重ねたキズナと巡る世界   作:唯の厨二好き

71 / 73
第67話 悪戯猫と女王様

 

 灼熱の太陽。

 

 それが仮初の海鳴市中心街を更地に変える。凄絶な爆風は、当然、引き離されていたなのはにも容赦なく襲い掛かったが、戦略級の魔法を放った転生者――七詩七雄が何かをしたようで、閃光により一時的に視力を奪われたくらいで余波の影響はほとんどなかった。

 

 だが、そんな事実は何の気休めにもならない。なぜなら、あの滅びの光の中心には、なのはの大切な、ずっとずっと自分を守ってきてくれた大好きな双子の姉――スグハがいるのだ。

 

 いくら、スグハが超一流の武技と、常識外の魔法を会得しているからといって、周囲一帯丸ごと消滅させられて無事に済むとは思えない。瞬間移動の魔法を得意としていることから普通なら直ぐに離脱できるだろうが、それは七詩達も重々承知のはずで、だからこそ転生者二人に時間稼ぎをさせたはずなのだ。

 

 何より、なのはが警告を出した瞬間の、スグハの焦燥。

 

 双子だからか、それとも無意識の内の魔法的な何かなのかは分からないが、昔から、なのはとスグハは互いの強い感情については、離れていても不意に感じることがあったのだが……それが、強く伝わった。

 

 姉は無敵だ。今までだって、幾人もの転生者達を、士郎達御神の剣士が手を出せない場所ではたった一人で退けてきた。だから、無事なはず。消えてしまったなんて、そんなことあるはずがない!

 

「お姉ちゃん! 返事してっ。お姉ちゃん!」

 

 滅びの余韻覚めやらぬ現場からは、未だ、応答がない。胸に湧き上がる不安を押し殺し、なのはは必死に、スグハに呼びかける。

 

 だが、

 

「……すまないな。これも世界と、君の未来の為だ。なに、目が覚めたときは、全てが元通りだ。心配することはない」

 

 ハッとしたなのはが視線を転じれば、そこには銀色の銃型デバイスをなのはに向けている七詩と、チェックメイトだとでもいうかのように肩を竦める日野芽の姿があった。

 

 なのはは悟る。七詩が引き金を引けば、自分は意識を喪失し、そして、目覚めたときには何もかも忘れた後なのだろうと。大切な姉がいたということを、忘れたことすら忘れて、のうのうと生きていくのだろうと。

 

 それは、今の高町なのはが死ぬことと、いったい何が違うというのか。

 

(そんなの、絶対にイヤっ)

 

 心で絶叫し、なのははその場を離脱しようとする。が、

 

「――【クラウンベルト】。悪いけど、チェックメイトだよ。イレギュラーとはいえ、実の姉が死んだなんて記憶、さっさと消しちゃおうね」

 

 道化師のベルトがなのはを拘束する。そして、まるで走馬灯のように家族との思い出が脳裏をよぎる中、無慈悲に、七詩の引き金が引かれた。

 

 その瞬間、

 

「え?」

 

 なのはは、わけの分からない光景に呟きをもらした。彼女の眼前には、夜空が広がっていたのだ。

 

 足は地についている。場所はビルの屋上――その淵だ。眼下では突然消えたなのはを探して、動揺をあらわにする七詩と日野芽がいる。そう、なのはは、一瞬にして、自分でも意図せずに、ビルの屋上へ瞬間移動していたのだ。

 

 突然の事態に、呆然とするなのはへ、その犯人が声をかける。

 

「にゃぁ~」

「ふぇ!? って、ネコさん!? いつの間に、私の頭の上に!?」

 

 わたわたと手を振りながら、眼前にふりふりと垂れるモフモフのカギシッポ。直後には、なのはに注意を促すようにネコ足が垂れてきて、なのはの額を肉球でぽふぽふする。

 

 どうにか自分の頭に鎮座しているネコを降ろしたなのはは、それを眼前に掲げてギョッとした。確かに、一見するとどこにでもいる黒猫なのだが……

 

