真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜 作:ヨシフおじさん
夜明け前の長江に咆哮が轟く。次いで軍馬の嘶き。二つの軍勢が唸りを上げて激突する。大河を渡ろうとする孫家の軍勢を、袁術軍が攻撃する。高名な武将であっても困難とされる退却戦であるが、精兵揃いの孫策軍だけあって終始袁術軍を圧倒しているのは流石と言えよう。
「これ以上は持ちません! 最悪、逃げ遅れます――」
呂蒙の言葉に孫権は頷く。どちらの顔色にも疲労が強く表れており、それが彼女たちの置かれた状況を物語っていた。袁術軍は膨大な資金力にものを言わせて次から次へと傭兵やら武装した流民やらをぶつけており、これといった戦果こそ上がらなかったが確実に疲労という名の傷を孫家に負わせていた。
「冥林たちは!?」
孫権の問いに、呂蒙は首を横に振る。
闇夜に紛れて退却するつもりであったが、どこからから情報が漏れていたようだ。袁術軍の奇襲を受け、暗闇の中でかれこれ数時間が経過している。自分の部隊ですら安否が確認できないのに、ましてや他の部隊のことなど知る由もなかった。
「ですが、あの方が後れを取るとは思えません。それより、今はご自分の身を案じた方がよろしいかと」
「そうだったな。できれば全員、江南へ返してやりたかったが……」
孫権が無念そうに呟いた時だった。
前方からどよめきと馬の嘶きが沸き起こったかと思うと、袁術軍と戦っている最前列が崩れた。
「どうした!?」
呂蒙が鋭く叫ぶと、傷ついた斥候が慌てて駆け寄る。嫌な予感がした。
「前方に敵の増援!旗印は曹操のものです!」
「……ッ!」
呂蒙は思わず舌打ちした。孫権と互いを見あわせ、顔色を変える。
袁術軍の弱点は、突破力に欠けることだ。歩兵主体で数は多いから陣地戦には強くても、ここ一番の爆発力には欠ける。だが、これに強力な重騎兵を持つ曹操軍が加わったとなると……。
「―――孫権さま!」
今度は長江を見張っていた兵が声を張り上げる。
「西の方から……船が見えます!」
「旗は!?」
「り、劉表軍です!」
「なっ………」
劉表軍現る―――その報せは湖面の波紋のように瞬く間に広まった。
「……こちらの味方でしょうか?」
「もしそうだったとしたら、母上の一件を不問にすることもやぶさかではないのだがな」
呂蒙が反応に困る皮肉を言っておいて、孫権はその可能性を微塵も信じてはいなかった。あの日和見主義の劉表のことだ。この状況で落ち目の勢力につくはずがない。
一目散に逃げようにも、もはや手遅れだった。
荊州水軍は現状において中華最大最強の水軍だ。何よりその首領である黄祖といえば、先代当主・孫堅を討ち取るほどの猛将である。誰もが恐怖で顔を引きつらせ、身動きが取れない。
(海と陸の両方から挟まれた……完敗だ)
孫権が思わず天を仰ぐと同時に、荊州水軍から一斉に雄叫びが上がった―――。
◇
中華全土が腰を抜かした、袁術陣営と曹操陣営の結託から二か月後――。
昨秋から中華の耳目を集めていた内乱が、まさかこの様な形で終わりを遂げようとは、これを画策した本人達を除いて誰もが思わなかったに違いない。
結果からいえば、袁術・曹操連合軍の完勝であった。
曹操の援軍を得て南陽の支配権を取り戻した袁術は、さっそく反乱の早期鎮圧に向けて露骨な買収を始める。
都市部での暴動を鎮静化させるべく、商人から米や小麦をことごとく買い上げて民衆にタダ同然で配ったのだ。中には贅沢品であった蜂蜜まであり、袁術みずから蜂蜜を子供や老人に配る様子は、南陽の民を大いに感動させた。
