日向焔が遊戯王を始めたのは小学6年生の頃だ。
彼女は頭が他よりずば抜けて良くテストでは当たり前のように満点を取る天才小学生だった。そんな彼女が同じクラスの友人がやっていた遊戯王に興味を持ち始めた。
最初は遊びでさえ自分が優れているのだと証明するためだ。
だが、それも最初はうまくはいかなかった。数多とあるカードも把握し複雑なルールも熟知しそれでも勝率は伸びることが無い。それでも焔は心を折るような真似はしない。
勝てないのなら勝てない原因を探し勝てる手段を講じるまで。対戦相手の得意な戦術から弱点まで何から何まで調べ上げて勝利の方程式を組み上げる。貪欲なまでに勝利へと追及する姿勢を取ったのだ。
そのプレイスタイルを磨き上げた結果、彼女は誰よりも強くなった。
中学3年のとき今まで興味がなかったインターミドルの大会にも興味本位で参加したがそれも失望するほどだった。対戦相手があまりに弱過ぎて話にならない。全国大会出場まで苦戦するような相手なんているはずも無く全国大会に出場した対戦相手さえも同じだった。
だから本当は全国大会を優勝したら遊戯王をやめると決めていた。
準決勝であの男と出会うまでは。
準決勝で対戦したのは新堂創という男。
やけに声が大きく五月蠅そうな印象ながら遊戯王を誰よりも楽しむふしがある。使用デッキは【X─セイバー】で中盤以降から爆発的なまでの展開のシンクロとエクシーズで勝利を拾うスタンス。弱点は立ち上がりが遅いためにそれまでに勝利をするか逆転不可なまでに制圧すれば良いだけのことだ。
今まで相手にした凡百と変わり無いというのが彼女の判断だった。
だが、結果は違った。
逆転不可と思われるほどに布陣を築き上げ対戦相手の状況毎にドローする傾向を調べつくした今、新堂創が場を覆すことなんてありえないという結論を出した時だった。
『すげぇよ! あんたは今まで対戦した誰よりも強え。だから俺だって全力を超えてあんたに勝ちてぇ!』
それからだ。彼のその言葉から状況は一変した。
彼は焔の予想を尽く覆したのは。ドローフェイズやドローソースを使用する度にこれか己が望むカードを宣言しては引き当てるという謎の芸当を彼はやってみせた。。
それはまるで彼のデッキが主の勝ちたいという気持ちに答えるかのように。
結果として新堂創は途中から全て望むカードを引き当て勝利し、日向焔は敗北した。
それが彼女にとっては許容し難い事実だった。
だからでこそ彼女は調べた。
新堂創を。彼がいったい準決勝で行ったことは何だったのかを。
調べ上げた結果、いくつか理解し得たことがあった。
新堂創は他とは比べ物にならないほど決闘者として才あるプレイヤーであること。
常人を超える才能を持った天才がさらにその限界を超えることができたとき人間の常識を超えた非常識な現象さえも巻き起こすという都市伝説があるということ。
──そして、その常識を外れる権利を自分も持ち合わせていたこと。
再び彼と勝負し勝ち得るために焔はより一層の努力を行い決闘者としての常識を超えるまでに至った。もっともソレはいつでもできるというわけでは無い。常識を超えた非常識を行うのだから当然だ。
必要なのは集中力。
粉粒ほどの雑念さえも混じらないほどに試合に集中することだ。例え頭の中で理解したとしても思うようにはいかない。おそらく試合の終盤。それも勝つか負けるかわからないような意識が張り詰める緊張感のある状況でなければ使うことはできないだろう。
今、この場は芳しいとは言い難い。
むしろ追い詰められているとさえ言ってもいい。
ライフ差はたったの200はアドバンテージに成りえない。
さらに相手の場にはエースモンスターともいえる《炎王神獣ガルドニクス》が存在している。前のターンで使用した《増殖するG》を使用したのだが破壊を介さずに突破するのは難しい。
敗北という恐怖が彼女の指先まで支配する。
だからこそ彼女は何の惜しげも無く。まるで扉を開くかのようにソレを使った。
「次の私のターンから数えて5ターンでこの
「っ……!?」
茜は思わず息を飲んだ。
焔が告げた宣言は常識で考えればありえないことだ。そもそも遊戯王というのは運の要素が絡むゲームだ。決闘盤にセットされたデッキはランダムに混ぜられ把握するのは不可能だからだ。