「どうしてシッポが三本もあるの!?」

 

 そう、その黒猫には、ふさふさの毛に覆われたギザギザのカギシッポが三本もついていたのだ。しかも、なのはが驚愕の声を上げた瞬間、

 

「笑ったっ!?」

 

 ニィイイイと口元を歪めて、実に悪戯っぽく笑ったのだ。

 

 思わず放り投げたなのはの反応は正しい。故に、そんないかにもな化け猫が空中でくるりと回転し、そのままスタッと自分の頭に返って来くれば「いやぁああ~~」と悲鳴を上げてあたふたするのは仕方のないことだった。

 

 当然、そんな風に騒げば、七詩と日野芽も気が付くわけで、

 

「驚いたな。転移魔法までデバイスなしで修得しているなんて……」

「本当、主人公っていうのは厄介よね。ここぞっていうときに、なんとかしちゃうんだから」

 

 二人とも屋上に飛び上がってくる。そして、もう転移する暇は与えないとばかりに、七詩が速攻でデバイスの引き金を引いた。それは、対象を一種の酩酊状態に陥れて意識を奪う非殺傷の魔法だ。

 

 それに気がついたなのはが身構えた瞬間には、既に、なのはがいる座標を中心に発動した後だった。

 

 もっとも、七詩の目論見は盛大に外れることになる。

 

「なっ、ノータイムで転移だと!?」

「ちょっ、いくらなのはちゃんでも、チート過ぎない!? っていうか、今更だけど、なんで頭にネコ乗せてるわけ!?」

 

 七詩と日野芽が動揺を隠せずに声を上げる。慌てて気配を探れば、隣のビルの屋上に、黒ネコを頭にポフッと乗せたなのはが目を白黒させている姿が目に入った。

 

「デバイスもなく、そんな連続転移が何度も出来るわけがない! 悪あがきだよ、なのはちゃん!」

 

 日野芽が、道化師の衣からおびただしい数のクラウンベルトを放出する。それはさながら蜘蛛の糸の如く、一瞬でなのはのいるビルを中心に空間全体へと展開された。

 

 二度の転移が、自分達から逃げるにしては短距離であったことから、デバイスのない速度重視の転移ではごくごく短距離が限界なのだろうと推測し、どこに転移しても捕まえられるようにしたのだ。

 

 が、そも、その推測は、前提を間違えている。

 

 故に、

 

「にゃあ~」

「にゃっ!? 今度はなに!?」

 

 ネコの鳴き声が一つ。口元が悪戯っぽくニィイイイイッと歪み、カギシッポがゆらりとゆれれば、刹那、なのはの視界が、周囲の空間が、一斉に――ずれた。

 

 幾百と奔る空間のずれ。

 

 それは、線上にある万物を空間ごと切り裂く神殺しの魔剣。その軌跡。悪戯ネコが巻き起こす空間断裂の証。

 

――【魔剣アンサラー】

 

 結果は言わずもがな。神の道化が織り成した結界は、いとも容易く細切れの残骸と成り果てた。

 

「違うっ、高町なのはの力じゃない! あの黒ネコだっ」

 

 息を呑む日野芽の傍らで、ようやく異常事態の原因に気が付いた七詩がデバイスを構える。

 

 が、次の瞬間、当の黒ネコが空間からにじみ出るように現われた。七詩の構えるデバイスの上に。

 

「うわぁっ!?」

 

 先程までのクールな印象とはかけ離れた悲鳴を上げて、デバイスを乱暴に振る七詩だったが、振り落とされたのは黒ネコではなく、細切れにされたデバイスの残骸だった。

 

「っ、このっ、調子に乗るな!」

 

 怒声を上げて、もう一つのデバイスを取り出す七詩だったが、銃口を向け引き金を引こうとした瞬間、死に物狂いで指を止める。

 

「っ、ちょっ、どこ狙ってんの!? 殺す気!?」

「お前が、いきなり現れたんだろうがっ!」

 

