トリックスターな魔王様   作:すー/とーふ

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エピローグ 下

「調査不足も甚だしいよね、ホント。人の権能をよく知りもしないで『穢れを祓う者』なんて名前を付けるんだからさ」

 

 秋人の体内で爆発的に呪力が高まる。しかもこの感じはロキのものでも無ければ、タロスのものでもない。去年の夏に降臨したまつろわぬ大禍津日神のもの。

 祐理からの情報も無く、この権能をただの浄化能力だと勘違いしていた二人を驚愕が埋め尽くした。

 

 そう、呪いや汚染の浄化など、この権能の副産物でしかなかったのだ。

 

 臨界に達する呪力に含まれる神性――身の毛もよだつ邪気を感じ、大騎士達の警鐘が最大限に鳴り響いた。

 彼女達の聴く言霊は、まさに凶事と災厄そのもの。

 

「悪しき穢れは民に災厄を齎すもの。凶事を示し民に破滅を齎すもの。されども民に逃れる術は無し! 我はその穢れを手繰る者なり!」

 

 瞬間、秋人が手を翳す先、つまりエリカとリリアナ目掛けて悪寒が走った。生温かい風が通り過ぎた途端、熱病に侵されたようにドッと冷や汗があふれ出し、玉のような汗が一滴垂れる。周囲に漂う悪しき力の流れから、自分達がある権能に曝されている事を二人は瞬時に悟った。

 しかし不気味さと気持ち悪さに反し、目に見えて異常は見当たらない。訝しげな視線を向ける二人にニヤリと笑い、秋人はミョルニルを肩に担いで駆け出す。

 目指すは恵那と祐理のいる岩場。当然、平然と脇を通ろうとする秋人を黙って見ている訳にはいかない。エリカとリリアナは同時に行動に移した。

 

「待ちなさ――きゃっ!?」

 

 しかしエリカは、ヒールの踵が不運にも折れてしまったため、バランスを崩し、リリアナを巻き込む形で倒れこみ、

 

「くっ、重いぞエリ――ッ!?」

 

 押し潰されながら文句を言おうとしたリリアナは、倒れた衝撃で不運にも舌を噛んで悶絶する。

 

 ――大禍津日神は凶事と災害を司る神格である。だから人々はこの神をあえて祀る事でご機嫌を取り、その凶事や災厄から逃れようとしてきた。凶事と災害を齎す神としてだけでなく、禍を祓う神として信仰されているのもそれが理由である。

 その事を知っている祐理達は、故に浄化の権能だと疑いもせずに納得してしまった。

 

 秋人の得た権能は大禍津日神らしく、この凶事と災害の元となる様々な『穢れ』を操る力。

 

 浄化作用は副産物であり、真の意味は力を発揮するためのエネルギーチャージ。祓っている訳ではない。吸い出し、蓄積しているだけなのだ。

 いつの日か、その穢れの全てを敵に浴びせるために。

 

「本当は穢れを蓄積しといて一気に放出、敵を呪殺する権能なんだけど、ちょっとパワーダウンさせれば他人の運気を下げる事が出来るんだよ!」

 

 倒れている二人の横を悠々と走り過ぎた秋人は、恨みの籠った視線を背中に感じつつ岩場を目指す。その際、未だタロスと肉弾戦を続けている護堂を目撃するが、とりあえずは無視。チラ見してから視線を前方に戻すと、そこには太刀を両手に疾走してくる恵那の姿が視界に入った。

 

「勝負だ恵那姉ちゃん!」

「『神がかり』は使えないけど、それでも武器センスがゼロの王子様には負けないよ!」

「うぐっ、人が気にしている事をっ!?」

 

 秋人がミョルニルを多用するのは何もこの戦槌を好んでいるからではない。ただ単に色々な人から『格闘センスゼロ、武器を扱うセンスが欠片も無い』と太鼓判を押されているからだ。だから秋人は適当に投擲しても敵を粉砕して戻ってくるミョルニルを愛用している。そして秋人が再現可能な神具の中には、ミョルニルと同じ必中の効果を持った武器が存在した。

 

「血の盟約に従い、片眼の同胞は我が声に応えよ! 世界の枝は数多の軍勢を討ち滅ぼせ!」

 

 神具の再現は同時に行う事が出来ないため、ミョルニルを解いて元のトンカチに戻す秋人。ベルトに戻し、腰の後ろから引き抜いたのは、神具や呪具の解明が趣味のカンピオーネから無断で拝借した一〇センチの手槍だ。

 かつては呪われていた呪具。所々が錆びついたボロボロの槍は、新たに神性を纏い黄金の槍へと生まれ変わる。

 一メートルちょっとの短槍サイズのグングニルを恵那の持つ太刀目掛けて投擲し、彼女がその迎撃に身構える間に、秋人はポーチに右手をつっこんだ。そして、また新たな神話が再現される。

