重ねたキズナと巡る世界   作:唯の厨二好き

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感想欄の考察や予想が鋭すぎる(汗
作者涙目。
こんなもんで勘弁して下さい。


第43話 狐姫の救済

 

 グレモリー領から遠く離れた冥界のとある森の中、纏わり付くような夜闇で満たされたその場所に金色がふわりと翻る。九重だ。

 

「っ……」

 

 混濁した瞳を宙に彷徨わせながらも、何かを求めるように口がもごもごと動く。口元に耳を寄せて聞き取ろうとする者がいれば、きっと人の名を呼ぶ声が聞こえただろう。

 

 そんな九重は、現在、深い森の中をトボトボと宛もなく彷徨っていた。ホーガンの部下によってこの森に放り込まれた後、適当に歩き続けろと命じられたのだ。ネックレスの効力により、まともな思考を奪われた九重は、その命令に唯々諾々と従っているわけである。

 

 九重が、こんな森の中に放置された理由は一つだ。誰もいない場所で、はぐれ悪魔に襲わせるため。

 

 ここは、ビフロンス家の情報網により発見したはぐれ悪魔の集団のテリトリーなのだ。当初は、九重、もとい栴檀誘拐の濡れ衣を着せるため数々の物的証拠を用意した後、彼等を殲滅して助け出したという事にしようとしていたのだが、計画も狂ってしまったため、単純にゴミを投棄するが如く九重を置き去りにしたのである。

 

 そして、その卑劣な目論見は確かに成功していた。

 

ガサッガサッガサッガサッ

 

 突然、九重の周囲で草木が掻き分けられる音がし始める。九重の周囲を周回するように、揺れる雑草が複数の軌跡を作り出した。

 

「狐がいるぞ……」

「ほんとだ、狐だ」

「いや、妖怪だ。狐の妖怪だ」

「うまそうだ。うまそうだ」

「幼子だ。肉がやわらかいぞ」

「血もまろやかに違いない」

「食いたいな、食いたいな」

 

 そんな不気味なささやき声が静寂に満ちた森の中に木霊する。普通なら、その不気味さに背筋を震わせるところだが、生憎、今の九重にその不気味さを感じ取れる能力はない。

 

 恐怖を抱いた様子もなく、ただヨタヨタと歩き続ける妖狐の子供に、周囲に集うはぐれ悪魔達が、少し戸惑ったように動きを乱した。しばしの静寂。すると、一際大きく音を立てて、一体のはぐれ悪魔が九重の前に姿を見せた。

 

「妖狐の子供ぉ……こんなところで何をしているぅ? ここはあぶな~い、あぶな~い悪魔がいる森だよぉ~。早くぅ、逃げないとぉ、喰べられてしまうよぉ」

 

 陰湿で粘着くような声音の持ち主は、人面ムカデとでも表現すべき異形だった。ぬるぬると気持ち悪い光を放ち、わしゃわしゃと無数の節足が蠢いており、ムカデの体の先端に女の顔が付いていた。そして、その女の顔にしても口から無数の節足が飛び出して、獲物を咀嚼する妄想でもしているのか()む様に蠢いている。

 

「……っ……」

 

 そんな異形を前にしても、尚、意思の見えない表情で歩き続けようとする九重に、ムカデ女は、苛立ったように節足の一本を伸ばした。その足は、五つに先端を枝分かれさせて、まるで骨だけで出来た手のようになった。その手で、九重を掴み上げる。

 

「な~にぃ、こいつぅ? 壊れちゃってるのぉ?」

 

 ムカデ女は、壊れた玩具にするように九重を上下左右に揺さぶる。すると、暗闇の中、キラリと光るものを九重の胸元に発見した。洗脳用ネックレスだ。単純な思考回路のムカデ女は、眷属であるムカデのはぐれ悪魔達が早く食わせろと催促するのを尻目に、好奇心からそのネックレスを引きちぎった。

 

 途端、意識を覆っていた霞が一気に晴れ、覚醒する九重。

 

「っ!? は、放すのじゃ! 九重は喰っても美味くないぞ!」

 

 意識は半ば奪われていたが、その間の記憶が失われるわけではない。目の前のはぐれ悪魔が自分をどうしようとしているのか、九重にははっきりとわかっていた。ジタバタと暴れながら必死に言葉を紡ぐ九重。

 

「あらぁ~、急にぃ元気にぃなったわぁ。グゲゲ、美味しそうになったわねぇ」

「こ、この、寄るでない! 下郎ぉ!」

「ッ!? ひぎぃいいいいい!!」

 

 九重は九尾を揺らして狐火を作り出し、ムカデ女の顔面に直撃させる。至近であったため避けることも出来なかったムカデ女は、己の顔面で燃え盛る炎に絶叫を上げながらのたうち、九重を放り投げた。

 

「うぐっ!? っ……今のうちじゃ」

 

 地面に叩き付けられた九重だが、直ぐに歯を食いしばって立ち上がると、突然の事態に浮き足立つはぐれ悪魔達の隙間に向かって駆け出そうとした。が、そこまで甘くなかったようで、駆け出そうとした九重の細い足首に節足の一本が絡みついた。

 

「うっ!?」

 

 出鼻をくじかれ転倒する九重の背後で狐火の作り出した明かりが消える。そして、その光が消える一瞬前に、大きな影を映し出した。九重を背後から覆う、大きな影。ムカデ女だ。

 

「グゲゴガガギグゲッ!! 喰ってやるぅ! 死ぬまで嬲ってぇ、生きたままモツを喰ってやるぅ!!」

「ひっ……」

 

 顔半分の原型を失くし、醜さに拍車がかかったムカデ女が、奇怪な絶叫と共に怨嗟の言葉を吐き出しながら九重に迫った。その余りにおぞましい姿と呪詛に、九重は短い悲鳴を上げて、尻餅を付いたままジリジリと後退る。

 

 しかし、その背後にも逃がさないとうでも言うように、はぐれ悪魔達が狂気と飢えに濁った眼差しで九重を凝視しながら包囲した。

 

 既に、逃げ場はない。本来なら、周囲を覆うような狐火を作り出すことも、四年間、頑張ってきた九重には可能ではあったが、如何せん妖力が足りない。長く続けた悪魔さえ欺く全力の変化の術のせいで妖力が相当減っているのだ。ニ、三体くらいなら、幻術を併用すれば仕留められない事もないが、今、九重を包囲しているはぐれ悪魔は二十体以上いる。

 

 何より、度重なる精神的圧迫の数々と洗脳の副作用で、九重の心はかなり疲弊していた。諦めてなるものか、泣いてなるものか……そう思いながら歯を食い縛るので精一杯で、とても戦闘が出来るような状態ではなかった。

 

(嫌じゃ……こんな所で終われないのじゃ。母上のお手伝いをもっとしたいのじゃ。ミクやテトと一緒にもっと歌いたいのじゃ。エヴァやチャチャゼロにもっと鍛えて欲しいのじゃ。蓮ともっと遊びたいのじゃ。……それに、それに…九重はっ)