 そう、いつの間にか、黒ネコを狙って向けた銃口の先には、日野芽が出現していたのだ。そして、その日野芽の頭には黒ネコがニヤニヤしながら乗っかっている。

 

 日野芽が慌てて、頭上に爪を振るうが、それが黒ネコを捕える前に、当の本人がスッとその姿を消してしまった。同時に、七詩のデバイスがまたもや分解でもされたように破壊され、咄嗟に距離を取ろうとした七詩自身もスッと溶け込むように姿を消してしまう。

 

「にゃ」

 

 そんな鳴き声一つ。二人をかき消した直後、なのはの肩にゆらりと現れた黒ネコは、再び自慢のカギシッポを振るった。

 

 直後、なのはの視線の先で、凄まじい轟音と共にビルが幾重にも割断されて崩壊していった。

 

 ちなみに、消えた日野芽と七詩は、その崩壊するビルの中心に転移させられていたりする。二人とも、分解能力と破壊力抜群の能力を持っているので、ビルの崩壊に巻き込まれたくらいで死にはしないだろうが、流石に直ぐさまなのはへと攻撃をしかけることは出来ないだろう。

 

 転生者二人を、あっさり手玉にとった正体不明の黒ネコに、なのはは半ば呆然としながら視線を向ける。自分の小さな肩に乗っている黒ネコは、相変わらず人を食ったようなニヤニヤ笑いをしているが、何となく、なのははその尋常ならざる黒ネコが危険なものではないような気がした。

 

「……ネ、ネコさんは、私を助けに来てくれたの?」

「なぁ~お」

 

 なのはの質問に、「そうさ~」と返事をするように鳴く黒ネコ。ついでとばかりカギシッポでなのはの頭をポフポフする。まるで「まぁ、中々、頑張ったじゃん」と言うかのように。

 

 そんな黒ネコの態度(?)に、少なくとも自分に対する危険はないと確信したなのはは、泣きそうな表情で黒ネコへと懇願する。

 

「あのねっ、あのねっ、ネコさん! 私のお姉ちゃんが大変なの! お願い、お姉ちゃんを助けて!」

 

 あれほどの戦略級魔法が放たれた後でも、なのははスグハの生存を信じていた。それでも、無傷では済まなかったかもしれない。酷い傷を負っているかもしれない。そして、戦っていた二人の転生者が、そんな姉に、今にも迫っているかもしれない。

 

 そう思うと、とても落ち着いてはいられなかった。

 

 そんな焦燥と不安に揺れるなのはへ、黒ネコは黄金の瞳を優しげに細めると、再びカギシッポでなのはの頭をポフポフした。いかにも「心配すんな~。大丈夫さ~」と言っているかのようだ。

 

 そして、それを証明するように、視線を明後日の方向へと向ける。その視線を追ってなのはが視線を転じれば、更地の一角から何かが宙を駆けてくる。それが何か、理解した瞬間、なのはの不安と焦燥は吹き飛んだ。

 

「お姉ちゃん!」

「なのはっ」

 

 【神速】すら使って駆けたスグハは、そのままなのはに飛び込みそうな勢いで迫ったものの、しかし、なのはの肩の上に鎮座する黒ネコを見て思わず臨戦態勢を取った。

 

「お姉ちゃん、このネコさんなら大丈夫だよ。なんだかいろいろ普通じゃないけど、なのはのこと助けてくれたし……それに何となくあったかい感じがするの」

「……なのはがそう言うなら。というか、なんだかいろいろ普通じゃないものに、私の方も助けられちゃったし」

「え?」

 

 なのはが首を傾げる。すると、スグハの肩からひょこっと女の子が顔を出した。手乗りサイズの女の子が。

 

「ぇええええええっ!? お、お姉ちゃん!? なんかいるよ!? 小さいとかそんなレベルじゃないお人形さんみたいなのが! よ、妖精さんなの?」

「分からないわ。あのとき、流石に死を覚悟したのだけど……気がついたらこの子がいて、あの衝撃と熱波から守ってくれたのよ。障壁みたいなものを展開してね。なんにせよ、尋常じゃないわ」