 

「黄金の体躯は幾多の戦場を駆け抜ける! 獰猛な牙歯は主の敵を噛み砕け!」

 

 ポーチから引き抜かれたのは、五センチほどの黄金で出来た猪の彫刻。秋人の盟友であり先輩、ジョン・プルートー・スミスの伝手を頼り、闇エルフの鍛冶術師に鍛造してもらった一品だ。

 寸分違わず目標を貫き、恵那の太刀が折られてグングニルが役目を終えた瞬間、ただの置物に命が吹き込まれる。北欧神話にてドヴェルグの兄弟によりミョルニルと共に鍛造された宝の一つ。あらゆる場所を馬よりも早く駆け抜ける黄金の猪。

 豊穣神フレイの乗り物グリンブルスティに跨った秋人は、一気に恵那の横を駆け抜けた。

 

「しまった!?」

 

 太刀を犠牲にしても接近さえ出来れば捕えられる。そう油断していた恵那は急に速度を上げた秋人に対応しきれず、太刀を破壊された上に祐理への接近を許してしまった。

 恵那の戸惑う声も最早遠く後ろにある。岩場まであと数秒、その時、

 

(タロスが倒された!? ……やるな兄ちゃん)

 

 秋人は岩場に到達するまでの僅かな時間に顕身が打ち倒された事を悟る。タロスの弱点は血液の通っている喉から踝にかけての一本の管。その血管に蓋をしている小さな杭。

『善悪の悪戯』と併用する事で弱点部位を隠していたが、どうやら見えなくしているだけでそこにあると気付いた様だ。

 しかし、タロスを倒しても護堂が駆け付けるまで時間が掛かる。

 勝利を確信した秋人は岩場へ到達して直ぐに猪から飛び降りた。

 ル○ンダイブの様に飛び掛かる相手は、突然の事に目を丸くしている祐理だ。

 

「捕ったぞ祐理姉ちゃん! そのワンピースを素敵なヒーロースタイルに変えてやる!」

 

 その時、祐理の脳裏を過ったのは、子供の頃に日曜の朝にテレビで見掛けた戦隊ヒーロー。またはデパートの屋上で行われるヒーローショーのスタッフ達。全身タイツのスーツを着てフルフェイスの被り物をしている姿だった。

 その恥ずかしいコスプレをさせられる。それは乙女の精神と尊厳を破壊しかねない尋常ならざる危機であった。故に今、恐怖で頬を引き攣らせる祐理は力の限り主の名を叫ぶ。

 

「た、助けてください、護堂さんっ!」

 

 その時、秋人と祐理の間に一陣の風が吹き荒れた。

 ウルスラグナ第一の化身。双方が風の吹く場所にいる事。助けを求める知人がかなりの危機に陥っている事。この二つの条件を満たした時、知人が護堂の名を呼べば、彼は『強風』の化身によりその場に瞬間移動する事が出来る。

 タロスを倒した猛者が秋人の前に立ち塞がった。

 

「げっ、兄ちゃん!?」

「全ての悪しき者よ、我が力を恐れよ! 今こそ我は、十の山の強さを、百の大河の強さを、千の駱駝の力を得ん! 雄強なる我が掲げしは、猛る駱駝の印なり!」

 

 一定以上の怪我を負った時に使える『駱駝』の化身。脚力を増幅し、耐久力と格闘センスを飛躍的に上昇させる力は、護堂の持つ接近戦術の中でも最強の強さを誇る。

 身体の至る所が火脹れし、重度の火傷を負っている護堂の蹴りは、咄嗟にガードした秋人の両腕を弾き飛ばし、肋骨の何本かに罅を入れる。その小さな身体を砂浜の方へと蹴り飛ばした。

 秋人もそうだが同族が相手だと護堂も全く容赦が無い。

 

「げほっ、ごほっ……しゅ、瞬間移動とかっ、馬鹿力で脚力も強いのに瞬間移動だなんてっ、どんだけ多彩なんだよ兄ちゃんの権能は!? そんなの卑怯くさい!」

「先輩にだけは言われてたまるか!」

 

 宙を飛び、砂浜に落ちようとする秋人へ瞬時に追い付くほどの脚力を見せる護堂は、そのまま咳きこむ少年を捕えようと手を伸ばす。

 しかし護堂の手がパーカーを掴む寸前、突如走りこんできたグリンブルスティが秋人の襟首を噛んで護堂の手から引き離した。

 

 護堂はそのまま砂浜に着地し、彼の下にエリカ達が集まる。秋人はそのまま猪の背に乗り、腹ばいのまま護堂を空から見下ろした。

 未だ咳きこむ少年に、同じく火傷の痛みで苦痛の表情をしている護堂が声を掛ける。

 