 

 狭まる包囲。ムカデ女の怒りに染まった眼光が九重を射抜く。その節足が再び九重に伸ばされていく。

 

 絶体絶命。周囲は鬱蒼とした木々に覆われて、天の星々すら見えやしない。九重を救えるものなど何一つとして見当たらなかった。頼みのイヤリングすら、今は、九重の手元にない。なぜだか隙間風にでも吹かれているように冷たい胸元。いつもならそこにある感触を求めて、九重は無意識に手を這わせる。

 

 胸中を巡る願いと、走馬灯のように駆け抜ける大切な人達。眼前に迫る悪魔の手を見つめる九重は、イヤイヤと首を振りながら、それでもせめてもの抵抗だとでもいうように、思いの丈を絶叫した。

 

「九重はっ、九重はっ! 伊織のお嫁さんになるのじゃ!」

 

 次の瞬間、はぐれ悪魔達は耳にした。こんな場所には有り得ない旋律を。軽快でありながら、どこか叩きつけるかのような調べを。絶望の闇を振り払うかのような音の波動を!

 

「な、なぁ~にぃ~、この音ぉ~」

 

 戸惑うような声音で、周囲にキョロキョロと視線を巡らせるムカデ女と眷属達。こんな森に音楽が流れるなど有り得ないわけで、困惑するのも当然だ。しかし、この場においてただ一人、九重だけは知っている。その旋律の意味を。その奏者(プレイヤー)の正体を!

 

 故に叫ぶ。安堵と共に。ずっと我慢してきた涙をホロリと零しながら。

 

「あぁ、あぁ、伊織ぃーーー!!!!」

 

 その瞬間、

 

 森の木々を薙ぎ払い、九重だけを完璧に避けて、破壊と混沌の音楽が絶望の宴を蹂躙した。音の波に乗って瞬く間にはぐれ悪魔達の脳髄を揺さぶり尽くした衝撃は、彼等に何が起こったのか認識させる間もなく、その意識を永遠の闇に突き落とした。

 

 絶音が通り過ぎた後には、静寂が戻る。九重の周囲には頭部の至るところから血を流したはぐれ悪魔達がピクリとも動かず倒れ伏していた。九重は、それらを尻目に、待ち人がやって来るのを立ち上がって待つ。

 

 恐怖と疲れでふるふると震える脚を叱咤するのは、心では決して負けなかったと、ただの一度だって諦めなかったと、行動で示すため。

 

 そして、遂に待ち人は現れた。空の上から、邪魔な木の枝を押しのけて、いつの間にか現れていた綺麗な満月を背に降りて来る青年――伊織。

 

「九重……よかった……本当に」

 

 伊織の表情は、安堵の色一色に染まっていた。それも無理はない。本当にギリギリだったのだ。森の外れに到着した伊織の耳に、数キロ先から耳慣れた女の子の声が響き、探ってみれば、無数の凶悪な気配に囲まれている始末。はぐれ悪魔の事はホーガンから聞いていたので、伊織の血の気は一気に引いた。

 

 咄嗟に、セレスをバリサクモードに切り替えて吹き鳴らし、注意を引きつけた上で衝撃超音波を放った。もし、最初の旋律で注意を引けず、はぐれ悪魔が、そのまま九重を襲っていたらと思うと冷や汗が止まらない。

 

 九重は、伊織の心底安堵したような表情に、どれだけ心配をかけたのか察し、ばつの悪そうな表情になった。そして、おずおずと伊織の名前を呼び、心配をかけた侘びをしようとした。

 

「伊織……九重は、その……すまっんむぅ!?」

 

 が、言い終わる前に、伊織に引き寄せられて、そのまま抱き締められた。伊織の腕の中にすっぽりと収まった九重は目を白黒させる。そんな九重の耳元で、伊織はとびっきり優しい声音で言葉を紡いだ。

 

「いいんだ、九重。わかっている。お前が謝る必要はない。友達の為に決断したんだろう? なら、俺が言えるのは一つだけだ」

「伊織?」

 

 伊織は、少し九重から離れると、間近い場所で目を合わせた。超至近距離から優しい眼差しで見つめられて九重の顔が火を噴くように真っ赤になる。だが、そんな九重の様子にもお構いなしで、伊織は、片方の手で九重の柔らかな髪を撫でながら言葉を続けた。

 

「よく、よく一人で頑張ったな。流石、九重だ」

「っ……う、うむ。当然なのじゃ。九重は……これしきのこと……ぐすっ」

 

 認められたい、相応しくなりたい。そう願う九重への何よりの言葉。胸を張って、どうってことはない! とアピールする九重だったが、嬉しさやら安堵やら色んな感情が混じり合って、今までが嘘のようにあっさりと涙腺を決壊させた。

 

 そんな九重を再び抱き寄せて、あやす様に背中をポンポンと叩く伊織。心地よい感触に九重は体を弛緩させて、その涙に濡れた顔をぐりぐりと伊織の胸元に擦りつけた。

 

 どれくらいそうしたいたのか。しばらくすると、九重は自ら顔を上げてゴシゴシと目元を拭った。それを見て、伊織は更に微笑むと、ゆっくり体を離して立ち上がる。少し名残惜しそうな表情になった九重に小さく笑みを零しながら、伊織は状況説明を始めた。

 

「九重、今、魔王主催のパーティーにミク達がいる。みな、お前を迎えに来たんだ。だから、急いで戻らないといけない」

「む? なぜパーティーなんぞに……ああ、もしかして、あの悪魔の親子がパーティーに? ……ままま、まさか、伊織ぃ! 主等、魔王主催というそのパーティーに殴り込みでもかけたのではあるまいな!」

「うん? その通りだぞ? 直接、イヤリングの元に転移できなかったから、正面から乗り込んだ」

「ま、まさかと思うが……」

「ああ、安心してくれ。今のところ一人も殺しちゃいない。無関係の者を殺すなんて出来ないし、それに、そんなことをしたら、誰よりも殴り込みたかった八坂殿に申し訳が立たないからな」

「そ、そうか……なら、いいんじゃが」

 

 伊織は、誘拐されたというのに、怒りや憎しみよりも妖怪と悪魔の未来を考えている九重に頼もしさを感じると同時に、まるで子供が親の手を離れていくような一抹の寂しさを感じた。九重がそれを知れば、子供扱いするなと憤慨しただろうが。

 

「しかし、伊織……主等に関しては……。魔王殿が果たしてどう出るか……」

「まぁ、大義名分はこちらにある。悪魔側も妖怪側と敵対したいわけではないだろうし、いい妥協点を探る序でに、俺等の事も配慮するだろう。面子は丸潰れだが、原因は悪魔側にあるわけだし、俺は、協会の筆頭守護な上に、神滅具持ちだからな。上から目線で下手は打てないさ」