 

 スグハが、自分の肩に座って「えっへん!」と胸を張る騎士甲冑を纏った美貌の少女に、どうしたものかと困ったように眉を八の字に下げた。スグハもまた、少女の存在がなんなのか分からずとも、なのはと同じく、なんとなく敵ではないと感じているのだ。もっとも、なのはより、経験則に基づく判断に比重は傾くが。

 

 と、その時、不意に閃光が瞬いた。

 

 咄嗟に、スグハがなのはと共に転移しようとするが、それを肩に乗った騎士甲冑の少女がペチッと頬を叩いて制止する。

 

 そして、スッと手を掲げた瞬間、スグハ達の手前で猛烈な閃光と轟音が鳴り響いた。見れば、空中に砲弾が留まっており、着弾地点を中心に障壁らしきものが波紋を広げている、かと思った次の瞬間、その砲弾がそのまま飛来した方角へ返された。

 

 神威すら受け止め、因果応報を体現するかのように悪意、敵意の全てをそのまま返す。絶対にして、最強の盾。

 

――【アイギスの鏡】

 

 追撃してきていたIS使い――上垣が、跳ね返された己の放った弾丸を辛うじて回避しつつ、障壁へ特攻する。

 

 機体はラファール・リヴァイヴ・カスタム。その手には大型の盾――【灰色の鱗殻】が装備されている。

 

「おぉおおおおらぁああああっ」

 

 最高速度のまま突撃し、大盾をシールドバッシュのように叩きつけ、次の瞬間、その大盾から爆音と同時に巨大な鉄杭が発射された。所為、パイルバンカーだ。破壊力は折り紙付き。第2世代ISの中では最強の攻撃力を持つ。しかも、リボルバー機構が取り付けられており、連続発射が可能だ。

 

 今も、連続した轟音と共に鋼鉄の杭が障壁を食い破らんと打ち込まれる。

 

 しかし、障壁は波紋を広げるだけで亀裂一つ入りはしない。その行使者である小さな少女も、実に涼しげな――否、頭部が背面に隠れるほど仰け反った姿勢のまま、上垣をビシリッと指差している。

 

 そう、これは、某見下しすぎな海賊女帝のポーズ!

 

「くそがっ。なんなんだよ、そいつは! マテリアルバーストに耐える障壁ってのはどんな冗談だっ。まだ、そんな隠し玉を持ってやがったのかよ、高町スグハ!」

「いえ、全くの誤解なのだけど……」

 

 見下しすぎな女帝のポーズを続ける肩の上の少女に、何とも言えない表情を向けながらスグハが言うが、言葉の途中で、上垣の隣に空間の亀裂が生じ、サーシャが現れた。

 

「しかも、空間に干渉できるネコの使い魔まで従えているようね。奇襲をかけようと思ったのに、空間の亀裂そのものを破壊されて邪魔されたわ」

「いえ、だから、誤解だと……」

 

 更に、瓦礫の山を粉砕して七詩と日野芽が飛び出してくる。

 

「高町スグハ……サーシャと上垣を同時に相手して圧倒し、俺のマテリアルバーストすら凌ぎ、その上、妹の援護までし続けていたとは……お前は化け物か」

「だから――」

「どうやら、今の私達じゃまだ届かないみたいだね。今回は、スグハの奥の手をさらけ出させたということで満足しとこうかな」

「……」

 

 どうあっても、誤解は解けそうになかった。彼等が誤解したセリフを吐き始めたときから、黒ネコがスグハの肩に飛び乗り、いかにも「我が主様~」と言いたげな雰囲気で頭を垂れ、見下しすぎな女帝のポーズを取っていた少女は、肩の上で行儀よく片膝立ちをしている。まるで、主の命を待つ騎士の如く。

 

 黒ネコは、頭を下げたまま口元を盛大にニヤニヤさせ、少女は無表情を貫きつつも、口元が微妙にピクピクしている。明らかに悪ノリしていた!