「おお、袁術さまが蜂蜜を配っておられる……!」
「しかもメチャクチャ安いじゃねーか!」
「誰だよ袁家が敵とか言った奴。ぜんぶ嘘っぱちだったんだ!」
南陽での大盤振る舞いはすぐに噂になり、大勢の民が袁家のバラまく食糧を求めて列をなすようになる。劉勲ほか袁術陣営首脳部はバラマキ政策の効果を実感し、すぐさま江東中に「袁術に従えば食糧を与える」とのお触書を知らせるように指示した。
「餌で暴徒を釣るんだ!金でも酒でもなんでもくれてやれ!そうすれば多少は大人しくなる!早く孫家との連携を引き裂け!」
「それより食糧だ。兵士と民衆の飢餓を防ぐぞ。言い値でいいから急いで曹操と劉表から買い付けるんだ!金が足りなきゃ借金でも売官でもして資金を調達しろ!」
「名士や豪族への根回しも忘れるな!関係者への説得と買収工作だ!孫家が対抗策をうってくる前に江東を取り戻すぞ!!」
豫洲、そして揚州の民衆は、その大部分がこの買収に応じた。袁家に対する不満はあるが、だからといって孫家に尽くすほどの義理はない。抗議や暴動はあくまで秘密警察の過剰な取り締まりや長引く戦争疲れからであって、日々の食糧が保障されてそれぞれの生活を侵されない限り、誰が支配者を名乗ろうと構わない……それが民衆の本音であった。
諸侯たちもまた、圧力から懐柔への大きく交渉の舵を切った袁家へ祝辞と賛辞を惜しまなかった。無論、彼らの自治や地方における特権を認める限りにおいては、の話ではあったが、逆に言えばそれに触れぬ限り態度を豹変させる事はない。
反乱にあたってスピードを重視した孫家は、それゆえ支配を徹底させることが出来なかった。曹操が目指したような中央集権化を諦め、昔ながら封建的な豪族連立政権で止む無しとしたのである。
こうなると豪族の側も仰ぐべき旗を袁家から孫家に変えるだけなので大した抵抗も起こらないのだが、逆に孫家から袁家に旗を戻すときにも大した抵抗は起こらない。北郷の時代における遊戯であるオセロのように、実にダイナミックに盤上の色がひっくり返ったのである。
かくして劉勲らの筋書通り、内乱は終結したのだった。袁家は再び南陽郡と揚州を支配し、江東の支配者として返り咲いたのである。
もはや江東で曹操・袁術の連合軍に抵抗する勢力は、徐州の劉備のみとなっていた……。
***
現在、徐州は再び袁術の大軍によって埋め尽くされようとしていた。江東から孫家を駆逐した袁家はその大部隊を北上させ、その魔の手はついに徐州の首都・彭城をも覆い尽くさんとしている。
これに加えて東からは曹操の軍勢が加わっており、ギリギリのところで均衡を保っていたパワーバランスは完全に崩壊してしまった。現状は誰が見ても覆しようのない、絶望的なまでの兵力差が存在している。
「そもそも正確には、一度だって互角に戦えたことはありませんでした……」
鳳統は城壁の上から、地平を埋め尽くす袁術軍を眺めながら疲れたように呟く。
かつて『彭城の奇跡』と呼ばれた、劉備の必死の説得によって袁術軍が戦わずして瓦解した事件があった。だが、奇跡は何度も起こらないからこその奇跡であって、いま同じように劉備が説得を試みても目の前の袁術軍は戦を放棄したりしないだろう。
孫家が反乱を起こしている間は、曲がりなりにも独立を維持できていた。それは劉備の平和主義に袁術軍が恐れをなしたというより、単に孫家ほど脅威ではないと放っておかれただけだ。
