重ねたキズナと巡る世界   作:唯の厨二好き

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一万五千字……多くてすみません。



第32話 はぐれの末路

 伊織の胸元にギュッとしがみついていた九重は、涙やら鼻水やらで大変な事になっている顔をハッとしたように上げて伊織に焦燥に満ちた声を張り上げた。

 

「い、伊織ぃ、母上が! たくさんケガをして、それでっ!」

「わかってる。大丈夫だ。八坂殿なら、ほら」

 

 そう言って体の向きを変えた伊織は、抱っこしたままの九重に八坂の容態を見せた。その八坂の傍にはいつの間にエヴァがおり、神器【聖母の微笑】の淡い純白の光で八坂を覆っていた。眼に見えて彼女の傷が癒えていく様子に、九重がホッと安堵の息を吐く。

 

 自称悪の魔法使いなのに聖女扱いされたり、神器まで癒し系で【聖母の微笑】なんて名称で、エヴァの矜持は色々と複雑極まりない事になっていたのだが、彼女の心情に反して神器の扱いは卓越だった。このままなら五分もすればあらかたの傷は癒えてしまうだろう。

 

「……お主、神器持ちだったのかえ。真、変わった吸血鬼よな。じゃが、助かった。礼を言う。とんでもなく大きな借りが出来たの」

「ふん、こっちもはぐれに術の発動を許したのだ。意識体だけ配下の鬼に飛ばせるのは厄介だが、言い訳にもならん。チャラだろ」

「ほぉ、霊脈の力が鬼共に流れ込んだのはそのせいか……じゃが、そも、力場の管理はこの八坂の役目。おそらく崩月が手を貸したのだろうが、それでも一介の術師に主権を奪われたのはこちらの失態よ」

 

 エヴァの不機嫌そうな言葉に、妖狐状態の口元を自嘲するように歪める八坂。その視線が、すっぱりと斬り落とされた崩月の両腕(・・)に注がれた。

 

 そう、伊織が落とした左腕だけでなく、八坂に振るわれんとしていた右腕も斬り落とされていたのだ。やったのはミクである。【京都神鳴流 斬空閃】により、斬撃を飛ばしてぶった斬ったのである。

 

「よもや、これ程とはの……明らかに協会の退魔師の基準を逸脱しておるよ」

 

 感心を通り越して呆れ顔で呟く八坂に、伊織から降ろしてもらった九重がトテトテと近づく。

 

「母上! ご無事ですっ『馬鹿者!』ひうっ!? 母上?」

 

 心配してすがり付こうした九重に八坂の一喝が落ちる。それは、無茶をした娘への母からの叱責であり、同時に無意味な自己犠牲を選択した次期統領への怒りの発露だ。戸惑う九重に、八坂が説教じみた言葉を紡ごうと口を開きかける。

 

 だが、そんな時間は、どうやら与えられないようだ。

 

「グゥアアアアア!!」

 

 崩月が吹き飛んだ先で、特大の咆哮と凄絶な妖力が噴き上がったからだ。天を衝く赤黒い妖力の柱。その根元から小規模な地震かと錯覚しそうな足音が響いて来る。砂埃が衝撃で吹き飛び、その奥から何事もなかったように両腕を再生し終えた崩月が悠然と、いや、その表情を歓喜に染めて歩み寄って来た。

 

「おいおいおいおいおい。どうなってんだ? あぁ? いつから人間は、この酒呑童子をぶっ飛ばせるほど強くなったんだぁ? どうすんだよ? たぎってたぎって仕方ねぇじゃねぇかっ! 小僧! 名を名乗れよぉ!」

 

 どうやら、ただの人間の、それも見た目少年の拳で吹き飛ばされた事が嬉しくて仕様がないらしい。

 

 酒呑童子と言えば、かの有名な源頼光を筆頭とする頼光四天王により神便鬼毒酒という毒を酒の席で飲まされ寝首を掻かれたという伝説が有名だ。元来、鬼という強力な存在を人間が退治する話は、大抵が知恵を絞って裏をかくというもの。史実かどうかはわからないが、おそらくそう的外れでもないのだろう。それ故に、拳で挑んできた伊織の事をどうしようもなく気に入ってしまったようだ。

 

 凄絶な笑みを浮かべる崩月に、九重が不安そうな表情で伊織を見る。その視線に、伊織は笑みを返すと、次の瞬間には最奥に消えぬ意志の炎を宿らせた、されど凪いだ水面の如き静かな瞳を崩月に向けた。

 

 そして、伊織は、百五十年に渡り練り上げ続けて来たオーラと魔力を開放した。年経るにつれ、洗練はされてもスペック自体は落ち目にあった前世だが、今は、最盛期とも言うべき十三歳の体。まだ完全に体が出来上がってはいないものの、魂に刻み込まれた研鑽の証は十全と言っても過言でないレベルで示される。

 

 眼前の崩月と同じく、伊織を中心に濃紺色の輝きが天を衝いた。螺旋を描いて噴き上がるオーラと魔力。転生により魂が昇華したせいか、それとも今世の両親から受け継いだものが大きいのか、詳しいことは分からないが、この体のスペックは前世のそれを大きく凌駕している。魔力ランクはSSSランクは固く、オーラ量はかのハンター協会会長アイザック・ネテロすら軽く凌駕するレベル。

 