 

 スグハの頬も盛大にピクる。なにより、隣のなのはが、「えっ、この子達がお姉ちゃんの切り札!?」と半ば信じている辺りが、なんとも言えない。

 

「高町スグハ。私達は撤退するわ。それとも、どちらかが死ぬまで戦う? その使い魔がいれば、私達四人、いえ、結界を維持しているもう一人と合わせて五人を相手に、疲弊したなのはちゃんを庇いながらでも勝てるかもしれないけれど?」

 

 サーシャが空間の亀裂を開きながら、鋭い眼差しをスグハへと送った。スグハは、少し考える素振りを見せた後、何故か明後日の方向を向いている少女と黒ネコを見て溜息を吐きつつ、サーシャへと向き直った。

 

 凄絶な殺気を放ちながら。

 

 身構えるサーシャ達に、スグハは静かな声音で口を開く。

 

「次、会えば……斬るわ」

「っ、出来るかしらね? 私達も、このままではないわよ?」

 

 冷や汗を流しつつ、サーシャ達はジリジリと後退るようにして、空間の亀裂へと消えていった。同時に、封時結界も消えていき、人の営みがもたらすざわめきが聞こえ始めた。

 

「ふぅ。なのは、ごめんなさい。今回は、してやられたわ。格好悪いところを見せたわね」

「ううん、お姉ちゃんが無事でよかった。……私、もっと強くなるね。“原作”が始まったら、もっと転生者の人達が好き勝手し始めると思うし」

「そうね。転生者の能力は本当に厄介だわ。私も、もっと精進を積まないと……さて、それで、あなた達はいったいどういう存在なのかしら? 転生者? それとも、どこかの転生者の使い魔さん? 助けられたことには礼を言うわ。でも、顔見せもしない人を、全面的には信用できない。正体を教えてくれないかしら?」

 

 スグハが、騎士甲冑の少女と黒ネコへ言葉を向ける。なのはも、気になっていたのか真剣な表情で見つめ出した。

 

 が、その一人と一匹(実際には、二体)は、互いに顔を見合わせると、少女の方がぴょんと飛び上がって黒ネコの上に跨り、バイバイと手を振り出した。

 

小さなビスクドールのような少女が黒ネコに跨っている姿は、なんとも愛嬌があるのだが……明らかにどこかへ行こうとしている彼女達に、スグハは慌てる。

 

「ちょっと、まさか、そのまま消えるつもりじゃ……」

「ま、まって、ネコさん! お話しようよ!」

 

 二人して引き止めるが、直後には、スッと空気に溶け込むように少女と黒ネコの姿が希薄になっていく。どうやら引き止めること叶わないと察したスグハが、盛大に溜息を吐きながら、せめてと伝言を託す。

 

「あなた達を送ってくれた人に、お礼を伝えてちょうだい。おかげで、私はまだ、この世界で家族とともに生きられる、ありがとう、て。お願いできる?」

「わ、私も、助けてくれてありがとうって伝えて!」

 

 虚空に消える瞬間、黒ネコはニィと、騎士甲冑の少女はニッコリと笑みを浮かべ、コクリと頷いた。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

「おかえり。そして、ご苦労様。チェシャ、クイーン」

「にゃぁ」

「――!」

 

 海鳴市の遥か上空。雲海の更に上の月下において、黄金の雲に腰掛けた伊織が、自分の膝上に帰還した二体の魔獣――【チェシャキャット】と【クイーンオブハート】に労いの言葉をかけた。

 

 もちろん、チェシャキャットとは先の黒ネコであり、クイーンオブハートとは騎士甲冑の手乗り少女である。

 

 この二体の魔獣、本来は金属質なボディを持った、もっと生物味のない風体なのだが、伊織の長年の鍛錬と改良により、もふもふふネコとビスクドール少女の外観を取得している。

 

他の魔獣も、それぞれ外観がかなり生物的なものに変わっており、チェシャとクイーンがそうであったように、明確な自我を持つに至っていた。現場において、伊織の指示がなくとも、臨機応変な行動を取ることができるようになっているのだ。