「そろそろ疲れてきたんじゃないのか先輩。――あの怪物、もう一回出しても良いんだぞ。まあ、出す余裕があるならの話だけどな」

 

 秋人が浮かべる脂汗は、腹を蹴られた痛みだけのものではない。

 ミョルニル、グングニル、グリンブルスティと、次々と燃費の悪い権能を行使した結果、秋人の呪力は尽きかけていた。

 それはエリカ達の猛攻が生んだ勝機。秋人の消耗が既に激しかった事を知り、体力勝負に持ち込んだ護堂達の作戦勝ちだ。

 

「……でも、このままだと兄ちゃんの負けだね。あとちょっとでタイムアップだよ」

 

 現状の不利を認めても、秋人は不敵にほほ笑んだ。腕時計に目をやれば約束された時間まではほんの僅か。

 消費し続ける呪力を少しでも節約するため、護堂達から距離を取って砂浜に降り立った秋人は、猪を消しながらそう告げた。

 対して護堂は悔しそうに唇を噛む。しかし表情とは裏腹に彼の眼は諦めていない。そう、その悔しそうな表情――正確にはナニカを恐れているような表情の意味は、作戦会議中にエリカとした約束事。そのタイムリミットを告げられたのと等しいからだ。

 

「護堂、確かにタイムアップよ」

 

 エリカは護堂の肩に手をやり、彼の顔を覗き込むように正面へと回りこむ。その際、彼女の表情がチシャ猫の様に歪んだように見えたのは気の所為なのだろうか。

 

「いや、エリカ。もう少し粘ろう。こうなりゃ意地だ」

「エリカさんの言う通りだよ、王様。ここは素直に話に聞いた光る剣でサクっていこうよ。恵那も見てみたいな」

「きょ、教授の術を使う時間を、先輩が与えてくれるとは思えないっ! ここは一か八かで特攻だ!」

 

 頑なな護堂の声は抵抗に満ち、悲鳴に近かった。そして秋人は恵那の言葉に激しく反応を示す。

 

「光る剣……それってサルバトーレの兄ちゃんにも使ったっていう神格を切り裂く化身?」

 

 護堂が持つ十番目の化身。神々の神格を切り裂き無効化する切り札は、その対象とする神の知識を得なくては行使出来ない。それも深い知識を必要とする。その知識をエリカ達の教授の術に頼っているため、護堂はキスを避けるためになるべく自力で秋人を捕えようとしていたのだ。

 しかしその強がりも最早ここまで。エリカは勝つために必要な事だと理論武装をしながら護堂に詰め寄った。決して護堂とキスするチャンスを逃さないためでは無い。……無いったら無い。

 

 今までとは異なる危機に直面した護堂は、更に悪魔の声を聴いた。

 

「へえ、見たい見たい! 待っててあげるから使ってよ兄ちゃん! なんだったら準備のために残り時間も延長する!」

「なっ、先輩っ!?」

 

 まさかの敵からの支援に護堂は言葉を失った。仲間ではないが気分は完全に『ブルータス、お前もか!』である。

 闘っているがこれはテスト。勝つのも大事だが、一番大事なのは護堂の力を見極める事なのだ。ルール変更どころか不利になるのも関わらず時間も延長する辺り、かなりフリーダム。

 

「さあ、護堂。あの子もああ言っているんですもの、早く始めましょう。あの子の要になっているロキ神の権能をどうにかしないと勝ち目は薄いわ」

 

 これ幸いと唇を寄せ、乙女の様に頬を紅く染めるエリカ。しかしその唇が護堂のそれと重なる前に、リリアナが彼女の肩をガシっと掴んだ。

 

「――何故あなたが教授の術を施す事になっているのですか、エリカ・ブランデッリ」

「わたし以外に適任はいないでしょう、リリィ。なんと言ってもわたしは『世界の良心』冬川秋人様が認める、護堂の一番の女なんですもの」

 

 無駄に丁寧口調でエリカをフルネームで呼ぶリリアナは、見惚れるほどの笑顔だが目が一片たりとも笑っていない。エリカもにこやかな笑みで返すが、両者の間に火花が散っているのは誰が見ても明らかだ。いや、正確にはリリアナの敵意をエリカが受け流している形なのだが。

 とにかくお馴染みのやり取りが始まった時、護堂は傍観していた先輩の声を聞いた。

 

「そうだよねー。キスをするんだから一番大切な人じゃなくちゃダメだよねー」

 

 この一言でエリカとリリアナはピタッと停止。同時に祐理と恵那の肩もビクッと上がる。火に油を注いだ発言に護堂は頭を抱える寸前だ。

 

「ほらご覧なさい、これで異論は無いはずよね」

「大ありだ! あなたみたいな者の毒牙から主君を護るのも騎士たる私の務め! よって、こ……ここは、草薙護堂の一番の騎士である私がこの身を捧げるのが筋というものだッ!」

 

 ヒートアップするエリカとリリアナの対話は次第に言い争いへと発展する。いつ互いの剣を突き合わさせても可笑しくないほど目が剣呑だ。

 そして護堂は仕方無く仲裁に入ろうとして、確かに見た。事態をややこしくした張本人が、ニマニマと悪戯っ子の笑みを浮かべているのを。

 

(あいつ、確信犯か!?)