 もちろん、大妖たる崩月の妖力と比べれば、大型のバケツとコップ程の差はあるだろう。それは種族的スペック差で仕方がないことだ。それでも、その生命の輝きとも言うべき“力”の奔流は、伝説の鬼と比較しても決して見劣りするものではなかった。量では勝てないものの、その質の差は伊織に軍配が上がる。

 

 大雑把な鬼と、己を鍛え上げることに余念のない人間の努力――二人の“力”のあり方は、まさに、両者の種族的特徴をあらわにしていた。

 

 伊織が、スっと極自然な動作で覇王流の構えを取りながら、小さく、されど明瞭に響く声音で名乗りを上げる。

 

「日本退魔師協会所属、東雲伊織。お前をぶっ飛ばす男だ」

 

 伊織は悟っていた。目の前の鬼に言葉は通じない。崩月の思考は既に戦闘のそれ一色に染まっている。この期に及んで、はぐれ術師からの解放に協力するから手を引いて欲しいなどとのたまえば、“興醒めだ”と躊躇いなく残虐な方法でその暴威を振るうだろう。先程、九尾の親子にそうしたように。

 

 これ以上の被害を出さずに事態を収拾するには、伊織に引きつけて制するしかない。救いを求めるものに応える為には、眼前で喜悦を浮かべる伝説の鬼に勝たなくてはならないのだ!

 

「クッ、あぁああああ!! 最高だ! 小僧! いや、伊織! お前は最高だぞ! 人の身でよく吠えた! そんな眼はアイツを思い出す! この時代に、アイツのような男が未だ残っていたとはっ! 殺り合えるとはっ! まだまだ捨てたもんじゃねぇなぁ!」

 

 際限なく膨れ上がっていく崩月の妖力。霊脈から直接力を注がれているのだろう。実質、無限に近い妖力があると見て間違いない。

 

 

 伊織の頬に汗が流れる。まさに一触即発。伝説の鬼と異世界から来た退魔師の決戦が今にも始まろうとした――その時、伊織の後ろで、ミク達も構えを取った。崩月と相対するためではない。周囲から、崩月には遠く及ばないものの尋常でない妖力を持った鬼が集まってきたのを察知したからだ。

 

「チッ……野郎共め、力に惹かれて集まってきやがったか。水を差しやがって」

 

 崩月が不機嫌そうに表情を歪めるのと、大跳躍して来たらしい五体の鬼が地響きを立てながら周囲に着地したのは同時だった。

 

「てめぇら、邪魔してんじゃねぇよ」

「大将、こんな面白そうな事、鬼たるこの身が堪えられるわけないだろう?」

「そうだぜ、お頭ぁ! 美味そうな獲物ばっかりじゃねぇか。独り占めはひでぇだろぉ」

「雑魚ばかりでいい加減飽いた……少し分けてくれ」

 

 崩月の言葉に、三体の鬼が不敵に笑いながら返す。残り二体も、言葉は発しないものの、その好戦的な眼光が、明らかに戦わせろと訴えていた。

 

 並外れた妖力を持つ彼等の正体は、いずれも伝説上の鬼。酒呑童子の配下として書物に記された副統領の茨木童子、四天王と言われた熊童子、虎熊童子、星熊童子、金熊童子だ。ここに来るまでにも多くの妖怪を屠ってきたのだろう。浅黒い肌でも明確に分かるほど、その全身を血に染めて凄絶に嗤う姿は、まさに悪鬼羅刹。

 

 人間も妖怪も関係なく、並みの者なら意識を保つことすら叶わないだろう濃密な妖力と殺気が満ち満ちていく。しかし、相対する伊織達の表情に焦燥の色はない。この程度の修羅場、今までに何度も遭遇して来た。伊達に、何度も世界を救ってはいないのだ。伊織達の意志を折るにはまるで足りない。

 

 それに気を取り直した崩月が、拳を引き絞った。開戦の合図でもする気だろうか。だが、その目論見は、またしても横槍を入れられて頓挫する事になった。

 

「おやおや、さっきぶりだなぁ、小僧」

 

 その粘着質な声音と共に、崩月の動きがピタリと止まる。崩月の表情は、先程までの鬼の形相とは異なり、陰惨で嫌らしい笑みを浮かべていた。どうやら、はぐれ術師の意識体に憑依されたようだ。眼が血走っているのは、水を差されたが故の憤怒のあらわれか……

 

「全く、鬼というのは本当に頭が悪くて困る。八坂もできる限り捕縛するようにと命じたのになぁ。挙句、任務を忘れて遊びに興じるとは……やはり、所詮は妖し。ただの獣に過ぎないというわけだ」

 

 腕を降ろし、嫌らしく嗤う崩月の姿に、茨木童子達が憎々しげな表情を見せる。自分達の統領に対するこれ以上ない侮辱だ。屈辱の極みだ。出来ることなら、今すぐにでも八つ裂きにしてやりたいのだろう。

 

「さて、小僧の実力を見誤っていたとは言え、流石に、私の酒呑童子に勝てるとは思えないが、ここは万全を期させてもらおう」

 

 はぐれ術師がそう言うやいなや、周囲一帯から続々と鬼達が集まりだした。そして、その手に握っているものを見て八坂や九重のみならず、伊織達もまた顔を顰めた。

 