焔や創、涼香のような俗に言う強者と呼ばれる決闘者ならば状況において適切なカードを引くなんて造作もないが残り何ターンで決まるかなんて自分の引くカードだけでなく相手の引くカードさえも見極めなければならないのだ。
普通に考えればただのデマ。ただのハッタリでしかない。
(でも、姉さんがハッタリなんて言うはずは無い。それに──)
悪寒を感じる。
何か起きてはいけないものが起きるような感覚。
「私のターン」
宣言された1ターン目。ドローフェイズにてカードを引く。
その行為だけだというのに風が凪いだ気がした。
「っ……スタンバイフェイズに前のターンで破壊された《炎王獣バロン》の効果を発動。デッキから《炎王の急襲》を手札に!」
茜が選択したのは、今のこの場を覆されたときのリカバリーのためのカードだ。いくら2体のモンスターが並ぶとはいえ焔なら逆転することなど造作も無いと判断した。
「まずは《炎舞─玉衝》を発動。伏せている《神の宣告》を選択しその発動を封じる」
「っ!?」
前のターンの《マインドクラッシュ》で知られているとはいえこうもあっさりと封じられるとは思ってもいなかった。今の茜においてはもはや相手のカードを阻害することはできない。
「《孤炎星─ロシシン》を通常召喚。バトルフェイズ、ウルフバーグへと攻撃」
「自爆……特攻?」
ロシシンの攻撃力は《炎舞─玉衝》で強化されているとはいえたったの100ポイント。
攻撃力1200では決して1600に敵うはずもなく反撃を喰らうのだが、ロシシンは戦闘破壊されることで効果を発揮するリクルーター。
焔 LP3700→3300
「戦闘破壊されたことによりデッキより《勇炎星-エンショウ》を特殊召喚」
《勇炎星-エンショウ ☆4 ATK/1600→1700》
亡骸の炎から飛び出すようにゴリラのような形状の炎を纏った戦士が飛び出す。
本来の攻撃力ならば茜のウルフバーグと並ぶのだが今の彼女のエンショウは炎舞により強化されたった100だけ上回っている。さらにはロシシンとは真逆に戦闘破壊することで効果を発揮する。
「再びウルフバーグへと攻撃。戦闘破壊に成功したことによりエンショウの効果発動。《炎舞-天璣》をデッキよりセットする」
「これが狙い、ですか」
茜 LP3500→3400
さらなる炎舞が焔の場に控える。
例え場を一掃しようとも途切れることは無い。
「セットした《炎舞-天璣》と手札の《炎舞-天枢》を発動。デッキから《暗炎星─ユウシ》を召喚し炎星2体でエクシーズ召喚を行う。《間炎星-コウカンショウ》」
《間炎星-コウカンショウ ★4 DEF/2200》
紅冠鳥の炎を従えた威厳と風格を持った男性の姿をしたモンスター。
その効果は自分の場か墓地から炎舞、炎星合計2枚と相手の場と墓地から合計2枚をそれぞれデッキへとバウンスするという破壊を介することで発動する【炎王】とは相性が悪い。
「効果を使用し貴女の場と墓地の《炎王神獣ガルドニクス》を選択し──」
やはりとこのターンでガルドニクスも除去してきたと茜は読みを進める。
焔に手札は無く場も3枚の炎舞とコウカンショウが1体だけ。それならば手札の《炎王の急襲》で再びガルドニクスを呼び出せばまだ勝負はわからない。
「私は墓地の《炎舞-天璣》と場のコウカンショウをデッキへと戻す」
「え……!?」
茜は思わず声を上げて驚きを隠せなかった。
何せ今の彼女の場は完全に無防備となったのだ。
「いったい何を」
「次のターン。貴女は何もできない」
それはまるで預言者のように告げた。
次の茜のターンに引くカードを予測しているかのように。
「私はこれでターンエンド」
「っ、私のターン、です!」
2ターン目。ドローフェイズにカードを引く。
恐る恐る確認したのは緑色の枠の魔法カード。
「っ……!?」
思わず息を飲んだ。
引いたのは《炎王炎環》。
《炎王の急襲》と組み合わせればガルドニクスの攻撃後に追撃もいざというときの回避手段としても扱えたはずではあるが、焔の場にはモンスターが存在せずに何もすることができない最悪の引きになってしまっている。
「私は、ターンを終了します」
彼女の宣言した通りになったことにより観客たちが困惑とざわめきを見せる。
まるで未来を見通しているかのような焔を信じることが出来ない様に。
「ね、ねえ焔先輩。いったいどうしちゃったの!?」
それは同じチームである第七決闘高校も同じこと。