 

 流石は世が認める悪戯っ子。おちょくるチャンスは逃さない。事態をややこしくする事に長けている。

 これが悪戯好きの神の力を持つ魔王なのかと慄く護堂だった。

 

「これで王様の正妻が決まるなら、祐理も黙っていられないね……って、あれ」

 

 早速祐理を焚き付けて参戦しようと恵那は辺りを見渡すが、いつの間にか祐理の姿は何処にもない。その時、二〇メートル離れた地点から、恵那は秋人の怒声を聴いた。

 

「うわっ、ちょっと、何すんだよ祐理姉ちゃん! せっかく面白くて良いところなのに!」

「キスシーンだなんて、秋人さんが見るには早すぎます!」

「目隠しなんて酷いぞ姉ちゃん! 今すぐ放さないと全身タイツのヒーロースタイルに変えちゃうぞ! 流石の俺もドン引きするやつ!」

「か、覚悟の上です!」

 

 祐理はいつの間にか秋人の背後に回り込み、その両目を自身の柔らかな手で覆い隠している。これは秋人を捕まえた事にならないのかと思わなくもないが、どちらにしろ面白い展開なので恵那は見なかった事にした。

 

「祐理が身体を張って頑張ってるんだもん。恵那も頑張らないとダメだよね。エリカさん、リリアナさん。なんだったら中立って事で恵那が教授の術を引き受けるよ」

 

 秋人が祐理に『善悪の悪戯』を使用。ワンピースは緑色の生地をベースに疑問符が沢山イラストされた薄地のタイツに変貌し、祐理が脱落したのを見届け、恵那もまたキスの権利を得るために参戦する。

 脱落し、羞恥で頬を真っ赤にしながらも、秋人の目を覆い続ける祐理の努力に乾杯だ。

 

 そのまま数分の時が流れる。そして、

 

「あー、もう分かった! 公平に三人に頼む! これで良いだろ……あ」

 

 やけくそに叫んだ護堂は自らの失態を悟るが、もう遅い。同志討ちにまで発展しそうだった彼女達は揃って動きを止め、そして息を揃えてたっぷり溜息を吐いた。

 

「ハァ、護堂にも困ったものね。今度しっかり埋め合わせはしてもらうから覚悟しなさい。……まったく、意気地が無いんだから。幽世で見せた猛々しい雄の貌は何処にいってしまったの」

「こ、これが無意識にハレムを形成するあなたの力なのですね。しかし、私は御身の騎士。例え主君が見境の無い色情魔でも、この忠誠心に変わりはありません!」

「うわー、王様ってば欲張りだ。でも、うん、英雄は色を好むって言うよね。仲間外れは可愛そうだから、今度は祐理にもしてあげてほしいな」

「恵那さん!?」

 

 

 ――その後の恥ずかしい行為の一切を、秋人は見る事は叶わなかった。

 

 

 数分後。

 堂々と満足そうに豊満な胸を張るエリカに、頬を染めて憮然とした表情を取るリリアナ。そして視線を泳がせて恥じらう素振りを見せる恵那を見て、祐理は漸く秋人を解放した。

 当然、その行為の全てを目撃した彼女の頬も夕陽の様に紅く蒸気している。

 

 そして、膨大な量の知識を授けられた護堂は、

 

「……………………待たせたな、先輩」

「……………………兄ちゃんも大変なんだね」

 

 精神的にやつれて見える護堂に同情を禁じえない秋人。将来、絶対に彼女は一人に絞ろうと堅く心に誓った。ヒーローが痴情のもつれで昇天するなど笑い話にもなりはしない。

 

「まあ……その、アレだよ、うん。こほんっ、気を取り直して――さあ、兄ちゃん! サルバトーレの兄ちゃんを追い詰めた力を俺に見せてみろ!」

「ああ、見せてやるさ!」

 

 無理やりテンションを上げた護堂の呪力が膨張し、溢れ出す。すると、彼の周囲に変化が生じた。現れるのは無数の光の粒子。この粒の一つ一つが、ロキの正体を丸裸にする知識の言霊。神格を詳らかにする事で、護堂は戦士の化身を呼び起こす。