「ふふふ、こういう場合の常套手段というやつだ。では、九尾よ。ありきたりなセリフで悪いが、敢えて言わせてもらおうか。同胞の命が惜しければ、我が秘技を受け入れろ」

「おのれ……下衆が」

「おっと、立場というものが分かっていないようだな。ほら見ろ」

 

 直後、鬼達が一斉に、その手に持つ妖怪をギリギリと締め付ける。咄嗟に、伊織が動こうとしたが、それを見越して茨木童子達が包囲を狭めた。

 

「小僧、貴様の力は既に人間のそれを逸脱している。どこで、それ程の力を得たのかは知らないが、下手な事は止めておけ。いくら貴様でも、一瞬で全てを救う事など出来はしまい? 大体、なぜ妖怪を庇う? 全くもって理解不能だ」

「俺は、俺が守りたいと思った者を守るだけだ。そこに種族の違いは関係ない」

 

 伊織の返答に、やはり理解不能という様子で肩を竦めるはぐれ術師。そんな仕草をしながらも、まったく油断していないことが分かる。

 

「まぁいい。既に詰みであることに変わりはない。小僧。死にたくなければ、そこで大人しく見ているがいい。なに、隷属させるだけで命までは取らん。お前は中々有用そうだからな。妖怪共と同じく配下に加えて、私が築き上げる新たな秩序にその人生を捧げさせてやろう。光栄に思え」

 

 そんな勝手極まる宣言をして、はぐれ術師は崩月を操りながら八坂と九重のもとへ悠然と歩き出した。捕らわれの妖怪達が悲痛な叫び声を上げる。自分達の統領と姫を守ろうと、満身創痍の身で尚足掻く。

 

 はぐれ術師の表情は、優越感たっぷりだ。

 

 それらの全てを見て、伊織は溜息を吐いた。諦めたからではない。これから行う事で世界の各勢力に目を付けられる危険性を思い、思わず漏れ出たのだ。ミク達が、苦笑いを浮かべながら伊織に「仕方ない」といった眼差しを送る。どうせ、いつかはばれる運命なのだからいいじゃないとも言っているようだ。

 

 攻性音楽でも魔法でも、一拍の隙が出来る事に変わりはない以上、今尚、まったく油断なく伊織達を監視している鬼達の意表を突き形勢を逆転するには、その方法が最適なのは確か。いつかのエヴァの忠告通り、必要な時に出し惜しみはしない。

 

 それは、【別荘】などで鍛錬する以外では決して使わなかった新たなる力。各勢力が決して無視できない神をも滅する具現。その使い手たる伊織を手に入れる為に、あるいは家族も危険に晒される可能性が高いが、その全てを守ると覚悟を重ね掛けし――発動した。

 

――神滅具 魔獣創造(アナイアレイション・メーカー)

 

 直後、伊織を中心に漆黒の化け物達が沸き上がった。大きさ、姿形はバラバラではあるが、何れも怖気を震うような威圧感を伴っている。一瞬にして鬼の包囲網を内外から取り込んだ魔獣の群れは、優にニ百体はいるだろう。低い唸り声を上げながら殺意を撒き散らし、今にも飛びかからんと眼を細めるそれらに、はぐれ術師だけでなく鬼も妖怪も関係なく眼を見開いて硬直した。

 

「な、なんだ、これは……何が起こった」

 

 呆然と呟くはぐれ術師。そこに、伊織の醒めた声音が届く。

 

「理解できないか? 世界広しと言えど、こんな魔獣を生み出す力は一つしかないだろう? 少なくとも、俺は過分にして知らないな」

「ま、魔獣だと……ま、まさか、そんな……有り得ない!」

 

 錯乱したように叫ぶはぐれ術師。伊織は、念話でミクにとある指示を送りつつ、同時に、並列思考で動揺を隠しきれていないはぐれ術師に語り掛けた。

 

「目の前の現実を安易に否定すべきじゃないな。もっとも、現実を見られなかったから、お前は“はぐれ”に堕ちたんだろうが」

「なっ、なら、本当に、お前は……」

「ああ。神滅具、魔獣創造の今代の担い手だ」

「っ……だが、だがっ! いくら魔獣創造と言えど、こちらは霊脈のバックアップを受けた大妖の群れだ! 決して引けはとらない!」

「なら試してみるか? せっかく手に入れた酒呑童子を失う覚悟で、どちらかが滅びるまで殺り合うか? 俺にはその覚悟があるが、お前はどうだ? 何十年と掛けた素敵な計画が頓挫する可能性を受け入れて、俺と戦う覚悟があるのか?」

「……おのれぇ……このタイミングでなぜ神滅具なんて物が出てくるのだ! どいつもこいつも、私の邪魔ばかりをっ!」

 

 思い通りに行かない現実に、はぐれ術師が喚き散らす。

 

 だが、実際のところ、なお追い詰められているのは妖怪側だ。魔獣達に指示して捕われの妖怪を救い出しつつ、鬼達と互角に戦うことは可能だろうが、それでも霊脈のバックアップを受ける鬼は、実質、無敵に近い。それは、八坂を容易に降し、失った腕を直ぐに再生した崩月が証明している。

 

 今は、突然の神滅具使いの出現に動揺して冷静な判断力を欠いていて気がついていないようだが、霊脈と鬼達とを切り離さなければジリ貧なのだ。それには、安全圏で鬼を操り、支援するはぐれ術師を是が非でも見つけなければならない。

