「あー、いい湯だ」
なんて爺臭いことを言う晃。
頭にタオルを乗せながら疲れを取るように温泉へと浸かる。
夕食の後。
別荘の近くに温泉が入れる場所があるということで、遊戯王部及び生徒会メンバーの全員が向うことになった。晃の指導は、まだ行われないままに。
「ふむ、たまにはこう言うのもな──ぶっ!?」
珍しく眼鏡を外している二階堂もゆったりと浸かっていたものの、突如顔面へとお湯をかけられたのだ。その傍には激しく水しぶきをとばすようにバタフライで泳ぐ創だ。シーズンでは無いためか、他に客がいないのが幸いだ。
「広い風呂ってのはいいもんだな!」
「子供かっ!? 新堂先輩は少し落ち着いて、怒らせた生徒会長は怖いというか、俺に八つ当たりすんですよ!」
宥めて落ち着かせようとする遠山だが、最終的には自分が犠牲にならないために創を止めようとする。どんな場所にいようが騒がしい連中は騒がしいものなのだ。
「っ、新堂……貴様!」
「ほら、怒ったぁっ!」
プルプルと肩を震わせ怒りの表情を見せる二階堂。
元々、鋭い目つきが眼鏡が無いためかさらに鋭く見える。そのような彼が怒りを見せるのだから、小さい子供が泣いてしまうと思えるほどだ。
このままでは、二階堂と創で乱闘が起きてしまうと思う瞬間に、予想外にも今まで一言も発せずに黙っていた椚山が二人を抑えたのだ。
「悪いが、静かにしてもらおうか」
「うぉっ!?」
「くっ、堅! 何の真似だ」
二人を取り押さえた椚山は、人差し指を口元に添えながら『しーっ』と黙るように促した。温泉は静かにしなくちゃいけないものなのだが、彼は別の事を指しているように思えた。
「そろそろだ」
なんて普段のチャラけた態度では想像できないぐらいの真剣な声を椚山は出す。
それと同じぐらいの時間にガラリッとスライド式の温泉へと入るための戸が開く音が聞こえたが、彼らが入った戸が動いた様子も無く別の戸が開いたのだろう。
『わあ、広いですねっ!』
『へぇ、悪くないわね』
『うん、こういうのっていいね』
『あ、あの、ごめんなさい。わたしもご一緒でよろしかったでしょうか?』
柵の向こう側から茜、涼香、有栖と初瀬の声が聞こえる。
女性は色々と時間がかかるものだ。雑な男性陣と違ってやっと温泉に入るところだろう。
彼女らの声が聞こえる中、椚山はすぐ近くでしか聞こえない程度の大きさで語った。
「この温泉はな、男湯と女湯の距離も近く、遮るのも柵一つしかないんだ。そのせいで声は、ほぼ筒抜け状態。女湯の声も聞き放題ってわけだ」
「……そんな情報いつ調べたんスか? というか何の意味が?」
女絡みになるとやけにアクティブになる椚山に晃は若干、引いた。
それでも椚山はブレない。
「当然、タイミングを図るんだよ」
「……タイミング?」
なんて、やり取りをしている間にも女湯から桃色的な声が聞こえてしまう。
『っ……』
『あ、あの、涼香ちゃん。どうしたんです? 私に何かついてますか?』
『ええ、ついているというよりはあるわね。私たちの中で一番』
『うん、羨ましいよ』
『え? 有栖ちゃんまでっ!? な、なんなんですかっ!?』
『気付かないの? ちょっとだけ怒っていいかしら?』
『もしかして……胸ですか? べ、別にあってもいいものではありませよ。肩が凝ったりするだけで、むしろ涼香ちゃんたちの方が羨ましいですからっ!』
『へぇー、当てつけかしら? 風戸さん、初瀬さん。押さえて!』
『う、うん……』
『ごめんなさい! ごめんなさい、日向さん!』
『えっ、ふ、二人ともっ!?』
『私たちの気持ちを察してくれない日向さんには、ちょーとだけお仕置きが必要みたいね』
『な、なんですお仕置きって!? ひゃ!? そ、そこは駄目ですよ』
『いいじゃない。胸は揉めば大きくなるって話を聞いたわ』
『これ以上、大きくならなくていいですからっ!』
『ふーん、つまりは今のままでも満足してるってことね』
『そ、そういうわけじゃ、あんっ!?』
『い、色っぽい声……ヤバい楽しくなってきちゃった。自分に満足している日向さんに、私たちはこれで満足させてもうかおうかしら?』
『ひゃああん!?』
「…………」
ほんの数分程度の間であるにもかかわらず、永遠の時間のように感じ男性陣は声どころか息すらも殺して聞きいってしまった。どこからどう見ても、むっつり集団だ。
そんな中、動き出したのは、やはりと言っていいほどあの男。椚山堅だ。
「さてと」
「あれ、どうしたんスか?」
「そんなこと決まっているだろ?