 

「――邪神ロキは、元々は神々と敵対関係にある巨人族の出身だ。しかし彼は主神オーディンと血を交わし合い、義兄弟となることで神格を得て、神々の住まいアースガルズに住む事を許された」

 

 巨人族が北欧の神々の仲間入りを果たすのは、何も珍しいことではない。婚姻によって仲間となる巨人族はそれなりの数が存在し、オーディンの母親でさえ巨人族の出身である。

 

「ロキは神話において数々の活躍を残すが、民間で崇拝されていた経歴はあまり存在しない。これは異教時代の末期に、ゲルマン神話を信仰していたノース人にキリスト教が伝えられ、北欧神話に悪魔の観念が取り入れられたからだ」

 

 キリスト教が伝来した事で北欧神話は変質し、彼は悪戯好きの神からサタン=堕天使ルシファーの様な存在となってしまう。端正な美貌を持つロキの悪戯が段々とエスカレートして邪神と呼ばれるようになる様は、神の使いだった美しい天使(サタン)が堕天し、悪魔(ルシファー)となった流れと似ている。

 故にロキは、キリスト教の影響を受けて変質してしまった神の一人だった。

 

「ロキは邪神や悪神と呼ばれるだけあって、アースガルズに混乱と破滅を呼び込んだ。些細な悪戯から、アース神族を不老にする黄金のリンゴの管理人イズンの誘拐。光の神バルドルの死。その全てがロキの行動が発端となっている。仕舞いには、終末戦争(ラグナロク)の時は巨人族を率いて神々に戦いを挑んだ」

 

 砂浜は今、黄金に輝く戦場と化していた。護堂が言霊を紡ぐ度に黄金の光は幾重にも纏まり、叡智の剣を創造する。

 その幻想的な光景に、意志の籠った護堂の言霊に呑まれ、呆けている事に、この幼い魔王は気付かなかった。

 

「けれどロキは破滅を齎すと同時に、その策略で多くの神々を救い、繁栄を齎した神でもあるんだ。現に雷神トールや主神オーディンの武器はロキが鍛冶師を騙さなければ鍛造されず、アースガルズの城壁建設の時も、ロキの機転で太陽と月、そして豊穣の女神フレイヤを巨人族に渡さずに済んでいる」

 

 混乱と破滅の末に繁栄を齎す者。善と悪、愚者と賢者、破壊と創造の二面性を持ち、神話をかき乱し神々を混乱させる様は、まさにトリックスターそのものだ。

 

「また、ロキは様々な顔を持つ神だ。ラグナロク――いや、その前から、ロキは自らも闘う戦士であり、ルーン魔術に長けた魔術師。魚網や魔剣を制作した発明家にして鍛冶師。それに雌馬に化けて牡馬スヴァジルファリと交わる事でスレイプニルを儲け、また女巨人アングルボザの心臓を食らい三匹の化け物を出産した伝承から、多産の象徴である豊穣神の側面も少なからず持っている」

 

 護堂の言霊は続く。

 秋人は、いつの間にか黄金の光が漂う戦場の中にいた。

 

「そしてロキは炎の巨人の国ムスペルヘイムの出身という説もあり、破滅と繁栄を齎す事から、それが火の持つ破壊と繁栄の二面性を示すとして、火の神格を持つ火神でもある。現にノルウェーでは暖炉の火が跳ねるのもロキの仕業と見なされるくらい身近に存在する神だったんだ」

 

 長い長い言霊は佳境を迎える。皆が見守る中、護堂は厳かに一本の剣を抜きだした。

 黄金の剣に更なる光球が収束し、弾け、神を斬り裂く聖なる秘剣が創造される。

 

「――巨人族であり、半神。戦士であり魔術師。発明家にして鍛冶師。豊穣神の側面も持つ火神。その策謀で敵を滅ぼし味方を救った狡猾な邪神。神々に破滅と繁栄を齎したトリックスター。世界を終末に誘う『終える者』」

 

 黄金の剣から迸る神々しい光の奔流に、秋人は目を細めた。そしてその間に『戦士』の言霊は完成する。これこそが護堂の切り札。

 何柱もの神を斬り伏せ、同族を追い込み、勝利を生み出してきた叡智の結晶。

 

「――様々な顔を持つ変幻自在の神。それが先輩の持つ権能、ロキの正体だ!」

 

 

 

 今ここに、ウルスラグナ最後の化身、神格を斬り伏せる言霊の剣が顕現した。

 

 

 

「あはっ――あははははっ! 凄い、強そう! それにカッコいい!」

 

 護堂が創造した黄金の剣。その武器を中段に構える様は、秋人の男心を盛大に震わす。

 身を貫くウルスラグナの神性に鳥肌が立ち、黄金の剣を見る度にカンピオーネの本能が警鐘を鳴らす。

 しかし、

 