しかし孫家亡き今、決して埋められぬ戦力差が目の前に突き付けられる。辛うじて彭城がまだ落ちていない事で劉備軍の士気は維持されているが、それも単なる時間稼ぎに過ぎない。
鳳統は徐州にいる全ての軍をここ、彭城に集結させた。その結果、袁術軍は被害の大きい攻城戦を避けて、先に徐州の平定に乗り出しているのだ。つまり劉備軍はひたすら城にたてこもって籠城するしか選択肢が無いのに対し、袁術には彭城を包囲しながらも他の地域に占領地を広げる余裕があった。
そして刈り取るべき領土が無くなった時、袁術軍は総仕上げとして彭城に情け容赦のない攻撃を仕掛けてくるだろう……そうした鳳統の悲観主義は袁術の思わぬ申し出によって覆されることになる。
「妾は別にかまわぬぞ?」
「…………はい?」
思わず間抜けな声が出てしまう。あわてて口を手で塞いだ鳳統の目の前には、きょとんと首をかしげている袁術の姿があった。
「だから、妾は別に劉備が州牧のままでも構わぬと言ったのじゃ」
今度こそ、開いた口が塞がらなかった。鳳統だけではない。関羽も張飛も一様に唖然としている。
「だからですね~、美羽様は全て許すとおっしゃったんですよ~。そんな事も分からないんですかぁ? 伏龍とかいう御大層な仇名が付いてても、案外たいした事なかったりするんですね~」
なぜ袁家の偉い人間はいちいち人を煽らずにはいられないのだろうか。張勲の特に理由のない嫌味にカチンとしつつ、何かの罠ではないかと勘ぐる。
「いや多分、安心させといて背後からブスリみたいな心配してるなら杞憂だと思いますよ~。劉勲さんならともかくお嬢様はそんなに陰険でないですし、やるならこの場で正面からブスリといっちゃってますから」
それもそうか、と関羽あたりは納得したらしく矛を下した。確かに袁術ならそんな回りくどい手は好まないだろう。というより、そんな頭脳はない。
だが、そもそもの理由が分からない。裏切りの罪は重いのが常識だ。それを何のペナルティもなく無罪放免というのは、いささか旨い話過ぎるのではないだろうか。
「袁術さん……!」
後ろでは感激した劉備が涙目になっているが、あいにくと鳳統はそこまで楽観的ではない。ついで言えば感極まった劉備が袁術に抱き着こうとするのを、張飛に頼んで取り押さえて引き離すぐらいには袁術陣営を信用していなかった。
なにせ状況は圧倒的に袁術が有利なのだ。劉備を無罪放免にする理由が分からない。
「――――それには私が答えるわ」
不意に背中から声を掛けられた鳳統は、その声の主を見て驚いた。分厚い兵士の壁を分けるようにしてやってきたのは、覇王・曹孟徳その人だった。
こちらが本命か。確かに同盟を結んでいる以上、袁術の独断ではなく曹操の意向がはたらいているとみる方が自然であった。鳳統は慌てて曹操に向き直る。
「じょ、丞相閣下……ご機嫌うるわしゅう」
あからさまに他人行儀で警戒する鳳統だったが、曹操が気にする様子は無かった。体の前で腕組みをし、右手を顎に添えて劉備陣営の一人一人を、頭から爪先まで値踏みするかのごとく舐めるように見ている。
「ふふっ、洛陽で董卓を討った時より凛々しい顔つきになったわね。身体つきも少し鍛えのかしら?」
これが脂ぎった中高年男性であれば単なるセクハラなのだが、同じことを美少女がするだけでこうも妖しい雰囲気になるものである。ましてや真意を計りかねて警戒していたところへ不意打ちで、思わず顔を赤らめてしまう劉備たち。
しかし、そんな気持ちはすぐに吹き飛ぶ事になった。
「関羽、貴女は私の下へ来なさい」
「……なっ!?」