まるで未来を見通すような芸当を見るのは始めてだった。
特にルミは声を震わせ今、視界に映る焔が己の知っている日向焔とは異なることに困惑を見せている。
「わからへん。わいにも」
主将の鏡もわずかながら表情に困惑が滲みでていた。
「今までの焔ちゃんは相手のデッキの構築、戦術、得手不得手、引きの傾向からクセや性格まで怖ろしいくらいに調べ取る。おそらくはその情報と状況を使ってシミュレートしてるんやろ」
これはあくまで推測だ。
いくら相手の全てともいえる情報を得たところで未来の予測なんて鏡は出来る自信が無い。そもそも未来のミュレートするなんて人間の演算処理能力では不可能だからだ。
「口で言うのは簡単やけどそれを人間でやってる時点で人間を超えとる。日向焔は別格とかそんな可愛いもんやあらへんで。わいも始めてみるが、あれは正真正銘の化け物や」
今の鏡は彼女が味方という事実に今まで以上によかったという安堵を感じながらも同時に恐怖を覚えた。敵に回ったとき。戦い勝利するというビジョンがどうしても見えない。
「私のターン、ドロー」
3ターン目。
彼女は引いたカードを確認しては静かにそのカードを伏せた。
「カードを伏せて終了。次の貴女のターン、それが終われば次は無い」
「っ……私のターン、です」
それはまるで死刑判決を申し渡され執行室へと向かう階段を上るような感覚でターンが進んでいく。焔が宣言してからこのターンが4ターン目だ。もし彼女の宣言が本当に成立してしまうのであればこのターンでなんとかしなければ敗北は免れない。
今の手札の《炎王の急襲》と《炎王炎環》は完全に死んでいる。
ならば答えはただ一つ。この引きでどうにかするしかない。
「ドローッ!!」
勢いよくカードを引く。
手札2枚と同じく緑色の枠の魔法カード。
それはかつて涼香の勝負で決めた必殺の1枚だ。
「行きます! 私が引いたのは《真炎の爆発》。このカードを使用し墓地より──」
「却下する。《神の警告》を使用し無効とする」
「あ──」
焔 LP3300→1300
非情な一言と共に使用した茜の《真炎の爆発》は弾かれた。
成す術がなかった。引くカードも戦術も何もかもを見抜かれ戦うための刃が尽く折られていく。もはや力の差は歴然だった。
思わず俯いて下唇を噛む。
残る2枚の手札は使いものにならない。場も墓地もデッキさえも含めて今の茜は身動きを取ることはできない。今の彼女においてできる選択肢はおそらく二つ。
「…………っ」
ゆっくりと腕を上げ決闘盤にまで伸ばす。
デッキの上へと手を置き降伏を告げる行為、
茜は小さく口を動かして告げた。
「ターン、エンドです」
降参はしたくなかった。
もし彼女が一人で戦っていたのであれば降参していたかもしれない。
だがこれは団体戦。この最後の大一番の勝負を託してくれたチームメイトがいる。だからでこそどんな粉粒程度の希望しか残されていなくても勝負は捨てたく無かった。
「そう。貴女の覚悟は見届けた。私のターン」
無機質な言葉の焔もわずかながら憐れみを込めた声が通った。
宣言した5ターン目が始まる。
「1000ライフを支払い《簡易融合》を発動。《旧神ノーデン》を特殊召喚し墓地のロシシンと《No.39希望皇ホープ》にエクシーズを行い《CNo.39希望皇ホープレイ》へとエクシーズチェンジ」
《CNo.39希望皇ホープレイ ★4 ATK/2500》
焔 LP1300→300
それでも勝負は非情だ。
わずかな勝機に縋る者の希望さえも奪い去ってしまう。
「ホープレイの効果は相手の場にモンスターが存在しなくても効果を使用できる。エクシーズ素材を二つ取り除くことで攻撃力を1000上昇させる」
《CNo.39希望皇ホープレイ ATK/2500→3500》
攻撃力が茜の3400を上回った。
《CNo.39希望皇ホープレイ》の効果は自身のライフが1000以下でしか使えないという《E・HEROバブルマン》並みに極めて難しい条件を持つために普通はさらに上位の存在として扱われる《SNo.39ホープ・ザ・ライトニング》のコストのための踏み台という形で使われるのが普通だ。
だがそれを茜の猛攻に焔が使用したカードのライフコストにより条件を満たしている。
まるでデザインされたように宣言したターンに決着が訪れる。
「バトルフェイズに入る。ホープレイで──」