 

 なので、魔獣創造のインパクトが効いている間に、伊織はとある提案をした。

 

「まぁ、こちらも、ただでは済まないからな。一つ妥協しよう」

「妥協……だと?」

「ああ。……九尾の娘を引き渡す。それで、今回は手打ちにしよう」

「……」

 

 伊織の言葉に、妖怪達がいきり立つ。何を言っているのだ! と伊織を射殺さんばかりの眼光で睨む。

 

「……貴様は、九尾の娘を守ろうとしていたのではないのか?」

「それを言われると心苦しいな。だが、現実は甘くない。選択が必要な時もある。それに俺は退魔師だ。人間の守護が本分。無用の混乱を防ぐためにも、ここで八坂殿を奪われる訳には行かないんだ。八坂殿と九重を天秤に掛ければ、前者に傾く」

「……」

「要は、一度仕切り直そうという事だよ。こちらは体勢を立て直したい。そちらも、神滅具と事前準備なしに戦うのは避けたい。なら、当初の目的である九重を差し出すから、一旦引いていくれというわけだ」

 

 伊織の提案に、はぐれ術師は逡巡する。本当は、今日この日に、妖怪の異界を落としてしまいたかった。九重を連れて行っても、追っ手が掛かることは自明の理。後顧の憂いを経ってからじっくりと調教するつもりだった。もちろん、人質にして八坂が手に入れば文句はない。

 

 だが、ここで無理をすることは何とも躊躇われた。理由は言わずもがな、神滅具だ。はぐれ術師が、無敵に近い鬼を手に入れておきながら、ここまで警戒するのは神器の特性にある。それは、【禁手】だ。神器は全て、使い手の意志に反応して進化し、最終的にバランスブレイクと呼称される程劇的な力を発現する。

 

 ただの神器でさえ、その効果は上級悪魔や堕天使さえ退ける程のものなのだ。それが神滅具となれば……なまじ酒呑童子が強力な分、死闘になることは間違いなく、余計に魔獣創造が【禁手化】する可能性が高い。

 

 そうなれば、いかに酒呑童子と言えど消滅の危険は大いにあった。それはつまり、十年以上掛けた人生を賭した計画が潰えかねないという事だ。断じて、許容できるものではなかった。伊織の言う通り、神滅具対策は、きちんと時間をとって考えるべき懸案事項だった。

 

 故に、はぐれ術師は伊織の提案に乗る。

 

「……いいだろう。ただし、下手なことをすれば、九尾の娘は惨たらしく死に、京都の地に鬼共が放たれると思え」

「そいつは怖いな。肝に銘じておこう」

「……ふん」

 

 はぐれ術師が気に食わなさそうに鼻を鳴らし、周囲の妖怪達が姫を連れて行かせまいと絶叫を上げる。それらの一切を無視して、伊織は、怯える九重の元へ歩み寄り、その腕を掴んだ。

 

 その瞬間、八坂から強烈な殺気と妖力の塊が放たれる。しかし、一瞬で割り込んだミク達が障壁を張ってあっさり防いでしまう。

 

「……退魔師よ。裏切るのかえ?」

「まさか。全ては妖怪と協会のためですよ。貴方も統領ならばご理解下さい」

「……許さん。決して、許さんぞ。体が動き次第、くびり殺してくれる」

 

 常人なら、それだけで心臓を止めてしまいそうな強烈な殺意を乗せた眼差しが伊織を貫くが、当の伊織は肩を竦めるのみで柳に風と受け流す。

 

「母上……よいのです。九重がいけば、母上もみなもたすかる。どうか、みなをおねがいします」

「九重……必ず、助けにいく。それまで待っておれ」

「……母上」

 

 傷はほとんど治ったものの、体の芯にダメージが蓄積しているのか身動きしない(・・・)八坂と眉を八の字にする九重。悲しき母娘の離別に、妖怪達の死に物狂いに抵抗する。当然、気力だけで解けるほど鬼の拘束は甘くはなかったが……

 

 はぐれ術師は、歩み寄って来た九重の髪を腹いせ混じりに掴み上げた。九重が小さく悲鳴を上げる。

 

「……小僧、この借りは必ず返させてもらうぞ」

「そうか」

 

 最後に、いかにもな捨て台詞を吐いてはぐれ術師が憑依した崩月と鬼達が地面から噴き上がった光に包まれた。どうやら霊脈を利用した転移をするようだ。最後の一瞬、憑依が解けたのか崩月が苦虫を噛み潰したような表情で伊織を見た。そして、次の瞬間には、荒れ果てた異界から鬼達の姿が一斉に消え去った。

 

「……ふぅ、まったく。唯のはぐれ術師討伐の依頼がこんな事になるとはな」

「ふふ、流石、マスター。愛されてますね。トラブルに」

「ボクは何となく予想してたよ。マスターなら絶対、ごく自然に一大事の中心人物になってるだろうなって」

「魔獣創造もばれたしな。今まで以上に忙しくなりそうだ」

「ケケケ、面白クナッテキタジャネェカ」

 

 天を仰ぐ伊織に、ミク達が可笑しそうな笑みを浮かべて割と失礼な事をいう。この辺り、夫婦故の遠慮のなさだろう。

 