「むぅ……そうか。だといいんじゃが」

 

 心配そうな九重の頭を、もう一度優しく撫でたあと、伊織は九重をお姫様抱っこした。

 

「ふわっ。い、伊織?」

「九重、さっさと終わらせて、家に帰ろう。でないと、八坂殿が発狂してしまう。あと、八坂殿の説教は甘んじて受けるんだぞ?」

「うっ、やはり……説教が……伊織ぃ~」

「はっはっは、そんな声だしても無駄だぞ。俺に八坂殿は止められない」

「うぅ~~~」

 

 今度は違う意味で涙を零しそうな九重に朗らかな笑みを浮かべたまま、伊織はベルカ式転移魔法を発動させ、今か今かと不安を胸に待っているだろう家族の元へ転移した。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 伊織が、転移魔法でパーティー会場に戻った直後、いきなり怒声が飛んできた。

 

「伊織ぃ~~!! てめぇ、何てことしてくれやがる! 魔王主催のパーティーに殴り込みかけるとか正気かっ! このド阿呆!!」

「……アザゼルさん。いたんですね」

「いたんですね? じゃねぇよ!」

 

 アザゼルは、実は襲撃との時、違うフロアでカジノの夢中だったのが、騒動に気が付いて副官のシェムハザと共に会場に現れて、そこでミク達の起こした惨状に頬を引き攣らせつつ大体の事情を聞いたのである。

 

 ちなみに、事情を聞いたのはサーゼクスからだ。いくら話しかけてもミク達は冷たい表情で悪魔達を牽制するのみで、答えようとしなかったのだ。文字通り、己等以外は全て敵だとでも言うように。

 

 大抵の悪魔は、伊織の衝撃超音波からかなり回復し、動けないまでも視覚や意識は取り戻していたのだが、ミク達の威圧と、サーゼクスの命令で動いてはいなかった。サイラオーグも既にテトの【十絶陣】から脱出していたが、腕を組んで静観している。そして、アザゼルがそんな状況にやきもきしているところ、遂に、伊織が戻って来て思わず怒鳴ってしまったわけである。

 

「……たくっ。大体の事情はっ」

「「九重ちゃん!!」」

「「九重!」」

 

 アザゼルが、伊織に事の詳細を尋ねようとした瞬間、その言葉に被せるようにミク達が九重の名前を呼びながら飛び出した。アザゼルが、完全に無視されて渋い表情になる。サーゼクスが顔を逸らして肩を震わせていた。

 

 伊織に降ろされた九重のもとにミク達が群がり、あっという間に九重の姿が埋もれた。

 

「むぅう、ぷへぇ、ちょ、ちょっと苦しいのじゃ! 離れてたもう!」

「九重ちゃん、九重ちゃん、九重ちゃ~~ん!!」

「よかったよぉ~、ホントにホントによかったよぉ~~」

「ぐすっ、あまり心配をかけるな。馬鹿者……ぐすっ」

「ケケケ、中々、男前ナ決断ダッタゼ?」

「九重……よかった。我、安心」

 

 もぎゅもぎゅ、ぎゅいぎゅいともみくちゃにされる九重の手が、まるで海で溺れた者が藁を探すかのようにミク達の合間から伸ばされ彷徨う。そして、しばらくするとパタリと力を失ったように垂れてしまった。

 

 ハッとしたように九重から離れる面々。中から白目を向いてピクピクと痙攣する九重が現れた。はぐれ悪魔に襲われた時より危険な状態だった。慌ててエヴァが癒しに掛かる。

 

 そんな彼女達を尻目に、伊織が、自分達を面白げに眺めていた魔王達へと向き直る。伊織達のやりとり呆気に取られていた悪魔達が、伊織の雰囲気の変化に表情を険しくして身構えた。

 

「お初にお目にかかる。魔王方。日本退魔師協会所属京都守護筆頭、東雲伊織と言う。まずは、突然の暴挙に対するお詫びを。大変、失礼した」

 

 伊織の侘びの言葉に、悪魔達が僅かにどよめいた。サーゼクスが、苦笑いしながら返答する。

 

「ふむ、謝罪については、少し待ってもらおう。実質的にこちらに人的被害はまだないようだし、どうやら非もこちらにあるようだしね。それから、自己紹介には、神滅具【魔獣創造】の担い手というのを付け加えたらどうかな?」

 

 サーゼクスの落とした爆弾に、悪魔達のざわめきが強くなった。なにせ、今まで一度も伊織は【魔獣創造】を使っていないのだ。神滅具持ちが、神滅具を使わずして悪魔の警戒網を突破し、いい様に手玉に取った――信じ難い事実である。

 

 伊織は、サーゼクスの物言いに、しかし頓着することなく鋭い眼差しを返した。

 

「俺達は、あそこで拘束している悪魔共に拐かされた九尾の娘を取り返す為に来た。宴の席に乱入したのは、彼女の身に危険が迫っていて一刻の猶予もないと判断したためだ。事実、あと数秒遅れていれば、九重の命は散っていた」

「……そうか」

 

 ミク達に囲まれて抱きしめられている女の子が、悪魔によって理不尽に殺されかけていたと聞き、年長者は九尾の娘である事に、若手は単純な倫理観から顔を顰めた。特に、情の深いグレモリー眷属や人間界の学生をしているシトリー眷属は、露骨に批難的な眼差しをビフロンス家に注いでいる。

 

「とは言え、魔王が、こんな矮小で馬鹿な事態を引き起こすとは俺達も九尾殿も考えてはいない。一部の暴走であろうと推測はしていた。故に、無関係の者への攻撃については一応の謝罪をするが……貴方方の指示でないと思っていいか?」

「もちろんだよっ! 何が悲しくて、自分でセッティングした和平会談の前に、そのトップの娘さんを誘拐しなきゃならないのっ! こんな馬鹿な真似、本物の馬鹿くらいしかしないよっ!」

 

 サーゼクスが答える前に、いきり立ったセラフォルーが答える。馬鹿呼ばわりされたフルコニス達が屈辱に顔を赤くして震えた。しかし、いつの間にか【レストリクトロック】によって口元まで拘束されているので出来る事はない。

 

 魔王の一人、ずっと沈黙しているアジュカ・ベルゼブブが、伊織達の話の内容より、その拘束術に目を見開いて瞳を輝かせている。彼は研究者肌の魔王で、イーヴィル・ピースやレーディング・ゲームの仕組みを作り出した者なので、見たことない術式に興味を惹かれたのだろう。

 

「それを聞いて安心した。セラフォルー殿。八坂殿からは、今回の件、悪魔の総意でないのなら会談を受ける意思に変わりはないと、そう言伝を預かっている。もちろん、色々と今回の件について監督責任は追求させてもらう事になるだろうが」

「それは当然だね。でも、はぁ~~、よかったぁ」

 