「いやいや、そんなことしたら殺されるッスよ!?」
サムズアップして、これから死地へと赴く戦士の如く真剣な顔つきでくだらない事を言う。そもそも覗きは仕事などでは無く、完全に犯罪行為だ。
普段はノリの良く馬鹿な行動を取る創だったが、今回はさすがに賛同できずに制止させようと椚山の肩を掴む。
「おいおい、さすがにそれは駄目だ──」
「バッキャロウッ!!」
が、彼の信念はあまりにも強いのか、止めにかかった創を力一杯、拳でぶん殴ったのだ。
下が温泉のために倒れても怪我にはならずに済む。倒れた創に対し椚山は怒りの表情を見せながら告げた。
「覗きはな、確かに最低で犯罪な行為だ。だが、俺だって単純に覗きたいから覗くのではないんだよっ! どんな汚名を負う
なんて無駄に必死な演説を述べる。
それに対して、まず遠山が身体を振るわせていたのだ。
「く、椚山先輩。そんな考えがあったなんて、お、俺もついて行きます! 理想郷へと導いてください!」
「いいだろうっ。それで、どうするんだ新堂創?」
「目が覚めたよ。椚山先輩、地獄でもどこでも付き合うぜ」
3人で熱い友情の握手を交わす。
それを『何だこの集団』と黙りこむ晃は、止めるのをやめた。
こうして3人は、作戦を立てて行く。
「けど、この柵の高さでは覗くのは無理だ。どうするんだよ?」
「案ずるな、これは見積もっても3m程度。俺たち3人が力を合わせれば造作も無い!」
「ど、どうやって?」
「簡単なことだ。3人で肩車をすれば余裕のハズだ!」
柵を指差して堂々と告げる。
確かに、3人の高さを合わせれば十分届くだろう。
けど、その作戦には欠点があった。
「けれど、誰が一番上になるんだ?」
「当然、俺だ!」
「悪いな、これは譲れねえぜ」
「いやいや、二人を支える自信が無いですし俺が……」
ぐぬぬと、いがみ合う。
3人の熱い友情は早くも亀裂が入ったのだ。
そんなやりとりを見ていて、ずっと興味無下げに黙っていた一人の男がやっと口を開いたのだ。
「馬鹿め。そんなだから貴様らは駄目なんだよ」
「生徒会長。よかった、彼らを止めてください」
他にもまともな人がいたと晃は安堵の息を吐こうとする。
が、彼の方を振り向けば、その先には二階堂が黒くてズッシリとした質量を持つ高そうな双眼鏡の度を手に持ち、度を調整しているのだ。
「まったく」
「何がまったくスかっ!? 何スか、その手に持っている双眼鏡はぁああああっ!?」
どうやら、覗きをやめようと言うまともな人はいないようだ。
彼もまた理想郷を追い求める一人なのだろう。
「考えてもみろ。貴様ら、この柵を越えたところでバレるのは明白だ。あの屋根を使うのだ」
「屋根……だと!? だが、それは柵よりも高いだろ?」
二階堂の屋根を使うという提案だが、それは柵よりも高く4m程度だ。
柵を越える3人肩車案ですら揉めたというのに、それよりも高い場所に上るのではさらに揉めてしまうだろう。
「椚山。それが駄目だと言うのだ。頭を使え、まずここには異常に桶が多い。安定したピラミッドの形に積んでも十分な高さになるだろう。そこから人間円塔の容量で体重が軽い遠山と橘を屋根へと押し上げる。そして二人が、一人づつ僕らを上へと引っ張ればいいだけだ」
「成程……だが、屋根の上からで見えるのか?」
「フンッ、双眼鏡というのは何のためにあると思うのだ?」
なんて見せびらかすように聞くが、間違い無く覗きのためでは無いだろう。
全員の連携に完璧な作戦。気が付けば、晃も参加することになってしまったのだが彼も男ということで仕方が無いだろう。
「さあ、我々の
大々的に宣言をする二階堂。
もう、彼らを止められるものは
「へぇ、随分と面白そうなことを考えているみたいね」
「……っ!?」
ゾクリッ。
全員が全員、嫌な緊張と悪寒が体中を走らせた。
聞いたことのある声は、間違い無く男性の誰でも無い。今、この男湯という場所では居てはいけない人物だ。