 だが、そんな伊織達を猛烈な殺意が取り囲む。仕方ない事だったとはいえ、敵に自分達の姫を渡した伊織達を、周囲の妖怪達は許すつもりがないようだ。

 

 そこに待ったを掛けたのは一番怒っているはずの八坂だった。

 

「待て、お前たちよ」

「なぜです! こやつら、姫様をっ!」

「そうです! やはり人間など信用ならん! 八つ裂きにしてやりましょうぞ!」

 

 いきり立つ妖怪達。敗北の屈辱と伊織達への怒りから八坂の言葉さえ届いていないようだ。と、そこへ、有り得ない声で再び制止がかかった。

 

「みな、まつのじゃ! 九重は、このとおりぶじじゃ! 伊織たちにほこをむけるでない!」

 

 幼い声音と共に、テトの傍らの空間がゆらりと揺れる。そこには、連れて行かれたはずの九重の元気な姿があった。妖怪達の眼が点になる。そんな彼等を見て、九重がその小さな胸を精一杯逸らしてドヤ顔をする。

 

「ふふふ、みなだまされたようじゃな! あれは九重のにせものなのじゃ! あやつらを化かしてやったのじゃ!」

「はぁ、この馬鹿娘。ペテンに掛けたのは伊織達であって、お前ではなかろう。大体、お前には、説教せねばならんことが山のようにあるのじゃ。威張っておらんで、まず反省せよ」

「うっ……伊織ぃー」

 

 人型に戻った八坂が、特にダメージも見受けられない様子でスっと立ち上がると、九重の脳天に尻尾の一撃を叩き込んだ。頭を抑えて涙目になった九重は、ステテテー! 伊織の元に駆け寄り、その足にヒシッとしがみつきコアラと化した。

 

「まったく、何かあれば伊織に泣きつく癖がついたようじゃな。嘆かわしい……」

 

 嘆息する八坂に、幹部クラスの妖怪達が事情説明を求めて集まる。みな一様に困惑を隠せずにいるようだ。

 

「あ、あの、連れて行かれた姫様は八坂様の幻術か何かで?」

「いや、あれは全て伊織達の仕業じゃ。流石に、疲弊した身であの鬼達に察知すらさせず幻術を掛けるような真似は厳しい。というより、この八坂を以てしてタネが見極められんかったのじゃが……説明はしてもらえるのかの?」

 

 八坂の視線と共に妖怪達の視線も伊織達に向く。伊織は、頬をポリポリと掻きながら、ミクに視線を向けた。ミクは、一つ頷くと、懐から一枚のカードを取り出した。

 

「アデアット!」

 

 直後、ミクの隣に、瓜二つのミクがポンッ! と現れた。

 

――アーティファクト 九つの命

 

 ミクと全く同一スペックの分身体を作り出すパクティオの力。更に、ミクは新たな力を発動させる。

 

――神器 如意羽衣

 

 向こう側が透けて見える上に、ミクを中心にして天女の衣装の如く宙に浮く羽衣。ミクが優美な手つきで隣の分身ミクに羽衣を撫でるように掛けた。そして、その羽衣が取り払われた後には、九重に瓜二つの分身体が現れた。

 

「ほぉ、これは……中々、見事よな。最初の札はよくわからんが、その羽衣は神器じゃな。それで偽の九重を作り出し、本物は他の術で姿を隠したというわけか。伊織の会話で注意を引いていたとは言え、念話で伝えられなければ、この身でも気づかなかったかもしれんの」

「ははっ、流石に、八坂殿に無断でやってただで済むとは思えませんでしたからね。信憑性を持たせる演技と分かっていても、あの殺気には肝が冷えました」

「ふふ、これでも化かし合いは十八番の妖狐じゃよ」

 

 伊織と八坂のやり取りで、周囲の妖怪もおおよその事情を察したようだ。感心したような、流石人間は悪知恵が働くと呆れたような視線を向けている。だが、その眼差しに怒りの色は既になかった。それどころか、最初、伊織達がここに来た時より、遥かに友好的な色が垣間見える。

 

 統領親子の窮地を救った事で、かなりの好意と信頼が寄せられているようだ。

 

「ふ~む、それにしても、貴重な治癒系神器に、姿形を自在に変える神器、極めつけは上位神滅具……おそらく、まだまだ手札を出し切っておらんのじゃろ? 崩月と相対したときの力の練も、人間とは思えんほど洗練されておった。思わず、見蕩れてしもうたよ。協会はとんでもない者達を取り入れておるのぉ」

「まぁ、協会は俺達が神器持ちだとは知りませんけどね。特に、魔獣創造なんか、周囲に知れたら今までのように生活は出来なくなるだろうし……」

「道理よの……それが分かっていながら救援に尽力してくれた。ちょっとやそっとでは、返しきれん恩が出来たのぉ」

 

 困った困ったと朗らかに笑う八坂に、伊織は静かに首を振る。そして、未だに自分の足にしがみついている九重の頭をひどく優しい手付きで撫でた。九重が、「ん?」と首を傾げながら見上げてくる。

 