 

 その二体が、伊織の影へ沈み込み消えた後、静謐と月光で満ちる雲海の上に、伊織へ話かける声が響いた。

 

「マスター。名乗りでなくて良かったんですか? なんだか、なのはちゃんも、スグハちゃんも、話したそうにしてましたけど……」

「だね。それに、結構切羽詰まった状況みたいだよ? 味方になってくれる人がいるって分かるだけでも、気持ち的にかなり楽になると思うけど」

 

 伊織が腰掛ける黄金雲――前世において師匠に当たる闘戦勝仏“孫悟空”より譲り受けた有名な“金斗雲”――に、同じく腰掛けたミクとテトが首を傾げながら尋ねた。

 

「まぁ、名乗り出ても良かったんだが……何人か、さっきの戦いを観察している連中がいただろう? 彼等に見られるのは、まだ時期尚早かと思ってな」

 

 伊織の言葉に、エヴァが「ふむ」と考えるように頷く。

 

「それは、私達の存在が、完全に高町姉妹の味方であると思われるのを避けたい、という意味だな?」

「ああ。彼女達も言っていたように、原作が始まれば、彼女達の状況は更に緊迫と混迷を深めるだろう。変化を嫌い、あるいは変化を望み、自分の為に、誰かの為に、転生者達は動き出す。今まで、様子見に徹していた者も含めて、な」

「高町スグハ……転生者複数人を相手に圧倒できるほど強者ではあったが、流石に、たった一人で大きな流れに抗し切るのは難しいじゃろうのぅ」

 

 感嘆と憂いを瞳に宿して、九重が言う。伊織はそれに頷きつつ、続きを口にした。

 

「そのとき、俺は、高町家の力になりたいと思うが、高町家だけの力になりたいわけでもない。転生者達に、高町家側の陣営なのだと認識されてしまうと、言葉の説得力が薄れてしまう気がするんだ」

「“結局、お前もなのは側のオリ主したいだけだろ!”っていう感じにですね」

「そういうこと。こと“原作”を巡る争いにおいて、俺は、あくまで第三者でいたいと思う。打ち倒さなきゃならない相手が現われたとき、誰かの陣営について、“敵対したから倒す”というのではなく、俺が俺の誓いを果たすために手を下す、というスタンスを崩したくはないんだ。わがままかもしれないがな」

 

 わがままという言葉に、ミク達は首を振って、伊織のスタンスを肯定した。そして、気になっていたことに話題を移す。

 

「それにしても、スグハちゃん……見事な剣技でしたね」

「転生者が御神流を習って無双するっていうのはテンプレだけど、それにしたって隔絶していたね。魔法は、ハリー・ポッターの魔法だったけど、あれも潔いくらい剣技の補助にのみ使っていたし」

「ふむ。確かに、ミクには及ばないものの、超一流の使い手と言っていいな。技量においても、精神においても。この年まで、家族を守り通しただけのことはある。だが……」

「疑問じゃの。果たして、“転生特典”とやらがあったとしても、たった数年であれほどまでになるものか……」

 

 ミク達がスグハの強さに首をかしげていると、少し考える素振りを見せた伊織が顎をなでながらポツリと零す。

 

「あるいは、彼女も幾度かの転生を果たしているのかもしれないな」

「その可能性は高いですが……でも、御神流に習熟している理由にはなりませんよ?」

「それはそうかもしれないが……まぁ、その辺はおいおいでいいだろう。彼女が何者であるにせよ、この世界で本気で生きていて、家族を大切にしている。十分に、信用と敬意を向けるに値する人だ」

 

 伊織が言葉を切ると、ちょうど高町姉妹が自宅の前に転移したところだった。遥か上空ではあるが、仙術と“音”を利用すれば、彼女達の動きは容易く捉えられる。たとえ空間転移したとしても、半径十数キロ程度なら瞬時の捕捉が可能だ。

 