 安堵するセラフォルーを尻目に伊織の瞳が剣呑に細められた。

 

「さて、俺達が力に訴えなければならなかった理由を分かって貰えたところで――落とし前の話をしようか」

「……その子の事だね」

 

 伊織の静かな瞳の奥で苛烈な炎が燃え上がる。それは、九重の尊厳を踏みにじった蛮行への怒りだ。サーゼクスも、九重の変化――悪魔への転生に気がついており、眉を潜めている。セラフォルーも痛ましげな様子だ。

 

 八坂が、いくら妖怪全体の事を考えて和平会議の席に付くとは言っても、己の愛娘を勝手に悪魔にされてしまったのだ。その怒りは余りあるものだろう。ただで済ませる等有り得ない。

 

 九重は、コウモリのような悪魔の翼を展開した。バサッと広がるそれを肩越しに見て、悲しそうに眉根を寄せる。

 

「イーヴィル・ピースによる悪魔への転生。これを覆し、九重を妖狐へと戻す方法はあるのか?」

 

 伊織の質問に、サーゼクスがアジュカへ視線を送る。アジュカは溜息を吐きながら首を振った。

 

「それは無理だ。転生とは文字通り別の種へ生まれ変わる事だ。イーヴィル・ピースは、ピースを核にして悪魔の特性を与え、その肉体を変異させる。神器が抜かれれば死ぬのと同じで、イーヴィル・ピースを抜けば死ぬ。都合よく、転生前の状態に戻って生きられるという事はない。それではピースの出し入れだけで生死を自在に操るのと変わらないからね」

「つまり、イーヴィル・ピースを取り除かないと九重は悪魔のままであり、取り除けば死ぬということか?」

「そうなるね。……一応、考えられる方法としては、彼女のクローン体を作ることだろうか。確か、グリゴリではその手の研究をしていただろう? 彼女のDNAからクローン体を作り、そこに魂を移植すれば純粋な妖狐としての彼女に戻れる……可能性はある」

 

 アジュカの考えに、伊織達の視線がアザゼルに向く。アザゼルは難しい表情で、しばらく考え込んだ後、ガリガリと腹立たしそうに頭を掻いた。

 

「確かに、それなら九尾の娘は妖狐に戻れる可能性はある。だが、所詮はクローンだ。リスクがないわけじゃない。拒絶反応が出る可能性はゼロじゃねぇし、何より、高確率で劣化する。肉体のスペックしかり、能力しかり、な」

 

 クローン体に魂を移す方法にも相応のリスクがあると知り、魔王達も難しい表情で沈黙した。伊織が、特に深刻そうでもない表情で何かを言おうと口を開きかける。

 

 と、そこへ、悪魔のお偉方の一人が、いい事を思いついたと言うように、にこやかに発言をしだした。

 

「サーゼクス様、僭越ながら私に妙案が……」

「……モラクス卿。聞こう」

「はっ、九尾の娘が悪魔となったのは既に仕方のないこと。ここは一つ前向きに、妖怪と悪魔の関係強化に役立って頂くと言うのはどうでしょう」

 

 得意気な顔で、そうのたまう悪魔に、伊織達の眉がピクリと反応する。“仕方ない”だの“役立てる”だの余りに無神経な言葉だ。上位の悪魔は、そのほとんどが恐ろしく高いプライドの塊で、自分達上位の悪魔以外をとことん見下す傾向にある。神滅具使いや九尾の娘と言われても、やはり格下という意識があるのだろう。

 

「……貴殿の言いたい事はわかった。しかし、」

「まぁまぁ、最後までお聞き下さい。三勢力で和平がなった今、妖怪勢力との和平を築く上で関係強化の材料はいくら多くても困りますまい。ならば、九尾の娘には、このまま悪魔として、どなたかの眷属になってもらいましょう。古来より、婚姻や忠誠などはその典型でありますれば。なに、主となる方を最上級悪魔から選べば問題もないでしょう。ああ、そうです。なんでしたら、ミリキャス様など如何ですか? 九尾の娘なら潜在能力もっ『もう黙れ』ッ!?」

 

 調子よくペラペラとしゃべり続ける初老の悪魔に、突如、極寒の声音で命令が下る。同時に、その悪魔の首がメキッ! と音を立てて締まり、その体が宙吊りとなった。顔を真っ赤にしてジタバタともがく初老の悪魔は、咄嗟に魔力を解放して、自分を締める極細の糸を引きちぎろうとする。

 

 が、その犯人である伊織は、鋼糸に【周】をして強化すると共に、次々と鋼糸を絡めていくので、初老の悪魔は拘束を脱することが出来なかった。

 

 伊織の行動に、一気に攻撃態勢を取る上位の悪魔達。

 

「貴様! モラクス卿に何をする! 人間風情が調子に乗るな!」

「そうだ! 卿が一体何をした!」

「悪魔に転生した九尾の娘など、もはや妖怪の頭領にはなれん! 妥当な提案だろう!」

 

 そんな悪魔達も、伊織と同じく怒り心頭のエヴァにより操り人形と化して沈黙する。伊織は、サーゼクスへ実に冷めた眼差しを送った。

 

「これが悪魔か」

「心外……とは言い切れないね。これも悪魔だ」

 

 拐かし、悪魔に転生させ、挙句の果てに眷属にして政治の道具にしてしまえばいい――確かに、政治的な面だけを見れば合理的な判断だ。そう、九重の心を完璧に無視した、合理的すぎる判断である。ある意味、実に悪魔らしい提案だった。しかし、それを血の通う人間である伊織が許すはずもない。

 

「伊織……」

「大丈夫だ。九重」

 

 伊織は、不安そうな九重の頭を撫でながら、力強く頷く。そして、モラクス卿と呼ばれた初老の上位悪魔を解放した。咳き込みながら崩れ落ちたモラクス卿は、伊織を射殺しそうな眼光で睨む。伊織がなぜ切れたのか、全く分かっていないようだった。

 

「俺は、別に手がないなんて言ってない。九重の未来を物のように決めないでもらおうか、悪魔。場の空気すら読めないなら、引っ込んでいろ」

「なっ、き、貴様、人間ふぜ…」

「ミク、斬れるな?」

 

 モラクス卿が、全身から魔力を噴き上げながら伊織を罵ろうとするが、伊織は既に眼中にないというように視線を外し、肩越しにミクへ話しかけた。今にも飛びかかりそうなモラクス卿を、これ以上、話を拗れさせられては困るとセラフォルーが魔王の魔力で抑えつける。

 

 一方、伊織に質問というより、確認というべき言葉をかけられたミクは自信に満ちた声音と表情で頷いた。

 

「もちろんです。任せて下さい、マスター」

「ああ、任せる。……エヴァ、出来るなよな?」

「ふん、誰にものを言っている。場さえ整っているのなら、どうとでもしてやるさ」

 

