざと被害を多く見積もったという話もある。

 

 

 

 されど、後世のある歴史家の一人が、ついにその謎を解明することに成功した。きっかけは、当時の袁家の財務会計報告書の発見だった。

 

「おい。……この月だけ、やけに『用途不明の 交際費 (・ ・ ・)』が多くないか?」

 

「「「……。」」」

 

 歴史は語る。地獄の沙汰も金次第。それはいつの時代も変わらぬ一つの真理なり。 

 

 

いずれにせよ、これにより劉勲は軍を再編する貴重な時間を得て、南陽における黄巾の乱は第2段階へと移行してゆく。

    




 やっぱ負けました。
 序盤に出てくる敵って、なぜか側面の警戒緩いですよね。ついでに反応が鈍い、というのも袁術軍に反映させてみた。

 あと諸兵科連合とか統合作戦ってカッコイイですけど、実際には組み合わせや同調、部隊間の連携&情報伝達が難しい上にコストがかかる(兵科ごとの訓練や装備の不統一など)ので、歴史上だと失敗例もかなりあります。

 ちなみに最後のワイロ戦術は、戦争で異民族に勝てない時の、古代から続く常套手段です。黄巾軍も結局は一揆みたいなもんだから金ばらまけば一時的には収まる……はず。

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