「恩など……呼べば助けに来ると約束したのは俺自身です。救いを求める者に手を差し伸べるのは、俺の大切な誓い。俺は、俺自身の誓いを守ったに過ぎませんよ」

「……そういうでない。何も返せないとあっては、妖怪の矜持が廃る。どうか、恩返しを受けてたもう」

「……わかりました。まぁ、取り敢えず、目先の問題を解決しませんとね。酒呑童子は、是が非でも八坂殿の地位を狙ってますよ」

「それを言うなら、伊織の方じゃろ。お主と相対したときのあ奴の顔と言ったら……呪縛のせいでどう転ぶかはわからんが……高い確率で、崩月はお主を狙うじゃろ。既に敗北した我が身より、神滅具使いの方が危険じゃ。あのはぐれ術師の恨みも相当買ったようじゃしの」

 

 そう指摘されて、伊織は「あ~」と天を仰いだ。そして、チラリとミクを見る。視線を受けたミクは、ニヤリと実に不敵な笑みを浮かべた。いつでもOKです! と。

 

「そのはぐれ術師なんですけどね。そっちは割かし簡単に解決できると思います。奴を討伐すれば、呪縛も解けるでしょうから、実質的に相手は酒呑童子率いる鬼達です」

「解決できるとな? それは……よもや、先程の分け身かえ?」

 

 伊織の意図を察した八坂が、ニヤリと悪どい笑みを浮かべる。それに苦笑いしながら伊織は頷いた。

 

「ええ、強度に問題はありますが、あれは実質、ミク本人ですからね」

 

 

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 とある山中の開けた場所に、突如光が生じた。

 

 周囲を木々に囲まれたその場所は、円形状に草木が一切生えておらず。まるでミステリーサークルのように適度な大きさの岩が規則正しく置かれていた。その広場の中央から噴き上がっていた光が収まった時、一瞬前まで何もなかったその場所に大量の人影が現れる。崩月率いる、はぐれ術師に呪縛を受けている鬼達だ。

 

 崩月は、片手で捕まえていた九重を乱暴に放り投げると、不機嫌極まりないといった表情でドカッ! とその場に腰を下ろした。いや、不機嫌なんてものではない。その剣呑に細められた眼には憎悪が宿っていた。

 

 そして、それは他の鬼達も同じだった。酒呑童子の腹心である茨木童子など、歯を食いしばり過ぎて口の端から血を滴らせている。

 

「大将……このままでいいんですかい?」

 

 苦悶にも似た低い声で、茨木童子が崩月に言葉を投げかける。

 

「いいわけあるか。このままじゃ済まさねぇ。何とかして術を解かねぇとなぁ」

 

 崩月が、胡座をかいた足に肘を付きながら忌々しそうに歯ぎしりした。茨木童子も、返答を予想していたようで、腹立ち紛れに思わず八つ当たり気味に聞いてしまった事にバツ悪そうな顔になった。

 

 そんな鬼達の様子をジッと観察するように見つめる九重。その視線に気が付いた崩月が皮肉げに口元を歪めた。

 

「よぉガキんちょ。随分と大人しいじゃねぇか。これからいい様に玩具にされるってぇのによぉ。えぇ? もう諦めちまったのか? それとも思い通りになって本望ってか?」

「いや、とっても怖いのじゃ。しかし、お主等がえらく怒っているようじゃから、気になった。やはり、好き好んで従っているわけではないのじゃな」

「あぁ? 当たり前だろうが」

「ふむ、ならば、あのはぐれ術師から解放されれば、もう九重達を襲わんのかえ?」

 

 九重の様子に、崩月は違和感を覚えながらも暇潰しがてらに答えた。

 

「はっ、そんなわけねぇだろ。せっかく目ぇ覚ましたんだ。妖怪の統領は二人もいらねぇ! お前の母親の居場所は奪わせてもらうぜぇ。それに、あの小僧とも絶対に殺り合いてぇしなぁ」

「まさしく鬼じゃのぅ。どの世界でも戦闘狂ばっかりじゃ」

「あ? ……お前、何かおかしくねぇか?」

 

 流石に、どこか達観したような表情をする九重の姿をおかしく思ったのか、崩月が僅かに警戒したような眼差しを向ける。しかし、その警戒が形になる前に、まるで鶏のような引き攣った甲高い声が響いた。

 

「跪け! 酒呑童子!」

「ぐっ!?」

 

 鬱蒼を茂る木々の相間から姿を現したのは、皮と骨だけで出来ているのではないかと錯覚してしまう痩せぎすの男だった。その瞳は血走っており、泥のように暗く濁っている。狂気を感じさせる姿だ。

 

 そのはぐれ術師、崩月に命じた瞬間、崩月は胡座をかいた状態から額を地面に突きつけ始めた。やはり、はぐれ術師の命令には逆らえないようだ。鬼の御大将が、何とも無様を晒している。こんなことをされれば、先程の鬼達の姿も頷けると言うものだ。

 

 はぐれ術師は、そのまま酒呑童子の傍まで歩み寄ると、その頭を踏みつけながらヒステリックに叫び始めた。

 

「お前がっ! お前がっ! さっさと制圧してればっ! こんな事に! ならなかったんだろう! がっ! あぁ!? 伝説の鬼がっ! 聞いて呆れる! 所詮! 貴様は畜生にも劣るっ! ゴミクズなんだよぉ!」

 

 そう言って、何度も何度も崩月の頭を踏みつけた。上手くいかなかった鬱憤をそうやって晴らしているのだろう。鬼の身にダメージは皆無だが、精神的ダメージは計り知れない。さぞかし、崩月の矜持は傷ついている事だろう。他の鬼達も、射殺さんばかりの眼光をはぐれ術師に向けている。