 要となる二人の力強い返答に、伊織は笑みを浮かべて頷き返す。そして、九重の前に跪いて目線を合わせると、九重に語りかけた。

 

「九重、俺達を信じてくれるか?」

 

 その伊織の言葉に、九重は一瞬の迷いもなく満面の笑みで頷いた。そして、

 

「伊織、九重を侮るでない。主等を信じなかったことなど一度もないのじゃ」

 

 そんな事をいう。

 

 伊織達は、九重を中心に微笑ながら頷き合うと、あとをミクとエヴァに任せて一歩下がった。そんな伊織達を見て、サーゼクスが訝しげに問う。

 

「何をする気かな?」

「最初から、悪魔が九重を妖狐に戻せるとは思っていなかった。ただ、万一、安全に戻せる方法が確立しているなら、その方がいいと念の為確認しただけだ」

「それは……」

「九重は俺達が元に戻す。最初から、そのつもりだった。落とし前の話(・・・・・・)は後ですることにしよう。取り敢えず、九重を戻さないと、わめかずにはいられない悪魔がいるようだからな」

 

 上位悪魔達が、怒りの顔を赤く染める中、九重から少し離れた場所でミクが抜刀術の構えをとった。その視線の先には九重の姿があり、一体何をするつもりなのだと、悪魔達がざわめく。

 

 九重の表情に不安の影は微塵もない。心の底から伊織達を信じているようだ。ミクは、そんな九重に一度微笑むと、スっと目を閉じ意識を集中しだした。その途端、納刀された無月に莫大な量のオーラが集い、燦然と輝き出す。

 

「っ……これは……」

「すげぇ……」

 

 そんな声が若手悪魔の方から聞こえる。彼等の視線は、ミクの刀に注がれていた。集束されたオーラが余りに美しく、思わず心惹かれるほど洗練されていたからだ。そのオーラの練り込みと密度は、まさしく達人級。武人肌の悪魔達は特に目を見張っていた。

 

 多くの注目が集まる中、抜刀術の構えを取ったままのミクは、刹那、その瞳をカッ! と見開いた。同時に、神速の抜刀術が発動する。鞘走る鋼が解き放たれ宙に芸術的な軌跡を描くと共に、リーンと美しい音色が響く。

 

 そして、その剣線をなぞる様に曲線状の斬撃が九重へと迫った。誰かが「あっ」と焦燥と驚愕を混ぜたような声を漏らす。誰もが、九重は斬られたと確信した。さっきまで、本物の姉妹のように九重の無事を喜んでいたのに、なぜ、こんな凶行を! と目を見開いている。

 

 しかし、その心配は無用だった。

 

――神鳴流 斬魔剣 弍之太刀

 

 それは人の身の内に巣食う魔のみを斬り裂くために編み出された奥義中の奥義。数百年かけて磨き続けたミクのそれは、かの世界の剣士が誰も到達した事のない領域にある。絶技を通り越した神技だ。故に、その結果も明白。

 

コンッ! コンッ! コロコロ……

 

 そんな音を響かせて、九重の背後に落下したそれはチェスの駒。九重を悪魔足らしめていた核だ。術に優れた九尾らしく、種類は僧侶(ビショップ)。そのビショップの駒が、床にバウンドし転がった後、パカリッ! と真っ二つに分かれてしまった。

 

「馬鹿な……イーヴィル・ピースだけを斬った? 有り得ない!」

 

 その言葉は誰が発したものだったのか。肉体に融合したそれだけを斬り飛ばすなど、本来は不可能なのだろう。

 

「私は、曲がりなりにも剣士ですよ。斬るものを選ぶなんて造作もないです」

 

 そんなミクの言葉がやけに明瞭に響いた。チンッという音と共に無月が納刀される。剣を使う悪魔――木場などが唖然とした表情でミクを見つめていた。

 

「だが、そんな事をすれば九尾の嬢ちゃんがっ」

 

 アザゼルが、何てことを! といった表情をする。それと同時に、グラリと傾き、力なく倒れ込む九重。先程の話を聞いていたが故、この場の全員が、イーヴィル・ピースを抜かれた九重が命を落としたと確信した。

 

 そして、それは事実だった。床に激突する前に抱きとめた伊織の腕の中で、九重はその命の鼓動を止めていた。

 

「なんで、なんでだよっ! お前ら、あんなに仲がよかったじゃねぇか! 悪魔になったって、生きてる方がいいに決まってるだろぉ!」

 

 そう叫んだのは一誠だ。事態の推移についていけずオロオロしていた彼だが、不本意に悪魔に転生し、イーヴィル・ピースを抜かれて息絶えた九重の姿が、かつて無理やり神器を抜かれて死んだ挙句、意図せず悪魔に転生した愛すべき家族アーシアに重なったのだろう。

 

 憤りもあらわに、伊織へ喰ってかかろうとする。が、その前に、エヴァが、九重と彼女を抱き抱える伊織の前に進み出た。波打ち煌く金髪を翻して、舞台女優のように背筋を伸ばしたエヴァは、その腕に巻きつく神器を解放した。

 

――禁手 流転する天使の福音

 

 直後、エヴァの背後に純白の翼を生やし目を閉じた金髪の女性が出現した。その姿は薄らと光り輝いており、静謐な面差しは絶世と言っても過言でないほど美しい。どこか侵しがたい神聖さすら感じるほどだった。

 

 その姿を初めて見たとき、伊織達は声を揃えて言ったものだ。すなわち「まんま大天使の息吹じゃん」と。そう、かつて見た、ハンター世界の不思議カード【大天使の息吹】を使用した際に現れた大天使の姿とそっくりだったのである。

 

 もっとも、【流転する天使の福音】と名付けられた神器【聖母の微笑】の禁手バージョンは、かの【大天使の息吹】を遥かに凌駕していた。というのも、その効果は魂への干渉だったのだ。具体的には、魂の固定や定着、刻まれた情報の抽出やその再生など多岐に渡る。

 

 今回、エヴァが行うのは、息絶えて霧散しかけている九重の魂を固定し、そこから妖狐の肉体情報を抽出、それを元に、抽出情報の再生を行って、変異した九重の肉体を前の妖狐の状態に戻すというもの。いわば、任意の状態での死者蘇生である。

 

 もちろん、この破格の能力にも限界が存在する。魂が保護されているなどの特別の事情がない限り、死んだ者の魂を固定できるタイムリミットは三分しかないのだ。つまり、死亡直後でなければ死者蘇生は行えない。もっとも、それでも破格の性能であることに変わりはないが。

 

 そんな禁手を発動し、背後に大天使を従えるエヴァの姿はまるでスタン○使いのよう。彼女が腕を掲げると、福音もたらす天使はそっと息を吹きかけた。清涼な風が渦巻くと同時に、蛍のような淡い青色の粒子がゆらゆらと立ちのぼり、九重と伊織の周囲を荘厳な光で満たしていく。