ちなみにだが、椚山の情報である『女湯の声が聞こえる』という情報は、逆に言えば男湯の声も聞こえてしまうのだろう。しかも、途中からはテンションがやけに高くなってしまい声を抑えることも忘れて叫び合っていたのだ。
振り向けば、そこには私服に着替えていた涼香が男湯の入り口で仁王立ちしていたのだ。
本来、女子が男湯に入ってしまえば『キャー』などという黄色い悲鳴を上げるなんて聞いたことがあるが、そんなことは無い。
まるで彼女の背後に《氷結界の龍トリシューラ》がキシャーッと声を出して威嚇をしているように見えるぐらい殺気だっているのだ。
殺される。
今、この場で男性陣5人の心は一つとなった。
「とりあえず全員、歯を食いしばりなさい」
さすがに本当に殺されるということは無い。
だが、この場で全員が涼香によって温泉の底へと沈められた。
+ + + + +
「痛てて、覗きなんてやるもんじゃないな」
温泉から上がり別荘へと戻る。
涼香からの制裁によって出来たのであろう、頭のたんこぶを押さえながら創は後悔したかのように呟いた。それに対し椚山は語る。
「甘いな。覗きというのは、覗くまでの道のりも楽しむもんなんだ。それがわからないようじゃ新堂もまだまだ子供だな」
「やっぱり、私コイツは苦手だわ」
中でも主犯と思われる椚山は重点的に制裁を受けたのだろう。
たんこぶどころか、痣やらなんやらの傷を多く受けているのにも関わらずに、ケロリとして後悔も反省もまったくしていない。
「さて、そろそろ本題に入りたいと思うのだが」
なんて二階堂が真面目な顔つきで語り出す。
しかし、気になると言いたげに彼は視線を部屋の隅へと向けたのだった。
「……ぐすん、もうお嫁に行けません」
この場所の提供者であるはずの茜は、精神的にショックを受けたのか部屋の隅で体育座りをしているのだ。それを慰めようと初瀬がひたすらに謝り続けており、有栖は慰めていた。
「あれは、私もちょっと反省しているわ」
引け目を感じて反省の色を見せる涼香。
彼女曰く、何かにとり憑かれたような気分だったと語る。
「仕方ないあっちは二人に任せて、橘晃。お前はデッキを出せ」
「えっ……」
「お前が決定的に欠けているものを教えてやる。僕と
なんて二階堂が語りながら自分のデッキをテーブルへと置く。
場所が広いにせよ、それは普通の部屋というレベル。決闘盤を行うほどの広さでは無いために卓上での決闘となる。
晃と二階堂。二人がデッキをテーブルへと置き互いにシャッフルする。
「オレに欠けているもの?」
「準備は良いな。行くぞ」
決闘が開始される。
先攻は晃。5枚の手札から可能なプレイング、最善の手段、相手のプレイスタイルを考慮して思考を始めた。
(生徒会長のデッキは超高火力の【サイバー・ドラゴン】。ハバキリでも足りない)
有栖とのタッグデュエルで見せた二階堂のモンスターの攻撃力は軽々と4000以上を超えて行くのだ。その分、隙も大きいことから守りに徹し隙が出来たところを突くのが常套だろう。
「オレは《武神─ヤマト》を召喚。カードを2枚伏せ、エンドフェイズに効果によりサグサを手札に加えて落とす」
伏せたのは蘇生カードの《リビングデッドの呼び声》にフリーチェーンのバウンスである《強制脱出装置》だ。墓地には破壊耐性を付与する《武神器─サグサ》に加えて手札には《エフェクト・ヴェーラー》まであるのだ。
鉄壁の布陣。これを崩すのは困難だろう。
「ふっ、だから貴様は駄目だと言うのだ。僕のターン」
何が駄目なのだろう、二階堂には晃たちが見えていないものが見えているかのような言動と共にカードを引く。引いたカードは必要なものなのか、手札に加えずに即座に場へと発動させたのだ。
「ライフを2000支払い《終焉のカウントダウン》を発動ォ!」
「…………へ?」
橘晃の予想はあまりに大きく外れた。