 もっと見ていたい/見ていたくない

 受けてみたい/受けたくない

 

 不思議な感覚に秋人は魅せられた。

 

「――でも、これはテスト! 勝負だ! その剣で神格を斬れるもんなら斬ってみろ!」

 

 秋人は不可思議な欲求を心の隅に押し込め、無理やり意識をテストに向ける。

 剣を構える護堂、その後ろに並ぶエリカ達を見据え、秋人は呪力を捻り出す。その身に宿る呪力は残り少ない。それでも秋人は護堂の切り札を破るため呪力を練り上げた。

 

 そして呼び出すは――青銅の顕身。

 青銅の巨人は主を肩に乗せ、堂々と護堂の前に三度立ち塞がった。

 

「兄ちゃんの剣はロキの兄ちゃんの神格を斬り裂くもの! ならそれ以外は斬れる訳が無い!」

 

 秋人は決して馬鹿では無い。その本質はどちらかといえば、戦闘以外では馬鹿さが目立つサルバトーレ・ドニに近いものがある。一年半前にロキの巨大迷路を突破した秋人の観察眼は、事前の情報と合わさり『戦士』の本質を正確に見抜いていた。

 タロスを盾にする限り、ロキの権能にしか効果を及ぼさない剣は秋人に届かない。

 

「テスト再開! 残り時間は五分! それまでタロスを盾にすれば俺の勝ちだ! その剣は俺に届かない!」

 

 秋人は護堂に断言する。

『戦士』の化身が脅威である事は十分に知れた。これなら神々とも対等以上に戦えるだろう。

 仲間とのチームワーク。護堂単体の力。

 そのどれもが予想を遥かに上回る。

 護堂の実力が十分に知れた今、あと確かめるのは意志の力。

 この逆境を跳ね除けて勝利を掴みとれるか。

 

 それを確かめるためにも、負けてやる気など更々無い。

 秋人はカンピオーネ。絶対の勝者なのだから。

 

 

 

「――残念だったな、先輩。お前に剣を向ける必要なんて無いんだ」

 

 

 

 しかし、秋人と対峙する彼もまたカンピオーネ。

 右手に黄金の剣を、背後に頼れる仲間を、そして周囲に無数の剣を煌めかせる護堂は、勝者の眼差しを秋人に向ける。

 

 少年は失念していた。斬り裂くのは神格であり秋人自身ではない。そしてロキの神格そのものが、護堂の身近にある事を。

 

 視線を外した護堂が見つめる先、そこにいた祐理に――祐理の纏うヒーロースーツを見て、初めて秋人の表情から血の気が失せた。

 

「まさかっ」

「万里谷は確かに脱落している。彼女は俺達に手を貸さない。ただ、そこに立っているだけだ!」

「なんという屁理屈!?」

 

 秋人は直ぐにワンピースへ施した『善悪の悪戯』を解こうとするが、遅い。

 権能が解かれる前に黄金の剣はスーツを斬り裂いていた。

 

「うっ!?」

 

 胸元に手をやり、身体から大事な力が消失するのを秋人は感じる。

 いつも共にあったロキの権能が封印されたのだ。

 

「これで先輩はロキの権能をしばらく使えない。タロスの弱点は分かっている。――残り四分弱。それだけあれば釣りがくる!」

 

 茫然自失としている秋人へ高らかな勝利宣言。

 それと同時にエリカと恵那が疾走し、タロスを二人で囲い込む。リリアナは『ヨナタンの矢』を構え、護堂が痛む身体に鞭を打ってクライマックスに備える。

 

 そして秋人は、痛む肋骨も無視し、腹を抱えて笑いこけた。

 それは子供らしい無邪気なもので、楽しくて仕方が無いという純粋な笑い声。

 

「まだ終わらない! ヒーローたる者、クライマックスの戦いなんてこれしか無いに決まってる!」

 

 いったい何処に残っていたのだろうか。正真正銘、最後の力を振り絞って捻出した呪力を対価に幼い魔王は聖句を唱える。その言霊が進むにつれ青銅の怪物は膨張し、その巨体を更に巨大なものへと変貌させた。

 秋人の頬を伝う膨大な汗が、それが限界を超越して呪力を絞り出しているのだと護堂達に知らしめる。もしかすれば命さえも燃焼させ、呪力に転換しているのかもしれない。

 そう思えるほど鬼気迫る表情で言霊を唱え終え、身を削ってまで全長三〇メートルの巨人を作り出した秋人は、地上で唖然としている後輩にビシッと人さし指を突き付けた。

 

「さあ、兄ちゃん! 兄ちゃんはこの巨大ロボットを倒せるか!?」

「ロボットっていうより怪人の巨大化だろ!? お前、さっきからやっている事が悪役ポジションだからな!?」

 