 

 悪魔でありながら、会場にいた誰もが言葉もなく、ただただ、その神話のような美しい光景に見入っていた。

 

 十秒か、一分か……一瞬とも、あるいは永遠と思える幻想的な時間が終わる。光が、宙に溶け込むように消えていくと同時に、エヴァの背後の天使もまた、薄らと微笑のようなものを残して霧散していった。

 

 一拍おいて、伊織の腕の中の九重が、その可愛らしい瞼をふるふると震わせる。「ん…んぅ…」と小さく声を漏らしながら、もぞもぞと身動ぎした。そして、ゆっくりと目を開く。

 

「うむぅ……伊織?」

「ああ、そうだよ。……お帰り、九重」

「むぅ、よくわからんが、ただいまなのじゃ」

 

 伊織が、九重を立たせてやるとミク達も一斉に九重の元へ集まった。エヴァが、九重に体の事を尋ねる。覚醒直後で少しボーとしていた九重だが、悪魔の翼が出ないこと、何より、ずっと感じていた違和感がなくなっており、いつもと変わらない妖狐の体だと分かった途端、喜びもあらわにぴょんぴょんと飛び跳ねた。

 

「まさか、死者蘇生までやり遂げるとはね。今代の【魔獣創造】は周りも含めてびっくり箱のような存在だな」

「ははっ、あの野郎共。神器の修熟に協力してやったってのに、内緒で禁手に至ってやがったな。後で研究所に軟禁して問い詰めてやる」

 

 サーゼクスの感心を通り越して呆れたような言葉と共に、アザゼルが何とも言えない複雑な表情で冗談交じりに悪態を吐いた。

 

「生き返らせたって……まじかよ」

「これから色々大変ね。【魔獣創造】の仲間も規格外ばかりみたいよ」

「あの人が……私と同じ神器の使い手。でも、私なんかよりずっと……」

 

 途中まで飛び出していた一誠がポカンと口を開けながら驚愕をあらわにし、傍らでリアスが考え込むように眉間に皺を寄せていた。そして、エヴァと同じ【聖母の微笑】を持つアーシアは、自分など足元にも及ばない癒し手に、称賛と憧れ、そして僅かな悔しさを胸に秘めて、一心にその眼差しを向けていた。

 

「さて、サーゼクス殿。九重の問題が片付いたところで、落とし前の話に入らせてもらうが……」

「これだけの事をやらかしておいて、ごく普通に話を続けたね! 素晴らしい神経の太さだよ。こっちとしては色々聞きたいことがあるのだけど……」

「襲撃犯の処遇をどうする気かお聞かせ願おうか」

「素でスルーしたね? 魔王の言葉を素でスルーしたよ。豪胆だな。何だか、君のことが欲しくなって来た。まぁ、取り敢えずそれは置いておいて……」

 

 サーゼクスが、伊織を何だか物欲しそうに見始めたので、違う意味でミク達の警戒心が跳ね上がったが、グレイフィアの鋭い視線がサーゼクスの後頭部に突き刺さったので、話し合いはスムーズに流れた。

 

 結果、ビフロンス家は事件に関わった者と主家の者全員が、悪魔側の掟に則って処刑する事が決まった。ただ誘拐しただけならまだお家取り潰しくらいで済んだのだが、やはり、強制転生と、その後の九重殺害未遂がいけなかった。妖怪側に対してだけでなく、危うく悪魔の未来にも暗雲を齎しかねない事だったのだ。

 

 襲撃者の処遇も決まり、後日、正式に妖怪側への謝罪と賠償、和平会談で妖怪側からの条件付けを一定程度認めるという事が約束されたので、もう用はないと伊織達は踵を返した。その時、不意にサーゼクスが伊織に尋ねる。

 

「最後に一つ聞かせてくれないかい?」

「?」

「人の身で悪魔の巣窟に乗り込む……普通なら正気を疑う行為だ。君なら私達、魔王の存在も感知していただろう? 私達全員と戦う事になるとは思わなかったのかな? その場合、ただで済むと思っていたのかい?」

「……」

 

 はっきり言って、今のこの状況はほぼ理想的な形で事態が収拾した状態だ。一つ、何かの歯車が狂うだけで、伊織達は魔王達を相手にしなければならなかった。

 

 そして、多少手加減はしたとはいえ、伊織の衝撃超音波に二割以上が耐え切り、その全てが上級から最上級クラスの悪魔達だ。また、暫く動けなくなるとしても死にはしなかった悪魔も大勢いるだろう。その全てを相手取れば、伊織達とてただでは済まない。はっきり言えば、死んでいた可能性が高い。

 

 故に、サーゼクスは確かめたかったのだ。伊織が、ただの無鉄砲な者なのか、それとも……

 

「元より全て覚悟の上だ」

「……魔王全員と戦うつもりだったのかい? 他の強力な悪魔もいる中で? 少々、無謀が過ぎるんじゃないか?」

 

 振り向いた伊織の眼差しの強さに、一瞬、言葉に詰まるサーゼクスだったが、続け様に疑問をぶつける。しかし、伊織の答えには微塵の揺らぎもなかった。

 

「関係ない。そこに救いを求める者がいるのなら、俺は、この身、この命の全てを賭けよう。どんな存在が相手でも、どんな状況に陥ろうとも、例えそれが魔王や神と言われる存在だろうと、俺は俺の誓いのままに前進する――この歩みが止まることはない」

「……」

「逆に聞こう。魔王サーゼクス。何かの為にと立ち上がり、不退転の意志を宿した人間相手に――ただで済むと思っているのか?」

 

 逆に問い返された己の問い。凪いだ水面のように静かな瞳の奥に轟々と燃え盛る意志の炎。煌くそれに魅せられながら、サーゼクスは、超常の存在を討つのはいつだって人間だったと思い出す。己の特異性故に、伊織と戦った場合、負けるとは思わないが、それでも内心気圧される自分がいることに気が付く。そして、確かに、負けないまでも“ただでは済まない”かもしれないという思いが頭を過ぎった。

 

 先代のルシファーすら超えているであろう、超越者の一人である自分が、ほんの一瞬でも人間相手にそんな事を思ってしまったことに、サーゼクスの肩が震える。恐怖の震えでは、もちろんない。それは、今の時代、すっかり見なくなった魅せる人間の輝きに、心が歓喜で浮き立ったからだ。

 

「くっ、ふは、ふははははっはははははっはははーー!!」

 

 そして、ダムが決壊するように、サーゼクスの口から痛快な笑い声が飛び出した。魔王の奇行に伊織の眉が「何なんだ?」とでも言うように潜められる。余りに笑いすぎて、目尻に涙を溜めたサーゼクスは、何となく彼の心情を察したセラフォルー達から生暖かい眼差しを受けつつ、伊織に答えの分かりきった口説きを行う。

 

「ふぅ~、東雲伊織くん。君、悪魔に転生しないかい? 待遇は破格を約束するよ?」

 