 

 そんな視線が気に食わないのか、はぐれ術師は、鬼全員に崩月と同じように跪かせ、何度も自分で頭を地面に叩きつかせた。

 

「てめぇ……ぜってぇ殺してやる……」

 

 崩月が、怨嗟の篭った声音と眼光をはぐれ術師に向ける。余りに苛烈なそれに、はぐれ術師は一瞬「うっ」と怯んで後時さったが、直ぐに表情を取り繕うと甲高い声で嘲笑し始めた。

 

「ハハッ、私の奴隷、いや唯の道具の分際で何を言っている。出来もしない事は口にしないことだ。滑稽だぞ?」

「なめるな。枷はいつか必ず解いてやる。その時、てめぇの悲鳴を聞くのが楽しみだ」

 

 崩月の態度に、不快気に顔をしかめたはぐれ術師が更に崩月を屈辱の沼に沈めようとしたとき、不意に声が掛かった。

 

「う~む、酒呑童子よ。あれだけ霊脈の加護を受けておいて、それでも解けぬほど、その枷は強力なのかえ?」

「あ? あ、ああ、十年掛けて侵食されたからな。魂に根付いてやがる」

 

 いきなり質問を始めた九重に、さしもの崩月も若干困惑したようで、つい素で答えてしまった。

 

「おい、勝手に口を開くんじゃない。というか、なぜ野放しにしている。さっさと拘束しろ。さっさとこいつも呪縛するぞ」

「まぁ、待て。どうせ逃げられんよ。もう、主に隷属するしかないんじゃ。その前に、少し話を聞かせてくれてもよかろう? それとも魂操法とやらがなければ、こんなオチビも恐ろしくて相対できんか? だというなら……やはりお主は三流じゃの」

「小娘ぇ……今、この私を愚弄したか? 畜生風情が、この私を?」

 

 九重の物言いに、はぐれ術師の喉が引き攣ったような痙攣する。

 

「なんじゃ、こんな小娘の言葉に怒ったのかえ? 見た目通り、精神まで三流じゃな。これなら、霊脈を操作した術も大したことなかろう。母上なら、直ぐに力場を調整して、今度こそ返り討ちじゃ」

 

 自慢気に、そして挑発するように「お前など、相手にならない」と告げた九重に、はぐれ術師がニターと実に嫌らしい笑みを浮かべた。本当は、今すぐにでも暴行を加えてやりたかったのだが、そうすれば精神も三流という言葉を肯定してしまう気がして、論破して絶望に落としてやろうと思ったのだ。……その時点で十分未熟なのだが、生憎、プライドの塊のような男はその自覚がない。

 

「ひっひひひっ。それは無理だなぁ。いくら九尾狐と言えど、酒呑童子の血肉を利用した術を破れはしない。霊穴を酒呑童子の血肉で満たし、自然と霊脈から力を受けられるようにしてあるのだ。十年もかけた術だ。鬼神レベルの回復力がなければ土台無理な方法だが……既に、京都の霊脈に溶け込んでいる以上、自然に浄化するのを待つ以外正常に戻す方法はない。くふっ、お前の母親は、また痛めつけてから私の奴隷にしてやる」

 

 たっぷりと絶望をすり込むように語るはぐれ術師だったが、それを黙って聞いていた九重は顎に指を当てて考えるように首を傾げる。

 

「酒呑童子の血肉を混ぜて霊脈の質を変えて、引き合う力を利用し、霊脈の力が自然と流れ込むようにする……しかし、それでは、他の鬼達も恩恵に預かれていた事に説明がつかんが……よもや、お主のような三流が術を以て、霊脈の力を割り振っておった……何てことはないじゃろうしのぉ」

 

 再び、「まさかねぇ~?」と、どこか馬鹿にするような視線を向ける九重。その冷静な態度に鬼達同様、違和感を覚えたはぐれ術師だったが、幼子からそんな眼差しを向けられては黙っていはいられない。

 

「はっ、それがあるのだよ。本来、酒呑童子にだけ流れ込む霊脈の力を私が他の鬼に割って送り込んでいたのだ。ふふ、これで京都の地を支配すれば、私は無敵の軍団を従え……」

「では、お主が死んでも酒呑童子が強化されるという状態は変わらんわけか。まぁ、全ての鬼族が強化されんだけでもマシといえばマシか……ところで、お主が死ねば、魂操法の呪縛は勝手に解けるのかの?」

「……」

 

 自らの言葉を遮られ、思わず黙り込むはぐれ術師。流石に、膨れ上がる違和感を無視できなくなったようだ。

 

「答えてくれんのか? まぁ、その様子じゃと解けるみたいじゃな。呪縛されたまま身動きとれない鬼をそのまま封印というのが理想だったんですけど、流石に贅沢を言い過ぎですね」

「……だ、誰だ、貴様はっ! しゅ、酒呑童子ぃ! 取り押さえろ!」

 

 九重――改め、ミクもバレたと気が付いたようで途中から口調が素に戻る。聞きたい事はあらかた聞けたので特に問題はなかった。簡単に挑発に乗ってくれたので、実にやりやすい相手である。そんな気持ちが表情に出たのだろうか。はぐれ術師は、表情筋を盛大に引き攣らせつつ、咄嗟に崩月へ命令を下した。

 

ドンッ!!