その時、焔の視界に茜の顔が映った。
泣いている。目にはボロボロと大粒の涙をこぼしている。
当然だ。
対戦相手に何としても勝利をもぎ取ろうと全てを出し切っても尚、届かないのだから。今まで焔と対峙し敗北の間際に泣いた選手など何人も見てきた。ただそれでも茜は視線を焔から外さない。
「姉さん。今回は私の負けです。まだ私の力は姉さんに及びませんでした」
「…………」
焔は何も返答しない。
今の彼女の言葉なんて今まで倒してきた負け犬の遠吠えと同義だと感じていたからだ。
「でも、いつか……もっと、もっと強くなってもう一度、姉さんに挑みます。その時は絶対に私が姉さんに勝ってみせます」
涙を流して尚、力強い宣言が焔の耳を通る。
今回、焔は茜に対して苦も無く勝利する予定だった。だが、蓋を空けてみれば彼女は途中で追い込まれ奥の手を使い、最後はコストで支払ったとはいえ残りライフ300という僅差での辛勝だった。その事実と茜の言葉が思わず焔の口を動かせた。
「そう。
「……え?」
その言葉はあまりに意外だったのか茜の表情を硬直させた。
焔の言葉も一瞬だけ。すぐにバトルフェイズの途中へと戻り攻撃宣言へと移った。
「ホープレイで直接攻撃」
茜 LP3400→0
漆黒の鎧を纏った戦士は一閃の一太刀を焔へと放つ。
防ぐことも回避することも無く受けた茜は衝撃を受けたようにふわりと後方へと飛び体育館の地面へと横たわるように倒れた。
「…………」
勝敗が決し焔は何も言うこと無く踵を返し第七決闘高校の面子が揃う場所へと戻る。
例え相手が実の妹といえど敗者にかける言葉など無いように。
「……勝ってきました」
鏡大輔に剣崎勝、星宮ルミと正レギュラーの前で報告するかのような無機質な言葉を投げかける。なのだが、何かがおかしかった。3人が自分へと向ける視線がいつもと違いまるで信じられないものを見たかのように目を見開いているのだ。
「……? どうしました?」
「いや、どうしたちゅーか。自覚ないんか? 鏡見てき、鏡!」
「鏡……今、目の前に見えますが」
「いや、そんなボケはいらんちゅーねん。ほら、これで自分の顔を見てみ!」
「……!?」
どこから取り出したのか手鏡を渡され自分の顔を覗く。
それこそチームメンバーの態度が違う理由であり日向焔自身でさえも信じられないものが映っていたのだ。
「笑っ、てる?」
ふと焔は自分の口元に手を当ててわずかながらに緩んでいることを実感した。
そもそも日向焔は試合において何の感情も見せず勝っても笑うことなどなかった。それは自他共に認めることであるのに今回だけは何故か表情に笑みが見える。
「何故、ですか?」
「わいに聞かれてもな。心当たりないんか?」
「心当たり……ですか?」
焔は珍しく目を閉じ記憶を思い起こすような仕草を取る。
その中で一つだけ印象に残ったことが心の中で引っかかった。
「一つ、約束をしました」
「約束?」
約束と言うには少し違うかもしれない。
それでも彼女の言葉に対して焔は無意識だったとはいえ『楽しみにしている』と返したのだ。
「いえ、何でもありません」
「おいおい、そう言われるのが一番、気になる言い方やからな!」
「日向さん。大丈夫!?」
勝敗が決し焔が立ち去ったのと同時に遊凪高校のメンバーが地面へと横たわった茜の元へと駆け出していた。涼香が茜を心配そうに抱き起こす。
「す……涼香ちゃん。それに皆さん。ごめんなさい。私、姉さんに勝てませんでした」
また申し訳ないと言うようにポロポロと涙をこぼす。
そんな彼女の謝りを創は皆の言葉を代弁するかのように笑って返した。
「日向は十分頑張ったじゃねえか。ただ今回は勝てなかっただけってことで謝る必要なんてないと思うぜ。それにこれで終わりってわけじゃねえ。3位決定戦も、個人戦だって、それに俺たちには来年だってあるじゃあねえか」
創の言葉に続くように涼香を始めとして言葉が紡がれる。
「そう、ね。まだ終わりじゃないわ」
「今回はわたしは役に立てなかったけど頑張るから」
「それにオレだって、負けてしまったんだ。オレももっと強くならないと」
そうだ。
今回の大会だってまだ終わったわけじゃないのだ。
茜は手で涙を拭った。
「皆さん。ありがとう、ございます」
遊凪高校と第七決闘高校の準決勝。
結果は残念にも遊凪高校の敗退で幕を閉じた。