真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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98話:長い短刀の夜

     

 劉勲の降伏より2か月前、陳留にて――。

 

 

 この街の主・曹孟徳は中央と地方にそれぞれ官位を持っていた。前者は漢帝国の丞相であり、もう一つは兗州の牧である。兗州の州都は濮陽であるが、曹操はもっぱら太守であった頃に住んでいた、陳留の屋敷に滞在することを好んでいた。

 

 そして今その屋敷にある一室で、曹操の前には一人の女が引っ立てられていた。煽情的な絹の下着はところどころ擦り切れ、髪の毛もほつれて無造作に垂れ下がっている。

 

「随分な恰好ね、劉勲」

 

 首元に剣を突き付けられているその女の名は、劉子台。項垂れた状態で両手首はきつく縛られ、こすれて紫色に腫れあがっている。

 

「民と兵に見放された挙句、主を見捨てて恥も外聞も無く命乞いしに来るとはいい度胸じゃない」

 

 大方、反乱祭りの江東より、安定した兗州の方が安全だと踏んだのだろう。腹立たしいことに、その読みは間違っていない。相変わらず小賢しい知恵だけは回る女だ。

 

「貴方のそういう大胆なところは好きだけど、仕方なく私の領地に逃げて来たってのは気に入らないわね。出来れば私なんかより、劉表のところに行きたかったんじゃなかったかしら?」

 

 曹操が試す口調で話しかけると、ようやく劉勲が顔を上げた。

 

「そんなこと……!」

 

 真っ直ぐに曹操に向けられた目には、涙が浮かんでいた。そこには信じてもらえない事に対する哀しみまで滲ませている。

 

「華琳ちゃん、違うの! アナタなら、きっと会ってくれると信じてたから……」

 

 全身を使って必死に命乞いする劉勲。ほんのり色づいた肌、潤んだ瞳、辛そうな声音、ぷるぷると震える肩、熱っぽい息遣い……思わずころっと騙されそうになるような、迫真の演技だった。

 

 すると数人の家臣――主に男性だが――は彼女に同情的な視線を送っており、何を期待しているのか既にそわそわし始めている者すらいた。

 本当に女は恐ろしい、と曹操は思う。抜け目のない劉勲のことだ。どうせ何人かはとっくに買収したか、いかがわしい手を使って篭絡しているのだろう。

 

「華琳さま、やはりこの女に喋らせておくと危険です。今すぐ牢に戻したほうが……」

 

 雰囲気が変化していることに気づいた夏侯淵が提言をするも、曹操は片手でそれを遮った。

 

「判断は私がするわ。ここで使い道があると示せれば相応の保障はする」

 

 裏を返せば、使えないと見なした瞬間に斬り捨てるという事でもある。 

 

 だが、劉勲にはよほど自信があるらしい。意味深な表情を浮かべると、目を伏せて語り始めた。

 

 

 

 ――やがて彼女が語り終えると、ドンッと大きな音が響いた。

 

 

「話にならん!」

 

 音の発生源は、机を叩いた夏候惇だった。青筋が立ち、拳がひびの入った机にめり込んでいる。

 

「衛兵!この売女を連れていけ!広場で私が直接その首をへし折ってやる!」

 

「春蘭、落ち着いて。判断するのは貴女では無く、この私よ」

 

 曹操の声は穏やかだったが、明らかに制止の響きが込められていた。曹操は目の端で探るように劉勲を見る。

 

「物的証拠は揃っているんでしょうね」

 

「もちろん」

 

 自信たっぷりに頷く劉勲。こればかりは、演技でもハッタリでも無く真実だった。袁家の張り巡らした諜報網は、中華随一なのだ。

 

「……それで、袁術はこの事を知っているの? 万金にも等しい情報を勝手に売り渡したと知ったら、貴女のお仲間も黙っていないんじゃない?」

 

 劉勲はにやりと笑った。

 

「まさか。丞相閣下のお役に立てたと知れば、大喜びするでしょう。全ては閣下のお心のままに」

 

 劉勲の顔に浮かんだニヤけた笑みは、夏候惇に髪を引っ張られて消えた。

 

「この女は正真正銘のクズです。華琳さま、どうか……」

 

「もう決めたわ」

 

 曹操は両手を軽く合わせて身を乗り出した。

 

「劉勲の案をとる」

 

 これは決定事項だ。曹操が立ち上がると、居並ぶ家臣たちは一斉に頭を下げた。

 

「劉勲、貴女は一度江南に戻って工作を進めなさい。協力は惜しまない」

 

「では……」

 

「ええ。――袁術を、偽帝に」

 

 漢帝国の丞相にあるまじき発言。だが、それを指摘する者は一人としていない。それが主君の決断ならば、黙して従うことこそ臣下の務め。その不文律を理解できぬ者は、曹操軍には居なかった。