 伊織は、二人が無事に帰れたことに少し安心したように吐息を漏らすと、ついで髪の先端部分を数本切り取り、そっと風に乗せるように吹き払った。

 

「天巻く風来りて、泡沫を現す。疾く息吹け」

 

 直後、ポンッと音をさせて手乗りサイズのデフォメルメされた伊織が複数出現する。

 

――闘戦勝仏直伝仙術 身外身の法

 

闘戦勝仏が使用した有名な分け身の術だ。プチ伊織達は、そのまま【絶】と【オプティックハイド】で姿どころか気配すら完全に消すと、スグハ達が帰宅した直後からバラバラに動き始めた転生者達のもとへと飛び出していく。きっと、数日もすれば彼等の素性を暴いてきてくれるだろう。

 

 と、そのとき、不意に、伊織へ不満のにじんだ声音とジト目が突き刺さった。

 

「むぅ。マスター、そういう役目は、アーティファクトと羽衣がある私に任せてくださいよぉ」

「幻術と分け身が十八番の妾としても同感じゃのぅ。闘戦勝仏殿に師事してからというもの、伊織の反則具合が半端ないのじゃ。大抵のことは一人で出来てしまうからのぅ」

 

 伊織が、ファンキーだが滅法強い師匠――孫悟空から学んだ仙術は恐ろしいほどに汎用性が高い。かの世界において、こと妖術と仙術の扱いに関しては極みの領域にあった仏が皆伝を与えたのだ。故に、今まで役割分担していた事柄も、やろうと思えば大抵出来てしまう。

 

 伊織が強くなっていくのは嬉しいが、自分達が役に立てる機会が減って何とも複雑な感情を抱いているのはミクや九重だけではなかった。

 

 そんな彼女達に、伊織は困ったように眉を八の字にして頬を掻く。

 

「う~ん、この程度、ミク達の手を借りるまでもないんだが……まぁ、気をつけるよ。それより、そろそろ帰ろうか。高町家の現状も、転生者の一派の有り様も、ある程度分かった。明日からは、本格的に調査だ。この地球において、転生者達の影響がどの程度あるのか、あるいはないのか、確かめて行こう」

 

 ミク達の肯定を示す返事を聞きながら、伊織は金斗雲を風に流すように移動させていく。

 

月光により白銀の輝く雲海の上を滑るように飛ぶ黄金の雲。その光景は、傍から見れば、どこぞの神の安行のようだったが……本人に自覚はない。

 

 そして、夜天の散歩を楽しみつつ、伊織は、チラリと肩越しに背後を見た。そこには、金斗雲に寝そべり、ちっちゃなあんよをプラプラと揺らす、デバイス技術をも組み込んだ超高スペックスマホをいじいじしている龍神様の姿が……

 

「……蓮。さっそくこの世界のネトゲをダウンロードして熱中するのはいいんだが……転生者に興味があったんじゃないのか? お前のことだから、転生者達の能力を見て、一喜一憂するかと思ったんだが」

 

 伊織達と家を出たときは、明らかにワクテカしていた(実際に、ワクテカワクテカと口に出していた)蓮。なのに、転生者達の戦いを見たあとは、まるで「失望した!」とでもいうかのように興味を失い、ゲーマーモードに入ってしまった。

 

 伊織の質問に、ひょこっと顔を上げた蓮は、疑問に答えるべく口を開く。

 

「拳で語らぬ者に興味はない。居合拳か百式観音辺りの使い手が出たら教えて欲しい」

 

 どうやら、龍神様はちょこざいな能力合戦など興味の埒外らしい。

 

「無限を司る龍神なのに、お前はすっかり物理一辺倒なのな……」

「猛る拳、熱き拳、語り合う拳こそロマン。我に妥協はない!」

「……そうか」

 

 伊織が遠い目をしながら明後日の方向へ視線を向けた。お月様が、苦笑いするように瞬いた……ような気がした。

 

 

 

 




いかがでしたか?

なんか可愛い方向で進化した魔獣ちゃんたち。
さて……ジャバくんとバンダーちゃんとか、どうすっか……

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。