 伊織は呆れたような顔をすると、即行で首を振った。

 

「そうすることで誰かの救いになれるなんて理由があるなら考えなくはないけれど、それもないなら遠慮させてもらおう。何せ、俺はまだ人の身ですらままならない程度なんだ。超常の存在になるのは早すぎる。まずはじっくりと、人が辿り着ける果てまで行ってみる事にする」

「ははっ、君の答えは本当に愉快だね。いや、馬鹿にしているわけじゃないよ。むしろ称賛しているんだ。私は、悪魔――それも魔王だからね。これからも折を見て口説かせてもらおう」

「厄介な人――いや、魔王だな」

 

 伊織は肩を竦めると今度こそ踵を返した。追従するミク達と伊織の腕に座るように抱き抱えられる九重。若手悪魔達は、そんな伊織を称賛、嫉妬、敬意、不快、値踏み、焦燥と様々な眼差しで見送り、古い悪魔達は総じて面子を潰された事から不満気な表情と険しい眼差しを送っていた。

 

 そんな中、魔王の命令により拘束・連行されようとしていたフルコニスが、突如、奇声を発して我武者羅に暴れだした。警備の一瞬の隙を付いて、伊織に血走った眼を向ける。そこには狂気が宿っており、正気かどうか疑わしいほどの淀みがあった。

 

「じねぇえええええ!!!」

 

 既に呂律すら回っていない口調で、生命力すら変換したのかと思うほどフルコニス本来の能力を逸脱した魔力弾が発射された。心のタガが外れたのか、限界以上の力が一時だけ引き出されたようである。

 

 よほど、息子の腕と脚を奪われた挙句、処刑という処遇が認められなかったのだろう。どうせ死ぬのなら、伊織達を道連れにしてやると言わんばかりである。

 

 そして放たれた特大の魔力弾はホテルの床を粉砕しながら伊織達へ真っ直ぐ突き進み……サーゼクスが滅びの力で相殺する前に、闇から現れた強大な掌によって受け止められた。

 

 伊織の足元から不自然に背後へと伸びた影から出現したそれは、そこにあるだけで空を裂きそうな鋭い五本の爪と真ん中に発射口のようなもので、受け止めた魔力弾を微動だにせず受け止めきる。

 

 そして、深淵のように暗い影から残りの本体も現れ始めた。

 

 手が肥大化した極太の腕、逆だった頭部に吊り上がった眼、耳元まで避け鋭い牙が並ぶ顎門……全身から可視化できそうな程の禍々しさを溢れさせるその姿は、まさに悪鬼羅刹。放射されるプレッシャーは、一瞬で、それが神を滅する具現なのだと、禁手に至ったが故なのだと、その場の全員に悟らせた。

 

 伊織の影より現れた魔獣ジャバウォック。その掌に留める特大の魔力弾は、いつの間にか半分程にまで縮小されてしまっていた。ジャバウォックの所持するエネルギー吸収能力である。その掌で掴んだものは何であれ己の糧にしてしまうのだ。

 

「ジャバウォック」

 

 伊織が振り返ることすらなく、特大の魔力弾を握り潰すように吸収しきったジャバウォックに、ただ一言呼びかける。

 

 次の瞬間、

 

「ひっ!?」

 

 ジャバウォックの姿が掻き消え、フルコニスの目と鼻の先にその凶相が出現した。ミク達並みの高速機動である。間近で放たれる大瀑布の水圧の如きプレッシャーと、悪魔より尚悪魔らしい凶相、禍々しいオーラに、フルコニスは蛇に睨まれたカエルのように体を硬直させた。

 

 超至近距離で、真の魔獣に覗き込まれるフルコニスの心境はどれ程のものか。目を見開いたまま、ガタガタと震える姿に、上位悪魔たる威厳は皆無だった。

 

「ジャバウォック」

 

 再度の呼びかけ。やはり一瞬で掻き消える魔獣の姿。悪魔達が視線を伊織に戻せば、ジャバウォックがその影に沈むところだった。

 

「追い詰められ狂気に走った者ほど危険なものはない。魔王殿、同胞だからといって、どうか我々の信頼を裏切らないようお願いする」

「……もちろんだとも。同族による数々の蛮行、心よりお詫び申し上げる。と、九尾殿にも伝えて欲しい」

「承知した」

 

 伊織達はそれだけ言うとミク達を促して出口へと歩き出した。ホテルから出れば転移魔法で帰還するだろう。途中、腕を組んで真っ直ぐ伊織を見つめるサイラオーグと視線の合った伊織。言葉はなくとも何となく通じ合うものがあったのか、互いに口元が僅かに緩んだ。

 

 伊織達の姿が見えなくなった途端、会場にホッとしたような空気が流れた。硬直していたフルコニスもペタンと女の子座りでへたり込む。まるで一気に年をとったように随分と老け込んでいた。

 

 弛緩した空気の中で、サーゼクスの浮き立つ声音が響いた。

 

「う~ん、これから楽しくなりそうだね」

 

 そんなサーゼクスにアザゼルや他の上位悪魔達は呆れたような視線を向けるのだった。

 

 ちなみに、この後、石化やら氷漬けにされていた悪魔達もいつの間にか解放されており、パーティーをしている暇もなくなったので、あっさりと解散になった。

 

 そして、伊織達が巻き起こした騒動の事後処理の慌ただしさに隠れて侵入した、カオス・ブリゲードのヴァーリチームに所属する猫魈の黒歌と孫悟空の子孫美猴とのあれこれで、一誠が原作通り禁手に至ったりした。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 京都の異界、八坂の屋敷にて。

 

 八坂は書斎にて普段通り仕事をこなしていた。少なくとも見た目は。しかし、その九尾とキツネミミが、伊織達が出発してからというもの唯の一時も休むことなく、あっちにぴょこぴょこ、こっちにくねくねと動き続けており、その荒れる内心をあらわしていた。

 

「頭領……やはり少し休まれては」

「いや、必要ない」

「しかし……」

「ふぅ、正直に言うとな……何かしておらんと、どうにかなってしまいそうなんじゃよ」

「頭領、大丈夫ですよ。何せ、姫様を迎えに行かれたのは若ですよ? あの方なら必ず姫様を連れ帰ってくれます。我々は、そう確信していますよ」

「……そうじゃな。しかし、こればっかりはのぅ」

 

 そんな話をしていると、突如、八坂の感覚に感じ慣れた力の波動が引っかかった。

 

「! これは、帰って来たかっ!」

「と、頭領!?」

 

 八坂は、部下の前から一瞬で姿を消すと、次の瞬間には屋敷の中庭に現れた。その直後、八坂の目の前でベルカ式の転移魔法陣が展開され燦然と輝き出し、そして、一拍の後、そこには伊織達の姿と、最愛の娘の姿があった。

 

「っ! 母上!」

「九重!」

 