 

 そんな地響きを立てて、座った状態から一瞬で肉薄する崩月。しかし、その剛速を以て振るわれた拳は、ヴォ! という空気が破裂するような音と共に目標が消えた事で何を捉えることも出来ず虚しく空を切った。

 

 そして、次の瞬間には、はぐれ術師の正面に現れたミクが、その鳩尾に強烈極まりない掌底をぶち込んだ。

 

「ゲハッァ!!!?」

 

 口から空気が漏れ、呼吸困難になりながら崩れ落ちるはぐれ術師。絶妙な手加減により気絶は免れているが、盛大に血の混じった吐瀉物を撒き散らしている。しばらくまともに動けないだろうことは明白だった。

 

 九重姿のミクは、くるりとターンを決めて、拳を振るったままの体勢で目を見開らいている崩月に笑みを浮かべた。

 

「てめぇ、一体何もんだ」

「私はミクといいます。マスターの指示で、ちょっと潜入させてもらいました。あっ、マスターって言うのは、酒呑童子さんと相対した少年の事ですよ」

「ハッハッ! そうか! あの小僧の差金かっ! ってことは、アイツが侍らしてた女の一人だな? あ~、何色だ?」

「ふふ、翠です」

「ああ、てめぇか。ククッ、それにしても流石だな、あの小僧。侍らしてる女まで面白れぇじゃねぇか。この俺が、一瞬とは言え相手の姿を見失うたぁなぁ」

 

 手を後ろで組み、片足のつま先をトントンして余裕の表情を見せるミクに、崩月の口元が釣り上がる。そんな崩月に、ミクは何の気負いもなく指を突きつけるとクイクイッと曲げて「かかってこいやぁ!」アピールをした。

 

「ハッ! いい度胸だぁ!」

 

 酒呑童子は、そのまま爆発じみた踏み込みで一気にミクのもとへ飛び込むと、今度は逃がさんと眼光を見開いて凝視しながら渾身の拳を放った。空気を破裂させ、衝撃波を伴いがながら一直線に突き進む拳撃。

 

 しかし、知覚能力が引き伸ばされ時間の流れが緩やかになった世界で、ミクは未だに笑顔を浮かべたまま動こうとしなかった。流石に、内心訝しむ崩月だったが、ミクの眼差しと、その直ぐ背後で蹲っているはぐれ術師を見て、その意図を悟った。

 

(てんめぇ! そういう事かっ!)

 

 直後、砲弾の如き崩月の拳は九重姿のミクを呆気なく粉砕し、そのまま慣性に従って背後のはぐれ術師へと突き進んだ。ミクが煙となってポフンッ! と消えるのと同時に、魂に掛けられた枷が主を保護せんと崩月を縛り付ける。

 

 しかし、一度放たれた砲弾はそう簡単には止められない。まして、崩月自身にも止める気は微塵もなく、ミクとはぐれ術師の距離は数十センチもないのだ。結果は、言わずもがな。

 

 はぐれ術師は、痛みに朦朧とする意識をどうにかつなぎ止めながら、ふと上げた視線の先で巌のような拳が迫ってきている事に僅かに目を見開いた。その瞳には、信じられないといった感情が映っている。

 

 それが、彼の生涯最後の光景となった。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

「というわけで、鬼の皆さんが余りに哀れだったので、酒呑童子さん自身に始末を付けさせました。情報通りなら、ここから先、強化されるのは酒呑童子さんだけになりますね」

「そうか。お疲れさま、ミク」

「ふふ、どうってこと無いですよ、マスター」

 

 分身体からの情報を受け取り、その結果を報告するミクに、伊織は労いの言葉を返す。周囲を見れば、八坂達は大体呆れ顔だ。九重の瞳はキラッキラッである。

 

「そうか、貴重な情報じゃな……しかし、あれでも霊脈の力が分散されていたとなると、もしかすると、崩月の力は更に増すかもしれん。何とか力場を調整して抑え込んでは見るが……」

「まぁ、あいつの目的は俺との殺し合いのようですし、俺が何とかしますよ。八坂殿は可能な限り霊脈からの力を削いで下さい」

「すまんの。我らの命運、主に託すしかなさそうじゃ」

 

 申し訳なさそうな表情の八坂に苦笑いしながらもしっかり頷く伊織。視線を巡らせばミク達も力強く頷いた。

 

 頼もしい妻達の視線を受けながら、異世界の英雄は、今世最初の修羅場に挑む。仰ぎ見る伊織の瞳には、かつてと同じ不退転の炎が宿っていた。

 

 

 

 

 




いかがでしたか?

楽しんで貰えたなら嬉しいです。

感想有難うございました。
強さに関して、言われてみると確かにネギまとかリリなのも大概だと思い、結構余裕ある戦いでも不自然ではないかな? と思えてきました。
何せ、バグキャラとか世界作っちゃう神様とか、次元震起こして世界崩壊とか、ざらにある世界観ですものね。
参考になりました。有難うございます。

それと協会の立ち位置に関しては、裏の警察のようなもだと思って頂ければいいかと。
つまり、公務員ですね! 危険度に関わりなく安定給料です! 但し、徹夜残業あり……
あと、協会はどの神話も贔屓にしません。信仰は術者達の個人の自由です。

次回は、明日の18時更新予定です。

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