 正義のヒーローよりも悪の怪人の方がハマり役な気がするのは果たして護堂の気の所為なのだろうか。しかし、それならそれで護堂にとって僥倖だ。何故なら、

 

「さて汝は契約を破り、世に悪をもたらした。主は仰せられる――咎人には裁きを下せと!」

 

 

 

 ――巨大化した怪物は、正義のヒーローに倒されると相場が決まっているのだから。

 

 

 

「背を砕き、骨、髪、脳髄を抉り出せ! 血と泥とともに踏み潰せ! 鋭き近寄り難し者よ、契約を破りし罪科に鉄槌を下せ!」

 

 護堂の唱えた言霊に従い地面が鳴動する。

 巨大なものを破壊する事を条件に召喚できる大猪。ウルスラグナ第五の化身『猪』は大地を割る様にして顕現し、音撃に等しい咆哮を上げる。

 

 カンピオーネの二人は、これが互いに最後の攻防であると直感する。

 護堂を背に乗せ、体長二〇メートルの黒き神獣は暴れられる事を喜ぶ様に目標目掛けて突撃。

 秋人を肩に乗せるタロスはその巨体を受け止める。

 

 

 怪獣映画を彷彿させる二体の衝突。大気を揺るがす最後の一撃。

 その結果は――、

 

 

 ◇◇

 

 

「――さん、秋人さん!」

「…………祐理姉ちゃん?」

 

 後頭部に感じる柔らかさ。上から覗き込む祐理の顔。頬に添えられた温かい手。

 視界がぼやけ、靄が掛かった様に頭が重いが、それでも秋人は鈍い思考の中で、祐理に膝枕をされている事を悟る。そして、最後の最後に敗北を期した事を。

 

(そうだ……あのとき)

 

 神獣と巨人の衝突は神獣に軍配が上がった。

 呪力が尽きかけて満身創痍の秋人と、まだまだ余力の残る護堂では、やはり結果は見えていた。

 力が拮抗していたのも一分間だけ。強固な筈の巨人は呆気なく肉体を貫かれ、その身をバラバラに弾き飛ばした。

 呪力も雀の涙ほどしか残っておらず、そもそも『善悪の悪戯』を使えない秋人に落下を逃れる術は無い。護堂に受け止められた衝撃で、秋人は今まで意識を飛ばしていた。

 

「そっか、負けたんだ。時間はどうだったんだろ」

「残り時間は三十秒、というところですかね。ギリギリですが、草薙さんの勝利ですよ」

 

 秋人に応えたのは甘粕だ。ちゃっかり離れた所から経緯を見守り、そして沙耶宮馨の指示で秋人の第三の権能を確かめていた甘粕は、やはり抜け目の無い性格なのかもしれない。

 秋人は再び『そうか』と呟いてしばらく沈黙。その後、祐理に礼を言ってから上半身を起こす。そうして初めて、怪我が治って呪力もある程度回復している事に気が付いた。

 気絶している間に誰かが術を施してくれたのだ。

 

 またキスされたと羞恥に悶え苦しんだのは言うまでも無い。

 

 頭を抱えて砂浜をゴロゴロ転がる秋人に、同じく回復の魔術で火傷が完治している護堂が近付いた。

 

「大丈夫か、せんぱ――」

「秋人」

 

 護堂に声を掛けられた途端、ピタッと停止した秋人は仰向けに寝っ転がったまま護堂を見上げる。

 きょとんとしている護堂に、秋人は再度自分の名前を繰り返した。

 

「秋人で良いよ、兄ちゃん」

 

 

 それは、護堂を認めた証だった。

 

 

 

 実力を認めた事を改めて口にするほど恥ずかしいものはない。なんとなく照れ臭く、顔を赤くしてそっぽを向く少年に全員が生温かい視線を送った。

 その視線から逃れるためにも、秋人は唐突に結果発表と叫び出した。

 

「結果は――当然、合格! 日本の平和は兄ちゃんに任せた!」

「――――ああ、任された」

 

 力強く頷いた護堂は、そう言って右手を差し出す。秋人はその手を力強く握り返し、漸く長かったテストは終わりを迎えた。

 エリカは腕を組みながら当然だと頷き、祐理とリリアナはホッと一息。恵那はニコニコと二人を見守り、甘粕は苦笑している。

 

 

 

 その和やかな空気に罅が入ったのは、護堂の質問が原因だった。

 

 

 

「秋人はこれからどうするんだ?」

「また旅に出るよ。兄ちゃん達にお助けキャラは必要無いっぽいし、やっぱり自分の戦隊が欲しくなったんだ」

「そうか、寂しくなるな」

「でもその代わり、次に会う時、俺はレッドになってるよ。――本当はブラックが好きなんだけど、その色はアレクのおっちゃんのものだから我慢する」

 