 

 ただ……夏候惇、夏侯淵姉妹の心には、一抹の不安が燻り続けていた。

 

 

 華琳様は、何を焦っておられるのか、と―――。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 建安2年(197年)正月は、袁術が誇るべき革命的な記念日である。その日に袁術は自らを中国神話の舜の血筋を引くと自称し、仲王朝を起こした。

 

 献帝が長安からほうほうの体で脱出し、曹陽で大敗し明日をも知れぬ状態であったことを聞き、袁術は漢朝の命脈がつきたと予感し、帝位につく意思を側近達に漏らした。『典略』によると、讖緯書『春秋讖』にある「漢に代わる者は当塗高なり」のくだりから、「塗」には道という意味があり、自分の名の「術」、字の「路」も道という意味があるため、当塗高は自分を指していると考えたのだ。また、「天の御使い」北郷一刀から確保した『伝国璽』が袁術に渡ったことも一因である。

 

 これが歴史的な偉業に至る経緯である。歴史的というのは、それが真の意味での『革命』であったからだ。

 

 ――では、何が革命だったのか?

 

 漢語の『革命』の語源は、天命が革(あらた)まるという意味である。古来より中華では易姓革命など、王朝の交代一般を指す言葉であった。

 

 しかし、仲王朝のそれが従来と違うのは、単なる王朝交代にとどまらず、古い政治秩序の破壊と新しい政治秩序の構築をもたらす動態的かつ抜本的な変革であったからだ。有り体にいえば「支配する者、と支配される者がひっくり返る」のである。

 

 これまでの王朝交代では、例えばある王が殺され、別の人物が代わって王になっていた。厳密にいえば、これは革命ではない。社会秩序は変わらず、支配する側と支配される側が回転していないため、誤解を恐れずに言えばクーデターの亜種とすら呼べる。

 

 しかし仲王朝では、支配する側とされる側が逆転した。支配する側・袁術と、支配される側・人民(を代表するとされた人民委員)の立場が逆転したのだ。

 

 この皇帝就任という茶番劇の筋書きを書いたのが人民委員会にして書記局長たる劉勲であるというのも、立場の逆転を見事なまでに表している。劉勲は脚本家であると共に監督であり、袁術は主演であるだけの役者に過ぎなかったのだから。

 

 もちろんこの天地を揺るがすような大事件が、平穏無事に進むはずもない。袁術の皇帝即位については、張勲など家臣の間でも反発が多かった。国内の混乱を煽っているとしか思えない行動である上、漢王朝に真正面からケンカを吹っ掛ける事になりかねない。周囲の諸侯のほぼ全てが袁術の皇帝就任を認めないであろうことを考えれば、張勲の猛反対は当然の結果であった。

 

 なにより『皇帝』という仰々しい称号とは裏腹に、皇帝・袁術の権限は一太守にすら劣るものだった。仲帝国という劇団において、袁術という主演女優に一切のアドリブは許されていないのだ。

 

 それを端的に示したのが、玉璽を献上したときの劉勲の台詞であろう。

 

「――皇帝としての権利を譲渡する代わりに、皇帝として即位していただく」

 

 矛盾。首尾一貫した支離滅裂。袁家のお家芸ともいえる伝統が遺憾なく炸裂した瞬間であった。

 

 即位すれども統治せず! 他の何者にも真似できない独創的な発想によって、仲王朝はその成立過程において、一人の死者も出すことなく、何が起こったのかよく分からぬ間に発足した。

 

 こうして袁術は皇帝に即位したが、同時に皇帝としての権利は剥奪された。

 

 

 それでも革命は革命、しかも素晴らしい事に無血革命である。

 

 支配者に対する、人民(を代表する人民委員)の勝利が刻まれた瞬間だった。

 

 

 かくして仲王朝が誕生する。後に袁術は正式な国号を『仲人民連合帝国』(通商:仲帝国)と改め、それをきっかけに人民委員会議は大胆な改革に着手した。

 

 国家の頂点にあるのは、全ての人民を代表するとされた「労働者・農民・兵士の評議会」(現:中央人民委員会議)である。

 人民委員たちは「全ての権力を評議会に」というスローガンを掲げ、この新しい国家は皇族や名族によって築かれた既存の国家機構を破壊して、選挙で選ばれた人民の代表及び彼らによる新しい官僚組織が立法と法を執行する新たな国家機関であるとした。

 

 『 皇帝は君臨すれども統治せず 』

 

 当時の偉大な指導者の一人、中央委員会書記局長・劉子台はこの原則を上記のように要約した。

 