関羽の口から驚愕の声がこぼれた。何を言われたのか分からず、ポカンとした顔をしてしまう。曹操の後ろに控える夏侯惇も寝耳に水だったらしく、驚いた表情を見せている。唯一、劉勲だけがニヤニヤとした笑みを浮かべていた。
「聞こえなかったのかしら? 私の下に来る様に言ったのよ。貴方のその力、我が覇道のために振るわれるべきだわ」
自信たっぷりに微笑を浮かべたまま、曹操は関羽を真っ直ぐに見つめた。関羽がこの断る事はあるまい、と確信している者の表情だった。
しかし関羽に首を縦に振るつもりは無い。
「申し訳ないが……」
「貴方の武は聞いているわ。袁術に対して反乱を起こした時、1000人の袁術軍を単騎で追い払ったそうね。それほどの力は、我が下にあって最大限に活かす事が出来る。違うかしら?」
関羽はかぶりを振った。そういう理由ではない。
確かに武人として己の武がどこまで届くのか試してみたい、という好奇心はある。しかし劉備を裏切るつもりは毛頭なかった。
「我が主はとうに劉玄徳殿と決めている。何と言われようと、この命が尽きるまで忠義を尽くすつもりだ」
「貴様、華琳様の誘いを断るつもりか!」
「春蘭!」
関羽に食掛かろうとする夏侯惇を、曹操が語気を荒げて一喝した。
「別に劉備を裏切れと言っている訳ではないわ。しばらく客将として私のところで武を磨いてみる、というのはどうかと言っているの。その間、徐州の安全は私が保障するわ」
曹操が徐州の安全を保障する、ということは袁術もまた劉備の徐州統治を認めるという事でもある。戦で劉備たちに勝ち目が無い以上、破格の条件と言えるだろう。
関羽は返事に詰まり、困ったように劉備を見る。劉備は鳳統としばし顔を見合わせ、関羽に向き直って頷いて見せた。
「……分かりました。ではこの関雲長、しばしの間、我が武を丞相閣下にお預けする事を誓いましょう」
***
膝を屈する関羽たちと鷹揚に頷く曹操の様子を、劉勲は少し離れた場所からニヤニヤと眺めていた。
(華琳ちゃんも大変ねぇ、いつの前にか立場が変わっちゃって)
場所が場所なら今すぐにでも大笑いしたいところだが、それを堪えてニヤけ笑いに留める。
(関羽ちゃんたちも可哀想と言えば可哀想よねぇ、あっさり華琳ちゃんの詐欺に引っかかちゃって)
関羽たちには知らされていない情報を劉勲は知っていた。というより、包囲されてた劉備陣営以外の人間なら皆が知っている事だ。
50万vs30万……それが近々予想される、袁紹と曹操の戦力差だった。
しかも経済力の差や同盟関係まで考慮すれば、圧倒的に曹操が不利である。だからこそ、曹操は少しでも多くの兵力を集めなければならなかった。
関羽たちに降伏勧告などという生ぬるい条件で妥協したのは、少しでも自軍の兵力を失いたくないが為。降伏した関羽たちに帰順を求めたのも、少しでも多くの戦力を確保したいがため。なんなら相容れないはずの自分たち袁家と同盟を組む事自体が、曹操の余裕の無さの表れであった。
かつて袁紹はその自信に比して実力が追い付いておらず、曹操はその逆であったが今や両者の立場は逆転している。曹操は「戦上手」との名声を利用して上手く立ち回っているが、その内情はかなり危ういものだ。戦で勝ち続けることで、辛うじて求心力を保っていると言っても過言ではない。
(さて、最後に勝ち残るのは誰かしらね。華琳ちゃんか、麗羽ちゃんか、それとも―――)
独白する劉勲の口の端が、狐のように吊り上った。
ようやく江東の動乱も集結。孫策、劉備が脱落し、漁夫の利を得た曹操がほぼ一人勝ち、袁術は勝者だけど領地がメチャクチャなので辛勝といった感じです