 騒ぎに気が付いて何事かと集まって来た妖怪達の目に、九尾の親子が二度と離れまいとするかのようにギュッと抱き合う姿が飛び込んできた。彼等も拐かされた九重が戻って来たのだと理解し、一斉に歓声を上げる。

 

 屋敷に滞在していた栴檀と岩稜も駆けつけ、栴檀に至っては安堵からダバーと滝のような涙を流しながら喜びをあらわにした。

 

 それを温かく見守る伊織達に妖怪達が次々と声をかけてくる。曰く、「流石、若様」「姫様の旦那」「嫁を取り返した漢の中の漢」「姫様こそ正妻」……エヴァの頬が引き攣ったのは言うまでもない。

 

 八坂が、九重を抱っこしたまま妖怪達に囲まれる伊織達に歩み寄る。

 

「伊織よ、この胸に溢れる感謝の念…とても言葉だけでは表しきれんが、言わせておくれ。……ありがとう。本当に、心から感謝する」

「八坂殿。感謝は受け取りますが、余り気にしないで下さい。俺は俺のしたいようにしただけですから。それより、事の顛末と今後の話をしましょう」

「ふふ、主はブレぬよな」

 

 かつてと同じやりとりに、八坂は相好を崩して頷くと皆を促して屋敷へと戻った。

 

 

 

「なるほどのぅ。まぁ、想定していた顛末としては最上じゃの。改めて、ようやってくれた伊織。このまま水に流すというわけにはいかんが、向こうの対応次第では、寛容を見せるとしようかの」

 

 伊織から事の顛末を聴き終えた八坂が、パチンと音を鳴らして扇子を閉じる。

 

「それにしても、聞けば聞くほど危うい所だったようじゃな。主等がいなければと思うと肝が冷える。全て、主等のおかげじゃの」

「そんな事は……褒めるなら九重も褒めてやって下さい。この子は、最後の最後まで折れず諦めず、頑張っていましたよ。俺が間に合ったのも、九重が相手に啖呵を切って叫んでくれたおかげですしね。流石は、九尾の娘です」

「そうか、そうか……まぁ、この八坂の娘じゃ。当然と言えば当然じゃがのぅ」

 

 八坂は当然と言いつつも、目元を和らげて傍らの九重を優しく撫でた。口では何と言っても、やはり誇らしいのだろう。

 

 しかし、当の九重はというと何故か顔を真っ赤にして、オロオロと瞳を泳がせていた。どうしたのかと訝しむ八坂を尻目に、九重がおずおずと伊織に尋ねる。

 

「い、伊織、その……聞こえておったのか? そのあれを」

「あれって言うと、最後に叫んでたあれか? そりゃあなぁ、俺の可聴領域の事は知ってるだろう?」

「あぅあぅあぅ~~」

 

 伊織の言葉に、九重が小さな両手で顔を覆って蹲ってしまった。指の隙間から見える顔色は真っ赤である。そんな九重に、伊織は困ったように微笑む他ない。当然、そんな二人の反応に他の皆が気にならないはずもなく、九重の抵抗も虚しくあっさりゲロさせられてしまった。

 

 すなわち、最後に叫んだ言葉「九重は、伊織のお嫁さんになるのじゃ!」という何とも大胆かつ気恥ずかしい言葉を。

 

「ほぅほぅ、絶体絶命の状態にもかかわらず、むしろその状況を利用して好感度を上げる――うむ、天晴れじゃ、九重よ! 流石は、この八坂の娘。転んでもタダでは起きないとは……娘の成長とは早いものじゃのぅ」

「九重ちゃんたら、ホントにマスターの事が大好きですね~」

「あはは、流石九重ちゃん! ボクにも真似できそうにないよ」

「ぬぅ~、まだ十歳にも満たないというのに、グイグイ押してきよって。これはそろそろ本格的に……ブツブツ」

「ケケケッ、御主人ヨリ、ヨッポド男前ダゼ!」

「九重……大胆、素敵」

「あぅあぅ、ち、違うのじゃ。あれは、自分を奮い立たせる為というか、いや、違わないんじゃが、そうするまでは死にきれんというか、あっ、いや、じゃからのぅ」

 

 一斉にニマニマした笑みを向けられた九重は、穴があったら入りたいとでも言うように縮こまりながらしどろもどろに言い訳じみた事を言うが、むしろどんどん深みに嵌っていく。

 

 そんな九重の頭をポンポンと撫でながら、伊織は笑みを深めた。

 

「まぁ、焦ることはないさ。俺はどこにも行かないしな。ゆっくり、成長していけばいい」

「伊織……」

 

 伊織から見れば九重はまだまだ子供。そんな相手に女に対する愛おしさを感じる事は不可能だ。しかし、幼いからといってその想いが軽い等とは思わない。九重が身も心も成長し、その上で結論を出すまで待つくらいわけないことだ。そして、伊織の結論もまた、焦ることはない。

 

 そんな伊織の想いが伝わったのか、ふにゃりと体から力を抜く九重。皆も、からかい過ぎたかと苦笑いだ。

 

 そんな弛緩した空気と九重に、しかし、母親としてではなく、今度は妖怪の頭領としての八坂が迫った。

 

「さて、では、九重よ。落ち着いた所で――説教といこうかの?」

「!? 母上? その、九重は帰ってきたばかりですし……そういうのはまた後日で……」

「逝こうかの?」

「……伊織ぃ」

「逝ってこい」

「ミクぅ、テトぉ」

「逝ってらっしゃい」

「エヴァ? チャチャゼロ?」

「さっさと逝け」

「ケケケ」

「れ、蓮~」

「逝く」

 

 味方は誰もいなかった。九重は、八坂の尻尾に捕まりながらズルズルと引きずられて部屋の奥へと消えていった。

 

 伊織達が苦笑いを零す中、異界の空に狐姫の悲痛な声が響き渡るのだった。

 

 

 

 




いかがでしたか?

アンチっぽい展開を期待していた方々はごめんなさい。

原作でも各陣営には結構好き勝手してる奴が多いわけですが、それでも現悪魔達が平和に奔走しているのを見ると、本作品の雰囲気からして、これくらいの対応が妥当かと思った次第です。
妖怪勢力だけ和平同盟から外れる、みたいな展開は、少し書くのが辛くなりそうで……
色々あったとしても、出来る限りキズナを育んでいけるようなお話にしたいので、一つご納得の方を

九重救済は毎度の王道ですね! 主人公はギリギリに登場しなくてはなりません。

それと、妖怪に戻す為の独自解釈辺りはスルーでお願いします。
感想読んで、「ですよねー」と感心したり、納得したりさせてもらいました。しかし、作者にはこれが限界です。

【流転する天使の福音】
神滅具「幽世の聖杯」涙目な禁手。鍛え上げれば、りりなの原作に行っても、あの子を救える……かも?

また明日の18時に更新します

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