 そして皇帝・袁術は大勢の強大な上流階級の意向により、その権力をかなり制限されていた。初代皇帝・袁術、そして彼女に続く歴代の皇帝は(そんな人間がいるとすれば、だが)、こうした皇帝権力の制限を確約した条項を承認し署名することを余儀なくされた。

 

 皇帝即位に際しての重要な誓約の一つともされ、皇帝は人民の諸権利を尊重することを義務付けられた。皇帝は「帝国の所有者」や「人民の支配者」ではなく、「人民が所有する国家」の代表たる「人民の第一人者」であると規定された。

 

 人民委員たちも同様に立場に応じて様々な制限を加えられており、こうした「法の優位」あるいは「法治主義」を仲帝国権力中枢における相互不信の現れと見る者も多い。そもそも法の優位は、権力者が権限を濫用して他者の自由や権利を侵害する可能性を前提とするものである。

 袁術という類稀なる無能な君主を持った袁家家臣たちの、君主権力の不信感の集大成こそが「法治主義」の正体であった。

 

 これらは『帝国大憲章』として成文化され、この実質的な貴族共和国における政治原則とは「我々の国家は人民の監督下にある法によって支配される」というものだった。

 

 ここに、もう一つ仲帝国の成立が『革命』であると称される所以がある。

 

 つまり仲帝国はそこに住まう全ての人民を法に従わせる政治形態であり、法の上に最高権力者がいるわけではない。これは仲帝国設立の裏で、曹操が糸を引いていた事と無関係ではないだろう。『仲帝国』が「法」によって縛られている限り、彼女は「法」とそれを決定する「人民委員会」を通じて、裏から支配できたのだから。

 

 しかし過程はともあれ、ある意味では近代的な『法治主義』の先がけとも呼べるものであった。当時のほとんどの国家で見られた、有能な人物の裁量や裁断を中心に治める『人治主義』とは明らかに一線を画している。当時の人々にとって、袁術による中華初の立憲君主国の誕生が、果てしない衝撃を与えていった事は想像だに難くない。

 

 実際、多くの人が「袁術は乱心である」と受け取った。なにせ誕生の過程も謎であれば、理屈も意味不明、そして誕生した帝国の内情はさらに理解不能であったのだから。

 

 しかし、笑って流すわけにもいかないのが朝廷である。さっそく全土の諸侯に向けて逆賊討伐の令が発せられるも、これすらも巧妙に仕組まれた茶番劇だった。

 

 

 **

 

 

 仲帝国設立から一月と経たぬ内に、朝廷が偽帝討伐の兵を募っているという噂が全土を駆け巡った。当然と言えば当然の対応であるが、諸侯の反応は様々だ。 

 

 ただちに応じた諸侯には、曹操と同盟関係にある袁紹、そして益州牧・劉焉などがいる。それぞれが用意した兵力は2万人ほどで、朝廷の顔を立てつつも、完全には取り込まれない程度の数といえよう。同時にそれが両者の、曹操に対する距離感を表していたりする。

 

 一方で西涼の馬騰と荊州牧・劉表はというと、兵を送る約束はしつつ、適当な理由をつけて本格的な派兵は見送るという風見鶏な対応に徹した。袁術と関係の深かった両者は曹操が旧袁術領を制圧することを本音では歓迎しておらず、かといって正面から朝廷にケンカを売るほどの愚行も出来ず、苦渋の選択であった。

 

 問題となったのは、袁術に対して反乱を起こした孫家である。朝廷と同じく打倒袁術を目的としているものの、朝廷と共に戦えばせっかく奪った旧袁術領を横取りされかねない。

 

 実際、曹操はそのつもりだったのだから、孫家は苦しい舵取りを迫られる事になる。連合に参加すれば領土を横取りされ、参加しなければ敵と見なされて朝廷の大軍を差し向けられかねない。

 

 

 ほとほと困り果てていたところに、曹操から直々に招待状が届いた。直筆の招待状ともなれば無視することも出来ない。結局、孫策は相手の内情を探る意味も含めて、曹操の招待を受けることにした。

 

「挨拶がてら、すっかり偉くなった丞相サマサマの顔で拝みに行ってくるわ」

 

 疲れたような表情で洛陽に向かう孫策の表情が、孫家の厳しい現状をあらわしていた。

  

「……絶対に、気を抜くんじゃないぞ」

 

 最期まで強硬に反対したのは、他ならぬ周瑜であった。とはいえ「じゃあ招待を蹴って曹操の連合軍と戦う?」を返されれば、返答に窮するしかない。最期は苦虫を噛み潰したような顔で、孫策を見送る他なかった。

 

 

 **

 

 

 かくして、諸侯たちは再び逆賊を討つべく洛陽に集った。

 