 最後のさりげない爆弾発言に、和気藹々とした雰囲気は氷河期を迎えた。

 ブラック、そしてアレク。この二つの単語から連想される人物など一人しか思い浮かばない。

 秋人の理想とする戦隊像に嫌な予感しかしなかった。

 

「あー、なあ秋人。そのアレクって人は、確かイギリスのカンピオーネだったか?」 

「ジョン先輩はどちらかと言えば仮面ライダーとかバッ◯マン気質で一匹狼が好きだろうし……うーん、しょーがないから除外」

「聞けよ、オイ」

 

 護堂のツッコミに気付かず、秋人は脳内で仲間候補のピックアップを続けていく。

 黒王子はブラック。冥王は除外。

 そして残りは、

 

「サルバトーレの兄ちゃんは青で、翠蓮義姉様の色は緑か黄色、好きな方を選んでもらおう。アイちゃんにも白とピンクどっちが良いか訊かなくちゃ」

 

 イタリアの剣王に中国の武王、そしてエジプトの天然聖女という、メンバー全員がカンピオーネという恐ろしいラインナップにこの場にいる全員が固まった。

 魔術業界に疎い護堂でさえ冷や汗を掻くほどだ。カンピオーネの傍迷惑さ、影響力を良く知るエリカ達の心労は、推して知るべし。

 

 彼等の変化に気付かない秋人は、そのまま暢気に壮大な計画を立て続けた。

 

「でもアレクのおっちゃんはノリが悪いから期待出来ないよなぁ。翠蓮義姉様は……ダメだ、そっちも期待出来ない」

 

 

 ――仮にも英雄を名乗る身でありながら、理由も無く複数で単騎の敵に挑むなど言語道断! 数の暴力などただの蛮行。武人の風上にも置けません、恥を知りなさい!

 

 

 以前拝み倒して一緒に観てもらった戦隊物のDVDにそうツッコミを入れていた義姉を思い出せば、とてもではないが承諾してくれるとは思えない。ブラックにグリーンかイエローは永久欠番になりそうだ。

 

「しょーがない。じゃあ本当は五人だけど普段は三人で活動って事にしとこう。昔は三人の戦隊物もあったことだし」

 

 お気楽者のサルバトーレ・ドニは、面白がって高確率で戦隊結成に付き合ってくれるだろう。たった一年半で三柱もの神を屠った経歴に、彼の人脈や行動を考えれば、今後も頻繁にトラブルが迷い込んで神々やカンピオーネと遭遇出来る公算が高い。闘う機会を虎視眈々と狙っている戦闘狂なら高確率で承諾してくれる。

 また一番のお騒がせカンピオーネと噂されるアイーシャ夫人も基本穏やかで優しい人なので、秋人の頼みは余程の事が無い限り断らないだろう。

 カンピオーネが三人揃えば戦力も十分。秋人の野望、一番の目的も、達成出来るに違いない。

 喜色満面の笑みを浮かべる秋人は、期待を募らせ拳を高らかに突き上げ、吼える。

 

「よし! これだけ揃えば悪の大魔王を懲らしめて改心させられる筈だ! もう次は負けないぞ狼じいちゃんめ!」

「ちょっと待て!? お前は誰と戦うつもりだ!?」

 

 ついに一番の危険人物が出てきて護堂の硬直は解けた。

 これで全てのカンピオーネと面識を持った幼き魔王に詰め寄るのは護堂だけではない。祐理や甘粕が続き、その後にリリアナが続く。エリカは呆れ、恵那は相変わらず笑っていた。

 

 

 

 ――結局このあと、秋人は世界を混乱に陥れかねない計画を断念するまで説得と説教を受ける事になる。

 ちなみに彼等が島を出港して帰路に着くのは今から数時間後。斬り裂かれたロキの権能が復活してからの事だった。

 

 

 

 

 

 

 そしてロキの権能を斬り裂いた際、球場の『善悪の悪戯』どころか世界中に施していた権能が解かれ、修復中だった銅像やら建物が軒並み倒壊。至る所で大混乱が巻き起こり、トスカーナで修繕指揮を執っていたとある苦労人がショックと過労で倒れたと護堂達が知るのは、帰港してからの事である。

 

 

 

 

 

 秋人の魔王戦隊カンピレンジャーが完成する日は、まだまだ先のこと。

 これは、それまでの出来事を綴った物語。

 

 

 

 

end

 




詳しいあとがきは活動報告の方に書きました。
興味のある方はご覧ください。

色々と反省点の多い中編小説でしたが、ここまでお付き合いしてくださり本当にありがとうございました。

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