 諸侯たちの連れて来た兵力を合算すれば、実に11万にも達する。流石にそれだけの兵士が一度に洛陽に入られても困るため、入城を許された少数の護衛と共に宮殿に足を踏み入れた諸侯たちはあっと驚くことになる。

 

 反董卓連合戦争の折に焼け落ちた宮殿――それがまるで何事も無かったかのように復旧している。宮殿だけではない。そこに至るまでに通過した洛陽の街もまた、かつての賑わいを取り戻しつつあった。

 

(曹孟徳……)

 

 洛陽に入城した孫策もまた、曹操の行政手腕に驚きを禁じ得なかった。あの災厄からたった2年ほどで、ここまで洛陽を復興させた人物とは、一体どれほどの人間なのか。

 

 孫策は改めて曹操に興味を覚え、宮殿に足を踏み入れる。

 

 宮中にある、謁見の間――壁には巨大な龍が描かれ、広さも豪華さも半端ではない。だが、広間にはピリピリとした緊張感が広がっていた。

 集まった諸侯たちの目は、皇帝の座る玉座――その前に立つただ一人の少女に注がれている。小さな体から発せられる圧倒的な『気』に、その場の人間は全て飲まれていた。

 

(あれが、曹操……)

 

 最後の一人であった孫策が入室すると、低い音を立てて金属の扉が閉められる。

 居並ぶ諸侯たちを見回し、曹操は鋼を思わせる硬質の声で語り始めた。

 

「遠路はるばる、洛陽まで大義であった。これより――卿らの断罪を始める」

 

 一体何を言い出すのかと、諸侯一同は唖然とする。

 

「卿は偽帝と通じて、今日に至るまで多くの利権を貪り、私腹を肥やし、帝国に対して多くの罪を重ねた」

 

 どうやら、冗談でも乱心でもないらしい。曹操が片手を上げて合図をすると、横から沢山の文書を抱えた劉勲が入室する。

 

(劉勲――!)

 

 姿をくらましていたと思ったら、こんな所にいたのか。思いがけず仇敵を発見した事に驚いたのも束の間、孫策の頭に一抹の疑問が浮かぶ。

 

 なぜ、劉勲がこんなところに居るのか。彼女の持つ、大量の書類は何なのか。そして、自分たち諸侯の前で曹操は何をするつもりなのだろうか。

 

(……まさか)

 

 孫策の頭に浮かんだ最悪の予感は、すぐに的中した。曹操本人の口から、想像した通りの言葉が流れ出す。

 

「人民委員会書記局長・劉子台の証言および証拠書類を調査した結果、汝らにかけられた容疑は限りなく真実に近いとの確信に至った」

 

 中華随一の規模を誇った、袁家の諜報機関。カクの保安委員会が有名だが、内務委員会や外務委員会、軍務委員会なども独自の諜報機関を有している。かれらが時には競い、時には協力してかき集めた情報は、最終的に閲覧禁止書類として公文書館に保管される。それを管理するのは書記局の仕事であり、劉勲の力の源泉ともなっていた。

 

 劉勲はそれを、惜しげもなく曹操に渡した。その価値の分かる相手に、一番高く売りつけるたのだ。

 

 そして曹操はまた、情報の効果的な利用法を熟知してもいた。

 

「これは勅命である。汝らを内通罪の容疑で逮捕し、取り調べを行う」

 

 騒然とする謁見の間。茫然自失の時間が過ぎ去ると、諸侯たちはいっせいに騒ぎ出した。

 

「ば、バカなっ!我々が袁術に協力しただと?」

「過去に取引した事があっただけだ!言い掛かりにもほどがあるっ!」

「最初から、騙し討ちにする気だったんだな! この卑怯者!」

 

 諸侯たちは口々に非難するも、勝負はすでについていた。多少の護衛を連れてきたところで、外には完全武装の曹操軍が万単位で控えている。荊州の劉表と、袁紹に仕える軍師・田豊のみが曹操の目論見を見抜いて難を逃れることに成功していた。

 逆にいえば、その他の諸侯は皆が曹操――劉勲に騙された事になる。

 

「容疑が偽りだと信じるならば、なおのこと捜査に協力して身の潔白を証明せよ。捜査に非協力的な態度をとれば、後ろめたい事情があると解釈する」

 

 曹操は目の前で騒ぐ諸侯たちを冷ややかな眼差しで見降ろし、勝利宣言を行った。

 

「羽林の兵に告ぐ、全員を逮捕せよ」

 

 その声と共に扉が放たれ、武装した兵士の群れが軍靴を鳴らして雪崩れ込んできた。

    




 曹操による白色テロ回。分かる人にはタイトルがネタバレ。
 
 前話で曹操が袁術の皇帝就任を黙認したの裏は、こんな陰謀があったのでした。

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